白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21(番外編)・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて73

2022年10月31日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

散歩。

 

琵琶湖の湖西はとりわけ地蔵の多い土地柄です。なかでも有名なものに「坂本六地蔵(さかもとろくじぞう)」と呼ばれる六体の地蔵があります。昨日に引き続き今日もそのうちの二体を見に行きたいと思います。今回目印となるものはほとんどありません。通学路が多いため徒歩でてくてく探してみるのが適しているかもしれませんね。

 

「名称:“瓢箪辻子(ひょうたんつじこ)道標”」(2022.10.31)

「一(ひと)しぐれしぐれてあかし辻行灯(つじあんど)」(去来)

 

瓢箪辻子(ひょうたんつじこ)を西へ歩いてすぐの明良地蔵(あきらじぞう)。

 

「名称:“明良地蔵(あきらじぞう)”」(2022.10.30)

「心なき身にもあはれはしられけり鴫(しぎ)たつ沢の秋の夕暮」(西行)

 

明良地蔵の右隣に弁財天があります。

 

「名称:“弁財天(べんざいてん)”」(2022.10.30)

「いかにしておどろかすらむ夢(ゆめ)よりも砧(きぬた)の音(をと)はさだかならぬに」(頓阿法師)

 

かつてここにも馬場があったようです。

 

「名称:“明良馬場(あきらばば)道標”」(2022.10.30)

「汲(く)まんとする泉をうちて夕蜻蛉(ゆふあきつ)」(飯田蛇笏)

 

さらに西へ。石積みの門が見えます。

 

「名称:“石積み”」(2022.10.31)

「わきてなど庵(いほ)もる袖のしぐるらん稲(いな)葉にかぎる秋の風かは」(慈円)

 

電車の踏切があります。気をつけて渡りましょう。右を見ると駅に電車が止まっています。

 

「名称:“京阪電車石坂線坂本比叡山口駅”」(2022.10.31)

「志賀越(しがごえ)とありし被(かずき)や菊の花」(嵐雪)

 

踏切を渡るとすぐ柿の木のある町屋が見えます。

 

「名称:“町屋”」(2022.10.31)

「去るものは去りまた充ちて秋の空」(飯田龍太)

 

「名称:“柿の木”」(2022.10.31)

「腸(はらわた)に秋のしみたる熟柿(じゅくし)かな」(支考)

 

坂をのぼると旧北國街道(ほっこくかいどう)=「つくりみち」に出ます。「つくりみち」を今度は南へ向かって歩きましょう。

 

「名称:“芭蕉”」(2022.10.30)

「道くだり拾(ひろ)ひあつめて案山子(かがし)かな」(桃隣)

 

「名称:“芭蕉”」(2022.10.30)

「蜘(くも)の巣(す)の是(これ)も散行(ちりゆく)秋のいほ」(路通)

 

旧北國街道(ほっこくかいどう)を坂本から大津へ向かう際、古くは大津道(おおつみち)と呼ばれていました。

 

「名称:“旧北國街道(ほっこくかいどう)=大津道(おおつみち)”」(2022.10.31)

「義仲寺(ぎちゅうじ)へいそぎ候はつしぐれ」(一茶)

 

逆に旧北國街道(ほっこくかいどう)を大津から坂本へ向かう際は坂本道(さかもとみち)。

 

「名称:“旧北國街道(ほっこくかいどう)=坂本道(さかもとみち)”」(2022.10.31)

「ともすれば鳰(にほ)の浮巣(うきす)のうきながら水隠(みがく)れはてぬ世(よ)をなげく哉」(兼好法師)

 

「名称:“町屋”」(2022.10.31)

「塗盆の曇るや柿のつめたさに」(長谷川春草)

 

「名称:“ススキ”」(2022.10.30)

「薄(すすき)活けて一と間に風の湧くごとし」(佐野美智)

 

「名称:“ススキ”」(2022.10.30)

「花すすき又露(つゆ)ふかしほに出(い)でてながめじとおもふ秋のさかりを」(式子内親王)

 

ようやく到着しました。

 

「名称:“穴太地蔵(あのうじぞう)道標”」(2022.10.30)

「武帝(ぶてい)には留守(るす)と答へよ秋の風」(其角)

 

「名称:“穴太地蔵(あのうじぞう)”」(2022.10.30)

「地下水道をいま通りゆく暗き水のなかにまぎれて叫ぶ種子あり」(寺山修司)

 

お疲れさまの三日間でした。

 

二〇二二年十月三十日~三十一日撮影。

 

参考になれば幸いです。

 

 

 


Blog21・繰り返し見出されるアルベルチーヌの逃走線/狂気への<私>

2022年10月31日 | 日記・エッセイ・コラム

パリへ移動後、<私>はアルベルチーヌの案内役をアンドレに託していた。もっとも、アルベルチーヌとアンドレの二人はアンカンヴィルのカジノで、身体をくっつけ合いながら刺激的で官能的な笑いを漏らしつつワルツを踊っていた、その同じ二人の女性である。<私>は不安でないのか。差し当たり不安でない。第一にアンドレと<私>との信頼関係がそこそこ強固だったことにある。アルベルチーヌ経由の情報だが、バルベック滞在時、アンドレが愛しているのは確かに<私>だったからだ。<私>と会った後のアンドレの身振りは「話しかた」といい「理屈のこねかた」といい、<私>そっくりであり過ぎて、アルベルチーヌたちに大いなる笑いを提供していた。

 

「一方で、わが恋人の案内役にアンドレを選んだのには(アンドレは、バルベックへもどる計画をあきらめて、たまたまパリにいた)、アルベルチーヌから、バルベックではアンドレが私に愛情をいだいていると聞かされていたという理由もある。そんな愛情が私に寄せられていたのは、ちょうど私がアンドレから嫌がられているのではないかと心配していた時期なので、もし当時そうと知っていたなら、私が愛したのはアンドレになっていたかもしれない。『あら、知らなかったの?』とアルベルチーヌは言ったものだ、『だって、あたしたち、そのことでこっそり笑いあっていたのよ。あなた、気がつかなかったかしら、アンドレがあなたとそっくりの話しかたや理屈のこねかたをするようになってたことに?とくにあなたと別れてきたばかりのときなんか、そりゃ一目瞭然だったもの。アンドレがあなたに会ってきたなんて言う必要もなかったわ。だってあの娘(こ)がこっちに来るとね、あなたのそばから来たときは、ひと目でわかるの。あたしたち、顔を見あわせて笑ったものよ』」(プルースト「失われた時を求めて10・第五篇・一・P.43~44」岩波文庫 二〇一六年)

 

だから<私>がバルベックで目撃し衝撃を受けたアルベルチーヌに関する「波紋もいまは止んでいた」。プルーストはこう書く。

 

「バルベックでアルベルチーヌが私にヴァントゥイユ嬢のことを話したとき、その手の波紋が私の心を根底から揺さぶったが、その波紋もいまは止んでいた。私がもはやアルベルチーヌを愛していなかったのは、バルベックで路面(トラム)に乗車中、アルベルチーヌの思春期がどんなものであったかを知り、もしかすると何度もモンジュヴァンを訪ねたことがあると知ったときに私が感じた苦痛がいまや癒えて、跡形もなく消え失せていたからである」(プルースト「失われた時を求めて10・第五篇・一・P.45~46」岩波文庫 二〇一六年)

 

ところがプルーストはすぐ次にこう続ける。

 

「しかしときにアルベルチーヌの話しぶりの端々から私がーーーどういうわけかーーー想像したのは、アルベルチーヌがいまだごく短いその人生のなかで褒めことばや愛の告白をふんだんに聞かされ、それを嬉々として、さらにいえば官能の歓びをもって、受け入れてきたにちがいないことだった」(プルースト「失われた時を求めて10・第五篇・一・P.46」岩波文庫 二〇一六年)

 

アルベルチーヌに対する不審感は続いているというべきだろうか。そうではない。「私が感じた苦痛がいまや癒えて、跡形もなく消え失せていた」というのは事実である。むしろ「アルベルチーヌの話しぶりの端々から」とあるように、アルベルチーヌが<私>の前で見せる身振り(言葉・振る舞い)が、その都度、新しい不審感を出現させるのである。<或る身振り>が<別の身振り>を呼び寄せ呼び集め、その<別の身振り>がさらに<第三の身振り>を新しく出現させる。終わりなき記号の系列が延々と引き延ばされていくばかりなのだ。

 

せっかくバルベックから離れパリへ移ったにもかかわらず、今度はパリゆえにアルベルチーヌに関するあらゆるイメージが極めて危険なものに思えてくる。いったん封印したと思われたアルベルチーヌのトランス(横断的)性愛の系列。おそらくその系列は果てしがない。頭の中に浮かんでは消え、また浮かんでは消え、そのたびに繰り返し<私>を責め苛む嫉妬の脅威。対抗するのは「無駄」である。どんな手段も所詮はほんのいっときの対処療法に過ぎないからだ。この種の「私の苦しみは、よくよく考えてみれば、アルベルチーヌが死ぬか私が死ぬかしないかぎり終わるはずがないのだ」。

 

「なぜ無駄かというと、そんな相手はいずれ捨てられ、べつの相手にとって替わられるからで、かくしてアルベルチーヌが軽々しくうち捨てる屍(しかばね)が点々とつづく道と並行して、私にはごく束の間の休息でかろうじて中断されるだけの冷酷なもう一つの道がつづいてゆくことになるだろう。したがって私の苦しみは、よくよく考えてみれば、アルベルチーヌが死ぬか私が死ぬかしないかぎり終わるはずがないのだ」(プルースト「失われた時を求めて10・第五篇・一・P.49~50」岩波文庫 二〇一六年)

 

アルベルチーヌを連れて「ゴモラ(女性の同性愛)の町」から離れ去ったと信じ込んでいたのはたった一人、<私>の中に無数に共存している人格の一つに過ぎない。なんとお目出たい<私>であることか。逆にアルベルチーヌは<私>が思いも寄らない無数の逃走線を自由に往来することができる。同じ土俵に立てない<私>にすれば「アルベルチーヌはつねに私から逃げおおせるのだ」。

 

「じつをいえばバルベックを発つとき、私はゴモラの町を後にして、そこからアルベルチーヌを引き離したつもりでいたが、遺憾ながらゴモラはこの世の隅々にまでちらばっていたのだ。それで私は、なかば嫉妬のせいで、なかばこの種の歓びにかんする無知のせいで(これはきわめてまれなことだ)、そうとは知らぬまにこのかくれんぼうの勝敗を決めてしまったようで、アルベルチーヌはつねに私から逃げおおせるのだ」(プルースト「失われた時を求めて10・第五篇・一・P.50」岩波文庫 二〇一六年)

 

プルーストが用いている言葉では、もはや<私>はアルベルチーヌに対する「警視総監」になるほかない。ところがそのような<私>の態度が、「失われた時を求めて」をただ単なる物語(ストーリー)として読んできたすべての読者が知るように、結果的にアルベルチーヌを自殺へ追い込んでしまう。だが、例えばドゥルーズやガタリ、バルトたちは「失われた時を求めて」をただ単なる物語(ストーリー)として読むという安易な考えを断ち切り、まるで異なる批評的地平を打ち立てることで「失われた時を求めて」をまったく新しい古典へと価値移動することに成功した。それらプルースト論は世界中の研究者の手から手へ速やかに行き渡った。ゆえにドゥルーズたちが論じたことをここで再び繰り返す必要はない。リサイクルが目的ではない。重要なのは、(1)なぜプルーストは何度も繰り返し同じテーマを反復するのか、(2)同じテーマの<隙間>にまるで別の様々なエピソードが繰り返し出現するのはどうしてか、(3)そのすべてに<私>が共鳴しているのはなぜか、でなくてはならないだろう。

 


Blog21(番外編)・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて72

2022年10月30日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

散歩。

 

琵琶湖の湖西はとりわけ地蔵の多い土地柄です。なかでも有名なものに「坂本六地蔵(さかもとろくじぞう)」と呼ばれる六体の地蔵があります。昨日に引き続き今日もそのうちの二体を見に行きたいと思います。今回目印となるのは二体とも大きなもの。しかし地蔵そのものを見つけるのは少しばかりむずかしいかもわかりません。まずは駅から。

 

「名称:“JR比叡山坂本駅”」(2022.10.30)

「秋風の吹(ふき)わたりけり人の顔」(鬼貫)

 

下車してすぐ北西の交差点角にあるハナミズキの茂み。

 

 

「名称:“ハナミズキ”」(2022.10.30)

「牧へとぶ木葉にあらぬ小鳥かな」(飯田蛇笏)

 

ハナミズキの枝葉の先に有名な大型スーパーのロゴが見えます。ロゴを目指して歩いてみましょう。

 

「名称:“ハナミズキ”」(2022.10.30)

「暮れしところに泊(とま)ろう稲架(はざ)も黄(き)なる里」(荻原井泉水)

 

スーパーのさらに北隣までやって来ました。駐車場出入口の脇に当たるため車に気をつけて。

 

「名称:“阿波羅屋地蔵(あばらやじぞう)”」(2022.10.29)

「山は暮(くれ)て野は黄昏(たそがれ)の薄(すすき)哉」(蕪村)

 

もう少し近づいてみましょう。阿波羅屋(あばらや)はもともと真言(しんごん)の「アラハシヤナ」から名づけられたと言われています。

 

「名称:“阿波羅屋地蔵(あばらやじぞう)”」(2022.10.29)

「秋の夜をひとりや鳴きて明かさましともなふ虫の声なかりせば」(西行)

 

さて次は?もう一度スーパーの南側へ戻ります。この辺りで最も大きな河川があります。

 

「名称:“大宮川(おおみやがわ)”」(2022.10.29)

「鶺鴒(せきれい)や飛石ほしき朝の川」(井月)

 

橋にプレートが見えます。

 

「名称:“大宮川(おおみやがわ)プレート”」(2022.10.29)

「朝霜に野鍛治(のかぢ)が散火(ちりび)走る哉」(一茶)

 

大宮川に架かる橋は幾つかあります。差し当たり日吉大社(ひよしたいしゃ)へ向かう日吉参道を目指します。この橋の場合、「鹿道(しかみち)5号橋(ごごうきょう)」とあります。「鹿道(しかみち)」は付近の旧地名。かつては山岳地帯から降りてきた鹿がときどき出没していたようです。JR湖西線は冬になると大雪で止まることがしばしばあります。だけでなく山と山の間を線路が走っている箇所で鹿と衝突して止まることが今なおあります。

 

「名称:“鹿道(しかみち)5号橋(ごごうきょう)プレート”」(2022.10.29)

「柴の戸やさしも寂しき深山べの月ふく風にさを鹿のこゑ」(後鳥羽院)

 

日吉参道をてくてくのぼって行きます。ずいぶん紅葉してきた木もあります。

 

「名称:“モミジ”」(2022.10.29)

「陶の神祭りや山の薄紅葉」(中村祐子)

 

ようやく日吉大社に着きました。ですが、そのすぐ手前左に道標が見えます。

 

「名称:“早尾地蔵(はやおじぞう)道標”」(2022.10.29)

「木兎(みみずく)の独(ひとり)わらひや秋の昏(くれ)」(其角)

 

地元の小中高校生もほとんど気づかないようなお地蔵さん。なるほど見た目は地蔵堂に見えないかも知れません。六角形の堂舎です。

 

「名称:“早尾地蔵(はやおじぞう)”」(2022.10.29)

「石越ゆる水のまろみを眺めつつこころかなしも秋の渓間に」(若山牧水)

 

「名称:“早尾地蔵(はやおじぞう)”」(2022.10.29)

「百舌(もず)に顔切られて今日が始まるか」(西東三鬼)

 

二〇二二年十月二十九日~三十日撮影。

 

参考になれば幸いです。

 


Blog21・相異なる無数の諸要素のせめぎ合いとしての<私>/「海」としてのアルベルチーヌの「青い目」

2022年10月30日 | 日記・エッセイ・コラム

<私>を構成する要素をどこまでも微細な部分にまで分割するとしよう。おそらく無数の要素を見出すことができるに違いない。しかしどんな諸個人も永遠に不滅の存在ではいられない。すべての要素がいずれはだんだん死滅していく。としてもなお「最後まで生き残る」要素というものを考えることはできる。例えばそれは、「コンブレーのメガネ屋がショーウインドーに飾っていた、陽が射しはじめると頭巾(ずきん)をぬぎ、雨が降りそうになると頭巾をかぶって天気を告げるあの小さな人形とそっくりの例の小人ではなかろうか」と。

 

「しかしときに私は、あらゆるもののなかで最後まで生き残るのは、コンブレーのメガネ屋がショーウインドーに飾っていた、陽が射しはじめると頭巾(ずきん)をぬぎ、雨が降りそうになると頭巾をかぶって天気を告げるあの小さな人形とそっくりの例の小人ではなかろうかと考えた」(プルースト「失われた時を求めて10・第五篇・一・P.28」岩波文庫 二〇一六年)

 

<私>は<私>がどこまでも分割可能な無数の諸要素から構成されていることを承知している。とともに、「この小人がいかに身勝手な存在であるかは、私自身がよく心得ている」というように、あらゆる要素がどれもまるきり同一なのでは全然ないと述べる。むしろ「この小人」は<私>の「心中のほかの『自我』」とは異なっていて、同一性とはまるで逆に「私が最期の息をしているときでも、ひと筋の陽の光さえ射してくればいたってご機嫌で、頭巾をぬいで『ああ、やっと晴れたぞ』と歌いだすだろう」と差異性を強調する。

 

「この小人がいかに身勝手な存在であるかは、私自身がよく心得ている。私がときに見舞われる息詰まりの発作は雨が降らないかぎり治らないが、この小人はそんなことにはお構いなく、私が待ちかねていたお湿りの最初の滴(しずく)がぱらぱらと落ちてくると、とたんに快活さを失い、仏頂面をして頭巾をかぶってしまう。それにひきかえこの晴雨計の小人は、私がたとえ臨終のときを迎え、心中のほかの『自我』がことごとく死滅し、私が最期の息をしているときでも、ひと筋の陽の光さえ射してくればいたってご機嫌で、頭巾をぬいで『ああ、やっと晴れたぞ』と歌いだすだろう」(プルースト「失われた時を求めて10・第五篇・一・P.28」岩波文庫 二〇一六年)

 

というのも、どの要素もまったく同一であるとすれば、もとより<私>を構成する要素はたった一つでことたりるからだ。しかし事実はそうではない。相異なる無数の諸要素が<私>という一つの身体の中でせめぎ合っているばかりか、そもそも中心を持たない「可変的」なものであり、時々刻々と「絶えず変化」しているからである。ニーチェの言葉ではこうなる。

 

「人間は諸力の一個の数多性なのであって、それらの諸力が一つの位階を成しているということ、したがって、命令者たちが存在するのだが、命令者も、服従者たちに、彼らの保存に役立つ一切のものを調達してやらなくてはならず、かくして命令者自身が彼らの生存によって《制約されて》いるということ。これらの生命体はすべて類縁のたぐいのものでなくてはならない、さもなければそれらはこのようにたがいに奉仕し合い服従し合うことはできないことだろう。奉仕者たちは、なんらかの意味において、服従者でもあるのでなくてはならず、そしていっそう洗練された場合にはそれらの間の役割が一時的に交替し、かくて、いつもは命令する者がひとたびは服従するのでなくてはならない。『個体』という概念は誤りである。これらの生命体は孤立しては全く現存しない。中心的な重点が何か可変的なものなのだ。細胞等々の絶えざる《産出》がこれらの生命体の数を絶えず変化させる」(ニーチェ「生成の無垢・下・七三四・P.361~362」ちくま学芸文庫 一九九四年)

 

アルベルチーヌの身体的変化の一つに「切れ長の青い目はーーーいっそう長くなってーーーもとの形をとどめてはいなかった」とある。「切れ長の青い目」。その青さに焦点を合わせて<私>は思う。「その色はたしかに同じであったが、目はいまや液体と化したように見えた」。そして「それゆえアルベルチーヌが目を閉じると、カーテンが閉まって海が見えなくなるような気がした」。

 

「肉体的にもアルベルチーヌは変化していた。切れ長の青い目はーーーいっそう長くなってーーーもとの形をとどめてはいなかった。その色はたしかに同じであったが、目はいまや液体と化したように見えた。それゆえアルベルチーヌが目を閉じると、カーテンが閉まって海が見えなくなるような気がした」(プルースト「失われた時を求めて10・第五篇・一・P.40~41」岩波文庫 二〇一六年)

 

アルベルチーヌは小鳥になったり植物になったり何かとせわしないが、その「青い目」は「海」になりもするのだ。

 


Blog21(番外編)・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて71

2022年10月29日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

散歩。

 

琵琶湖の湖西はとりわけ地蔵の多い土地柄です。なかでも有名なものに「坂本六地蔵(さかもとろくじぞう)」と呼ばれる六体の地蔵があります。今日はそのうちの二体を見に行きたいと思います。旧街道を歩きましょう。

 

「名称:“旧北國街道”」(2022.10.28)

「とんとんと歩く子鴉名はヤコブ」(高野素十)

 

旧北國街道をてくてく北上。大正寺川(たいしょうじがわ)の橋を渡るとすぐ左手の細い道へ折れます。上り坂になっているでのゆっくりのぼっていきます。

 

「名称:“苗鹿地蔵(のうかじぞう)”」(2022.10.28)

「あけぬとて野辺より山にいる鹿のあとふきおくる萩の下風」(左衛門督通光)

 

近くにこれといった目印はありませんが、山の斜面に柿の木や柚子の畑が広がっています。

 

「名称:“柿の木”」(2022.10.29)

「里古りて柿の木持たぬ家もなし」(芭蕉)

 

「名称:“柿の木”」(2022.10.29)

「人ごみの中手みやげの枝葉柿」(瀧井孝作)

 

「名称:“柚子”」(2022.10.29)

「柚子買の来てゐる空の蒼さかな」(結城美津女)

 

今度は南へ向かいます。旧西近江路(にしおうみじ)をてくてく。大宮川(おおみやがわ)の橋を渡ってすぐ右手に比叡辻地蔵(ひえいのつじじぞう)の道標が見えます。

 

「名称:“比叡辻地蔵(ひえいのつじじぞう)道標”」(2022.10.29)

「朝寒のけふの日なたや鳥の声」(鬼貫)

 

「名称:“比叡辻地蔵(ひえいのつじじぞう”」(2022.10.29)

「花につく赤小蜻蛉(あかこあきつ)もゆふされば眠りにけらしこほろぎのこゑ」(斎藤茂吉)

 

「名称:“比叡辻地蔵(ひえいのつじじぞう”」(2022.10.29)

「煩悩の闇路も地蔵祭かな」(井月)

 

その東側(琵琶湖側)に見えるのが新唐崎公園(しんからさきこうえん)。

 

「名称:“新唐崎公園(しんからさきこうえん)浜辺”」(2022.10.29)

「名月はどこでながめん草枕」(正岡子規)

 

「名称:“新唐崎公園(しんからさきこうえん)浜辺”」(2022.10.29)

「鳰沈みわれも何かを失ひし」(中村汀女)

 

「名称:“新唐崎の松”」(2022.10.29)

「吹(ふく)風の相手や空に月一つ」(凡兆)

 

「名称:“公園内の桜”」(2022.10.29)

「さん銭を落して払ふ落葉哉」(去来)

 

西近江路をぶらぶら。

 

「名称:“町屋”」(2022.10.29)

「月光にひらひらひらひら幹の鳶」(清崎敏郎)

 

「名称:“町屋”」(2022.10.29)

「海沿の道に灯が点き秋まつり」(大串章)

 

二〇二二年十月二十八日~二十九日撮影。

 

参考になれば幸いです。