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日々の日記など

東京都美術館 ゴッホとゴーギャン展記念講演会 『ゴッホとゴーギャン―イメージの反復と転用』

2016-11-13 | 講演会
前日の雨&激寒がウソのような、
晴天&小春日和の昨日の土曜日(2016/11/12)。
上野の東京都美術館で行われる、
ゴッホとゴーギャン展講演会に行ってきました。

13:00に聴講券配布ですが、
12:40頃に到着した所、既に結構な行列が形成。
最近、ここ東京都美術館も、近くの国立西洋美術館も、
こう言う展覧会記念講演会は盛況なんですよね。
以前は聴講券の入手がもう少し簡単だった気がするんですが、
近頃は、あんまり配布時間ギリギリに行くと、
聴講券を入手し損ねる懸念が。
今日も、開場時刻の13:30までには、聴講券が全て捌けていました。

14:00になって、開演。
今日の講師は、一橋大学大学院准教授の小泉順也さん。
タイトルは、『ゴッホとゴーギャン―イメージの反復と転用』

内容ですが、

  • ゴッホは書簡が多く残されていて、書簡に述べられている作品はかなり時期を同定することができる
  • 《自画像》(1886年9~11月/ファン・ゴッホ美術館)と《自画像》(1887年9~10月/ファン・ゴッホ美術館)は、ゴッホがオランダからパリに出てきたあたりの作品であって、フランスの影響を見て取ることができる。
  • グービル商会と言う所に勤務したときにイギリスに行っている。(ゴッホがイギリスに赴いたことがあるのは知りませんでした。今回勉強になった)
  • ゴーギャンの《自画像》(1885年/キンベル美術館)はコペンハーゲンで描かれているが、絵の雰囲気は必ずしも明るくない。陰鬱な雰囲気を感じる。丁度ゴーギャンが、妻の実家で過ごしていた頃に描かれたものであって、その影響と思われる。
  • ゴッホがオランダ・イギリス・フランスと比較的狭い範囲にしか行ったことが無いのと異なり、ゴーギャンは世界中に足を伸ばしている。ゴーギャンは、幼い頃にはペルーで過ごした事もある。1888年10月にゴッホとゴーギャンが共同生活を始めるが、この様に、そこまで二人が見ていた世界はかなり違う。そう言う背景から、二人の共同生活地のアルルは、ゴッホに取って理想郷に近かったかもしれないが、ゴーギャンに取っては通過点に過ぎなかったのではないか。
  • ゴーギャンの《自画像》(1893年頃/デトロイト美術館)。これは、《ドラクロワのエスキスのある静物画》(1887年頃/ストラスブール美術館)の構図に似ている。さらにこれの元ネタとしてドラクロワの《アダムとイブ》(1838~47年/国民議会図書館)がある。
  • また、《偶像のある自画像》(1893年頃/マクネイ美術館)は、《自画像》(1893年頃/デトロイト美術館)の構図を反復している。
  • こう言う反復は他にもあり、トレマロ礼拝堂にキリスト像の磔像があるが、ゴーギャンの《黄色いキリスト》(1889年/オルブライト=ノックス美術館)には、その磔像が描きこまれている。さらに、《黄色いキリストのある自画像》(1890~91年/オルセー美術館)では、その《黄色いキリスト》を描き込んでいる。加えて、《黄色いキリストのある自画像》では、ゴーギャン自ら作った焼き物も描き込まれている
  • こう言うように、絵画のみならず彫刻、焼き物、様々なバラエティに富む作品を作っているゴーギャンは、はたして画家か?と言う事を考えることが有る。こう言うバラエティに富んでいることが、ゴーギャンの本質。
  • ゴッホに取っての反復は、ゴーギャンと違う。
  • フランス語の反復を示す言葉には、模写・写し、反復・繰り返し・模写、解釈、複製など色々ある
  • ゴッホの《種をまく人》(ミレーによる)(1890年1月/クレラー=ミュラー美術館)は、ミレーの《種をまく人》(1850年/ボストン美術館)の模写であるが、これは実は、ポール=エドメ・ルラの複製版画《種をまく人》(ミレーによる)(1873年、エッチング/ファン・ゴッホ美術館)を見て描いている。ミレー自身の《種をまく人》は、描かれて直ぐにボストン美術館に収蔵されていて、ゴッホは実物を見ていない。
  • ゴッホは、数多くのミレーの模写をしている。彼の中に何かテーマがあり、繰り返し描いていたのではないか。ゴッホが繰り返し描いたテーマは、25ほどある。ゴーギャンの場合は、そういう感じではなく、モチーフをどこかから取り出してくる感じ。
  • しかし、繰り返し繰り返し描くと言っても、色々展開することもある。《種をまく人》(1888年6月/クレラー=ミュラー美術館)と《夕陽と種をまく人》(1888年11月/ビュールレ・コレクション財団)がその例。ゴーギャンの《説教の中の幻影(天使と闘うヤコブ)》(1888年9月頃/スコットランド国立美術館)が、《夕陽と種をまく人》へ刺激になった?
  • ゴーギャンの作画は、必ずしも見て描いているわけではない。《ブドウの収穫、人間の悲惨》(1888年/オードルップゴー美術館)についてゴッホはテオへの書簡で「描かれている女性は、ゴーギャンの頭の中で作られたものである」と指摘している。
  • ゴッホも同じ頃《赤いブドウ畑》(1888年11月頃/プーシキン美術館)や《エッテンの思い出》 (1888年11月/プーシキン美術館)を、当時の事を思い出しながら描いている。これはゴーギャンの影響を受けたゴッホが、これまでに無い描き方をしている作品
  • ゴーギャンが描いた《腰掛け椅子のひまわり》(1901年/ビュールレ・コレクション財団)は、当時タヒチに居たゴーギャンが、アルルの頃を思い出して描いている作品だが、似たモチーフの《花束にするために》(1880年/個人蔵)と言う作品も同時期に描いているので、《腰掛け椅子のひまわり》はゴッホとの思い出だけを描いている訳でも無い
  • ゴッホの《夜のカフェ》(1888年/イェール大学美術館)。これと似た作品にゴーギャンの《アルルの夜のカフェにて(ジヌー夫人)》(1888年11月/プーシキン美術館)がある。このゴーギャンの《アルルの夜のカフェにて(ジヌー夫人)》に描かれた女性を、ゴッホが《アルルの女(ジヌー夫人)》とし抜き出して何点もゴッホが描いている。ゴッホは、この《アルルの女(ジヌー夫人)》4作品描いていて、うちひとつを、ゴッホはゴーギャンに贈っている。
  • 最後にシニャックについて。シニャックは、アルルのゴッホを訪ねている。その後シニャック最晩年に再びアルルを訪れ、《アルル、ファン・ゴッホの家》(1935年、水彩/個人蔵)を描いている。この作品に描かれたファン・ゴッホの家の実物は、後の戦争で失われた。

こんな感じですかね。

中々面白かったです。
わかり易く解説してもらえましたしね。

ゆっくり話していたので、どうなるのかと思いましたが、
キッチリと時間通りに終了しました。
素晴らしい!

国立西洋美術館 カラバッジョ展記念講演会 『ローマとナポリにおけるカラヴァッジョの継承者たち』

2016-05-14 | 講演会
今日は、国立西洋美術館でカラバッジョ展講演会の聴講。

今日の講演会は、全部で4回あった講演会の最終回で、
講師は、この展覧会監修者で、国立西洋美術館研究員の川瀬佑介さん。
テーマは、「ローマとナポリにおけるカラヴァッジョの継承者たち」です。

前回の講演会が大混雑でしたが、今回も大混雑。
聴講券配布30分前に行ったんですが、既に、長蛇の列でした。
凄いなあ。
これまでの国立西洋美術館での講演会で、
これほど混んだのは見たことが無かったんですが、
カラバッジョ展は、何なんですかね?

興味深かったのが、
「カラバッジョは工房を持たず、弟子を取らなかった」と言う事。
そう言えば、カラバッジョって、喧嘩っ早いとかありました。

今回のテーマのカラバッジョの継承者をカラヴァジェスキと言う
そうですが、その人達に共通することとして、
先のように弟子は居なかったので、直接教えを受けたというわけではなく、
カラバッジョの絵を見て影響を受けたと言う事があるそうです。

しかも、カラバッジョは他人に真似をされるのは嫌いだった様で、
カラバッジョが生きていた頃、自由に模写出来る人は居なかったみたいです。
また、それは、似た絵の注文を請けたとき、
カラバッジョは工房を持たなかったので弟子に書かせる事は出来ず、
自分で描いたということにも通じるそうです。

カラバッジョが後世に影響を与えたものの一つに、光があります。
そう言えば、カラバッジョの明暗の描写は、
「レンブラントみたいだ!」と思ったんですが、
レンブラントも、カラヴァジェスキの一人なんですねぇ。

そんな、非常に多くの後世の画家達に影響を与えたカラバッジョですが、
カラバッジョを模した最初の画家は不明なんだそうです。

そう言う前提の上で、
最初期のカラバッジョの影響を受けた画家
=第一世代(バリオーネやジェンティレスキ)は、
カラバッジョより年長で、既に自分のスタイルを確立し
画壇で活躍していた人物たちと言う特徴があり、
その次の第二世代は、ほぼカラバッジョより年少で、
カラバッジョが死んでから活躍した人達と言う特徴があるそうです。
って言うか、第二世代は良いとして、
自分よりも先に活躍していた先輩にも影響を与えるカラバッジョって、
凄いなあ。
それだけ衝撃的だったんですかね。

以上は、ローマにおけるカラヴァジェスキの話ですが、
少しだけ、ナポリにおけるカラヴァジェスキについて。

ナポリにおけるカラヴァジェスキの特徴しては、
主題によってカラヴァジズム様式で描いたり、
そうじゃ無い様式で描いたりと、描き分けたと言う事があるそうです。
その為か(あるいは、意図してなのかもしれませんが)、
ナポリでは、教会の祭壇画として描かれている
カラヴァジェスキの作品が数多くあるそうです。
(ローマではそう言うことはない)

また、主題に寄って描き分けるという事をしたからかもしれませんが、
ナポリにおいては、カラヴァジズムは長生きしたとも言っていました。

いやぁ、興味深い話が盛りだくさんで、
中々良い講演会でした。

国立西洋美術館 カラヴァッジョ展記念講演会 『カラヴァッジョの真実』

2016-03-13 | 講演会
昨日(2016/03/12)の午前は展覧会を観覧。
そして午後は、展覧会記念講演会の聴講です。

国立西洋美術館の講演会は、いつもは、
そんなに混まないんですが、今日は驚きの激混み。
11:40頃に聴講券配布の行列に向かったんですが、
なんと、睡蓮の入口まで行列が伸びていました。
これにはビックリ。
初めてです。
140席の聴講席が有るんですが、程なく満席に。
トビカンの別の展覧会の講演会も満席になっていましたが、
こう言う講演会、人気が出てきたんですかね?

さて、今日の講演会ですが、
講師は成城大学文芸学部教授の石鍋真澄さんで、
講演テーマは
「カラヴァッジョの真実―カラヴァッジョはどんな男だったのか」

いくつもの裁判記録が残っていて、
果ては、殺人事件まで起こしているカラヴァッジョですので、
確かに、どんな男だったのか気になるところです。
そんなカラヴァッジョを、
(1)カラヴァッジョ犯科帳
(2)カラヴァッジョの剣
(3)カラヴァッジョのライバル
(4)カラヴァッジョの女
(5)騎士カラヴァッジョ
(6)カラヴァッジョとはどんな男だったのか?
と言う切り口で語られます。

(1)の犯科帳は、上記にも書きましたが、
数々の騒動を引き起こしたカラヴァッジョの犯罪記録。
犯罪記録の有る画家か・・・。

(2)のカラヴァッジョの剣ですが、彼の作品には、
剣が描かれていることが多いということの話です。
確かに、彼の残した作品には、剣が描かれているのが多いみたい。
しかも、描き方が上手い。
でも、剣を絵画に描くというのは、彼に限ったものではなく、
他の画家も描くことがあったというオチです。

騎士カラヴァッジョと言うのは、後年、殺人事件を起こしてから、
カラヴァッジョはマルタ騎士団に入って、騎士に序列されるんですが、
そこでも、問題を起こして逃亡するんですよねぇ。
カラヴァッジョって、とんでもない人だったようです。

結局のところ、
カラヴァッジョは類まれなる才能をもった人なわけですが、
そう言う人が、必ずしも人格にも優れているというわけもなく、
むしろ、人格破綻者的な事もあり・・・。

でもさぁ、先日のトビカンのボッティチェリ展記念講演会でも
そうだったんですが、講演者の人・・・酷い。
ちゃんとさぁ、時間を計算して講演しようよ。
まぁ、今日の講演会は、司会者が最初に時間を取り過ぎた
という感も無い訳ではないですが、それでも酷い。
今日は、15分弱の時間超過でした。
それも、時間を超過するということを確信しての
時間超過だからなぁ。

今日の講師は、原稿を書き上げてきて、
それを読み上げるという形態の講演だったので、
臨機応変に中を飛ばすということが困難だった
と言う事情もありますが、あの様子を見ると、
普段の講義もそんな感じなのではないかと・・・。
学生さんが可哀想になりました。

東京都美術館 ボッティチェリ展記念講演会 『フィレンツェの春の移ろい』

2016-02-27 | 講演会
土曜日の今日は、ボッティチェリ展記念講演会にGO!

今日のテーマは「フィレンツェの春の移ろい」で
講師は、東京大学大学院教授で
この展覧会の監修者でも有る小佐野重利さん。
東京都美術館での講演会の座席は、225席あるそうなんですが、
なんと!満席になっていました。

小佐野さん曰く
「他にも講演会があって、今回が最終回。
 そんな訳で、ボッティチェリよりも広く、
 フィレンツェをテーマにしてみました(意訳)」
との事で、こう言うタイトルのようです。

時間通り始まったんですが・・・、
一番印象深かったのは、30分以上も時間を超えて
終わったということですかね。
いやぁ、それはインパクト強くて、中身があんまり・・・。

とはい言え、少しは興味深かった事・・・、
覚えている事がありました(苦笑)。

フィレンツェと言えば、メディチ家。
そしてそのメディチ家と言えば、
“銀行業”で財を成した訳ですが、
当時はキリスト教でも、利子を取ることが憚られたんですね。
イスラム教で利子を取ることが禁止されていることは
知っていたんですが、キリスト教でもはばかられるとは・・・。
なので、当時の銀行業では、利子というより、
通貨間の為替の違いによって利益を上げていたらしいです。
為替で利益を上げるって、今と変わらないですね。

あとは、フィレンツェのメディチ家の邸宅に対して、
メディチ家に関連する教会、庭園が、実は逃げやすいように、
上手く道沿いに配置されていて、それが、
フィレンツェの市街への門に繋がっているとかね。

いやぁ、それにしても、30分の延長はないな。
聴衆に理解してもらおうと話していたとはあまり思えず、
なんか講師の自己満足に思えました。

いつもは講演後、質疑が有るんですが、
それどころではなく、講師の話が終わった途端、
質疑もなく、且つ、司会の方が閉幕の挨拶するまでもなく、
聴講者はさっさと会場を後にしていました。

そりゃそうだ。

東京都美術館 ボッティチェリ展記念講演会 『ボッティチェリと東方三博士の礼拝』

2016-02-13 | 講演会
バレンタインデーの明日(2016/02/14)は、
春の嵐の天気予報ですが、今日の時点では、
まだ天気は保っている様です。

そんな土曜日は、ボッティチェリ展記念講演会を聴講。
今日のテーマは「ボッティチェリと東方三博士の礼拝」で
講師は、東京都美術館学芸員の小林明子さん。
あの『恋に落ちて』の小林明子さんと同姓同名ですね。
(さんざん他人から言われただろうし、
自分でもネタにしているんだろうなぁ)

今回の講演会で注目しているのは、
《ラーマ家の東方三博士の礼拝》なんですが、
ボッティチェリの“東方三博士の礼拝”って、
これだけじゃないんですね。
ボッティチェリは、他にも同じ東方三博士礼拝を
主題にした作品を描いています。
ボッティチェリの別の東方三博士の礼拝は彼の晩年作品で、
フィレンツェからメディチ家が追放されて、
サボナローラの天下になっていた頃の作品。
《ラーマ家の東方三博士の礼拝》が華麗な作品であるのに対し、
後年の東方三博士の礼拝は、何か、重い印象で、
ラーマ家のものとは全然違いました。

当然、他の画家も東方三博士の礼拝を描いていて、
ボッティチェリと同年代にフィレンツェにいた、
天才ダ・ヴィンチも描いています。未完成ですが。
ダ・ヴィンチの東方三博士の礼拝もまた、
ボッティチェリのラーマ家版とはぜんぜん違うんですよね。
むしろ、ボッティチェリ後年の作品に近い印象です。
ダ・ヴィンチがボッティチェリに影響をか否かは良くわかりませんが、
ヴェロッキオの《キリストの洗礼》の左手前の天使は、
ダ・ヴィンチの手によるものという説が有るようですが、
その天使と見つめ合っている天使は、ボッティチェリの
手による物という説も有るようです。
そんな経緯もある二人ですし、そもそも、ダ・ヴィンチが
ボッティチェリのついて「彼は背景が上手くない」と
言ったという話もあるそうですから、互いに意識していたのは、
間違いないのかもしれませんね。

東京都美術館 ボッティチェリ展記念講演会 『人間ボッティチェリと画家ボッティチェリ』

2016-01-18 | 講演会
ボッティチェリ展二日目の昨日(2016/01/17)は、
午前にボッティチェリ展を見て、
午後はボッティチェリ展記念講演会を聴講です。
今日(2016/01/18)まとまったので、UPします。

この日の講演は、全三回予定されている講演の一回目。
テーマは「人間ボッティチェリと画家ボッティチェリ」で、
講師は、このボッティチェリ展のイタリア側監修者で美術史家、
パラティーナ美術館元館長のアレッサンドロ・チェッキさん。
もちろんイタリア語での講演です。
フランス語での講演は聞いたことがありますが、
イタリア語での講演は初体験。
って言うか、フランス語での講演も、
上記の講演が初体験ですけどね:-p

講演自体は、どうやら事前に作成した原稿を読んでいる感じ。
でも通訳の人(たぶんイタリア人)は、
講師が言っていないことまで交えて訳していた気がするのは、
気のせいでしょうか(笑)

講演内容ですが、
タイトルの「人間ボッティチェリと画家ボッティチェリ」
と言うより、ボッティチェリの人となりと作品と言う方が、
良いんじゃないかな。
講演の原題もそう言う雰囲気だったし、
中身も、ボッティチェリの人生(と言うほど大げさではないけど)と、
その作品の解説と言う感じで、ボッティチェリを一人の人という側面と
画家という側面から眺めてみたという感じでは無かったです。

やっぱり、逐次通訳の講演って、聞くの大変だな

国立西洋美術館 黄金伝説展関連講演会 『古代ギリシャ美術と黄金』

2015-12-20 | 講演会
天気の良い昨日(2015/12/19)の午前中は、
東京国立博物館で『始皇帝と大兵馬俑展』を観覧。

そして午後は、
国立西洋美術館での黄金伝説展関連講演会の聴講です。

聴講の前に、その日の聴講券を貰う必要が有るんですが、
午前中の『始皇帝と大兵馬俑展』を見終わるのが、
ちょっと遅くなってしまい、聴講券配布開始時間の後に、
国立西洋美術館に到着。
これまでの経験で、満席になることは無いと判っていたので、
むしろ、配布待ちの行列に入ることも無くて、
かえって良かったかも。

黄金伝説展関連講演会は、全部で4回企画されたのですが、
今回は、その4回目=最終回。
「古代ギリシャ美術と黄金」と言うテーマで、
講師は、国立西洋美術館研究員の飯塚隆さん。
って言うか、この方、この黄金伝説展のご担当者と言う事で、
これまでの講演会の司会をしていたですが、
最終回では流石に自分で司会することはせずに、
他の方が司会をされていました。

講演の内容的には、流石に担当者ということもあり、
展示されている作品の数々の意図とか、
背景もよく判っていて、非常に判りやすい内容でした。

講演で聞いて凄いなぁと思ったのが、
耳飾りなどの小さい造形物においても、
彫刻などの大きい造形物と同様の人物や動物の
肉体表現や、人の衣装の表現がなされているという事。
大きい彫刻などで、衣装が風になびく様子だとか、
あるいは、衣装の下の筋肉が上手に表現されているのは
よく判るのですが、それと同様の表現が、
耳飾りのような小さいものにでも行われていたのは凄いです。

あと、目からうろこというか、なんと言うか、
「古代ギリシャの神殿を見たければ、南イタリアに行け!」
と言うのは、面白い指摘でしたね。
古代ギリシャの人々は、色んな所に植民活動をしていて、
それは地中海や黒海の広い範囲に至っていたと言うこと。
そして、ギリシャの神殿は荒廃していたりするのも有るんですが、
意外に、南イタリアの神殿は、規模も大きく、
且つ、思ったよりも残っていると言う事のようです。

中々、面白い講演会でした。
聴講者の入りも、結構有った様です。

東京オトナ大学 河瀨直美氏講演

2015-11-23 | 講演会
東京駅のステーションコンファレンス東京で開催の
東京オトナ大学。
今年もありました。

今年の講演会は、映画作家河瀨直美さんで

「映画に生きる美しき日本」
世界と繋がるユニバーサルな日本文化の創造をめざして


と言う講演。

まず目に付いたのは、映画“監督”ではなく
映画作家と言う肩書き。
作家と言う言葉を使っているのは、
作品を生み出すということに拘っているからですかね。

なんかそんな気持ちを感じつつ、河瀬さんの講演が始まります。
今日、奈良からやってきたそうで、午前は息子さんと、
唐招提寺などを巡ってきたという話から始まります。
「お母さんなんだな」と言う表情が垣間見えるエピソードです。

そんな感じで話が進むと、
いま河瀬さんが年に2~3本位づつ撮っているという、
地元奈良の地域住民に視点を当てた映像が流されます。
既に20本くらい撮ってストックがあるそうですが、
その中でも、最初の作品です。

この当たりまでの河瀬さんの言葉で注目したのは、
「豊かさ」と言う言葉。
いま現在、「豊かさ」と言うと経済的な点に重点が置かれがちですが、
実は「豊かさ」にはそれ以外(心の豊かさとか)もあるということ。
まぁ、一般にも語り尽くされた視点ではありますが、
映像と河瀬さんご自身の語りで聞くと、
また、違う印象がありましたね。
染み入る感じでした。

もう一つが、いまや人気女優となってしまった、
尾野真千子さんのデビュー作品『萌の朱雀』の映像が
流されます。

実は不勉強で、尾野真千子さんのデビュー作品が
『萌の朱雀』であるということ自体は知っていましたが、
見た事はありません。
なので、ストーリーも知らなかったのですが、
今回初めて、超あらすじを知ることが出来ました(苦笑)。

って言うか、ここで五新線の言葉を聞くとは・・・。
まぁ、作品を見た人であれば、当然、五新線が
その舞台であることは周知なのですが、
あの有名な未成線が舞台であったとはね。

この件で私が気になった言葉・主題は、
家族とか人の繋がりですかね。
『萌の朱雀』は家族離散の話と言われることが
多いそうですが、そんな事を描こうと思った訳では
無いそうです。
一番目の映像作品でもそう言う事を描いているようでしたし、
河瀬さんは、人とか、心とかを描いているんですね。

これまでの講演は、
JAXA宇宙科学研究所の川口淳一郎教授
サイエンスライターの竹内薫氏
東レ経営研究所特別顧問の佐々木常夫氏
数学者・作家・お茶の水女子大学名誉教授の藤原正彦氏
講師は男性ばかりでしたが、
今回、初めて女性講師な訳ですが、
やはり、話の組み立てがけっこう違いました。

今まで四回の講師の人は、学者であったり、
サイエンスライターであったり、経営者であったりと、
理詰めで物事を進めるタイプの人達でしたが、
今回初めて、理詰めというよりも、情緒的な要素が
大きい感じの形。

そういう意味では、
講演内容も(決して批判的な意味ではなく)
エモーショナルな内容でちょっとまとめにくいのですが、
心に染みるという意味では、中々興味深い講演でした。

国立西洋美術館 黄金伝説展関連講演会 『ギリシャ文学・神話における黄金というモチーフ』

2015-11-22 | 講演会
昨日(2015/11/21)の午前は黄金伝説展本展の観覧、
午後は、関連講演会の聴講です。

今日の講演会は、
東京大学名誉教授の逸身喜一郎の
「ギリシャ文学・神話における黄金というモチーフ」

先週も、関連講演会に来たんですが、
先週よりも、客の入りは良いですね。
先週は雨でしたが、今日は晴れという事も
あるんですかね。

文学でのモチーフということで、
「少し難しい内容かなぁ」と
覚悟していたんですが、
そうでもありませんでした。

もちろん、ギリシャ神話の話が出たりして、
その素養がないと、一体何の事を話しているのか
判らないと言う所もありますが、
そこは、先生が簡単に解説してくれたりして、
内容の理解が困難ということはありませんでしたね。

ダナエーの話は興味深いですね。
実際にどうかは不明ですが、ある意味、ディスられていて、
何か、マグダラのマリアの話みたいにも思えました。
それと一番おもしろかったのが、先生も言っていましたが、
ヤン・ホッサールトのダナエーの絵画(アルテ・ピナコテーク蔵)。
青い衣は、マリア様を示すことが多いということですが、
と言うことは、この描写って・・・、ねぇ。
そういう事を示唆しているの?
ヤバイ絵ですね。

いやぁ、中々面白かったです。

国立西洋美術館 黄金伝説展関連講演会 『エトルリアと古代ローマの金製品~金をめぐる人々の世界』

2015-11-14 | 講演会
右足首を捻挫してしまった影響で、
色々と“宿題“が溜まってきてしまっています。

そんな中、まだ展覧会本編の方には行っていませんが、
展覧会の関連講演会に行ってきました。

今日は、東京都美術館でのモネ展の講演会と
国立西洋美術館での黄金伝説展の講演会が、
全く同じ時間に重なってしまっていて、
どちらかを選択しなければならないという残念な状況。
ただでさえ、捻挫により逃してしまった
イベントも多いのに・・・orz
両者で話し合って、時間を分けてくださいよ。

モネ展の講演会は「モネの技法―修復学の見地から―」、
黄金伝説展の講演会は「エトルリア・古代ローマの金製品」
と言うタイトルだったんですが、
タイトルで、黄金伝説展の方を選びました。
講師は、群馬県立女子大学教授の藤沢桜子さんです。

整理券の配布の12:00ちょっと前に到着。
東京都美術館の場合、30分以上も前から
講演会入場券待ちの行列が形成されることが
多いんですが、国立西洋美術館での講演会の時は、
20~15分くらい前に行列ができ始める感じですね。
難なく整理券は入手し、開場の13:30を待ちます。
ちなみに開演は14:00。

講演の中身的には、
(1)エトルリア
(2)古代ローマ
と言う分類の様です。

エトルリアと古代ローマの内容の比重は、
エトルリアが7、古代ローマが3と言う感じで、
エトルリアの方が厚め。
未だ未訪問の展覧会本編の方も、そんな感じみたいです。

面白いのが、エトルリアの場合は、
墓地遺跡からの出土品が多く、
古代ローマの場合は「死者に金を与えるな」と言う
法律も有ったようで、墓地から金の様なものが出ることは
あまりなく、普通の生活などにまつわるところでの
出土品が多いようです。

エトルリアでは、紀元前7世紀~紀元前6世紀初期の
当たりの出土品が数多いんですが、
その細工は素晴らしいですね。
まぁ、この手の出土品の場合には有りがちですが、
ものすごく細かい。
これを、現代の工作機械で作れば簡単ですが、
当然、手工業でやっているわけですからねぇ。
すごいです。
ベルトの留め具なんか、何だか良くわからないような(失礼)
細かい動物の細工が有ったりしてね。

他方、古代ローマは、エトルリアよりはわかりやすいかな。
講師の藤沢先生は、ポンペイの専門であるらしく、
ポンペイの出土品にまつわる話が、
古代ローマのパートではメインでした。

いやぁ、でも、中身よりも講師の先生の方が
気になっちゃいましたよ。
授業もあんな感じなんですかね?
話す内容をメモってきたみたいなんですが、
メモを読むときは、よどみなくスラスラと
言葉が出てくるんですが、そこから離れると、
ちょっと言いよどむ感じ。
先生、専門なんだから、そこはピシっと決めてくださいよ。