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あべちゃんの写楽生活

撮ることが楽しいのか、楽しいから撮るのか

葬儀が終わった

2017年01月28日 08時26分30秒 | 写真

  

一昨日、母の葬儀が終わった。

記録に残しておこうかな、と思ったのだが、

これは長く保存すべきものなのか、と思ったのだ。

これは少しずつ忘れるべきものだな、と思いやめた。

  

よりによって大寒の時に、という感じなのだが、

こればかりはいたしかたない。

それよりは、親戚が遠いので足の心配ばかりだった。

今回は友引が入ってしまったので、葬儀まで時間がかかった。

しかも、友引明けの日は普通でも火葬場が混むのに、

3台ある炉の内1台が故障中という事態だった。

だから友引の次の日は予約が取れずに、その次の日になった。

それでも、通常なら地獄のような忙しさになるところが

余裕をもって処理することができたのでよかった。

  

葬儀のしかたもアップデートするようだ。

9年前の親父の時とはだいぶ違っていた。

遺体は病院から直接、通夜、葬儀会場に運んでもらった。

自宅に運んでもらうと、駐車場の確保、部屋を暖かくし、

お茶出し、弔問客の対応など、大変になるのだ。

その点、ホールだと、いつも暖かいし、24時間対応だし、

駐車場は広いし、そのまま通夜、告別式ができるので便利なのだ。

  

通夜の「線香守り」という、一晩中線香を絶やさない

行為もやらない。遺族、親族が体力的にまいってしまうからだ。

だから、私は喪主なのに帰宅して寝た。

8時間燃えつづける線香をつけて、ホールの当直に

後は任せればいいのだ。

親族も各自、ホテルを予約して帰って行った。

便利な世の中になったものだ。

会津地方特有の「詩詠み」という儀式もやらないことにした。

第一、詠める人がもう町内には、いないのだ。

山形地方では「連歌」といって、大きな数珠をみんなで廻しながら

読経する儀式がある。

また、山形では火葬してから葬儀をするので、葬儀の時

故人の顔を見ることはできない。

  

死に装束も、額の三角形の布はつけない。

インパクトが強すぎて、夢にでる人がいるからだそうだ。

出棺の時、釘も打たなくなった。

肉親に釘を打つ行為がつらい人がいるためらしい。

もう死んでいるのだが(笑)。

三途の川の六文銭も、炉を傷めるという理由から、

かなり前からプリントに変わった。

葬儀会場の担当者が、昔の親父の同僚ということで

親切にしてもらった。

「ムダなお金は使わない方がよい」ということで、

火葬場の軽食は廃止した。

コンビニのおにぎりで腹一杯になり、あとの初七日の

料理が食べられなくなってはもったいないのだ。

実際、ほとんどの軽食が食べないで余るそうだ。

さいわい、今は飽食の時代で、

「この機会に、いっぱい食べて飲んでやろう」

などと思う人はいなくなったので、よかった。

それでも、かなりの田舎ではグズグズ言う人はたまにいるらしい。

また、酒もほとんど飲まなくなった。

みんな車で来ているし、仕事を持ってるし、年配者が多いので

医者に止められているという人もかなりいるのだ。

実際、真冬の葬儀なんて、「早く帰りてえな」

というのが本音だろう。

  

医者から長い介護施設の説明を受けたとき、MRI画像からすると、

そんなレベルじゃないだろ、と思ったが、どっちみち

回復しても介護施設入りには違いなかった。

ついに俺も介護生活か、とあきらめたのだが、ある意味

子供孝行して逝ってくれた。感謝。

女房の母親も、口には出さなかったが、娘に介護をさせる

必要がなくなったので、内心ホッとしたようだ。

  

我が町内には「葬式予備軍」がかなりいる。

お隣さんも、年内いっぱいと医者に言われて、

記録更新中だそうだ。

いずれ近いうちに、お手伝いしてもらったお返しに

私が受付をする日がくるだろう。

 

コメント (2)
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