白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

ステレオタイプと派遣された家庭内殺人

2019年08月31日 | 日記・エッセイ・コラム
ジュネを読み進めたいのだが、このあたりで論点整理のため、さしあたりフーコーの考察に触れておきたいとおもう。ジュネの生涯は現代的かつ戦前の施設や刑務所での暮らしが長かった。それを考慮しつつ現代的かつ戦前よりも以前の施設や刑務所の姿についての考察、古典主義時代における「監視と処罰」の諸関係についてまとめておきたいとおもうからである。とりあえず簡略化しておくと、それは行刑機関としての国家による「経済策」という「技術的な推移過程」の研究ということになろうかとおもわれる。知っている人々のあいだではとうの昔に読んだとおもわれるかもしれない。日本でも思想的には一九八〇年代の一時期に流行もした。ところが日本独自のいつもの事情通り、ただ単なる流行で終わってしまった印象が今なおある。ところが、ジュネが生涯の前半では実際に歩みもし、生涯の後半では描きもした独特の道程は、フーコーが論じた一般的な行刑機関の機能に回収されるものではほとんどない。その点がジュネの面白さではあるけれども。だから面倒かもしれないが、一般的な「監視と処罰」とはどのようなものだったかについて一通り振り返っておくと後々都合がいいようにおもう。

まず古典主義時代まではとにかく派手で盛大な行刑処分が当たり前に行われていた。或る種の「祭り」としての処刑であある。ストーリーがあるのだ。罪人は主人公として公衆の面前へと華々しく登場する。裁かれるのはまともに「身体」であり、その意味ではフーコーが上げているように「身体刑は、傷痕を体に残すことによって、あるいは華々しい儀式をともなうことによって、刑の犠牲者を不名誉な人間にしたてあげねばならない」、その一方でそれが犯罪と等価の価値をもつ「浄化」行為としても役立たなければならない。パフォーマンスとしてもただ単に豪華絢爛なだけでは何らの意味もない。行政あるいは資本と一体化し始めた行政はいつも一石で二鳥を落とす。合理性が理性として忍び込んでくる。理性は意識的なものだ。そこでは、貸した分は少なくとも等価かそれ以上の価値で返されなければ許されないという理性が働いている。だから古典主義時代に入ったときすでに「経済性」は考慮に入れられていた。

「身体刑は一つの技術なのであり、それは法律ぬきの極度の狂暴さと同一視されてはならないのである。刑罰は、身体刑になるためには次の三つの主要な基準に合致する必要がある。第一に刑罰は、人が正確に測定できずとも少なくとも評価と比較と段階づけを行いうる、ある量の苦痛を生み出さなければならない。死刑が一つの身体刑であるのは、死刑が単に生存権の剥奪ではないのみならず、しかも計算にもとづく苦痛の漸次的増加の機会ならびに時間である、そうした意味合いにおいてであり、その死刑の幅たるや、斬首刑──あらゆる苦痛を一刀両断の動作とただの一瞬とに縮めているので、つまり身体刑の零度ーーーに始まり、苦痛をほとんど無限にまで高める四裂きの刑にいたるわけで、その中間に絞首刑と火刑と長時間の苦しみを与える車責めの刑がある。身体刑としての死刑は、生命を苦痛のなかに留めておく技術であって、生命を《多様な死にざま》に分割して、生存の停止以前に『最大限に精妙なる苦悶』を獲得する。身体刑は苦痛についての量中心の技術全体を基礎にしている。だが次に、苦痛を生じさせるには規則がともなうのである。身体刑は、身体への打撃の型、苦痛の質・強さ・時間を、犯罪の軽重、犯罪者の地位身分、犠牲者の位階、これらと相関関係におく。苦しみには法律的な基準が定めてあり、身体刑である場合の刑罰は、盲滅法に、もしくは一まとめにして身体に加えられるのではなく、細則にしたがって計算されるのである。たとえば、鞭打ちの回数、烙印の押される位置、火刑や車責めの刑の責苦の時間(執行途中の死刑囚を死ぬまで放置しておくかわりに、ただちに絞殺すべきかどうか、また、どれだけの時間を経たのちに絞殺というこの憐れみの処置をとるか、その点を決定するのは裁判所の仕事である)、執行すべき身体毀損のタイプ(手を斬り落とし、舌や唇を突き刺す責苦)。これら各種の要素すべてが刑罰を多様にするのであって、しかも裁判所および犯罪の質に応じて組み合わされる。ロッシの表現によると、『ダンテの詩情が法律化されたもの』である。が、いずれにせよ、身体と刑罰にかんする果てしない知である。第三に、身体刑は一種の祭式を構成する。処罰の典礼の構成要素の一つ、しかも次の二つの要請をみたすそれである。身体刑は、刑の犠牲者にかんしては痕跡を残すものでなければならない、つまり身体刑は、傷痕を体に残すことによって、あるいは華々しい儀式をともなうことによって、刑の犠牲者を不名誉な人間にしたてあげねばならない。犯罪(クリーム)の《浄化》という機能をもちながらも、身体刑は清浄潔白にしてくれるわけではない。それは受刑者のまわりに、さらにはその身体そのものに、消えうせてはならない表徴をしるすのであって、いずれにせよ、人々は晒し者の刑や晒し台の刑や拷問や責苦をまさしく自分の目で見たのち、それらの思い出を記憶にとどめるだろう。他方、刑を課す司法の側については、身体刑は華々しいものでなければならない、いくぶんかは司法の側の勝利として万人の目で見てもらわなければならない。使用される暴力の極端さそのものが、司法の栄光の一部分をつくるのである。すなわち、罪人が責苦をうけて悲鳴をあげ大声を出すということは、司法の恥ずべき側面ではなく、自らの力を誇示する司法の儀式そのものである。多分、被処刑者の死後も身体刑がくりひろげられる理由はそこにあるにちがいない。たとえば、死体の火あぶり、燃えはてた灰の散布、簀の子に載せての死体の引きまわし、道ばたでの死体の晒し。司法は、在りうべき責苦のあとまでも身体を追い回すのだ。刑罰としての身体刑は、身体へのありとあらゆる処罰を包括しているわけではない。というのは、それは分化したかたちで苦痛を生み出すことであり、刑の犠牲の刻印のために、また処罰する権力の明示のために組織される祭式であって、自分の立てた原則を忘れ自己統御を失ってしまうような司法権力の激怒のすがたではないのである。身体刑の《極端さ》には、権力の一つの経済策全体がもりこまれている」(フーコー「監獄の誕生・P.38~39」新潮社)

やや時代を下る。拷問はもちろん残っている。だが、残酷や残虐が拷問の主軸を占める見せもの的な時代はもはや終わりに近い。国家は少し賢くなった。一般の犯罪者集団によるリンチなどという馬鹿げた行為にわざわざ予算をつぎ込んだりはしなくなる。そしてそこでは綿密な計算と体系化(コード化)という近代合理主義が司法を大きく変えていく過程を見せつけることになる。とはいえ、この合理化はきわめて近代的な合理化であって、そのぶん、人々の目にはなかなか付きにくくされている。逆に力を持ったのは体系化(コード化)という「経済策」だ。

「拷問はどんな犠牲を払ってでも真実を手に入れる手段ではない、つまり、近代の尋問の荒れ狂ったような拷問ではまったくないのであって、古典主義時代のそれは、なるほど残酷ではあるが野蛮ではない。きちんと規定された手続にしたがう規則正しい執行であって、たとえば、拷問の時期・時間、使用される道具類、綱の長さ、重(おも)りの重量、楔の数、尋問する司法官の介入の仕方など、こうしたすべては各種の慣行にもとづいて、細心の注意をはらって、体系化(コード化)してある。拷問は厳密な司法上の作用なのである」(フーコー「監獄の誕生・P.44」新潮社)

さらに事情は変化する。犯罪者はただ単なる犯罪者で終わるわけでは何らない。他のものと置き換え可能なものとして「活用」への過程が用意されていく。

「刑の期間が意味をもつのはもっぱら、可能な矯正、および矯正される犯罪者の経済的な活用との関連においてでしかない」(フーコー「監獄の誕生・P.126」新潮社)

それでも監視はどこまで行っても監視の範囲を越えることはない。監視が管理へと変化したのはむしろつい最近のことだ。監視を伴いつつも新しい管理社会が登場したのは戦後しばらく経ってから。日本ではそれがまったく新しい管理社会だと気づかれるようになったのは二〇世紀も終わり頃。九〇年代後半に入ってからだろう。欧米は先端的テクノロジーの発展がもっと早かったために、気づかれるのも早かった。しかし気づくのに遅れをとったということは、先を越されたということでもある。そして行刑機関としての国家に対して、対抗する勢力は今なお常に先を越されてしまっている。しかし現代の管理社会について述べるのはまだ早い。まず抑えておきたいのはいわゆる「パノプティコン」である。

「ベンサムの考えついた<一望監視施設>(パノプティコン)は、こうした組み合わせの建築学的な形象である。その原理はよく知られているとおりであって、周囲には円環状の建物、中心に塔を配して、塔には円周状にそれを取巻く建物の内側に面して大きい窓がいくつもつけられる(塔から内庭ごしに、周囲の建物のなかを監視するわけである)。周囲の建物は独房に区分けされ、そのひとつひとつが建物の奥行をそっくり占める。独房には窓が二つ、塔の窓に対応する位置に、内側へむかって一つあり、外側に面するもう一つの窓から光が独房を貫くようにさしこむ。それゆえ、中央の塔のなかに監視人を一名配置して、各独房内には狂人なあり病者なり受刑者なり労働者なり生徒なりをひとりずつ閉じ込めるだけで充分である。周囲の建物の独房内に捕えられている人間の小さい影が、はっきり光のなかに浮かびあがる姿を、逆光線の効果で塔から把握できるからである。独房の檻の数と同じだけ、小さい舞台があると言いうるわけで、そこではそれぞれの役者はただひとりであり、完全に個人化され、たえず可視的である。一望監視のこの仕掛けは、中断なく相手を見ることができ即座に判別しうる、そうした空間上の単位を計画配置している。要するに、土牢機能──閉じ込める、光を絶つ、隠すーーーのうち、最初のを残して、あとは解消されている。(この新しい仕掛では)充分な光と監視者の視線のおかげで、土牢の暗闇の場合よりも見事に、相手を補足できる。その暗闇は結局は保護の役目しか果していなかったのだから。今や、可視性が一つの罠である。その結果としてまず第一にーーー消極的な効果としてだがーーー幽閉の施設のなか、ゴヤによって描かれハワードによって記述された、そうした場所のなかにかつて見出された、あの多数の人々が密集し、うごめき、騒がしかった状態は回避できる。今や各人は、然るべき場所におかれ、独房内に閉じ込められ、しかもそこでは監視者に正面から見られているが、独房の側面の壁のせいで同輩と接触をもつわけにはいかない。見られてはいても、こちらには見えないのであり、ある情報のための客体ではあっても、ある情報伝達をおこなう主体にはけっしてなれないのだ。中央の塔に向きあう自分の個室の配置によって、各人は中心部からの可視性を押しつけられるが、しかし円環状の建物の内部区分たる、きちんと分離された例の独房は側面での不可視性を予想させる。しかもその不可視性は秩序によって保証されるのである。で、閉じ込められる者が受刑者であっても、陰謀や集団脱獄の企てや将来の新しい犯罪計画や相互の悪い感化などが生じる懸念はない。病者を閉じ込めても感染の心配はなく、狂人の場合でも相互に狂暴になる危険はないし、子供の閉じ込めであっても、他人の宿題などをひき写す不正行為も、騒ぎも、おしゃべりも、盗みも、共同謀議も、仕事の遅れや不完全な仕上がりや偶発事故をまねく不注意も起こらない。密集せる多人数、多種多様な交換の場、互いに依存し共同するさまざまな個人、集団的な効果たる、こうした群衆が解消されて、そのかわりに、区分された個々人の集まり(という新しい施設)の効果が生じるわけである。看守の観点に立てば、そうした群衆にかわって、計算調整が可能で取締りやすい多様性が現われ、閉じ込められる者の観点に立てば、隔離され見つめられる孤立性が現われるのだ。その点から生じるのが<一望監視装置(パノプティック)>の主要な効果である。つまり、権力の自動的な作用を確保する可視性への永続的な自覚状態を、閉じ込められる者にうえつけること。監視が、よしんばその働きの中断があれ効果の面では永続的であるように、また、権力が完璧になったためその行使の現実性が無用になる傾向が生じるように、さらにまた、この建築装置が、権力の行使者とは独立した或る権力関係を創出し維持する機械仕掛になるように、要するに、閉じ込められる者が自らがその維持者たる或る権力的状況のなかに組み込まれるように、そういう措置をとろう、というのである。そうであるためには、囚人が監視者にたえず見張られるだけでは充分すぎるか、それだけでは不充分か、なのだ。まったく不充分と言うのは、囚人が自分は監視されていると知っているのが肝心だからであり、他方、充分すぎると言ったのは、囚人は現実には監視される必要がないからである」(フーコー「監獄の誕生・P.202~203」新潮社)

皮肉なことに「囚人は」もはや「監視される必要がない」。パノプティコンは途方もなく合理的な装置である。見る側の姿はまったく見えない。けれども、見られる側の姿はいつどこで何をしているか、常に監視されているという意識を持たざるを得ない。そこでは「監視する側の没人格化」という特異な現象が起こってくる。

「<一望監視装置>(パノプティコン)は、見る=見られるという一対の事態を切り離す機械仕掛であって、その円周状の建物の内部では人は完全に見られるが、けっして見るわけにはいかず、中央部の塔のなかからは人はいっさいを見るが、けっして見られはしないのである。これは重要な装置だ、なぜならそれは権力を自動的なものにし、権力を没人格化するからである」(フーコー「監獄の誕生・P.204」新潮社)

したがって、監視する側にとって、「誰が」監視するか、などということはほとんど問題にならない。いまの日本経済にとって課題とされている人材不足問題だが、「監視する側」の観点からみるかぎり、人材に関してだけではあるにせよ、すでに刑務所の中では問題解消されている。「誰でもいい」からだ。

「誰が権力を行使するかは重大ではない。偶然に採用された者でもかまわぬぐらいの、なんらかの個人がこの機械装置を働かすことができる、したがって、その管理責任者が不在であれば、その家族でも側近の人でも友人でも来訪者でも召使でさえも代理がつとまるのだ。まったく同様に、その人を駆り立てる動機が何であってもよく、たとえば、差し出がましい人間の好奇心であれ、子供のいたずらであれ、この人間性博物館を一巡したいとおもう或る哲学者の知的好奇心であれ、見張ったり処罰したりに喜びを見出す人間の意地悪さであれかまわない。こうした無名で一時的な観察者が多数であればあるほど、被拘禁者にしてみれば、不意をおそわれる危険と観察される不安意識がなおさら増すわけである。<一望監視装置>とは、各種各様な欲望をもとにして権力上の同質的な効果を生む絶妙な機械仕掛である」(フーコー「監獄の誕生・P.204」新潮社)

ここで「権力上の同質的な効果を生む絶妙な機械仕掛」とある。資本主義をより一層推し進める側にせよ、反対に資本主義の横暴を許さないとする側にせよ、常に既に出来上がってしまっていることがある。それが「権力上の同質的な効果を生む絶妙な機械仕掛」である。ニーチェはいう。権力者層にとって、すべての人間を等質のものとして裁きを与えるためには、前もって「人間」を「人間という一言」でくくりあげて拘束してしまい、どの人間のどの部分を持ってきてもいずれもが等質のものでなければ計算できない。だから近代的人間の誕生はその各々が先験的にもっている差異〔それぞれ異なるということ〕を抹消して、無理やり「算定できるものにした」、あるいは「算定できるものにされた」と。

「これこそは《責任》の系譜の長い歴史である。約束をなしうる動物を育て上げるというあの課題のうちには、われわれがすでに理解したように、その条件や準備として、人間をまずある程度まで必然的な、一様な、同等者の間で同等な、規則的な、従って算定しうべきものに《する》という一層手近な課題が含まれている。私が『風習の道徳』と呼んだあの巨怪な作業ーーー人間種族の最も長い期間に人間が自己自身に加えてきた本来の作業、すなわち人間の《前史的》作業の全体は、たといどれほど多くの冷酷と暴圧と鈍重と痴愚とを内に含んでいるにもせよ、ここにおいて意義を与えられ、堂々たる名文を獲得する。人間は風習の道徳と社会の緊衣との助けによって、実際に算定しうべきものに《された》」(ニーチェ「道徳の系譜・P.64」岩波文庫)

このような過程を経て、どの人間も言葉の上ではなるほど「平等」であるとされたが、行刑機関としての国家からみれば、「平等」であればあるほど逆にどのような人間であっても、法の名において計算づくめでどのような裁きをも与えうる大義名分を獲得したということを意味している。

「ある現実的な服従強制が虚構的な(権力)関連から機械的に生じる。したがって、受刑者に善行を、狂人に穏やかさを、労働者に仕事を、生徒に熱心さを、病人に処方の厳守を強制しようとして暴力的手段にうったえる必要はない。ベンサムが驚嘆していたが、一望監視の施設はごく軽やかであってよく、鉄格子も鎖も重い錠前ももはや不要であり、(独房の)区分が明瞭で、戸口の窓がきちんと配置されるだけで充分である。城塞建築にもひとしい古い《安全確保(シュルテ)の施設》(つまり牢獄)にかわって、今や《確実性(セイティチュード)の施設》(新しい一望監視の装置)の簡潔で経済的で幾何学的な配置が現われうるわけである。権力の効果と強制力はいわばもう一方の側へーーー権力の適用面の側へ移ってしまう。つまり可視性の領域を押しつけられ、その事態を承知する者(つまり被拘禁者)は、みずから権力による強制に責任をもち、自発的にその強制を自分自身へ働かせる。しかもそこでは自分が同時に二役を演じる権力的関係を自分に組込んで、自分がみずからの服従強制の本源になる。それゆえ、外側にある権力のほうでさえも自分の物理的な重さ(施設や装置の重々しさ)を軽くでき、身体不関与を目標にする。しかもその権力がこの境界(精神と身体との)へ接近すれば接近するほど、ますますその効果は恒常的で深いもの、最終的に付与され、たえず導入されるものとなる。つまり、あらゆる物理的(身体的、でもある)な対決を避け、つねに前もって仕組まれる、永続的な勝利」(フーコー「監獄の誕生・P.204~205」新潮社)

刑務所内で囚人はすでに自動機械である。パノプティコンの絶大な効果のもとで、囚人たちは自分で自分自身の行為だけでなく内面すらも見張るようになる。近代合理性あるいは理性は「極悪凶暴」とされる囚人たちをあっという間に手なずけることに成功した。囚人の内面まで用意周到に隈なく自分で注意深く監視させること。「極悪凶暴」なのは一体どちらかという疑問すら湧いてこなくもない。さらにパノプティコンの有効性は広く認められるに至る。多種多様な業種で応用されるようになる。いまでも「あらゆる施設に適用可能である」とフーコーは述べる。

「応用面ではその施設は多価値的である。囚人の素行を改めさせる役目だけにとどまらず、病者を看護したり、生徒を教育したり、狂人を見張ったり、労働者を監視したり、乞食や無為怠惰な者を働かせたりに役立つ。それは空間のなかへのさまざまな身体の定着の型であり、個々人の相互比較による配分の型、階層秩序的な組織の型、権力の中心とその通路の配置の型、権力の用いる道具および介入の様式の型であって、これらは病院や仕事場や監獄で使用しうる型である。多種多様な個々人を対象にして、彼らに或る課題や或る行為を押しつけなければならぬ場合、この一望監視の図式が活用できるだろう。それこそはーーー必要な変形を加えるという条件をつけるならーーー『広すぎない一定の空間内で、或る人数の人間を監視下におく必要がある、あらゆる施設に』適用が可能である」(フーコー「監獄の誕生・P.207」新潮社)

実際、刑務所や行刑施設の外で有効利用されるようになったパノプティコン。「病院の患者監視」「学校の生徒監視」「精神病院患者の監視」「労働者の勤務管理」「無職者の動向監視」などに広がっている。そしてそれらは情報としていつでも現金化できるようになった。この過程がグローバル化と同時に進行したことで生じてきた、いわゆる「監視」から「管理」へと呼ばれる推移だ。家族が家族をリサーチする。マーケティングする。売買が成立する。自分で自分自身の言動についていつも鋭敏に目を光らせていること。できているか、そうでないか。できていないならどうすればよいか。できているならどのような行動に移るべきか。各自は自分で自分自身を常に監視する形で自分の言動を決定する。パノプティコンはそもそも上からの監視として採用されたシステムなのだが、この効果は余りにも合理的であるがゆえ、われもわれもと世界中が急速に同様の施設・設備を配置するに至った。このとき、自分で自分自身を監視することは、もはや常識レベルの次元で果たされていたと、専門的には考えられている。

「監禁的なるものは、徒刑監獄や犯罪者の懲役刑にはじまり雑多で軽微な規制にまで広がる長い濃淡の段階をもっているとはいえ、法律によって正当化され司法が得意な武器として活用する或る型の権力を伝える。規律・訓練ならびにそこで機能する権力が、はたしてどのように恣意的な姿で現われたりしようか、それらが司法そのものの諸機構を、それらの強さをやわらげながらもひたすら活動させているからには。規律・訓練が権力の諸結果を一般化して、自分の最低段階の施設にまで権力を伝達するのは、権力の厳格さを避けるためであるからには。監禁制度のこうした連続性、ならびに《形式としての監獄》のこうした普及の結果、規律・訓練中心の権力の合法化が、いやいずれにせよそれの正当化が可能になり、こうしてその権力は自らに含まれうる過度なもの、もしくは職権濫用的なものを人目につかぬようにするのである。

ところが反対に、ピラミッド状の監禁制度は、法律上の処罰を行使する権力に、その権力があらゆる過度ないしあらゆる暴力からいわば免れた姿をおびるそうした脈略を与える。規律・訓練の装置とそこに含まれる《規制措置》が巧妙なやり方で拡大上昇する諸段階のなかでは、監獄が表明するのは別種の権力の爆発では全然なく、まさしく、すでに最初の段階の制裁以来たえず働いている機構の強さの補足的一段階にすぎないわけである。投獄するまでにいたらず人を閉じ込める《矯正》施設の最低段階のものと、法律違反を特定したのちにその罪人を送りこむ監獄とのあいだでは、差異はほとんど感じられない(しかも感じられてはならない)のである。独特な処罰権力をなるべく秘密にするという結果をみちびく厳重な経済策である。今後はいかなるものもその権力に、かつて身体刑受刑者の身体に権威の報復をおこなっていた時代の、君主権力の古い過激さをもはや思い出させはしない。監獄は他の場所で始められた仕事を、しかも社会全体が多数の規律・訓練上の機構をとおして成員のそれぞれに続ける仕事を、投獄される人々に継続して行なうのである。

こうした監禁の連続体のおかげで、判決をくだす審級(裁判中心の)が取締りと変容と矯正と改良にあたるすべての審級(行刑中心の)のなかにしのびこむ。極端な場合には、もはやいかなるものによっても前者の審級は後者の審級から区別されないにちがいない、もしも非行者のとくに《危険有害な》性格、彼らの逸脱のはなはだしさ、祭式(司法の有する)の当然の厳粛さなどが存在しなければ。ところが、この処罰権力は機能の点では、治療もしくは教育の権力と本質的には異なっていない。処罰権力はそれらの権力から、そしていっそう劣った取るにたりぬその職務から、下部からの保証を、ただし技術と合理性を中心とする保証である以上やはり重要な保証を受取る。監禁的なるものは、規律・訓練をおこなう技術的権力を《合法化する》ように、処罰をおこなう法律的権力を《自然なものにする》。このように両者の権力を等質化し、法律的権力のなかに存在しうる暴力的なものと技術的権力のなかに存在しうる恣意的なものを消し去り、両者の権力のせいで起こるかもしれない反抗の影響をやわらげ、したがってそれら権力の激化と執拗さを役立たぬものにし、機械技術的であれ慎ましやかであれ同一の計算された方法を一方の権力から他方の権力へ通いあわせる、以上の方法でもって監禁的なるものは、人間の有益な管理ならびに蓄積の問題があらわれた十八世紀にその方式が探究されてきた、あの権力の大いなる《経済策》の実効化を可能にする」(フーコー「監獄の誕生・P.302~303」新潮社)

ところが実効性を持ったのはただ単に《経済策》だけではなかった。広い意味ではなるほど経済的ではあるが。この経済策は、「欲望する機械」をも作品化することに成功した。ベンサムがそこまで考えおよんでいたとは到底考えられない。しかし資本主義はその合理性を熟成させるとともにじっくりと「欲望の抑制」すら育んでいた。フーコーと前後する形でドゥルーズとガタリが述べたことだ。

「分裂者分析の目的は、以下のようなものとなる。まず、経済と政治とに対するリビドー備給の特殊な本性を分析すること。次に、このことによって、欲望している主体の中で、いかにして欲望が自分自身の抑制を欲望するという決心が起りうるかということを明らかにすること」(ドゥルーズ&ガタリ「アンチ・オイディプス・P.132~133」河出書房新社)

具体的にこうも述べる。

「《ただ、欲望というものと社会というもののみが存在し、それ以外のなにものも存在しないのである》。社会的再生産の最も抑制的なまた最も致命的な形態でさえも、欲望そのものによって生みだされるものなのだ。あれこれの条件の下で欲望から派生する組織の中で生みだされるものなのだ。われわれは、このあれこれの個々の条件を分析しなければならないであろう。したがって、政治哲学の基本的な問題は、依然としてスピノザが提起することができた次の問題(この問題を発見したのはライヒである)につきることになる。すなわち、『何故、ひとびとは、あたかも自分たちが救われるためででもあるかのように、みずから進んで従属する《ために》戦うのか』といった問題に。いかにして、ひとは、<パンを切りつめても、もっと多くの税金を>などと叫ぶことになるのか。ライヒがいうように、驚くべきことは、ある人々が盗みをするということではない。またある人々がストライキをするということでもない。そうではなくて、むしろ、飢えている人々が必ずしも盗みをしないということであり、搾取されている人々が必ずしも盗みをしないということである。何故、人々は幾世紀もの間、搾取や侮辱や奴隷状態に耐え、単に他人のためのみならず、自分たち自身のためにもこれらのものを《欲する》ことまでしているのか」(ドゥルーズ&ガタリ「アンチ・オイディプス・P.44」河出書房新社)

また、家庭のあり方について。なぜ日本でも殺人発生率が最も多いのは家庭内なのか。「オイディプス神話」について、もっと本気で疑ってかかる必要性を感じるというほかない。

「家庭は欲望の生産の中に導入されて、最も幼いころから欲望のおきかえを(つまり信じられないような欲望の抑圧を)操作することになる。家庭は、社会的生産によって、抑圧に派遣されるのである。ところで、家庭がこうして欲望の登録の中にすべりこむことができるのは、先にみたように、この登録が行われる器官なき身体が既に自分自身において欲望する生産に対する《根源的な抑圧》を行使しているからである。この根源的な抑圧を利用してこれに《いわゆる二次的な抑圧》を重ねることが、家庭の仕事なのである。この二次的な抑圧は、家庭に委托されているのだとも、あるいは家庭がこの抑圧に派遣されているのだともいってもいい。(精神分析は、この一次、二次の二つの抑圧の間の相違をいみじくも指摘したが、しかしこの相違の有効範囲とこの両抑圧の体制の区別を示すには至っていない)。したがって、いわゆる抑圧は、実在する欲望する生産を抑圧することに満足せず、この抑圧されたものに、みかけのおきかえられたイマージュを与えて、家庭的登録をもって欲望の登録の代りとしてしまうことになる。欲望する生産の集合が、周知のオイディプス的形象をとることになるのは、この欲望する生産が家庭的に翻訳されている場合でしかないのだ」(ドゥルーズ&ガタリ「アンチ・オイディプス・P.151~152」河出書房新社)

要するに、まず第一に「ひな形」としての「人為的家庭」が政府主導で作成される。改憲論議もまたその中に含まれよう。同時に「家庭」のあり方。それは社会的規模を有する権力者層の希望にそった「家庭のあり方」でのみ、まさしくその「あり方」で押し付けられるかぎりでのみ、「家庭のあり方」はあくまで《経済策》として国家の側から一方的に「派遣される」という事情を抜きにして語れないのである。

また、「狂気」についてフーコーは「獣性」の移動というエピソードに触れている。これはこれで注目すべき部分だろう。

「クートンが狂人たちの動物性を定式化し、彼らがそこでふるまうのは自由にしておいたとき、彼は狂人(フウー)たちを動物性から解放したのではあったが、彼自身の動物性をさらけだし、そこに閉じこもってしまったのである。彼の狂暴さのほうが、狂人(デマン)たちの狂気よりもいっそう気違いじみ、いっそう非人間的だったわけである。こうして、狂気は狂人を見張る番人たちのほうへ移動した。狂人を動物として閉じこめる者のほうが、今や狂気の動物的な野蛮さを保持する者なのである。そうした人々においてこそ獣性は荒れくるうのであり、狂人たちに現われる獣性はその人々の獣性の混沌とした反映にほかならない。一つの秘密があらわになる。というのは、獣性は動物のなかにではなく、それを鎖につなぐ家畜化のなかにあったからである」(フーコー「狂気の歴史・P.499」新潮社)

洒落で「ミイラ取りがミイラに」とある。それを地で行ったわけだ。しかしこれはそういう教訓的な意味ではまったくない。むしろ獣性は移動するものだということが一つある。獣性の置き換え可能性という点。この点に関して日本のマスコミは考えなくてはならないだろう。一方で「綿密に計算された許されない犯罪」という用語の濫用。他方で「まったく行き当たりばったりの許されない犯罪」という用語の濫用。「犯罪報道で食っているマスコミだから仕方がない」、ではもはや済まされないとおもわれる。この際、「マスコミという獣性」も用語のうちに叩き込んでおくべきだろう。視聴者を馬鹿にするにもほどがあるというものだからだ。もう一つは獣性の生成変化と性愛の生成変化とのきわめて近く深い関係が上げられる。

「性愛とは数かぎりない性を産み出すことであり、そのような性はいずれも制御不可能な生成変化となる。《性愛は、男性をとらえる女性への生成変化と、人間一般をとらえる動物への生成変化を経由する》。つまり微粒子の放出である。だからといって獣性の体験が必要なわけではない。性愛に獣性の体験が顔を出すことは否定できないし、精神医学の逸話にも、この点でなかなか興味深い証言が数多く含まれている。だがそれは極度の単純さから、いずれも婉曲で、愚かしいものになりさがっている。絵葉書の老紳士のように犬の『ふりをする』ことが求められているのではない。動物と交わることが求められているわけでもない。動物への生成変化を性格づけるのは何よりもまず異種の力能だ。なぜなら、動物への生成変化は、模倣や照応の対象となる動物にその現実性を見出すのではなく、みずからの内部には、つまり突如われわれをとらえ、われわれに<なること>をうながすものに現実性を見出していくからである。動物への生成変化の現実性は、《近傍の状態》や《識別不可能性》に求められる。それが動物から引き出すものは、馴化や利用や模倣をはるかに超えた、いわくいいがたい共通性だ。つまり『野獣』である」(ドゥルーズ&ガタリ「千のプラトー・中・P.247~288」河出文庫)

この「獣性」については「家族小説」としてのゾラ「居酒屋」「ナナ」などが面白いとおもうのだが。ニーチェはいう。外部へ放出されないエネルギーは方向転換されて内部へ逆流すると。家庭内殺人や自殺行為だけでなく自主規制や自己責任論なども、ニーチェなら躊躇なくこの種に分類することだろう。

BGM

ステレオタイプに抗する思考と事故としてのクレル

2019年08月30日 | 日記・エッセイ・コラム
人間は本来的に怠惰だ。必要に迫られて始めて思考する。というより、必要に迫られているときすでに事態は切迫しており、しばしば見受けられることだが、破局はもう目前に差し迫っているということでもある。

「思考するということはひとつの能力の自然的な〔生まれつきの〕働きであること、この能力は良き本性〔自然〕と良き意志をもっていること、こうしたことは、《事実においては》理解しえないことである。人間たちは、事実においては、めったに思考せず、思考するにしても、意欲が高まってというよりはむしろ、何かショックを受けて思考するということ、これは、『すべてのひと』のよく知るところである」(ドゥルーズ「差異と反復・上・P.354」河出文庫)

だから人間は強制的かそれとも暴力的かでないかぎり思考しようとはしない。できれば何も考えずにいたいと常々おもっている。ところが、或る日のプルーストに次のような思考が現われた。

「私の就寝の舞台とドラマ、私にとってそれ以外のものが、コンブレーから、何一つ存在しなくなって以来、すでに多く年月を経ていたが、そんなある冬の日、私が家に帰ってくると、母が、私のさむそうなのを見て、いつもの私の習慣に反して、すこし紅茶を飲ませてもらうようにと言いだした。はじめはことわった、それから、なぜか私は思いなおした。彼女はお菓子をとりにやったが、それは帆立貝のほそいみぞのついた貝殻の型に入れられたように見える、あの子づくりでまるくふとった、《プチット・マドレーヌ》と呼ばれるお菓子の一つだった。そしてまもなく私は、うっとうしかった一日とあすも陰気な日であろうという見通しにうちひしがれて、機械的に、一さじの紅茶、私がマドレーヌの一きれをやわらかく溶かしておいた紅茶を、唇にもっていった。しかし、お菓子のかけらのまじった一口の紅茶が、口蓋にふれた瞬間、私は身ぶるいした、私のなかに起こっている異常なことに気がついて。すばらしい快感が私を襲ったのであった、孤立した、原因のわからない快感である。その快感は、たちまち私に人生の転変を無縁のものにし、人生の災厄を無害だと思わせ、人生の短さを錯覚だと感じさせた」(プルースト「失われた時を求めて1・P.74」ちくま文庫)

「《プチット・マドレーヌ》と呼ばれるお菓子」の記憶が持つ暴力的かつ強制的なまでに強烈な印象が契機となって、あの長い「失われた時を求めて」を思考させる方向へ語り手を誘導したのだ。要するにプルーストは「《プチット・マドレーヌ》と呼ばれるお菓子」の記憶に「ショックを受けて思考する」ことになった。人間は一体何にショックを受けて思考し始めるか自分でも知らない。しかしこのショックによって喚起された記憶はあいまいなものではなく、喚起されるごとにはっきりと姿形を変えるものでもある。アルベルチーヌの印象。それは或るときはモル的なファシズム集団の一員として喚起される。その描写はまるでナチスの行進をおもわせる。読者は「等質な全体」とはそういうものだと理解するだけでなく、そのような「等質な全体」なら今でもしばしば街中で見かけるということに気づく。

「いまは彼女らを個性で区別できるようになったとはいえ、仲間意識と自負心とに気負いたった彼女らのまなざしが、友達の一人に向けられるか通行人に向けられるかによって、あるときは内輪への関心を、あるときは外部への横柄な無頓着を、ちらちらとほのめかしながら、たがいに相手のまなざしと答えあっているその意気投合、また『独自の一団』をつくっていつもいっしょに散歩するほど緊密にむすばれあっているというその意識、それらが、彼女らの個々に離れて独立している肉体間に、その肉体が寄りあってゆっくり進んでゆくとき、おなじ一つのあたたかい影、おなじ一つの大気のように、目に見わけられないが調和ある一つのつながりのようなものを設定し、そのつながりは、彼女らの肉体を部分的に等質な一つの全体にまとめあげると同時に、その等質な全体を、彼女らの肉体の行列がゆっくりとつらなってゆく群衆からはっきりと区別していた」(プルースト「失われた時を求めて3・P.179」ちくま文庫)

さらに或るときは、まったく違ったアルベルチーヌが出現する。ファシズム的な一切の要素から切り離されてさまざまに姿を変える。その都度、生成変化《として》登場する。しかしアルベルチーヌが変化《として》出現するとき、その都度、語り手の側もまた生成変化していることに注意しておきたい。

「そうしたさまざまのアルベルチーヌは、投光機(プロジェクター)から出てくるライトの無数に変わるたわむれのままに、その色、その形、その性格を変えるダンサーの姿のように、一つ一つちがっていた」(プルースト「失われた時を求めて3・P.434」ちくま文庫)

「そのときの私次第で、私のまえにけっして同一の姿をあらわさなかったそのアルベルチーヌの一人一人を、ちがったふうにとりあげなくてはならなかっただろう、そんなさまざまのアルベルチーヌは、あの多様な海ーーー便宜上私は単数で海と呼んでいるのだが、じつはつぎつぎに変わってゆくあの多様な海ーーーに似ていたのであって、そんな多様な海のまえに、ほかでもないニンフのアルベルチーヌが、浮きだしているのであった」(プルースト「失われた時を求めて3・P.435」ちくま文庫)

「私の唇をアルベルチーヌの頬に向けるその短い行程において私が目に見たのは、十人のアルベルチーヌなのだ、そしてこのたった一人の少女がいくつもの顔をもった女神のようになって、私が近づこうと試みると、このまえバルベックで最後に私が見た顔は、またべつの一つの顔にとってかわるのであった」(プルースト「失われた時を求めて5・P.98」ちくま文庫)

このような現象に特異な点は何らない。思考はショックを受けないかぎり思考しないという人間の怠惰ぶりの証拠だからだ。ところがいったん決定的なショックを受けるとこんどは思考することから逃れられなくなるという模範例のような小説ではある。そして特異な点ではない点として身近な人物の死についての記述に言及しておくことは無駄ではないだろう。どのような身近さかは別として、一般に身近な人物の死について、その死が、思っていたほどに身近には感じられないということはしばしば経験することでもある。プルーストは次のように描いている。

「酸素の音はすでにやんでいて、医師がベッドから離れた。祖母は死んでいた」(プルースト「失われた時を求めて5・P.62」ちくま文庫)

「私はかがんで、ゆっくり、用心深く、靴をぬごうとした。ところが半長靴の最初のボタンに手をふれたとたんーーー。私はいま、記憶のなかに、あの最初の到着の夕べのままの祖母の、疲れた私をのぞきこんだ、やさしい、気づかわしげな、落胆した顔を、ありありと認めたのだ、それは、いままで、その死を哀悼しなかったことを自分でふしぎに思い、気がとがめていたあの祖母、名前だけの祖母、そんな祖母の顔ではなくて、私の真の祖母の顔であった、彼女が病気の発作を起こしたあのシャン=ゼリゼ以来はじめて、無意志的で完全な回想のなかに、祖母の生きた実在を見出した」(プルースト「失われた時を求めて6・P.267」ちくま文庫)

「祖母の生きた実在を見出し」て始めて、語り手は、語り手自身の「苦しみ」を引き受け尊重していこうと決める。

「単に苦しむことをねがっただけではなく、私が受けた苦しみの独特さ(オリジナリティ)を、私がふいに、無意志で、それを受けた状態のままで、尊敬してゆこうとしたからだ」(プルースト「失われた時を求めて6・P.272」ちくま文庫)

実際の「祖母の死」から語り手による苦痛によってしか思い出すことができない「語り手に固有の祖母の死」に到達するまで、文庫本にして約七〇〇頁の開きがある。そのあいだは全然別の話がつづいている。そういうことはしばしばある。そしてどのような思考であるにせよ、それぞれに固有の時間をもつ、あるいは別の時間軸の導入がある、という認識を忘れるべきではないだろう。

さて、ジュネ。

「泥棒日記」の冒頭はこうだ。

「徒刑囚の服は薔薇色(ばらいろ)と白の縞(しま)になっている。もし、この、わたしが居心地よく思う世界を、自分の心の命ずるままに選びとったのだとすれば、わたしには少なくともそこに自分の欲するさまざまな意味を見いだす自由はあるだろう、ーーー《それで、花と徒刑囚の間には緊密な関係がある》。一方の繊弱さ、繊細さと、他方の凶暴な冷酷さとは同じ質のものなのである(わたしの心の感動は、その片方から他方へとゆく振動にほかならない)。わたしは、徒刑囚ーーーか犯罪者ーーーを描くことがあるたびに、その男を数々の花で飾ってやるだろう、そのため彼は花々の下にその姿を消し、そして彼自身一つの巨大な、新しい花となるだろう」(ジュネ「泥棒日記・P.5」新潮文庫)

ジュネは明らかに生成変化について書いている。「感動は、その片方から他方へとゆく振動にほかならない」。これはニーチェのいう「情動」の動きにほかならない。ドゥルーズとガタリはこう述べている。

「生成変化が情動そのものであり、欲動それ自体であるということ、そしてこれは何の表象〔代理〕でもない」(ドゥルーズ&ガタリ「千のプラトー・中・P.205」河出文庫)

「生成変化とは、みずからが保持する形式、みずからがそれであるところの主体、みずからが所有する器官、またはみずからが果たす機能をもとにして、そこから微粒子を抽出し、抽出した微粒子のあいだに運動と静止、速さと遅さの関係を確立することなのである。そうした関係は、自分が今<なろう>としているものに最も《近い》ものであり、それによってこそ生成変化が達成されるのである。またその意味でこそ、生成変化は欲望のプロセスだといえる」(ドゥルーズ&ガタリ「千のプラトー・中・P.234」河出文庫)

「あらゆる創造は、一つの世界を表象する義務から自由になった、いわば突然変異性の抽象線だ。創造とは、新しいタイプの現実をアレンジする行為にほかならない」(ドゥルーズ&ガタリ「千のプラトー・中・P.285」河出文庫)

ステレオタイプからの逃走線という意味では、ジュネがごくふつうに行なっている「一つの世界を表象する義務から自由になった」「あらゆる創造」と高速でなされる「アレンジする行為」はまさにそうだとおもわざるをえない。

その意味で、ジュネによる次の文章を打ち捨てるわけにはいかない。

「うつむけた視線は、ぼんやりした灰色の霧を通して、足もとの岸壁の粘着性ある黒い石を眺めていた。やがて脈略もなく、彼はマリオのさまざまな特色を吟味しはじめた。マリオの手。親指の先から人さし指の先にいたる曲線─彼はこれに長いこと思いを凝らしていた。深い皺。広い肩幅。無関心な態度。ブロンドの髪。青い眼。ノルベールの口髭。てかてかの円い頭。そしてまた、マリオの親指の爪は漆を塗ったような美しい黒、完全な黒だった。黒い花というものは存在しないが、彼のつぶれた親指の先端の、あの黒い爪は、どうしても一つの花を思わせるのだった」(ジュネ「ブレストの乱暴者・P.52~53」河出文庫)

淫売屋の亭主で筋肉隆々なノルベールと同じく筋肉隆々で職業は警察官のマリオ。二つの巨大な筋肉の塊りに追いつめられたクレル。クレルはその危機において、マリオの親指の爪の「漆を塗ったような美しい黒」《と》「黒い花」とを不意に接続させる。瞬時にして、クレルにおいて、マリオの真っ黒い爪はもう一つの真っ黒い花へと生成する。変容する。クレオは瀬戸際であるにもかかわらず、むしろ瀬戸際であるがゆえ、マリオの爪を花へと変えた。マリオの知らないところで、マリオの黒い爪は黒い花に《なる》。マリオはそのことを知らない。

またクレルに関する噂について触れておこう。クレルは周囲からこうおもわれている。

「クレルの仲間たちも、クレルに関して次のように言うことができるだろう。すなわち、《彼はおかしな女衒(ぜげん)である》と。なぜかといえば、クレルはほとんど毎日のように、自分自身の突拍子もない、他人の顰蹙(ひんしゅく)を買うようなイメージを彼らに提供していたからである。彼らのなかにあって、クレルはちょうど一つの事故のように、まぶしい目ざわりな光を放っていた」(ジュネ「ブレストの乱暴者・P.51」河出文庫)

クレルは女衒だが顰蹙を買うような女衒であり一つの事故のようだ、とおもわれている。だからおそらくクレルは女衒仲間のあいだでも異邦人に属している。その意味で顰蹙ではあるが仲間でもある。ところが目ざわりにおもえる光ほどもあるような輝きを秘めている。クレルは女衒で顰蹙で事故でもある。女衒じたいが世間の中では顰蹙である以上、クレルはそのまぶしさにおいて一つの事故として取り扱われるほかない。クレルはどこからどう見ても一つのまぶしい事故にしか見えない。クレルは事故だ。そう読まれるべきだろう。

ところで前回、ジュネ自身によるスパイ行為に触れた。一方、このところマスコミでは、日韓関係の中での軍事情報のやりとりがうるさくて仕方がない。「うるさい」を漢字で書くと「五月蝿い」になる。一九六七~一九六八年にかけて生まれた世代からすれば、まだこのような漢字学習というものが学校に残っていてそれなりに面白かった思い出がある。で、それはそれとして。東西冷戦当時、軍事機密というものは、たとえ同盟国であるにせよ、ないにせよ、密約があるとかないとか、公式に発表される次元のものではまったくなかった。もちろん日韓米軍事同盟はあった。しかしそれは公式に同盟を組んでいるのだという単なる宣言に過ぎない。実際の内情がどうなっているかなど知らされるわけもない。事実上、日本、韓国、アメリカの中には日韓米以外に属する諜報部員は本当にいないのかと問われればそんなことはまったくあるはずもなく、実際のスパイならそれこそ世界中から離合集散していたに違いない。特に米ソには。それを思うと、一般のマスコミを通じて報道される情報というものは一体なんなのだろうかと疑問に思えて仕方ないわけである。軍事機密というものはたとえ知っているとしても誰が誰にどのような仕方で教えたりあるいは嘘を教えたりするのか、ただ単なる習慣として存在しているのであって、間違っても一般のマスコミが何がしかの軍事機密について事実を事実そのまま知っていたりすることはあり得ないとおもうのである。軍事機密あるいは人質問題さらに金銭的取引。それらについてなぜ一般のマスコミやワイドショーまでがあたかも事実を知っているかのように報道できるのか。ごくふつうに考えても、そんなこと誰も表沙汰にしない。またグローバル資本主義の前提として、公式に破棄するとか破棄しないとかいったことに一体どれほどのダメージあるいは深刻な影響があるというのだろうか。そもそも公式と非公式との境界線を抹消してしまうのが資本主義の要請であるというのに。したがって、何がなんだかさっぱりわからないと感じる今日この頃ではある。

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欲望し抑制し分裂する国境なき資本

2019年08月29日 | 日記・エッセイ・コラム
そうであることを反復することでしか生きていくことができない。たとえば、エロス。エロスの反復意志。にもかかわらず、反復するがゆえ逆に抑圧は生じるとドゥルーズはいう。

「私は、抑圧するがゆえに反復する、というのではない。私は、反復するがゆえに抑圧するのであり、私は、反復するがゆえに忘却するのである。私は、或る種のものごと、あるいは或る種の経験を、まずはじめに、反復という様態でしか生きることができないがゆえに、抑圧するのである。私は、それらのものごとや経験を私がそのようにしか生きられないという事態の妨げとなるようなものを、抑圧するように決定されている」(ドゥルーズ「差異と反復・上・P.63」河出文庫)

フロイト理論のダイナミックな転倒だが説得力をもつ。「反復という様態でしか生きることができないがゆえに、抑圧する」。エロスを反復しようとする。だがそれは反復だからこそ抑圧されるべきだとして拘束される。「それらのものごとや経験を私がそのようにしか生きられないという」諸条件は、個々人のうちに誰にでもあるだろう。しかしそれこそが抑圧されることになっている。ということは、「私は」、もし仮にエロスを反復しようとすると、「それらのものごとや経験を私がそのようにしか生きられないという」諸条件ごと抑圧するように加工=変造されている、ということを意味している。相当な苦痛であるに違いない。

ちなみにジュネにとって、そのような逆説はどのように乗り越えられただろうか。たとえば、「裏切り」あるいは「スパイ行為」。とはいえ、まず次の文章に目を通しておきたい。或る母が「ふた目と見られぬ化け物のような娘、四つん這(ば)いになって獣のように唸(うな)りながら歩き回る、白痴で、無垢(むく)な異形(いぎょう)な娘」を生み、世間に逆らいつつ四〇年にわたって育てた、極めて明晰な論理である。

「わたしは、ふた目と見られぬ化け物のような娘、四つん這(ば)いになって獣のように唸(うな)りながら歩き回る、白痴で、無垢(むく)な異形(いぎょう)な娘を、世間から庇(かば)って家の中で守り育てた、あの女のようになりたかったのだ。この子供を生んだとき、彼女の絶望があまりにも大きかったため、おそらく、絶望がそれ以後彼女の人生の本質となったのだ。彼女は、この怪物を愛すること、徐々に形成された後、彼女の胎内から生まれでた、この醜悪さを愛し、それを敬虔(けいけん)に建立(こんりゅう)することを決心したのだ。彼女は怪物という観念を大切に納めた聖体遷置所(ルポゾワール)を彼女自身の裡に設けた。そして、日々の仕事に硬く荒れているにもかかわらず限りなく優しい手の、献身的な世話と、絶望した者たちのあの我武者羅(がむしゃら)な執拗(しつよう)さとをもって、彼女は世間に対抗し、世間に対して彼女の怪物を擁立したのだった。それはやがて彼女の裡で世間そのものの規模と力とを獲得した。そしてこの彼女の怪物を中心としてまったく新しい原則による別個の秩序が形成されたのであり、それを破壊しようとして世間のもろもろの力が絶えず彼女にぶつかってきたが、それらの力も彼女の娘を匿(かくま)っていたその住居の壁の中へは一歩も入ることはできなかったのである。

原注 わたしは新聞によって、この母親が四十年にわたる献身の後、まず睡眠中の娘に、それから家全体に揮発油ーーーか石油ーーーをふりかけて火をつけたということを知った。怪物(娘)は死んだ。人々は燃えさかる炎の中から老婆(七十五歳)を運び出し、彼女は救われた。つまり、重罪裁判所にひきだされたのである」(ジュネ「泥棒日記・P.32~33」新潮文庫)

ジュネが取り上げている事例を批判することはできない。ところが逆に、もしここで、娘を生んだ「女」を「国家」に置き換えて読み直してみると、事態はがらりと急変する。こうなる。

「わたしは、スパイを、世間から庇(かば)って家の中で守り育てた、あの国家のようになりたかったのだ。このスパイを生んだとき、国家の希望があまりにも大きかったため、おそらく、希望がそれ以後国家の人生の本質となったのだ。国家は、このスパイを愛すること、徐々に形成された後、国家の胎内から生まれでた、この秀麗さを愛し、それを敬虔(けいけん)に建立(こんりゅう)することを決心したのだ。国家はスパイという観念を大切に納めた聖体遷置所(ルポゾワール)を国家自身の裡に設けた。そして、日々の仕事に硬く荒れているにもかかわらず限りなく優しい手の、献身的な世話と、希望した者たちのあの我武者羅(がむしゃら)な執拗(しつよう)さとをもって、国家は世間に対抗し、世間に対して国家のスパイを擁立したのだった。それはやがて国家の裡で世間そのものの規模と力とを獲得した。そしてこの国家のスパイを中心としてまったく新しい原則による別個の秩序が形成されたのであり、それを破壊しようとして世間のもろもろの力が絶えず国家にぶつかってきたが、それらの力も国家のスパイを匿(かくま)っていたその住居の壁の中へは一歩も入ることはできなかったのである。

原注 わたしは新聞によって、この国家が四十年にわたる献身の後、まず睡眠中のスパイに、それから家全体に揮発油ーーーか石油ーーーをふりかけて火をつけたということを知った。怪物(スパイ)は死んだ。人々は燃えさかる炎の中から国家(七十五歳)を運び出し、国家は救われた。つまり、重罪裁判所にひきだされたのである」

さてそこで、裏切りや泥棒や同性愛を専門に反復するジュネもまたスパイ行為を切望している。ところでそれはどのような論理によってか。ジュネのいう「感動」(他国の機密事項の所有、裏切りによって瀆(けが)したいという気持、自分の祖国からよりいっそう遠く離れること、道徳の諸原則にしたがって行動するようにではなくて間諜(かんちょう)という存在を姿の見えないしかし強大な力を持った不安に満ちた人物とするある種の架空談的(ロマネスク)美学の諸法則にしたがって行動することを待ち望む状態)によってだ。

「国境の突破と、それが惹(ひ)き起すこの種の感動とによって、わたしはやがて、わたしが入国した国の本質を直接に捉えうるようになった。その結果、わたしはある国の中にというよりは、ある形像(イメージ)の内部に入りこんでいったのである。わたしはそれを所有することを望んだのはもちろんだが、それだけでなく、それにはたらきかけたうえで所有したいと考えたのだった。ところで、その国の本質を最もよく表徴するものは軍隊機構なのであるから、わたしはこれに変化を与えることを望んだのだ。そして、外国人にとっては、それをするにはスパイ行為という方法しかないのである。ことによったらこの行為には、その最も枢要な美質が忠誠ーーーあるいは、忠節ーーーということである一つの制度を、裏切りによって瀆(けが)したいという気持が混っていたかもしれない。さらにまた、わたしは、自分の祖国から、よりいっそう遠く離れることを望んでいたのかもしれない。ーーーそれはともかく、わたしが言いたいのは、夢幻的世界に引込まれやすいわたしの生れつきの性向によって(そのうえこの性向は、強大な力を備えていると人々に認められている、大自然を前にしたわたしの感動によってさらに激化されていたわけだが)わたしはそういう際、道徳の諸原則にしたがって行動するようにではなくて、間諜(かんちょう)という存在を、姿の見えない、しかし強大な力を持った、不安に満ちた人物とする、ある種の架空談的(ロマネスク)美学の諸法則にしたがって行動することを、待ち望む状態にあったということなのである。なおまた、ある場合には、このような意図を持つことはは、なるほどその隣国からの追放ということはあったにせよ、それ以外、わたしとして行かなければならないなんの理由もなかった国へ入ることに、一つの実際的な理由を与えてくれることだった」(ジュネ「泥棒日記・P.63~64」新潮文庫)

ところがジュネは一人でそれをやってのけるにはどこか物足りないものを感じている。一人だけで構わないわけだが、できればより一層強烈な性的イメージによって支えられた行為でありたいとおもう。この支えになったのがスティリターノという存在への愛だった。

「スパイ行為は、諸国家にとってあまりにも恥ずかしい手段なので、まさにそれが恥ずべきことであるという事実(こと)のために、それを遇するに高貴をもってするのだ。我々はこの高貴さから利得を引出しえたはずだった。ただ、我々の場合は、裏切りではあったが。後年、わたしがイタリアで逮捕され、将校連にフランスの国境の防備状態について訊(き)かれたとき、わたしはわたしの提供を巧みに正当化することのできる弁証法を発見することに成功した。しかし今述べている場合は、わたしはスティリターノという支柱に支(ささ)えられていたわけだった。それで、わたしはただ、いくつかの事実を洩(も)らすことによって、恐るべき大災害の張本人となることを望むだけでよかったのである。スティリターノは彼の祖国を裏切り、わたしは、スティリターノへの愛からわたしの祖国を裏切ることができたはずだった」(ジュネ「泥棒日記・P.65~66」新潮文庫)

「スパイ行為は、諸国家にとってあまりにも恥ずかしい手段なの」だが、転倒した価値観の中で生息しているジュネら泥棒たちにとって、スパイ行為が恥ずかしいものであればあるほど、俄然として張り切って打ち込むに値する高貴な行為に見える。そして実際ジュネもスティリターノもスパイに《なる》。スパイ行為《への》意志が完徹されている。身体的にはきわめてか弱い二人だが、このような生成変化にあたる場合、いきなり鬱勃と変身するのだ。

さて、ふたたびドゥルーズに戻ってみたい気がする。ジュネの言動は「欲望する生産」を地で行っているように見える。資本主義の脱コード化を実践しているようにおもわれる。ところが資本主義の側はジュネを許しはしない。なぜだろう。ドゥルーズとガタリはこういっている。

「抑圧されているものは、欲望する生産なのである。この欲望する生産から、社会的生産や再生産の中に移行しないものが、抑圧されるのである。抑圧されることになるものは、社会的生産や再生産の中に無秩序と革命とを導入すると思われるものである。つまり、欲望のコード化されない種々の流れである」(ドゥルーズ&ガタリ「アンチ・オイディプス・P.211~212」河出書房新社)

社会的コード化を受けていない生産は、それが社会的規模であろうとなかろうと公式的な「社会的生産」であるとは見なされない。だから生産は言葉の上では同じ生産であるとしても、反復する「欲望する生産」は逆にすべて抑圧されるか、公式的な社会的生産あるいは再生産に移行しない部分は、ただちに抑制を受けて切断されるのである。

したがって資本主義は、ありとあらゆるものに対する欲望をどんどんかき立て生産して資本に変換していくことしか知らない諸運動の円環だとばかりは言えないのである。むしろ昨今明らかにされてきたように「抑制」を「欲望する」ような方向(公理系、水路)さえスムーズに整えられてきた。「抑制」を「欲望する」というのは、たとえば写真であれば、バルトが紹介している次のような事態だ。

「《すぐれた》写真のどれについても言えることは、せいぜい《その被写体が語る》ということ、被写体が漠然と考えさせるということだけである。しかも、それさえ危険視されるおそれがある。究極的には、まったく意味をもたないほうが安全なのである」(バルト「明るい部屋・P.51」みすず書房)

「一九三七年、ケルテスがアメリカ合衆国にやって来たとき、『ライフ』誌の編集者たちは、彼の映像が《あまりにも語りすぎる》からと言って、彼の写真を受け入れなかった。彼の映像は考え込ませ、ある意味をーーー字義どおりの意味とはまた別の意味を示唆したのである。要するに、『写真』が秩序壊乱的なものとなるのは、恐れさせ、動転させ、さらには烙印を押すときではなく、それが《考え込む》ときなのである」(バルト「明るい部屋・P.51~52」みすず書房)

だから目下の課題としてドゥルーズとガタリは次のように述べている。

「分裂者分析の目的は、以下のようなものとなる。まず、経済と政治とに対するリビドー備給の特殊な本性を分析すること。次に、このことによって、欲望している主体の中で、いかにして欲望が自分自身の抑制を欲望するという決心が起りうるかということを明らかにすること」(ドゥルーズ&ガタリ「アンチ・オイディプス・P.132~133」河出書房新社)

もう何度引用してきたかわからないが、ここでも繰り返し引いておこう。

「《ただ、欲望というものと社会というもののみが存在し、それ以外のなにものも存在しないのである》。社会的再生産の最も抑制的なまた最も致命的な形態でさえも、欲望そのものによって生みだされるものなのだ。あれこれの条件の下で欲望から派生する組織の中で生みだされるものなのだ。われわれは、このあれこれの個々の条件を分析しなければならないであろう。したがって、政治哲学の基本的な問題は、依然としてスピノザが提起することができた次の問題(この問題を発見したのはライヒである)につきることになる。すなわち、『何故、ひとびとは、あたかも自分たちが救われるためででもあるかのように、みずから進んで従属する《ために》戦うのか』といった問題に。いかにして、ひとは、<パンを切りつめても、もっと多くの税金を>などと叫ぶことになるのか。ライヒがいうように、驚くべきことは、ある人々が盗みをするということではない。またある人々がストライキをするということでもない。そうではなくて、むしろ、飢えている人々が必ずしも盗みをしないということであり、搾取されている人々が必ずしも盗みをしないということである。何故、人々は幾世紀もの間、搾取や侮辱や奴隷状態に耐え、単に他人のためのみならず、自分たち自身のためにもこれらのものを《欲する》ことまでしているのか」(ドゥルーズ&ガタリ「アンチ・オイディプス・P.44」河出書房新社)

欲望を抑制するのでは飽きたらず、時宜に応じて、抑制を欲望するまでに飼い馴らされた人間。一般化され、均質化され、凡庸化され、記号化された、末人としての人間のあからさまな姿。それについてここでは、ニーチェによる「学者論あるいは御用学者論」ともいうべき次の文章が幾分なりとも参考になるとおもわれる。とりわけ、国家主導で国民に与えられる文化の政治的傾向について、国家が国民に対して「単に束縛を解くのみならず、また適当な時に軛(くびき)につなぎうる」という国家による功利主義的で排他主義的な点。さらに「国民の間に教養を普及しておくことは」ただ単なる国際的競争に資するだろうというだけでなく、なぜ国家が国民に向けてわざわざ「文化教養」を与えるのかという本来的な意義は、「教養」を「現存の制度に奉仕し役立ちうる範囲内で解放する」限りで許されているに過ぎないという「或る種の支配的な人物、階級、世評、教会、政府に対する隷従」をより一層押し進めるためにほかならないという点。したがって一国民だけでなく他の諸国民とその多様なネットワークの発展に文化の重点が置かれているわけでは何らないという点。等々に着目したい。

「《悪用され雇い入れられている一種の文化》が存在しているーーー周りを見給え!今や最も活動的に文化を促進している諸力こそは、そうしながら下心を抱いているのであって、純粋な非利己的な心情において文化と交渉しているのではない。

第一に《営利者の利己心》があり、これが文化の援助を必要とし、その返礼のつもりで文化を助けてもいるのだが、しかしもちろん、その際同時に目標と尺度を指図したがっている。

第二に《国家の利己心》があるが、国家もまた文化のできるだけの普及と一般化を渇望し、そしてその願望を満足させるための極めて有効な道具を手にもっている。単に束縛を解くのみならず、また適当な時に軛(くびき)につなぎうる十分な力のあることが国家に分かっており、また国家の土台が教養の円天井をそっくりもちこたえるのに十分なほどしっかりし広大であると前提すれば、その場合には国民の間に教養を普及しておくことは他国と競争する際にも、いつも専(もっぱ)ら国家それ自身にとって有利である。現在『文化国家』について語られるあらゆる場合に、時代の精神力を、これが現存の制度に奉仕し役立ちうる範囲内で解放するという課題が国家に負わされているのが見られる。しかしまたただそういう範囲内においてのみであるが、これは森の流れが堰(せき)や篔(かけひ)を使って分けて引き込まれ、かなり小さな力で水車を廻すのと同様であるーーーもし流れの全力があたれば水車にとって有用であるよりもむしろ危険であろう。あの解放は同時にというよりはむしろはるかに多く束縛である。

第三に文化は、《醜いあるいは退屈な内容》を自覚しておりながら、これをいわゆる『《美しい形式》』によってたぶらかそうとするすべての人々によって促進されている。内なるものが外面に即して判定されるのが通例であることを前提にして、外面的なものによって、言葉、身振り、飾り、誇示、気取った作法によって観察者を強制して内容に関して誤った結論を下させるつもりなのである。近代人はお互いに際限なく退屈し合い、遂にあらゆる芸術の助けをかりて自分を興味あるものに仕立てる必要を感じているらしく私には時として思われる。そこで彼らは彼らの芸術家によって自分たちをぴりっとした、塩も利いている料理として食卓に出してもらう、そこで彼らは東洋西洋の全体にわたる香料を自分たちにふりかける、そして確かに!今や彼らはいかにも甚だ興味ある匂い、東洋風西洋風全体の匂いを放っている。そこで彼らはどんな趣味をも満足させるように準備する。だから、芳香を放つものであれ悪臭を放つものであれ、高尚なものであれ田舎風な粗末なものであれ、ギリシア風であれシナ風であれ、悲劇であれ劇化された猥談(わいだん)であれ、お好みのままに注文に応じますというわけだ。

学問は智慧に対して、有徳が聖化に対するごとくに関係する。学問は冷たく、乾いており、愛をもたず、不満と憧憬との深い感情について何も知らない。学問はそれ固有の性格をその奉仕者に伝達し、これによって彼らの人間性を骨のごとくにかたくなにしてしまう限り、奉仕者にとって有害であるが、まさにそれだけ学問は学問それ自身にとって有用である。文化とは本質的には学問の促進であると解される限り、文化は偉大な悩める人間のそばを無慈悲な冷酷さをもって素通りするが、これは、学問が到るところでただ認識の問題を認めるだけであり、また悩みはもともと学問の世界の内部では何か不適当な理解し難いものであり、したがって精々(せいぜい)のところこれまた一つの認識の問題であるにすぎないからである。

まず試みに、あらゆる経験を弁証法的な問答の遊戯と純粋な頭脳の問題とに翻訳することに慣れてみるがよい。人間がかかる活動によってなんと短時間のうちに干からびてしまうことか、なんど速やかにほとんど骨だけでがたがた鳴るようになることかは驚くべきことである。誰しもこのことを知っており見ている。それにもかかわらず、青年たちが決してかかる骸骨人に尻込みせず、次々に新たに盲滅法に、選択も節度もなく学問に身を捧げることは、いったい如何にして可能なのか?これがいわゆる『真理への衝動』に由来すると言うのではまさかあるまい?けだし、如何にして一般に冷たい、純粋な、効果のない認識への衝動というものがありうることだろうか!むしろ学問の奉仕者に内在する本来の衝動力が何であるかは囚われることなき眼には分かりすぎるほどはっきりしている。そこで、学者自身が世界内の一切のもの、極めて崇敬すべきものにさえ手で触れ、それを解体することに慣れてしまっている以上、一度は学者をも調査し解剖してみるように勧めることが甚だ望ましい。私の考えていることを隠さずに言ってしまえば、私の命題は次のようになる、すなわち学者は極めて種々様々な衝動と刺戟の錯綜した編み物から成り立っており、飽くまでも不純な金属である。まず最初に強いますます高められる好奇心、認識の冒険欲、古くて退屈なものに反対して新しく稀有なものの示す絶えず刺戟する力を取り上げるがよい。これにつけ加えるに、或る種の弁証法的な追跡衝動並びに遊戯衝動、思想という狡猾(こうかつ)な狐の通り道を探す猟師の快楽、したがって真理が本来探究されているのではなく、探究が探究されているのであり、主な楽しみは策略によって周りに忍びより、包囲攻撃して、巧みに殺害することにあるような快楽をもってするがよい。そこになお異を唱えることに対する衝動がつけ加わってくるのであり、他のすべての人々の対抗することによって自己の人格を感じ、また他にも感じさせようとするのである。したがって闘争が快楽となり、個人的勝利が目標であって、真理のための闘争は実は口実にすぎないのである。かなりの数の学者にはその次に《或る種の》『真理』を発見しようとする衝動、すなわち、或る種の支配的な人物、階級、世評、教会、政府に対する隷従から真理を発見しようとする衝動が混ぜ加えられているが、これは、学者が『真理』をこれら支配的なものの側に持って行くことによって自分が有利になると感ずるからである」(ニーチェ「反時代的考察・第三篇・教育者としてのショーペンハウアー・六・P.299~309」ちくま学芸文庫)

さらにふたたび、欲望は知っているが抑制は知らない世界の住人たちのエピソードに戻ろう。ノルベールは筋肉隆々の淫売屋の亭主、マリオも筋肉隆々だが職業は警察官。マッチョで巨大な男二人を前にしてクレルは何をおもうだろうか。

「クレルは自分の内部で、今までたしかに自分自身だったものが、震え出し、揺らめき出し、嘔気のん気分とともに消えてしまいそうになるのを感じていた。仰ぎ見るばかりな肉と筋の巨大な塊り、マリオの美貌によって輝き、ノルベールの禿頭と猪首によってさらに威容を増し、一人になったり二人になったりすることをつねに止めない、この肉と筋の塊りを前にして、クレルはーーーあたかも巨大な樅の樹の高さを目測するように頭を上げ、ーーー眩暈(めまい)に襲われたように、口を半ばひらいたまま、口蓋をからからに涸らしていた」(ジュネ「ブレストの乱暴者・P.43」河出文庫)

なるほど「眩暈(めまい)に襲われ」もしよう。だが注意すべきはそのような乱暴な部分ではない。ジュネの描く世界は常日頃が乱暴なのであって、そのようなことはむしろ自明に属する。それより魅力的なのは、いつも乱暴で埃っぽい世界の只中で、彼ら彼女らが時おり見せるとても繊細この上ない奇妙な瞬間なのだ。それらが閃光を発する瞬間は、ただ単なる肉体自慢や暴力の匂いでは計測不可能な次元で書かれている。ここでは二人の巨人(ノルベールとマリオ)が筋肉隆々な威容の相乗効果によって「一人になったり二人になったりすることをつねに止めないーーー肉と筋の塊り」に《なる》という変身あるいは分身への生成変化こそ、このセンテンスの中の最もきらびやかな部分である。

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ステレオタイプと脱構築された警察のエクリチュール

2019年08月28日 | 日記・エッセイ・コラム
ジュネは権力に対抗して反権力の側に立つという方法には、通常思われているほど有効性を見いだせないことがよく見えていた。ジュネは方法というべき方法を持とうとはしない。それはたぶん自分で自分自身の力をステレオタイプなものへ凝固させて同じことを反復するだけのことであり、逆に自分から自由を奪ってしまうもののように思われたからかもしれない。ジュネとしては権力者層に向かって正面衝突するよりも、むしろ男性同性愛者の必需品である「ワセリン入りのチューブ」から出る「プスッという屁(へ)のような、短い、見っともない音」に注意を払う。そしてこの「従順で貧弱な品物」から「一本の糊(のり)状の紐(ひも)がニョロニョロと、滑稽(こっけい)な無音状態のうちにいつまでも出つづ」けることの意義について知り抜いてもいる。「世界のありとあらゆる警察を狼狽(ろうばい)させ、軽蔑や、憎悪や、激しいやり場のない怒りなどを一身に集め」るだけでなく「いくらか茶化し気味に」、しかし「決して滅ぼされること」のないものとして存続していくだろうことを確信していた。

「わたしは独房の中にいた、わたしには、わたしのワセリン入りのチューブがひと晩じゅう、逞(たくま)しい、頑丈(がんじょう)な、堂々とした警官たちの軽蔑の眼(まなこ)に曝(さら)されているーーーまさに『不断の礼拝』の逆であるーーーのがわかっていた。事実、彼らは驚くばかり逞しく、その中のいちばん力のない男が二本の指先で軽くつまむだけでも、その中から、まず、プスッという屁(へ)のような、短い、見っともない音がした後、一本の糊(のり)状の紐(ひも)がニョロニョロと、滑稽(こっけい)な無音状態のうちにいつまでも出つづけただろう。それにもかかわらず、わたしは、この実に従順で貧弱な品物が彼らに決して屈しないだろうということを確信していた。そして、ただ存在するだけで、世界のありとあらゆる警察を狼狽(ろうばい)させ、軽蔑や、憎悪や、激しいやり場のない怒りなどを一身に集めながら、あるいはーーー神々の怒りをかきたてて面白がる悲劇の中の英雄のようにーーーいくらか茶化し気味に、しかしいずれにしろそうした英雄のように、決して滅ぼされることなく、わたしの幸福を固く守って誇り高くしているだろう、と」(ジュネ「泥棒日記・P.23」新潮文庫)

警察官同士の同性愛も世間にはもちろん存在する。そこでも時折「ワセリン入りのチューブ」から出る「プスッという屁(へ)のような、短い、見っともない音」が不意に生じることがある。しかしなぜそれはそんなにも滑稽であるだけでなく危険なのか。秩序壊乱的だからである。「ワセリン入りのチューブ」から出る「プスッという屁(へ)のような、短い、見っともない音」とあるけれども、それがもし「屁(へ)のような、短い、見っともない音」でなかったとしたらどうだろう。警察署内のデスクの上に置かれた「ワセリン入りのチューブ」は何ら秩序壊乱的なものとはならなかったろう。「屁(へ)のような」という言葉はより一層着目するに足る。というのは、それは生理的・物理的な現象だが、社会的次元においては何より先に「性的」な次元を象徴する要素の一つだからである。「屁(へ)」は身体の唸り声なのだ。いくら面白おかしく聞こえてはいても、むしろ面白おかしく聞こえてしまうということにこそ注目すべき点がある。

フロイトやメラニー・クラインが指摘するように、大人社会で「屁(へ)」はきわめて性的な意味を持つという教育的意味合いからいち早く注目されている。社会の中で「屁(へ)」は素早く拘束され教育的慣習に合わせて馴致されなければならない。したがって「屁(へ)」は、世間ではわざわざ裏返しにされて始めて表面に出てくることを許されている「奇襲的性」という疑いようのない事実を証明するものだ。しかも「屁(へ)」が持つ性的意味合いは、身体の中でも特に性的な意味合いが強い部分(男性器あるいは女性器)の社会倫理的働きと置き換えることができる。生理的・物理的なレベルではなく精神的なレベルで勃起不全状態に陥っている男性のように無理に勃起させようとしてなぜか「屁(へ)」を放ってしまうようなケースは少なくない。それは猥褻とか淫乱とかいった俗世間の印象とはまったく違った意味を有する。猥褻や淫乱はただ単に風俗面での取り締まり対象にしかならないかもしれないが、本来的に性的な意味を帯びている「身体の唸り声」《としての》「屁(へ)」はありとあらゆる法的基準を失効させて類別不可能にしてしまう。周囲のものすべてを一挙に宙吊りにしてしまう。非次元化してしまう。その意味で「屁(へ)」は白昼の表層に突発する性的暴力にも等しい。

たとえば、大型書店でありがちなのだが、或る男性が立ち読みの最中におもわず屁を放ってしまったとしよう。すぐそばにまだ学生の女性がいたとする。男性の放った屁の音はただちに女子学生の耳に達する。しばらくすれば臭いすらただよい流れてくるかもしれない。男性は恥じ入る。女性学生は知らぬふりをするのに打ち込むほかない。ところが聞こえてしまった事実を記憶から消去することはできない。女性の側もいくらかは気恥ずかしさをおぼえてしまう。しかしこの男性による屁はセクハラにあたるだろうか。生理的・物理的に止めることのできない屁であるなら不可抗力的な現象であるため、もちろんセクハラには当たらない。ところが男性の放った屁が、そばにいる女子学生の存在を「性的に」気にしていたがゆえに、どうしても生じてくる勃起を止めようとしてそのあげく突如生じた勃起の代理としての屁であったとすれば、この屁は女子学生に対するセクハラに当たるといえるだろうか。ここで「屁=勃起」という等式が成り立つ。とはいえ、男性は何も勃起した男性器を女子学生にわざと見せつけようとしたわけでは何らない。むしろ勃起しようとする男性器を周囲の目から覆い隠そうとしてかえって「屁へと転移」しておおやけになってしまった性的興奮である。女子学生がそこまで意識するかどうかはわからない。意識するとすれば考え過ぎだと嘲笑されかえって卑猥な目で見られてしまうだろう。ただ単なる生理的・物理的な現象として止められない行為だったかもしれないのだから。ただ、もし仮に性的な「屁」であった場合、抑圧された性的攻撃衝動は「屁」に《なる》という生成変化を確認することはできるだろう。

なお、「屁とセクハラ」という点に絞り込んでいえばセクハラが成立する場合はいくらもある。或る男性職員が特定の女性職員の前では何度も平気で屁を放つ。一方、また別の女性職員の前では一切屁をしないといった場合。これは前者の女性職員に対するセクハラとして認められるだろう。あるいはパワハラとして。しかしハラスメントはハラスメントでも、なぜ「セクシャル」な要素を思い起こさせるのかという点では、たった今述べたように屁はそもそも性的な次元における象徴の一つとして考えることで理解可能かとおもわれる。

ところで警察官と男性同性愛者は、このような「ワセリン入りのチューブ」という物質から生じるほんのちょっとした珍妙な現象に対して一体どのような態度を取るべきか。もちろん形式抜きにしてである。しかしその場の秩序はすでに壊乱された後でしかない。警察官と男性同性愛者とのあいだに生じた緊張感が始めはどれほど先鋭的なものであってもなお「ワセリン入りのチューブ」から出る「プスッという屁(へ)のような、短い、見っともない音」は、あらゆる緊張感を越えて社会的秩序の本丸ともいえる警察署内をあっという間もなく脱構築してしまう力がある。

ちなみにジュネという名は、えにしだの一種にあたり、「有翼えにしだ」という名前で知られているらしい。ジュネはそれがたまたまジュネと呼ばれていることから創造性を発揮する。そしてそれら「植物界全体」を自分にとってとても近しい存在として感じる。D.H.ロレンスが述べていたシダ類への融合を思い起こさせる文章だ。

「セヴァンヌ地方に多いこの棘(とげ)だらけの植物(ジュネ=えにしだの一種)を通して、わたしはさらにヴァシェの罪悪に満ちた冒険にも参与する。そして、わたしがその名称を自分の名にしているこの灌木(かんぼく)を通じて、植物界全体がわたしには近しい存在となっている。わたしはすべての花を憐(あわ)れなものと思わないで眺めることができるーーーどれも皆わたしの類縁なのだ。もし、わたしが花々を通してさらに下等の領域へさかのぼるとすればーーーわたしはまさに木生羊歯(しだ)やそれが繁茂する沼沢地へ、そして藻の類へ降りたいと思うのだーーーわたしはますますもって人間たちの世界から遠ざかることになる」(ジュネ「泥棒日記・P.57」新潮文庫)

さて、ドゥルーズとガタリは器官なき身体について慎重に述べていく。世界的に絡み合って織りなす諸関係の中の物質的要素である身体。それが「経度」である。そして身体が許容できるかぎりでの強度としての情動。それが「緯度」である。

「器官的特徴は、経度とその諸関係、および緯度とその度合から派生してくるーーー。一つの身体が示す情動はどのようなものか、さらにそれが当の身体を破壊する結果になろうと、あるいは身体によって情動が破壊される結果になろうと、また身体を相手に能動的影響と受動的影響をおよぼしあうようになろうと、身体と合一してさらに力能の高い一つの身体を構成することになろうと、とにかく身体が示す情動はどのようにして他の身体が示す情動と組み合わさるのか、あるいは組み合わさらないのかということを知らないかぎり、われわれはその身体について何一つ知ることができない」(ドゥルーズ&ガタリ「千のプラトー・中・P.200」河出文庫)

このような定義はドゥルーズとガタリによるスピノザ読解から出現したまったく新しい創造的思想的生産物であるといわねばならない。そこから変身あるいは分身の主題が大きく展開され変奏されるような可能性が出現したのだ。そして事実、近現代の多くの小説作品の中には、作者がほとんど無意識的に描いた生成変化(変身、分身)の様態を幾つも見つけることができる。なぜ近現代なのか。それは資本主義的生産様式が世界を制覇したことと並行している点に着目しなくてはならないだろう。

「一つの身体は、それを規定する形態によって定義されるのでもなければ、規定された実体や主体として定義されるわけでもないし、それが所有する器官やそれが果たす機能によって定義されるのでもない。存立平面の上では、《一つの身体はもっぱら経度と緯度によって定義されるのだ》。つまりなんらかの運動と静止の、あるいは速さと遅さの関係のもとで、身体に所属する物質的要素(これが経度だ)と、なんらかの力、あるいは力能の度合のもとで、その身体が受けいれることのできる強度的な情動の総体(これが緯度だ)によって定義されるのである。そこには情動と局所的運動、そして微分的な速度しかない。この<身体>の二つの次元を抽出し、『自然』の平面を純粋な経度および緯度として定義したのはスピノザの功績だろう」(ドゥルーズ&ガタリ「千のプラトー・中・P.207~208」河出文庫)

スピノザは観念論かそれとも唯物論かという水掛論など問題ではない。むしろスピノザが観念論と唯物論の両方に同時に属していることを注意深く見ておく必要性があるだろう。スピノザは一六三二年生まれ(ジョン・ロックと同い年)。オランダは一六〇二年すでにアムステルダムにおいてオランダ東インド会社設立。植民地貿易による膨大な利潤を本国へもたらしていた。軍事、行政、土地、司法、外交、株式、貿易と、オランダ東インド会社だけでこれらすべての業務を引き受けていた。オランダ東インド会社こそがむしろ「一つの国家」であると揶揄されたくらいだ。競争相手としてイギリスが名乗りを上げたが、その活動資金の差は余りにも大きく、オランダ東インド会社の活動資金はイギリス東インド会社の活動資金の十八倍。最初の頃のオランダ勝利は自明だった。しかしオランダは今なおそうだが自国産の資源に恵まれていない。だから海洋制覇なのだが、オランダは当時としては珍しい「ネーデルランド連邦共和国」であって、合わせて七州からなる合議制をとっていた。連邦議会は七州の代表者から構成される、政治、経済、行政の最高機関である。ところが代表者は自分が属する州の利害を主張するのが与えられた当然の職務であり、したがって最高機関といっても何もオランダ一国を絶対的に統一する機関ではない。今でいう国連のような組織でしかない。それぞれがそれぞれの立場から手前勝手なことをいう。中心がない。だが注目すべきは、この、中心がないという脱中心的資本主義という極めて今日的なリゾーム型社会形態にある。ドゥルーズとガタリはこうもいっている。

「地下茎と空中根、雑草とリゾームの他には、何一つとして美しいもの、愛にあふれたもの、政治的なものなどない。アムステルダム、まったく根をもたない都市、茎-運河をそなえたリゾーム-都市、そこでは有用性が、商業的戦争機械と関係しつつ、最大の狂気と結びついている」(ドゥルーズ&ガタリ「千のプラトー・上・P.40」河出文庫)

そんなわけで、ふたたびジュネ。クレルの少年ぶりがまだ顕著だった頃。クレルは自分がまさしく「アリゲーター」なのだという感覚に慣れていない。クレルは間違いなく「アリゲーター」に《なる》。ところがクレルが意識的にそこまで到達するにはまだ時間がかかるのである。

「クレルは、自分が一個の怪獣であるという、言葉ではっきり言い表わすことのできない考えに慣れてはいなかった。自分の過去を、彼は皮肉な、同時に恐怖となつかしさの籠った微笑をもって眺め、この過去が彼自身と一つのものになるまでに、しげしげとこれを思い返すのだった。その眼に人間らしい魂を宿しつつ、アリゲーターに変身した青年ならば、自分の口や巨大な顎については完全な意識をもたないにしても、その亀裂の入った身体や、その巨大かつ壮麗な尾については、やはりこれをしげしげと打ち眺めることができたにちがいない。あるいは水や砂地をたたいたり、あるいは他の怪獣どもに触れたりするアリゲーターの尾は、レースや紋章や闘争や、さては幾千の罪悪で飾られた幼い女帝の引きずる裳裾(もすそ)と同じく感動的な、嘔気をもよおすような、そして不滅な威厳をもって、長く伸びているのである。生きた人間どものあいだにあって、不死の魅惑にとらえられた彼は、自分がたった一人であることの恐怖を味わった。泥水の大河と密林の王国に怪獣となって参加しなければならない自分の身を知ることは、彼にだけ許された恐ろしい特権であった。彼は、自分の肉体あるいは彼自身の意識の内奥から発する何らかの光が、彼を内部から明るく照らし出し、その鱗(うろこ)だらけの甲殻に、ある形の反映を浮きあがらせ、彼を狩り立てずには措かない人間どもの目に、自分の本当の姿がありありと見えてしまいはせぬかと、いつも気にしていた」(ジュネ「ブレストの乱暴者・P.19~20」河出文庫)

ところで語り手はクレルの歴史を書いてみたいと欲している。とはいえ、クレルが過去に起こした事件や今後起こすであろう事件について逐一連続的に述べていくということを意味しているのではない。クレルがかかわる様々な事件の系列にもかかわらず、その詳細や要因について時間をかけて研究しようとするわけでもない。ジュネの考える歴史は、語り手のエクリチュール(言語)によって語られた歴史ではない。逆にクレルのエクリチュール(言語)によってクレルのエクリチュール自身が語るクレルの歴史なのである。そのためには語り手のエクリチュール(言動)はクレルのエクリチュール(言動)によって簒奪されていなければならない。語り手はクレルのエクリチュール(言語)を生き生きと活躍させるために、語り手自身のエクリチュールの場を徐々にではあれクレルのエクリチュール(言語)で隅々まで浸透させていかなくてはならない。クレルへの譲歩ではなくジュネの巧妙な戦略としてジュネは語り手の場をクレルのエクリチュール(言動)による蹂躙にまかせる。ジュネはクレルの歴史を書くためにジュネ自身がエクリチュールする場を侵略されるにまかせて提供する。

「クレルはその弟の正確な模写であった。もっとも、ロベールの方がたぶんやや内攻的で、その兄の方がやや激しいところがあった(このニュアンスによって、ひとびとは二人を見分ける。もっとも、腹を立てた淫売婦などはそれさえ気がつかなかった)。作者には、作者の内部にクレルの存在を予感する必要があった。やがていつか、日付や時間を正確にすることができるような日がきたら、作者は歴史を書くことに決めていたのだから(もしこの歴史という言葉が、すでに過ぎ去った一つの事件、あるいは事件の連続をさすのに用いられるとしたら、この言葉は不適当であろう)。すでに作者の皮膚の内側で、クレルが次第に大きくなり、作者の魂のなかで成長し、彼が作者の最良のもの、作者の絶望ーーーつまり、作者が彼のなかにいるのではなくて、彼が作者のなかにいるのだという絶望ーーーを食ってずんずん育って行くのを、作者は見届けた。こうしたクレルを発見してしまった以上、作者としては、彼が侮蔑の眼ざしをもった英雄そのものになってくれることを希望せざるを得ないだろう。作者の内部に彼の運命や成長の跡を追いながら、彼がいかに行動して、彼自身の意志であり彼自身の運命であるように思われる、一つの目的において自己を実現するにいたったかを、作者は見て行きたいとおもう」(ジュネ「ブレストの乱暴者・P.24」河出文庫)

そしてクレルのエクリチュールによって語り手のエクリチュールが侵略され浸透されていく絶望的形態は、クレルに向けるジュネ自身の深い愛の実践にほかならない。

「結局、読者の目に見えるような存在となり、小説の主人公となるためには、クレルは作者自身の外部に姿をあらわさねばならないのである。そうなって初めて、読者は彼の肉体や姿勢や武勲や、それらの緩慢な腐敗の、見かけのーーーおよび真実のーーー美しさを知ることになるであろう」(ジュネ「ブレストの乱暴者・P.25」河出文庫)

クレルが何ものであるかについて「読者の目に見えるような存在となり、小説の主人公となるためには、クレルは作者自身の外部に姿をあらわさねばならない」。語り手によって緻密に言語化されないことには、クレルについて読者は何一つ知ることはできない。「作者自身の外部に姿をあらわす」というのは、要するに作者の手によって「活字化される」ということにほかならない。

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ステレオタイプを斜めに横断する倫理

2019年08月26日 | 日記・エッセイ・コラム
ドゥルーズとガタリがいうように、「蘭は雀蜂のイマージュやコピーを形作ることによって自己を脱領土化する」。ところが。こう続く。

「どうして脱領土化の動きと再領土化の過程とが相対的なものであり、絶えず接続され、互いにからみあっているものでないわけがあろう?蘭は雀蜂のイマージュやコピーを形作ることによって自己を脱領土化する。けれども雀蜂はこのイマージュの上に自己を再領土化する。とはいえ雀蜂はそれ自身蘭の生殖機構の一部分となっているのだから、自己を脱領土化してもいるのだ。しかしまた雀蜂は花粉を運ぶことによって蘭を再領土化する。雀蜂と蘭は、非等質であるかぎりにおいてリゾームをなしている」(ドゥルーズ&ガタリ「千のプラトー・上・P.29」河出文庫)

ここで述べられている「蘭と雀蜂」とのリゾーム的関係。ジュネ作品のあちこちで見ることができる。このリゾームは同質的である必要性を何ら要しない。「雀蜂と蘭は、非等質であるかぎりにおいてリゾームをなしている」。というのは、蘭にせよ雀蜂にせよ、両者は絶えず生成変化することを止めないかぎりで、両者はつねに絡み合っているため自分で自分自身を変態させていくほかなく、同一的ではなく「非等質的」であることによって「蘭と雀蜂」の脱領土化も再領土化も可能だからである。もし万が一、両者ともに同一性へ解消されてしまえば、それこそ「蘭と雀蜂」はリゾームをなさず、あらゆる運動を停止させてしまい、したがって「蘭と雀蜂」は両者ともに破滅してしまうだろう。

ジュネはそのことがよくわかっている。ジュネ作品の登場人物は、あるいはそれが「虱」(しらみ)であってもなお、ただ単なる虱としてではなく脱領土化する運動の重要な部分をなす。たとえば、ジュネの部屋にいる虱が脱領土化しようと動き出す。しかしジュネは虱がその都度ジュネにとって重要な意味をもつかぎりでは虱を捕獲して再領土化する。捕獲されてジュネの手元に回帰してきた虱はしかし、脱領土化する前の虱とはすでに違っている。再領土化され新しくジュネの身体を豪華に飾り立てることになった虱。再領土化されたにもかかわらず、むしろそれゆえに、ジュネを新しく生成変化させる。ジュネの変化とともに虱自身もまたジュネによる絢爛な装飾として生成変化の流れのうちへ投げ込まれる。ただちに虱は新しい脱領土化への逃走線を与えられる。

「虱どもは我々を棲家(すみか)としていた。この一族は我々の衣服に活気と賑わいとを与えていて、もしそれが無くなると、我々の衣服はたちまち死んだものに感じられるのだった。ーーー虱は我々の繁栄の唯一の表徴だったのだーーーむろんそれは繁栄のまさに正反対のものの表徴ではあったが、しかし、我々の境涯に対してそれを是(ぜ)とする復権の操作を加えた以上、それと同時にその表徴をも是としたことは、論理上当然のことだろう。成功とよばれるものを味わうための宝石と同じように、我々の零落を確(しか)と味わうために役だつものとなって以来、虱は貴重な存在であった」(ジュネ「泥棒日記・P.29~30」新潮文庫)

さて、言葉というものは一体どこから言葉になるのか。二人の人間の対話において、言葉が言葉をなすのは一体どのような瞬間なのか。コミュニケーションが成立した瞬間か。とはいえ、無視するということも一つのコミュニケーションである以上、両者ともに相手の言葉の意味するところがわかっていなければ無視すらできないという事情もある。沈黙もまたコミュニケーションの一つの様態である。しかし、言葉ということにかぎってみれば、たとえば「隠語」はどのようにして人間の口から出てくるのだろうか。そしてそれを見ている相手はなぜそれが隠語であるとわかるのか。その瞬間をとらえた映像的な叙述がある。本来の隠語とは恥じらいに満ちた実につつましいものだ。

「十五歳で、クレルはすでに、一生のあいだ彼の特徴として知られるようになった、あの微笑を身につけていた。泥棒の仲間になって暮す道を彼はえらび、泥棒の隠語を語った。クレルを十分に理解しようと思ったら、この隠語をくわしく知っておかねばならぬ。クレルの精神的な肖像、クレルの感情そのものが、こうした隠語に依存し、ある種の文章構成法や特殊な綴字法の形をとるからである。彼の話す言葉のなかに、わたしたちは次のような表現を見出す。すなわち、《リボンをひらひらさせろーーー(道を通らせろ、邪魔者はどけ)》《おれは厄介の上にいるーーー(げっそりした、やきもきしている)》《お前のたるみをぴんとしろーーー(急げ)》《面(つら)をもどすにゃ当らねえーーー(おととい来い)》《ーーーやつは太陽を刺激した(顔が赤くなった)》《ーーーどうして梯子段をのぼるんだろう(あいつはどうしてこう信じやすいんだろう、お人好しなんだろう)》《ーーーおい、姐ちゃん、おれは十二時を指してるぜ(勃起している)》《流しとけーーー(勝手に喋らせておけ)》等々。こうした表現は決して明瞭な言葉では語られず、むしろ口のなかで意味も分らぬまま、もぐもぐと呟くように語られる。つまり、口から飛び出すわけではないので、クレルの話を聞いても、クレルがどういう人物であるかはさっぱり分らない。あえて言えば、クレルの輪郭すらはっきりう泛び上ってはこない。むしろ逆に、こうした表現は、彼の口から彼の内部に入りこみ、彼の内部に蓄積され、そこに沈殿して厚い泥土を形成するように思われる。時として、この泥土から透明な一粒の泡が立ちのぼり、彼の唇のところまで上ってきて、ぱちんとはじける。この立ちのぼってくる一粒の泡が、つまり彼のぼつりと洩らす隠語なのであった」(ジュネ「ブレストの乱暴者・P.16~17」河出文庫)

少なくともクレルの生活世界と同様の次元に属する世界の先輩住人にあたる語り手からみれば、クレルが何か言葉にして語り始めようとしているものは紛れもない隠語であると理解できるのである。たいへん緻密に描かれているため、実際どうなっているのかよくわからないかもしれない。「むしろ逆に、こうした表現は、彼の口から彼の内部に入りこみ、彼の内部に蓄積され、そこに沈殿して厚い泥土を形成する」、そして「この泥土から透明な一粒の泡が立ちのぼり、彼の唇のところまで上ってきて、ぱちんとはじける。この立ちのぼってくる一粒の泡が、つまり彼のぼつりと洩らす隠語」とある。この描写には注目すべき点がある。

言語はもともと内面にあるものではない。それは繰り返し反復され身体と結合し、そのあとで事後的に、内面に蓄積されたものとして受け止められる。ところが人々は言語が口から発せられるとき、何か確固たる内面が先に実在していて、その上で内面を表現するものとして言語が口から発声されるに違いないという転倒した錯覚に陥っているのだ。ニーチェは音楽についてこう述べている。

「《音楽》ーーー音楽はそれ自身だけでは、感情の《直接的》言語とみなしてもよいほどわれわれの内面に対して意味深いものでも深く感動させるものでもない、むしろ音楽は詩と太古に結合していたので、非常に多くの象徴性が韻律的運動の中へ、音の強弱の中へこめられて、その結果われわれは今では、音楽が直接内面《へと》語りかけ、内面《から》出てくると《妄想する》」(ニーチェ「人間的、あまりに人間的1・二一五・P.226」ちくま学芸文庫)

「《身振りと言語》ーーー言語より古いのは身振りの模倣である、これは思わず起こるものであり、身振りに物をいわせることを全般的に抑制したり筋肉をたしなみ深く統御したりしている今でもなお非常に強いので、われわれは感動した顔をみて自分の顔の神経支配を失わずにはいられない(つくりあくびが、それをみる人のところでも、本物のあくびを呼び起こすのを観察することができる)。まねられた身振りは、まねた人を、その身振りがまねられた人の顔や体に現わしていた感覚へとつれもどした。こうして人はたがいに理解することを学んだ、ーーー人が身振りでたがいに理解するようになるや否や、身振りの《象徴性》もまた発生することができた、つまり人はアクセントのある言語をたがいに了解しあうことができた、しかもはじめはアクセント《と》身振り(この身振りにアクセントが象徴的に加わってきた)を、のちにはただアクセントだけをあらわす、というようにしてである。ーーー音楽、とくに劇的音楽の発展において、そこでは現在われわれの眼や耳に起こったのと同じことが、昔たびたび起こったように思われる、はじめ音楽は、説明する舞踏や身振り舞踏(身振り言語)がないと、空虚な騒音であるが、音楽と運動とのあの並行に長らく馴れることによって、耳は音の比喩を即座に解釈するように仕込まれ、ついには眼にみえる運動をもはやまったく必要とせずに、それがなくても作曲家を《理解する》ような、すばやい理解の高みに到達する」(ニーチェ「人間的、あまりに人間的1・二一六・P.227~228」ちくま学芸文庫)

だからこれは音楽という言葉が芸術を現わしていればいるほど勘違いされがちな事情でもある。むしろ芸術としての音楽は、今のような形態を獲得するまでにおそらく無限といえるほど複数かつ錯綜した幾多の歴史に彩られた野蛮な行為の連続を要している。そして途方もない時間をみっちりかけて洗練された後の、まだまだほんの先端しかなしていない可能性に満ちた形態なのだ。

そしてまた、身体で理解するとはどういうことか。それは何一つマッチョな過程を要請するものではない。事情は単純である。

「反復される努力は、それがつねにおなじものを再生するにすぎないならば、いったいなんの役にたつというのだろう。反復がほんとうに効果を有しているとするなら、それはまず《分解し》、つぎに《ふたたび合成し》ながら、かくて身体という知性に語りかけるところにある。反復は、それがあらたにこころみられるたびごとに、ふくまれていた運動を展開し、そのつど身体の注意をあらたな細部に対して呼びおこすが、その細部はそれまでは気づかれずに生起していたものなのである。反復は身体に分割させ、分類させる。かくて身体に対して、なにが本質的なことがらであるかを強調してみせるのだ。反復は、全体的な運動のうちに一本一本、内的構造をしるしづける輪郭線を見いだしてゆく。この意味で運動は、身体がそれを理解したときに習得されたといえるのである」(ベルクソン「物質と記憶・P.220~221」岩波文庫)

話題が音楽におよんだので、ジュネにおける音楽と犯罪的行為との緊密な関係について述べておこう。ジュネはいう。

「すべて倫理的行為の美しさは、その表現の美しさによって決定される。それは美しい、と言えば、それですでにそれが美しい行為となることが決る。あとはそれを立証すればよいのだ。そしてその役目は、もろもろの表象(イメージ)、すなわち、さまざまな物理的世界の壮麗さとの照応、が行う。それがもし歌を、我々の咽喉(のど)の中で発見させ、湧き起こさせるならば、その行為は美しいのだ。ときとして、下劣とされている行為を我々が思い描くときの意識が、やがてそれを表示するときの表現の強烈さが、我々を否応なく歌に駆りたてることがある。もし、裏切りが我々を歌わせるとすれば、それは、それが美しいからにほかならない」(ジュネ「泥棒日記・P.24」新潮文庫)

倫理的行為。それはジュネにとって「裏切り、泥棒、同性愛、等々」を意味する。それが美しいかどうかを決めるのは、その行為がジュネを不意に歌わせる場合だけである。自然に歌が咽喉から流れ出てくるとき、その行為がどのような行為であっても、それは美しい。行為の美しさを計量しようとしたとしても、何かこれといった基準は存在しない。それだけでただ美しいというものがあるわけでもない。むしろ逆に何の気なしに不意に身体が歌を歌いだすとき、その行為は美しい行為に《なる》。倫理とはもともとそういうものだ。美しさと正しさとはまた別問題なのである。さらにジュネの場合、正しい行為とはつねに愛と美とを伴っていなくてはならない。しかしそれが「真理」かどうかなどはまったく別次元に属する。ジュネはジュネ自身が生息する世界の掟を知り抜いている。どのような卑劣な行為にみえていてもなお、それがみずからの身体から音楽を発生させるとき、その瞬間、それはまさしく美しく正しい倫理的行為に《なる》のだ。倫理的かどうかの決定権は、行為しているときに行為がなされている場所全体に向けて燦然と歌があふれかえってくるという事実によって定められる。上位に位置するのはあくまでも音楽なのだ。

☆長崎県島暮らしさんから訪問頂きました。ご健康そうですね。犬も人も。島暮らしですかあ。いいですね。自然がまだまだ一杯残っているような。とりわけ、どちらのウエスティもお人好しぶりがなんとも良いなあと。見ていて微笑んでしまいます。猫よりお返事です。まだ子猫だった頃、暑い日はこんなふうにかごの影で涼んでいました。


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