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日々の日記など

東京都美術館 モネ展記念講演会 『《印象、日の出》の真実』

2015-09-20 | 講演会
昨日(2015/09/19)は、午前にモネ展を見て、
午後はモネ展記念講演会を聴講です。
今日(2015/09/20)まとまったので、UPします。

モネ展初日の講演会は、
マルモッタン・モネ美術館副館長 収蔵品担当の
マリアンヌ・マチューさんによる講演です。
タイトルは「《印象、日の出》の真実」

整理券の配布は、13:00からなのですが、
30分前の12:30に配布場所に行った所、既にかなりの行列。
いやぁ、ビックリ。
でも難なく整理券は入手し、開場の13:30を待ちます。
ちなみに開演は14:00。

今回の講演会は、大きく分けて、
(1)《印象、日の出》はいつ描かれたのか?
(2)《印象、日の出》を巡る数々の真実
の二つですかねぇ。

まず(1)ですが、これは実は2014年に特定されたそうです。
場所はル・アーブルの港ということで判っていたわけなのですが、
これは(2)にも関連してくる話なのですが、
“日の出”ではなく、“日の入り”と呼ばれていた時期もあるそうで、
実際にいつ描かれたのはよく判っていませんでした。

これが特定されたというのだから、話題騒然です(笑)。

描かれた当時の地図や写真、気象状況・潮汐などまで調べた結果、
《印象、日の出》が描かれたのは『1872年11月13日7時35分頃』と
特定されたそうです。
えっ!時間まで・・・。
いやぁ、凄いです。

もう一つの(2)の話ですが、いまでこそ《印象、日の出》は、
印象派の初めの作品として非常に貴重で、
重要な作品であると認識されていますが、
その様になったのは、1950年台に入ってからで、
それまでは、あまり評価は高くなかったそうです。
むしろ、今回の展覧会の後半に展示される
《ヨーロッパ橋、サン=ラザール駅》や
東京では展示されない《テュイルリー公園》などの方が評価が高く、
実際に、鑑定額などでは倍近い差がついていたそうです。

いまからは信じられないですけどね。

で、そんな《印象、日の出》が今の評価を得たのは、
モネの作品を収集していた
友人であり医師のジョルジュ・ド・ベリオが居て、
彼のコレクションを遺産として引き継いだヴィクトリーヌが、
第二次大戦後、「これはいいものだ!」と積極的に
展示をしていったからだということ。
いやぁ、知りませんでしたし、物凄く興味深い話です。

この辺の話は、この当たりも参考になりそうです。
http://www.mmm-ginza.org/special/201412/special01.html
って言うか、この時の話なのかな?

講演はフランス語で行われ、逐次通訳がありました。
面白かったです。

国立西洋美術館 ボルドー展記念講演会 『角を持つヴィーナスに刻まれた世界』

2015-09-05 | 講演会
天気予報で「晴れ」という割には雲が多い土曜日ですが、
今日は、国立西洋美術館で開催されているボルドー展の
記念講演会にGO!

ボルドー展記念講演会は全4回設定されているのですが、
今日は最後の四回目。
講師は国際日本文化研究センター名誉教授の赤澤威氏。
講演タイトルは、
「角を持つヴィーナス(ローセルのヴィーナス)に刻まれた世界:
作者クロマニョンの見たヨーロッパ」
です。

赤澤氏は、元々西洋美術の専門家ではなく、
中東を中心とした先史人類学・旧石器考古学の専門家なのだそうですが、
今回の講演タイトルにも有る
“角を持つヴィーナス(ローセルのヴィーナス)”に興味を持っていて、
且つ、詳しいということで今回のボルドー展を企画した
国立西洋美術館主任研究員の陳岡めぐみから口説き落とされて(笑)
今回講演することとなったそうです。

今回の講演で一番衝撃的だったのが、
さきごろテロリスト集団ISによって殺害された
パルミラ博物館の元館長で著名な考古学者のハレド・アサド氏と
赤澤氏が知り合いであったということ。
赤澤氏が元々中東地域で研究していたということもあり、
遺跡の発掘作業などを通じて、交流があったらしいです。
直接的にアサド氏の死について述べることはありませんでしたが、
昔のアサド氏との交流の模様や、中東地域で行った
嘗ての研究活動について述べるときは、
悲しげに遠く思いを馳せるような感じに見えましたね。
アサド氏のご冥福をお祈りします。

もう一つ劇的とも言えるのが、講演時間が押して
時間がなくなってしまいあまり触れる時間は取れませんでしたが、
今後の人類の話。
いまの人類が出てくるまでの間に、多くの猿人・旧人などが居て、
彼らの消滅を入れ替わり我々ホモサピエンスが残ったわけですが、
たまたま今はホモサピエンスが隆盛を極めているだけで、
これから先、別の種族に取って代わられることは避けられないということ。
しかも、これまでは、人類滅亡の原因としては環境問題、
食糧問題などが唱えられてきましたが、さきごろ、
人工知能が人類に取って代わるという話も出てきたということで、
自分で創りだしたものに滅ぼされると言うことは
中々衝撃的と言う事を述べられていました。
確かに衝撃的!
SF映画で描かれたことが、時間を経ると実現されたりするわけですが、
人工知能が人類に取って代わるというのは、ターミネーターの世界ですよね。
この人工知能が人類に取って代わるという話は、
ホーキング博士やイーロン・マスク氏も警鐘を鳴らしていますし、
ちょっと怖いかな。

ところどころ冗長かなぁと思うところもありましたが、
要所要所は、中々面白く興味深い講演会でした。

国立西洋美術館 ボルドー展記念講演会 『都市ボルドー18世紀を活気づけた人びとは、なにをめざしていたのか?』

2015-08-22 | 講演会
国立西洋美術館で開催中の『ボルドー展』。
その記念講演会の3回目。

今回の講師は九州大学大学院教授の土居義岳氏。
HPにあったタイトルは
「ボルドー:建築をとおして都市の生き残り戦略史を読む」
なんですが、今日行ってみると
「都市ボルドー18世紀を活気づけた人びとは、なにをめざしていたのか?」
と言うタイトルがスクリーンに表示されていました。
たぶん、タイトル変更ですよね。

美術の専門家ではなく、建築の専門家で、自身も建築家という方。
大学で教鞭をとっていると言う事もあり、話にも慣れていて、
中々面白かったです。

ヨーロッパの大陸にあるところなので、ローマ時代の話は避けられません。
って言うか、“ブルディガラ”と言う名前の店を時々見かけますが、
それって、ボルドーの古い名称だったんですね。
ルーテシアもあるから、フランスの土地の古名って、
お店の名前にポピュラーなんですかね。

それはそれとして、ローマ時代の遺跡も残っていて、
パレ・ガリアンと言う闘技場跡があったり、
17世紀頃まではチュテル神殿という神殿も有ったらしいです。
ギリシアやローマに神殿はイメージできますが、
フランス・ボルドーに神殿か・・・。
ちょっと想像がつかないですね。

興味深かったのは、16世紀から18世紀頃の近世は、
王権と地方の有力者たちは、権力などを巡って争っていたということ。
王権の象徴としては地方長官(王権の代表)・地方総督(軍人)、
地方有力者達の集まりとしては、高等法院などがあったみたい。
一応市長も17世紀の一時期を除いて居たようなんだけど、
実は不在地主ならぬ不在市長の様で、実質的には意味が無かった様です。

高等法院は裁判所なんですが、その官職は売買の対象になっていて、
地方有力者などが買ったりしているので、必ずしも王権に従順と言う
わけでも無い様で、ボルドーの場合、18世紀に地方長官が市壁の外側を
開発しようとした際、地方長官の思う通りすんなりとは行かなかったみたいです。

王権に従順で無いと言う事で言えば、市の象徴として、
鐘があるらしいのですが、17世紀の一時期、
国王から市の鐘を取り上げられていたらしいです。

それで、上記の地方長官の「地域開発」の件ですが、
結局、地方長官の意図が通って市壁の外側が行われ、
その結果のためか(?)産業振興が進んで、
経済はメッチャ発展したようです。

こう言う視点の講演も非常に良いですね。
今回のボルドー展は、絵画だけではなく、
ボルドーと言う都市に焦点が当てられ、
その歴史から振り返る展覧会なので、
マッチしていたと思います。

国立西洋美術館 ボルドー展記念講演会 『ボルドーと画家たち』

2015-07-18 | 講演会
午前は科博で『生命大躍進展』でしたが、
ランチを挟んだ午後は、国立西洋美術館で
ボルドー展記念講演会を聴講。

記念講演会は4回企画されていて、今日は二回目。
一回目は、失念していた・・・

今日の講演は
講師 陳岡めぐみさん(国立西洋美術館主任研究員)
タイトル 「ボルドーと画家たち」
です。

そもそも、今回のボルドー展自体が、
ボルドーと言う都市そのものに焦点を当てた展示会と言う事で、
内容が結構広範。
今回はそのうち、ボルドーに関連した画家に関する講演です。

ドラクロワだったり、ルドンだったり、ゴヤだったり、
今につながる高名な画家たちも、ボルドーに関連している
と言う事を改めて認識。

今のボルドーのイメージは、“ワイン”に尽きますが、
昔は、ガロンヌ川に面しているという地の利を活かして、
貿易で栄えていた時もあるので、たくさんの人を引きつけたり、
もっと時代を遡れば、パリとサンティアゴ・デ・コンポステーラの
巡礼路の途中に位置するということで、そう言う意味でも栄えた街
だったんですよね。
そういう観点で、芸術も栄えたのかなと。

返す返すも残念なのは、ウジェーヌ・ドラクロワ《ライオン狩り》
これは今回の講演での話ですが、「全体が残っていた時は確かに
『人のライオン狩り』に見えるが、今の残りを見ると、
『ライオンの狩人り』に見える」と。
もちろん冗談ですが、でも確かに描かれている内容の重点が、
移っているようにも見えますね。

あと興味深かったのが、ゴーギャンの名作
『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』
も一時、ボルドーにあったということ。
意外なところで、意外な作品とつながりますね

中々興味深い講演でした。

東京藝術大学大学美術館 ヘレン・シャルフベック展トークイベント

2015-07-12 | 講演会
暑い・・・

昨日(2015/07/11)の午前は
トーハクで『クレオパトラとエジプトの王妃展』でしたが、
午後は東京藝術大学大学美術館でシャルフベック展記念の
トークイベント
『フィンランドの風土と人々を語る
 ~フィンランドが生んだシャルフベック』
に行ってきました。
シャルフベックの誕生日が、7月10日らしいのですが、
その誕生日記念ということもあります。

講演会の時の会場は講堂なんですが、
今回のトークイベントの開場は、なぜか美術館内の大浦食堂。
会場キャパシティとしては講堂が150名程なのに対し、
大浦食堂では80名と、キャパシティが小さいのにね。
(会場が大浦食堂であった謎は、イベントの最後に解明されます)

13時から大浦食堂にて入場整理券が配布。
会場のキャパシティが小さいので、満員になったら嫌なので、
ちょっと早めに行って並んでゲットしたのがこれ。

あとで気がついたんですが、この整理券では、
イベントの会場が“美術学部中央棟1階第1講義室”って
書いてありますね。
この後、会場が変更されたと言うことなんですね。

無事、入場整理券をゲットした後は、
開場の13:30まで別のところでランチをしながら待機。
開場間近になって会場に行ってみたら、
まだ整理券は配布していました。
私が思ったよりも、参加希望者が少なかったんですね。

イベント出席者は、

  • ウッラ・キンヌネンさん(フィンランドセンター文化担当マネージャー)

  • 佐藤直樹さん(東京藝術大学美術学部准教授)

  • 進行担当 日沼禎子さん(女子美術大学准教授)


の三名。
開始時間の14:00になると、三名が入場してイベント開始です。

最初、ウッラさんからフィンランドの生活や
文化についての紹介がありました。
ちなみに、ウッラさんは全編英語で話されているんですが、
英語が母語ではないので、日本人にもわかりやすいです。
一応通訳の人は居ましたが、通訳なしでもOKでした。

最初会場に入った時に女子美の紹介資料があって、
「ここは芸大なんだけど、なんで女子美?」と思ったんですが、
進行役が女子美の日沼さんなので置いてあった
と言うことなんですね。
事前によく出席者を確認しておけということですね(笑)。

ウッラさんの話に戻ると、
「フィンランドは非常に冬が長い。
なので、短い夏には、みんな外を出歩くことに夢中になる。
冬に考えていたことを、夏に一気に行う。」
みたいなことを言っていました。
なるほど~。そうかも。

え~っと思ったのが
「フィンランドの冬はそれほど寒くない」と言う
ウッラさんの言葉。
いやいやいや、そうじゃないでしょ。
2月にフィンランドに行ったことが有るんですが、
日本では経験出来な寒さでしたよと突っ込みたくなりました(笑)。

そして肝心のシャルフベックの話へ。
ここからは、シャルフベック展監修の佐藤さんが
メインスピーカーに。

既に展覧会の方は見ていたので、
その振り返りという感じになりましたが、
改めて佐藤さんの話を聞いてみると、
新たな発見がありました。

一番「そうかぁ。」と思ったのが、
シャルフベックは生涯独身だったのですが、
それは彼女自身が、絵を書くことに生きるということを
選択した結果だということ。
シャルフベックは、婚約破棄や失恋に遭っているので、
決して恋を諦めていたというわけではないと思うんですが、
その後、母親と二人でヒュヴィンカー暮らしていた
15年くらい家事は行わなかったと言うほど、
徹底して芸術に生きていたと言うことなんですよね。
いや、凄いよ貴女は。

それともう一つ今回気がついたことは、
《お針子》とか《炭やき職人》とかの労働者を描いているんですが、
それは労働しているところではなくて、
休んでいたりしてるシーンであるということ。
それは気が付きませんでした。
(後で会場に戻ってそれらを確認したら、そうでした)

その他、シャルフベックが早くにして活躍できたのは、
フィンランドでは(芸術においては)才能重視で、
男女の差がなかったとか、
《ラーセボリの風景》と言う作品は、昼間ではなく、
真夏の夜=白夜を描いた作品であるとか、
いろいろ興味深い話でした。

そんなこんなで、終了の時間となったのですが、
ここで、今回の会場が大浦食堂であった謎が解けます。

前日の7月10日はシャルフベックの誕生日ということで、
芸大の近くにあるPatissier Inamura Shozoから、
シェフの稲村省三さん自らの手で、
シャルフベックの誕生日ケーキを運んできてくれたのでした。

そりゃ講堂じゃダメだよね。

シェフの説明を聞いてみると、どうもフィンランドの
画家に因んだケーキと言うお題が与えられたみたいで、
それを元に今がシーズンのブルーベリーを使った
ケーキを作ったと言うことのようでした。
形が、フィンランドの国旗の形ですね。

トークイベントの出席者の三名によるケーキカット


そして待望のケーキの配給がありました!
そこそこな大きさのケーキ。

それほど甘くもなく、ブルーベリーが爽やかで美味しかったです。
こう言うイベントで、ケーキまで頂いたのは初めて。

ヘレン、誕生日おめでとう!


お腹も心も満たされたトークイベントでした。
と、上手くまとめてみた(笑)

Patissier Inamura Shozo

東京オトナ大学 藤原正彦氏講演会

2014-11-24 | 講演会
今年もやって来ました東京オトナ大学。

初回はゴールデンウィーク、二回目は5月中旬、
三回目は文化の日、そして今回は、勤労感謝の日と、
年々開催が遅くなっていくのは、気のせいでしょうか(笑)?
どういう事なの?
運営母体が安定していないのかな?

まぁ、そんな事は置いておいて、
今日は、その東京オトナ大学の基調講演を聴講。
講師は、数学者・作家で、お茶の水女子大学名誉教授の
藤原正彦さん。
タイトルは「東京、そして日本のこれから」

つかみは、子供の頃に市ヶ谷付近に住んでいたということで、
「このあたり(丸の内界隈)は自分の縄張りです」と言う
一言から始まります。

そして、JRの系のビルで開催ということで、話題は鉄道の話へ。

鉄道の話題の一つ目は、世界の駅の利用客数の話。
藤原さん曰く、なんと世界の1位から23位までは、
日本の駅が占めているそうです
日本以外では、24位に、やっとパリ北駅が出てくるそう。
藤原さんが暮らしたことが有るイギリスのウォータールー駅は、
日本で言うと、御徒町や津田沼くらいだそうです。
ウォータールー駅って、ユーロスターの発着駅なんですけどね。

そして話は新幹線の事に移ります。
世界的に高速鉄道の導入契機が高まり、日本の新幹線を始め、
フランスのTGV、ドイツのICE、そして中国のものとありますが、
それらとの決定的に違うことを語ります。
高速鉄道の構成要素としては、
1)線路建設などの土木技術
2)信号制御や運行管理のIT技術
3)働いている人のモラル
4)乗っている人のマナー
があると藤原さんは語っています。
1)2)は、世界のどこでも真似できるが、3)4)は真似できないとも。

そう言う、人のモラルというか、マナーに依拠しているものが、
その国の“国柄”と言う事につながるんだそう。
この後、“国柄”と言う事を、藤原さんは何度か触れます。

この後話は、日本の教育のことに。
ここでは、藤原さんが常日頃から語られている
「一に国語、二に国語、三四がなくて五に算数。あとは十以下」
と言う持論が示されます。
藤原さんは、数学者の筈なんですけどねぇ・・・(笑)。
この国語教育が重要であるということには、私も賛成ですね。
昨今の教育改革で、グローバル化と称して小学3・4年生から
英語教育を始める事については、要するに意味が無いと。
そして、IT教育についても、パソコンの使い方を教えるくらいなら、
算数(数学)をやれとも言っていました。
どちらも、私もそのとおりかなと思います。

ここから話は“教養”の話に。
藤原さんがイギリスで暮らした時に、イギリスの人から
日本史に関わる質問をされた事を例示としてあげていましたが、
要は、グローバル化は英語を学ぶことではなく、
自国のことを深くきちんと学ぶことなんですよね。
上記の藤原さんの経験でも、要するにそう言う自国の事について、
きちんと答えられなければ、相手にされなくなると言う事を
言っています。
そういう意味では、日本のトップエリートは教養が全くなく、
世界に伍して戦えないという趣旨のことも。
戦前の旧制高校があった頃はまだ良かったけど、
戦後は旧制高校が無くなって、それから日本のトップエリートは
ダメに成ったと言う事でした。
外交交渉や商談も、交渉の場だけではなく、
その後の、オフの場でも繰り広げられるわけで、
交渉の場で多少話ができたとしても、
その後のオフの場での話がダメであれば、
交渉に勝てないんですよね。
日本が外交交渉に弱いのは、そう言うトップエリートの
教養の無さに原因が有るのかもしれません。

日本の文学は圧倒的に素晴らしいとも言っています。
ワビサビ、もののあはれ等々の日本の情緒は、
欧米人には理解不能であるとも。
文学、数学、物理で重要なのは美的感受性で、
美を追求することが高性能につながり、
昨今のノーベル賞の受賞や、
あるいは日本の工業製品が高性能であることの背景に
あると言う事のようです。
そして、日本文学に溢れる情緒が、その背景にあるとのこと。

最後に、
・惻隠の情。21世紀の重用な言葉
・卑怯を憎む心。これを、子供にはきちんと教えるべき。
と言う事を言っていました。

3.11の東日本大震災に際して、暴動が無かったり、
福島第一で活躍したハイパーレスキュー隊の家族の言葉の
例を引いて、まだまだ日本には、優れたところがあり、
そう言う優れた所が、日本の国柄だとも言っていました。

また、日本は“異常な”国であるとも。
侘び寂びや惻隠の情、3.11での整然としていた被災者・被災地など、
欧米基準では、図ることが出来ない事が日本には有る訳ですが、
それを“異常”と言う言葉で表現されていたわけですが、
確かに、藤原さんの言うとおり、日本は“異常な”国で
あり続けたいですね。

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東京オトナ大学 http://www.otonadaigaku.jp/

国立西洋美術館 ホドラー展記念講演会 『踊る身体と絵画―表現主義から抽象へ』

2014-11-15 | 講演会
快晴の土曜日。
先週にひき続いて上野にGO!

今日は、国立西洋美術館で開催中のホドラー展記念講演会
「踊る身体と絵画―表現主義から抽象へ」
を聴講です。
講師は、武蔵野美術大学教授の田中正之さん。
国立西洋美術館のOBだそうです。

聴講券配布数(=座席)は、140だそうですが、
埋まった座席は、6割~7割位。
そういやぁ、12時の聴講券配布に並んだのは、
ほんの数える程。
先週のウフィツィ美術館展記念講演会の時は、
聴講券配布に、結構並んだんですけどね。
人気が違うのかな?

実は、ホドラー展記念講演会は、今回で2回目。
10/26に第一回目の「フェルディナント・ホドラー 世紀末の曙光」が
あったんですね。
チェック不足だった・・・。

前回は、タイトルから想像するに、
フェルディナント・ホドラーと言う画家そのものについての、
講演のようでしたが、
今回は、彼の作品に込められた意味合いを紐解く内容でした。
結論から先に記すと、非常に面白かったです。

今回の展覧会に出展されている作品はもちろん、
出展されていない作品も交え、上手く解説されていました。

こう言うと失礼かもしれませんが、話は、先週の講師より、
今週の講師の方が上手いですね。
先週の講師の人は、単調で・・・zzz

淡々と事実を並べていくだけではなく、動画も使い、
素人にも理解しやすい内容で、面白かったです。

東京都美術館 ウフィツィ美術館展記念講演会 『フィレンツェ美術とメディチ家』

2014-11-08 | 講演会
科博の『ヒカリ展』のあとは、トビカンに行って
ウフィツィ美術館展記念講演会。
『フィレンツェ美術とメディチ家』と言うタイトルで、
東京都美術館学芸員の小林明子さんの講演です。

14時開演ですが、13時から入場整理券配布ということで、
13時頃に行ってみます。
結構な人が・・・。
驚きです。
とは言え、問題なく入場整理券はゲット。
入場は13:30からですが、他に行くところもないので、
入場開始時間になって速やかに入場して、会場で待ちました。

ルネサンス期のパトロネージの話や、メディチ家の話など、
非常に興味深い内容です。

ボッティチェリの《パラスとケンタウロス》で、
パラスの衣装に、メディチ家を示すダイヤの指輪の印があるとか、
ちょっと作品名を失念してしまったんですが、
ボッティチェリの作品中に、メディチ家の人々が、
カメオ出演しているとか、興味深い内容です。

ただひとつ苦言を呈するとすれば、淡々とした、
一定の口調で話をされるので、睡魔が・・・。
大変でした。
もう少し話し方にメリハリを付けて欲しかったですね。

あと、最後の質疑応答で、学会じゃないんだからさ、
一般の観客に理解不能なやりとり早めてほしいな。
質問者の自己満足だよ。
そういうのは、場所を変えて、学会でやってくれ。

あと、写真の入場整理券の時間が、
実際の時間とは完全に違っているのは、ご愛嬌。

国立西洋美術館 モネ展記念講演会 『ポーラ美術館の印象派とモネの絵画』

2014-01-18 | 講演会
今日は、
『モネ、風景をみる眼 - 19世紀フランス風景画の革新』
の記念講演会があるので、上野に来てみました。

開幕初日の1回目にも来たんですが、今日は、2回目。
1回目はホストの国立西洋美術館の館長の講演だったんですが、
2回目の今日は、共催相手のポーラ美術館の学芸課長に寄る講演。
講演タイトルは「ポーラ美術館の印象派とモネの絵画」、
講演者は、ポーラ美術館学芸課長の岩崎余帆子さんです。

ポーラ美術館の事は、行ったことはないものの、
もちろん知っているんですが、2002年に出来た、
まだ新しい美術館だとは知りませんでした。
企業の創業家のコレクションを元に創立されたと言う、
同じような成り立ちを持つ、ブリヂストン美術館や、
出光美術館、サントリー美術館は、半世紀近い歴史を持つので、
ポーラ美術館も、同じくらいの歴史を持つと思っていました。

と言う事で、講演では、ポーラ美術館の成り立ち、
そして、そのポーラ美術館の実質的創設者鈴木常司の
エピソードなどの話もありました。

収蔵品的には、印象派については、日本国内でも、
屈指のコレクションの様なので、一度は行ってみたいんですが、
よりによって、箱根なんですよねぇ。
車がないと、中々行きにくい。
これが、大阪とか、京都とかなら、遠いけどまだ行けるんですが・・・。

ポーラの話はいいから、もう少し、作品の話が多いと、
もっと良かったですね。

国立西洋美術館 モネ展記念講演会 『モネと日本』

2013-12-07 | 講演会
今日は、
『モネ、風景をみる眼 - 19世紀フランス風景画の革新』
の初日でありますが、初日ということもあるのか、
記念講演会もセットされていました。
テーマは、「モネと日本」
講演者は、国立西洋美術館長の馬渕明子さんです。

先に、展覧会の鑑賞を終了し、午後の講演会の
入場整理券を入手する前に総合案内付近に行ってみると、
既に、入場整理券待ちの行列が形成され始めていました。

って言うか、実は、怪我の功名なんですよねぇ。
実は、記念講演会の入場整理券配布は、13時からだと思っていたんですが、
12時からだったんです。
展覧会を見終わり、会場から出てきたのは、
12時ちょっと前で、まさにジャスト・イン・タイム。
13時だと誤解していたら、大変になるところでした。

講演会で興味深かったのは、多くの所で語られていますが、
モネが、日本の浮世絵から何らかの影響を受けていたであろうという事。
それを、構図が似た浮世絵と対比して説明していました。
モネが、自身の作品を書く前に、それらの浮世絵に接したという
証拠は無いんですが、あれだけ似ていると、何らかの関連性が
疑わずにはいられません。
それと、全てを、自身の作品を描く前に見たとは言いませんが、
それでもなお、アレだけの数の作品が有るわけですから、
何らかの作品は、浮世絵にインスパイアされたと言っても、
過言ではないのでは無いでしょうか?