白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

微視的細部38

2020年06月30日 | 日記・エッセイ・コラム
カバラについてその成立の歴史的諸条件と転換点を中心に取り上げてきた。古代ギリシアのプラトン哲学からグノーシス主義、ユダヤ=キリスト教との関連、終末論=救世主待望論(メシアニズム)、魂の輪廻転生論、等々について触れた。しかしディオニュソスとオルフェウスとの関連をもう少し明らかにしておこう。

「シャーマンになろうとする者が陥る『狂気』、『心的混沌(カオス)』は、彼が世俗的人間としては『解体』しつつあり、そして新たな人格がまさに生まれ出ようとしていることを意味している」(エリアーデ「世界宗教史5・P.41」ちくま学芸文庫)

このような「狂気」、「カオス」、「解体」、について、エウリピデス「バッコスの信女」やヘロドトスの記述を例に上げて述べた。

「エジプトでは一般に豚を神に生贄として捧げることは禁じているが、ただセレネ(月の神)とディオニュソスだけには同じ時、すなわち同じ満月の日に豚を犠牲にしてその肉を食べる。エジプト人は他の祭礼では豚を忌むのに、なぜこの祭だけは豚を犠牲に供えるのかということについては、エジプト人の間に伝承がある。ーーーセレネに豚を犠牲にする儀式は次のように行なわれる。豚を屠ると、その尾の端と脾臓と大網膜(内臓を含む膜)とを集め、その豚の腹の周りの脂肪を全部使ってそれらを包み、火で焼くのである。残りの肉は犠牲の行なわれる満月の日に食べるが、日が変るともはや口にしない。貧民は乏しい家計がそれを許さないので、粉を捏(こ)ねて豚の形に作り、これを炙(あぶ)って神に供えるのである。ディオニュソスには、その祭の前夜、エジプト人はそれぞれ家の前で仔豚を屠ってささげ、その仔豚はそれを売った豚飼に持ち帰らせる。それ以外の点では、エジプトのディオニュソス祭はギリシアとほとんど全く同様に行なわれるが、ただギリシアのような歌舞の催し物はない。エジプト人は男根像(バロス)の代りに別のものを考案しているが、これは長さ長さ一キュペスほどの糸で繰る像で、これを女たちがかついでを廻るのであるが、動体と余り変らぬほどの長さの男根が動く仕掛になっている。そして笛を先頭に、女たちはディオニュソスの讃歌を歌いつつその後に従うのである。像がそのように異常な大きさの男根を具え、また体のその部分だけが動く由来については、聖説話が伝えられている」(ヘロドトス「歴史・上・巻二・P.222~223」岩波文庫)

「スキュレスはディオニュソス・バッケイオスの信仰に入信したいという望みを起した。ところが、彼が入信の儀式にかかろうとしている矢先、恐ろしい異変が起った。彼にはボリュステネス人の町に、先刻も述べたように宏壮豪奢な邸があり、邸のまわりには白大理石製のスフィンクスやグリュプスの像が並んでいた。この邸に神が雷撃を加え給うたのである。邸は全焼したが、スキュレスはこの異変をも物ともせず、入信の儀を終えたのであった。ところでスキュタイ人はギリシア人がバッコスの祭儀を行なうことを悪(あ)しざまにいう。人間を狂気に誘う神があるなどと考えるのは理にかなわぬ、というのである。それでスキュレスがバッコス教に入信した後、あるボリュステネス人がスキュタイ人を嘲ってこういった。『スキュタイ人どもよ、そなたはわれわれがバッコスの祭を祝い、神がわれわれに乗り移ってこられるのをいつも愚弄しているが、とうとうこの神様はそなたらの王様にも乗り移られたぞ。今はあのお方もバッコスの祭を祝い、神霊に憑(つ)かれて狂っておられる。私のいうことを信ぜぬのなら、私についてくるがよい、その証拠をそなたらに見せて進ぜよう』。そこでスキュタイ人の重だった者たちが付いてゆくと、そのボリュステネス人は彼らを密かに城楼に上らせ、そこに坐らせた。やがてスキュレスが同行衆とともに現われ、スキュタイ人たちは彼がバッコスの祭に加わっているのを目撃すると、大いに慨嘆し、市の外にでると全軍の将兵に自分たちが見てきたことを知らせた」(ヘロドトス「歴史・中・巻四・P.55~56」岩波文庫)

またアルトーは、シリアで行われていたディオニュソス祭をローマへ持ち込む際(古代ローマでは「サテュルヌナリア祭」)に、ヘリオガバルスが実演した光景について述べている。

「旋回し、様々な寛衣をまとった一個の男根が、太陽信仰のもつ黒い部分を強調しているとすれば、太陽の観念を地下へと導く騒がしい諸層は、物理的な手段で、それらの罠と鋭利な魅力によって、限りなく暗い観念の世界を実現しているーーーエメサで行われていたような太陽信仰を決定づけるこれらの観念は、ひとつの原理の宇宙的悪意にかかわるものであり、民衆が周期的に犯した過ちとは、その原理がもつ暗黒の部分を崇めることによって、事物のなかにある忌まわしい出口をその原理に与えたことであった。腹が二つの腿のまんなかに楔(くさび)のように入り込むとき、腿が形づくる逆三角形は、暗いエレボスの円錐を再現しているが、その不吉な空間のなかに、月の月経をむさぼる者たちにその点で手を貸す太陽の陽物像の崇拝者たちは、自分たちの興奮を導き入れるーーー。それはしたがって交接ではなく、死であり、どうしようもない光のなかに、神の一部分の失墜のなかにある死であって、これらすべての秘儀伝授の宗教はその無能な姿を、無能であると同時に悪意ある姿を明らかにしているが、ちょうど卑俗な実現の領域において己れの至上権を示すために、自分自身の一部分が鉛の重さをもって離反していくのを見ている黄金のようなものである」(アルトー「ヘリオガバルス・P.62~63」河出文庫)

象徴機能に着目しよう。「動体と余り変らぬほどの長さの男根(像)」、「狂気に誘う神」、「太陽の陽物像」、「暗黒の部分を崇める」、「死」、といった一連の言葉によって象徴されているものとは何か、が問題である。個々別々に個別的なものではなく、それらをその機能に従って統合し象徴化されたものの持つ力についてはジュネが言っている通りだ。

「実際の役には立たない見かけ倒しの凶器が、象徴となることによって、もっと危険なものになる」(ジュネ「ブレストの乱暴者・P.211」河出文庫)

「象徴的なナイフは、いかなる実際的な危険をももたらさないが、それが多様な空想的生活のなかで用いられると、犯罪への同意のしるしとなる」(ジュネ「ブレストの乱暴者・P.211」河出文庫)

「その刃は牛乳のように白く、やや流動性の物質でできていた。というのは、ナイフは切れるという事実によって危険なのではなく、むしろ夜のなかの死の象徴だったのである。この象徴であるということによって、象徴であるという単なる事実から人を殺すナイフは、クレルをおびやかしていた。恐怖の原因となっていたのはナイフの観念である」(ジュネ「ブレストの乱暴者・P.281」河出文庫)

オルフェウスについてそれが竪琴を持つ吟遊詩人であったことのほか、ほとんど現物の文献にその記述が残されていないことはすでに述べた。が、ディオニュソスの密儀=秘儀とたいへん密接な関係を持つに至っていたことについてもすでに述べた。アポロドーロスが残した文書からは次の部分にほぼ集約される。

「カリオペーとオイアグロスから、しかし名義上はアポロンから、ヘーラクレースが殺したリノスおよび歌によって木石を動かした吟唱詩人オルペウスが生れた。オルペウスはその妻エウリュディケーが蛇に噛まれてなくなった時に、彼女を連れ戻そうと思って冥府に降り、彼女を地上にかえすようにとプルートーンを説き伏せた。プルートーンはオルペウスが自分の家に着くまで途上で後を振りむかないという条件で、そうしようと約束した。しかし、彼は約を破って振り返り、妻を眺めたので、彼女は再び帰ってしまった。オルペウスはまたディオニューソスの秘教(ミュステーリア)を発見し、狂乱女たちに引き裂かれてピエリアーに葬られた」(アポロドーロス「ギリシア神話・第一巻・P.32~33」岩波文庫)

その死は「ディオニューソスの秘教(ミュステーリア)を発見し、狂乱女たちに引き裂かれ」たことによるとされる。ところで「秘教(ミュステーリア)」=ミステリーとはなんだったか。J.C.フレイザーはディオニュソスが牡牛や牡羊に変身して登場していることを認めつつ、他方、「穀物神」としての可能性に重点を置いて述べている。古代ギリシアでディオニュソス祭が行われる時期についてこう言及する。

「古代アテナイでは脱穀が終わる頃に供儀が行われたが、この時期が示しているのは、祭壇に置かれた小麦と大麦が、収穫の供え物であったということである」(フレイザー「金枝篇・下・第三章・第十節・P.50」ちくま学芸文庫)

ホメロス「オデュッセイア」でキルケが用いる「キュケオーン」という魔法の薬物については諸説ある。キルケの用いる薬物の場合、意識朦朧、錯乱、性的誘惑、などが目指されている。ヨーロッパで有名なものはベラドンナ。次にヒヨスだろう。ディズニー映画などでしょっちゅう出てくる魔女が帚に跨って天空を駆け巡るシーンはそれをヒントに濫用されたものだ。用いられているベラドンナは搾り汁であって、それを象徴化された男根としての箒に塗り付けて股間で摩擦すれば、いつまで経ってもベラドンナエキスに特徴的なエクスタシーのうちに遊び呆けていられることになる。だがナチスのドイツ、スターリンのロシア、ヒロシマ・ナガサキを見てしまった知識人たちは、欧米文化に愛想を尽かせてしまい、欧米文化圏の外部にある、もっと様々な少数民族に伝わる多様な体験を目指した。アルトーが体験したペヨトル、バロウズが紹介しているイェージ(ヤヘイ)などがそうだ。取締対象になるまで中南米で多く見かけられた。またアジアでは紀元前千五百年頃のインドの文献に見られる「ソーマ」(薬草の抽出液)も有名。

「私は儀式である。私は祭祀である。ーーー私は薬草である。ーーー私は不死であり死である。ーーー三ヴェーダを知り、ソーマ酒を飲み、罪悪が浄められ、祭祀により私を供養し、天界へ行くことを求める人々は、清浄なる神々の王(インドラ)の世界に至り、天界において神聖な神々の享楽を味わう」(「バガヴァッド・ギーター・第九章・P.82〜83」岩波文庫)

さらに日本では、ベニテングタケ、ワライタケ、シビレタケなど、今でもあちこちで見られる。ちなみに、おそらくワライタケに関すると思われる記述は今昔物語にも登場している。

「尼共(あまども)ノ云ク、『己等(おのれら)ガ此ク舞ヒ乙(かなで)テ来(きたる)ヲバ、其達(そこたち)定メテ恐シ思(おもう)ラム。但シ、我等ハ其々(そこそこ)ニ有ル尼共也。花ヲ摘(つみ)テ仏ニ奉ラムト思テ、朋(とも)ナヒテ入タリツルガ、道ヲ踏ミ違(たが)ヘデ、可出(いづべ)キ様(よう)モ不思(おぼえ)デ有ツル程ニ、茸(たけ)ノ有ツルヲ見付テ、物ノ欲(ほ)シキママニ、此レヲ取テ食(くい)タラム、酔(よい)ヤセムズラム、トハ思ヒ乍(なが)ラ、飢(うえ)テ死ナムヨリハ、去来(いざ)、此レ取テ食(くわ)ム、ト思テ、其レヲ取テ焼テ食(くい)ツルニ、極(イミジ)ク甘(うま)カリツレバ、賢(かしこ)キ事也、ト思テ食(くい)ツルヨリ、只(ただ)此(か)ク不心(こころなら)ズ被舞(まわる)也。心ニモ糸(いと)怪シキ事カナトハ思ヘドモ、糸怪クナム』ト云(いう)ニ、木伐人(きこりびと)共、此レヲ聞テ、奇異(あさまし)ク思フ事無限(かぎりな)シ。然(さ)テ、木伐人共モ、極(いみじ)ク物ノ欲(ほし)カリケレバ、甘共ノ食残(くいのこ)シテ取テ多ク持(もち)ケル、其ノ茸ヲ、『死ナムヨリハ、去来(いざ)、此ノ茸乞(こい)テ食(くわ)ム』、ト思テ、乞テ食ケル後(のち)より、亦、木伐人共モ、不心(こころなら)ズ被舞(まわれ)ケリ。然(しか)レバ、甘共モ木伐人共モ、互(たがい)ニ舞(まい)ツツナム咲(わらい)ケル」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第二十八・第二八・P.244~245」岩波書店)

しかしディオニュソスの場合「麦」が全面的に神格化されている点でキルケが用いた薬物とは異なる。「芥子」(ケシ)でもない。ソーマのような薬草の抽出液や種々のキノコ類、あるいはペヨトルのようなサボテンでもない。

「穀物の神デメテルに話を移すが、ヨーロッパの習俗では、一般に豚が穀物霊の化身であったことを思い出すと、われわれはつぎのように問うことができるーーーデメテルとこれほど緊密な関係にあった豚は、動物に化身したこの女神自身ではないのか?豚はデメテルの聖獣であった。芸術作品では、彼女は豚を連れた姿、あるいはこれに付き添われた姿で表現された。また豚は、一様にデメテルの密儀で生贄にされ、その理由は、豚が穀物を荒らすものであり、そのためこの女神の敵となる、ということに帰せられていた。だが、われわれがすでに見てきたように、ひとつの動物が神とみなされ、あるいはひとつの神が動物とみなされてしまうと、その後この神は動物の姿を脱ぎ捨て、純粋な人格神になる、ということがときとして起こる。そしてさらに、当初は神の性格を抱くものとして殺されていた動物が、神性に対し敵意を持つものだという根拠で、その神に捧げられる生贄とみなされるようになる。ようするに、この神は、神自身が自らの敵であるということを理由に、自らのために生贄に供される、ということが起こるのである。ディオニュソスに起こったのがこれであり、それがまたデメテルにも起こったのであろう」(フレイザー「金枝篇・下・第三章・第十節・P.53~54」ちくま学芸文庫)

小麦にしろ大麦にしろ「麦」に寄生する菌に「麦角菌」がある。この麦角菌から抽出された成分がリゼルグ酸ジエチルアミドであり通称LSDと呼ばれる。幻覚症状を出現させることで有名。古代社会でLSDが発見されているわけもないが、麦角菌は麦に寄生すると部分的に黒色になることは古代から知られていた。おそらくそれが用いられた可能性が大きい。そしてさらにこのような麦角菌の効果はすでに新約聖書にも影響を与えている。イエスはいう。

「わたしは言う、一粒の麦(むぎ)は、地に落ちて死なねば、いつまでもただの一粒である。しかし死ねば、多くの実(み)を結(むす)ぶ」(「新約聖書・ヨハネ福音書・第十二章・P.325」岩波文庫)

さて、イニシエーションに戻ろう。問題はイニシエーション=儀式に伴う解体の感覚である。コロンビアのサンタマルタのシェラネヴァダに住むチブチャ語を話すインディアンのコギ族が一九六六年に行った少女の埋葬について。ライヘル=ドルマトフの報告書がある。エリアーデも言及している。

「コギ族は、世界ーーー宇宙母神の子宮ーーーとそれぞれの村、祭りの館、家、墓とを同一のものと見なしている。シャーマンが死体を九回持ち上げるのは、妊娠期間の九ヶ月を逆にさかのぼり、死体を胎児の状態にもどすことを意味する。そして、墓は世界と同一視されるので、葬儀の供物は宇宙的意義を獲得する。さらに、『死者の食物である供物は、性的意味』(コギ族の神話、夢、婚姻の掟において、『食べる』行為は性的行為を象徴する)を含んでおり、その結果、それは母神を多産にする『精液』となるのである。貝殻は性に関するばかりでなく、実に複雑なシンボリズムを担っており、家族の生存者をあらわす。他方、巻貝は死者の『夫』を象徴するので、それを墓に入れてやらなければ、少女は他界に到着するやいなや『夫を要求し』、同じ部族の若者の死を招くことになる」(エリアーデ「世界宗教史1・P.34~35」ちくま学芸文庫)

イニシエーションといっても何も秘儀ばかりではなく公開のものも少なくない。エリアーデはブリヤート族のケースを取り上げている。

「一本の白樺のもとで、一同は一匹の山羊を犠牲に供し、新入者は上半身を裸にされて、頭と目と耳に血を注がれる。その間、他のシャーマンたちは太鼓を打ち鳴らし続ける。それから導師のシャーマンが白樺によじ登り、その先端に九つの刻み目を作る。他のシャーマンたちの順番がすむと、新参の弟子もこの木に登る。こうして木によじ登っているうちに、全員がエクスタシーに陥っていくーーーあるいは陥ったふうをよそおう。ある報告によると、新入者は九本の木に登らされるという。これは、九つの刻み目同様、九つの天を象徴するものとされる」(エリアーデ「世界宗教史5・P.43~44」ちくま学芸文庫)

この中で、「山羊を犠牲」、「頭と目と耳に血を注がれる」、とある部分は中近東から中央アジア、シベリアまでそれこそユーラシア大陸のほぼ全域に及んでいる。珍しくはない。ところが、よく知られているミトラス教では「七」を聖数としていてすでに古代ギリシアの天体観測あるいはキリスト教の影響が見られる。ところがブリヤート族が採用している数字は「九」であって「七」ではない。ということは、ブリヤート族の場合、「九本の木」、「九つの刻み目」、「九つの天」は、どれもコギ族の神事と同じくより古い形のものであって、女性の妊娠期間(九ヶ月)を基準にしたものと思われる。

「エクスタシーに陥る前の至福感(ユーフォリー)が叙事詩のひとつの源泉となっていることも、充分あり得る。シャーマンはトランス状態に入ろうとする際に、太鼓をたたき、守護の精霊たちを呼び出し、『秘密の言葉』ないし『動物の言葉』をしゃべり、動物の鳴き声、とりわけ鳥たちの歌声をまねる。こうして彼は、言語的創造活動や叙事詩の韻律(リスム)が活性化してくる意識の『第二次状態』を獲得するのである。また、シャーマンや演技がもつドラマ的な性格も忘れてはならない。これは日常生活の世界には匹敵するもののない《スペクタクル》〔見物〕ともなっている。みごとな魔術(火の芸はじめさまざまな『奇蹟』)は、別の世界への幕を開く。そこは神々や魔術師たちの仮想の世界、それでは《すべてが可能》な世界である。そこでは死者たちが蘇り、生者たちが死んで再び蘇る。人が瞬時に消えたり、現われたりできる。『自然法則』は破棄され、超人間的な『自由』がすばらしい形を与えられて、目の前に《現実化》されている。こうした《スペクタクル》が『未開の』共同体にどんな効果を与えているかは、いまや充分にみてとることができよう。シャーマンの行う『奇蹟』は、伝統的宗教の構造を再確認し、強固にするばかりでなく、人々の想像力を刺激し、養って、夢と直接的現実とのあいだの隔壁を取り払い、神々や死者や精霊の住むいろいろな世界へと通ずる窓を開くものなのである」(エリアーデ「世界宗教史5・P.53~54」ちくま学芸文庫)

イニシエーションの特徴は別世界への参入と地上への回帰である。別世界は一種の死である。あるいは夢と幻想の世界である。人間は夢と幻想において一種の死を体験するわけだ。そこでは「《すべてが可能》」である。作品「オーレリア」でネルヴァルは都会を眼下に見下ろす山の上まで登る。そこで古代の原住民の幻影と出会う。案内人に導かれている点はダンテを意識したのだろう。

「案内人は、工業の様々な雑音の響く険阻な騒々しい街路を幾つも攀じ登らせた。われわれは更に一列の長い階段を上った。階段を越えると眺望が豁(ひら)けた。此処彼処に、四つ目格子で蔽われた露臺(テラス)、いくらかの空地を平にしてそこに設らえた庭園、軽快に造られ、気紛れな丹念さで彩り彫刻された屋根やあづま家がある。幾條もの蜿蜒(えんえん)と匐う緑の草木に縫い合わされた遠景は、此処ではもはや幽かなざわめきくらいにしか聞えぬ下方の喧騒と雑音の上にあって、快いオアシスや人知れぬ荒涼の地の眺めのように、目を悦ばせ心を楽しませた。追放された異教の民が墓地や塋窟(えいくつ)の蔭で暮すという話をよく聞いたが、此処は確かにその反対であった。幸福な一民族が、鳥と花と清らかな空気と光明とが慕い寄るこの隠棲の地を創ったのであった。ーーー案内人は言った、之は、今私達がいる町を見下ろすこの山の昔からの住民です」(ネルヴァル「オーレリア・P.23~24」岩波文庫)

芸術作品では比較的古くからイニシエーションにまつわる神話が描かれてきた。

「シャーマニズムから霊感を得た文芸作品が、もっとも高度な完成にいたったのはフィンランドにおいてであった。エリアス・リョンロットの編んだ国民叙事詩カレワラ(一八三二年初版)では、主人公はワイナミョイネン、『永遠の賢者』とよばれている。超自然的な出身のワイナミョイネンは、数知れぬ呪術能力を与えられたエクスタシーの専門家であり、幻視者(ヴィジオネール)である。加えて、彼は詩人であり、歌い手であり、竪琴弾きである。彼とその仲間ーーー鍛冶工のイルマリネンと戦士のレンミンカイネンーーーが行う冒険は、多くの場合、アジア型のシャーマンや英雄-呪術師の功業を思わせる」(エリアーデ「世界宗教史5・P.56~57」ちくま学芸文庫)

カレワラはシベリウスが交響詩として作品化してもいてなるほど有名。しかし注目したいのは主人公が「幻視者(ヴィジオネール)である。加えて、彼は詩人であり、歌い手であり、竪琴弾きである」ことだ。この設定はまったくオルフェウスにそっくり似ている。エリアーデはこのタイプの芸術作品で最も成功したものとしてダンテ「神曲」を上げている。

「ベアトリーチェーーーダンテは乙女時代の彼女を知っており、再会したときには、彼女はフィレンツェの名士のもとに嫁しているーーーは、完全に神格化されている。天使や諸聖人よりも高く位置づけられ、あらゆる罪を免れた者として、ほとんど聖母マリアに並ぶものとされる。彼女は、人類(ダンテがその代表)と神との新たな仲介者となるのである。ベアトリーチェが地上楽園にまさにその姿を現わさんとするとき、ある者が『来たれ(ヴエニ)、花嫁(スポンサ)、レバノンより(デ・レバンノ)』と叫ぶ(煉獄篇、第三〇歌十一)。これは雅歌の有名な一節(四・八)で、教会の祈りにも用いられているが、しかし聖母マリアか教会そのものに対してのみ歌われるものである。ダンテは『神曲』を、全人類の救済のために書いた。理論の力に頼るのでなく、地獄や天国のヴィジョンで読者を畏怖させ、また魅惑することで、人類の変容をもたらそうとしたのである。芸術、とくに詩は、形而上学や神学を人々に伝えるための、またそればかりでなく、人々を目覚めさせ、《救済する》ためのひときわすぐれた手段であるとする伝統的な考え方を、ダンテは、彼だけがというわけではないが、ひとつの模範的な形で実践してみせた」(エリアーデ「世界宗教史5・P.171~172」ちくま学芸文庫)

「きたれ(ヴエニ)、花嫁(スポンサ)、リバーノより(デ・リバーノ)」(ダンテ「神曲・煉獄篇・P.380」集英社文庫)

なお、花嫁(スポンサ)をそのまま翻訳すれば教会(信仰生活の支援者)を意味するが、この場面でのベアトリーチェは凱旋戦車に乗って登場しているのであって、神の知恵(ソフィア)と解するのが妥当だろう。神の軍隊の象徴としてのベアトリーチェのイメージ。実際にも一七八九年フランス革命でジャンヌダルクが出現し再演されることになる。「神曲」ではその少し後の場面で再び聖書からの引用がある。

「しばし経たば(モザイクム・エト)、おんみら我を見ず(ノン・ヴィデビティス・メ)、さらにまた(エト・イテームル)、わが愛する姉妹たちよ、しばし経たば(モザイクム・エト)、再び我を見ん(ヴォス・ヴィデビティス・メ)」(ダンテ「神曲・煉獄篇・P.422」集英社文庫)

もともとは次の文章。

「しばらくするとあなた達はもはやわたしを見ることができない。またしばらくするとわたしに会(あ)うことができる」(「新約聖書・ヨハネ福音書・第十六章・P.340」岩波文庫)

最後の晩餐のシーンでのイエスの言葉。だが同じ言葉を用いてベアトリーチェが語っていることは、ダンテの活躍に始まるルネサンス初期の世相を考慮すべきである。この頃、堕落腐敗を極めていたキリスト教権力は出発から千年を経てとうとう終末を迎えたと言える。だから再生(ルネサンス)させねばならないというメッセージが込められたものと考えられるわけである。
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さらに、当分の間、言い続けなければならないことがある。

「《自然を誹謗する者に抗して》。ーーーすべての自然的傾向を、すぐさま病気とみなし、それを何か歪めるものあるいは全く恥ずべきものととる人たちがいるが、そういった者たちは私には不愉快な存在だ、ーーー人間の性向や衝動は悪であるといった考えに、われわれを誘惑したのは、《こういう人たち》だ。われわれの本性に対して、また全自然に対してわれわれが犯す大きな不正の原因となっているのは、《彼ら》なのだ!自分の諸衝動に、快く心おきなく身をゆだねても《いい》人たちは、結構いるものだ。それなのに、そうした人たちが、自然は『悪いもの』だというあの妄念を恐れる不安から、そうやらない!《だからこそ》、人間のもとにはごく僅かの高貴性しか見出されないという結果になったのだ」(ニーチェ「悦ばしき知識・二九四・P.309~340」ちくま学芸文庫)

ニーチェのいうように、「自然的傾向を、すぐさま病気とみなし」、人工的に加工=変造して人間の側に適応させようとする人間の奢りは留まるところを知らない。昨今の豪雨災害にしても防災のための「堤防絶対主義」というカルト的信仰が生んだ人災の面がどれほどあるか。「原発」もまたそうだ。人工的なものはどれほど強力なものであっても、むしろ人工的であるがゆえ、やがて壊れる。根本的にじっくり考え直されなければならないだろう。日本という名の危機がありありと差し迫っている。

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微視的細部37

2020年06月29日 | 日記・エッセイ・コラム
カバラの流れを見ていると至るところでグノーシス主義が顔を出す。三〇〇〇年〜四〇〇〇年間を通してグノーシス主義はそれほどまでに諸宗教の内部へ浸透していったという証拠である。だがその場合でいうグノーシス主義は広い意味でのグノーシス的傾向を含めてのものだ。厳密な意味ではどうだったろうか。エリアーデは紀元後しばらくして登場してきたウァレンティウスの教義に注目する。

「厳密な意味でのグノーシス主義を規定するのは、本質的に異なる要素を多少なりとも有機的に統合したものではなく、当時、広範囲に流布していた神話や思想や神観念に対する、大胆で、奇妙なほど悲観的な再解釈なのである」(エリアーデ「世界宗教史4・P.230」ちくま学芸文庫)

悲観的だからといって終末論・救世主待望論(メシアニズム)からほど遠いわけではなくむしろ逆に急接近する。

「アレキサンドリアのクレメンスによって伝えられているウァレンティヌスの信条は、人は『われわれが何であり、われわれが何になったか、われわれがどこにいて、われわれはどこに投げこまれているのか、われわれはどのような目標へ向かって急いでおり、われわれはどこから救い出されているのか、誕生とは何か、そして再生とは何か』を学ぶことによって、救いを得ると説いている(ウァレンティヌス派グノーシス文書からの抄録七八、二)」(エリアーデ「世界宗教史4・P.230~231」ちくま学芸文庫)

二〇二〇年の今なお問われて止まない課題を明確化させたといえる内容だ。すなわち「人間はどこから来たのか、そしてどこへ行くのか」。

「グノーシス派によって教えられた救いを得るための知恵は、とくに『秘密の歴史』(より正確には、イニシエーションを経ていない者には明かされない歴史)、すなわち世界の起源と創造、悪の源、人間を救うためにこの世に下った聖なる救済者の物語、超越的な神の最終的な勝利ーーー歴史の結末と宇宙の消滅のなかに表現されるであろう勝利ーーーの啓示の内に存在するのである。これはひとつの《全体的な神話》であり、世界の起源から現在にいたるまでのすべての決定的要素を記し、その相互依存を示すことによって、終末が確実であることを保証する」(エリアーデ「世界宗教史4・P.231」ちくま学芸文庫)

ウァレンティヌスの主張は、第一に「真の存在」(霊的存在)は肉体という牢獄に捕われているという点。第二に、誕生するということは物質への堕落であるという点。第三に、肉体化し堕落した霊魂を霊知(グノーシス)によって解放・救済するというドラマである。魂とその牢獄たる肉体という思想はプラトンがすでに提出していた。

「われわれは現在死んでいるのであり、身体(ソーマ)がわれわれの墓(セーマ)なのである」(プラトン「ゴルギアス・P.145」岩波文庫)

しかしウァレンティヌスがグノーシス主義者の中でずば抜けた頭角を現わすのは司教の地位を巡る権力闘争に敗北し、ローマを去ってからである。一三五年から一六〇年にかけてウァレンティヌスは神学者として教壇に立っていた。エリアーデは要約することはできないとしながらも次に文章でウァレンティヌスの思想にイエス・キリストの存在が色濃く反映されたものになっていると指摘する。

「ウァレンティヌスによると、父、すなわち絶対的で超越的な第一原理は不可視であり、理解できないものである。父は仲間である思考(エンノケイア)と結合し、ともにプレーローマ〔充満〕を構成することになる十五対のアイオーン〔生ける神的原理〕を生む。最後のアイオーンである知(ソフィア)は、父を知りたいという欲望のために目を曇らされて危機を招き、その結果、悪と情欲があらわれた。プレーローマから突き落とされて、ソフィアとそれがひき起こした常軌を逸した被造物は、劣った知恵(サジェス)を生んだ。そのうえに、キリストと伴侶の女性としての聖霊という新しいカップルが創造された。最後に、プレーローマは最初の完全性を回復して、イエスともよばれる救世主を生む。救世主は低次の領域に下って、より低次の知恵から生じた質料的な要素で『目に見えない物質』を形成し、心的な要素で造物主、すなわち『創世記』の神を造る。『創世記』の神は高次の世界の存在を何も知らず、自分自身を唯一の神であると考えているのである。彼は物質世界を創造し、息でそれに生気を与え、『質料的な人間』と『心魂的な人間』という二種類の人間を形成する。しかし、霊的な要素はより高次の知から生まれて、造物主に知られずにその息のなかに入りこみ、『霊的存在』の階級を生むのである。物質に捕らわれたこれらの霊的な分子を救うために、キリストはこの世に降臨し、厳密な意味では受肉することなく解放をもたらす知識を示す。このように、霊的存在《だけが》霊知(グノーシス)によって覚醒され、父のもとへ昇っていく」(エリアーデ「世界宗教史4・P.239」ちくま学芸文庫)

ウァレンティウスはグノーシス主義の練り上げにあたってユダヤ教のヤハウェよりもキリスト教のイエスをモデルとしたのである。その点で、プラトンのような二元論とはやや色合いの異なるものになっていく。絶対主義的霊的存在とでもいうべきものがグノーシス主義(霊知による救済)と結びつくのである。また、グノーシス主義が取り入れた教義の中でも大きなものに「記憶喪失、睡眠、酩酊、昏睡、捕囚、堕落、郷愁」の顕著な否定が上げられる。

「イメージとして好まれたものに、無知や死と同一視される眠りがある。グノーシス派は、人は眠るだけでなく、眠ることを好んでいると主張している。『ギンザ』は、『なぜあなたはいつも眠ることを好み、罪を犯すものとともに罪を犯すのか』という問いを発している」(エリアーデ「世界宗教史4・P.244」ちくま学芸文庫)

ところが実のところ、このような箇所は新約聖書に載っている部分をそのまま借用したものだ。

「わたしはあなた達に言うことをすべての人に言う、『目を覚ましておれ』と」(「新約聖書・マルコ福音書・第十三章・P.55」岩波文庫)

「たえず目を覚(さ)ましておれ」(「新約聖書・マタイ福音書・第二十四章・P.149」岩波文庫)

なぜ反-記憶喪失、反-睡眠なのか。また捕囚(捕われの身)は自分から自分自身のアイデンティティが失われた状態=睡眠の隠喩である。だから反-捕囚と主張する。

「これらのイメージーーー無知、記憶喪失、捕われの身、眠り、酩酊ーーーの大半は、グノーシス派の教えにおいては、《精神的な死》を意味する隠喩なのである。霊知(グノーシス)は《真の》生、すなわち救済と不死を授けるものなのである」(エリアーデ「世界宗教史4・P.246」ちくま学芸文庫)

グノーシス主義者にとって「記憶喪失、睡眠、酩酊、昏睡、捕囚、堕落、郷愁」は「《精神的な死》を意味する隠喩」と見なされるわけだ。では、聖書にあるイエスの言葉「目を覚ましておれ」、あるいはグノーシスにおける《精神的な死》の逆を目指すとは何のことなのか。要するに常に覚醒していることが大事だというのである。寝たり起きたりということではなくて、精神的な次元でいつも覚醒した状態を保ち、澄み切った緊張のうちに自分自身を律することが大事だという考え方だ。

ところがこういった「無知、記憶喪失、捕われの身、眠り、酩酊」を否定する態度は、霊知(グノーシス)の神秘性にもかかわらず極めて現実的な歴史性を宗教の名において大々的に補完するただ単なる政治的装置の役割をも果たす。それは惰性的歴史を延長させはするが新しく創造することはしない。だからニーチェは「反歴史的」な態度で新しく創造の事業に携わるために、キリスト=グノーシス的傾向に対してあえて「忘却の力」の必要性を説く。

「非歴史的なものはものを被う雰囲気に似ており、この雰囲気のうちでのみ生はみずからを産み、したがってそれが否定されると同時に生も再び消え失せる。人間が考え、篤(とく)と考え、比較し、分離し、結合して、あの非歴史的要素を制限することによって初めて、あの取り巻く蒸気の雲の内部に明るく閃(ひら)めく一条の光が発生することによって初めて、ーーーしたがって、過ぎ去ったものを生のために使用し、また出来事をもとにして歴史を作成する力によって初めて、人間は人間となる。これに間違いない、しかし歴史が過剰になると人間は再び人間であることをやめるのであり、人間は非歴史的なもののあの被いがなければ、開始することを決してしなかったであろうし、また現に開始することを敢えてしないであろう。人間が前もってあの蒸気層に入り込んでおらずに、なすことの可能な行動がどこに見いだされるであろうか?」(ニーチェ「反時代的考察・第二篇・P.127~128」ちくま学芸文庫)

そうでなくては新しい現実を慎重にアレンジして創造の事業を押し進めることは実質的に不可能だからである。キリスト教の聖書の中でもイエスの発言として、いったん与えられた所与の生活諸条件が「一つのこらずおこってしまうまでは、この時代は決して消(き)え失(う)せない」とある。イエスが用いるの無花果(いちじく)の比喩である。

「無花果(いちじく)の木で、枝がすでに柔(やわ)らかになって葉が出ると、夏が近いと知る。ーーーわたしは言う、これらのことが一つのこらずおこってしまうまでは、この時代は決して消(き)え失(う)せない」(「新約聖書・マルコ福音書・第十三章・P.54」岩波文庫)

「無花果(いちじく)の木で、枝がすでに柔(やわ)らかになって葉が出ると、夏が近いと知る。ーーーわたしは言う、これらのことが一つのこらずおこってしまうまでは、この時代は決して消(き)え失(う)せない」(「新約聖書・マタイ福音書・第二十四章・P.148~149」岩波文庫)

「無花果(いちじく)の木をはじめ、すべての木を見なさい。すでに芽(め)が出ると、それを見て、ひとりでにはや夏が近いと知る。ーーーわたしは言う、これらのことが一つのこらずおこってしまうまでは、この時代は決して消(き)え失(う)せない」「新約聖書・ルカ福音書・第二十一章・P.259」岩波文庫)

聖書にあるイエスの言葉とダイレクトに響き合うのはヘーゲルによるヘーゲル弁証法の規定だろう。

「弁証法の正しい理解と認識はきわめて重要である。それは現実の世界のあらゆる運動、あらゆる生命、あらゆる活動の原理である。また弁証法はあらゆる真の学的認識の魂である。普通の意味においては、抽象的な悟性的規定に立ちどまらないということは、単なる公平にすぎないと考えられている。諺にも<自他ともに生かせ>と言われているが、これは或るものを認めるとともに、他のものをを認めることを意味する。しかしもっと立入って考えてみれば、有限なものは単に外部から制限されているのではなく、自分自身の本性によって自己を揚棄し、自分自身によって反対のものへ移っていくのである。例えばわれわれは、人間は死すべきものであると言い、そして死を外部の事情にもとづくものと考えているが、こうした見方によると、人間には生きるという性質ともう一つ可死的であるという性質と、二つの特殊な性質があることになる。しかし本当の見方はそうではなく、生命そのものがそのうちに死の萌芽を担っているのであって、一般に有限なものは自分自身のうちで自己と矛盾し、それによって自己を揚棄するのである」(ヘーゲル「小論理学・上・P.246~247」岩波文庫)

さらに。

「ここで問題となっているような事柄は、哲学以外のあらゆる意識およびあらゆる経験のうちにすでに見出されるものである。われわれの周囲にあるすべてのものは弁証法の実例とみることができる。われわれは、あらゆる有限なものは確固としたもの、究極のものではなくて、変化し消滅するものであることを知っている。これがすなわち有限なものの弁証法であって、潜在的に自分自身の他者である有限なものは、この弁証法によって実際またその直接の存在を超出させられ、そしてその反対のものへ転化する」(ヘーゲル「小論理学・上・P.248~249」岩波文庫)

すべての樹木はもちろんのこと、欧米や中東でなくても日本のように四季折々の情景の反復から人間が身に付けるのは、一度動き出したものはすべて周期的に自分で自分自身をすっかり展開させずにはおかず、なおかつ全面的に展開させなくては次の段階に入っていくことはできないという認識である。そしてヘーゲル弁証法に備わっている可能性を最大限まで引き出したマルクスもまたこう語っている。

「一つの社会構成は、すべての生産諸力がそのなかではもう発展の余地がないほどに発展しないうちは崩壊することはけっしてなく、また新しいより高度な生産諸関係は、その物質的な存在諸条件が古い社会の胎内で孵化しおわるまでは、古いものにとってかわることはけっしてない」(マルクス「序言」『経済学批判・P.14』岩波文庫)

マルクスの言葉の中には明らかに終末論的響きがある。「或る社会の終わりが新しい社会の始まりを意味する」という認識が。だからといってマルクスの場合、ヘーゲルのいう「ミネルヴァの梟(ふくろう)の飛翔」(歴史の終わり)においてキリスト教によって全人類が祝福されるといったありふれた統合論とは異なる。終末がやってきて新しい救世主(メシア)が登場するなどとは一言も言っていない。むしろマルクスは、終末論や救世主待望論が騒々しく世論を席巻するようなときこそ、あえて位置を変えてみること(移動の力/力の移動)の必要性を強調している。

「哲学的誇大広告ーーーこれがお上品なドイツ市民の胸にさえ慈悲深い国民感情を奮い起こさせるのだがーーーを正しく評価するためには、また、《こうした青年ヘーゲル派運動総体の》狭量さ<と>、地方的偏狭さを、<そして>《とりわけ》これらの英雄たちの実際の業績と業績に関する幻想との間の悲喜劇的なコントラストを明瞭にするためには、この騒動全体をいったんドイツの外なる見地から眺めてみることが必要である」(マルクス=エンゲルス「ドイツ・イデオロギー・P.36」岩波文庫)

ネルヴァルもまた大都会の中で様々な世界を、時代を超越して彷徨し見聞する。

「私は、非常に住民の多いそして未知の或る都の街路を彷徨していた。都には丘が起伏し、人家に埋まった一つの山が之を見下ろしているのを認めた。この首都の市民の中に、特別な国民に属しているように見える或る人々が見分けられた。彼等のきびきびした断乎たる様子、顔立ちの力強い調子は、私に、山国とか或いは外国人の余り訪れぬ或る島々の、独立自尊の好戦的民族を想わせた。しかしながら、今彼等は大都会の只中、混然として区別のない住民の只中で、かくの如く能く己が猛々しい個性を失わずにいるのである。一体これ等の人は何者であろう?」(ネルヴァル「オーレリア・P.23」岩波文庫)

ネット社会の世界化によって一九七〇年代型の高度経済成長は「もう発展の余地がないほどに発展」し、さらなるネット社会大規模化の「物質的な存在諸条件が古い社会の胎内で孵化しおわ」ったと言うことはもはや十分にできる。だがネット社会は結果である。結果はいつも原因を覆い隠す。結果の出現に至ったすべての過程の多様性をともすれば実にしばしば忘れさせてしまう。
ーーーーー
さらに、当分の間、言い続けなければならないことがある。

「《自然を誹謗する者に抗して》。ーーーすべての自然的傾向を、すぐさま病気とみなし、それを何か歪めるものあるいは全く恥ずべきものととる人たちがいるが、そういった者たちは私には不愉快な存在だ、ーーー人間の性向や衝動は悪であるといった考えに、われわれを誘惑したのは、《こういう人たち》だ。われわれの本性に対して、また全自然に対してわれわれが犯す大きな不正の原因となっているのは、《彼ら》なのだ!自分の諸衝動に、快く心おきなく身をゆだねても《いい》人たちは、結構いるものだ。それなのに、そうした人たちが、自然は『悪いもの』だというあの妄念を恐れる不安から、そうやらない!《だからこそ》、人間のもとにはごく僅かの高貴性しか見出されないという結果になったのだ」(ニーチェ「悦ばしき知識・二九四・P.309~340」ちくま学芸文庫)

ニーチェのいうように、「自然的傾向を、すぐさま病気とみなし」、人工的に加工=変造して人間の側に適応させようとする人間の奢りは留まるところを知らない。昨今の豪雨災害にしても防災のための「堤防絶対主義」というカルト的信仰が生んだ人災の面がどれほどあるか。「原発」もまたそうだ。人工的なものはどれほど強力なものであっても、むしろ人工的であるがゆえ、やがて壊れる。根本的にじっくり考え直されなければならないだろう。日本という名の危機がありありと差し迫っている。

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微視的細部36

2020年06月28日 | 日記・エッセイ・コラム
一四九二年ユダヤ教徒がこうむったスペイン追放。その影響下でよりいっそう世俗化を加速させ発展したカバラ。なかでも「魂の輪廻転生」(ギルグル)理論は大きな影響力を持った。宇宙論や宇宙創造論とも結びつき「救世主待望論」(メシアニズム)を発生させ、さらに外的要素に過ぎなかったグノーシス主義とも繋がりを持っていく。宗教としては世俗的にもリアリティを持つ反面、グノーシス的なものとの繋がりを帯びるうちにシャーマニズム的傾向とも繋がってしまう。ところが実際のところ、魂の救済ということに中心テーマが移動したことで、シャーマニズムそのものについての議論はほとんどなくなる。ところがシャーマニズム抜きのグノーシス主義というのはちょっと考えにくい。言葉を置き換えよう。イニシエーションと。イニシエーションの創始者はオルフェウスである。だがオルフェウスについての正式な文献というのはよくわからない。

しかし紀元前五世紀頃からオルフェウスの教義はディオニュソスの秘儀(オルギア)に含まれるようになっていたようだ。ディオニュソスの「オルギア」には様々な意味がある。秘儀、秘教、熱狂、狂気、神との交流(コミュニケーション)など。そしてイニシエーションということをディオニュソスのオルギア(熱狂的秘儀、神々との交流)として考えると、どこかすんなりオルフェウス教というホメロス以前的世界の宗教観がどのようなものだったかも多少わかってくる。しかしここではさらに「魂の輪廻転生」理論について古代ギリシアでプラトンらが論じていた部分に触れておく必要性が残っている。

というのは中世カバラの展開とともに各地に広がった終末論と救世主(メシア)待望論だが、その動きに象徴されるように、カバラもグノーシス主義もどちらも、肉体は一度は死ぬものであり逆に魂は不滅であるという古代ギリシアの議論と歩みを共にしているからである。ユダヤ=キリスト教にしろカバラにしろグノーシス主義にしろ、古代ギリシアで一度展開されたプラトン哲学抜きに話は進まない。カバラは特に、ユダヤ教から派生したものの特徴として、そもそも自己のものでなかった外的な哲学理論や宗教学説を旺盛に論じ取り込んでいくのである。

肉体の死と魂の不死性について。プラトンから続きを。

「われわれは現在死んでいるのであり、身体(ソーマ)がわれわれの墓(セーマ)なのである」(プラトン「ゴルギアス・P.145」岩波文庫)

「人間の魂は不死なるものであって、ときには生涯を終えたりーーーこれが普通『死』と呼ばれているーーーときにはふたたび生まれてきたりするけれども、しかし滅びてしまうことはけっしてない」(プラトン「メノン・P.47」岩波文庫)

終末論というのは「終わりと始まりとの一致」が前提される。だから簡単に言ってしまえば、ただそういうことなのである。けれども魂の不死については延々論じ続けられる。「ソフィアの二重性」(娘にして母)というように。またプラトンに顕著なように魂の浄化を語り逆に肉体を不浄視する思想は当時の主流だった。

「友よ、この肉体的なものは重荷である、と考えねばならない。それは、重く、土の性質をおび、目に見える。このような魂は、この重荷を持つために、酷(ひど)い荷物を背負わされて、目に見える場所へと再び引きずり降ろされる」(プラトン「パイドン・P.81」岩波文庫)

ハデス(冥界)の存在は信じられている。さらに魂は遍歴する。遍歴にあたって周期性が前提されている。

「かれらはハデスで蒙るべきことを蒙り、定められた期間留まると、別の導き手が再びかれらをこの世へ連れもどすのだ。その期間は何度も繰り返される永い周期をなしている」(プラトン「パイドン・P.154」岩波文庫)

またハデスは幾つかの世界に分割されていることも前提されている。そして「そこには分岐や三叉路が」あるという。

「僕にはその道は単純でもないし一つでもないように思われるからだ。なぜなら、もしそうであったなら、導き手を必要としなかっただろうからだ。道が一つなら、誰もどこへも迷いはしないだろう。しかし、実際は、そこには分岐や三叉路がたくさんあるらしい。この世で行われている犠牲の儀式の風習から推量して、僕は言っている」(プラトン「パイドン・P.154」岩波文庫)

三叉路についてゴルギアスにはこうある。

「やがて死んだなら、あの牧場の中の三叉路のところで、裁判を行なうことになろうが、そこからは二つの道が出ていて、一つは『幸福者の島』に通じているし、他の『タンタロス』(奈落)に通じている」(プラトン「ゴルギアス・P.238」岩波文庫)

秘儀について。古代ギリシア哲学では当たり前に出てくる。が、その実態とはどんなものなのかよくわからない。しかし差し当たり「浄化」(カタルシス)のことを指して言われている。そしてもし秘儀を受けなかったとしたらどうなるか。

「秘儀も受けず浄められもせずにハデスの国に到る者は、泥の中に横たわるだろう」(プラトン「パイドン・P.42」岩波文庫)

「ハデスーーーというのはむろん、見えないところ(アイデス)という意味だがーーーそのハデスの国(地下の世界)にいる者たちの中では、この連中、つまり秘儀にあずかっていない人たちこそ一番不幸であり、彼らは孔のあいた甕へ、これまたそういった孔のあいた容器である篩(ふるい)でもって、くり返し水を運びつづけている、というわけなのだ」(プラトン「ゴルギアス・P.146」岩波文庫)

秘儀的秘教的な行為の必要性についてたびたび言及しているのだが、その実質については述べられていない。秘儀を授かるためには、ただひたすら「正しく知を用いること」に専念したいものだ、というふうに話が進んでいく。ところで、魂の輪廻転生に関し、他の哲学者はどう言っているだろうか。星々に注目が行っている。天文学というより、輪廻するもの=回帰するもの=反復するもの、に対する並々ならぬ関心が出現している。そこから魂の永遠回帰性あるいは復活、再生という思想に繋がる。

アナクサゴラスの場合。

「いったい何のために生まれてきたのかと問われたときに彼は、『太陽と月と天とを観察するために』と答えた」(「アナクサゴラス」『ギリシア哲学者列伝・上・P.125』岩波文庫)

ピュタゴラスの場合。

「彼は、魂はあるときには、この生きもの(の身体)のなかに、あるときには、あの生きもののなかに繋(つな)がれて、『必然の輪』を経巡るのだという考えを公然と述べた最初の人だと言われている。また、音楽理論家のアリストクセノスが述べているところによれば、ギリシア人たちのところへ度量衡を最初に導入したのも彼であったという。さらに、パルメニデスが語っているように、宵の明星と暁の明星とは同一のものだと最初に言ったのは彼である。かくして彼は、世の人びとからたいへん驚嘆されていたので、彼の弟子たちからは『神の声を取り次ぐ者』と呼ばれることになったのであるが、その上また、彼自身も、一つの書物のなかで、自分は二百七年の間、ハデス(冥界)で暮らしたのちに、この世にもう一度生まれ変ってきたのだと述べている」(「ピュタゴラス」『ギリシア哲学者列伝・下・P.23~24』岩波文庫)

ヘラクレイトスの場合。ヘラクレイトスではすでに生成の概念があらわに登場している。

「万物は魂とダイモーン(鬼神)とで満ちている。ーーー世界は、全時間にわたって、一定の周期に従いながら、交互に、火から生まれて、また再び火に帰るーーー天のなかには、その空(うつ)ろな部分をわれわれの方に向けている椀状のものがあって、そのなかへ明るく輝いている蒸発物が集められて炎をつくっているのであり、そしてこれらのものが星々(諸天体)なのだ」(「ヘラクレイトス」『ギリシア哲学者列伝・下・P.95~97』岩波文庫)

さて、イニシエーションについて。そもそもの起源的な形態はたいへんアルカイックなものだ。ディオニュソスのオルギア(秘儀的秘教的熱狂)が代表している。エウリピデス「バッコスの信女」から。

「ペンテウス 女どもが、バッコスの祭であるとか称して、家を明け、昼なお暗い山中をうろつき廻り、ディオニュソスとかいう神来の神をあがめて踊り狂っているという。座の中央に酒をみたした甕(かめ)を据え、てんでに人目のつかぬ場所に忍んで行っては、男どもの欲情をみたし、神に仕える巫女の役目だなどと申しているが、じつはバッコスならぬアプロディテの祭といったていたらくであるそうじゃ。ーーーきくところによれば、リュディアの国より来たという、怪しげな魔法師めは、黄金色の髪に香を漂わせ、頬は薄紅、淫らな目付で、夜昼のわかちなく、バッコスの密儀を餌に、娘どもと交わっているそうな」(エウリピデス「バッコスの信女たち」『ギリシア悲劇4・P.462~463』ちくま文庫)

ディオニュソスは様々に姿を変えて出現する神である。《変身》ということに注目しなくてはならない。そして《イニシエーション》とは何か。なぜトランスや酩酊、獣性、神性、性的交雑、なのか。

「牛飼 老いも若きも、まだ嫁が娘も交えて、その規律のよさは、まったく驚くばかりでございます。まず髪をとき肩まで垂らすと、こんどは小鹿の皮の結び目の解けたところを結び直し、帯に代えて、ひらひらと舌を閃かす蛇を、その斑(まだら)の皮衣に締めたのでございます。中には仔鹿や狼の子を抱いて、雪白の乳を飲ませているものもおります。ーーー一人が杖をとって岩を打つと、その岩から清らかな水がほとばしります。また一人が杖を大地に突きさせば、神の業か、葡萄酒が泉のごとく湧いてまいります。ーーー御母上は大声に『おおわが忠実な犬たちよ、この男どもは私らを捕えようとしているのだよ。さあ、手にもつ杖を武器に、私についておいで』と申されました。私どもは逃れて、からくも信女らに八つ裂きにされる憂き目を免れましたが、女たちは草を喰(は)んでいる牛の群れに、素手のまま踊りかかってゆきました。一人が乳房豊かな牝牛の仔(こ)を、鳴き吼(ほ)えるのも構わず、引き裂いて両の手にかざすかと思えば、また他の女らは、牝牛の体をバラバラに引き裂いております。殺された牛の胴や、蹄のさけた脚などが、あちこちに散らばり、また樅の枝に懸かって、垂れ下がっている血まみれの肉片もございます。一瞬前まで傲然と、怒りを角に表わしていた牡牛ですらが、女たちの無数の手にとられ、たちまち地上に屠られてしまいます。殿様がまばたきなさる間よりも早く、女たちはその肉をちぎってしまったのでございます。それから女たちは、まるで空飛ぶ鳥のように、ほとんど足が地に触れぬほどの疾さで山を駈け下り、アソポスの流れに沿うて、テーバイ人の豊かな穀物を実らせる麓の平地に向かいました。キタイロンの山裾の村、ヒュシアイとエリュトライとを、まるで敵のように襲って、手当り次第めちゃめちゃに荒して、家々から幼な子を掠(かす)めてまいります。子供のみか、奪った銅器鉄器のたぐいを肩に載せて運んでゆくのですが、紐で結(ゆわ)えつけもせぬのに、一つとして地面に落ちることがありません。また髪の毛の上に火をかざしているのに、いっこうに火傷(やけど)をするようにも見えません。村人たちも、信女らに荒されて腹を立て、武器をとって刃向おうといたしましたがーーー殿様、このときまさに、見るも恐ろしいことが起ったのでございます。すなわち、村のものが槍で相手を突いても血が出ぬのに、女たちが振う杖は男たちを傷つけ痛めて、とうとう村人たちは背を向けて逃げ去ったのでございます」(エウリピデス「バッコスの信女たち」『ギリシア悲劇4・P.488~490』ちくま文庫)

発言者は「牛飼」である。なぜだろう。アリストテレスは述べている。

「すべて九人のアルコンが一緒に仕事をしたのではなく『王』(バシレウス)はプリュタネイオンの付近の今日いわゆるブコレイオンを占めていた(その証拠には今日でも『王』(バシレウス)の妻とディオニュソスとの交わりと結婚の儀がそこで行われる)」(アリストテレス「アテナイ人の国制・第三章・P.19」岩波文庫)

プリュタネイオンはアテナイの市会堂。ブコレイオンは字義通りに訳すと「牛小屋」である。ディオニュソスが雄牛の姿で現われるという伝説が生きていることを物語る。女王との交合はディオニュソス神でなくてはならない。そして雄牛に変身したディオニュソスとの婚姻は五穀豊穣のイメージと繋がる。ディオニュソスの神性と牛との関係についてプルタルコスはこう伝えている。

「激しく体を動かします。ちょうどディオニュソスの祭の恍惚に身を任せた人々のようにです。こんな風ですからディオニュソスの方でも、多くのギリシア人が牛の姿をしたディオニュソス像を描きますし、エリスの女たちはディオニュソスに祈りつつ、『牛の脚もて、神よ、来りませ』と呼びかけます」(プルタルコス「エジプト神イシスとオシリスの伝説について・三五・P.69」岩波文庫)

さらにディオニュソスの密儀=祝祭に顕著な秩序の一時的解体について。様々なものが入れ換えられ置き換えられる。「ばらばらに八つ裂き、女性による肉食、湧水から葡萄酒への変化、乳への変化、年齢性別国籍を問わない性的交雑」。女性の生肉食や性的放縦や飲酒など、何千年にも渡って女性に科せられてきた束縛的秩序が一時的に解体されている点は重要である。上下、前後、左右、すべてが逆に転倒されていなければならない。社会は一時的な解体を経ることなくして再生することはできないのである。そしてこれらの行為こそ実は「神との《交流(コミュニケーション)》」を約束するイニシエーションであり、その実現でもあった。ヘロドトスは書いている。

「スキュレスはディオニュソス・バッケイオスの信仰に入信したいという望みを起した。ところが、彼が入信の儀式にかかろうとしている矢先、恐ろしい異変が起った。彼にはボリュステネス人の町に、先刻も述べたように宏壮豪奢な邸があり、邸のまわりには白大理石製のスフィンクスやグリュプスの像が並んでいた。この邸に神が雷撃を加え給うたのである。邸は全焼したが、スキュレスはこの異変をも物ともせず、入信の儀を終えたのであった。ところでスキュタイ人はギリシア人がバッコスの祭儀を行なうことを悪(あ)しざまにいう。人間を狂気に誘う神があるなどと考えるのは理にかなわぬ、というのである。それでスキュレスがバッコス教に入信した後、あるボリュステネス人がスキュタイ人を嘲ってこういった。『スキュタイ人どもよ、そなたはわれわれがバッコスの祭を祝い、神がわれわれに乗り移ってこられるのをいつも愚弄しているが、とうとうこの神様はそなたらの王様にも乗り移られたぞ。今はあのお方もバッコスの祭を祝い、神霊に憑(つ)かれて狂っておられる。私のいうことを信ぜぬのなら、私についてくるがよい、その証拠をそなたらに見せて進ぜよう』。そこでスキュタイ人の重だった者たちが付いてゆくと、そのボリュステネス人は彼らを密かに城楼に上らせ、そこに坐らせた。やがてスキュレスが同行衆とともに現われ、スキュタイ人たちは彼がバッコスの祭に加わっているのを目撃すると、大いに慨嘆し、市の外にでると全軍の将兵に自分たちが見てきたことを知らせた」(ヘロドトス「歴史・中・巻四・P.55~56」岩波文庫)

重要なのは、狂気化した状態の自分を自分自身の目で見る、ということである。イニシエーションが終われば元の自分の意識に戻ってくる=回帰する。たとえば、自分で自分自身が八つ裂きにされる場面のような場合、それを見ている自分がいるということを知ることが大事なのだ。古代アジアのイニシエーションについてエリアーデは次のように述べている。

「成人儀礼で、新入者が悪霊=『イニシエーションの導師』に殺されるのとまったく同様、将来のシャーマンも『病気の悪霊』たちによって自分が首を切られ、ばらばらにされるのを目のあたりにする。この儀礼的死を、病人は地獄下りというかたちで体験する。彼は、夢のなかで自分自身が切り刻まれるのを目撃し、悪霊に首をはねられ、眼球をくり抜かれるさまなどを見る」(エリアーデ「世界宗教史5・P.41」ちくま学芸文庫)

なるほど古代の儀式ではある。だが現代になって、たとえばラヴクラフトはSFという形式を用いて、ほとんど同じことを書いている。

「カーターは人間であり間であり、脊椎(せきつい)動物であり無脊椎動物であり、意識をもつこともありもたないこともあり、動物であり植物であった。さらに、地球上の生命と共通するものをもたず、他の惑星、他の太陽系、他の銀河、他の時空連続体の只中を法外にも動きまわるカーターたちがいた。世界から世界へ、宇宙から宇宙へと漂う、永遠の生命の胞子がいたが、そのすべてが等しくカーター自身だった。瞥見(べっけん)したもののいくつかは、はじめて夢を見るようになったとき以来、長い歳月を経ても記憶にとどめられている夢ーーーおぼろな夢、なまなましい夢、一度かぎりの夢、連続して見た夢ーーーを思いださせた。その一部には、地球上の論理では説明のつけられない、心にとり憑(つ)き、魅惑的でありながら、恐ろしいまでの馴染(なじみ)深さがあった。これが紛れもない真実であると悟ったとき、ランドルフ・カーターは至高の恐怖にとらわれ、くらめく思いがしたーーー色を失う月のもと、ふたりしてあえて忌み嫌われる古びた埋葬地に入りこみ、ただひとりだけが脱け出した、あの怖気(おぞけ)立つ夜の慄然(りつぜん)たる絶頂でさえほのめかされることもなかったような、このうえもない恐怖だった。いかなる死であれ、運命であれ、苦悩であれ、自己一体感の喪失からわきおこる不二無類の絶望をひきおこせはしない。無に没して消えうせることは安らかな忘却であるにせよ、存在感を意識しながら、その存在というものが他の存在と区別できる明確なものではないことーーーもはや自己をもってはいない存在であることーーーを知るのは、いいようもない苦悶(くもん)と恐怖の極(きわみ)にほかならない」(ラヴクラフト「銀の鍵の門を越えて」『ラヴクラフト全集6・P.132~133』創元推理文庫)

動物への変化、女性への変化、波への変化、n次元への変化。生成は止まることを知らないのである。
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さらに、当分の間、言い続けなければならないことがある。

「《自然を誹謗する者に抗して》。ーーーすべての自然的傾向を、すぐさま病気とみなし、それを何か歪めるものあるいは全く恥ずべきものととる人たちがいるが、そういった者たちは私には不愉快な存在だ、ーーー人間の性向や衝動は悪であるといった考えに、われわれを誘惑したのは、《こういう人たち》だ。われわれの本性に対して、また全自然に対してわれわれが犯す大きな不正の原因となっているのは、《彼ら》なのだ!自分の諸衝動に、快く心おきなく身をゆだねても《いい》人たちは、結構いるものだ。それなのに、そうした人たちが、自然は『悪いもの』だというあの妄念を恐れる不安から、そうやらない!《だからこそ》、人間のもとにはごく僅かの高貴性しか見出されないという結果になったのだ」(ニーチェ「悦ばしき知識・二九四・P.309~340」ちくま学芸文庫)

ニーチェのいうように、「自然的傾向を、すぐさま病気とみなし」、人工的に加工=変造して人間の側に適応させようとする人間の奢りは留まるところを知らない。昨今の豪雨災害にしても防災のための「堤防絶対主義」というカルト的信仰が生んだ人災の面がどれほどあるか。「原発」もまたそうだ。人工的なものはどれほど強力なものであっても、むしろ人工的であるがゆえ、やがて壊れる。根本的にじっくり考え直されなければならないだろう。日本という名の危機がありありと差し迫っている。

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微視的細部35

2020年06月27日 | 日記・エッセイ・コラム
カバラに転機が訪れる。スペイン追放という事態。追放にしろ迫害にしろ脱出にしろ、それはユダヤ教徒にとって「選民思想」をよりいっそう高める効果を持つ。もともと「さまよえるユダヤ人」として出発した宗教である。迫害され放浪し続けることこそが、神によって選ばれた民の証拠なのだと考える教義が根付いている。

「一四九二年、ユダヤ教徒がスペインから追放された結果、カバラーにも変化がもたらされた。秘教的教説から民衆的教説への変貌である。一四九二年の大事件までは、カバリストたちは神の救済の業よりも、もっぱら創造の御業に関心を集中していた。世界と人間の歴史を知ることができれば、原初の完成状態に還ることも可能だと考えていたのである。しかるにスペイン追放以後は、救世主待望(メシアニズム)の情熱が新カバラーをあまねく支配するようになる」(エリアーデ「世界宗教史5・P.272」ちくま学芸文庫)

さて、「魂と輪廻転生」についてさらに。

「ルリアやサフェードのカバリストたちーーーとくにハイム・ヴィタルーーーによって、ギルグル、すなわち魂の輪廻の教説とも結びつけられている」(エリアーデ「世界宗教史5・P.276」ちくま学芸文庫)

ユダヤ人は世界各地に「散在(ディアスポラ)」している。この事情は他の諸宗教にとっても団結と統一とを目指す原動力であり、とりわけ四〇〇〇年に渡って移動民として生きてきたユダヤ教徒にとっては何よりの強みである。

「一五五〇年以降、ギルグルの考えはユダヤ人の民間信仰、宗教民俗のなかに深く組み込まれていくようになっていったーーー。『ルリアのカバラーは散在(ディアスポラ)のユダヤ人のあらゆる地域、あらゆる社会に例外なく甚大な影響を及ぼした、ユダヤ教最後の宗教運動であった。それは、全ユダヤ教徒に共通の宗教的リアリティの世界を表現しえた、ラビ・ユダヤ教の歴史で最後の運動であった。ユダヤ教史の哲学者にとっては、これほどの成果を収めた教説がグノーシス主義と深い親近性を有している事実は、驚くべきことと思えるかもしれない。しかし、歴史の弁証法とはそういうものである』」(エリアーデ「世界宗教史5・P.276」ちくま学芸文庫)

ところが移動民としての強みは移動民であること自体にある。定住してしまうとまた事情はがらりと異なってくる。

「ユダヤ人がその気になるならば、ーーー或いは、反ユダヤ主義者たちが欲しているかのように見えるように、ユダヤ人をそうせずにいられないように強(し)いるならば、ーーーいますぐにもヨーロッパに優勢を占め、いな、全く言葉通りにヨーロッパを支配するように《なりうる》であろうことは確実である。彼らがそれを目差して努力したり計画したりして《いない》ということも同様に確実である。当座のところ、彼らは却って、多少の厚かましさをもってしてでも、ヨーロッパのうちへ、ヨーロッパによって吸い込まれ、吸い上げられることを望み願っている。彼らは結局はどこかに定着し、許容され、是認されて、『永遠のユダヤ人』という流浪生活に終止符を打ちたいと熱望しているのだ。ーーーそれで、この動向と渇望(これは恐らくそれ自体すでにユダヤ的本能の軟弱化を示すものであろう)によく注意して、その意を迎えるようにすべきであろう。そのためには恐らく、この国の反ユダヤ主義の絶叫者どもを追放することが有益であり、正当であろう」(ニーチェ「善悪の彼岸・二五一・P.249」岩波文庫)

なぜニーチェはユダヤ人の軟弱化を見抜くことができるのか。「流浪生活に終止符を打ちたいと熱望している」というのは、或る種の残忍さを享楽する力が衰亡してきたことの証拠に見えるからだ。どんな力か。

「残忍とは《他人の》苦悩を眺める際に生じるものだとのみ教えなければならなかった以前の愚鈍な心理学を追い払わなければならない。自分自身の苦悩、自分自らを苦しめるということにも夥(おびただ)しい、有り余るほどの享楽があるのだ。ーーー人間は密(ひそ)かに自己の残忍さによって誘われているのであり、《自己自身に対して》向けられた残忍のあの危険な戦慄によって突き進められているのである」(ニーチェ「善悪の彼岸・二二九・P.212~213」岩波文庫)

そしてとうとう戦後イスラエルは建国された。しかしそれはまた別の話である。ユダヤ人自身が「散在(ディアスポラ)」しており、なおかつ移動民ゆえに持っていた情報収集力が、カバラにおいても世界中の哲学思想から影響を受け続けた。問題は十九世紀までに発展してきたカバラである。

簡単に言ってしまえば、「魂と輪廻転生」という思想は別段特別なものではなく、逆にどうとでも解釈可能な宗教的特徴の一つである。プラトン哲学から何箇所か上げたように古代ギリシャから延々と議論されてきたテーマであり、それをどう解釈しようが自由であって実際無数の解釈がなされた。しかしここでもまた付いてくるのがグノーシス主義という思想である。グノーシス的なものというのはいつもシャーマニズム的な秘教的=秘儀的なものを伴っていて、それが原始社会の時代から受け継がれたものである点で、なぜ受け継がれなければならない部分なのか、その辺りに関心を持つわけでもある。何ら否定するつもりはないし、さらに言えることは宗教的なものが存在する限り人間はシャーマニズムへの関心を途絶えさせることはなく、むしろ途絶える必要性も感じないということだ。たとえば、グノーシス的なものの中で「二重のソフィア(娘にして花嫁)」という考え方が出てくる。

「本来の意味でのカバラーが述べられている最古の文献は、『バヒール』とよばれる書物である。この文書は不完全な断片的な形で伝えられ、幾層もの資料で構成されている。内容も曖昧でぎこちない。『バヒール』は、十二世紀にプロヴァンス地方で、さらに古い文献を素材に編纂された。とくに『ラーザー・ラッパー』(『大いなる秘義』)は重要で、これは一部の東方(オリエント)の著述家たちが貴重な秘教の書とみなしていたものである。『バヒール』に展開されている教説が、東方ーーーより正確にはグノーシス派ーーー起源であることに疑問の余地はない。ユダヤ教のさまざまな古文献中に確認されている古いグノーシス派著述家たちの思弁が、ここにも見いだされるからである。たとえば、男性および女性のアイオーンたち、プレーローマや魂の樹、グノーシス派の二重のソフィア(娘にして花嫁)に用いられたのと類似の表現で叙述されるシェヒナーなど」(エリアーデ「世界宗教史5・P.266~267」ちくま学芸文庫)

ソフィアは知恵を意味すると同時に聖性をも意味する。さらにソフィアは女性だが自分一人だけで娘を生んだ。なので「二重のソフィア(娘にして花嫁)」。くだけた言葉で言えば、聖性あるいは神性がソフィアの体内に侵入しソフィアを孕ませたと考えることができる。この傾向を見ていると、神話時代から戦前に至るまでヨーロッパだけでなく中央アジア、東南アジア、そして日本にもあった「初夜権」を思い出させないだろうか。折口信夫と南方熊楠から引用したい。まず折口信夫から。というのは、折口の側は「神、まれびと、神の嫁、巫女、斎女王」などの語彙に見られるように、神と女性との性行為について主として神性の流動性や女性の変化を中心に述べているからである。

「新嘗の夜は、農作を守った神を家々に迎える為、家人はすっかり出払うて、唯一人その家々の処女か、主婦かが留って神のお世話をした様である。此神は、古くは田畠の神ではなく、春のはじめに村を訪れて、一年間の豫祝をして行った神だったらしい。此《まれびと》なる神たちは、私どもの祖先の、海岸を逐うて移った時代から持ち越して、後には天上から来臨すると考え、更に地上のある地域からも来る事と思う様に変って来た」(折口信夫「古代生活の研究」『折口信夫全集2・P34』中公文庫)

「祖先崇拝の形の整う原因は、暗面から見れば、死霊崇拝であり、明るい側から見れば、巫女教に伴う自然の形で、巫女を孕ました神並びに、巫女に神性を考える所に始る」(折口信夫「琉球の宗教」『折口信夫全集2・P69』中公文庫)

「神託をきく女君の、酋長であったのが、進んで妹なる女君の託言によって、兄なる酋長が、政を行って行った時代を、其儘に伝えた説話が、日・琉に数が多い。神の子を孕む妹と、其兄との話が、此である」(折口信夫「琉球の宗教」『折口信夫全集2・P78~79』中公文庫)

「こうした神女が、一群として宮廷に入ったのが、丹波道主貴の家の女であった。此七処女は、何の為に召されたか。言うまでもなく《みづのをひも》を解き奉る為である。だが、紐と言えば、すぐに連想せられるのは、性的生活である。先輩諸家の解説にも、此先入が主となって、古代生活の大切な一面を見落されて了うた。事は、一続きの事実であった。『ひも』の神秘をとり扱う神女は、条件的に神の嫁の資格を持たねばならなかったのである。《みづのをひも》を解く事が直に、紐主にまかれる事ではない。一番親しく、神の身に近づく聖職に備るのは、最高の神女である。而も尊体の深い秘密に触れる役目である。《みづのをひも》を解き、又結ぶ神事があったのである。七処女の真名井の天女・八処女の系統の東遊(アヅマアソビ)天人も、飛行の力は、天の羽衣に繋がっていた。だが私は、神女の身に、羽衣を被るとするのは、伝承の推移だと思う。神女の手で、天の羽衣を著せ、脱がせられる神があった。其神の力を蒙って、神女自身も神と見なされる。そうして神・神女を同格に観じて、神を稍忘れる様になる。そうなると、神女の、神に奉仕した為事も、神女自身の行為になる。天の羽衣の如きは、神の身についたものである。神自身と見なし奉った宮廷の主の、常も用いられるはずの湯具を、古例に則る大嘗祭の時に限って、天の羽衣と申し上げる。後世は『衣』と言う名に拘って、上体をも掩うものとなったらしいが、古くはもっと《小さきもの》ではなかったか。ともかく禊ぎ・湯沐みの時、湯や水で解きさける物忌みの布と思われる。誰一人解き方知らぬ神秘の結び方で、其布を結び固め、神となる御体の霊結びを奉仕する巫女があった」(折口信夫「水の女」『折口信夫全集2・P.97~98』中公文庫)

「神としての生活に入ると、常人以上に欲望を満たした。《みづのをひも》を解いた女は、神秘に触れたのだから『神の嫁』となる」(折口信夫「水の女」『折口信夫全集2・P.102』中公文庫)

「《ゆかわ》(斎用水)の前の姿は、多くの海辺又は海に通じる川の淵などにあった。村が山野に深く入ってからは、大河の枝川や、池・湖の入り込んだ処などを擇んだようである。そこに《ゆかわだな》(湯河板挙)を作って、神の嫁となる処女を、村の神女(そこに生れた者は、成女戒を受けた後は、皆此資格を得た)の中から選り出された兄処女(エオトメ)が、此《たな作り》の建て物に住んで、神のおとづれを待って居る」(折口信夫「水の女」『折口信夫全集2・P.103~104』中公文庫)

「宮廷の采女は、郡領の娘を徴して、ある期間宮廷に立ち廻らせられたものである。采女は単に召使のように考えて居るのは誤りで、実は国造に於ける采女同様、宮廷神に仕え、兼ねて其象徴なる顕神(アキツカミ)の天子に仕えるのである。采女として天子の倖寵を蒙ったものもある。此は神としての資格に於てあった事である。采女は、神以外には触れる事を禁ぜられて居たものである。同じ組織の国造の采女の存在、其貞操問題が、平安朝の初めになると、宮廷から否定せられて居る。此は、元来なかった制度を、模倣したと言わぬばかりの論達であるが、実は宮廷の権威に拘ると見た為であろう。此事は、日本古代に初夜権の実在した証拠になるのである。村々の君主の家として祀る神の外にも、村人が一家の間で祀らねばならぬ神があった。庶物にくっついて常在する神、時を定めて来臨する神などは、家々の女性が祀ることになって居た。此等の女性が、処女である事を原則とするのは勿論であるが、其は早く破れて、現に夫のない女は、処女と同格と見た。而も其は二人以上の夫には會はなかったものと言う条件があった様である。其が頽れて、現に妻として夫を持って居る者にも、巫女の資格は認められて居たと見える。『神の嫁』として、神に出来るだけ接近して行くのが、此人々の為事であるのだから、処女は神も好むものと見るのは、当然である」(折口信夫「最古日本の女性生活の根底」『折口信夫全集2・P.148~149』中公文庫)

次に南方熊楠から。俗世間のエピソードなのだが初夜権という風習について考える場合、その権利を行使するのはいつも社会的なレベルで神にも等しい存在として共同体に君臨する権力者である。その点で折口信夫のいう「神の嫁」という資格とほぼ等価性を持つ儀式的性格が見られるのではと思う。

「大将これを愍(あわれ)み、そこに新城を築き諸人を集め住ませ廣野城と名づけた。城民規則を設け、婚礼の度(たび)ごとにこの大将を馳走し、次に自分らを飲歓するとした。時に極めて貧しい者あって、妻を娶るに大将を招待すべき資力なし。種々思案の末、酒肴の代りにわがいまだ触れざる新妻を大将の御慰みに供え、その後始めて自宅へ引き取った。爾後、恒例となって諸人妻を迎うるごとに大将に手折(たお)らせたとあるが、これは事の起源を説かんためかかる噺をこじ付けたので、拙文『千人切りの話』に論じた通り、一八八一年フライブルヒ・イム・ブラウスガウ板、カール・シュミット著『初婚夜権』等を参するに、インド、クルジスタン、アンダマン島、カンボジヤ、チャンパ、マラッカ、マリヤナ島、アフリカおよび南北米のある部に、もとよりかかる風習があったので、インドで西暦紀元頃ヴァチ梵士作『愛天教』七篇二章は全く王者が臣民の妻娘を懐柔する方法を説く。その末段にいわく、アンドラの王は臣民の新婦を最初に賞翫(しょうがん)する権力あり。ヴァツアグルマ民の俗、大臣の妻、夜間、王に奉仕す。ヴァイダルブハ民は王に忠誠を表せんとて一月間その子婦を王の閨房に納(い)る。スラシュトラ民の妻は王の御意に随い、独りまた伴うてその内宮に詣(いた)るを常とすと」(南方熊楠「十二支考・下・鶏に関する伝説・P.186~187」岩波文庫)

「諸国の王侯に処女権あり。人が新婦を迎うれば初めの一夜、また数夜、その領主に侍(はべ)らしめねば夫の手に入らぬのだ。例せばスコットランドでは十一世紀に、マルクコルム三世、この風を発せしが、仏国などでは股権とて十七世紀までは幾分存した」(南方熊楠「十二支考・下・鶏に関する伝説・P.187~188」岩波文庫)

「『後漢書』南蛮伝に交趾の西に人を噉(くら)う国あり云々、妻を娶って美なる時はその兄に譲る」(南方熊楠「十二支考・下・鶏に関する伝説・P.188」岩波文庫)

「『当世傾城気質』四に、藤屋伊左衛門諸国で見た奇俗を述べる内に『振舞膳(ふるまいぜん)の後(のち)我女房を客人と云々』これらは新婦と限らぬようだが、余ら幼き頃まで紀州の一向宗の有難屋(ありがたや)連、厚く財を献じてお抱寝(だきね)と称し、門跡の寝室近く妙齢の生娘(きむすめ)を臥せさせもらい、以て光彩門戸(もんこ)に生ずと大悦びした」(南方熊楠「十二支考・下・鶏に関する伝説・P.188~189」岩波文庫)

「勝浦港では年頃に及んだ処女を老爺に托して破素してもらい、米、酒、および桃紅色の褌(ふんどし)を礼に遣わした」(南方熊楠「十二支考・下・鶏に関する伝説・P.189」岩波文庫)

「『中陵漫録』十一にいわく、羽州米沢の荻村では媒人が女の方に行きてその女を受け取り、わが家に置く事三夜にして、餅を円く作って百八個、媒が負うて女を連れ往き婚礼を整(ととの)うと」(南方熊楠「十二支考・下・鶏に関する伝説・P.189」岩波文庫)

「スコットランドでは中古牛を以て処女権を償うに、女の門地の高下に従うて相場異なり、民の娘は二牛、士の娘は三牛、太夫の娘は十二牛などだ。イングランドはこれに異なり民の娘のみこの恥を受けた(ブラットンの『ノート・ブック』巻二六)」(南方熊楠「十二支考・下・鶏に関する伝説・P.189」岩波文庫)

南方熊楠自身が目撃した経験談もある。

「御承知の通り紀州の田辺より志摩の鳥羽辺までを熊野と申し、『太平記』などを読んでも分かるごとく、日本のうちながら熊野者といえば人間でなきように申せし僻地なり。小生二十四年前帰朝せしときまでは(実は今も)今日の南洋のある島のごとく、人の妻に通ずるを尋常のことと心得たるところあり。また年ごろの娘に米一升と桃色のふんどしを景物(けいぶつ)として、所の神主または老人に割ってもらうところあり。小生みずからも、十七、八の女子が柱に両手をおしつけ、図のごとき姿勢でおりしを見、飴(あめ)を作るにやと思うに、幾度その所を徹もこの姿勢ゆえ何のことか分からず怪しみおると若き男が鬮(くじ)でも引きしにや、己れがあたったと呟(つぶや)きながらそこへ来たり、後よりこれを犯すを見しことあり」(南方熊楠「履歴書」『動と不動のコスモロジー・P.348~349』河出文庫)

ところで琉球では一つの村落共同体のすべての女性が神性を担い同時にそのすべての男性もまた神性を担い、互いに拝み合う儀式があると折口は伝えている。

「余り古くない時代に、久高の女が現にある様に、一村の女性挙って神人生活を経た者と見えて、今なお主として姉を特殊の場合、尊敬して《うない神》という。姉妹神の義である。姉のない時は、妹なり誰なり、家族中の女を《うない神》と称えて、旅行の平安を祈る風習が、首里・那覇辺にさえ行われている。《うない》拝(おが)みをして、其頂の髪の毛を乞うて、守る袋に入れて旅立つ。此は全く、巫女の髪に神秘力を認める考えから出たものである。尤、一村の男をすべて、男神(おめけい神)と見る例は、語だけならば、久高島の婚礼期にもあった。国頭郡安田(アダ)では一年おきに、替り番に《うない神》を拝み、《いきい神》を拝むと称して、一村の女性又は男性を、互に拝しあう儀式がある。併し《いきい神》を男子を以て代表させることは、女であって陽神専属・陰神専属の神人があったことの変化したものではあるまいか。でなくては、厳格に《いきい神》といわれるのは、根人だけでなければならぬ。事実、男の神人は極めて少数で、男逸女労といわれる国土でありながら、宗教上では、女が絶対の権利を持っていたのである」(折口信夫「琉球の宗教」『折口信夫全集2・P77~78』中公文庫)

一方だけが神性を有しておりそれが他方の身体へ入るというわけでなく、両者ともに神性が認められており、両者ともに他者へ神性として入っていくわけである。貴重な記録だと感じる。

さて、スペイン追放によってかえって世俗化し民衆レベルへの浸透を加速させたカバラ。ユダヤ教自体、そもそも始めに自分で自分自身を脱構築したところから始まったわけだが。

「新カバラーにおいては、元来秘教的な性格の数多くの思想が、特別なイニシエーションを受けていない人々にも接近可能なものとなり、多くの場合民衆レベルのものにまでなっているのである(魂の輪廻説の場合のように)」(エリアーデ「世界宗教史5・P.277」ちくま学芸文庫)

ネルヴァルはいう。

「われわれはわれわれの種族の裡に生き、われわれの種族はわれわれの裡に生きている」(ネルヴァル「オーレリア・P.20」岩波文庫)

この種の感覚についてニーチェはこう述べる。

「ローマ人やエトルリア人は、天空を、固定した数学的な線で以て切断し、このような具合に限界づけられた空間を神殿と見立てて、その中へ神を封じ込めたのだが、それと同じように、すべての民族は、このように数学的に分割された概念の天空を、自分の上にもっているのであって、今や真理の要求ということを、あらゆる概念の神は《その》領域のうちにのみ求められるものだというふうに、理解しているのである」(ニーチェ「哲学者の書・P.356~357」ちくま学芸文庫)

だから諸民族それぞれに似てはいるが少しずつ異なる民族創世神話が創作されるわけである。ネルヴァルは夢と幻想のなかでそれを体験=反復する。別のところでネルヴァルはこう言っている。

「奇妙に織りなされていく夢の世界の精神がなおあらがっている状態においては、しばしば人生の長い一時期のとりわけ際立った場面が、わずか数分のうちに次々と生起するさまを見ることができる」(ネルヴァル「シルヴィ」『火の娘たち・P.215』岩波文庫)

夢と幻想という戦略上に出現した詩だということがだんだん分かってくる。
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さらに、当分の間、言い続けなければならないことがある。

「《自然を誹謗する者に抗して》。ーーーすべての自然的傾向を、すぐさま病気とみなし、それを何か歪めるものあるいは全く恥ずべきものととる人たちがいるが、そういった者たちは私には不愉快な存在だ、ーーー人間の性向や衝動は悪であるといった考えに、われわれを誘惑したのは、《こういう人たち》だ。われわれの本性に対して、また全自然に対してわれわれが犯す大きな不正の原因となっているのは、《彼ら》なのだ!自分の諸衝動に、快く心おきなく身をゆだねても《いい》人たちは、結構いるものだ。それなのに、そうした人たちが、自然は『悪いもの』だというあの妄念を恐れる不安から、そうやらない!《だからこそ》、人間のもとにはごく僅かの高貴性しか見出されないという結果になったのだ」(ニーチェ「悦ばしき知識・二九四・P.309~340」ちくま学芸文庫)

ニーチェのいうように、「自然的傾向を、すぐさま病気とみなし」、人工的に加工=変造して人間の側に適応させようとする人間の奢りは留まるところを知らない。昨今の豪雨災害にしても防災のための「堤防絶対主義」というカルト的信仰が生んだ人災の面がどれほどあるか。「原発」もまたそうだ。人工的なものはどれほど強力なものであっても、むしろ人工的であるがゆえ、やがて壊れる。根本的にじっくり考え直されなければならないだろう。日本という名の危機がありありと差し迫っている。

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微視的細部34

2020年06月26日 | 日記・エッセイ・コラム
ネルヴァルがカバラの名を上げている箇所について。幾つかあるが主題化されている部分。

「私は嘗てカバラの書を何冊か集めた。この研究に没頭して、私は幾多の世紀に亘り人間精神がこの点に関して蓄積したところは一切が真であると信ずるに到った。外的世界の存在に就いて懐いていた確信は、あまりにもよく私の読書と符合して、爾来過去の啓示を疑うことは到底できなかった」(ネルヴァル「オーレリア・P.53~54」岩波文庫)

ネルヴァルの夢と幻想という創作戦略が身体から精神の遊離を前提して実践されている以上、そしてそれが成功している以上、夢と幻想について不必要な神秘化を図る必要性は全然ない。しかし幻想的場面を描くにあたって「輪廻=反復」という方法を取っている箇所が至るところに見られる。作品「アレクサンドル・デュマへ」での「ネルヴァル=アキレウス=皇帝ネロ=怪物=見世物=客寄せ用にぴったりの《カロ風の化け物》」の系列。作品「シルヴィ」での「アドリエンヌ=シルヴィ=ベアトリーチェ=オーレリー」の系列。作品「オクタヴィ」での「オクタヴィ=手紙の相手(或る女性=パリにいるあなた)=イタリアの若い女性=魂と引き換えに夢を見させてくれるテッサリアの魔女」の系列。また、「輪廻転生と魂の不滅」というテーマについて「アレクサンドル・デュマへ」でこう述べている。

「創り出すとは結局のところ思い出すことだ、とある人間探求家は述べています。わが主人公が実在した証拠を見つけられぬまま、私はにわかに魂の転生を、ピタゴラスやピエール・ルルーにも負けないくらい熱心に信じ込んだのです」(ネルヴァル「アレクサンドル・デュマへ」『火の娘たち・P.16』岩波文庫)

「輪廻転生と魂の不滅」についてはルルーの影響によるところが大きいとされている。ルルーは十八世紀末から十九世紀前半に活躍した思想家である。十八世紀後半に出現したルソーを始め一七八九年フランス革命前後に続々と登場してきた彼ら一群のユートピア的社会主義者に共通している思想はただ単なる「輪廻=反復」ではなく、ルネサンスを新しく始めようとする「再生」の思想が主題化されている点だ。「輪廻=反復=再生」。死と再生そして創造という壮大なテーマの出現を見ないわけにはいかない。たとえば「創り出すとは結局のところ思い出すことだ」という一節にしてすでにプラトン哲学が反復されている。

「自分で自分の中に知識をふたたび把握し直すということは、想起するということにほかならないのではないだろうか?」(プラトン「メノン・P.66」岩波文庫)

さらに「輪廻転生と魂の不滅」というテーマについて、ルルー、ヴォワズノン、モンクリフ、クレビヨン・フィスらを待つまでもなく、それらは古代ギリシア哲学の中でほぼ出揃っている。列挙しよう。

「人間の魂は不死なるものであって、ときには生涯を終えたりーーーそれが普通『死』と呼ばれているーーーときにはふたたび生まれてきたりするけれども、しかし滅びてしまうことはけっしてない」(プラトン「メノン・P.47」岩波文庫)

「死とは、魂の肉体からの分離に他ならないのではないか。すなわち、一方では、肉体が魂から分離されてそれ自身だけとなり、他方では、魂が肉体から分離されてそれ自身単独に存在していること、これが死んでいる、ということではないか。死とは、これ以外のなにか他のものでありうるだろうか」(プラトン「パイドン・P.30」岩波文庫)

「『では、死を受け入れないものを、われわれは何と呼ぶかね』『不死なるもの、と呼びます』『魂は死を受け入れないのではないか』『受け入れません』『それなら、魂は不死なるものだ』」(プラトン「パイドン・P.147」岩波文庫)

「それぞれの魂は、自分たちがそこからやって来たもとの同じところへ、一万年の間は帰り着かない。それだけの時がたたないと、翼が生じないからである」(プラトン「パイドロス・P.65」岩波文庫)

「すなわち、まず、死ということだが、それは、ぼくの見るところでは、二つのもの、つまり魂と身体とが、互いに分離するということにほかならない」(プラトン「ゴルギアス・P.238」岩波文庫)

さて、カバラに関しエリアーデから引用を続ける。

「メルカバーをめぐる文献と並んで、中世にひろまり、ディアスポラのあらゆる地域で知られるようになった文書がある。わずか数ページからなるセーフェル・イェツィラー、『創造の書』である。作者や成立年代(おそらく五または六世紀)については知られていない。内容は宇宙創造論、宇宙構造論についての簡潔な記述である。著者は、『明らかにギリシアの文献から影響を受けた自分の思想を、天地創造やメルカバーの教理に関するタルムードの教えと調和させようと』努めている。『そして、この試みにおいて初めて、われわれはメルカバーをめぐる諸観念を思弁的に再解釈していく態度に出会うのである』」(エリアーデ「世界宗教史5・P.263」ちくま学芸文庫)

さらに。

「ユダヤ教の秘教的神秘主義における格別の産物として、カバラーがある。この言葉は、ほぼ『伝承』といった意味である(『受けとる』を意味する語根KBLに由来)」(エリアーデ「世界宗教史5・P.266」ちくま学芸文庫)

紀元後の聖書研究と同時に行われてきた色彩が強い。それ以前には体系的なものではなくユダヤ教の単なる異端として取り扱われた程度である。古代ギリシア、西アジア、インド(ウパニシャッド)哲学などの影響を受け入れた辺りから独自性が徐々に顕著化しているようにおもわれる。

「この新しい宗教上の創造物は、しばしば異端的色彩を帯びることもあったグノーシス主義の遺産や、(『汎神論』という不適切な呼称を与えられてきた)宇宙的宗教性のもつ諸構造を、ユダヤ教の正統に忠実にとどまりながら再生させるものであった」(エリアーデ「世界宗教史5・P.266」ちくま学芸文庫)

グノーシス主義というのはキリスト教発生当時すでにあった。しかしグノーシス的なものが有力な諸宗教の中の秘儀的要素として存在感を増していく過程は、他の非常に多くの宗教が多かれ少なかれグノーシス的なものを狡猾に吸収して自分自身の教義の中に含めていく過程と一致する。それについては後で述べたい。

「本来の意味でのカバラーが述べられている最古の文献は、『バヒール』とよばれる書物である。この文書は不完全な断片的な形で伝えられ、幾層もの資料で構成されている。内容も曖昧でぎこちない。『バヒール』は、十二世紀にプロヴァンス地方で、さらに古い文献を素材に編纂された。とくに『ラーザー・ラッパー』(『大いなる秘義』)は重要で、これは一部の東方(オリエント)の著述家たちが貴重な秘教の書とみなしていたものである。『バヒール』に展開されている教説が、東方ーーーより正確にはグノーシス派ーーー起源であることに疑問の余地はない。ユダヤ教のさまざまな古文献中に確認されている古いグノーシス派著述家たちの思弁が、ここにも見いだされるからである。たとえば、男性および女性のアイオーンたち、プレーローマや魂の樹、グノーシス派の二重のソフィア(娘にして花嫁)に用いられたのと類似の表現で叙述されるシェヒナーなど」(エリアーデ「世界宗教史5・P.266~267」ちくま学芸文庫)

ここでもまだ漠然たる印象を拭えない。当時の世界というのは地中海とそのほんの周辺だけがほとんどすべてだった。だからとりわけ東方(オリエント)由来の文献や宗教が正統的なものに対する抵抗部分を形成する形で取り入れられていったようである。なかでもシャーマニズムを含む宇宙創造神話は、中央アジア、インド(ウパニシャッド)、東南アジア、などからの伝播・影響を受けつつ徐々に成立していった様子がうかがえる。

「カバラーは宇宙的な型(タイプ)の宗教性に結びついたいくつかの神話や思想を、ユダヤ教に導入した。タルムードに規定された儀礼や労働で生を神聖化するだけでなく、自然と人間の神話的価値づけ、神秘体験の重視、さらにはある種のグノーシス起源の思想などを、カバリストたちはユダヤ教にもたらした」(エリアーデ「世界宗教史5・P.271」ちくま学芸文庫)

なかでも「神秘体験の重視」は古代キリスト教でも普通に見られた慣習である。そしてこの危険な賭けは膨大な数の失敗者を生んだこともまた有名である。

「《道徳の歴史における狂気の意義》。ーーー紀元前数千年の間、またその後一般に今日にいたるまで(われわれ自身は、例外としての小さな世界に、いわば悪い地帯に住んでいる)、人類のすべての共同存在がその下で暮らしてきたあのおそろしい『風習の倫理』の重圧にもかかわらず、ーーー実際、それにもかかわらず、新しい逸(そ)れた思想や、評価や衝動が再三再四突発するのは、おそろしい護衛者がいたからできたのである。新しい思想に道を拓(ひら)き、尊敬されていた習慣や迷信の束縛を破るのは、ほとんどいたるところで狂気なのである。諸君はそれを、なぜそれが狂気でなければならなかったかを、分かっているか?嵐や海の悪魔的な気まぐれのように声や身振りで戦慄(せんりつ)を催させる測りがたいもの、それ故に同じような畏怖と観察に値するあるものを?癲癇(てんかん)症状の痙攣(けいれん)や泡のように、完全に自由意志的でないことの徴候を明白に見せ、狂気の者をこのように神性の仮面および伝声筒として特色づけるように見えたあるものを?新しい思想の持ち主自身に、自己に対する畏怖と恐怖を与え、もはや良心の呵責(かしゃく)は与えず、さらに彼を駆り立てて新しい思想の予言者と殉教者たらしめた、あるものを?ーーー天才には一粒の塩の代わりに少しの狂気草が与えられているということが、われわれに今日もなお再三再四しきりに説かれるのに、あらゆる以前の人間にとっては、狂気が存在するところではどこでも、一粒の天才と叡知もまた存在するーーー彼らが耳うちされたように、何か『神的なもの』が存在する、という思想の方がずっと明白であった。あるいはむしろ彼らの心中を十分力強く表現していた。『狂気によって最大の財産がギリシアに来た』、とプラトンは古代人類全体とともに言った。われわれはさらに一歩進もう。何らかの倫理の桎梏(しっこく)を破って新しい法を与えようとする、反抗しがたい魅力に誘われたすべてのあの優れた人間たちにとっては、《彼らが本当に狂気でないときには》、自分を狂気にするか、あるいは狂気のふりをするより外には何も道はなかった。ーーーしかもこのことは、あらゆる領域の改革者にあてはまるのであって、単に司祭や政治の制度だけにあてはまるのではない。ーーー詩の韻律の改革者ですら、狂気によって自己を確証しなければならなかった(ずっと穏やかな時代にいたるまで、その理由から詩人たちには狂気のある種の慣例が残存した。たとえばソロンは、彼がアテナイ人にサラミス島の再占領を煽動したとき、この慣例によったのである)。ーーー『狂気でなく、狂気のふりをする勇気もないとき、いかにして自己を狂気にするか?』このおそろしい思想の跡を、古代文明のほとんどすべての重要な人間たちはたどったのである。そのような熟慮と意図の無垢の感情、それどころか神聖の感情とならんで、骨(こつ)と食餌の注意の秘密の教えが伝えられた。アメリカ・インディアンにおいて魔術者に、中世のキリスト教徒において聖者に、グリーンランド人において魔法使いに、ブラジル人においてパフェなる処方は本質的に同じである。すなわち、馬鹿げた断食や、連続した性的抑制や、沙漠に行ったり、山に登ったり、柱頭に登ったり、あるいは『湖を見渡す古い柳の木の上に座り』、有頂天の状態と精神の無秩序を必然的に伴い得るもの以外は全く何も考えないことである。おそらくあらゆる時代のほかならぬ最も実り豊かな人間たちが思い悩んだであろう、最も辛い、また最も過剰な魂の危機の混乱を、だれがあえて一瞥(いちべつ)するであろうか!あの孤独な途方にくれた者たちの呻吟(しんぎん)を、だれがあえて耳にするであろうか。『ああ、天にいますものよ、どうか狂気をお与え下さい!私が結局私自身を信じるように、狂気をお恵み下さい!譫妄(せんもう)と痙攣を、突然の光と闇をお与え下さい。どんな死すべき者もまだ感じたことのない酷寒と灼熱(しゃくねつ)で私を脅かして下さい。咆哮(ほうこう)とさまよい歩く姿のもので脅かして下さい。私を吼(ほ)えさせ呻(うめ)かせ動物のようにはわせて下さい。ただ私が私自身において信仰を見出すように!法は私を不安にします。もし私が法より《以上》のものでないなら、私はすべてのものの中で最も罰あたりのものであります。私の内面の新しい精神は、それがもしあなたたちからのものでないとしたら、どこに由来するのですか?私があなたたちのものであることの証(あか)しを、どうか私に示して下さい。狂気だけが私にその証しを立ててくれるのです』。そして頻繁にすぎるくらい、この熱情はその目標に実によく到達した。キリスト教が自らの実り豊かさの証しを聖者と荒野の隠遁者たちに最もゆたかに示し、そのことによって自らを自分で証明したと思ったあの時代に、イェルサレムには、挫折した聖者たちのために、その最後の一粒の塩を放棄してしまったあの人々のために、大きな精神病院があったのである」(ニーチェ「曙光・十四・P.30~33」ちくま学芸文庫)

ではネルヴァルの場合、どのように考えればいいのか。たとえば次のような文章について。

「この観念は私にすぐ可感のものとなり、そして、宛かも室の壁が無限の遠景に臨んで開けたかのように、自分がその中に居り且つその全体が自分自身であるところの、連綿と続いた一連の男女を見るように思われた。あらゆる民族の衣裳、あらゆる国々の姿が、宛かも私の注意能力が互いに混ずることなく幾つにも殖えたかのように、一世紀の事蹟を一瞬の夢に籠める時間現象に類した空間現象によって、一時に歴々と現われ出た」(ネルヴァル「オーレリア・P.20~21」岩波文庫)

ボードレールはネルヴァルをエドガー・ポーと並べて論じている。

「感嘆すべき廉潔の人、高い知性のもちぬしで、しかも《常に正常であった》一人の作家(ジェラール・ド・ネルヴァル)が、慎(つつし)み深く、誰にも迷惑をかけずに、ーーーその慎みが侮辱にさも似るほどに慎み深く、ーーー彼の見出し得た限り最も暗黒な街路へ行って自らの魂を解き放った」(ボードレール「エドガー・ポー、その生涯と作品」『ボードレール批評3・P.104』ちくま学芸文庫)

同時にボードレールはエドガー・ポーについて「アメリカの空気に息がつまった」詩人として「ユリイカ」の冒頭を書いたのだと述べる。

「思考する人よりも感ずる性向(たち)の方々へーーー夢想家へ、そして単なるさまざまな現実と同様に夢のことどもを信ずる方々へ、私はこの《真理の書》を捧げます」(エドガー・アラン・ポオ「ユリイカ」『ポオ 詩と詩論・P.282』創元推理文庫)

とすればネルヴァルはフランス=パリの空気に息がつまってしまって首吊り自殺したのだろうか。さらに「アメリカの空気に息がつまった」詩人エドガー・ポー。ポーはアルコール依存症の果てに酒場で昏倒し運ばれた病院で死んだわけだが。すると今や「主体化した死」が主導する現代社会の中で、日本人は日本の空気に息がつまってしまい、《欲望する》「器官なき身体」を生きていく(溶けたバターと化する)ほかないということなのだろうか。
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さらに、当分の間、言い続けなければならないことがある。

「《自然を誹謗する者に抗して》。ーーーすべての自然的傾向を、すぐさま病気とみなし、それを何か歪めるものあるいは全く恥ずべきものととる人たちがいるが、そういった者たちは私には不愉快な存在だ、ーーー人間の性向や衝動は悪であるといった考えに、われわれを誘惑したのは、《こういう人たち》だ。われわれの本性に対して、また全自然に対してわれわれが犯す大きな不正の原因となっているのは、《彼ら》なのだ!自分の諸衝動に、快く心おきなく身をゆだねても《いい》人たちは、結構いるものだ。それなのに、そうした人たちが、自然は『悪いもの』だというあの妄念を恐れる不安から、そうやらない!《だからこそ》、人間のもとにはごく僅かの高貴性しか見出されないという結果になったのだ」(ニーチェ「悦ばしき知識・二九四・P.309~340」ちくま学芸文庫)

ニーチェのいうように、「自然的傾向を、すぐさま病気とみなし」、人工的に加工=変造して人間の側に適応させようとする人間の奢りは留まるところを知らない。昨今の豪雨災害にしても防災のための「堤防絶対主義」というカルト的信仰が生んだ人災の面がどれほどあるか。「原発」もまたそうだ。人工的なものはどれほど強力なものであっても、むしろ人工的であるがゆえ、やがて壊れる。根本的にじっくり考え直されなければならないだろう。日本という名の危機がありありと差し迫っている。

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