あべちゃんの写楽生活

撮ることが楽しいのか、楽しいから撮るのか

露出の話 その3(最後)

2012年11月17日 15時32分47秒 | 写真

 

全ての明るさを同時に再現するのは不可能。

 

風景写真を撮ったとします。

そこには真っ暗な所や真っ白な所がありますよね。

人間の目は優秀なので、両方きれいに見ることができます。

しかし、イメージセンサーの再現できる幅(ダイナミックレンジ)は

人間の目ほど広くありません。

したがって、どちらかをきれいに表現するとなると、片一方を

犠牲にしなければばりません。

「空がきれいだったのに白く飛んじゃった」

こういう場合はアンダー補正をして空をきれいに出しますが、

元々暗かった場所はさらに暗くなって黒く潰れてしまいます。

暗い場所をきれいに出すときは今とは逆の現象が発生しますが、

自分の表現したい主題に沿うように補正するしかありません。

もう少し半導体技術の進歩を待ちましょう。

これでもかなり良くなったんですよ前よりは・・・

トーンカーブをいじる、という方法もありますが、それは別の

機会に説明したいと思います。

 

演出として、露出を操作する。

 

意図的であれ偶然であれ、標準露出より明るいのをオーバー、

暗いのをアンダーと呼んでいます。

失敗写真としてオーバー、アンダーになってしまった場合は別ですが、

意図的にオーバー、アンダーにする場合があります。

例えば

夕日を撮影したのだが、けっこう明るめに写るのでアンダー補正して

雰囲気が出るようにした。

女性のポートレートで肌色がきれいに出るようにオーバー補正した。

などです。

それって、創作じゃん?

たしかに自分の今見ている画像とは違った画像が記録されますが、

それは表現上の演出で、”あり”だと思っています。

かなり前に書きましたが、写真は真実を写さないのです。

でも、それで撮影者の思いが伝わる手助けになるのなら、それはそれで

良いのではないでしょうか。

「うわー、きれい」なら、あなたの勝ち。

「うーん、なんか変」なら負けです。

さりげなく、演出を見抜かれないようにするのが上手な人です。

あくまでも見ている人に訴えたい主題、「何を見せたいか」という

ものがあって、それをするために手助けになるような、スパイス的な

使い方をすれば良いのではないでしょうか。

 

自分の明るさ、色にこだわってはダメ。

 

長く写真をやっていると、「これが俺の明るさだぁ」とか、

「これが俺の色だぁ」とかこだわっている人を見かけます。

ブログでも「自分が良いと思った露出が標準露出だ」と言う人が

けっこういるんですね。でも、私は違うと思います。

写真は自分の感動を伝えるのが一番大切なことです。

そして、写真は「見てもらってナンボ」だと思っています。

別に見る人に媚びている訳ではありませんよ。

どんなに自分が表現しようと思っても、それが伝わらないのであれば、

それは独りよがりです。

見る人に伝わるように撮影するのもテクニックなのではないでしょうか。

説明されなければ理解できない写真って良い写真とは言えないですよね。

そんな写真はプリントせずにハードディスクにしまっておけばいいんです。

そして、わかってくれる人にだけ見せればいいんです。

プリントして「いいねぇ」とか「きれい」とか言ってもらえる写真って、

意外と平凡な明るさで、一般的な色合いだったりするんですよ。

一般人って一般的なことしかわからないんですよ。

それでいいじゃないですか。

私たちだって音楽の詳しい知識はないけど、「いい曲だね」とかあります

もんね。それと同じではないでしょうか。

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