白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

言語化するジュネ/流動するアルトー105

2020年01月31日 | 日記・エッセイ・コラム
午前五時はディヴィーヌにとって特別な時間である。教会の鐘の音だ。午前五時。五つの鐘の音が空からディヴィーヌに落ちかかる。三、四年前、ディヴィーヌが霧雨の下を、通りから通りへさまよいながら、雨に濡れないように建物の壁すれすれに通ってコミ箱をあさり回る生活を送っていた頃の思い出にディヴィーヌを落とす。なお、「徹夜した」とあるのはミニョンとの情交が終わって安らぎのうちに「探偵」雑誌に目を通しているとやがて日が明けたわけだが。

「ディヴィーヌは鐘が鳴るのを聞いている(というのも彼女は徹夜しているのだから)。消えゆく音色のかわりに、打つ音、五つの打つ音が敷石の上に落ちてくる、そしてこの打つ音とともに、濡れた敷石の上に、三、四年前、この同じ時刻に、小さな町のいくつかの通りで、ゴミ箱のゴミのなかのわずかなパンをあさっていたディヴィーヌを落とすのだ」(ジュネ「花のノートルダム・P.69」河出文庫)

記憶は閃光のごとく接続される。いまはミニョンのおかげで屋根裏部屋だけは確保できている。だが記憶は教会の鐘の音にまつわる様々なことを忘れてはいない。ディヴィーヌは鐘の音によってまたたく間に変身する。

「いい香りのする屋根裏部屋で、朝のお告げの鐘は、暴力的に彼女を、足を休め、少しは寒くないようにとミサを聞きに、聖体を拝領しにやって来る湿ったボロを纏った浮浪者に変えてしまう」(ジュネ「花のノートルダム・P.69」河出文庫)

さらにディヴィーヌがまだ少年だった頃。「ある小さな町」。パリはまだ遠い。

「彼女がキュラフロワだった頃、そして彼女がスレート葺の家から逃げ出して、ある小さな町に辿り着いた頃の思い出が、しかも苦しみもなく舞い戻ってくる」(ジュネ「花のノートルダム・P.69~70」河出文庫)

現在の鐘の音がなぜかつて鐘の音にともなって記憶された「思い出」を反復させるのか。スピノザはいう。

「もし人間身体がかつて二つあるいは多数の物体から同時に刺激されたとしたら、精神はあとでその中の一つを表象する場合ただちに他のものをも想起するであろう」(スピノザ「エチカ・第二部・定理一八・P.122」岩波文庫)

同性愛者として華々しくデビューすることになったパリは遠いけれども、そこへと繋がる「ある小さな町」にはその町なりの思い出が薔薇のように点々と花開いていた。彼らはどれも夜明けごとに「公園の芝生から生まれたばかり」の初々しさを放っていた。

「その町では、黄金色の、薔薇色の、あるいは蒼白い朝に、人形のようなーーー彼らから見れば、うぶだと思ってしまうーーー魂をもった乞食たちが、まるで兄弟のようだとも言える仕種をしながら近づいてくる。彼らは、寝場所にしている並木道のベンチや、アルム広場のベンチから起き上げり、あるいは公園の芝生から生まれたばかりなのだ」(ジュネ「花のノートルダム・P.70」河出文庫)

ディヴィーヌは記憶がいい。やさしく思い出す方法を身につけてもいる。そのディヴィーヌは同時に残虐非道な美しい少年たちを愛する男性同性愛者ディヴィーヌでもある。
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さて、アルトー。構想は単純だ。アルトーは演劇の転倒を目指している。

「私の『宣言』を一度読んだのに、あなたがあくまで自分の反論にこだわっているとは信じられません、それともあなたはあれを読まなかったか、まずい読み方をしたということです。私のスペクタクルはコボーの即興とは何の関係もないでしょう。私のスペクタクルは、どんなに激しく具体のなかに、外のなかに飛び込もうと、脳の閉ざされた部屋ではなく開かれた自然のなかに根を下ろしていようと、そのために俳優の無教養で軽率な気まぐれに委ねられてはいません。とりわけ現代の俳優ですが、彼は台本から抜け出して飛び込むと、もう何もわからないのです。私のスペクタクルは演劇の運命をこんな偶然に委ねないように私は気をつけるでしょう。そうなのです。実際にはいまにも起ころうとしているのはこのことです。問題となっているのは、まさしく芸術的創造の出発点を変え、演劇のいつもの法則をひっくり返すことです」(アルトー「言語についての手紙」(第二の手紙)『演劇とその分身・P.178~179』河出文庫)

ところが、アルトーの厳密に突き詰めて思考された提案であっても、その思考は言語的次元を経由せずには不可能である以上、形而上学として行われるほかないという壁がいつも立ちはだかる。どれほど具体的な言葉を用いて論じてみてもなお、むしろ具体的であればあるほど欧米形而上学の「なか」にのみ「《われわれは設置されているのだ》」という問題はびくともしないとデリダはいう。

「『思考すること』による形而上学の侵犯には、形而上学に逆戻りするという危険がつねにともなう。かかる問いのなかにこそ、《われわれは設置されているのだ》」(デリダ「エクリチュールと差異・P.397」法政大学出版局)

デリダの危機感もまたここから来ている。常に既にあらかじめ人間は紀元前からずっとヨーロッパ、そして近代世界成立以降は欧米中心主義という形而上学の「なか」に組み込まれて日々それを用いることで欧米中心主義を強化保管するように「《われわれは設置されているのだ》」という《現実において》、何をどのようになすべきか、あるいはなさないべきか。

「おそらくいまやわれわれは、現代演劇がアルトーに誠実であるためにはどのような条件が必要であるか、ではなくて、どのような場合には確実にアルトーに不誠実なものになるか、と問うことができるはずだ。不誠実な主題とはどのようなものだろうか。周知のとおり戦闘的に声高にアルトーを標榜する者たちのなかにさえ、そうした主題は見出される。ここではその主題を列挙するにとどめておこう。以下のものは、疑いなく残酷演劇とは無縁である。

1、聖性を欠いたすべての演劇。

2、言葉(パロール)を特権化するすべての演劇。語によるすべての演劇。たとえこの特権が、自分を破壊したり、身振りや絶望的な繰り返しに復帰する言葉であるとしても、この点には変わりはない。それは言葉の自分自身に対する《否定的な》関係であり、演劇のニヒリズムなのだ。これが依然として不条理演劇と呼ばれているものである。このような演劇は言葉によって憔悴してしまい、古典的な舞台の機能を破壊しないというだけでなく、それは、アルトーが(そしておそらくニーチェが)理解していたような意味での《肯定》とはなりえないだろう。

3、芸術の全体性から何かを排除してしまう、すべての《抽象的な》演劇。芸術の全体性とは、生と生が有する意味作用の資源のことであり、それは、舞踏、音楽、造形的な深み、可視的イメージ、音響、音声等々のことだ。抽象的な演劇とは、意味と感覚の全体性が焼き尽くされてはいないような演劇である。ただし、ここから、『全体的な人間』(アルトー全集・第四巻・P.147)に向けられる全体演劇を創り出すためには、すべての芸術を集めたり並べたりすれば十分だと結論するなら、過ちを犯すことになるだろう。このような寄せ集めの全体性、このような外在的で人為的な猿真似ほど全体演劇からかけ離れたものはない。かえって、舞台上の手段のいくつかを見かけ上憔悴させる方が、彼の『メッセージ』のような何ものかへの忠実性(メッセージという観念がすでにアルトーを裏切っている)について語ることに何らかの意味があると仮定するならーーーわれわれはそのようなことを信じてはいないのだがーーー、今日にあっては、さまざまな芸術と芸術家を総動員したり、嘲笑的で安心しきった警察の監視下で騒擾や騒乱を即興的に作り出すことよりも、破壊の作業における厳密で細心で忍耐強く容赦をしない簡潔さや、依然としてとても堅固な装置を備えた権威的な劇作品にしっかり狙いを定めた簡素な鋭さの方が、より確実に必要とされているのである。

4、すべての異化の演劇。この演劇は、舞台の空間に道を開いて侵入する力や創造的行為に対して観客が(さらに舞台演出家や俳優も)参加しないということを、啓蒙的に執拗に、体系的に重々しく神聖視しているだけだ。『力から切り離されて、力の高揚にただ立ちあうだけの姿勢に精神を押しやろうとする』『芸術に関するヨーロッパの理想』(第四巻・P.15)、すなわち古典的な逆説に、《異化効果》は囚われたままなのである。『残酷演劇では観客は中央に位置し、スペクタクルの方が観客を取り囲む』(第四巻・P.98)のだが、そうなると、もはや視線の距離は純粋なものではなくなり、この距離は感覚可能な場の全体性に対して超然としてはいられない。包囲された観客はもはや自分のスペクタクルを《構成する》ことも、スペクタクルを対象としておのれに与えることもできない。もはや観客もスペクタクルもなく、あるのは《祝祭》なのだ(第四巻・P.102)。古典的な演劇性に張り巡らされているすべての境界(再現前化されるもの/再現前化するもの、シニフィエ/シニフィアン、作者/舞台演出家/俳優/観客、舞台/客席、テクスト/解釈=演技等々)とは、祝祭という危険を前にしての、倫理-形而上学的な禁止であり、皺、渋面、作り笑いといった恐怖の徴候だったのである。侵犯によって開かれる祝祭の空間のなかでは、再現前化の距離はもはや維持されえないだろう。『底のない』『絶対的危険』(一九四五年九月)を前にして、残酷の祝祭は欄干と手すりを取り外してしまう。『私が必要とするのは、何よりもまず存在物であるような俳優たちです。つまり、その俳優たちは舞台上で、ナイフの一撃がもたらす真の感覚を恐れず、また、仮想上の分娩がもたらす彼らにとっては《絶対的に》現実のものである苦痛を恐れたりはしないことです。ムネ・シュリィは自分が行なっていることを信じこんでおり、またそのような幻想を与えていますが、彼は自分が手すりに守られていることを知っています。けれども私はその手すりを消し去るのですーーー』(ロジェ・ブランへの手紙)。アルトーがこのように祝祭と呼んだもの、『底のないもの』のこのような脅威に比べれば、『ハプニング』は微笑をさそう。残酷性の経験にとって『ハプニング』とは、エレウシスの秘儀にとってのニースのカーニヴァルのようなものだ。なぜかと言えば、その最たる理由は、アルトーが命じていた全体的革命を、『ハプニング』は政治的なアジテーションに代えてしまうからである。祝祭は政治的《行為》であらねばならない。そして、政治的革命の《行為》は《演劇的》であるのだ。

5、すべての非政治的演劇。祝祭は政治的《行為》であらねばならないとわれわれは言っているのであって、世界に関する政治道徳的な構想やヴィジョンのーーー雄弁であったりなかったり、教育的であったりなかったり、文明化されていたりなかったりするようなーーー伝達であらねばならないと言っているのではない。もしもこの行為とこの祝祭の政治的意味や、ここでアルトーの欲望を魅了している社会のイメージの考察を行なおうとするならーーーこの場でそれを行なうことはわれわれにはできないがーーー、ルソーに言及して、そこにある最大の近接のなかの最大の差異を確認するのを避けることはできないだろう。ルソーにおいても、古典的なスペクタクルの批判、言語の《分節》に対する不信、再現前化=代理に代わる公共的祝祭という理想と、完全に自己に現前している社会という一種の模範とが結び合わされていた。この社会の模範は、社会生活の決定的な瞬間に、《再現前化=代理》への依拠を無用で有害なものにしてしまう小さな共同体のなかに見出される。ここで言う再現前化とは、代補することであり、政治的であると同じく演劇的でもある代理のことだ。『社会契約論』においても『ダランベール氏への手紙』においてもルソーが嫌疑をかけていたのはーーーそれが何を再現前化=代理するかに関わりなくーーー《再現前化=代理するもの》一般だったという点を、非常に正確に証明することも可能だろう。『ダランベール氏への手紙』でルソーが提案しているのは、演劇による再現前化を、展示されるものもスペクタクルもない、『見るべきものが何もない』公共的祝祭に置き換えることだった。この祝祭では観客自身も俳優にならねばならない。『けれども、結局、このスペクタクルの目的とはどのようなものになるのでしょうか。目的など何もない、と言ってもいいでしょうーーー。広場の真ん中に花で飾られた杭を立て、そのまわりに民衆を集めてごらんなさい。すると祝祭が始まるでしょう。もっといいやり方があります。観客たちをスペクタクルにしてしまい、彼ら自身を俳優にしてしまうのです』。

6、すべてのイデオロギー演劇、すべての文化的演劇、すべてのコミュニケーションと《演技》による演劇。これらの演劇はある内容を伝達し、(政治的、宗教的、心理的、形而上学的というふうに、その性質がいかなるものであれ)あるメッセージを送ろうとしており、聴衆たちに対して言説の内容を読みものとして与えるのであって、舞台の《行為》と《現在という時間》によって完全に汲み尽くされることはなく、舞台と一体となることもなく、舞台がなくとも《反復される》ことが可能なのだ。われわれはここでアルトーの企ての深い本質のごときもの、彼の歴史-形而上学的決断に触れている。《アルトーは反復一般を消し去りたいと望んでいた》。彼にとって反復は悪であり、そしてこの点を中心にして、彼のテクストの読解の全体を組織することもおそらく可能だろう。反復は力、現前、生をそれ自身から切り離す。この分離は、自己を守るために自己を差異化して自己を延期するもの、消費を抑えて恐れに屈するものの節約的(エコノミック)で打算的な挙措なのだ。このような反復の力が、破壊したいとアルトーが望んでいたもののすべてを支配していたのであり、そして、その力はいくつもの名前をもっているのである。すなわち、<神>、<存在>、<弁証法>。<神>とは永遠性であり、その永遠性の死は果てしなく続いていて、生の内なる差異と反復として、生を脅かすことを決してやめない。われわれが恐れねばならないのは、生きた<神>ではなくて、<死んだ神>なのだ。<神>とは<死>である。『なぜなら無限さえも死んでしまったからだ、/無限とはある死者の名前だ/だが、その死者は死んではいない』(『84』)。反復が存在するやいなや、<神>がそこにいる。そして、現前するものはおのれを保持し保留する。言い換えるなら、現前するものは自分自身から窃取されるのだ。『絶対的なものは一個の存在者ではない。それは決して一個の存在者になることはない。なぜなら、それが存在者になるためには、私に対して犯罪を犯すことが必要だからだ。つまり、私から一個の存在者を引き剥がさねばならないのだ。その存在者は、いつの日か神になることを望んでいた。だが、そんなことはありえない。<神>には、たった一度で自分のすべてを現すことなどできないのだ。<神>は永遠が無限の回数にわたって永遠に繰り返されるあいだ、無限に何度も何度も現すものだからだ。これによって永続性が創り出されるのである』(一九四五年九月)。再-現前的な反復のまた別の名前は<存在>である。<存在>という形式のもとでは、生と死の諸々の形式や諸々の力の無限の多様性が無際限に語のなかで混ぜ合わされ反復されるようになる。というのも反復の可能性によって構成されない語や、より一般的に言えば、記号などないからだ。反復されない記号、その『最初』においてすでに反復によって分割されていないような記号は記号ではない。したがって、記号作用としての返送は、それが毎回同一のものに返送されるためには、理念的なものでなければならないーーーそして理念性とは反復によって確立される力でしかないのだ。それゆえ、<存在>は永遠の反復の支配語であり、生きることに対する<神>と<死>の勝利なのである。(たとえば『哲学の誕生』における)ニーチェと同様に、アルトーは<生>を<存在>に包摂させることを拒否し、系譜の順序を逆転させる。『まず最初に生きること、それから魂に従って存在すること。存在の問題はその帰結でしかない』(一九四五年九月)。『人間の身体にとって、存在ほど大きな敵はない』(一九四七年九月)。別の未刊のテクストのいくつかは、アルトーが独自に『存在の彼方』(一九四七年二月)と呼ぶものに価値を与えようとしている。その際アルトーは『存在の彼方』というプラトンの表現を(アルトーがプラトンを読んでいたことは疑いないのだが)ニーチェのスタイルで用いているのだ。最後に、<弁証法>とは、消費が現前性のなかに回収される運動である。それは反復の経済(エコノミー)であり、真理の経済(エコノミー)なのだ。反復は否定性を《概括》し、過ぎ去った現在を真理として、理念性として集約し保持する。真なるものとはつねに、反復されるものなのである。非-反復、たった一度のうちに現在を使い尽くす回帰なき断固たる消費、これらは恐れをいだく論証性に、迂回しえぬ存在論に、弁証法に終止符を打つに違いない。『弁証法(ある種の弁証法)は私を破滅させたものであるのだからーーー』(一九四五年九月)。

つねに弁証法はわれわれを破滅させるものであった。なぜなら、弁証法はつねにわれわれの拒否《を考慮ずみ》であるからだ。同様に弁証法はわれわれの肯定をも考慮ずみなのである。反復としての死を拒否することは、死を、回帰することのない、現在の消費として肯定することである。そして、この逆も成り立つ。これが、肯定に関するニーチェ的反復をおびやかす図式である。現在の唯一性を死に付与して現在《そのもの》を出現させようとする純粋な消費、絶対的な気前よさはすでに、現在の現前性を保持したいと望み始めているのだ。それはすでに書物と記憶を開始し、記憶としての存在の思考を開始しているのである。現在を保持しようと望まぬこと、それは、現在において代替不可能で死にゆく現前性を構成するもの、つまり、現在のうちにあって反復されぬものを保護したいと望むことだ。すなわち、それは、純粋な差異を享受することである。ヘーゲル以降に思考されている思考の歴史の基盤が、血の気のない粗描にまで縮減されたなら、以上のごときものになるはずである。

演劇の可能性とは、悲劇を反復として考察するこのような思考に課せられた炉心である。反復の脅威が演劇ほどに組織されている場は他にはない。反復の起源としての舞台に、原初的反復に、これほど近づける場所は演劇以外にはない。この反復を、それ自身から、またそのドゥブルから引き離して、消去しなければならないのだ。ここでいうドゥブルは、アルトーが『演劇とその分身(ドゥブル)』について語っているような意味ではなく、襞、内的な重複を指し示しており、これが反復の抑え難い運動によって、演劇や生などから、その現在の行為がもつ単一の現前性を窃取してしまうのである。『一度』とは、意味も、現前性も、判読可能性ももたぬものの謎だ。ところで、アルトーにとって、残酷の祝祭はたった《一度》しか起こってはならないのである。『テクストの批評は学者を気取る者たちに、形式の批評は審美家たちにまかせよう。すでに語られたことはもはや語られるべきではないということ、表現は二度価値をもちはしないし、二度生きたりはしないということ、口にされた言葉はどれもみな死んでおり、その言葉が作用するのはそれが口にされる瞬間だけだということ、使用された形式はもはや役に立たず、ただ別の形式を探すように誘うだけだということ、演劇=劇場は、為された行為が二度繰り返されないこの世で唯一の場所だということ、これらのことを認めることにしよう』(第四巻・P.91)。事実、見かけはその通りである。演劇の再現前化が終了すると、その背後には、その現在性の背後には、いかなる痕跡も、持ち帰るべきいかなる客体も残されないのだ。演劇の再現前化とは書物でも作品でもなく、現実態(エネルゲイア)である。かかる意味で、演劇の再現前化は唯一の生の芸術なのである。『演劇が教えるものとは、まさしく、一度為されたならもはや為されるべきではない行動の無用性であり、行動によって無用なものにされた状態の卓越した有用性であって、かかる状態が《逆転して》昇華を産み出すのだ』(P.99)。このような意味において、残酷演劇は、経済=節約も留保も回帰も歴史も欠いた差異と消費の芸術だと言えるだろう。それは純粋な差異としての純粋な現前である。残酷演劇の行為は忘れられねばならない。それも、積極的に忘れられねばならない。ここでは、『道徳の系譜』の第二論文が語る、あの《積極的な忘却》を実践する必要がある。『道徳の系譜』もまた『祝祭』と『残酷性』をわれわれに説明してくれるのだ。

非演劇的エクリチュールに対するアルトーの嫌悪も同じ意味を持っている。アルトーに嫌悪を抱かせるものは、『パイドロス』の場合のように、身体の身振りではない。つまり、魂のなかへ真理を記入することとは無縁な、記憶を低下させる感覚的で記憶術的な刻印ではないのだ。反対に、知解可能な真理の場としてのエクリチュール、生きた身体にとっての他者、理念性、反復こそがアルトーに嫌悪を抱かせる。プラトンはエクリチュールを身体として批判する。アルトーはエクリチュールを身体の消去、一度しか起こらない生きた身振りを消去するものとして批判する。エクリチュールとは反復一般の空間そのものなのである。だからこそ、『テクストと《書かれた》詩という、この迷信と手を切らねばならない。書かれた詩は一度だけ価値を持ち、その後では廃棄されるべきだ』(第四巻・P.93~94)。

このように不誠実性の主題を示してみれば、ただちに分かることだが、誠実は不可能である。今日、世界のどこにもアルトーの欲望に応える演劇は存在しない。この点からすると、アルトー自身の試みも例外ではないだろう。誰よりもアルトー自身がそのことを承知していた。残酷演劇の『文法』とは『見出すべき』ものだとアルトーは語っていたのだが、この『文法』はつねに到達しえない限界であり続けるだろう。それは、反復ではない再現前化、十全な現在であって自己のうちに自己の死としての自己の重複(ドゥブル)を含まぬ《再》-現前化、反復しない現在、つまり時間の外の現在、非-現在という限界なのである。現在が現在として与えられ、出現し、現前化し、時間の舞台ないし舞台の時間を開くのは、自己の内部にある固有の差異を現在が受け入れる場合のみであり、また、それは、現在の起源的反復の内にある襞において、再現前化においてでしかない。すなわち、それは弁証法においてでしかないのだ。

アルトーはこのことをよく承知していた。『ーーーある種の弁証法ーーー』。なぜなら、弁証法の《地平》をそれにふさわしい形でーーー慣例的なヘーゲル主義の外でーーー思考するなら、弁証法が有限性の、生と死の統一の、差異の、起源的反復の、無際限な運動であることがおそらく理解されるはずだからだ。言い換えるなら、弁証法とは、単一の起源の不在としての、悲劇の起源なのだ。かかる意味で、弁証法は悲劇であり、純粋な起源という哲学的ないしキリスト教的観念に抗し、『始まりの精神』に抗する唯一可能な肯定なのである。『だが、始まりの精神は私に愚かなことばかり行なうように仕向け続けたのであり、そして私の方はキリスト教精神である始まりの精神から身を引き離そうとし続けたのだーーー』(一九四五年九月)。悲劇的なものは反復の不可能性ではなく、反復の必然性なのだ。

残酷演劇が始まり成就されるのは、単一の現前の純粋性においてではなく、すでに、再現前化においてであり、『<創造>の第二期』においてであり、単一の起源の葛藤では決してありえなかったような、諸力の葛藤においてであることをアルトーは承知していた。おそらくそこで残酷性の実践の開始が可能になるのだが、また、それによって残酷性は《損われる》ことになる。起源はつねに《損われて》いるのだ。これが演劇の錬金術である。『おそらく先へ進む前に、ひとは、典型となる原始的演劇ということで、われわれが何を言おうとしているのか、と尋ねることだろう。これによって、われわれは問題の核心そのものに入っていく。もしもひとが実際に演劇の諸起源と存在根拠(あるいは原初的な必然性)の問いを提起するなら、ひとは、一方では形而上学的に、ある種の本質的な劇(ドラマ)の物質化、あるいはむしろその外在化を見出す。この劇には、多様であると同時に単一な仕方で、あらゆる劇の本質的な諸原理が含まれているだろう。この諸原理はそれら自身としてすでに《方向づけられ》、そして《分割され》ており、原理としての性格を失うにはいたらなかったが、諸々の葛藤の無限のパースペクティヴを、たっぷりと能動的に、つまり、すぐにでも放出できるほどに含みもつには十分であった。このような劇を哲学的に分析するのは不可能である。詩的にのみーーー。そして、人々が完璧に感じているように、この本質的な劇は実在する。この劇は、<創造>そのものよりも繊細な何ものかの似姿として存在する。<創造>とは一なるーーーそして《葛藤なき》ーーー<意志>から帰結したものとして思い浮かべるべきものなのだ。本質的な劇はーーーこれはあらゆる<大いなる神秘>の基盤に存しているのだがーーー、<創造>の第二期と、困難と<分身>の時期と、物質と観念の凝固の時期と結合するのだと信じなければならない。単一性と秩序が支配しているようなところでは、演劇も劇もありえないように思われる。真の演劇は、しかも詩と同様に、ただし詩とは異なる道を経て、自己を組織立てる無秩序(アナーキー)から誕生するーーー』(第四巻・P.60、61、62)。

したがって、原始的演劇と残酷性が始まるのは、反復からでもあるのだ。だが、再現前化なき演劇という観念、この不可能なものの観念は、たとえ演劇の実践を制御する手助けにはならないとしても、おそらくわれわれが演劇実践の起源、その前日、その限界を思考し、今日において演劇をその歴史の開始を起点にして、その死の地平のなかで思考することを可能にしてくれる。西洋演劇の現実態(エネルゲイア)はこのようにその可能性のなかに浮かびあがってくるのだが、この可能性の方は偶発的なものではなく、<西洋>の全歴史にとって、構成する中心であり、構造化する場なのである。しかし反復はこの中心とこの場を窃取し、そして、われわれがその可能性について語ったばかりのことがらは、死を《地平》のように、また、誕生を過去における《開始》のように語ることをわれわれに禁じることになるだろう。

アルトーは、純粋演劇の可能性と不可能性という限界の最も間近にいたのである。現前は、それが現前となり、そして自己への現前となるために、つねにすでに再現前化され始めていたのであり、つねにすでに損われていた。肯定そのものも、みずからを反復することによって、みずからを損わねばならぬのである。これが意味するのは、再現前化の歴史と悲劇の空間を開始する父の殺害、アルトーがその起源の最も間近で、要するに、反復したい、ただし《たった一度だけ》反復したいと望んだ父の殺害は終焉することがなく、無際限に反復されるということだ。父の殺害は反復されることによって始まる。この殺害は消え去り、そして、侵犯された法を確立する。そのためには、一個の記号が、すなわち反復がありさえすれば十分なのである。

この限界の表面の下で、そして、内的差異も反復も欠いた現前の純粋性(あるいは、純粋な差異の純粋性と言っても、逆説的だが同じことになる)を救いたいと望む限りで、アルトーは演劇の不可能性をも欲した。すなわち、アルトー自身が舞台を消し去りたいと望んでいたのであり、つねに父によって住みつかれ、あるいは取り憑かれ、殺害の反復によって支配された場所で起こるようなことなどもはや見たくないと望んでいたのである。『ここに眠る』のなかで『私ことアントナン・アルトー、私は私の息子であり、/私の父であり、私の母であり、/そして私だ』と書いて、原-舞台を解消したいと望んだのは、アルトーではなかっただろうか」(デリダ「エクリチュールと差異・P.488~501」法政大学出版局)

というところで、次回から再び「傑作と縁を切る」の途中の箇所、いったん放置しておいた部分へ戻ってみることにしたい。
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なお、新型ウイルス感染問題について。日本のマスコミは連日報道し続けている。正確な情報の提示が必要なのは言うまでもない。世界ではすでに撲滅されたウイルスは様々ある。だが研究は続けられなくてはならない。なのでそれら稀少ウイルスを研究目的で保存している機関はもちろんある。CDC(アメリカ疾病管理予防センター)もその一つ。WHO(世界保健機関)の上級職は慣例的にCDC(アメリカ疾病管理予防センター)出身者が多いことでも知られる。さて奇妙なことに、アメリカには新型ではないものの年単位でみて同時多発的ウイルス感染を越える死者数がはじき出されている部門がある。銃による年間死者数だ。新型ウイルスの場合、たとえばSARSが大流行したのは二〇〇三年。死者数774人。さらにMERS大流行は二〇一二年。死者数858人。ところがそれ以降に限ってみても、たとえば二〇一六年の統計を見ると、全米での銃による総死者数は約39000人にのぼっている。銃乱射事件での死者数は451人。銃による殺人での死者数は約14000人。しかし最も多いのは自殺である。銃による自殺者数は約23000人にのぼる。それら銃による死者数だけを合わせて十年単位でみると年間約3万人が銃によって死んでいることになる。数十人単位の犠牲者が出る銃乱射事件は日本でも報道されるが、個別的な銃殺の場合、貧困地域、家庭内、繁華街の飲食店の中、街路でのすれ違いなど、それら一つ一つは報道されない。さらに銃を用いた自殺の場合になると世界的有名人以外まったく報道されない。「パンデミック」と「アウトブレイク」はどちらも医学/医療用語である。しかし「アウトブレイク」でありなおかつ「パンデミック」の要件を満たすSARSやMERS流行期の死者数と比較した場合はもちろんのことだが、さらにSARS感染での死者数とMERS感染での死者数との合計死者数をさえ、アメリカ国内での銃による総死者数はたった一年間だけでもそれらを遥かに上回っていることを忘れ去ってしまってはならないだろうと考える。

またさらに薬物(ドラッグ)による死者数(二〇一七年に年間7万人超)が加わる。だがアメリカ当局者はその原因について「医師が処方箋薬を大量に出したため」としている。だが「クスリなしで仕事に出かけることは無理」と答える多くのビジネスパーソン、労働者らにとって、「クスリなしで仕事を続けることはもう限界だ」と発言するのは困難でもある。アメリカ社会はすでに病気であるという事実を認めることになる。事実を口にすると職を失うことになりかねない。もし失業すれば今度、家族、親しい人、近い人など、それらをどうやって養っていくのかという危機感がいつもある。また、相当強力な作用を持つドラッグ使用に関し、諸外国に比べてアメリカは寛容だ。グローバル資本主義の頂点に位置していなければ気が済まないアメリカ国家当局は、社会的レベルで錯綜した諸問題をこつこつと解決していくより、「医師が処方箋薬を大量に出したため」に薬物依存による死者が急増したと責任転嫁を図っている。しかし問題はそこまでしないと回っていかないアメリカ社会の構造的欠陥にあるのは明白であり以前から国内外を含め再三に渡り指摘されてきた。アメリカは自国第一主義を掲げてTPPから離脱し自由貿易を反故化したーーー抵抗勢力を軍事力で押さえ込んだーーーにもかかわらずアメリカはますます自浄作用を失っていっているように見える。ベイトソンはいう。

「個々の生物でもその集団でも、自分たちが生き残ることだけを考え、他者を力で圧倒することが『適応』なのだと考えて、その原則の上に行動を組み立てていったとしたら、その《進歩》の行き着くところが自分たちの生きる場の破壊でしかないことは、過去百年の歴史を見るとき、あまりに明白であります。環境を破壊することは、自らを破壊する確実なやり方です」(ベイトソン「精神の生態学・P.599」新思索社)
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さらに、当分の間、言い続けなければならないことがある。

「《自然を誹謗する者に抗して》。ーーーすべての自然的傾向を、すぐさま病気とみなし、それを何か歪めるものあるいは全く恥ずべきものととる人たちがいるが、そういった者たちは私には不愉快な存在だ、ーーー人間の性向や衝動は悪であるといった考えに、われわれを誘惑したのは、《こういう人たち》だ。われわれの本性に対して、また全自然に対してわれわれが犯す大きな不正の原因となっているのは、《彼ら》なのだ!自分の諸衝動に、快く心おきなく身をゆだねても《いい》人たちは、結構いるものだ。それなのに、そうした人たちが、自然は『悪いもの』だというあの妄念を恐れる不安から、そうやらない!《だからこそ》、人間のもとにはごく僅かの高貴性しか見出されないという結果になったのだ」(ニーチェ「悦ばしき知識・二九四・P.309~340」ちくま学芸文庫)

ニーチェのいうように、「自然的傾向を、すぐさま病気とみなし」、人工的に加工=変造して人間の側に適応させようとする人間の奢りは留まるところを知らない。昨今の豪雨災害にしても防災のための「堤防絶対主義」というカルト的信仰が生んだ人災の面がどれほどあるか。「原発」もまたそうだ。人工的なものはどれほど強力なものであっても、むしろ人工的であるがゆえ、やがて壊れる。根本的にじっくり考え直されなければならないだろう。日本という名の危機がありありと差し迫っている。

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言語化するジュネ/流動するアルトー104

2020年01月30日 | 日記・エッセイ・コラム
不意をついてイエスの名が出てくる。しかしジュネは慎重に言葉を選んでイエスといっている。けっして揶揄したりするわけではない。不意打ち的な愛の侵入はあたかもイエスのようにしずしずと、物音一つ立てず、「泥棒のようにこっそりやって来る」。ジュネたちはそう感じる。

「私は愛が人々を驚かすやり方を発明して遊びたいと思う。それはイエスのように激昂した者たちの心のなかにやって来る、それはまた泥棒のようにこっそりやって来る」(ジュネ「花のノートルダム・P.60」河出文庫)

そして何を出現させるかというと、或る種の下品この上ない「隠語」の爆発的連鎖である。囚人たちはしばしば言葉遊びを用いて興奮しよう、快楽しよう、官能しようと賢明に励む。いっそう下品な、耳を覆いたくなるような下品極まりない瀆聖の笑い声がほとばしり響き渡る。場所はどこか。監獄の中だ。神を罵ることにかけて監獄の中ほど深く激烈な場所はほかになく、神に祈ることにかけて監獄の中ほど深く敬虔な場所もほかにないだろう。ところでジュネはディヴィーヌとミニョンが二人して日曜礼拝から下宿へ戻るやいなや二人とも我を忘れて性行為に没頭するほかないと述べていた。とはいえ、どのような性行為だろうか。男性同性愛者のすべてがそうであるとは言わない。「泥棒日記」の中では「限られた読者に向けて」書いているに過ぎないと述べているように。しかし同性愛者であろうとなかろうとそれがどのような《営み》であるか、読み取れる読者には読み取れるに違いない。ジュネは次のように言い換える。

「別れる前に、殴り合っている(戦っているのではない)二人の若いボクサーが互いのシャツを引き裂き、そして彼らが裸であるとき、あまりの美しさに茫然として、自分の姿を鏡で見ていると思い込み、しばしあっけにとられて、もつれた髪の毛をーーーひどい目に遭ったことに激怒してーーー振り乱し、じっとりした微笑みで互いに笑いかけ、そしてグレコ・ローマン・レスリングのレスラーのように互いを抱きしめ合い、相手の筋肉が示すがっちりとした組み合いのなかで彼らの筋肉をぴったり包み込み、しかも彼らの生温かい精液が高くほとばしり、水夫座、ボクサー座、競輪選手座、豚箱座、アルジェリア先住民騎兵座、短刀座といった、私が読むことのできる他の星座がそこに含まれる天の川を空に描くまで、絨毯の上にばったり倒れこむように、互いを愛し合うこと。こうして天の新しい地図が、ディヴィーヌの屋根裏部屋の壁の上に描かれる」(ジュネ「花のノートルダム・P.61~62」河出文庫)

作品「ブレストの乱暴者」のラストシーンでも応用された描き方だ。性行為は或る種の闘争にほかならないとジュネは言いたくてたまらないのである。それはそれとしてディヴィーヌだが、幼少期から田舎で育ったため日常生活は農業(特に果物)と切り離して考えることはできない。やたらと花の枝を折り取って花瓶に入れる都会の風習を見たディヴィーヌは傷つく。

「モンソー公園への散歩から、ディヴィーヌは屋根裏部屋へと戻る。飛行中のピンクの花々に支えられた桜の木の枝が、硬直して黒々と、花瓶から突き出ている。ディヴィーヌは傷ついている。田舎では、百姓たちが果物となる樹々を大事にするように、その花々を飾りのように見ないように彼女に教えたので、もうけっして彼女はそれらを賞賛することはできないだろう。折れた枝は彼女の心を傷つける、年頃の娘の殺害があなたたちを傷つけるだろうように」(ジュネ「花のノートルダム・P.62」河出文庫)

花々の枝を手前勝手に折り取る都会の風習は、ディヴィーヌにとって、果物へ変身しつつある花々に対する冒涜だと感じられる。しかしその刃物による容赦のない荒々しい冒涜の仕ぐさを見て快楽を禁じ得ないディヴィーヌは、冒涜を美へ高めようと、あるいは冒涜による傷つきを進んで引き受けることで冒涜を乗り越えようとして、みずから花々を「引き裂く」。引き裂かれた花々は、冒涜によってなされつつ、その荒々しさにもかかわらず、しかし愛ゆえ、かえって愛撫に似る。ディヴィーヌは自ら「引き裂かれた」花々として愛撫の感情に身を委ねる技術を手に入れる。
ーーーーー
さて、アルトー。なかなか理解されない「残酷」という言葉の意味。わざわざ手紙を用いて補足的説明を行なっている。

「この『残酷』においてはサディズムも血も問題となってはいません、少なくとも独占的な形では」(アルトー「残酷についての手紙」『演劇とその分身・P.164』河出文庫)

もちろんそうだ。と言えるのは今の読者はすでにポストモダンを通過してきたからであり、もしその通過がなかったら、今なおアルトーがおちいったパラドックスについて鮮明に理解できていたかどうか定かでない。とはいえ、強烈なダブルバインドにおちいった「イルカ」がしばらくの沈黙の後で突然パラドックスを突破するエピソードに触れるにはまだ早過ぎる。ましてやアルトーはイルカでなく人間だ。徹底的に格闘するし格闘するほかない。

「私は一貫して恐怖を培っているのではありません。残酷というこの言葉は広い意味で取らなければならないですし、通常この語に与えられている物質的で獰猛な意味でではないのです」(アルトー「残酷についての手紙」『演劇とその分身・P.164』河出文庫)

残酷演劇では、古代の戦争で行われていたように敵の身体を切り刻んだり切り取った首を高々と掲げて勝利を祝ったりするわけではない。そんなことはむしろアルトーのいう「残酷」のうちに入らない。アルトーが狙いを定めているのは西洋形而上学という根本的暴力だからである。ステレオタイプ(社会的文法)によって根底から規定されてしまった西洋形而上学を演劇によって乗り越えられないか。それが問題なのだ。だからアルトーは残酷の定義をより一層明確にしなければと、次のように述べる。

「肉を切り裂かなくても、純然たる残酷をちゃんと想像することができます。そして哲学的に言って、そもそも残酷とは何なのか、精神の観点からすれば、残酷は厳格を、熱心と仮借ない決定を、不可逆的で絶対的な決意を意味します」(アルトー「残酷についての手紙」『演劇とその分身・P.164』河出文庫)

要するに、残酷なのは、「厳格」で「熱心」で「仮借な」く「不可逆的」で「絶対的」な「決意」だという。またそれは何ら特別な行為でも発言でもなく逆に十年一日のごとく普通の人間が日常生活で反復していることだ。

「残酷は何よりもまず明晰なものであり、それは一種の厳格な方針であり、必然性への服従なのです」(アルトー「残酷についての手紙」『演劇とその分身・P.165』河出文庫)

なぜこんなにも「厳格」であり「必然」的であり、その「明晰さ」において承認さえしなければならない「服従」であるのか。それこそ残酷以外の何ものであろうか。そうアルトーは問う。

アルトーはバリ島演劇について何を語っていたか。

「これらの腹わたからの叫び、これらの転がる目玉、この絶えざる抽象、これらの枝のざわめき、これらの木を伐採し転がす音、そういったすべては広がった音の巨大な空間のなかにあり、いくつかの泉から吐き出され、そういったすべてが、抽象的なものの新しい構想、あえて言うなら、具体的な構想のようなものを、われわれの精神のなかに立ち上がらせ、結晶化させるのに協力する」(アルトー「バリ島の演劇について」『演劇とその分身・P.103』河出文庫)

唐突な身振り仕ぐさの多用によって現わされる別様の言語。それらすべてから「新しい構想」を「結晶化」させねばならないと考える。ところがバリであろうとなかろうと反復されるものはなぜ反復可能なのかが問われなければならない。というのは、反復を可能にしているのはアルトーが狙いを定めている西洋形而上学の言語的仕組み(社会的文法)そのものだからである。バリ島演劇であっても、観衆/大衆が理解するようになれば、それはその時点ですでに未知のものでも何でもなくなってしまう。むしろ逆に翻訳可能なものだったと安心させるばかりなのだ。どんな身振り仕ぐさも翻訳され、「或る意味」として受け取られてしまう。未知の領域は既知の領域へと還元されて観衆/大衆のための新しい演劇の内部へ回収されてしまうばかりである。だから言ってしまえば、アルトーがおちいったパラドックスは最初から逆説含みだったのである。デリダはこう述べている。

「アルトーの『形而上学』は、それが最も批判的となる瞬間に、西洋形而上学をーーーそして、その最も深く最も恒常的な目標をーーー成就することになる。しかし、アルトーは、そのテクストの最も難解な別の転回によって、差異の《残酷な》(つまりアルトーがこの語を理解していたような意味で言うなら、必然的な)法則を肯定している」(デリダ「エクリチュールと差異・P.396」法政大学出版局)

形而上学によって規定された身体言語を含む言語的構造を形而上学によってどれほど議論し演じ直してみたとしても、やればやるほどかえってその同じ行為が従来の形而上学を逆により一層強化し保管することになってしまうというパラドックスである。

「人が行う残酷のなかには一種の高度な決定論があり、拷問執行人自身もそれに従い、しかも場合によっては、彼はそれに耐えることを《決意している》はずなのです」(アルトー「残酷についての手紙」『演劇とその分身・P.165』河出文庫)

アルトーのいう「残酷のなか」には「一種の高度な決定論があ」るとアルトー自身はよく認識している。むしろ最も深く認識していたのはアルトー自身に違いない。すべてがすでに形成事実として進行していくばかりの「決定論」と「必然論」に満ち、遂には「運命論」にまで達してしまっている世界。アルトーは自分自身で気づいていながらあえて絶望的地点から語っていたのだと言える。人間のすべての行動を根底から規定している言語的形而上学的構造(社会的文法)はすでに余りにも深く広く根を張っていた。それはもはや自然状態のレベルにさえ達していた。次のように。

「社会的生産関係とそれに対応する生産様式との基礎をなす自然発生的で未発達な状態にあっては、伝統が優勢な役割を演ぜざるをえないということは、明らかである。さらに、現存の事物を法律として神聖化し、またこの事物に慣習と伝統とによって与えられた制限を法的制限として固定することは、ここでもやはり社会の支配者的部分の利益になることだということも、明らかである。ほかのことはすべて別として、とにかく、こういうことは、現存状態の基礎つまりこの状態の根底にある関係の不断の再生産が時のたつにつれて規律化され秩序化された形態をとるようになりさえすれば、おのずから起きるのである。そして、この規律や秩序は、それ自身、どの生産様式にとっても、それが社会的な強固さをもち単なる偶然や恣意からの独立性をもつべきものならば、不可欠な契機なのである。これこそは、それぞれの生産様式の社会的確立の形態であり、したがってまた単なる恣意や偶然からのその相対的な解放の形態である。どの生産様式も、生産過程やそれに対応する社会的関係が停滞状態にある場合には、それ自身の単なる反復的再生産によってこの形態に到達する。この形態がしばらく持続すれば、それは慣習や伝統として確立され、ついには明文化された法律として神聖化される」(マルクス「資本論・第三部・第六篇・第四十七章・P.296」国民文庫)

アルトーはいう。

「作用するものはすべて残酷である」(アルトー「演劇と残酷」『演劇とその分身・P.137』河出文庫)

たぶんそうだ。現代社会は常にこの種の残酷さをこうむっているばかりか逆に率先してこの方向を、ますます残酷になる現実社会を、わざわざ自分自身の手で加速的に推し進めている。ただ単に残酷だというのでなく、事態はますます洗練されたものへ変化している。現代社会の言語的形而上学(社会的文法)がアルトーの時代を越えてどれほど残酷化したか。実際、繰り返し洗練されてきた残酷さはもはや残酷に見えないほど洗練されたものになってしまった。ほとんど誰もそこにある「不思議なものを不思議だ」とおもわないまでに達している。

「私たちは、後を追って継起する規則的なものに馴れきってしまったので、《そこにある不思議なものを不思議がらないのである》」(ニーチェ「権力への意志・下巻・六二〇・P.153」ちくま学芸文庫)

にもかかわらずそれは底無しであるというのに。

「超越論的探求の特性は、好きなときにやめることができないという点にある。根拠を規定するにあたって、さらなる彼岸へと、根拠が出現してくる無底のなかへと、急き立てられずにいることなどどうしてできよう」(ドゥルーズ「ザッヘル=マゾッホ紹介・P.173」河出文庫)

ここで言われている「超越論的探求」はヘーゲルのいう「絶対精神」でありマルクスのいう「物質的生産力」である。そしてその特性は「好きなときにやめることができないという点にある」。アルトーにはもう進む道程はないのか。デリダはアルトーに不可能という宣告を下して去っただけなのか。そうではない。デリダはアルトーの方法に対して不可能を宣告したが、アルトーが目指したことはまったく救いようのないほど不可能だといっているわけではない。むしろアルトーは残酷演劇という新しい演劇手法の提唱によって、欧米形而上学を支配してきた限界点(リミット)の指摘に成功した。欧米の形而上学に向けて避けて通れない問題を投下した。その点で注意深く拾っていくべきところは幾らでも出現してくる。しかしそのすべてを類別するだけでは形而上学による形而上学的類別という空虚な反復に過ぎなくなってしまう。そこでデリダは考える。アルトーに従う限りアルトーが直面したパラドックスを突破することは不可能である。したがってアルトーに対して誠実であることはできない。けれどもアルトーに対して不誠実になることは現状追認する傍観者の態度でしかない。「いじめる/いじめられる」関係において、いじめる側の好き放題を見て見ぬふりする傍観者の態度と違わない。どうしたらよいのか。救いようのないほどステレオタイプ化してしまった単なる演劇/舞台を再生産してどこまでも現状追認することで演劇が演劇自身を殺害するままに任せてしまうか、それともステレオタイプな次元とはまた別様の異なる次元を注意深く模索しつつ、アルトーに対して誠実であることで欧米中心主義的形而上学のパラドックスにおちいることなく、少なくともアルトーの試みに対して不誠実にならない可能性を見出すことはできないだろうかとデリダはいう。アルトーへの誠実さは形而上学的パラドックスという転倒を招く。そうではなく、少なくともアルトーに対して不誠実にならない主題の探究はまだまだ可能ではないだろうか。「次元の移動」と「移動した次元」の《あいだ》で生じる《形而上学の抹殺》ーーーニーチェが《祝祭》という意味でのーーーは可能ではないのかと。
ーーーーー
さらに、当分の間、言い続けなければならないことがある。

「《自然を誹謗する者に抗して》。ーーーすべての自然的傾向を、すぐさま病気とみなし、それを何か歪めるものあるいは全く恥ずべきものととる人たちがいるが、そういった者たちは私には不愉快な存在だ、ーーー人間の性向や衝動は悪であるといった考えに、われわれを誘惑したのは、《こういう人たち》だ。われわれの本性に対して、また全自然に対してわれわれが犯す大きな不正の原因となっているのは、《彼ら》なのだ!自分の諸衝動に、快く心おきなく身をゆだねても《いい》人たちは、結構いるものだ。それなのに、そうした人たちが、自然は『悪いもの』だというあの妄念を恐れる不安から、そうやらない!《だからこそ》、人間のもとにはごく僅かの高貴性しか見出されないという結果になったのだ」(ニーチェ「悦ばしき知識・二九四・P.309~340」ちくま学芸文庫)

ニーチェのいうように、「自然的傾向を、すぐさま病気とみなし」、人工的に加工=変造して人間の側に適応させようとする人間の奢りは留まるところを知らない。昨今の豪雨災害にしても防災のための「堤防絶対主義」というカルト的信仰が生んだ人災の面がどれほどあるか。「原発」もまたそうだ。人工的なものはどれほど強力なものであっても、むしろ人工的であるがゆえ、やがて壊れる。根本的にじっくり考え直されなければならないだろう。日本という名の危機がありありと差し迫っている。

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言語化するジュネ/流動するアルトー103

2020年01月29日 | 日記・エッセイ・コラム
ミニョンに自信を与えるのは自分の性格によってだけではない。むしろ自分の性格を変化させるものがある。そしてその力を信じている限りでますますミニョンは自信を増大させずにはおかない。ポケットの中で拳銃を愛撫することによってである。

「彼は、自分のことをナイフであると感じていた以上に、ポケットのなかで、陰茎のそばにある六連発35ミリのリヴォルバーを感じて、それを手で撫で回している。だが人は自分のためだけに正装するのではないし、ミニョンは監獄のために正装するのだ」(ジュネ「花のノートルダム・P.53」河出文庫)

この「正装」は何も理由のないものではない。目的ははっきりしている。

「監獄は、彼と同じように野蛮な一種の神であり、その神に彼は金時計や、万年筆や、指輪や、ハンカチや、スカーフや、靴を捧げるのだ。彼は、新調したスーツの輝きのなかで、ひとりの女か日々自由に知り合いになった人たちに自分を見せるよりは、帽子を目深にかぶり、白い絹のシャツの襟を開けて(身体検査でネクタイは盗まれた)、イギリス製のラグランコートのボタンをはずして独房に入っていくのを夢見ている。すると哀れな囚人たちは、すでに彼を尊敬の眼差で見ている。彼の登場によって、彼は彼らを支配するのだ」(ジュネ「花のノートルダム・P.54」河出文庫)

そんなミニョンよりも遥かに日曜日の礼拝(ミサ)が大好きなのはディヴィーヌである。ミニョンと連れ立ってディヴィーヌは日曜礼拝に出かける。それがどこまでも平板単調な行為の繰り返しでしかないことがあらわであるにもかかわらず、ただその盛大な権威を誇示するためにその場に整えられた豪華な装飾品の前で陶酔することに心地よさを感じている。そしてそのときに得られた敬虔な気持ちのまま、再びミニョンとともに屋根裏部屋へ帰る。教会の豪華な装飾によって高揚した感情をも持ち帰る。だから二人の性行為は嫌が上にも劣情の発露となって天空に舞い上がらざるを得ない。二人はドアを閉めるやいなやあたかも殺し合いのごとく互いが互いをむさぼり合う。

「ミニョンは相変わらず豪華さ故にミサに出かける。屋根裏部屋に戻ると彼らは互いに愛撫し合う」(ジュネ「花のノートルダム・P.57」河出文庫)

このようにディヴィーヌとミニョンにとって日曜礼拝は、世間から拒否された同性愛行為に燦然たる輝きと悦楽の極致を与える欠かすことのできない貴重な儀式へ変わるのである。
ーーーーー
さて、アルトー。なぜ残酷の演劇なのか。わかりにくい文章だが引用する。

「二つの激情の表出、二つの生きた火種、二つの神経磁気の舞台の上での接近は、明日なき乱行における二つの皮膚の接近と同じように完全で、真実で、決定的でさえある何かなのである。だからこそ私は残酷の演劇を提唱する」(アルトー「傑作と縁を切る」『演劇とその分身・P.129』河出文庫)

だが続く文章で少しばかり理解できるかもしれない。近づいてみる。

「『《残酷の演劇》』とは困難な演劇という意味であり、まず私自身にとって残酷なのである」(アルトー「傑作と縁を切る」『演劇とその分身・P.129』河出文庫)

アルトーは「まず私自身にとって残酷なの」だという。古い時代に人間の身体を切り刻んだり勝利宣言のために切り取った首を大勢の前で高々と掲げてみたりといった残酷とは違った意味の残酷。どのようなものなのか。

「互いに対して行使し得る残酷ではなく、物事がわれわれに対して及ぼし得るはるかにずっと恐ろしくて必然的な残酷なのだ。われわれは自由ではない。そして天はまだわれわれの頭上に落ちてくるかもしれない」(アルトー「傑作と縁を切る」『演劇とその分身・P.129』河出文庫)

注目すべき言葉、「われわれは自由ではない」。さらに「天はまだわれわれの頭上に落ちてくるかもしれない」。けれども今や誰もが知るようにそれはすでに「必然的な残酷」として常に反復されている。要するに問題は、人々の日常生活を反復させている一切の諸条件の総体である。アルトーの残酷演劇に触れてかつてボードリヤールはこういった。

「演劇が見世物(スペクタクル)だった時代は終わり、トータルで、フュージョン的で、触覚的で、感覚的(もう美的ではない)な環境となる時代が始まったのだ。アルトーのトータルな演劇と彼の残酷の演劇(空力学的なシミュレーションは、この演劇の下劣なカリカチュアだ)については、ブラック・ユーモア的感性なしに考えることはできない。だが、シミュレーション(複製)の場合には、残酷さが最小限および最大限の『刺激閾』によって、また『飽和閾から算出された知覚コード』の発明によって、とってかわられてしまっている。古典演劇による情念の古き良き『カタルシス』は、いまや、シミュレーション(複製)による類似療法になった。創造性という概念も、同じ運命をたどろうとしている」(ボードリヤール「象徴交換と死・P.171」ちくま学芸文庫)

それらすべてが「必然的」となった社会の息苦しさ。「別様の仕方」を自分たち自ら閉じて可能性を剥奪してしまう転倒した世界の窒息しそうな必然性の出現。今でいう新自由主義がそれに当たる。と言ってみても、言っただけで事態が急速に好転するわけでは何らない。アルトーに戻ろう。

一九三三年発表の小冊子でアルトーはこう述べている。

「歴史的見地では、『メキシコの征服』は植民地の問題を提起する。それは粗暴で、仮借ない、血まみれの仕方で、つねに根強いヨーロッパの自惚れを生き返らせる。それはヨーロッパがもっている自分自身の優越性についての観念を尻込みさせるのを可能にする」(アルトー「残酷の演劇(第二宣言)」『演劇とその分身・P.208』河出文庫)

ちなみにアルトーのいう「ヨーロッパの自惚れ」の中にはすでに欧米化された東洋も含まれている。東洋は西洋から見たその外部性において特権的文化を保存していたが、にもかかわらず率先して欧米文化にどっぷり漬かり込み、帝国主義的植民地主義を推し進め、少数民族全滅運動に邁進したという動かせない歴史をすでに持ってしまった。アルトーが「メキシコ」について書いているのを鮮明に確認した後、デリダはこう述べる。

「アルトーは西洋文明を、その宗教を、実際に、つまり理論的にではなく、行為として破壊しようとしたのである。伝統的演劇がいかに革新的な形態を見かけの上で獲得するとしても、それに土台と背景を供給している哲学の全体を、アルトーは破壊しようとしたのだ」(デリダ「エクリチュールと差異・P.384」法政大学出版局)

お馴染みのヨーロッパ〔ロゴス〕中心主義批判である。デリダより遥か以前、アルトーもまたヨーロッパ〔ロゴス〕中心主義批判の必要性をひしひしと感じ取り実行に移していた。アルトーはその実践を演劇に求めた。スペクタクル批判というべき文章がある。

「上演された作品の興味の大部分がその台本にあるうちは、上演の芸術ーーー演劇において、不適切にもスペクタクルと呼ばれる上演より、この名称が引きずっている付随的で、儚い、外面的なものともども、文学が先んじているうちは、それはずっと続くことでしょう」(アルトー「言語についての手紙」(第一の手紙)『演劇とその分身・P.171』河出文庫)

すでにステレオタイプ化されたスペクタクルなどどうでもよいとアルトーはいう。凝固し固定し演劇の中に自分を見つけることができればそれで満足し安心して帰宅するような「観客としての民衆」のためのスペクタクルを演じるための単なる詩人であってよいのかと。ニーチェはいう。

「観客を詩人の精神は欲する、たとえそれが水牛であろうと」(ニーチェ「ツァラトゥストラ・第二部・詩人・P.206」中公文庫)

この文章のほんの少し前に「詩人は嘘つき」だとニーチェは暴露する。ニーチェ自身、詩人であり、率先してダンスし、パントマイムし、舞踏するにもかかわらず。だがしかしニーチェはこう続ける。詩の朗読であれ舞踏であれ、ニーチェにいわせれば「鈍感な水牛」でしかない「観客/民衆」を悦ばせるためのスペクタクルでしかないのなら、そんなものはいつ捨てても構わないし、どのみち捨ててしまいたくなるに違いないと。広い意味での詩人。むろんその中にはアルトーのような劇作家が含まれている。

「こういう精神にわたしは飽きた。そしてわたしは見るのだ、この精神が自分自身に飽き飽きしてくるだろうことを」(ニーチェ「ツァラトゥストラ・第二部・詩人・P.206」中公文庫)

もはや「鈍感な水牛」でしかない「観客/民衆」を悦ばせるためのスペクタクルの反復に飽き飽きしてきて始めて、より一層上昇を目指す、孤立無援の詩人が現れるだろうと。アルトーはニーチェが指し示した道程を目指すことになる。
ーーーーー
なお、中国発とされる新型ウイルスの加速的蔓延について。地球温暖化と同様の条件のもとで発生したということに着目したい。そもそも地球の自然循環は新陳代謝を通して自分で自分自身を調整しながら不意打ち的な種々の衝撃を受け止め変化していく力を備えて動いている。だから人間が或る種の衝撃を地球に与えたとすれば地球の側がそれに答える。たとえば世界中のどこにでも古代から中世にかけて人々の往来する道路が整備されていた。道路の土を踏み固めるのは往来する人間と家畜あるいは馬車などである。道路は次第に固定化し草原か木々の連なりよって道路になる。そして逆にそれが道路であるのは草原か木々の連なりによって一つの道路として見えるようになって始めてそこに道路があると認識されるに至る。道路は人間のためにあらかじめ地球に用意されていたわけでは何らない。要するに土を踏み固められてであれ、石造であれ、古代から中世、近世を経て使われていた道路は、人間が地球に与える衝撃を地球が或る種の情報として受け取ったその返答として形成されてきたものだ。ところが近代資本主義の成立以来、それまでは順調に経過してきた人間と地球との新陳代謝においてただならぬ異変が生じた。現代社会のテクノロジーの高度化が地球に与える衝撃を地球が或る種の情報として受け取ったその返答として、今の地球温暖化とそれにともなう食物連鎖の危機が出現した。

さらに新型ウイルスの加速的蔓延は警告的な形で人間の死を普段より遥かに身近に感じさせる効果を持つ。とりわけ中高年層からすれば「年金二〇〇〇万円問題」について、自分の世代だけでなく子や孫の世代にとってどのように存続されていくのか。気が気でなくなってくるのである。同時に「女性議員ウグイス嬢公選法違反」で指摘されている多額の資金の流れ。死を身近に感じさせる事態の加速的蔓延はただちに一般市民の日常生活水準の維持継続は本当に可能かという極めてリアルな経済的諸問題(とりわけ所得格差)を一挙に噴出させるのである。なお、奇妙なことに「ウグイス嬢」は、なぜいつもほとんど女性の役割として割り当てられているばかりか、そもそも「ウグイス」でなくてはならないのかという性差別問題を反復させずにおかない。
ーーーーー
さらに、当分の間、言い続けなければならないことがある。

「《自然を誹謗する者に抗して》。ーーーすべての自然的傾向を、すぐさま病気とみなし、それを何か歪めるものあるいは全く恥ずべきものととる人たちがいるが、そういった者たちは私には不愉快な存在だ、ーーー人間の性向や衝動は悪であるといった考えに、われわれを誘惑したのは、《こういう人たち》だ。われわれの本性に対して、また全自然に対してわれわれが犯す大きな不正の原因となっているのは、《彼ら》なのだ!自分の諸衝動に、快く心おきなく身をゆだねても《いい》人たちは、結構いるものだ。それなのに、そうした人たちが、自然は『悪いもの』だというあの妄念を恐れる不安から、そうやらない!《だからこそ》、人間のもとにはごく僅かの高貴性しか見出されないという結果になったのだ」(ニーチェ「悦ばしき知識・二九四・P.309~340」ちくま学芸文庫)

ニーチェのいうように、「自然的傾向を、すぐさま病気とみなし」、人工的に加工=変造して人間の側に適応させようとする人間の奢りは留まるところを知らない。昨今の豪雨災害にしても防災のための「堤防絶対主義」というカルト的信仰が生んだ人災の面がどれほどあるか。「原発」もまたそうだ。人工的なものはどれほど強力なものであっても、むしろ人工的であるがゆえ、やがて壊れる。根本的にじっくり考え直されなければならないだろう。日本という名の危機がありありと差し迫っている。

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言語化するジュネ/流動するアルトー102

2020年01月28日 | 日記・エッセイ・コラム
ミニョンは獄中で放屁するとき「俺は真珠をひとつ放つ」とか「真珠がひとつ落ちた」という。音を立てることを良しとしない。獄中で取るべき態度としてそう決めている。だから他の囚人が大きな音を立てて屁をすると一体なにごとかとばかりに抗議する。「下品」だとして抗議するのだが、その抗議の言葉は屁をするよりも遥かに「下品」である。とするとミニョンは、他の囚人たちを徹底的に下品な言葉で罵るためにわざと自分の「すかしっ屁」を「真珠」へ祭り上げ、逆に他人の「音のする屁」を爆発物ででもあるかのように取り扱うことにしていたのかもしれない。

「監獄のなかで彼がそっと噴射させた臭いには真珠の鈍い艶があって、その臭いは彼のまわりにからみつき、彼の全身を後光で包み、彼を孤立させるが、彼の美しさが恐れず口にした表現ほどには彼を孤立させはしない。『俺は真珠をひとつ放つ』が示しているのは、屁は大きな音を立てなかったということである。音を立てるとすれば、それは下品である、そして間抜けがおならをすると、ミニョンは言う、『俺のちんぽこのムショが崩れちまうぜ!』」(ジュネ「花のノートルダム・P.50」河出文庫)

ジュネ的感性からみれば、ミニョンの激怒と罵倒の嵐はニーチェのいう「稲妻/閃光」に匹敵する。それはほんの一瞬、宗教用語を用いればそれこそ「奇蹟」のように美しく光り輝く。ミニョンの周囲はもはやアフリカのサバンナだ。獰猛な力が天空に満ちる。地上を黒々と染め上げる。

「驚くほど見事に、背が高く金髪である彼の美しさの魔法によって、ミニョンはサバンナを出現させ、黒人の人殺しが私に対してきっとそうするよりもっと深く、もっと横柄に、黒い大陸の中心にわれわれを追いやるのだ。ミニョンはさらにつけ加えて言う、『くっせえ臭いだぜ、われながら自分のそばにはいられねえーーー』要するに、彼は自分の汚辱を真っ赤な焼きゴテでむき出しの肌につけられた傷跡のように身にまとっているのだが、この貴重な傷跡が、往時のならず者たちの肩の上の百合の花と同じように、彼を気高くする」(ジュネ「花のノートルダム・P.50~51」河出文庫)

なお「百合の花」とあるが、そもそもフランスで始まった刑罰の印として犯罪者の肌に施されるタトゥーのこと。もっとも最初は「焼きごて」でじゅうじゅう焼いて刻印したらしい。それが洗練されタトゥーに代わった。さらにジュネの仲間たちのように自分から進んでタトゥーを施す人間が出てきた。世間一般の人間とは違うということを誇示するためのタトゥーである。だが自分でタトゥーする場合は意匠を自分で考案したり選択したりできるためデザイン性に重点が置かれるようになっていく。しかしそれを「百合」と呼ぶ場合、多くは同性愛者の称号として用いられる。ところが同性愛にしてもデザインがたとえライオンであっても周囲があえて「百合」と呼ぶ場合は諸説あるようで、起源的には男性同性愛者が先なのかそれとも女性同性愛者が先なのか判然としない。ところでジュネはミニョンのことを悪くおもってはいない。たとえば或るとき、ミニョンが出所する際に警察の警部の目にとまったのだろう。警部はミニョンの耳元に近づき、出所したら警察の「ヒモ」にならないかと囁く。ミニョンは迷い一つ見せず受諾する。ジュネは感動の余り、こう書き付けている。

「他人を売ることが彼の気に入っていたのだ、というのもそれは彼を間化するからだった。俺を間化することは俺の奥深い性向である彼は夕刊の第一面に、売国行為を働いたために銃殺刑に処された中尉、私がすでに話したあの軍艦旗の写真を見る思いがした。ミニョンは思った、『古い仲間だぜ!兄弟』」(ジュネ「花のノートルダム・P.52」河出文庫)

裏切り行為はそれほど穢(けがら)らわしい行為として囚人仲間からも毛嫌いされていた。自分が裏切れば他の誰かから裏切られるのは当然の成り行きだ。自分から裏切らなくても誰かが自分のことを手前勝手に警察に売り飛ばしている可能性はいつだってある。にもかかわらず堂々と裏切り者として出世しようとは見上げた野郎だとジュネは感歎の念を抑えきれないのである。自分で自分自身を一挙に「間化」するにはどうすればよいか。もっとも安直で安価で手間もかからず、暗殺される危険はいつもあるものの、身も蓋もなく裏切り行為を是として買って出ることで自分を「間」という一方の極端へ移動させた技術に、ジュネは目まいを覚えるのだ。
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さて、アルトー。芸術として公認され世間一般の観衆をまったく驚かせなくなり整理整頓された演劇と絶縁しようと考える。新しい演劇を創設しようと試みる。演じられる演劇の中に観衆が観衆自身の似姿を見つけて安心を見出し、安全地帯の内部へ内向きに立てこもってしまい、現存の社会的秩序をより一層確固たるものへと打ち固め、ただ単なる社会的管理装置の一部分と化した演劇と絶縁しようと考える。しかし演劇は身体を用いるがゆえにありきたりの身体表現によってすでにステレオタイプ化されているありふれた意味を語ってしまう。さらに演劇の台詞はどれを取っても一つ一つがどこでも日常的に用いられているごく普通の形而上学的な言語であることは明白である。観衆が持っている固定観念を物質的な根底的次元から土台ごと揺さぶり動かすわけではない。舞台上で突然発せられる「叫び」一つ取ってみてもそれは世間一般で観衆が理解可能な形而上学的な言語として受け止められるほかない。デリダはその点でアルトーの主張する脱形而上学の試みに最初から絡みついて離れない逆説があることを指摘している。

「私から私を剥奪し、私から遠ざけるもの、私自身に対する私の近接性を壊すものは私を汚すのだ。そのため私は私の固有性=清潔さを失ってしまう。自己に近い主体ーーーおのれがそれであるところの主体ーーーの名前は清潔(プロプル)だが、客体の名前や漂流している作品の名前はおぞましい。私は自分が清潔(プロプル)であるときに固有(プロプル)名をもつ。清潔であるときにだけ、子供は自分の名のもとで西洋社会のなかにーーーまず手始めに学校にーーー入っていくのであり、清潔であるときにだけ、きちんと真に名づけられるのだ。これらの複数の意味作用の統一性は見かけ上は分散して隠されているが、この意味作用の統一性、つまり、自己に絶対的に近接している主体の、汚(けが)れなきこととしての固有=清潔という統一性は、(〔固有の〕が〔近く〕に結びつけられた)哲学のラテン時代以前には生じることはなかった。そして同じ理由から、哲学のラテン時代以前には、狂気を疎外の病とみなす形而上学的規定が熟し始めることもなかった。(言うまでもないことだが、われわれは言語学的現象を原因や症候に仕立てあげているのではない。狂気の概念が、簡単に言えば、固定されるのは、固有=清潔な主体性の形而上学の時代においてでしかないのだ)。アルトーがこの形而上学を《煽動し》、それを《揺さぶる》のは、この形而上学がおのれ自身をあざむくときである。そのとき、この形而上学は、ひとが自分の固有性=清潔さをきれいに捨て去ること(つまり疎外の疎外)を固有性=清潔さという現象の条件に仕立て上げる。これに対してアルトーは依然としてこの形而上学を《必要としている》。アルトーは依然としてこの形而上学の奥底にある価値をくみ取り、一切の分離の前日に固有性=清潔さを絶対的に復元することで、この形而上学自身がそうである以上に、この形而上学に対して忠実であろうとしている」(デリダ「エクリチュールと差異・P.368~369」法政大学出版局)

形而上学から絶縁しようとすればするほどかえって形而上学的な場で形而上学的理論を用いて反論を展開しないわけにはいかなくなってくる。すると必然的にアルトーは形而上学から絶縁しようとして逆に繰り返し形而上学的理論を濫発し、したがってますます形而上学を強化し保管する装置と化してしまうという逆説をデリダは指摘している。しかしデリダはアルトーの試みの射程がもっと遥か遠くの地平を目指す悪戦苦闘だったことを見抜いている。そのことは皮肉にも、アルトーの理解者は政治的運動でなく芸術的運動でもなく種々の経済学でもなく、ただデリダが身を置いていた場所、哲学/思想の場所にいたということになる。そしてさらにデリダはアルトーの絶望的試みの中にアルトー自身が究極的に目指していた地平を指し示すことでアルトーの格闘がけっして無駄ではなかったことを証明する。このデリダの態度もまた逆説的な形を取ってしか述べることのできないアポリア(困難)のうちにある。アルトー自身の言葉に戻ろう。

「それを読む者たちよりはるかにずっとそれを書く者たちを利する個人的な詩などもうたくさんだ。閉鎖的で利己的で個人的な芸術の示威などこれを最後にもうたくさんだ」(アルトー「傑作と縁を切る」『演劇とその分身・P.128』河出文庫)

アルトーが表明しようとしていること。それはこれまで大袈裟に幅を利かせてきた演劇界における「通称-アナーキー」との決別である。演劇にもかかわらず十年一日のごとく日常からの解放空間を自称しつつ実は救いようのないステレオタイプ(固定観念、同一物の繰り返し)のうちに安住するまでに堕落の一途をたどってきた演劇との決別である。というのはアルトーにとって演劇とはこれまでとは「別様の感覚」へ意志すること、「別様の感覚」へ意志することでその全力を前代未聞の起動力として立ち働かせようとするまったく新しい「アナーキーの機能」という観念の解放に賭ける態度を表明している。こういうタイプは非常に稀に出現するが、大抵の場合、芽を出すやいなやたちまち摘み取られてしまいがちだ。ところがアルトーの提唱した「残酷演劇」は世界的に成功した。

「われわれのアナーキーとわれわれの精神の無秩序はそれ以外のもののアナーキーの機能であるーーーというかむしろそれ以外のものがこのアナーキーの機能である」(アルトー「傑作と縁を切る」『演劇とその分身・P.128』河出文庫)

なぜ残酷にもかかわらず成功したか。舞台上で演じられる身振り仕ぐさが残酷である必要性をまったくないとアルトーはいう。それでもなお舞台上で演じられる身振り仕ぐさが多少なりとも残酷性を指し示していたとしても、むしろそれは問題ではない。アルトーは「演劇が変化するには文明が変化しなければならないと信じる者たちの一員ではない」といっている。簡単にいえば、アルトーは自分は俗にいう「唯物論者あるいはマルクス主義者ではない」といったのである。ブルトンらと共に立ち上げたシュルレアリズム運動が政治色の強いものだったのに比べ、アルトーの演劇活動は政治色などないに等しい。ところが「可能な限り最も困難な演劇は、物事の局面と形成に影響を及ぼす」と自分の思想信条を明確に述べている。

「私は演劇が変化するには文明が変化しなければならないと信じる者たちの一員ではないが、高度な意味で活用された、可能な限り最も困難な演劇は、物事の局面と形成に影響を及ぼすと信じている」(アルトー「傑作と縁を切る」『演劇とその分身・P.129』河出文庫)

そしてそれは挫折続きの政治運動と比較して何ら遜色なく世界的規模で巨大なインパクトを与えることになる。もちろんそこにはニーチェ思想が抜きがたく響いていたからだが。

「きわめて多くの《空費された》不幸がある、ーーーそれは太陽の熱の大部分が宇宙のうちで空費されるのと同様に空費されたのだ」(ニーチェ「生成の無垢・上巻・一〇三〇・P.540」ちくま学芸文庫」)

確かに空費されたし今なお空費され続けている。だからそれを取り戻すということではない。「高度な意味で活用され」るべき演劇は、これまでの後ろ向きの演劇ではなく、これから来るべき未来の演劇であり、人間は自分の身体を用いてその力を次々と獲得していくことができる。

「身体を手引きにして私たちは人間をもともとの生命体の一個の数多性として認識するのだが、それらの生命体は、一部はたがいに闘争し合いながら、一部はたがいに順応したり従属したりしながら、それら個々の生命体を肯定することにおいて思わず知らず全体をも肯定する」(ニーチェ「生成の無垢・下巻・七三三・P.360~361」ちくま学芸文庫)
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さらに、当分の間、言い続けなければならないことがある。

「《自然を誹謗する者に抗して》。ーーーすべての自然的傾向を、すぐさま病気とみなし、それを何か歪めるものあるいは全く恥ずべきものととる人たちがいるが、そういった者たちは私には不愉快な存在だ、ーーー人間の性向や衝動は悪であるといった考えに、われわれを誘惑したのは、《こういう人たち》だ。われわれの本性に対して、また全自然に対してわれわれが犯す大きな不正の原因となっているのは、《彼ら》なのだ!自分の諸衝動に、快く心おきなく身をゆだねても《いい》人たちは、結構いるものだ。それなのに、そうした人たちが、自然は『悪いもの』だというあの妄念を恐れる不安から、そうやらない!《だからこそ》、人間のもとにはごく僅かの高貴性しか見出されないという結果になったのだ」(ニーチェ「悦ばしき知識・二九四・P.309~340」ちくま学芸文庫)

ニーチェのいうように、「自然的傾向を、すぐさま病気とみなし」、人工的に加工=変造して人間の側に適応させようとする人間の奢りは留まるところを知らない。昨今の豪雨災害にしても防災のための「堤防絶対主義」というカルト的信仰が生んだ人災の面がどれほどあるか。「原発」もまたそうだ。人工的なものはどれほど強力なものであっても、むしろ人工的であるがゆえ、やがて壊れる。根本的にじっくり考え直されなければならないだろう。日本という名の危機がありありと差し迫っている。

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言語化するジュネ/流動するアルトー101

2020年01月27日 | 日記・エッセイ・コラム
ジュネは感動する。冷淡な認識意志の持ち主であると同時に情動に揺さぶられやすい感性の持ち主でもある。感受性が高いといってしまえばそれだけのことかも知れない。ところが、ただ単に感受性の高い人々であればそこらへんに幾らでもいる。今の日本も例に漏れない。日本では性別や学歴あるいは職業を問わず特に十代に多い。感受性が高過ぎてしばしば精神状態が不安定になり、それが継続的あるいは定期的に反復されるようになれば精神科受診へ向かうことになる。何も世界中でたった一人ジュネだけが突出して感受性が高かったとは単純に言えないのだ。さらに昨今急速な増加傾向を描いているのは、特に感受性が高いというわけではなく、むしろ平均的であるような場合、平均的であるがゆえに生じてくるとしか考えようのない精神不安定状態の多発である。

日本ではかつて、高度経済成長期の終わり頃、思春期心身症という精神的不調を訴える若年者がしばしば出てきた。それは何も感受性の高い低いに関係なく、家庭環境あるいは生育環境の違いに関係なく発症する病気として出現した。主に東京を中心とする首都圏、さらに大阪や福岡といった大都市で多く見られた。地方都市に比べて診療機関が多いため、大都市に限って患者数も多く計算されるだけなのではという見解もできるが、実際はそうではない。精神医療では日本より一歩も二歩も先んじていた欧米諸国の研究発表を考慮に入れると、とりわけ大都市に多いという傾向は弊害というより以上に実態を反映したものであった。その特徴的な症状は思春期にありがちな不安や悩みの次元を越えていて、一般の医療機関では対処不可能と見なされたからこそ精神科受診という事態が生じてきたわけであって、始めから精神科が引き受けることになるとはほとんどの医療機関では想定されていなかった。

一九七〇年代の時点すでに、そのような若年者がおいおい日本でも出現してくるだろうと見越していた医療関係者はほんのごく僅かな一部の精神科医に限られる。しかし病の進行状況は八十年代バブルの狂騒の下へ覆い隠されてしまった。バブル終焉、東西冷戦集結、新自由主義の世界的台頭、長引く不況、そういった報道が流れるようになって或る程度世の中が落ち着きを取り戻したとき、精神医療の現場で一体何が起きていたか、少しずつではあるもののようやく実状が取り上げられるようになった。自殺、依存、鬱病、不登校、DV、解離性障害、過食症、拒食症、ADHD、PTSD、統合失調症者の増大、等々。なお、諸外国では冷戦集結以前からそれら精神疾患に応じた対応のマニュアル化が進められ随時更新されている。というのも、必ずしも善意からそうしているとは限らず、むしろそのように対応マニュアルを随時更新していかないと国家そのものが持たないような危機に瀕しているからである。また日本国内での統合失調症者の増大は早期発見が可能になったことで計測値が上昇したことが上げられる。

けれども、そもそも早期発見できるようになった理由は、日本人特有の偏見に基づく隠蔽体質が徐々に払拭されてきた傾向による部分が大きい。それまでは病者に対する差別的というほかない徹底的な偏見が日本社会の中に充満しており、病者を屋外へ出すことをためらわせる同調圧力が暴力的なまでに働いており、専門医療に繋がったときすでに病状は回復不可能なほど進行し、何も反応せず何も答えず呼吸するほか何も動かないといった廃人状態に達していることが稀ではなかった。少なくとも二〇年〜四十年に達する長期入院を余儀なくされるような症状に立ち至っているケースが大半だった。今はそのような類別には該当せず、逆に幻聴や妄想、無関心、無表情が半年以上続くといった傾向が増えてきているようだ。かつては華々しく出現していた幻覚だが、幻覚は減少し逆に幻聴と妄想が圧倒的に増大しただけでなく全国規模で大量発生したことは注目される。ただ単なる物音が人の声、なかでも自分に対する悪口や陰口になって聞こえてくるばかりかそうとしか聞こえないといった症状が半年から一年半以上、症状が長期化している場合は十年以上続く。幻聴や妄想は長期化しているとかなり有効とされる新型治療薬を五年以上用いてもこれといった改善は見込めない。幻聴や妄想が起こるたびに家族の中の信頼できる人、近い人、親しい人は、その都度、今の音は洗濯機からバケツが落ちた音でとか、小学生らの集団帰宅の声でとか、冷静に説明しなくてはいけない。それで一旦は落ち着くけれども不安は消えることなく再び心底から湧き起こってくる。日々その繰り返しである。長い目で見なくてはいけない。東西冷戦を見てきたように長い目で見守る態度こそが要求される。

個人的に車を運転しないので被害に合ったことはないが、日本のマスコミが盛んに「煽り運転」報道を繰り返すことで、「モリカケ問題」、「桜を見る会問題」、等々、政権与党(自民公明連立政権)に対する野党側の追及を覆い隠す形になっていた時期。「煽り運転」する加害側がなぜ「煽り運転」を何度も繰り返し《反復する》のかほとんど問題にされていなかったことは重要だろうとおもわれる。反復が病的領域に達していると見なされるケースでは、実はPTSDとの関連性が疑われるという点である。PTSDの世間的一般的理解は、ただ単に外傷を受けた場所を避けたり外傷に関連あるいは類似した人物、場所、活動を回避する、またはそれらの想起が不可能になる、といった理解が大半だろうと思われる。消極的で否定的な印象が強い。だが逆に、精神的活動の爆発的覚醒亢進症状が現れることも少なからずある。「(外傷を受ける以前にはなかった)易刺激性または怒りの爆発」、「未来短縮感覚」(仕事、結婚、子供、または通常の人生を期待しない傾向)、「孤立感」。そしてPTSDの被害者の特徴であるが、PTSDを与えた側もその場にいたという事情を考慮すれば次の条件が入ってくる。「反応は強い恐怖、無力感または戦慄に関する」、特に子供の場合は「出来事についての反復」という事項が顕著である(「DSM-4」参照)。年金二〇〇〇万円問題はなるほど問題なのでそれと関連する。PTSD被害者にとっては受動的であり加害者にとっては積極的に出現する「未来短縮感覚」(仕事、結婚、子供、または通常の人生を期待しない傾向)。「通常の人生には期待できない」というレベルを通り越してもはや「通常の人生には期待しない」という顕著な傾向。普段ならささいに思えるようなことであってもいとも容易に爆発的で覚醒的な激怒を生じる傾向。さらに「煽り運転」被害者の記憶に対して決して忘れられないほど徹底的に「強い恐怖、無力感または戦慄」を刻み込み植え付けようと猛進する暴力的言動。このように相手は誰でも構わないが、自分が過去のどこかで受けたような取り返しのつかない強烈な暴力的被害と同じ目に合わしてやりたいという再帰的シーケンスを考えてみると、加害者はもしかしたら過去に何らかのPTSDあるいはそれに相当する逃げ場のない「強い恐怖、無力感または戦慄」体験を持っていたのではという可能性を排除できなくなる。加害者の側に立っていうつもりはまったくない。そうではなく、加害者もまたこの日本社会の中で過去に一度はPTSDに匹敵する被害者であった可能性を排除できないという点が報道の中から排除されてはならないとおもうのである。そうでないと、「煽り運転」がなぜ「《反復》という《再帰的シーケンス》」を特徴とするのか、さっぱりわからないまま置き去りにされてしまいかねないと危惧を覚えるわけだ。

さらに、これから明らかにされるだろう「女性参議院議員ウグイス嬢公選法違反問題」。どこへ行ってしまったのだろうか。マスコミは中国で発生した「新型ウイルス」の話題で持ちきりだ。それはとても大事な話題であり問題であり今後の貴重な研究材料でもある。だからといってすべての日本国民が北方領土や沖縄の米軍基地のことをまるっきり忘れているわけではないのと同様に、「女性参議院議員ウグイス嬢公選法違反問題」も同様に忘れられてしまっているわけではまったくない。むしろ逆に「年金二〇〇〇万円問題」発覚と同時に選挙活動のための金銭の流れに対する有権者の目は途端に厳しさを増した。

そしてなお、二〇二〇年の最先端医療技術を誇る日本の医学界においてさえ、あれほど身近な「摂食障害」(過食症/拒食症)については今なお医師との対話ならびに医薬品頼みなのはどうしてだろう。遺伝子情報の組み換えさえ可能になっているにもかかわらず、さらに人クローンなら法的には違法であっても作ろうとおもえばいつでも作れるにもかかわらず、それよりずっと身近な病気に関してその回復/治療に対する日本政府の意欲は日増しに失われているようにおもえるのはなぜだろうか。たとえば過食症の場合、糖尿病発症の恐れは常にある。災害時、人工透析患者はどこへどのようにしてたどりつけば良いのか。拒食症の場合、事態はますます急を要する。拒食が続くケースでは点滴も選択肢の一つだが患者は点滴のチューブなどいつでも好きなときに抜いてしまう。災害時の避難所ではどのように振る舞えというのか。周囲はどうすればよいのか。資本主義はどのような労働力商品であってもけっして無駄にしてはいけないということを肝に命じている。そのためにわざわざ資本主義みずから公理系を創設した。しかし資本主義みずから創設した公理系としての医療体系であるにもかかわらず有効活用されていないというのなら、資本主義は今の政権運営に見切りを付けるしかない。資本は自己目的なのであって、とうぜん日本だけで動いているわけでは何らなく、労働力商品を死に追いやって剰余価値の獲得を阻止するというのであれば、そのような諸国家の政権運営手法はすべて廃棄される。実際、廃棄されてきた。ソ連のことをもう忘れたのだろうか。それともソ連消滅とともに旧西側陣営は一斉に学ぶことを止めたのだろうか。ちなみにジュネはほぼ始めから世の中を見切っている。

「ある夜明け、私はベルト通りの冷え切った手すりに対象のない愛ゆえに自分の唇を押しつけたことがあったし、またいつだったか自分の手にキスしたことがあったし、それからまた感動でへとへとになって、自分の頭の上に極端に開いた口を裏返しながら自分自身を呑み込んでしまいたいと思って、そこに私のからだ全体を、それから宇宙を通過させ、もはや少しずつ消えていくことになる食べたものの一個の玉にすぎなくなることがあった。それが世界の終わりを見る私の見方である」(ジュネ「花のノートルダム・P.41」河出文庫)

そこにジュネの強みがある。フランス人としては確かに身体的に貧弱だったかもしれないが、ジュネはいつもどのような事柄からでも何か学ぶものを引き出す。引き出すだけでなく精一杯有効活用する。作品にある通りだ。

「ミニョンは輝くような顔をしていた。美しい男だった、暴力的で優しく、生まれながらのヒモで、物腰にはあまりに気品があったので、いつも裸でいるように思えた」(ジュネ「花のノートルダム・P.48~49」河出文庫)

どこにでもいる「ヒモ」。ジュネはミニョンがあたかも「ヒモの鏡」あるいは「神としてのヒモ」ででもあるかのように描く。しかしミニョンについて時おり「けちなミニョン」と書いていたりもする。人間は周囲の見方によって違って見える。周囲の人々の立場、思想、信条次第でいかようにも変化する。差異化されて見える。けれども人間はその本人自身によっても差異化するのである。
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さて、アルトー。ステレオタイプ(決まりきった形式、常套句、固定観念)から縁を切ること。しかし言語はデリダが指摘したように身体を構成する情報(遺伝子情報)として根底から立ち働いている。人間は身体の最も深いレベルにおいてすでに言語化されている。だからアルトーの主張は身体がどのような身振り仕ぐさで振る舞い踊るにしても、結局のところ身体言語という言語に依拠するほかないではないか。その意味でデリダの分析は正当だ。もう結果が出ているように、アルトーとデリダとは最後まで一致し合えない。

「台本と《書かれた》詩というこの迷信と手を切らねばならない。書かれた詩は一度は価値があるが、続いてそれを破壊すべきである。死んだ詩人たちは他の者たちに席を譲るべきだ」(アルトー「傑作と縁を切る」『演劇とその分身・P.127』河出文庫)

アルトーは「書かれたもの」を断罪しようとする。デリダにとっては「書かれたもの」(エクリチール)こそが先行しているのであり「書かれたもの」(エクリチール)なしに何ものもない。ヘーゲルは「書かれたもの」はコピーに過ぎず「声」(フォネー)こそが真実を告げる唯一のものだと述べるのだが、その文章の真っ只中でヘーゲルは自分で自分自身の学説を思わず裏切る。思考するためには物質的なもの(名前、記号)を必要とする、とヘーゲルは語ってしまっている。「書かれた文字」はあくまで外面的なものに過ぎないと述べつつ、同時に内面に「横たわっている」と認めるほかない。

「《記憶》としての知性は、表象一般としての知性が最初の直接的直観に対して行なう内化作用(想起作用)の諸活動と同じ諸活動を、《言葉の》直観に対して行なう。ーーー(1)あの結合(直観とそれの意味との結合)が記号なのであるが、知性はこの結合を自分のものとしながら、この内化(想起)によって《個別的な》結合を《一般的な》結合すなわち持続的な結合に高める。そしてこの一般的持続的な結合においては名前と意味とが知性に対して客観的に結合されている。知性はまたさしあたり名前である直観を《表象》にする。その結果、内容すなわち意味と記号とが同一化され、《一つの》表象になる。そして表象作用はそれの内面性において具体的であり、内容は表象作用の現存在として存在する。ーーーこれが名前を《保持する》記憶である。ーーー《名前》はこうして、《表象界》において現存し、そして効力をもっているような《事象》である。(2)《再生産的》記憶は、直観や心像なしに、名前のなかで《事象》をもち且つ認識し、また事象と共に名前をもち且つ認識する。内容が知性のなかでもっている《現実存在》としての名前は、知性のなかにある知性自身の《外面態》である。そして、知性によって作り出された直観としての名前を《内化(想起)する》とういことは、同時に《疎外する》ということであって、知性はこの疎外において自己自身の内部に自己を措定するのである。もろもろの特殊な名前の連合(連想)は、感覚する知性・表象する知性・または思惟する知性がもっているもろもろの規定の意味のなかに含まれており、知性は感覚するもの等々として自己内でこれら幾系列もの規定を経過して行くのである。ーーーライオンという名前の場合には、われわれはそのような動物の直観を必要とせず、また心像をさえ必要としない。そうではなくて、われわれが名前を《理解する》ということによって、名前は心像を欠いた単純な表象である。われわれが《思惟する》のは名前においてである」(ヘーゲル「精神哲学・下・P.144~146」岩波文庫)

しかしその言い訳がましさにもかかわらず、ヘーゲルは実際の現象についてより深い部分を見ていたとおもわれる。見えていないので外面的なものに過ぎないというのでなく、見えてしまっているがゆえにかえってヘーゲルは自分の思想信条を打ち固める方法へ向かった。そしてそれはキリスト教的ヨーロッパ世界からの要請でもあった。さらにアルトーは身体言語を強調しながら実は「叫び」という「声」を重要視している。とはいえ、人間は生まれたときからあらかじめインプットされてきた「声」しか出せないのだろうか。「叫び」もまたその一つでしかないことはわかっている。わかっていてもなお、いまだ見出されていない「叫び」を追求することは無意味な態度だろうか。もっとも、この時点でアルトーが批判しているのは演劇界に蔓延してしまった偶像崇拝である。その凝固し固定しステレオタイプ化された演劇に安堵してこと足れりとする怠惰である。

「そしてそれがどんなに美しく価値があろうと、すでに為されたことを前にした崇拝は、われわれを石化させ、われわれを安定させ、思考するエネルギー、生命力、交換の全決定要因、月経、その他好きなように何と呼ぼうと構わないが、要するにわれわれが隠れている力との接触をもつことを妨げるのだということをわれわれはもうわかっていいはずである」(アルトー「傑作と縁を切る」『演劇とその分身・P.127』河出文庫)

人間を怠惰にしたのは人間自身である。とにかく人間は、少しでも手を抜こう、楽をしよう、あさるのは仕事より快楽だ、という本音を隠さない。しかし人間が怠惰を謳歌するためには謳歌している時間を遥かに越える労働力の発揮とその反復を必要としてきた。徐々に高度化する機械の発明。それは人間を怠惰にする以上に人間を機械の一部分へと再編してしまう。人間が機械を所有するのではなく、人間が機械の一部分に過ぎないような世界が打ち立てられるに至った。このような転倒の発生はアルトーの時代にはもう目の前にあらわに出現していた。アルトーはなおのこと「台本」(書かれたもの)より、書物より、身体における詩(ポエジー)を、と呼びかける。

「台本の下には、形式も原文もない単なるポエジーがある」(アルトー「傑作と縁を切る」『演劇とその分身・P.127』河出文庫)

この流れは直接的な政治色とは随分距離を置いて述べられたのだが、なぜか危険なものとして感じられた。アルトーの賛同者にとってよりも、むしろ一九六〇年代から一九七〇年代の治安当局にとって危険ではないかと捉えられた。これといった礼儀作法を持たず、いつも違うことを叫んだり喚いたりする。治安管理者は自分にとって理解できない「未知のもの」がアンテナに引っかかると、ともかく一旦括弧入れして観察することにしている。だが治安当局はなぜそうするのか。

「何か未知のものを何か既知のものへと還元することは、気楽にさせ、安心させ、満足させ、しかのみならず或る権力の感情をあたえる。未知のものとともに、危険、不安、憂慮があたえられるが、ーーー最初の本能は、こうした苦しい状態を《除去する》ことにつとめる。なんらかの説明は説明しないよりもましである、これが第一原則にほかならない。根本において、問題はただ圧迫する想念から脱れたいということのみにあるのだから、それから脱れる手段のことは、まともに厳密にはとらない。未知のものを既知のものとして説明してくれる最初の思いつきは、それを『真なりとみなす』ほど気持ちよいのである。真理の標識としての《快感》(「力」の証明)。ーーーそれゆえ、原因をもとめる衝動は恐怖の感情によって制約されひきおこされる。『なぜ?』という問いは、できさえすれば、原因自身のために原因をあたえるというよりは、むしろ《一種の原因》をーーー一つの安心させ、満足させ、気楽にさせる原因をあたえるであろう。何かすでに《既知のもの》、体験されたもの、回想のうちへと書きこまれているものが原因として措定されるということは、この欲求の第一の結果である。新しいもの、体験されていないもの、見知らぬものは、原因としては閉めだされる。ーーーそれゆえ、原因として探しもとめられるのは、一種の説明であるのみならず、《選りぬきの優先的な》種類の説明であり、見知らぬもの、新しいもの、体験されていないものの感情が、そこでは最も急速に最も頻繁に除去されてしまっている説明、ーーー《最も習慣的な》説明である。その結果は、一種の原因定立が、ますます優勢となり、体系へと集中化され、最後には、《支配的となりつつ》、言いかえれば、《他の》原因や説明を簡単に閉めだしつつ、立ちあらわれるということになる」(ニーチェ「偶像の黄昏」『偶像の黄昏・反キリスト者・P.62~63』ちくま学芸文庫)
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さらに、当分の間、言い続けなければならないことがある。

「《自然を誹謗する者に抗して》。ーーーすべての自然的傾向を、すぐさま病気とみなし、それを何か歪めるものあるいは全く恥ずべきものととる人たちがいるが、そういった者たちは私には不愉快な存在だ、ーーー人間の性向や衝動は悪であるといった考えに、われわれを誘惑したのは、《こういう人たち》だ。われわれの本性に対して、また全自然に対してわれわれが犯す大きな不正の原因となっているのは、《彼ら》なのだ!自分の諸衝動に、快く心おきなく身をゆだねても《いい》人たちは、結構いるものだ。それなのに、そうした人たちが、自然は『悪いもの』だというあの妄念を恐れる不安から、そうやらない!《だからこそ》、人間のもとにはごく僅かの高貴性しか見出されないという結果になったのだ」(ニーチェ「悦ばしき知識・二九四・P.309~340」ちくま学芸文庫)

ニーチェのいうように、「自然的傾向を、すぐさま病気とみなし」、人工的に加工=変造して人間の側に適応させようとする人間の奢りは留まるところを知らない。昨今の豪雨災害にしても防災のための「堤防絶対主義」というカルト的信仰が生んだ人災の面がどれほどあるか。「原発」もまたそうだ。人工的なものはどれほど強力なものであっても、むしろ人工的であるがゆえ、やがて壊れる。根本的にじっくり考え直されなければならないだろう。日本という名の危機がありありと差し迫っている。

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