白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21・二代目タマ’s ライフ374

2024年09月08日 | 日記・エッセイ・コラム

二〇二四年九月八日(日)。

 

早朝(午前五時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

朝食(午前八時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

昼食(午後一時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

夕食(午後六時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

勝手口の網戸から外を見ているタマ。

 

毎日見ているのだが時々雀がやって来てすぐそばのフェンスに止まる。

 

タマはかくかくと歯を鳴らす。獲物だとわかるらしい。

 

雀にすればこの猫が網戸の外へ出てくることはないとわかっているらしくまったく逃げない。

 

タマは目の前の獲物へ飛びかかれないのが悔しいのかまたかくかくと歯を鳴らしてみる。雀は安心しきってフェンスをひとしきりぴょんぴょん移動すると思いのままどこかへ飛んでいく。

 

タマさん、仕方がないよ。

 

悔しいわけじゃないんだ、物心ついた時すでに家猫だったからね。

 

ん~、でも目の前を平気で獲物にうろうろされるとなんか思ったりしない?

 

雀さんってこの相手なら大丈夫だとわかると大胆不敵になるんだなあって思うけど、その意味ではさ、おそろしく人間に似てるのになんでいつも人間と距離を保ってるのかが今ひとつわかんないんだよね。

 

黒猫繋がりの楽曲はノン・ジャンルな世界へ。ブラック・ディセレラント。直訳で「黒い減速」。なんのことか。一方で無意識的かつ大々的な加速主義の世界化があるわけだが、おそらくそれを意識してドゥルーズ&ガタリのいう「遅さ」を実現する試み。Black(黒人)だから半分ジョークでやってみたというのではなく、Black(黒人)ゆえに日常生活は常に切迫した切実さに満ちている。そこで「遅さ」はかえってオルタナティヴたり得る、たり得るだろうと。楽曲タイトルと順番とがわざわざ置き換えられている点も注目。


Blog21・「気まずさ」のつれづれに

2024年09月08日 | 日記・エッセイ・コラム

気まずい時間を埋めてしまいたい、と主人公はこういう。

 

「まあ、この『わかってます』がわかってないわかってますだってことも、わかってるつもりなんですけど」(くどうれいん「鰐のポーズ」『群像・10・P.26』講談社 二〇二四年)

 

どこにでも転がっているステレオタイプなのだが、じゃあ他に何か便利な言葉があるだろうか。よほど機転の利く人間でない限り天才的なアイデアがとっさに出てくることはまずない。

 

さらにこの種のステレオタイプの機能はただ単にその気まずさを「埋めてしまいたい」と思っているという意思表示に過ぎないということとは別に、実際のところ、「埋め合わせる」ことまではできない。どこか間の悪い挨拶のようだ。気まずさの側に高速で占拠されてしまった後でしかなくバランスはどこまで行っても取れない。だから「ヨガ教室」なのだろう。

 

しかし「わたし」にはヨガマットの上でいつまで経っても「慣れない」感覚がある。かといって、では「ようこさん」は果たして慣れているのだろうか。恋愛関係に限っていえば力技で突き崩し強引に再編して見せる以外にないという点から見れば「ようこさん」は「わたし」と変わるところがない。慣れているように見えてはいてもそのじつ慣れたとはとても言えないに違いない。技術的に上達した部分はあるにしても、ヨガの技術とこの感覚的「慣れ」とはまるで話が異なる。「慣れ」のほうは二重性に付き纏われて離れられない。

 

作品はその感覚を幾つかの場面を設定することで描き出す。「ようこさん」はヨガ教室では「美しい」人気者だがサラダの食べ方が異様にアンバランスだ。「わたし」はヨガ教室では冴えないながらもサラダの配分はとてもバランスがいい。

 

ところで、言葉で「埋め合わせる」ことができない場合、貨幣でなら「埋め合わせる」ことができるだろうか。それもできない。そもそも「埋め合わせる」とはなんなのか。それはそんなに必要かと、どんどんメタレベルへ陥ってしまう問いでもある。

 

やりきれない気がしてきそうになるけれども、その感覚が決して大袈裟でないのはいつもの作風だろうと思わせる。ちなみにエッセイではたまに投げやりなところを垣間見せる。小説に落ち着きがあるぶんエッセイの意外さで時折りバランスを取っているようにも思えてくる。もっとも両者はあくまで切り離して考えるべきだと思っているし実際そんなふうに考えている。

 

しかしそれでもなお「慣れ」とはほど遠い気持ちになってくるのが、あえて<それ>とは書かれていないテーマなのかもしれない。


Blog21・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて908

2024年09月08日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

読書再開。といっても徐々に。

 

薬物療法は現状維持。体重減量中。

 

節約生活。

 

質素倹約とか質実剛健とかいうのは

 

違うんだよね

 

それでも江戸時代にはそれなりの内実があったように思える

 

今やただ単なる人気投票

 

あらゆる局面で税がかかってくるというのに

 

なお懲りない体質

 

近代化に失敗した日本は

 

次の総裁選を経てさらに下降線の角度を鋭くしていく

 

なにゆえ?

 

音楽を楽しむ時間(電気料金)も削減中。