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O's Note

いつまで続くか、この駄文

甘納豆赤飯

2008-01-09 22:05:05 | 涜書感想文
 日本全国、いや世界各国でその土地の者にしかわからない良さというものがあります。その最たるものが食べ物でしょう。パッと思いつくだけでも、スコット ランドにおけるハギス、中国における臭豆腐、八丈島のくさや。独特の香り(臭いですね)を持つ食べ物なだけに好き嫌いがはっきりと分かれます(ちなみに個人 的には、くさやは好物の一つ)。  
 こういった臭い系食べ物とは別に、一般的な素材であっても、その土地独特の料理法によって、その土地ならではの食べ物や食べ方もありま す。
  小生が住む北海道にも奇っ怪なものがなまら(=ギガント。余計分からないか)多いです。そういった北海道の食べ物を集めたエッセイを読みました。

  宇佐美 伸『どさんこソウルフード-君は甘納豆赤飯を愛せるか!』(亜璃西社、2007年12月)

 著者の宇佐美氏は、釧路出身のジャーナリストのようで、一方で、食に異常なまでに情熱を傾けている方のようです。その宇佐美氏が、北海道の食べ物について、自身の体験に基づいて書いたのが本書です。
  本書は、おもしろ系、なるほど系、なつかし系、おまけ系の4つで構成され、それぞれに料理や素材が紹介されています。
 ここでは、興味深い食べ物をいくつか紹介しましょう(小生の感想付き)。

おもしろ系
甘納豆赤飯 そもそも赤飯があまり好きではない小生ですが、その赤飯に甘納豆を入れるとは。何でも、全然飽きがこないんだとか。
鉄板ミートソース 著者は釧路で食べたとのことですが、これはそそられる。一度食べてみたい。
ホンコンやきそば&やきそば弁当 知りませんでした、ホンコンやきそばが、北海道、仙台市、大分県の一部でしか販売されていないなんて。やきそば弁当は小生も好きです。
カツゲン これまた驚き。カツゲンって北海道限定だったんですね。ちなみにカツゲンはヤクルトもどきです。

なるほど系
カスベの煮こごり 大好きです。カスベはエイです。この煮こごりを最初に食べたときのコリコリ感が忘れられません。
ザンギ ザンギという名前、最初に聞いたときは「何それ?」と思いました。次に実物を見たときに「何だこれか」と落胆。(笑)
 しかし宇佐美氏にいわせれば、ザンギと唐揚げは違うようで、彼は次のように書いています。
「持 論を言わせてもらえば、ザンギと唐揚げは天と地ほど違う。極端な話、唐揚げは鶏をそのまま揚げたっていいけど、ザンギは醤油や酒、ニンニク、ショウガを効 かせた漬け汁に丸1日以上寝かせた鶏(もちろんブロイラーの若鶏)、しかも絶対に骨付きじゃなきゃあイケナイ。」[p.90]
エスカロップ 昨年の夏、本場のエスカロップを食べました。生協でも販売してましたね。略してエスカ。でも小生、エスカロップの名を聞くと、学生時代に遭遇して感動したエスカロープ・ド・ヴォー(仔牛の薄切り○○ソース)を思い出してしまいます。語源は同じですが似て非なるもの。
ホワイトアスパラ 缶詰のアスパラ、懐かしいです。喜茂別の缶詰工場に見学に行った時、懐かしさに妙に感激しました。

なつかし系
プリンスメロン これは北海道だけではなく、全国的に食べたメロンですよね。今、見ませんね。
コアップガラナ ガラナは北海道で初めて体験。あまり美味しいとは思いませんが、苫小牧のフェリー乗り場に行くと、なぜか飲みたくなります。(笑)
ルヤのウインターキャラメル ありましたね。東北の片田舎の駄菓子屋でも売ってました。
豚肉の串焼き 実は北海道の太平洋側では、豚肉の串焼きを焼き鳥と称します。北海道では焼き鳥は塩で食べるのが一般的。でも小生はタレが好き。なので、「タレ付きの豚肉の焼き鳥」が好き(ややっこしい)。

おまけ系
旭川ラーメンと函館ラーメン どちらもまだ口に合う味に会っておりません。(苦笑)
 
 これらを含めて合計50の料理や素材、食べ物が紹介されています。本書の面白いところは、本文で採り上げているお店や食品を欄外でさらに詳しく紹介している点で、所在地などがわかるようになっています。旅行などで使えそうです(忘れていなければの話ですが)。
 その土地ではフツーに食べている、あるいは、そこに住んでいて何気なく食べているものでも、他ではお目にかからないものって、本当に多いなあと思います。

この時期に。

2007-12-24 22:33:44 | 涜書感想文
 この時期は何かと宴会が多いもの。個人的には、最近、少々お疲れモードなので宴会の回数を減らしています。減らしても飲む量は同じなのですが・・・。
 宴会といえばカラオケ。(笑)
 我々の年代のカラオケといえば、学生さんたちが歌うラップ系の歌やJ-POPなどは歌いたくても歌えないわけで、どうしてもアニメソングや歌謡曲ということになります。
 そこでこの一冊。

 阿久悠『歌謡曲の時代 歌もよう人もよう』(新潮文庫、2007年12月)

 初期の『スター誕生』世代である小生などは、ひいきにしている歌手志望の娘が、阿久氏から舌鋒鋭い批評を浴びせられているのを見て、テレビの前で「なんだコイツ!」と一人で怒っていたことが、いい思い出として残っています。最近知ったことですが、その阿久氏は、単なる審査員ではなく、『スター誕生』の仕掛け人であり、企画もやればプロデューサーも兼ねていたそうで、いい歌手を作り、育て上げようという阿久氏の思い入れが、あのような厳しい評価になってあらわれていたのでしょう。

 阿久氏は、この本の冒頭で昭和と平成の歌の違いを次のように分析しています。

「昭和と平成の間に歌の違いがあるとするなら、昭和が世間を語ったのに、平成では自分だけを語っているということである。」[p.14]

 もっとも、フォークソングなどは自分の世界を語った詩が多く、昭和の歌のすべてが世間を語ったものであるとはいえませんが、しかし、フォークソングもまた世相を反映していましたし、その点では、昭和の歌は圧倒的に世間を語った、あるいは世間を意識した歌が多かったといえるでしょう。
 阿久氏はまた、歌謡曲と人間との関わりを「有視界の私の世界よりも、時代を貪り食いながら太ったり、きれいに化けたりしていく世界の方が大きい。その大きい世界から、私に似合いのものを摘み出すのが、歌謡曲と人間との関わりであったのである。」[p.15]と述べています。政治的・経済的・社会的環境の変化の中で、その時代に生きた人間の営みを切り分けて歌にしたものが歌謡曲であったといえます。

 さて阿久氏は生涯に5,000曲以上を手がけたといいます。その中で我々が知っている歌はほんの一握りに過ぎません。しかし、それら一握りの歌は、我々が知っている歌の大部分を占めています。

 本書は、阿久氏が作詞した歌のタイトルから連想される事柄を99のエッセイとしてまとめたものです。ということは、おおむね100曲(2回取り上げられているものもある)がエッセイのタイトルとして取り上げられていることになります。
 それらを打ち込むのは面倒ではありますが(笑)、「また逢う日まで」(尾崎紀世彦)、「北の宿から」(都はるみ)、「勝手にしやがれ」(沢田研二)、「UFO」(ピンク・レディー)、「雨の慕情」(八代亜紀)など、日本レコード大賞を受賞した曲から、「津軽海峡・冬景色」(石川さゆり)、「思秋期」(岩崎宏美)などのヒットチャートを賑わせた曲、「ふり向くな君は美しい」(ザ・バース)のようなスポーツのテーマ曲、はたまた「ウルトラマンタロウ」(武村太郎と少年少女合唱団みずうみ)や「ピンポンパン体操」(金森勢と杉並児童合唱団)、「宇宙戦艦ヤマト(ささきいさお)というアニメソングまで、枚挙にいとまがありません。
 もちろん、先ほどの『スター誕生』から生まれた歌手たちにもたくさんの歌を提供しています。
 「あのこ、音痴でさえなければ合格させたいね」[p.154]と思い、「そして本番で彼女は、さして上手ではないが音痴でもなく、圧倒的に人の目を惹いて合格した。」[p.155]
 これが桜田淳子でした。
 ひいき目に見ても決して歌が上手というわけではありませんが、しかし何よりかわいかったなあと思ったものです(ファンでした、ははは)。

 ところで、阿久悠氏の作詞作法として印象深かったのが次の文章でした。

「大体詩というもの、手ぶらで空中からタバコを取り出すマジックのようなもので、キャッチした言葉を白紙の上に撒く。ただ、一つの意思を持って言葉を摘むために、目じるしのようなものが必要で、それがタイトルである。タイトル宣言して言葉を呼ぶか、幟旗(のぼりばた)を立てると、それにふさわしい言葉が空中を浮遊すると信じているのである。」[p.270]

 まったく何もないところから文章を紡いでいくことの難しさは、経験した者でなければわからないことです。その寄って立つマイルストーンがタイトル。タイトルさえ決まれば(しばしば変更することもありますが)「それにふさわしい言葉が空中を浮遊する」という感覚は、小生自身も感じることがあります。
 
 阿久氏は今年8月にお亡くなりになりました。お亡くなりになったすぐあとに、NHKが、作曲家の戸倉俊一氏をスタジオに招いて追悼番組を放送していました。『まさに小生の青春そのものだなあ』と思いながらその番組を見ました。
 一つの時代の終わりでしょうね。

会計と殺人事件

2007-12-14 21:21:21 | 涜書感想文
 何とも物騒なタイトルを付けてしまいましたが、内容は会計処理にかかわる内容ながら、主人公が殺人事件に遭遇するミステリーです。

 山田真哉『女子大生会計士、はじめました』(角川文庫、2007年11月)

 山田真哉氏といえば『さおだけ』や『食い逃げ』など、会計に関する読み物でそれなりに著名な会計士さんで、会計とは縁遠いけれど、何だか話題だし読んでみようかなと思って手に取った方も多いでしょう。
 この山田氏、もう一つ書いているのが女子大生会計士シリーズ。
 最初は2002年12月に出版された『女子大生会計士の事件簿』で、現在は第6巻まで出版されています。
 そしてこの本『女子大生会計士、はじめました』は、『女子大生会計士の事件簿』とはちょっとテイストが違う内容のものを文庫本化したもののようです。
 最初に『女子大生会計士の事件簿』を読んだとき、『主人公は大学生になって会計士になったのだろうから、大学4年かな』と漠然と思っていたのですが、本書において、その謎が明かされます。ナント、1次試験から受験して合格していました。つまりは、商業高校を卒業して公認会計士になり、その後、ある人の薦めで大学に入学したというわけです。もちろん旧試験制度下での合格ですので、会計士補として勤めていた期間もありますから、女子大生とはいっても、いわゆる現役生の年齢からは多少上なのでしょう。(笑)

 さて、この本では、5つの監査がらみの事件が紹介されています。
 その3番目で殺人事件が発生します。
 クライアントの監査に出向いた会計士(主人公、藤原萌実)と会計士補(柿本一麻)のコンビが、逆粉飾の疑いを持って調査を始めます。しかし、物語は監査事件というよりはクライアント企業の重役たちの過去をめぐって展開し、思わぬ方向に進んでいきます。そして結局、殺人が発生し、萌実も殺されかけてしまいます。
 本当は息詰まる流れなんでしょうが、読んだ時期が悪かったようで、石持浅海氏の大胆な謎解きがいまだ頭に残っていますので、軽~いミステリーにしか思えませんでした。(苦笑)

 ところで、山田氏の本は、おしなべて文章が平易で読みやすいですよね。
 山田氏は大学で文学を専攻した方で(文学部出身の会計士は決して異色ではありませんが)、さまざまな文学作品を読みあさったのかもしれません。そしてもしかすると、文章を書くのが好きな方なのかもしれません。つまりもともと本好きで文章を書くのが好きな人が会計士になったと考えられるわけです。
 この点が、他の会計士や企業の実務家、あるいは大学教員が書いている類書と違っている点でしょう。玄人受けする内容ではあっても、何十万部も売れるわけではありません。山田氏の本は、「ううっ、大胆すぎる!」と思ってしまう内容も少なくありませんが、それでも、会計が分からない人が読んで理解できる程度に単純化しています。これはちょっとマネができません。「わかりやすい」「おもしろい」とキャッチコピーが書いてある会計本はたくさんありますが、そのほとんどが「会計を知らない人には難しいのではないの?」と思えるものばかりですので、それに比べれば遙かに読みやすいと思います。

 と、えらく山田氏に肩入れしているように思われるかもしれませんが、会計を知らない、でもちょっと興味がある、という方々には、やっぱり山田氏から入った方がいいんじゃないのかなと思ってしまうわけでして・・・。

 以前、S先生から「先生も何か書いたらどうですか?」といわれたことがあります。でもまったく売れないでしょうからその気にもなりませんでした。
 だって、タイトル『管理会計殺人事件』として、最初に書くのは、きっと「管理会計の意義と役割」でしょうから。(苦笑)

美しいミステリー?

2007-12-12 22:22:22 | 涜書感想文
 このところ締切に追われた原稿にかかりっきりで、書こう書こうと思っていてなかなか書けなかった話題がこれ。

 石持浅海『月の扉』(光文社文庫、2007年7月15刷)

 ずいぶん前に読み終えていたのですが、ついつい書きそびれていました。
 石持氏の作品は、『水の迷宮』『アイルランドの薔薇』に続いて3冊目。『水の迷宮』は水族館、『アイルランドの薔薇』はタイトルどおりアイルランドが舞台でした。そしてこの『月の扉』は、沖縄が舞台で、しかも那覇空港で今まさに離陸しようとするBoeing 767-300ERの中で発生した事件を扱っています。

 文庫本の帯には「かつてこんなに美しいミステリーがあっただろうか。」のコピー。そしてそのタイトル。読む前から大いにそそられます。(笑)
 ストーリーは2つの謎で構成されています。一つは、ハイジャック犯の動機。そしてもう一つは、機内で起こる殺人事件。なぜ犯人はハイジャックをしたのか。殺人事件の犯人はハイジャック犯と同一人物なのか、そして密室で起こった殺人事件の手口は何なのか(機内の狭いトイレが殺人の現場なので大密室!)。
 相変わらず、石持氏のプロットは、読み手を引き込みます。
 この物語で重要な役割を演じるのが、飛行機の乗客として事件に巻き込まれた、通称、座間味くん。座間味諸島のTシャツを着てきたことから名付けられた名前で、最初は素っ気ないそぶりで、ハイジャックとは無関係の立場を貫こうとしていたのですが、ハイジャック犯に「脅迫」(?)され、事件の謎解きをする羽目に・・・。

 ミステリーなので、例によってこれ以上は書けませんが、美しいミステリーの意味するところは沖縄の海の美しさではなく、ハイジャックの動機とその目的が「美しい」といわれる所以でしょう。ただ、動機はまだしも、目的となると、ちょっと現実離れしていて、それでも目的を達成するときはどうなるのだろうと思って読み進めたのですが、最後は本当に目的を達成したのかどうかわからなくなってしまいました。(苦笑)
 まあ、それほど、大どんでん返しの連続であるわけですが。

 ところで、この『月の扉』で活躍した座間味くん。別の事件でも活躍します。

 石持浅海『心臓と左手』(カッパ・ノベルズ、2007年9月)

 この本は、ハイジャック事件で捜査に関わった警視庁警視が、座間味くんにいろいろな未解決事件を紹介し、謎解きさせるという短編集で、全部で7編で構成されています。まさに石持ワールドといった表現がピッタリするほど、謎解きが振るってます。
 ところで、『心臓と左手』に収録されている「再会」は、まさにハイジャック事件に遭遇したもう一人との再会を扱ったもので、少々ホロッとさせる内容になっています。

 「命がけの飛躍」という表現がありますが、石持氏の謎解きは、まさに一筋縄ではいかない内容で、それがまた、彼の真骨頂なのかもしれません。

たまにはいいもんです。

2007-12-02 23:27:00 | 涜書感想文
 勤務先の生協の書籍部は、規模は小さいながら意外な本を置いていたりします。
 時節柄でしょうか、クリスマスギフトにしてもいいような本も並べられています。
 そうした本の一冊を手にしました。

 香川元太郎『時の迷路』(PHP研究所、2005年)

 この本は、恐竜時代から江戸時代まで、歴史を迷路で旅する絵本。
 迷路ばかりではなく、かくれ絵を探しながら旅するという設定で、ウォーリー以来、久しぶりにこの手の本で遊びました。
 絵の面白さとともに、人物や動物もさまざまな想像をかき立てるように描かれていて、迷路遊びやかくし絵を探した後もゆっくり楽しめる本です。
 あまりに面白いので、今日、早速、街の本屋さんに行って残りの3冊も買いました。

 この手の頭の体操もいいものですね。

勉強になります。

2007-11-22 22:00:00 | 涜書感想文
 ちょっと前に話題にしたミステリー作家、石持浅海氏。
 そのデビュー作を読みました。

 石持浅海『アイルランドの薔薇』(光文社文庫、2007年7月7刷)

 いやー、アイルランド問題を勉強しました。
 いうまでもなく、英国は4つの国から成り立ちます。イングランド、ウェールズ、スコットランド、そして北アイルランド。その北アイルランドは、アイルランド島の6つの州によって構成されています。
 このミステリーは、アイルランド共和国スライゴーにあるB&Bで起こった殺人事件を巡って展開されます。
 ミステリーであるため、ストーリーを書くわけにはいきませんが、いわゆるアイルランド問題に疎い小生。この本で、アイルランドがなぜ南北で内紛を起こしているのか、その一端を知ったような気がします。
 よくいわれるカトリックとプロテスタントの対立。
 これはこれでわかりやすい構図ですが、深いところにはイングランドの陰謀が隠されているようで、『ははぁ、ナルホド』と感じました。

 でも・・・。
 大団円で幾重にも重なった「意外性」が繰り広げられますので一気に読みたくなるのですが、読み終わると余韻が残らない。不思議ですねぇ。
 
 さて、次は「美しいミステリー」といわれている一冊です。

期待していいでしょうかねぇ。

2007-11-13 22:50:50 | 涜書感想文
 先日、S駅の本屋に立ち寄ると、地味ながらスペースをとってある作家の特集コーナーがありました。初めて聞く名前の作家ですが、ミステリー作家ということでちょっと気になりました。思わず買おうかなと思い、手に取ったのですが、同じ時期に読んでいる本があり、順番を待っている本もあったことからそのときには買い求めませんでした。
 で、勤務先の生協の本コーナーを歩いていると、その作家の本が一冊ありましたので、とりあえず買っておきました。
 帰宅後、途中だった本をちょっと脇に置いて、新しく買い求めた本をめくると・・・。

 石持浅海『水の迷宮』(光文社文庫、2007年5月)

 名前からしておわかりのように、海に関係したミステリーを書いている作家のようです(ちなみに、いしもちという名前は魚の名前だと思われます。小生の田舎の海で釣れた魚の一つにいしもちという名の魚がいましたから)。

 ある水族館で起こった展示生物への攻撃を予告するケータイメール。それが連続し、やがて殺人事件に発展。水族館を守ろうとする職員と犯人捜し。犯人が限定される、ある種の密室状況の中で展開される謎解き。その裏に流れる壮大な計画。
 この本の面白さは、何といっても水族館が舞台になっていることでしょう。
 ミステリーの舞台になりそうもない水族館で事件が起こるということで、水族館の仕組みばなりではなく、魚の名前や飼育法などがふんだんに散りばめられています。それでいて決して難しく描かれているわけではなく、それらがストーリーの「脇役」をこなしています。

 とはいえ、「解説」で辻真先氏が述べているように、「甘い」「調子よすぎる」と感じる設定や場面もあり、『そうかなぁ』と思いながら読んだ部分もありましたが(ミステリーなのでそれがどの場面かはいえませんが)、これまた辻氏が述べている、次のような感想に近い感想を持ったことも事実です。

 もしかしたら『水の迷宮』は、ミステリでありながらファンタジーの一面を持つのかもしれない。確かに作品世界は平成日本をバックにしているけれど、作品は意図して作品の構造そのものに、魔法をかけたのではあるまいか。魔法の粉を頭からかぶったぼくは、よくできている甘いミステリを、その甘さまでひっくるめて全肯定してしまったのか。あえていわせてもらうならば、ぼくはそれでいい。[p.396]

 ミステリーの面白さは謎解きの面白さとともにシチュエーションの面白さに負うところ大だと思っていますが、その点では、本書は水の迷宮=水族館という舞台におけるシチュエーションの面白さが読み手を引きつける作品であるように思います。

 というわけで、読後、石持氏の既刊本3冊を注文。(笑)

におい

2007-11-03 21:19:00 | 涜書感想文
 本を読んでいて、においを感じることってありませんか。
 それは決して美味しい料理の本ではなく、小説を読んでいてです。
 久しぶりににおいを感じる本に遭遇しました。

 島本理生『あなたの呼吸が止まるまで』(新潮社、2007年8月)

 島本理生氏の本はこれが3冊目。
 最初に読んだ『ナラタージュ』の印象が強く残っていて、2冊目『大きな熊が来る前に、お休み』では、短編集であることもあって『ナラタージュ』を超える印象はありませんでした。
 そして2年ぶりの長編小説ということで手にした3冊目。

 主人公が小学生の女の子であることがわかった時点で、何か嫌なものを感じました。(苦笑)
 文章表現でいえば相変わらずうまい表現が散りばめられていて、『うまいなぁ』と思うこともしばしばでした。しかし、主人公が小生の子供たちと同じ年代であるということから来るのでしょうか、主人公の心の動きがあまりに大人びていて、それがまた読み進めるのをつらくさせてしまいました。
 そして何よりにおい。
 決していい香りといったものではなく、さりとて、すえたにおいではないのですが、本を読みながらいやーなにおいを感じてしまいました。

 これを島本氏の新境地といえばいいのか、それともこれまでの延長線上にあるといえるのかはわかりません。
 しかしこれまで3冊を読んできて、島本氏の「心の闇」の部分がどんどんデフォルメして描かれるようになっているように感じます。今後もその傾向が続くと、本に手がのびなくなるかもしれません。

 ところで、この本の表紙も表面がざらついた感じに仕上がっています。『編集者という病い』と同じです。『装丁者が同じかな』と思って調べてみましたが、どうも違うようです。最近の流行でしょうか。

会計の番人といえども・・・。

2007-10-23 22:22:22 | 涜書感想文
 今年一番の本に出会いました。

 種村大基『監査難民』(講談社、2007年9月)

 とにかく面白かったです。

 この本は、今年7月末をもって解散に追い込まれた旧中央青山監査法人(解散時はみすず監査法人)を題材に、豊富な資料に基づいて時系列的に記したものです。

 すでに記憶の奥底に入りつつあるエンロン事件。この事件によって、2002年に米国の巨大会計事務所アーサーアンダーセンが解散に追い込まれました。キッカケはエンロン社の会計不正でしたが、その監査を担当していたのがアンダーセンでした。アンダーセンは歴史のある会計事務所で、1970年代、ビッグ・エイトと呼ばれた世界的規模で活躍している8大会計事務所の一角でした。その後会計事務所間で合併を繰り返しましたが、アンダーセンは残り続けます。しかし、エンロン事件後、アンダーセンは解散を余儀なくされ、ビッグ・フォーと呼ばれる4大会計事務所時代を迎えます。
 ところで、これらの会計事務所と日本の監査法人は密接な関係にあります。
 つまり、次のような結びつきです。

 KPMG-あずさ監査法人
 アーンスト&ヤング-新日本監査法人
 デロイト・トウシュ・トーマツ-監査法人トーマツ
 プライスウォーターハウス・クーパーズ-あらた監査法人

 したがって、あずさ、新日本、トーマツ、あらたは、日本における4大監査法人といえます(日本の監査法人も合併を繰り返して大規模化しています)。この中のあらた監査法人は、プライスウォーターハウス・クーパーズの強い意向によって2006年6月に旧中央青山監査法人の一部を引き継いだ監査法人です。
 一方、中央青山監査法人は2006年9月にみすず監査法人と改称し、一時期、あらたとみすずが平行して存在していました。つまり、中央青山監査法人の末期は、あらたとみずすに分離し、プライスウォーターハウス・クーパーズがバックアップしたあらたが生き残り、みすずは消滅したというわけです。

 さて、本書では、冒頭、JALグループが赤字に転落するという記者会見から始まります。赤字の理由は、監査を担当していた新日本監査法人から繰延税金資産(黒字要因)の大半を否認されてしまったからでした。新日本監査法人がこのような厳しい監査(厳格監査)を行った理由の一つが一連の会計不正でした。
 一連の会計不正。
 これこそが、中央青山監査法人の監査に起因するものです。
 1997年のスーパーヤオハンの粉飾決算、同年に自主廃業した山一証券の損失飛ばし。
 さらに、新しいところでは、2003年の足利銀行の破綻、2005年のカネボウの粉飾決算、そして極めつけは、昨年12月の日興コーディアル証券の粉飾決算。ヤオハンから日興まで、いずれも中央青山監査法人が監査し、監査証明書で「適正意見」を出していながら、後に不正が発覚した事件でした。
 一連の会計不正、とりわけカネボウ事件で逮捕された会計士が粉飾の事実を知りつつ適正意見を出したこと、さらに追い打ちをかけるようにして発覚した日興コーディアル証券の粉飾決算。これによって、みすず監査法人(中央青山監査法人)は解散に追い込まれてしまいます。みすずが解散を発表したあと(2007年2月)には、三洋電機粉飾疑惑も報道されましたが、三洋電機もまた、中央青山監査法人が担当していました。
 本書によれば、中央青山監査法人が担当していた監査は2,300法人、うち上場企業は800社にのぼります。この中には、上記の企業以外に、トヨタやソニーなど、日本有数の大企業が含まれています。それだけ規模が大きい監査法人が中央青山監査法人だったわけです。そしてそれだけのクライアントを持つ監査法人が法定監査(金融商品取引法や会社法の規定による監査)をできない状態になると、企業は、監査を実施してくれる監査法人(会計士)を求めて難民と化す・・・。これがタイトルの一つの「難民」の意味だろうと思います。

 ところで本書は、ある種特殊な業界の、普段見ることのできない側面を紹介していること、次から次に起こる事件(決していいことではないのですが)とその対応ぶりが息をもつかせテンポで描かれていることと、そして人間ドラマの要素がたっぷり盛り込まれていることが、読み手を引き込みます。

 まず、存続か解散かを巡る対応策です。
 2007年1月始め、中央青山を改称したみすず監査法人では、法人危機対応計画タスクフォースの選択肢として、次の7つのシナリオを描いたといいます[pp.217-218]。

ケース1 みすずとして改革を続け、クライアントを維持して存続を図る
ケース2 あらたとの合併または統合を行う
ケース3 大手監査法人(あずさ、新日本、トーマツ)のいずれかと合併を行う
ケース4 中小監査法人との合併または統合を行う
ケース5 新法人を設立し、可能な限り多くのクライアントと人員を移動させる
ケース6 みすず独自にグラント・ソントン(GT)やBDOなどの国際的ネットワークと提携する
ケース7 自主解散する

 ケース1から6までは、法人として存続したいという計画です。名門であるからこそ解散だけは避けたいという意識が強く表れた計画といえるでしょう、結局ケース7になってしまうわけですが。こうなる前にどうして手を打たなかったのかと思わずにはおれません。
 次に、監査法人もまた、その生命線は「お金(現金)である」ということを教えてくれる内容。
 一連の会計不正に鑑み、金融庁から2ヶ月間の監査業務停止命令を受けた場合の収支について、次のように記載されています[p.135]。

 中央青山の2006年3月末時点における現金・預金は、約41億7,055万円だった。また、すでに監査業務は提供したものの報酬を受け取っていない「業務未収入金」が63億9,800万円である一方で、監査契約先企業などから受け取った「前受金」は約112億3,930万円もあった。
 3月期決算企業の監査業務に絡んで受け取った前受金を全額返済するとなると、証券取引法に基づく監査が履行期限を迎える6月末までに、前受金総額のほぼ半分にあたる56億1,950万円の返済義務が生じる。3月末時点の業務未収入金を全額回収し、さらに4月と5月の業務収入として見込まれる17億円強を勘定に入れても、前受金の返済と、人件費に代表される諸経費(103億8,600万円)や法人税(6億8,900万円)の支払いで、6月末には44億1,900万円もの資金ショートに陥る計算だった。

 お金の計算に詳しい監査法人が資金ショートに陥る事態。容易には想像が付かないかもしれませんが、サービス業を営む企業と同じように監査法人もまたサービス業である以上、そのサービスが提供できなくなる=収入が得られないということになり、「資金繰り破綻」となるわけです。しかし資金繰り破綻もさることながら、こういった監査法人の資金繰りは一般にはあまり知られておりませんので、その内容を知るだけでも読み手には驚きとなるでしょう(小生もその一人)。

 さらに本書が面白い所以は、その場面で発言された内容が、いかにもそれらしく紹介されていることです。その場面にいなければわかり得ないことではありますが、ここが筆者が力を入れて取材したところなのだろうと思います。
 たとえば、日興コーディアル証券の不正会計問題に絡んで、日興コーディアルグループの特別調査委員会の報告書において、日興側と中央青山側とのやりとりをすべて暴露されたあとのみすず監査法人内の議論の様子を次のように紹介しています[p.220]。

 報告書の公表を受け、片山執行部は、連日のように「法人危機対応計画タスク・フォース」のメンバーを集めて会議を開き、どの緊急避難措置が現実的であるかについて議論を行った。
「法人全体を引き継いでくれる合併が理想的だ」
「そんなリスクを背負ってくれる監査法人があるのか?」
「ちょっと待ってくれ。すべて『解散』を前提にした議論ばかりじゃないか。規模を縮小してても存続の道を探るべきだ」
 議論は堂々巡りを繰り返したが、「『存続』か『解散』かについては、意思統一しておく必要がある」と片山執行部は判断した。理事会と評議員会が合同で決を採ることになった。
「絶対に自主清算すべきじゃない! クライアントに対してどう責任をとるんだ。自分たちの手でみすずをつぶすのか」
 京都事務所の高津靖史が、真っ先に解散に反対した。

 読みながら、みすずの会議に自分も参加しているような気にさせられました。このような会話形式の表現が随所に登場し、経済小説を読んでいるような錯覚さえも覚えます。

 またたとえば次のような場面。
 みすずが解散を決めた後、ある幹部が若手を居酒屋に連れ出して、若手の今後を聞き出す場面です[p.246-249]。

 「お前どうするんだ? まだ未回答だけど、ひょっとしたらもう行くあてがあるのか?」
 適当につまみを頼みと、幹部はおもむろに切り出した。
 (中略)
 「実は、僕も辞めようかと思っています」
と白状した。
 「まだ就職して3~4年だろう。見切りをつけるには早いんじゃないかな。俺と一緒に新日本に行こうじゃないか。」
 「監査って正直、つまらないんですよ。それに割に合わなくて。クライアントで粉飾決算が見つかると、『監査がいいかげんだったのではないか』と世間に叩かれますよね。ときには厳しい行政処分も受ける」
 本心を吐露して吹っ切れたのか、若手は申し訳なさそうにしながらも、監査に満足できない心情を打ち明け始めた。
 「本当に粉飾決算を未然に防ごうと思って頑張るのなら、やりがいはあります。でも、いまの監査は違いますよね。『これだけの監査をやったのだから、粉飾を見抜けなくても当然です』と言い訳するための書類づくりに追われているだけじゃありませんか。クライアントに踏み込んでいって『お前のところは粉飾をやっているだろう。ほらこれが証拠だ』と迫る監査じゃなくて、『我々は監査基準に定められていることをすべて調べました。その結果、たとえ粉飾決算が見つかったとしても、やるべきことをやった監査人の責任ではありません』という逃げの姿勢しかもっていない、こんな監査でいいのかなと疑問を持ってしまって」
 (中略)
 『やりがいを感じられない』という若手の言葉に、幹部は打ちのめされていた。

 すごいですよね。フィクションではないのかと思える場面。本書のタイトルに隠されたもう一つの「難民」(会計士が監査から遠ざかって流浪する)がここに描かれているように思います。
 まさに人間ドラマです。

 この本を読んだ時期が、ちょうど「会計と社会」という講義で、公認会計士や税理士をお招きしてお話を伺った時期に重なりましたので、殊の外、いろいろ考えながら読むことができたのかもしれません。
 それはともかく、会計を知らない人にも十分堪能できる内容の本です。
 ぜひぜひお読みいただければと思います。

あの日に帰りたい

2007-10-12 22:26:14 | 涜書感想文
 青春の後ろ姿を
 人はみな忘れてしまう
 あの頃の私にもどって
 あなたに会いたい♪

 というわけで、最近読み終えた本。

 山田奈津子ほか『あの日に戻れたら』(主婦と生活社、2007年)

 「第一回JUNON恋愛小説大賞受賞作4編収録」という帯広告につられて買った一冊です(決して帯広告のサエコの言葉につられたわけではありません)。JUNONという雑誌を読んだことはありませんが、名前ぐらいは知っていて、『JUNONって小説も掲載する雑誌なのか』『恋愛小説大賞か』と思い、思わず買ってしまいました。
 読み終えて、奥付の前のページを見ると、この恋愛小説大賞の内容が紹介されていました。

 大募集 JUNON恋愛小説大賞
 ケータイで読む・ケータイで選ぶ・ケータイでも書ける
 大賞を決めるのもあなたです!

 これ、すごくね?(笑)
 この本は投稿された小説を読者が選び、表題の大賞、そして特別賞、優秀賞2編、計4編を活字にしたものです。
 どれもこれも内容的には読みやすいもので、小生には向いている内容。(笑)
 とりわけ面白かったのが、優秀賞を受賞した「同級生」(鹿目けい子)でした。
 これまたこの本の最後には、受賞の弁が掲載されているのですが、18歳が2名、24歳が1名の中で、鹿目さんは31歳。職業も他が短大生、予備校生、アルバイトなのに鹿目さんだけ脚本家。
 そんなことを知らずに読み終えたのですが、やっぱり鹿目さんの作品がよく書けていたと思いましたし、読んだ後で年齢と職業を知って『やっぱりね』と思いました。
 「同級生」は、とにかく筋書きが良かったです。高二の主人公(芝原)とまだ見ぬメル友で高三のジュン、そして同級生の須藤友香。男子高校生芝原を中心に、北海道に住むメル友ジュンとのメールのやりとりとともに、病気がちで高校を留年し、芝原と同級生になってしまった須藤とのやりとりがかわりばんこに展開されます。
 この小説は、ケータイがなければ生まれなかった小説といえるわけで、現代の若者には、ホントにケータイつながりって大事なんだなぁと思います。
 最初に不思議に思ったのは、まだ見ぬメル友がいるということはどういうことなのかなということでした。実は、次のようなからくりがありました。

 出会いのきっかけは、まさに運命だった、と僕は勝手に思っている。
 彼女は昨年の11月に携帯を買った。大学受験の情報収集や、緊急連絡用だった。
 彼女がメールアドレスを設定しようとしたところ、自分が考えたアドレスは誰かが使っているため、登録できなかった。
 自分の名前と誕生日の数字を組み合わせたアドレスだった。
 そのアドレスを使っている相手はどんな相手なのか、興味を持った彼女はメールをした。
 そのメールが届いた相手が、僕だった。
 僕とジュンは名前も誕生日も一緒だった。
 漢字と生まれた年は違っていたが
 「JUN0328@・・・・・」
 というのが僕のアドレスで、彼女が取ろうとしたアドレスだった。
 結局、彼女のアドレスは
 「JU03N28@・・・・・」
 と決まり、そのアドレスから、僕にメールが届いたことがすべての始まりだった。[pp.201-202]

 『そんなに簡単にメールを出したりしないよー』と野暮なことはいわないでください。(笑)
 この二人の出会いが、実は悲劇的なクライマックスにつながるキッカケになっています。クライマックスは書けませんが、思わずウルウル。
 読みながら「うまい!」と唸ってしまいました。

 この「同級生」以外の3編も、「あの日」を思い出しながらそれなりに楽しめました。今となっては小難しい話で汲汲とし、ともすると小賢しい知恵を絞って立ち振る舞ったり、自分で自分を責めたくなったりしますが、30年以上も前に、これらの小説に登場する人物たちと同じ年齢を経験し、同じような思いを抱いていた自分がいたんだよなあと思うと、『あのときの自分ってどこに行っちゃったんだろうね』と苦笑してしまいます。

 『今夜は妙に寒いな』と思いつつ、Joni MitchellのアルバムSHINEを聞きながら。

商売柄・・・。

2007-09-30 13:33:26 | 涜書感想文
 前期の4年生のゼミで、参加者に『週刊ダイヤモンド』誌2007年3月3日号に掲載されていた「会計感度チェックテスト」をやってもらいました。
 問題は全部で20問で、設問に○か×で答えるもの。
 たとえば、

 Q1 売り上げが伸びている企業の「株」は買いだ。
 Q3 「Suica」の1万円分の電子マネーと、現金1万円とは、まさしく等価だ。
 Q5 「費用がかかる」とはいっても、常にそのぶんのカネが減るわけではない。

 参加者に解答を答えてもらって、さらにその答えの理由も発表してもらいました。

 さて、この「会計感度チェックテスト」を出題したのが、林總(はやし・あつむ)氏。そうです、例の『餃子屋と高級フレンチでは、どちらが儲かるか』を書いたCPAです。もっとも、タイトルだけでその心が類推できましたので、小生、この本は読んでいませんでした。
 しかし、「会計感度チェックテスト」以降、林氏がちょっと気になったことは事実で、『今度何か出版されたら読んでみようかな』と思っておりました。ちょうどそんなとき、同時に2冊、上梓されました。

林總『売るならだんごか宝石か』(ベスト新書、2007年7月)
林總監修『うちの社長に読ませたい100文字でわかる会計』(ベスト新書、2007年7月)

 売るならだんごか宝石かといわれると、『宝石と見せかけて、ホントはだんごなんでしょ?』と答えたくなりますよね。(笑)
 『売るならだんごか宝石か』は、自分が勤める会社の不正経理に立ち向かうOLが、ワインバー「ポアロ」のマスター(このマスター、昼は管理会計を教える大学教授。苦笑)の助けを借りてどのようにして不正の謎解きをするかを、推理小説仕立てで構成しています。
 タイトルにあるだんごと宝石の話は、「ポアロ」のマスターが、資金繰りが立ちゆかなくなった宝飾会社の理由を説明するところで出てきます。

「在庫はなるべく少ない方がいいということですか」
「そのとおり。経営リスクが少ないということだね。よく“だんご屋は潰れない”と言われるね。その根拠はだんごを作るのに一日とかからない上に売れ残りがほとんどないからだ。つまり仕掛品在庫も製品在庫もゼロに等しい。材料在庫は多少あるものの腐らない。だから資金負担が少なく潰れることはない。ところが、この燕市にある会社はだんご屋と正反対のことをしている。」[p.129]

 そういえば、子供の頃住んでいた町で、目と鼻の先に豆腐屋が2軒あって、小さな町でありながら潰れずに経営していたことを思い出しました。だんご屋も豆腐屋も同じ構造です(その後、2軒の豆腐屋は同じ理由で店をたたんでしまいました。後継者がいなかったわけです)。
 
 推理小説仕立てということですから、これ以上書くのははばかられるので中身には立ち入りませんが、これと同じようにCPAが書いた推理小説仕立ての読み物としては、さおだけ屋の山田真哉氏が書いた『女子大生会計士の事件簿』などもあります。これなどはシリーズ化されていて、漫画にもなっています。だんご屋とさおだけ屋。零細な個人商店を取り上げている点で発想が同じなのでしょうかねぇ。
 こういった本を読むと、大きく分けて二つの側面で会計を考えていることがわかります。一つは会計処理に潜む側面、そしてもう一つが業態による側面です。前者は、相対的真実性を基本とする会計では不可避の問題で、会計処理を巡ってしばしば「見解の相違」が新聞紙上を賑わします。また後者は、取扱商品や販売方法の違いから収益構造が異なる業態が無数に存在するわけですから、その違いによって会計の考え方も違ってくるということを取り上げているのでしょう。
 小生が会計を勉強し始めた頃は、この手の本はほとんどなく読んだ記憶がありません(せいぜい『ビッグ・エイト』を読んだぐらい)。その意味では、会計が身近に感じられるようになっているということを実感します。

 ところで、もう一冊の方ですが、こちらは「まえがき」で「本書は、管理会計のテキストではあまり触れられていない、経営とのつながりを、55項目に渡って解説したものです。」[p.5]と書いてありましたので、「どれどれ?」と興味津々で読み始めたのですが、オーソドックスな管理会計のテキストで必ず取り上げられている項目がありました。管理会計のテキストで取り上げられていないという点でいえば、「これは管理会計のテキストではなく原価計算のテキストに書かれています」というものや「これは管理会計の問題というよりは財務会計の問題」というものでした。(苦笑)

民族の誇りか悲惨な過ちか

2007-09-28 21:17:21 | 涜書感想文
 先日、テレビを見ていたら、世の中のビックリ、おかしい、と思われることについて、その道のプロ(研究者)が解説するという内容の番組を放送していました。
 その中の一つに、動物たちの戦いについて動物学者が解説するという内容がありました。
 記憶が定かではないのですが、最初に、ほ乳類の戦いは縄張り争いやメス獲得のための戦いが多いが、文字通り血で血を洗う戦いに発展するため、勝った方も負けた方も傷が絶えず、場合によっては傷口からばい菌が入り、それが原因で死んでしまったり、種それ自体が滅びるおそれがあると解説していました。
 それに続いて、顔が赤いサルが紹介され、中でも珍しいサルとして、ウアカリという、体が真っ白な毛で覆われているものの、頭がはげ上がり、顔の骨格はどくろのようで、顔の色が燃えるように赤いサルが取り上げられていました。
 その動物学者によれば、顔が赤いのは進化した動物の証ということで、顔が赤い理由は相手を威嚇するためで、争いに際して、のっけから取っ組み合いの争いをせず、まずは赤い色を見せることによって相手を威嚇し、それで勝負が付けばお互いに傷を付けることが避けられ、傷による種の絶滅の危機から逃れられるということでした。こういったことは、脳の機能が進化しているからできることであって、高等動物と考えてよい、というようなことを解説していました。

 さて、その番組を見た頃に読み終えた本があります。

 栗原俊雄『戦艦大和-生還者たちの証言から』(岩波新書、2007年8月)

 タイトルに使った「民族の誇りか悲惨な過ちか」は、この本の帯広告のコピーです。
 戦艦大和は、1940年8月に進水し、1944年10月のレイテ沖での海戦で傷つき、翌1945年4月7日、沖縄水上作戦に向かう途中で、わずか2時間あまりの米軍との戦闘で撃沈。当時の乗組員3,332名[p.77]のうち、犠牲者は3,056名[p.121]。
 本書は、その戦禍をくぐり抜け、どうにか一命を取り留めた23名とその家族、あるいはすでに死亡した乗組員の家族などにインタビューを行い、それに基づいて「戦艦大和とは何だったのか」を考えさせる内容でした。
 それにつけても、一瞬にして3,000名もの命が奪われた、という事実は、想像を絶するものがあります。
 1945年の沖縄水上作戦に向かう大和の艦上には、「総員死ニ方用意」という落書きがあったそうです[p.77]。全員死に方を用意せよという言葉は、死を覚悟の上戦えという精神的な表現だったのか、それとも諦めの言葉だったのかはわかりませんが、恐ろしく生々しい言葉として脳裏に焼き付いてしまいます。
 それに対して、すでに1945年4月5日時点で、大和以下の第二艦隊が出撃するという情報をキャッチした米軍は、第5艦隊スプルーアンス司令長官(上官)とミッチャー第54砲撃支援部隊指揮官(部下)との間で、次のようなやりとりがあったことが記されています[pp.80-82]。

 7日8時32分、ミッチャーは第二艦隊発見の報を得た。旗艦「バンカーヒル」で攻撃準備を発令。さらにスプルーアンスに問うた。
“Will you take them or shall I ?”(あなたがやりますか。それとも私がやりましょうか?)
 上官に対して、ややぞんざいな口調だ。
“You take them.”(お前がやれ)
 たった三語で、大和と3000人の将兵の運命は決まった。

 大和や戦争を美化することもなく、一方で、生存者たちの思いをそのままの言葉で伝えていることが読み手を切なくさせます。戦争はしてはいけない、というのは簡単です。為政者たちが戦争を決定しても、反対すればいいじゃないかということも簡単です。しかし、それに従わざるを得ない時代があったことも事実です。そうした中にあって、個人が自分の行動は間違ってはいないと思うためには、それなりの思い入れがなければなりません。生存者たちの声はそれを物語っています。

 今朝、ミャンマーのヤンゴンで、反政府デモの取材中に治安当局とデモ隊の衝突に巻き込まれ、一人の日本人カメラマンが銃弾に当たって死亡したと新聞に出ていました。内紛に巻き込まれた同胞の死はやりきれないものです。内紛がなければ人一人の命が助かったのにとの思いが断ちきれません。ミャンマー以外にも、内戦状態の国々がたくさんあります。
 どうして人は人を傷つけるのでしょうか。それが人類にとってまったくいいことではないはずなのに。

 くだんの動物学者の説にあてはめれば、大人は高等動物ではないということなのでしょうか。考えてみれば、子供の頃には赤い顔をしてるのに、大人になれば赤みがとれてしまいますので。 

法律っていっても・・・。

2007-09-15 21:27:11 | 涜書感想文
 イギリスで累計25万部「世界一のユーモア選書」創刊!

 帯広告のこのコピーにつられた手にしたこの本。

 デヴィッド・クロンビー『世界一くだらない法律集』(ブルース・インターアクションズ刊、2007年8月)

 はっきりいって半分期待はずれでした。
 実は、この本を手にしたとき、I先生も一緒にいて、「法律っていってもいろいろありますからね」といっておりましたが、まさにそのとおりで、日本でさえ法律やら政令やら省令やら条例やらがあり、しかも明治時代に公布されたものもあれば、最近公布されたものもあるわけです。さらに法律の数もゆうに1,000本を超えているそうです(S先生、1,800本ぐらいでしたっけ? 笑)。
 日本でさえそんな状況ですから、世界中を見渡せば、それはそれは夥しい数の法律・政令・省令・条例が存在し、しかも古い時代に作られて忘れ去られているものも数多くあるでしょう。
 そうした中で、「くだらない」「笑える」というものであれば、条文とともに、その条文が法律・政令・省令・条例のどれなのか、いつ作られたのか、何がキッカケだったのか、ぐらいの情報は添え書きで欲しかったところです。

 たとえば、次のような「法律」[p.45]。

 【スコットランド】
 ・日曜日に釣りをしてはならない。
 ・牡牛を飼っている者は酔っぱらってはならない。
 ・他人の土地に無断で立ち入ってはならない。
 ・特定の軽犯罪については、無罪であると証明されない限り有罪とみなされる。
 ・誰かがドアをノックしてトイレを使わせて欲しいと言ったら、中に入れてやらなければならない。

 「他人の土地云々」などは、「あったりめーじゃねーか」ということですし、その当たり前のことを「法律」で定めているところに「くだらない」「面白い」が潜んでいるのでしょうが、それがどこに定められているかを知ることによって、「面白さの質」が変わってきますよね。
 都市別法律集なんてのもあって、こちらは条例のたぐいなのでしょうが、たとえば、キリヤット・モツキン[p.58]とか、エクセルシオールスプリングス[p.136]なんて都市、どこにあるのかわかります?(都市の名前が面白いのが面白いのか)

 ところで、日本はどうかといえば、たった一つだけ紹介されています[p.59]。

 【日本】
 ・セックスが許される年齢は法的に定められていない。

 これってどうなんでしょう?(笑)
 法律集でありながら法的に定められていないことを紹介しています。だったら、他の国すべてがそれを法律で定めているのでしょうか。これがわからないと「面白さ」がわかりません。

 と、さんざん批判的に書いてきましたが、随所に織り込まれた「法律にまつわるジョーク集」は面白かったです。
 著者はかつては英国の判事だった方のようで、ここで紹介されているジョークはかなり自虐ネタ風なのですが、それがまた面白さを醸し出しています。
 
 職業柄、お気に入りは次のジョーク[p.144]。

 主婦、会計士、そして弁護士に「2足す2はいくつですか?」と質問した。
 主婦は「4です!」と答えた。
 会計士は言った。「3か4だろうと思います。集計表を作ってもう一度検算させてください。」
 弁護士はカーテンを閉め、部屋の灯りを暗くすると小声でささやいた。「いくつにして欲しいんだ?」

 秀逸です。

魑魅魍魎はいずこ?

2007-09-11 21:06:49 | 涜書感想文
 本州ではいまだ暑さが残っていますが、当地は本格的な秋が到来したようで、過ごしやすい季節になりました。
 とはいえ、当地のこの夏も、一時、暑くて寝苦しい日々もあり、扇風機では熱気をかき混ぜてるだけで、ちっとも涼しくないこともありました。
 そんな暑い日に買ったのがこの本でした。

 田中聡『江戸の妖怪事件簿』(集英社新書、2007年6月)

 怖いものは苦手ですが、妖怪話を読んでゾクゾクするような感覚を味わえば、それなりに涼しくなるかなという、短絡的な気持ちで読み始めました。
 小生、魑魅魍魎が跋扈する怖~い世界、あるいは水木しげるの世界を想像していたのですが、この本は江戸時代に編まれた書物に依拠しながら、そこで描かれた「妖怪」を紹介するという構成ながら、「妖怪」が出現する社会的背景なども記述されていて、いわゆる怪談とは違っていました。
 結論からいえば、題材はサブカルですが、内容は難しく感じました。というのも、ところどころで原典を引いていて、これを読むのに時間がかかりました(読んだとはいえ理解できたとはいえないわけで・・・)。
 読み始めたのは真夏でしたが、どうにも先に進まず、昨夜、やっと読み終えました。もうすっかり涼しくなってしまいましたが。(笑)

愛の法則

2007-09-04 21:46:01 | 涜書感想文
 タイトルを見てドキッとした方もいるでしょう。
 もちろん、「小生の」愛の法則ではありません。(苦笑)
 昨年5月にお亡くなりになったロシア語通訳者にして作家の米原万里さん。
 テレビのニュース番組でコメンテーターをしていて、そのコメントに『なかなか面白い方だな』と思っていたのですが、病に倒れ、お亡くなりになってもう1年以上が過ぎました。
 その米原さんの講演を活字にした本がこれです。

 米原万里『米原万里の「愛の法則」』(集英社新書、2007年8月)

 この本には、米原さんの4回の講演が収められています。
 第1章 愛の法則
 第2章 国際化とグローバリゼーションのあいだ
 第3章 理解と誤解のあいだ-通訳の限界と可能性
 第4章 通訳と翻訳の違い

 米原さんが通訳者であることからすれば、当然、第3章・第4章がメインになるだろうと思いますが、そして第3章・第4章は、たしかに頷ける内容なのですが、米原さんの発想の面白さが表れているのは、第1章と第2章でしょう。

 「愛の法則」では、「世界的名作の主人公はけしからん!」として、世界的名作では、主人公は醜男だったり、どうしようもない男だったり、いろいろなタイプの男が登場しているのに、男たちの恋愛対象になるロマンチックな感情の対象となる女は、みんな若い美女で決まっており、若いブスも若くない人も対象にならないと述べています。[p.17]
 米原さんは19世紀の名作を俎上に載せているのですが、それらはおしなべて同じような傾向にあると分析しています。
 また、次のような分類を披露しています。

「私はあらゆる男を3種類に分けています。皆さんもたぶん、絶対そうだと思います。
 第一のAのカテゴリー。ぜひ寝てみたい男。第二のBは、まあ、寝てもいいかなってタイプ。そして第三のC、絶対寝たくない男。金をもらっても嫌だ。絶対嫌だ(笑)。皆さん、笑ったけど、ほんとうはそうでしょう。大体みんな、お見合いのときって、それを考えるみたいですね。
 男の人もたぶん、そうしていると思いますけど、女の場合、厳しいんですね。Cがほとんど、私の場合も90%強。圧倒的多数の男とは寝たくないと思っています。おそらく、売春婦をしていたら破産します。大赤字ですね。」[pp.22-23]

 結構刺激的な内容ですが、この講演、高校生を相手にしています。たぶん、受けたでしょうね。
 A、B、Cの分類基準、思わず笑ってしまいました。それと同時に、90%強の男とは金をもらっても寝ないという米原さんはやっぱり普通の人間なんだと思いました。(なぜかはご想像にお任せします。)
 この話に続いて、ブルジョア革命とプロレタリア革命に話題が移るのですが、それぞれをもじって、「フル」ジョワジーと「フラレ」タリアートと表現したのは秀逸で、これも苦笑してしまいました。

 第2章では、通訳者としての米原さんだから説得力があるという事例が語られています。こちらも高校生を対象にした講演です。
 国際的と国際化という日本語の英語化について触れながら、「国際化」の意味するところの違いを次のように整理しています。

「グローバリゼーションというのは、英語ですから、イギリスやアメリカが、自分たちの基準で、自分たちの標準で世界を覆いつくそうというのグローバリゼーションです。
 ですから、私は同時通訳の時に、日本人が国際化と言うと、すぐ自動的にグローバリゼーション-ロシア語ですからグロバリザツィアという言葉ですが-と、ほとんど同じ言葉に訳してきましたが、今話しましたように、本当は逆の意味なのです。『国際化』と言うとき、日本人が言っている国際化は、国際的な基準に自分たちが合わせていくという意味です。国際村に、国際社会に合わせていく。
 アメリカ人が言うグローバリゼーションは、自分たちの基準を世界に普遍させるということです。自分たちは変わらないということです。自分たちは正当であり、正義であり、自分たちが憲法である。これを世界各国に強要していくということがグローバリゼーションなのです。
 つまり、同じ国際化と言っても、自分を世界の基準にしようとする『グローバリゼーション』と、世界の基準に自分を合わせようとする『国際化』とのあいだには、ものすごく大きな溝があるわけです。正反対の意味ですよね。これを私たちはちゃんと自覚するべきです。」[pp.64-65]

 実は、これと同じことは、前に紹介した、キャメル・ヤマモト氏も述べていたと思いますが、米原さんのように、ある言語を別の言語に変換して相手に意味を伝える仕事をしている人が語ると、より説得力があると思います。

 4本の講演には、ところどころに下ネタがちりばめられています。これが小生にはマッチしているようで(苦笑)、一気に読むことができた本でした。
 ぜひ、ご一読を。