白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

言語化するジュネ/流動するアルトー43

2019年11月30日 | 日記・エッセイ・コラム
せっせと略奪に励むエリック。なるほど戦場での略奪行為は「富の蓄積」である。戦後のことなど誰にもわからない。だからエリックは戦後の「栄光」を完全に信じ込んでいるわけではない。戦場で確かなことは、戦時中にかぎり、「略奪行為」は「富の蓄積」と違わない、ということだけである。略奪のための富の蓄積なのか、それとも富の蓄積のための略奪なのか、あるいは「権力を確保する資産へ到達すること」が大事なのか。平時とちがって戦時は、これら切断され区別されている種々の欲望が地続きになって現われ出てくる。

「彼はフランスを略奪し、美術館から奪った調度、絵画、敷物、衣類、金品などをドイツへ送り込むのだった。己れの宿命が速やかに全うされることを、潔く死神の懐に抱かれることを彼は願っていた。氷のような非情さで彼はその苦行をつづけるのだった」(ジュネ「葬儀・P.175」河出文庫)

様々な金品に手をつけるエリック。美術館を狙うわけだが、よりによってなぜ《美術》館なのか。フランスだからである。エリックは他のどの国にもないものがフランスの美術館にはあると信じている。フランスの美術館を略奪することはフランスを略奪ことと同じことだという考えがエリックにはあるしドイツ軍にもあった。逆に連合国軍の側であるソ連軍にもアメリカ軍にもあった。なので、フランスの同盟国であるとはいえ、ソ連軍やアメリカ軍を見るフランス軍の目は、同一行動を取ることを取り決めた盗賊同士が盗賊同士の行動を盗み見て監視し合う相互監視カメラの目に果てしなく似通ってくる。

「長いことかかって下着を選んだり、革具や、英国製の生地を注文したりするのと同じような動機から、自分を地上につなぎとめるために、必死で、己れの社会生活を正当化する口実を探し求め、それを見つけ出すのだった」(ジュネ「葬儀・P.175」河出文庫)

戦時にもかかわらず、それでもなお略奪のためには「口実」が必要だと考えているエリック。エリックが洗練された盗賊に成り切っていないのはこういう描写のうちに認められる。だから「いちばん手軽な目標」しか見当たらない。

「要するに、自分に目標を、それもいちばん手軽な目標を授けるのだった。だいいち重要な目標を選べるだけの信念をなにひとつ持ち合わせていなかった」(ジュネ「葬儀・P.175」河出文庫)

わからないとしか言いようがないのである。エリック自身にしても。「信念」は「重要な目標」の出現と同時に創設されるのであって、それ以前にはただ単なる略奪の反復しかない。反復しているうちに金品が蓄積されてくる。蓄積されたぶんを貨幣と交換しているうちに、わざわざ戦争している自分が馬鹿馬鹿しく見えてくる。もっと手っ取り早く儲ける手段はないか。資本家という手段があるではないか。しかしエリックの身分で資本家になることは不可能である。エリックの履歴はすでに傷物だからだ。優等生の奴らはうまくやっていやがるとエリックは罵るわけだが、その罵りはすぐフランスへの呪いの言葉へ変換されフランス撲滅へと変形されナチスドイツ正当化へ接続されてしまう。

「俺にできることといえばこれだけだ。一つの心棒(それが俺だ)となって、なにひとつ羨まなくていいように、この世でいちばん珍重される装飾品を自分のまわりに取りつけることだ。贅沢と金さえあれば、俺は自由だ。いちばん安易なやり方で自分を完成させることが必要だった」(ジュネ「葬儀・P.175~176」河出文庫)

この「いちばん安易なやり方」がエリックとその仲間たちにとってはナチスドイツの一員として俊敏果敢に立ち働くことだった。そしてそれは目の前に転がっていて、悲惨なエリックから見れば光り輝く後光を帯びつつ、いつどんなときでも薫香のように呼び招きかけてくるのだ。

「たったの一日でも、そうだ、たったの一日でも自分が全うされるのを見れば、彼は満足だったろう。『俺の葬式は盛大にやる』という本がある。われわれは盛大な葬式を、荘厳な埋葬を目標に行動するのだ。葬式こそ傑作の名にふさわしい一大事業、まさしくわれわれの生涯の栄冠ともいえるだろう。神の如く崇められて死ぬべきであり、栄光に与(あずか)れることさえ《わかっておれば》、私の生前であろうと死後であろうとそれほど問題ではない」(ジュネ「葬儀・P.176」河出文庫)

しかしそれはわかりはしない。保障のない「栄光」へ向かってがむしゃらに略奪や侵略を、ますます大規模化していく略奪や侵略を繰り返していくほかない。そして遂にはエリック自身の身体が略奪や侵略として変容するまでに立ち至らなくてはならない。もはやエリックはただそこに居るというだけでただちに略奪あるいは侵略として恐れられなくてはならない存在へと至る過程をうろうろしている或る力としてしか存在しない。その運動が停止するのは死ぬときではなく、葬儀においてである。

葬儀において執り行われる形式が、葬儀の形式の側から、エリックがどのような人物であったかをながながと語りかけるのだ。生前のエリックの価値を決定する決定権は葬儀の側にあるのであって生前のエリックにはない。だがしかし、それが盛大に執り行われるというだけで死者の価値が高まるわけではない。価格が決めるのは葬式の価値である。だが価格によって決められる葬式はすでに商品化されている。死者の価値を決めるのは葬式ではなく葬儀の形式である。だからジュネはジャンの死をジュネのズボンのポケットの中に入れることができた。

高価な葬式というだけでは本当はどのような価値を持っていた人物なのかを決めることはまったくできない。高価であろうがなかろうが決めるのは葬儀の形式であって、要するに葬儀は生前の人物がどのような人物だったかをほぼ完全に覆い隠してしまうような形式においてこそ、仮面としての葬儀は始めて可能になるのである。ジュネは有り余る想像力にもかかわらず、いつも具体的に語る。そしてまた具体的にしか語らない。

さて、アルトー。ここからしばらく、演劇の舞台装置についての説明のような文章が続く。実際、この部分は本文の第三章として舞台装置に関する説明に当てられている。だが文体は第一、二章とほとんど違わない。具体的に思えるのは説明だからではない。具体的かどうかについてはそもそも第一章からして具体的なこと以外のことは書かれていない。文体が異なるという点で区別可能なのであり、抽象的か具体的かという区別は始めから成り立たない問いであって持ち込むべき問いでもない。ただ文体の差異という点でのみ何かが異なるというに過ぎない。アルトーにとって演劇はつねに具体的だ。人間にとって仮面が具体的であるように。

「彼はいまにも自らの美しさを擦りへらそうとしている青年の美の絶頂にある」(アルトー「ヘリオガバルス・P.110」河出文庫)

とりわけ日本で、いわゆる「美少年」というのはどういう風貌をしているだろうか。マスコミ経営陣にとって、顔を中心としてその身体が、いつも高い商品価値を持つと考えられる人々のことを指していう。その意味で美少年は美少女に似ている。むしろ美少女の側が先にモデルとして出来上がってから事後的に選別、加工、陳列ならびに販売されるのが美少年であると言える。そして美少年に群がる女性らがそこに見ているのは美少女化された美少年であって、そこでたちまち多くの女性らがおそらく将来において実現することはないだろうと《感じる》自分の似姿を不意に発見し見つめ直しさらに見つめ返し興奮するのである。要するに、女性による美少年愛は女性自身の自己愛の産物にほかならない。しかし逆に理想化された美少女に群がる男性らはなぜ「ロリコン」などというレッテルを貼り付けられ、どの男性もがまったく同一人物ででもあるかのように一様に犯罪者予備軍扱いされ社会の中で社会から忌み嫌われ汚辱まみれの泥沼に叩き込まれ世間の晒しものとして見せしめにされるのだろうか。顔を中心としてその身体が、いつも高い商品価値を持つと考えられる美少女を《商品化》して販売目的で大々的に宣伝するマスコミとそのスポンサー。美少年に群がる女性らは美少年のうちに自己愛を見出して陶酔する。ところが美少女に群がる男性らは美少女のうちに自己愛を見出すことはほとんどない。逆に男性らはすべての自己愛を愛する対象としての美少女へ注ぎ込んでしまい自己内部をからっぽにしてしまうばかりでなく持てるかぎりの労働力と貯蓄のほとんど一切をどんどん切り崩して美少女とそのイメージ維持のために考えられるかぎりのアイデアを提案しながらとことん尽くしつつ最後を遂げる。

なお、美少女に群がらない美少年というものもまたいつの時代にも大勢いた。なぜ群がらないかといえば、美少年は美女を母に持つことで生まれてくることができたにもかかわらず、むしろ美女を母として持つことでしか生まれてくることができなかったがゆえに、母から授かった美貌を返しても返しても返しきれない負債として感じているため、いつまで経っても母の美貌を憎悪するのである。美少年の多くがそもそも美少女に対して女性差別的な傾向を見せるのは、いずれ誰かの母としてさらなる美少年を生み出すかもしれない美少女というものに恐怖を感じ、あらかじめ徹底的に軽蔑し隷属させ卑下そのものと化しておく必要性を嗅ぎとっているからである。そしてこれら悲喜劇はしばしば殺人事件として表面化することがある。けれども殺人事件化する以前すでにマスコミとそのスポンサーは《美》というどのようにでも変化する強度の流動性を適当に加工=変造して何度も繰り返し商品流通過程に乗せることで、一見複雑に見えるがその実なんということもないシステムから莫大な収益を上げて資本として君臨するのである。

「しかしこの溢れんばかりの女性らしさ、輝きの下で、まさに毎朝彼がつける太陽の三重冠の輝きの下で透けて見えるあのウェヌス風の刻印、彼はそれらを母に追うているのだ。ふしだらな女、娼婦、『男性的なもの』の虐待に応じる以外のことはけっしてできなかった売女である彼の母に」(アルトー「ヘリオガバルス・P.110」河出文庫)

マスコミ各局というものはグローバル通信網が一定の地点で取り得る様々な形態の一つ一つなのであり、だから通信網なしにマスコミは存在しない。マスコミの存在しない時代には美少女も、したがって美少年もまた存在することはできなかった。ところが紀元前すでにマスコミは発達していた。海運や陸運を通して。流通していた。たとえば古代ギリシアは地中海沿岸で最も早く通信網を獲得した一大世界を形成していた。遺産として残された様々な造形は後に美術品として取り扱われることになった。しかしそれらは美術品の原型ではあっても、美の原型とまでは言えない。美はあらゆるところから出現してくるからである。いつも流動する強度としてしか存在することができない。その都度ちがった差異的なものを含むかぎりで変化しつつ出現してくる。固形物としてはけっして捕獲できない不断の多様性であるとしか言えない。だから、ヘリオガバルスの母ユリア・ソエミアは娼婦であるにもかかわらず相手を選んだのである。「彼女を欲した男性たちではなく、彼女が選んだ男性たちに彼女が身を委ねた」のは、ただひたすら美少年の生産に励んだがゆえであると言いうる。そしてその条件は相手の男性にのみあるのではなく、まずもってユリア・ソエミア自身が他のどの女性よりも多くの美を持っていると承認されていたかぎりで始めて条件として機能したのだ。

「そして私が言いたいのは、ユリア・ソエミアに関して私が『男性的なもの』の虐待について語るとき、ユリア・ソエミアの発情が単なる皮膚のすり寄せだけに満足するのではなく、彼女を欲した男性たちではなく、彼女が選んだ男性たちに彼女が身を委ねたのは、儀式的観念においてであり、原理に従ってのことだということである」(アルトー「ヘリオガバルス・P.110」河出文庫)

今のネット社会では保存された大量の精子バンクから選択することができる。女性は精子を選び取ることができる。精子はショッピングの対象と化した。しかしショッピングは同時に商品交換であるかぎりどこまで行っても格差はつきまとうばかりか、この種のショッピングは格差を冪乗(べきじょう)的な増殖傾向へ向け換えるのである。

さらに、当分の間、言い続けなければならないことがある。

「《自然を誹謗する者に抗して》。ーーーすべての自然的傾向を、すぐさま病気とみなし、それを何か歪めるものあるいは全く恥ずべきものととる人たちがいるが、そういった者たちは私には不愉快な存在だ、ーーー人間の性向や衝動は悪であるといった考えに、われわれを誘惑したのは、《こういう人たち》だ。われわれの本性に対して、また全自然に対してわれわれが犯す大きな不正の原因となっているのは、《彼ら》なのだ!自分の諸衝動に、快く心おきなく身をゆだねても《いい》人たちは、結構いるものだ。それなのに、そうした人たちが、自然は『悪いもの』だというあの妄念を恐れる不安から、そうやらない!《だからこそ》、人間のもとにはごく僅かの高貴性しか見出されないという結果になったのだ」(ニーチェ「悦ばしき知識・二九四・P.309~340」ちくま学芸文庫)

ニーチェのいうように、「自然的傾向を、すぐさま病気とみなし」、人工的に加工=変造して人間の側に適応させようとする人間の奢りは留まるところを知らない。今回の豪雨災害にしても防災のための「堤防絶対主義」というカルト的信仰が生んだ人災の面がどれほどあるか。「原発」もまたそうだ。人工的なものはどれほど強力なものであっても、むしろ人工的であるがゆえ、やがて壊れる。根本的にじっくり考え直されなければならないだろう。日本という名の危機がありありと差し迫っている。

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言語化するジュネ/流動するアルトー42

2019年11月29日 | 日記・エッセイ・コラム
戦闘の中で残骸化していく建物と街路。あちこちに「裂け目」が出現している。戦争は大規模な破壊として映って見える。だがその行為の一つ一つはどこまでも分割可能な微々たる崩壊過程の堆積でもある。ジュネが改めて「心打たれる」のは大破壊の中で起こっている数えきれない微々たる崩壊に、である。

「私は彼の行動を眺めていた。鉄具のついたでっかい靴をはきこんだ片方の足が壁の一角にかけられると、いくつかの煉瓦とセメントのかけらが雪崩れ落ちた。はじめて、最も苛烈な戦闘のさなかにあってもいくつかの残骸が崩れ落ちる程度の取るにたらぬ出来事が起りうることに気づいて私は心打たれるのだった」(ジュネ「葬儀・P.173」河出文庫)

「月並みな仕ぐさから構成されている」戦闘行為は量的な観点から見られた戦闘行為である。量的な「月並みな仕ぐさ」の堆積が「すごく深刻」な戦闘行為に変容するのは瞬間的な出来事であって目に見えるものではない。結果が出た後に、結果から考えて始めて原因が見出され、見出された原因が時間的に先行する或る位置に押し込まれるというのが因果性の成立過程であり、この「原因と結果の取り違え」が意識化を可能にする。そして量は質へ転化した。

「攻撃へ向かって駈ける兵士は、己れの生命を敵のもとへ運ぶのも同様であるのに、その足がほんの僅かばかしの小石を移動させるなんてことが考えられようか?戦闘はするとすごく深刻に見えて月並みな仕ぐさから構成されているのか?今度は私がその裂け目を乗り越えた」(ジュネ「葬儀・P.173」河出文庫)

エリックはたった一人で戦闘しているわけではない。仲間がいる。しかし仲間には女性の愛人がいて、愛人からの手紙が戦場へしばしば届けられる。そんなとき、女性の愛人を持たないエリックは孤独を感じる。異性愛の相手を持たないエリックは力を入れる方向を変える。「お洒落に凝りだした」。エリックは「略奪に取りかか」らねばならない。「富の蓄積に励む」ことになる。

「私がお洒落に凝りだしたのはその時からだ。絹のシャツや、靴下や、香水をあさりだしたのは。私は略奪に取りかかった。要するに相手はフランスだ。見捨てられた家屋や、フランス人の店をエリックは荒しまくった。己れの富をふやすことにかかるのだった。幸福な瞬間も繰返せば次第に強烈さを失うことを心得ていたので、最終的目標を目指して、己れに定められた順序に従って彼は富の蓄積に励むのだった」(ジュネ「葬儀・P.174」河出文庫)

戦場では「富の蓄積」と「略奪」とは同じ行為である。戦時でなければ違法なのだが戦時では合法になる。戦後は裁かれるか良心の疚(やま)しさに苛まれ続けることになる。しかし戦争経験者にとってその過程は誰もが持ち得る経験であり実際に持つ経験でもある。だがジュネはどこにでもごろごろ転がっているようなステレオタイプ化した戦争体験をわざわざ描く必要性を感じない。だからジュネはエリックもまた戦争に翻弄された人物の一人である、などと一般化し凡庸化し記号化してしまいはしない。戦時中はどこにでもいた人間が廃墟化していく街中で、ほかでもないエリックはどのようなことを夢想していたかについて描き出す。

「ベルリン市内のクルフェルシュテルンダム通りに十二部屋つづきの住居を持つのが夢だった。その調度を細かい部分まで、召使いの数(五人)、二台の自動車、衣装や、帽子の数まで予定していた。このとおり実現する必要があった。《それは》どこからきていたのか?わからない」(ジュネ「葬儀・P.174」河出文庫)

数に執着するエリック。数量の大きさは貨幣価値の大きさを現わすとは必ずしもいえない。価格はなるほど目に見えるものであって、略奪した金品の総額だけを計算して後で何と交換するか考えることはたやすい。しかしエリックが考えているのは貨幣価値のことであり、さらに価値は目に見えない。だから何にでも変化する。「ベルリン市内のクルフェルシュテルンダム通りに十二部屋つづきの住居」「二台の自動車」「衣装や、帽子の数」というように。

エリックはそのような「夢想」に当たって「論理的計算」ではないような印象を持っている。というのは、価格は仮面であって目に見えるものなのだが、価値は貨幣との商品交換が実現した後になって始めて見出され可視化されるものだからである。

「この決断、この選択は、どうやら、論理的計算というよりも、一種の夢想から発するもののように、さもなくばいささか独断気味に受け取れる。社会生活はーーーエリックにすれば生活全体はーーー要するに一人の人間にとって充分な物質的安楽を所有することによって実現されるともいえるだろう。その安楽へ、さらに自由を、したがって権力を確保する資産へ到達することだ」(ジュネ「葬儀・P.174~175」河出文庫)

エリックが抱く「論理的計算」への疑い。ジュネの文章はふだんの日常生活では無視されていて表面化しない無意識的次元へもしばしば不意に喰い込んでいる。

「論理学は、《いくつかの同一の場合があったならば》という条件に結びついている。じじつ、論理的な思考や推論がなされるためには、《この》条件がまずみたされていると虚構され《なければならない》。言いかえれば、《論理的真理》への意志は、すべての生起の根本的《偽造》が想定されおえたのちにはじめて、成就されることができる。このことから明らかとなるのは、ここでは、第一に偽造、第二にはおのれの観点の貫徹という二つの手段を駆使しうる或る衝動が支配しているということである。すなわち、論理学は真理への意志から由来するのでは《ない》」(ニーチェ「権力への意志・第三書・五一二・P.48」ちくま学芸文庫)

さて、アルトー。「『神話的オデュッセイア』の地上の後継者にして保証人」となるべくヘリオガバルスは地上に到来する。

「男色の王であり、女になりたいと願うヘリオガバルスは、『男性』の祭司である。彼は相反するものの一致を自らのうちに実現するのだが、しかし苦痛なしにそれを実現することはないのだし、しかも宗教的な男色は、『男性的なもの』と『女性的なもの』のあいだの執拗で抽象的な闘争以外の起源をもたない」(アルトー「ヘリオガバルス・P.104」河出文庫)

「男性的」と「女性的」とのあいだの「執拗で抽象的な闘争」。どちらが「能動的」か「受動的」かを決することになる闘争。それが宗教化されると一方に男性原理が立ち、もう一方に女性原理が立つことになる。さらに宗教は一神教を貫徹するため現実的運動として戦争を回避することができない立場へ、自分で自分自身を追い込んでいく。男性原理を掲げる宗教は男性原理だけが唯一の原理であるとしてその他すべての原理を認めない態度を取る。だが女性原理を掲げる人々は宗教戦争のさなかにあってなお戦闘的というよりむしろはるかに現実的である。どちらが「能動的」か「受動的」かを決する戦場において、そのさなかに「現実的かどうか」という別の価値を同時に掲げる。もし男性原理を唯一の原理として認める一神教的陣営が、「現実的かどうか」という別の価値に関心を寄せていたら事情は大きく異なっていただろう。しかし一神教的男性原理は多神教を認めないことを存在の条件として成立している。だからあくまで、どちらが「能動的」か「受動的」かということにこだわる。ところがこの「こだわり」には躊躇が見られる。躊躇を頭の中から振り払ってからでないと戦場におもむくことはできない。できたとしても戦闘行為に力が入らない。敗北する。敗北しないためにはさらに一切のこだわりを捨て去ってしまわなければならない。

しかしこの躊躇は否認すればするほど何度も繰り返し湧き起こってくる。「現実的かどうか」という別の価値は、戦闘行為においてなるほど別の価値として棚上げ可能なのだが、実際のところ、性別を問わずどんな男であっても女の身体からしか生まれてくることはできなかったという現実を認めないわけにはいかないからである。一見、対立的二元論を廃棄して一元論的一神教へ回収してしまおうという権力意志は、現実という女性原理の壁に衝突して暴発する。暴発した男性原理は猛り狂った暴力そのものと化して女性原理を掲げるフェニキア人を徹底的に弾圧する。フェニキア人は敗北する。敗北し去ってばらばらに各地をさまよう移動民になる。移動民になったフェニキア人は長期間にわたって打ち続く流浪の末に、かつて自分たちがフェニキア人であったことすら忘れていく。フェニキアの歴史は消えてしまって跡形もなくなった。歴史は失われたけれども、ばらばらに分散した一部の人々の手によって遠い過去から受け継がれていた産業だけは残された。内職のようなものだが。しかしそれは追放された最果ての地である地中海沿岸で細々となおかつ粘り強く受け継がれた。するとまた徐々に事情が変わってきた。女性原理の敗北にもかかわらず、むしろ敗北ゆえにいったん歴史の表舞台から去っているあいだ、労働時間の蓄積としての商品生産を推し進めることができた。消滅したフェニキアはその死の象徴かつ墓碑として極めて現実的な「月経の宗教」の産物を生産過程に乗せることに成功していた。そして「真紅の布の生産」という産業が全ヨーロッパに拡大していく。ちなみに今の日本でいえば、たとえば全国高校野球選手権大会(甲子園)での優勝旗はどんな色をしているか。そしてそれはどこに起源を持つのか。「月経の宗教」だと言いたい人々は少なくないかもしれない。だが、そう言ってしまうと的外れなのだ。

「月経の宗教」を掲げるフェニキアはもうない。代わってフェニキアの信仰だった「月経の宗教」という女性原理がいまや死の象徴と化している。戦争の代理行為となった数々のスポーツ競技において、なぜ優勝旗の多くが最も濃い血の色を欲するのか。全面的な赤色でなくても、あのナチスドイツの様々な服装でさえ、日本軍の軍帽の一点にさえ、部分的に重要として考えられる位置には始めから決まっていたかのように、デザインの中に赤い星なり赤い帯なりが採用されているのはなぜだろう。無数の敗者によって託された血を勝者は受け継ぐし受け継がれねばならないという反復強迫的観念がそこにはある。だからといって、真紅の優勝旗は死《へ》先導するわけではけっしてない。もはや歴史の彼方に忘れられてしまっているのだが、死の象徴と化した真紅の優勝旗はすべての選手らの先に立ち、無念のうちに倒れていった無数の敗者を従えつつ、死《が》先導するのである。

もっとも、オリンピック=パラリンピックの場合、優勝した国の国旗によって逆に歴史の側が覆い隠されてしまうことになる。その意味でオリンピック=パラリンピックは歴史でもなければ反歴史でもなく、資本が主導するあからさまな投資対象へ転倒してしまった。資本が主導するオリンピック=パラリンピックの歴史というまた別の消費対象が創設された。そして消費対象として商品化されたオリンピック=パラリンピックはただ単に開催されるというだけではまだ何らの価値も生み出していない。商品は貨幣と交換されるやいなや価値(剰余価値含む)を実現するのであり、その逆はあり得ない。もし商品が貨幣交換に失敗した場合、それに費やされた何億という投資は無に帰するばかりか壮大な赤字を生む。だからマルクスはそれを「命がけの飛躍」と呼んだ。

「この困難、商品の《命がけの飛躍》は、販売が、この単純流通の分析で想定されているように、実際におこなわれるならば克服される」(マルクス「経済学批判・P.110」岩波文庫)

しかもなお、オリンピック=パラリンピックは、出場する選手らの意向とは関係なく組織委員会が手前勝手、自己本位、自己中心的に空想した地域振興行事として定着してはきた。けれども大会後の後始末に要する費用負担を考えると経済成長にとって本当にプラスなのかマイナスなのか、ほとんど賭博に近くなってきた。だから開催地が立候補を取り下げる事態まで起こってきた。今のオリンピック=パラリンピックという博打に、多額の税金を注ぎ込む価値が本当にあるのか。他の先進諸国でも立候補取下げの動きは変わらない。ところが日本は嬉々として立候補し開催し、あたかもバブルの再現を夢見ている。オリンピック=パラリンピック組織委員会は日本人の記憶に残っている甘い夢を熟知している。そこに付け込まれる余地があったというほかない。

「神の分離された諸力と交渉をもとうとするすべての国々のなかに、太陽のための神殿が、そして月にとっては敵である神殿があり、さらに混じり合った太陽と月のための神殿があるとしても、かつて『歴史』上のどんな時点にも、そしてこれらの戦いが大混乱をもたらした大地のこれほど小さな地帯に、シリアにおけるがごとく、似たような神殿の集まりが見出されるのだし、そこでは男性的なものと女性的なものが互いを貪り食い、混じり合うと同時に、それらの能力を分離している」(アルトー「ヘリオガバルス・P.104」河出文庫)

アルトーの描く融合状態は「混じり合う」という意味では融合なのだが、他方「分離している」という意味では異質的なものが織りなす多様性でもある。なぜそう見えるのか。ベルクソンはいう。

「多様性の二つの形式、持続のまったく異なる二つの評価、意識的生活の二つの様相を区別することにしよう。注意深い心理学は、真の持続の延長的記号たる等質的持続の下に、その異質的な諸瞬間が相互に浸透し合う持続を見分ける。また、それは、意識的諸状態の数的多様性の下に質的多様性を、はっきり規定された諸状態にある自我の下に継起が融合と有機的一体化を含むような自我を、見分ける」(ベルクソン「時間と自由・P.153~154」岩波文庫)

これまで諸原理の闘争について述べられた箇所は、アルトーのいうアナーキーが無政府主義とは何の関係もないということだけでなく、ヘリオガバルスはアナーキストという固形物として存在したのでもなく、不断に闘争しつつある流動性として生きられた或る種の力だということを述べるための補助線として書かれている。

「ヘリオガバルスの生涯はこの種の諸原理の解離の典型的類型であると私には思われる」(アルトー「ヘリオガバルス・P.104~105」河出文庫)

なお、地上に到来するといっても天界から転がり落ちてきたわけでも何でもない。地上に生まれて育った。父は皇帝だったと同時に母は娼婦だった。娼婦という点は特に重視される。後に重視されざるを得なくなるように。ヘリオガバルスの別名は「ウァリウス」。ウァリウスは今の英語でいう“various”。意味は「多様性、様々な」。日本でよく用いられるのは“variation”(ヴァリエーション、変化、変種)、“variety”(ヴァラエティ、変化、いろいろ、種類)。だからヘリオガバルス(ウァリウス)は多種多様な精子の混合から生まれたという意味で皇帝になる前からウァリウスと呼ばれていた。皇帝になったのが十四歳。ここからようやくアルトーはその直前に当たる二二七年の記録に注目することになる。

さらに、当分の間、言い続けなければならないことがある。

「《自然を誹謗する者に抗して》。ーーーすべての自然的傾向を、すぐさま病気とみなし、それを何か歪めるものあるいは全く恥ずべきものととる人たちがいるが、そういった者たちは私には不愉快な存在だ、ーーー人間の性向や衝動は悪であるといった考えに、われわれを誘惑したのは、《こういう人たち》だ。われわれの本性に対して、また全自然に対してわれわれが犯す大きな不正の原因となっているのは、《彼ら》なのだ!自分の諸衝動に、快く心おきなく身をゆだねても《いい》人たちは、結構いるものだ。それなのに、そうした人たちが、自然は『悪いもの』だというあの妄念を恐れる不安から、そうやらない!《だからこそ》、人間のもとにはごく僅かの高貴性しか見出されないという結果になったのだ」(ニーチェ「悦ばしき知識・二九四・P.309~340」ちくま学芸文庫)

ニーチェのいうように、「自然的傾向を、すぐさま病気とみなし」、人工的に加工=変造して人間の側に適応させようとする人間の奢りは留まるところを知らない。今回の豪雨災害にしても防災のための「堤防絶対主義」というカルト的信仰が生んだ人災の面がどれほどあるか。「原発」もまたそうだ。人工的なものはどれほど強力なものであっても、むしろ人工的であるがゆえ、やがて壊れる。根本的にじっくり考え直されなければならないだろう。日本という名の危機がありありと差し迫っている。

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言語化するジュネ/流動するアルトー41

2019年11月28日 | 日記・エッセイ・コラム
ジュネ的感性における官能の絶頂。多くの男性の場合、それは射精そのものではなく射精直前の瞬間の「陶酔的な渦巻の真只中」であって、その意味にかぎっていえばジュネは「変態」でも何でもない。しかしジュネが多くの場合と異なるのは、ジュネの想像が性行為に類するものであってもなくても、その力は想像上の「戦車兵の黒い軍服をまとったドイツ兵」から注ぎ込まれる点である。

「ついでに記しておくと、気をやる瞬間に先立つ渦巻ーーーそれをほとんど内包したーーーときには気をやる行為そのものよりも陶酔的な渦巻の真只中にあって、いちばんエロティックなすばらしい想像、いちばん厳粛な、いうなれば内なる祭典によって準備された、すべてがその方向を目指す想像、それは戦車兵の黒い軍服をまとったドイツ兵によって私に授けられるのだった」(ジュネ「葬儀・P.169~170」河出文庫)

「ついでに記しておく」、にもかかわらず描写が長いのはフェチの系列の列挙による。一方にエリックを、もう一方に死刑執行人を配している。

「だけどエリックは、ガベスの眼の奥へ、黒い音楽のひびきと暁の香りによって運ばれてきたのにひきかえ、疾駆する光の馬にまたがって、鞍のわきに黒い喪布をかぶせた斧をむすびつけ、河や森や街々を一日で走りぬけドイツからやって来た、汗まみれの死刑執行人のほうは半裸体だった」(ジュネ「葬儀・P.170」河出文庫)

エリックは「ガベスの眼」「黒い音楽のひびき」「暁の香り」。死刑執行人は「疾駆する光の馬」「黒い喪布」「斧」「一日で走りぬけ」「汗まみれ」「半裸体」。

「ガベスの眼」は「青銅の眼」でも構わないとおもわれる。その意味は「男性の肛門」である。太陽との等価性が維持されているかぎりで。「黒い音楽」は「ひびき」が大事だ。響いて《来ない》音楽を指して「黒い」とは言い難い。さらに大事なのはそれが響いて《来る》という距離感と音響がものをいう。ナチスドイツ党大会の冒頭にベートーベン「エグモント」序曲が配置されていたのは、式典という意味ではかなり練り上げられたものであるという印象を受ける。そういう細かな部分への目配りがイタリアのファシスト党にはあまり見られないのではと感じる。それがムッソリーニとヒットラーとの差だといってしまえばそれまでかもしれないが。ファシスト党というよりイタリアの行進曲は今なおヴェルディなのであり、ベートーベンやヴァーグナーとの比較において、そこから醸し出されてくる風土には余りにも違いがあり過ぎる。組織力は軍事力へ接続される。けれども軍事力の色彩を決定づけるのは、軍隊を送り出す国民の耳に向けて、耳を通して送り届けられる音楽の側に決定権がある。その音楽のもとで兵士らは死んでいく、と国民は考えるからである。耳という身体器官が持つ政治的重要性に気付いていたという点でジュネはほんの「泥棒」時代から詩人であった。そして「泥棒」として生涯を終えた。「暁の香り」はジュネ固有の趣味だろう。

「疾駆する光の馬」とあるけれども疾駆しているのは男性器自身である。疲れを知らないという条件も加わる。馬だからだ。そして馬は勝者の象徴でもある。たいそう古典的な舞台装置のようにおもわれるが、近現代になっても西洋の絵画では何度も繰り返し取り上げられてきたテーマである。馬に託された「光」は黒光りする男性器をより一層形式化された計り知れない速度を有していることを示す。形式化にもかかわらず計り知れないというのは論理的には矛盾しているけれども、官能の速度の逆説は、綿密に形式化しようとすればするほど逆に計り知れないものへと変容することを特徴としている。ジュネにしても、性行為において「気をやる瞬間」のすべてを本当に形式化できるとは思ってもいない。続く「黒い喪布」。明確なステレオタイプが用いられている。「斧」は死刑執行人の男性器だけのことを指すのではなく、世の中の男性の勃起した男性器すべての象徴と考えるのが妥当だろうとおもわれる。「一日で走りぬけ」という言い回しは今でもよく使われる。ふつうに考えれば武器全般が持つ速度の強調ということになるのだが、今の資本主義では武器が速度を所有するというより、速度そのものが武器へと転倒したことを上げておかねばならない。ネット社会では特にそうだ。だからネット空間は、ジュネ的感性からすれば、いつどこから飛んでくるか予想もつかない精液と死とで溢れかえっていて手もつけられない、と言うだろう。システムとしてのインターネットは資本の利潤率を平均化させる動作環境を自らの手で更新しさえする。ジュネを興奮の坩堝(るつぼ)に叩き込むこと間違いない。さらにステレオタイプな「汗まみれ」だが様々に解釈可能なので改めて付け加えるより、むしろ逆に差し引きたいくらいだ。そして「半裸体」。「全裸」では何らの意味も持たないことは明白である。官能の絶頂へと「渦巻く」意志が問題なのであり、射精そのものにはすでに労働のイメージが入り込んでいる。射精行為は半分以上、自分で自分自身を殺害済みの状態で感じる脱力の感覚であって、取り残された死としてもはや消滅である。

「色は浅黒くけむくじゃらで、筋骨たくましく、ずっしり柔らかい睾丸と陰茎の形を細部まで微妙に浮かび上がらせている、紺青色のきらきら光るジャージーの肉襦袢にぴっちり身をつつんで」(ジュネ「葬儀・P.170」河出文庫)

というイメージは当時のドイツで流行していたファッションの一つ。今でもときどき復活してくる。ということはドイツ以前の流行の反復かもしれない。実際、サドの小説のイメージは黒革で覆われているのであり、黒革の衣装はファシズムよりもサディズムの側にはるかに近い。ファシズムを見て驚くのはその余りにも平板単調で時として無意識的な同一化の不気味さに、なのだが、サディズムを見て驚くのはその余りにも極端な残酷さの多岐に渡る行使応用とその自覚があるということに、である。ファシズムは増殖を目指すがサディズムは死を目指す。では日本はどうだったか。東京裁判ではっきりしたのは丸山真男のいう「無責任の体系」ということであって、アメリカの介入があったにせよ、戦争が終わってみれば責任者は始めからどこにもいなかったかのように映って見えるという異様さである。この異様さは或る意味、意識の確かさを戸惑わせ疑わせるに十分な破壊力を持っている。破壊力といっても劇的なものではまったくない。資料的文書を見ていると、逆に人間はどこにもおらず、言語だけがバトンタッチしていく奇妙なモンタージュ風景をおもわせる。影一つない空虚な砂漠に放り出されたかのような感覚におちいる。原爆投下直後の広島に入り、忽然と出現した平板な瓦礫の砂漠で思わず知らず放射能を身に浴びているような。

「ジャンの臀たぶのあいだに額をめり込ませていると、一時的な、だが鋭い頭痛が私の視覚を冴えさせ、昂らせるのだった。歓喜が一団となって訪れ、鋼鉄の兵士と紺青の死刑執行人がからみ合って」(ジュネ「葬儀・P.170」河出文庫)

ジュネの筆力は旺盛かつ順調におもえる。しかしそれが部分的には無理の積み重ねであったことは何度か述べているように「泥棒日記」で始めて明かされる。体力的な無理ではなく、「殺人」と「泥棒、裏切り、性倒錯」とを混同しようと欲したがゆえに生じてきた疲労である。ジュネと「殺人」とでは釣り合わない。ジュネは自分自身が「泥棒、裏切り、性倒錯」であるかぎりで作品もまた輝くのである。それに気づいたのは実際に「泥棒日記」を執筆中の頃。不意打ちというより書いているうちに気づいて認めるに至ったようなところがある。ジュネにとって創作はそういう過程を含んでいる、というより、創作そのものがその過程であり同時に変容なのだろう。ジュネはまた言語へ戻る。

「私の舌はますます深くまさぐり、眼は幾つもの太陽で、円転鋸の鋼鉄の歯で食いちぎられるのだった。こめかみは動悸を打ち。リトンはバルコニーの足場の上に立っていた」(ジュネ「葬儀・P.170」河出文庫)

文学や絵画の中に太陽というものが出てくると、いつものことだが、読者にとってはたまらなく厄介におもえる。最初に失敗した読書経験というものがあるのかもしれない。たとえばカミュ「異邦人」。チュニジアと地中海の歴史、そして象徴化された太陽の意味を知っていなければ何一つわからない。だからカミュとヨーロッパの人々にとっては手に取るようにわかる。ところが同じヨーロッパあるいはチュニジアのあるアフリカであっても、北欧やアフリカ中南部の読者層にとっては何が書かれているのか理解できない。表面的なことならステレオタイプに対する抗議の書だということくらいしか意味しない。しかし地中海周辺の読者層には身体のレベルで受け取ることができる。この違いは余りに大きい。しかしジュネが太陽を持ち出すとき、それは男性器か男性の肛門かそれともそれらの象徴として引っ張り出されていると考えてほぼ間違いない。ジュネにとって抽象的な天上世界など無用なのだ。天上世界が持ち出されてくるのはあくまでその想像力が地上で行われる自慰行為の補助に一にも二にも役立つからであって、もし役立たないのなら始めから通り過ぎるばかりである。また逆にジュネはただ単なる地上のポルノ小説を書かない。プライドが高いので書かないわけでは全然なく、始めから関心がないのである。天上の詩は空虚であり過ぎ、地上のポルノは興奮させてくれない。新しい詩人は地上で地上に居座って書き始める詩しか持たない。

さて、アルトー。またもや言語問題。圧縮という操作について。

「人は破壊的、というよりむしろ圧縮的な同じ操作を行うことができるが、しかもその操作は、どんなものに関しても、諸事物を統一性へと連れ戻すために諸事物の偶発的様相を除去する」(アルトー「ヘリオガバルス・P.95」河出文庫)

言語は無数のものを手前勝手に統一してしまう。

「『統一』として意識されるにいたるすべてのものは、すでにおそろしく複合化している。私たちはつねに《統一の見せかけ》をもつにすぎない」(ニーチェ「権力への意志・下巻・四八九・P.33」ちくま学芸文庫)

「言語はもろもろの大きな先入見を含んでおり、また維持している、たとえば、《一つの》語でもって表わされるものは当然また《一つの》出来事であるという先入見がそうである。意欲、欲求、衝動ーーーこれらは複雑なものなのだ!」(ニーチェ「生成の無垢・下巻・三三・P.28」ちくま学芸文庫)

そして必要物としての言語とはどのような仕組みを条件として成り立っているか。

「それらはまさしくきわめて粗雑な必要物であって、『小さな欠陥』などは考慮のうちに入らない」(ニーチェ「生成の無垢・下巻・八一・P.58」ちくま学芸文庫)

言語は「きわめて粗雑な必要物」である。必要物であるにもかかわらず「粗雑」にしかできていない。粗雑なものとしてのみ始めて形成され得ることができた。言語化への意志がないわけではない。それは意識への上昇を目指していつも権力闘争を演じつつ融合している、とニーチェはいう。けれども過半数の承認を得られない言語は言語になることなく「『小さな欠陥』」として無意識の裡(うち)に処理されてしまう。無いも同然として削ぎ取られ去ってしまう。削ぎ取られ去られることで始めて言語として意識化されるに至る。言語化/意識化の過程は流動する様々な意志が無慈悲な殺戮を演じ続ける見えない劇場でもあるだろう。ところで、削ぎ落とされたもの。それはどのようなものか。本当に不必要なものなのか。不必要だから無視されたのか。その無視に妥当性はあったのか。実をいえば妥当性はかなり怪しい。個別性を無視することによって始めて同一性の押し付けが可能になるからである。

「個別的なものを《無視する》ということが、われわれが概念をもつことの原因なのであり、これとともにわれわれの認識は始まるのである。すなわち、《標題づけ》において、《諸々の類》の提示において、われわれの認識は始まるのである。だが、こうしたものに、事物の本質は対応してはいない。それは認識過程ではあるが、事物の本質を射当ててはいないのである。多くの個別的特徴が、われわれに一つの事物を規定してくれるが、すべてのものを規定してはくれない。こうした特徴の同等性が機縁となって、われわれは多くの事物を一つの概念の下に統括するようになる」(ニーチェ「哲学者の書・P.319」ちくま学芸文庫)

さらに。

「すなわち、それは《間違った等置》なのである。言いかえれば、《総合的推論とは、非論理的なものなのである》。われわれがそれを用いるときには、われわれは、通俗的な形而上学を、つまり、結果を原因と見なすような形而上学を、前提しているのである。『鉛筆』という概念が、鉛筆という『事物』と混同されるのである。総合判断における『である』ということは、誤りであり、それは一つの転用を内包しており、元来等置などが起こり得ないような二つの異なった領域が、相互に並列しておかれるのである。われわれはもっぱら、《非論理的なものの》影響下に、無知と誤知との中に、生きて、思考しているのである」(ニーチェ「哲学者の書・P.321」ちくま学芸文庫)

こうもいう。

「すべて語というものが、概念になるのはどのようにしてであるかと言えば、それは、次のような過程を経ることによって、ただちにそうなるのである、つまり、語というものが、その発生をそれに負うているあの一回限りの徹頭徹尾個性的な原体験に対して、何か記憶というようなものとして役立つべきだとされるのではなくて、無数の、多少とも類似した、つまり厳密に言えば決して同等ではないような、すなわち全く不同の場合にも同時に当てはまるものでなければならないとされることによって、なのである。すべての概念は、等しからざるものを等置することによって、発生するのである。一枚の木の葉という概念が、木の葉の個性的な差異性を任意に脱落させ、種々の相違点を忘却することによって形成されたものであることは、確実なのであって、このようにして今やその概念は、現実のさまざまな木の葉のほかに自然のうちには『木の葉』そのものとでも言いうるような何かが存在するかのような概念を呼びおこすのである」(ニーチェ「哲学者の書・P.352~353」ちくま学芸文庫)

差異性をわざと脱落させることで同一性という幻想を凝固し固定しステレオタイプ化させてきたという事情。小さな差異を承認しないかぎりで成立してきた言語化過程。これをモデルとして日本の研究チームでも様々な立場から意見が出されてきた。たとえば障害者差別問題。一方の健常者は言語化され社会的承認を受けた「ふつうの」人間であり、もう一方の障害者は小さな差異として言語化されずに脱落させられ社会的承認を受けずに切り捨てられてきた部分として考えることができる、という主張などは理解しやすいだろうとおもわれる。だから「人間」という一つの言語は社会的承認をめぐって受諾と疎外とを同時に行う「粗雑な」必要物という資格を今なお維持している。

「ヘリオガバルスをほんとうに理解しようとしたならば、彼らはヘリオガバルスの乱行、彼の狂気、神々を司教補佐や証人にする彼の神秘的で高邁な放蕩の起源を太陽の宗教のなかに探し求めただろう」(アルトー「ヘリオガバルス・P.101」河出文庫)

古代ローマ皇帝にはいろいろなタイプが見られる。しかし悪質とされるのはいつもネロやカリギュラといった人間的悪質さが目立つ人物ばかりなのは不可解というほかない。ヘリオガバルスの場合、ネロやカリギュラとは異なる次元に位置しているため、問題にされることさえほとんどない。ヘリオガバルスは何かの間違いなのだ、ということで済ませてしまおうということになってしまっている。ネロやカリギュラの悪質さは人間的次元で語ることができる。誹謗中傷を浴びせることができる。だがヘリオガバルスは人間の理解をはるかに超えている。なので多くの歴史家もヘリオガバルスの存在を無視したがっていることがありありと伝わってくる。しかしそれではヘリオガバルスの実在について、ややもすれば『小さな欠陥』として処理して事たれりとする問題の先送りにしかならない。

「何よりもまず彼らは学者風の三重冠のあの詳細を書きとめたはずだが、それにはスカンデルの角、つまり牡羊の角がついていて、それはヘリオガバルスをラムの、そして驚異の『神話的オデュッセイア』の地上の後継者にして保証人にする」(アルトー「ヘリオガバルス・P.101」河出文庫)

ヘリオガバルスのアナーキーは統一性を示してもいたという点で逆に理解の範囲を超えてしまうのである。ネロやカリギュラならどの王国であってもしばしば出現するただ単なる傍若無人なアナーキーとして処理可能なのだが、事態はそうではない。ヘリオガバルスは極めて繊細な知性の持主であり、必要に応じて統一を貫徹する皇帝でもあった。そのような奇妙な統一感覚は歴史家には理解できない。アナーキーと統一性との融合など当時の歴史家には理解できない。この理解のなさがヘリオガバルスの存在を歴史書から極力排除する方向へ導くのである。しかしなぜ排除なのか。人々のあいだで慣習化してしまっている同一性を主軸に据えたがる傾向がそうさせる。ところが世界の動向は向きを変える。これまで有効だった同一性優先という優生思想について、その殺人的傾向に対して、無視と排除で押しのけ斥け続けるわけにはいかなくなってきた。差異について、それは個別的な「差異的なものに過ぎない」として、無視する態度を押し通してきた哲学の歴史に対してドゥルーズは異議を申し立てる。

「つぎの二つの命題を考察してみよう。<類似しているものだけが異なる>および<諸差異だけが類似する>。前者の言表によって、類似は、差異の条件として定立される。たしかに、二つの事物が類似しているという条件のもとで異なるためには、ひとつの同一的な概念が可能でなければならない、ということがその言表によってさらに要請される。そればかりでなく、それぞれの事物とその同一的な概念との関係という意味において、類比がその言表によって持ち込まれる。その言表によって、最後に、差異が、それら三つの契機〔類似、同一性、類比〕によって規定された対立に還元されてしまう。反対に、後者の言表によるなら、類似ばかりでなく、同一性、類比、対立までもが、もはや、第一の差異の結果、その所産としてしか、あるいは、諸差異の第一のシステムの結果、その所産としてしかみなされないのである」(ドゥルーズ「差異と反復・上・P.313~314」河出文庫)

インタビューではもっと簡略に述べられている。

「たしかレヴィ=ストロースだったと思いますが、類似だけが差異を示すという命題と、類似を示すのは差異だけだという命題は、はっきり区別して考えなければならないのです。一方では複数の事物相互の類似が優先され、もう一方では個々の事物が差異をもち、まず自分自身との差異を示す。複数の直線はたがいに類似していますが、複数の襞は相違をあらわし、個々の襞も差異化する傾向にあるのです。ふたつの事物が同じ襞をもつことはありえません。たとえば、ふたつの岩が同じ褶曲をもつことはありえないのです。また、一個の事物の場合でも、一定した襞があるわけではない。ですから、いたるところに襞がありながらも、襞自体はけっして普遍ではないことになるわけです。襞とは『差異生成の要因』であり『微分=差異化』のことなのです」(ドゥルーズ「記号と事件・P.317」河出文庫)

なお、排除されてきたものの例としてニーチェが指摘する「『小さな欠陥』」というのは量の大小には関係がない。というのは、ニーチェが言及しているのは言語化の過程についてだからである。世界の人口問題でいえば、排除されてきた「『小さな欠陥』」は同一性の側からみた差異的なマイノリティ(少数派)のことを指す。ところが同一性を誇るマジョリティはその数の少なさにもかかわらずなぜかマジョリティとして世界を支配している。世界の大多数は圧倒的にマイノリティに満ちているにもかかわらず、実際にはほんの少数でしかない人々の側がマジョリティ(多数派)として君臨し、なおかつ圧倒的多数を占めるマイノリティの側が「『小さな欠陥』」として削ぎ落とされ排除されてきた。この事情の発生はまた言語と貨幣との密接で深い関係の固定化に根拠を持つと言わねばならない。差し当たり《教育の機会均等》と。所得格差が生んできた教育格差の問題と教育格差が再生産してきたさらなる所得格差から発生する社会的諸問題の系列。そしてそれはなぜ反復されてきたのか。要するに再生産様式として機能してきた「病気《としての》社会」。この時点で、「主体化した死《が》欲望する」諸力による再生産過程とその反復はすでに、慣習化され凝固し固定しステレオタイプ化されてしまっている。しかし社会がどれほど病んでいるにしてもなお、病気であるかぎり回復することもまた可能である。ところが資本が主導するこの回復過程はマジョリティへのマイノリティの編入と編集という加工=変造過程である以上、使い物にならなくなったマジョリティを廃棄処分し新しく生産されたマジョリティで欠損部分を補填する作業に過ぎない。激流あるいは劇薬として雪崩落ちてくる資本の流れの調整器として機能する国家の成立条件をなす公理系を創設する資本。公理系としての資本。「主体化した死《が》欲望する」諸力による再生産過程を絶え間なく生み出す問題《としての》資本。脱コード化の線の創設と逃走線の線の創設とは一つの同じ動作であること。可能性も不可能性も同時に生み出されるということ。その中で「無理にでもあがく」諸関係の所産としての人間。あがくことは誰もが持たざるを得ない事情として個別的には半ば認められるとしても、社会全体が「無理にでも」あがくという動作環境において、この「無理」を資本のための無理としてではなく、自分のための有意義なものに変えることはできない相談ではない。資本のために全体が「無理にでも」あがくという動作環境には「見せかけ」の部分がある。

「どのセリーも他のセリーの回帰によってのみ存在する以上、何も失われはしないのである。すべては見せかけ(シミュラクル)へと生成したのだ。それというのも、わたしたちは、見せかけ(シミュラクル)という言葉によって、たんなるイミテーションではなく、むしろ範型(モデル)つまり特権的な地位という考えそのものが或る行為によって異議を唱えられ、転倒されるようなまさにその行為〔現実態〕を理解しなければならないからである。見せかけ(シミュラクル)とは、即自的な差異を含む審廷である。それはたとえば、(少なくとも)二つの発散するセリーであり、そこでは当の見せかけ(シミュラクル)が遊び戯れ、あらゆる類似は廃止され、したがってオリジナルとコピーの存在をそれとして示すことができなくなる」(ドゥルーズ「差異と反復・上・P.195~196」河出文庫)

なおまたニーチェはいっている。

「私たちを取り巻く世界における《なんらかの》差異性や不完全な循環形式性の現存は、それだけでもう、すべての存立しているものの或る一様の循環形式に対する一つの《充分な反証》ではないのか?循環の内部での差異性はどこから由来するのか?この経過する差異性の存続期間はどこから由来するのか?すべてのものは、《一つのもの》から発生したにしては、《あまりにも多様すぎる》のではないか?そして多くの《化学的な》諸法則や、他方また《有機的な》諸種類や諸形態も、一つのものからは説明不可能ではないか?あるいは二つのものからは?ーーーもし或る一様の『収縮エネルギー』が宇宙のすべての力の中心のうちにあると仮定すれば、たとえ最小の差異性であれ、それがどこから発生しうるのだろうか?が疑問となる。そのときには万有は解体して、無数の《完全に同一の》輪や現存在の球とならざるをえないことだろうし、かくて私たちは無数の《完全に同一の諸世界を並存的に》もつことだろう。このことを想定することが、私にとっては必要なのか?同一の諸世界の永遠の継起のために、或る永遠の並存を?だが《これまで私たちに周知の世界》のうちなる《数多性や無秩序》が異議を唱えるのであり、発展の《そのような》同種性が存在したということはあり《え》ないことであり、さもなければ私たちとても或る一様の球形存在者になるという分け前に与ったにちがいないことだろう!」(ニーチェ「生成の無垢・下巻・一三二五・P.690~691」ちくま学芸文庫)

そこから次の論旨が導かれる。

「永遠回帰における車輪は、差異から出発しての反復の生産であると同時に、反復から出発しての差異の選別なのである」(ドゥルーズ「差異と反復・上・P.124」河出文庫)

さらに、当分の間、言い続けなければならないことがある。

「《自然を誹謗する者に抗して》。ーーーすべての自然的傾向を、すぐさま病気とみなし、それを何か歪めるものあるいは全く恥ずべきものととる人たちがいるが、そういった者たちは私には不愉快な存在だ、ーーー人間の性向や衝動は悪であるといった考えに、われわれを誘惑したのは、《こういう人たち》だ。われわれの本性に対して、また全自然に対してわれわれが犯す大きな不正の原因となっているのは、《彼ら》なのだ!自分の諸衝動に、快く心おきなく身をゆだねても《いい》人たちは、結構いるものだ。それなのに、そうした人たちが、自然は『悪いもの』だというあの妄念を恐れる不安から、そうやらない!《だからこそ》、人間のもとにはごく僅かの高貴性しか見出されないという結果になったのだ」(ニーチェ「悦ばしき知識・二九四・P.309~340」ちくま学芸文庫)

ニーチェのいうように、「自然的傾向を、すぐさま病気とみなし」、人工的に加工=変造して人間の側に適応させようとする人間の奢りは留まるところを知らない。今回の豪雨災害にしても防災のための「堤防絶対主義」というカルト的信仰が生んだ人災の面がどれほどあるか。「原発」もまたそうだ。人工的なものはどれほど強力なものであっても、むしろ人工的であるがゆえ、やがて壊れる。根本的にじっくり考え直されなければならないだろう。日本という名の危機がありありと差し迫っている。

BGM

言語化するジュネ/流動するアルトー40

2019年11月27日 | 日記・エッセイ・コラム
ジュリエットの娘の葬儀を眺めながらポーロはおもう。

「赤ん坊が生れおちるやいなや死んでしまったのは残念なことだ。ゆくゆくは、道ばたで物乞いするために二人で歌う術(すべ)を女中は娘に教えてやれたのに、彼女自身母親から教えられたように。狭い部屋の庭に向かって開いた窓のそばで、彼女たちは二人して、真剣に、調子を合わせ、心と財布を開かせる、ほろりとする魅惑的な歌をおぼえただろうに。芸術!偉大なる芸術」(ジュネ「葬儀・P.164」河出文庫)

どこにでもいるニヒリストの意識の流れが切り取られているようかのようだ。けれども当時はポーロに限らず、そんなふうに考える人々は少なくなかった。どれほど嫌味に聞こえたとしても、その世界の中で暮らしていると、嫌味が嫌味に思えなくなってくるのと同様に。だがしかし、「芸術!偉大なる芸術」と接続したのはジュネであり、書いているのがジュネであるかぎり、当然そうなる。芸術への意志と汚辱への意志とは等価である。そしてこの傾向はドイツにおいてよりもむしろフランスにおいてより一層根深いもののようにおもえる。ドイツの不気味さは目に見えて露悪的であってわかりやすい。一方、フランスの不気味さはナチスドイツ破滅の前にも後にも容易に尻尾をつかませないようなところがある。理性と非理性との境界線がまだ明確でなかった時代、他国に先駆けて両者を分別したのはドイツでなくイギリスでもなくロシアでもイタリアでもなくフランスだった。中世ヨーロッパのどこにでもいた様々な狂人を監禁するための大規模施設をわざわざ設け、区別し分類し計測し始めたのはフランスが最初である。そのときから理性と非理性との境界をなす目に見える壁が創設された。

場面は再びジュリエットに戻るがしばらくすると意識の流れはいきなりリトンに変容する。

「すさまじい孤独の真只中で、その孤独によって変貌させられた己れの姿を自覚することにーーー自分が死刑を宣告した都市の上に最後まで君臨する野蛮な戦の神ーーー彼は邪悪な悦びを、絶望的状況のなかで陽気に美しくとどまる悦びを味わうのだった」(ジュネ「葬儀・P.168」河出文庫)

リトンは若年のうちに社会から拒否された人間の一人である。自分を拒否したフランス社会を単純に憎悪している。だからリトンにとってフランスは自分の側から「死刑を宣告した都市」なのだ。理由は「<同胞>にたいする大いなる蔑み」である。拒否に遭ったという点では下降なのだが、フランス全体主義に対する軽蔑という点では上昇なのだ。

「『対独独立義勇軍』に入隊登録したその日から、<同胞>にたいする大いなる蔑みが理由でどれよりも美しい振舞いを選び取ったその日から、フランス(それを彼は無理からぬことだが社会そのものと混同していた)にたいする憎しみを通じて、そのような状況の中に彼はわざと意地悪く身を置いてきたのである」(ジュネ「葬儀・P.168」河出文庫)

だから『対独独立義勇軍』の中にはフランスの中で拒否に遭った人間たち、若年のごろつき、マフィアになれない中途半端なやくざ者、失業者ら、居場所のない人間たちがたいへん多かった。今度はまたいきなりジュネが顔を覗かせる。

「私はリトンと同じ魂の持ち主だ。ヒットラー流のやり方である海賊的振舞い、この上なく気違いじみた追剥ぎ沙汰が、堅気な連中の憎しみを、だが私の場合には深い讃美と共感を呼びさますのは無理もない」(ジュネ「葬儀・P.169」河出文庫)

という感覚はそもそもジュネ的感性から到来する。けれども、実際にドイツに行ったときにジュネが意識せざるを得なかった違和感については次作「泥棒日記」でようやく書かれる。

「アントワープに行き着く前に、わたしはヒットラー治下のドイツを通ってきたのだった。そこには数ヶ月とどまっていた。わたしはポーランドからブレスラウを経て、徒歩でベルリンに着いた。わたしはできれば盗みがしたかった。しかしある不思議な力がわたしを抑制していたのだ。当時、ドイツはヨーロッパ全体に恐怖の念を起させていた。この国は、特にわたしにとって、残酷の象徴となっていた。それはすでに法の外(アウトロー)の存在だったのだ。ウンター・デン・リンデンでさえ、わたしは、盗賊の堡塁(ほるい)の中を歩いているような気がした。最も謹直なベルリン市民の脳髄の中にも、詐佯(いつわり)の、憎悪(ぞうお)の、害心の、残忍さの、邪望の、稀有(けう)な宝が満ちているように思われた。わたしは、その全体が非合法の存在たる宣告を受けていたこの国民の中で自分がひとり自由な人間であることに心の動揺を覚えた。わたしも結局はよそのようにこの国でも何度か盗みをしたにはちがいないが、しかしその場合、一種の間の悪さを感じたのだった。なぜなら、この盗みという活動を指揮運転するもの、そしてこの活動の結果生ずるものをーーーこの特殊な倫理的態度が、この場合、公共的美徳としてうち建てられてーーーこの国民全体が体得し、それを他の諸国民に差向けていたからである。

『これは泥棒の国なのだ』と、わたしは心の中で感じた。『ここで盗みをしても、おれはなんら特異な、そしておれをよりよく実現させることのできる、行為を遂行することにはならない、ーーーおれはその平常の秩序に従っているだけなのだ。おれはそれを破壊しない。おれは悪をなさず、何ものをも乱さない。世の非難を惹(ひ)き起こすことは不可能だ。おれは空(あだ)に盗みをするのだ』

わたしには、掟(おきて)を司(つかさど)る神々が憤怒せず、ただ唖然(あぜん)としているように思われた。わたしは恥ずかしかった。わたしはなんとしても、現行の道徳の掟が信仰の的になっているような、その掟の上に生活が築かれているような国へ戻りたいと念じたのだった。わたしはベルリンでの生活の方法として売淫(ばいいん)を選んだ。それは数日のあいだわたしをいっぱいに満たしてくれたが、その後は倦(うと)ましくなった」(ジュネ「泥棒日記・P.174~175」新潮文庫)

とはいえ、ジュネはナチスドイツによる略奪行為を非難しているわけではない。ドイツ国家全体が他国への侵略略奪を美徳として掲げているところでは、ジュネのような「泥棒、裏切り、性倒錯」は逆に巨大な暗黒の中に埋れてしまい光り輝くことができないため落胆するほかなかったという意味でそう述べるのである。ジュネの心情はそう単純なものではない。次の文章にあるように、ジュネは或る光景に出会すといつも感じるほかない両極に対立し分裂する自分という矛盾に気づかないわけにはいかない。

「いつだったか、胸壁の背後からフランス人に向かって発砲しているドイツ兵の姿を見かけたとき、自分がドイツ兵の仲間に加わらないことに、銃を手にして、枕を並べて打ち死にせぬことに、私はとつぜん恥ずかしさをおぼえたものだ。けれどもこの恥ずかしさと対立するいま一つの事実にも目をつむるわけにはいかない、それはニュース映画でドイツ軍の制服をまとったフランスの最初の志願兵たちがロシヤ戦線へ向かって歌をうたいながら出発して行くのを見たとき、映画館の暗がりの中で思わず私は顔を赤らむのを感じたということだ。この矛盾の解明に私は努めるつもりだ」(ジュネ「葬儀・P.169」河出文庫)

さて、アルトー。欲望とは何か。諸事物と力とが結合されやいなや生ずる流動する諸器官である。そのとき諸事物はばらばらに散乱した支離滅裂性であることを止める。ところが諸器官はまだ強度の統一性としてしか存在しない。統一性はなおかつ同時に多様性でもある。力と結合された以上、欲望はすでに発生している。統一としては一元論的だが、多様性としてはアナーキーでもある。要するに統一として《も》アナーキーとして《も》考えることのできる世界があり、この、欲望する諸力の具体的かつ象徴的存在として、皇帝ヘリオガバルスは誕生してこなくてはならない、ということになる。

「そして固い事物があり、しかもそれは希少性という固体のなかにあって、ただひとつしかない物質の集まりがあり、しかもそれが完全なものの観念を与えているのと同様にーーー同じく『統一性』から不意に現れる『存在』を説明するための諸存在があるのだ」(アルトー「ヘリオガバルス・P.94」河出文庫)

流動する強度だけが「『統一性』から不意に現れる『存在』を説明するための諸存在」としてにょろにょろ蠢いている。どういうことか。

「器官なき身体は強度にしか占有されないし、群生されることもないように出来ている。強度だけが流通し循環するのだ。器官なき身体はまだ舞台でも場所でもなく、何かが起きるための支えでもない。幻想とは何の関係もなく、何も解釈すべきものはない。器官なき身体は強度を流通させ生産し、それ自身、強度であり非延長である《内包的空間》の中に強度を配分する。器官なき身体は空間ではなく、空間の中に存在するものでもなく、一定の強度をもって空間を占める物質なのだ。この度合は、産み出された強度に対応する。それは強力な、形をもたない、地層化されることのない物質、強度の母体、ゼロに等しい強度であり、しかもこのゼロに少しも否定的なものは含まれていない。否定的な強度、相反する強度など存在しないのだ。物質はエネルギーに等しい。ゼロから出発する強度の大きさとして現実が生産される。それゆえ、われわれは器官なき身体を有機体の成長以前、器官の組織以前、また地層の形成以前の充実した卵、強度の卵として扱う。この卵は軸とベクトル、勾配と閾、エネルギーの変化にともなう力学的な傾向、グループの移動にともなう運動学的な動き、移行などによって決定されるのであり、《副次的形態》にはまったく依存しない。器官はこのとき純粋な強度としてのみ現われ、機能するからだ」(ドゥルーズ&ガタリ「千のプラトー・上・P.314」河出文庫)

うねりくねる強度しかない状態。アルトーのいう「精神」でありニーチェのいう「力」である。

「何ものも機能としてしか実在しないし、すべての機能はただひとつの機能に帰着するーーー皮膚を黄色くする肝臓、梅毒になる脳、糞便を押し出す腸、火花を散らし、火花の位置を変える視線は、もし私が息を引きとるなら、私にとって、生きていることへの悔恨と、それにけりをつけてしまいたいという私の欲望に帰着する」(アルトー「ヘリオガバルス・P.95」河出文庫)

神が命じる有機体からの切断。それは死しかない。アルトーは死を意志しているかのようだ。ところが違っているのはアルトーが生きている社会は資本主義であるという点であって、ヘリオガバルスが生きていた古代ローマでは《ない》という点である。誤読の余地が生じてくる。誤読を廃するには先に述べておかなかればならない。そもそもアルトーがわざわざヘリオガバルスを持ち出してきたのにはわけがある。第一に、アルトーがヘリオガバルスを通して見る《アナーキー》は、今の資本主義の《脱コード化》の運動に対応しているということ。第二に、アルトーがヘリオガバルスを通して見る《統一性》は、今の資本主義の《再領土化》の運動に対応しているということ。さらに現代社会では脱コード化とともに公理系が出現する。脱コード化の運動と、それに伴って創設される公理系化の運動は、両者ともに同時に行われる同じ動作である。

たとえば、本当に「人生百年時代」が達成されるとする。しかしこの《脱コード化》に伴って「健康寿命」を延長させるための諸施設の創設という《公理系》の創設が同時になされないならば、それは両者ともに同時に行われる同じ動作だということはできない。「人生百年時代」はただ単なる看板倒れに終わる。投資は無効化するであろう。逆に投資が無効化せずに資本主義がロシア革命を消化できたのはなぜか。

「資本主義は、古い公理に対して、新しい公理⦅労働階級のための公理、労働組合のための公理、等々⦆をたえず付け加えることによってのみ、ロシア革命を消化することができたのだ。ところが、資本主義は、またさらに別の種々の事情のために(本当に極めて小さい、全くとるにたらない種々の事情のために)、常に種々の公理を付け加える用意があり、またじっさいに付け加えている。これは資本主義の固有の受難であるが、この受難は資本主義の本質を何ら変えるものではない」(ドゥルーズ&ガタリ「アンチ・オイディプス・P.303~304」河出書房新社)

そして。

「《国家》は、公理系の中に組み入れられた種々の流れを調整する働きにおいて、次第に重要な役割を演ずるように規定されてくることになる。つまり、生産とその企画に対しても、また経済とその『貨幣化』に対しても、また剰余価値とその吸収(《国家》装置そのものによるその吸収)に対しても」(ドゥルーズ&ガタリ「アンチ・オイディプス・P.304」河出書房新社)

とあるように、国家は公理系によって包摂され、公理系のないところには国家もないという状況を作り上げてしまった。しかし国家を包摂した公理系は何によって創設され、公理系化した国家は何によって創設されつつ同時に回収されているのか。資本である。だからといって、資本の是非がどうしたこうしたというのではなく、注意深く見ておかないといけないのは、「公理系は資本そのものと一体をなしている」という具体的現実だろうとおもわれる。

「かさねていえば、この《国家》が、あの公理系というものを発明したのではないのだ。何故なら、この公理系は資本そのものと一体をなしているからである。逆に、この《国家》はこの公理系から生まれ、この公理系の結果であり、この公理系の調整を保証するものにすぎない」(ドゥルーズ&ガタリ「アンチ・オイディプス・P.302~303」河出書房新社)

脱コード化と公理系化とが同じ動作だといわれうるのはそのかぎりにおいてである。もっとも、今の日本では残念ながら「公理系の調整」は上手くいっているとは言い難いのだが。

アルトーの場合、もう死んだほうがよいと考えていた。地上で生きていても「神の裁き」として有機体に縛りつけられ拘束され続け窒息してしまうよりはそのほうが合理的だと。ところがアルトーの時代と比較して今はどうか。ますます「公理系の中に組み入れられた」国家によって加速的に愚劣化してきた資本主義の中では自殺が得策である時代は急速に終わりつつある。むしろ宙吊りのニヒリズムが蔓延した今のような社会では自殺ですら馬鹿げていると感じられつつある。ドゥルーズとガタリは《もっと慎重に》なろうと述べる。

「非分節化すること、有機体であることをやめるとは、いったいどんなことか。それがどんなに単純で、われわれが毎日していることにすぎないかをどう言い表わせばよいだろう。慎重さ、処方量(ドーズ)のテクニックといったものが必要であり、オーバードーズは危険をともなう。ハンマーでめった打ちにするような仕方ではなく、繊細にやすりをかけるような仕方で進まなくてはならない。われわれは、死の欲動とはまったく異なった自己破壊を発明する。有機体を解体することは決して自殺することではなく、まさに一つのアレンジメントを想定する連結、回路、段階と閾、通路と強度の配分、領土と、測量士の仕方で測られた脱領土化というものに向けて、身体を開くことなのだ」(ドゥルーズ&ガタリ「千のプラトー・上・P.327~328」河出文庫)

二人とも「アンチ・オイディプス」の中で「器官なき身体」は自殺することでは《なく》「死のモデル」だといっていた。そしてさらに「千のプラトー」では「逃走線」を「死の線へと変えてしまう出口」《としての》「自殺行為」に注意を促していた。しかし英米の研究者からみて、「アンチ・オイディプス」にあった可能性が「千のプラトー」では変形されていると映って見えた。資本主義をより一層劇的に加速させて資本主義自身を死へ追い込むという部分が抹消されていたからである。この態度変更が二人の保守化を示すものとして映ったのは皮肉としかいいようがない。ドゥルーズとガタリの保守化に反対した研究者らは主にアメリカのトランプ政権支持に走った。よりいっそう資本主義を推し進めるべきだとして強硬姿勢を崩さなかったからである。ところがそれら資本主義急進派の声に押されて支持層に厚みを加えたトランプ政権は当然のことながらよりいっそう資本主義を推し進めたわけだが、押し進められたのはアメリカ国内の市場が平穏であるかぎりで部分的に留保された自由貿易主義であり、主導権は市場にはなく大統領と資本とのあいだにあり、グローバルな自由貿易は放棄された。アメリカは中国化したのである。それに先立つほぼ十年、懸案だったロシアのアメリカ化は達成されるかに見えていたがそう見えていたというだけで、ロシアの実質的権力者層は旧ソ連時代の権力者層の中の資本家化していた部分によって引き継がれたに過ぎない。ではなぜ、そういうことが起こってくるのか。自由主義的制度によって達成されるのは何かという問いに還元できるかもしれない。

「自由主義的制度は、それが達成されるやいなや、自由主義的であることをただちにやめる。あとになってみると、自由主義的制度にもまして忌まわしい徹底的な自由の加害者はいないのである。この制度が成就するものの《何であるか》は、よく知られている。すなわち、それは権力への意志を危うくし、それは山や谷をならして道徳へと高まったものであり、それは、卑小に、臆病に、享楽的にする、ーーーそれでもって凱歌をあげるのはいつでも群居動物である。自由主義、これは平たくいえば《群居動物化》のことにほかならない」(ニーチェ「偶像の黄昏・三八」『偶像の黄昏・反キリスト者・P.127』」ちくま学芸文庫)

たとえば、昨年一昨年で顕著だったように、豪雨災害が現実味を帯びてくる直前まで金融機関は公共交通機関による「計画運休」をためらわせる。それは金融機関自身があらかじめ計画している長期的計画に狂いが生じる可能性から出てくるためらいであって、自由が犯されるからためらうというわけではない。むしろ金融機関の側は極めて長期的な計画を立てておき、想定される結果の側から判断するのであり、その意味で金融機関は自由主義というキャッチコピーにもかかわらず途方もなく官僚主義的計画主義的な機関である。だから金融機関の力が強いときには官公庁の力が弱く、金融機関の力が弱いときには官公庁の力が強いというのは矛盾でも何でもない。すでに国家を飲み込んだ資本はいつも役割を分業化させている。

ところで、つい先日投票が行われ結果も出た香港の場合。今度どうするかを決めるのは香港の人々なのだが、どのような「自由主義的制度」を用いるかによって、結果を真逆に転倒させかねないといった事態が生じてくる。結果はいつでも原因にすり換えることができるからである。支配しているのは「死《への》本能」ではなく、逆に主体化した「死《が》欲望する」限りなく暴力的な脱コード化の諸運動だからである。しかしこの暴力的過程が完全に意識化されることはけっしてない。どんな過去があるにしても、いったん貨幣化されてしまえばもはや過去は跡形もなく消え去ってしまう。

「貨幣は、商品の価格を実現しながら、商品を売り手から買い手に移し、同時に自分は買い手から売り手へと遠ざかって、また別の商品と同じ過程を繰り返す。このような貨幣運動の一面的な形態が商品の二面的な形態運動から生ずるということは、おおい隠されている。商品流通そのものの性質が反対の外観を生みだすのである。商品の第一の変態は、ただ貨幣の運動としてだけではなく、商品自身の運動としても目に見えるが、その第二の変態はただ貨幣の運動としてしか見えない」(マルクス「資本論・第一部・第一篇・第三章・P.205」国民文庫)

という流れは激流であり劇薬でもあるが、この激流であり劇薬でもある流れを緩和し調整し編集する「整流器《としての》公理系」は世界のどこへ行っても途切れることなく絶え間なく作動している。たとえ香港で一時停止を余儀なくされたとしても、余儀なくされた瞬間、すかさず他の公理系が代理を果たすしいつでも代理できるよう、公理系は常に《待機中》としても存在している。

さらに、当分の間、言い続けなければならないことがある。

「《自然を誹謗する者に抗して》。ーーーすべての自然的傾向を、すぐさま病気とみなし、それを何か歪めるものあるいは全く恥ずべきものととる人たちがいるが、そういった者たちは私には不愉快な存在だ、ーーー人間の性向や衝動は悪であるといった考えに、われわれを誘惑したのは、《こういう人たち》だ。われわれの本性に対して、また全自然に対してわれわれが犯す大きな不正の原因となっているのは、《彼ら》なのだ!自分の諸衝動に、快く心おきなく身をゆだねても《いい》人たちは、結構いるものだ。それなのに、そうした人たちが、自然は『悪いもの』だというあの妄念を恐れる不安から、そうやらない!《だからこそ》、人間のもとにはごく僅かの高貴性しか見出されないという結果になったのだ」(ニーチェ「悦ばしき知識・二九四・P.309~340」ちくま学芸文庫)

ニーチェのいうように、「自然的傾向を、すぐさま病気とみなし」、人工的に加工=変造して人間の側に適応させようとする人間の奢りは留まるところを知らない。今回の豪雨災害にしても防災のための「堤防絶対主義」というカルト的信仰が生んだ人災の面がどれほどあるか。「原発」もまたそうだ。人工的なものはどれほど強力なものであっても、むしろ人工的であるがゆえ、やがて壊れる。根本的にじっくり考え直されなければならないだろう。日本という名の危機がありありと差し迫っている。

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言語化するジュネ/流動するアルトー39

2019年11月26日 | 日記・エッセイ・コラム
何をやっても無駄だという絶望的感覚とその持続感。ジュネのいうように「腑抜け」てしまったような感じ。何もしていないのに疲労の蓄積が止まらないようにおもえてくる。

「もっとも悲嘆は私たちを腑抜けにし、精神を攪乱する場合もある。あまりにも大きすぎる苦しみのために腑抜けになった人間のことを指して、下層の若者たちのあいだには、こんな言い廻しも行なわれている。いわく、《やつは『きんたま』にきたぜ》。そうなれば私たちは自分の悲嘆を定着できないために苦しみ、私たちの行為は疲労と悔恨の余光につつまれ、その行為が偽りに見えだすーーーちょっぴり偽りで、大体は真実であっても、私たちを充たさぬ以上偽りに」(ジュネ「葬儀・P.162」河出文庫)

ジュリエットは今後、自分を「充たさぬ以上偽りに」見えるほかない「疲労と悔恨の余光に」付き纏われていく。明確に輪郭を持っていた対象は急速にぼやけてしまい「行為は意味を持たなくなる」。

「どの行為にもなんとなく後ろめたさがつきまとう。ちょっとした切換えでその後ろめたさは解消し、万事しっくりいくように思えるのだが。だってその対象である人間がこの世に住まっているあいだは、その行為が完うさるだけでーーー或いは完うされるのを目にするだけで充分だが、相手がいなくなれば、ひそかに彼に愛を捧げる以外に行為は意味を持たなくなるからだ」(ジュネ「葬儀・P.162」河出文庫)

このような状態が急速に定着し内在化してしまうと「疲労と悔恨」の埒外に出ていきニヒリズムにおちいってしまう。もはや一時の苦悩ではなくなる。苦悩でさえなくなる。ニヒリズムは信仰に化ける。

「悲嘆は女中を千々に乱れさせるのだった。娘のことはときおりしか考えなかったが、自分を満足できる仕ぐさを実現できないことで悩んでいた」(ジュネ「葬儀・P.162~163」河出文庫)

そうとう困難な課題におもえる。自分で自分自身を「十分」に「満足」させ得るに足る「仕ぐさを実現」させることは。だから「仮面」がある。が、仮面にしてみたところで、一旦身についた仮面というものは、思わず知らずのうちに長いあいだ付けていたものであって、すでに慣習化され凝固し固定しステレオタイプ化されてしまった顔貌をいうのであってその他ではない。その起源を問うことはもうできない次元に立ち至った後の「素顔」のようになっていて、ほとんど「素顔化」している。ほとんど素顔化したような仮面を改めて剥がしてみようとしても、仮面の裏側には何一つない。空虚である。空虚ゆえに、むしろ人間は一つの仮面である。ふつう人間はつねに二重、三重の仮面を用意していて、適宜付け換えることを覚えてしまった。しかし仮面の付け換え作業に完全に慣れてしまったわけでもない。しばしば躊躇の身振りを見せてしまう。そのとき、仮面の多重性にもかかわらず、その内容の空虚さを露呈することがある。多様性と同時に空虚である。人間が自分自身の内面を深く覗き込んでびっくりするのは、その空虚さに対してであって、さらに空虚さの向こうにはまだ深々とした空虚が底なしに打ち広がっているかのようにおもわれるてくるからである。

「柵が半ば開いた農家の傍を通りかかった。犬はたぶん彼女を乞食女か浮浪者と取ったのだろう、だって彼女はびっこを引いていたからだ。匂いを嗅ぎにやってきて、吠えかかった。(犬があたしのために石を投げてくれれば)と彼女はひとりごちるのだった。(あたしは口にくわえて拾ってくるだろう)」(ジュネ「葬儀・P.163」河出文庫)

飼犬へ転倒した犬の心情におちいっているジュリエット。だが、「(犬があたしのために石を投げてくれれば)ーーー(あたしは口にくわえて拾ってくるだろう)」と飼犬化したのはジュネの心情の側である。ジュネは飼犬だ。とすれば「犬があたしのために石を投げてくれれば)」《悦んで》「(あたしは口にくわえて拾ってくるだろう)」、となる。最晩年のフィッツジェラルドが似たような精神状態を言語化している。「もしきみがたっぷり肉のついた骨を投げれば、ぼくはきみの手までなめるかもしれない」と。

「過去においてぼく自身の幸福はしばしば恍惚状態に近づき、最も親しい人たちと分ちあうこともできず、静かな街や小道を歩いて発散しなければならず、そのうちのわずかな断片が本のごく一部となって結晶したにすぎないーーーぼくの幸福自己欺瞞の才能でも、何でもかまわない例外だと思っている。それは自然ではなくて不自然なものーーー好景気と同じように不自然だった。ぼくのその後の経験は、好景気がすんだときに国民をのみこんだ絶望の波と同じだった。この事実を見きわめるのに数ヶ月をかけているけれどもぼくはこの新しい運命の中で何とか生きてゆくことだろう。アメリカの黒人たちは快活な禁欲主義によってたえがたい生存条件に耐えることができたが、真実への感覚を失ったようにーーーぼくの場合も代償を支払わなければならない。もうぼくは郵便屋や八百屋や編集者や従妹の夫に好意を持ったりしない。好意を持てば、彼らはぼくを嫌うだろうしそうなると人生はもうそんなに楽しくはなくなるだろう。ぼくのドアの上には『猛犬注意』の看板がいつもかかっていることになる。ぼくは正真正銘の犬になるつもりだけれども、もしきみがたっぷり肉のついた骨を投げれば、ぼくはきみの手までなめるかもしれない」(フィッツジェラルド「貼り合せ」『フィッツジェラルド作品集3・P.200』荒地出版社)

しかしジュネがもしそうであったなら、「ぼくはきみの手までなめるかもしれない」だけでなく「ぼくはきみの手まで《食べる》かもしれない」。そして残された骨の欠片をポケットに仕舞い込み、時折は愛撫して自分を慰めることになるだろう。

さて、アルトー。死物としての諸事物はなぜ諸力の運動を開始し、すでに開始しているのか。アルトーはこう説明する。

「物質は精神に《よって》のみ実在し、精神は物質の《なか》にのみ実在する」(アルトー「ヘリオガバルス・P.94」河出文庫)

ドゥルーズとガタリはこの状況について、具体的「身体」とそれを起動させる「力」の総合、として述べる。

「一つの身体は、それを規定する形態によって定義されるのでもなければ、規定された実体や主体として定義されるわけでもないし、それが所有する器官やそれが果たす機能によって定義されるのでもない。存立平面の上では、《一つの身体はもっぱら経度と緯度によって定義されるのだ》。つまりなんらかの運動と静止の、あるいは速さと遅さの関係のもとで、身体に所属する物質的要素(これが経度だ)と、なんらかの力、あるいは力能の度合のもとで、その身体が受けいれることのできる強度的な情動の総体(これが緯度だ)によって定義されるのである」(ドゥルーズ&ガタリ「千のプラトー・中・P.207」河出文庫)

したがってアルトーにはもう迷いがない。哲学がいつも要求してくる心身二元論に決着を付けたことになる。力を獲得した諸事物にとって、諸原理あるいは諸法則は必要なくなる。

「諸事物を説明できる原理があるかどうかを知るというこの問いに対しては、諸原理はなく、諸事物があると答えるのはいまでは私には容易であるように思える」(アルトー「ヘリオガバルス・P.94」河出文庫)

ここでアルトーは「物質」よりも「精神」に推進力を与えている。というのは、アルトーのいう「精神」はニーチェのいう「力」であり、「力」のないところではどんな「物質」も死物のままだという事実は動かしようがないからである。

とはいえしかし、ニーチェのいう「異他を同化する精神の力」は同一化へ向かってと同時に非同一化へも向かうものとして描かれている。

「異他を同化する精神の力は、新しいものを古いものと相似にし、多様を単純にし、全く矛盾するものを看過し、または押し除(の)ける強い傾向のうちに現われる。同様にまた、精神は異他的なもの、『外界』のあらゆるものの特定の画線を勝手に強調したり、際立(きわだ)たせたり、適当に変造したりする。その際に精神の意図するところは、新しい『経験』を消化し、新しい事物を古い系列に編入すること、ーーー従って成長することにある。更に明確に言えば、成長の《感情》、増大した力の感情にある。この同じ意志に、精神の一見して反対の衝動も奉仕する。無知を求め、勝手に閉じ籠(こ)もろうとする突然に勃発する決意とか、自己の窓の閉鎖とか、この或いはあの事物に対する内的な否定的発言とか、近寄ることの禁止とか、多くの知りうるものに対する一種の防御状態とか、暗黒や閉ざされた地平に対する満足とか、無知に対する肯定と是認など、すべて同然である。これらすべては、精神の同化力の程度に応じて、具象的に言えば、精神の『消化力』の度合いに応じて、それぞれ必要なのである。ーーーそれで、実際『精神』は最もよく胃に似たものなのだ」(ニーチェ「善悪の彼岸・二三〇・P.213~214」岩波文庫)

とすれば、消化される前には様々な「異他的なもの」があったにちがいなく、最も強力な胃だけがそれら様々な「異他的なもの」を消化することができ、そうして始めて「異他的なもの」を同一化することができるに違いないということになる。ところがニーチェが胃を参照しているのは、ニーチェ自身、胃腸の不調に悩み続けた生涯を送ったからだ。だから、多様なもののすべてを消化しきることはできないし、また多様なもののすべてを消化してしまわないわけにもいかないという、中途半端な宙吊り状態を生きることを余儀なくされていた。ニーチェがよく用いる「身体を手引きとして」という言葉は、そういうニーチェの身体自身の苦悶から発生してきた思想の条件として作用している。完全な同一化はなく完全な非同一化もまたない。だからニーチェは同一性への意志を認めないわけにはいかないだけでなく多様性への意志をも同時に肯定しないわけにはいかないのである。ニーチェ的矛盾の表現はそこから出てくる。また精神の力が用いる同化力にニーチェが注意を促すのはそれが「新しいものを古いものと相似にし、多様を単純にし、全く矛盾するものを看過し、または押し除(の)け」てしまう、という事情に関してである。それは言語問題へ引き継がれる。

「言語はもろもろの大きな先入見を含んでおり、また維持している、たとえば、《一つの》語でもって表わされるものは当然また《一つの》出来事であるという先入見がそうである。意欲、欲求、衝動ーーーこれらは複雑なものなのだ!」(ニーチェ「生成の無垢・下巻・三三・P.28」ちくま学芸文庫)

またはこうも。

「『統一』として意識されるにいたるすべてのものは、すでにおそろしく複合化している。私たちはつねに《統一の見せかけ》をもつにすぎない」(ニーチェ「権力への意志・下巻・四八九・P.33」ちくま学芸文庫)

という事情である。

さらに、当分の間、言い続けなければならないことがある。

「《自然を誹謗する者に抗して》。ーーーすべての自然的傾向を、すぐさま病気とみなし、それを何か歪めるものあるいは全く恥ずべきものととる人たちがいるが、そういった者たちは私には不愉快な存在だ、ーーー人間の性向や衝動は悪であるといった考えに、われわれを誘惑したのは、《こういう人たち》だ。われわれの本性に対して、また全自然に対してわれわれが犯す大きな不正の原因となっているのは、《彼ら》なのだ!自分の諸衝動に、快く心おきなく身をゆだねても《いい》人たちは、結構いるものだ。それなのに、そうした人たちが、自然は『悪いもの』だというあの妄念を恐れる不安から、そうやらない!《だからこそ》、人間のもとにはごく僅かの高貴性しか見出されないという結果になったのだ」(ニーチェ「悦ばしき知識・二九四・P.309~340」ちくま学芸文庫)

ニーチェのいうように、「自然的傾向を、すぐさま病気とみなし」、人工的に加工=変造して人間の側に適応させようとする人間の奢りは留まるところを知らない。今回の豪雨災害にしても防災のための「堤防絶対主義」というカルト的信仰が生んだ人災の面がどれほどあるか。「原発」もまたそうだ。人工的なものはどれほど強力なものであっても、むしろ人工的であるがゆえ、やがて壊れる。根本的にじっくり考え直されなければならないだろう。日本という名の危機がありありと差し迫っている。

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