白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

微視的細部8

2020年05月31日 | 日記・エッセイ・コラム
主人公はエルムノンヴィルへの途中で「道に迷いそうになった」。意識が曖昧になる。「道しるべの板の文字が、ところどころかすれていたから」迷うわけではない。「道しるべの板の文字が、ところどころかすれていたから」といって、必ずしも迷う必然性は出てこない。後の記述にあるように、目的地の情景はあまりにも細かく詳述されている。にもかかわらず、ここだけが、かつては頻繁に通った目的地へ至る途中の一部だけが、なぜこうも曖昧になっているのか、が問題とされなくてはならない。

「一瞬、道に迷いそうになった。さまざまな岐路を示す道しるべの板の文字が、ところどころかすれていたからである」(ネルヴァル「シルヴィ」『火の娘たち・P.249』岩波文庫)

だからといってこれはネルヴァルのミスではない。或る価値観を持つ場所から別の価値観を持つ場所への移動にはいつもぼんやりした意識混濁が伴う。たとえばイギリスのヴァージニア・ウルフ作品ではそのような過程が頻出する。手持ちの理論や常識的考え方ではとてもではないが「分析できない」ような意識状態に陥ったとき、作品「船出」の主人公レイチェルは或る事実の発見に立ち至る。

「分析できない感情をいくつも抱え込むという、これまでなかった事態に陥ったレイチェルは、自分の精神状態に何か良い効果をもたらす計画を立てることは不可能だった。ーーーわたくしが抱いているこの感情には名前がない、と思った」(ヴァージニア・ウルフ「船出・下・P.65」岩波文庫)

デビュー作品「船出」ではまだ単純である。旅行という形を取ってイギリスから南米への地理的移動から描かれているためか、それにともなう変化はあらかじめ想定されていると言える。しかし作品「灯台へ」では大仕掛けな場所移動があるわけではない。ラムジー夫人がさまようのは夜の思索の時間帯であり、あくまでも思索の中でという限定条件のもとにおいてであり、しかしそれゆえに、さまよい出ていくのはニーチェのいう意味での「力」である。

「考えること、いや考えることでさえなく、響き合いながら広がっていたすべてのものが、ゆっくり姿を消していく。やがて厳かな感じとともに、自分が本来の自分に帰っていくような、他人には見えない楔形(くさびがた)をした暗闇(ダークネス)の芯になるような、そんな気がする。相変わらずすわって編物を続けながら、夫人はこんなふうに自分の存在を感じていた。そしてこの隠れた自分は、余分なもの一切を脱ぎ捨てているので、自由に未知の冒険に乗り出すこともできそうだった。日常の人生がしばしの間見えなくなると、体験の領域は途方もなく広がり始める。誰にだって、この無限の力を感じることはできるはず、と彼女は思った。ーーー黒い楔形にならず普段の自分でいる限り、安らぎなどは見出しようがない。日頃の自分を脱ぎ捨ててこそ、苛立ち、焦り、心の動揺などがかききえていく。そしてこの平穏さ、この休息、この永遠の時間のただ中で、さまざまの事が一つに重なり合うとき、夫人の口許には、われ知らず、人生に対する勝利を謳(うた)う声が浮かんでくるーーー。いつもこんな時間にこんな気分で周囲を見ていると、見ている何かに自分が溶け込んでいくような気がする」(ヴァージニア・ウルフ「灯台へ・P.115~117」岩波文庫)

ラムジー夫人より若年層に属する画家志望のリリーは、立場上、ラムジー夫人を観察できる有利な立場にある。そんなリリーだが、しかし、見た目には全然わからないものの、或る種の錯乱状態に陥る。その直前、リリーは意識混濁を起こしている。印象的なシーンだ。

「リリーは外界についての意識を失い始めていた。そして周辺の事物の印象が薄れ、自分の名前や性格や容貌なども忘れて、ーーー彼女の心は、その奥底から、さまざまな場面や名前、言葉や記憶や観念を、まるで噴水のように噴き上げていった」(ヴァージニア・ウルフ「灯台へ・P.307」岩波文庫)

さらに、南米でもなく地方都市でもなく、ほかならぬロンドンのピカデリー周辺で、ダロウェイ夫人は気まぐれな散歩という過程を通過中に、次のように様々な思考を産出する。

「彼女はとても若いような気もし、お話にならないほど老けた気もした。ナイフみたいにあらゆるものの中へ切りこむし、外部にいて眺めてもいる。タクシーの群れを眺めていると、遠い遠い海の上にひとりぼっちでいるような、そんな気持ちによくなるし、たった一日でも生きていることが、とてもとても危険だという感じが、しょっちゅうする」(ヴァージニア・ウルフ「ダロウェイ夫人・P.13~14」角川文庫)

「自分はやがてかならず死滅するってことは、それほど大変なことなのかしら。わたしがいなくなっても、これらのすべてのことは平気でつづいて行くにちがいないってことは、怪(け)しからぬことなのかしら?それとも、いっそ、死は絶対に自己消滅だと信ずることが、かえって安心できるんじゃないかしら?自己は消滅しても、このロンドンの街路で、事物のうちに生きる、と信ずることが。だって、わたしは故郷の木々の一部分にちがいないのだ、また、あそこにいく棟にも分かれたしまりのない醜い家の一部分、会ったこともない人々の一部分なのだ」(ヴァージニア・ウルフ「ダロウェイ夫人・P.15」角川文庫)

「しかし今も時々、自分のものであるこの体が、(彼女はオランダの画家の絵を観るために立ちどまった)この体が、さまざまの能力をそなえていながら、まるでないもののようにーーーまったく知られないもののように思われるのだ。自分自身が眼に見えぬものとなり、ひとに見られず、知られないような、妙な気がする」(ヴァージニア・ウルフ「ダロウェイ夫人・P.17~18」角川文庫)

だからといってイギリスのウルフだけが特別だというわけではない。アメリカに渡ってみよう。フォークナーは書いている。

「彼は太陽が、やはり傾いた位置ではあったが、反対の方角から照りつけているのに気づいた。初め彼は自分が身を回していたからだと思った。それから、いまが夕方なのに気づいた。走っていて倒れたのは朝だったが、そしてそれから自分ではすぐに起きあがったように思えたが、いまは夕方なのに気づいた。『俺は眠ってたんだ』彼は思った。『六時間以上も眠った。走っているうちに知らずに眠りこんじまったんだな。どうもそうらしいな』彼は別に驚きを感じなかった。もう時間は、光と闇の領域は、とっくにその秩序を失っていた。ふと瞼(まぶた)を閉じ、一瞬とも思える時間の後で目を開けば、光か闇のどちらかが、入れかわっているといった感じだった。その一方から他方へ移るのが何時(いつ)のことか、彼には分らなくなっていた、自分が横になったのさえ知らず、眠りこんだのは何時か、覚めたのもおぼえずに歩きだしたのは何時か、彼には分らなかった。時には一夜の眠りがーーー藁(わら)塚や溝の中、空家(あきや)の屋根の下での眠りがーーー逃亡の時間である光や昼間を挟(はさ)まずに、すぐ次の一夜につながるように思われ、また逆に一つの昼間が逃亡と切迫感に満ちた次の昼間へと続き、その間は夜も休息のひまがなく、太陽はまるで沈むどころか、地平線に達する前にまた後戻りしているかに思われた」(フォークナー「八月の光・P.347~348」新潮文庫)

クリスマスは眠りのうちに昼と夜とがすでに等価性を持って実在していることに気づく。クリスマスは睡眠しているのであり意識混濁しているわけではないのだが、眠っているうちにクリスマスだけでなく世界中の人間はいったいどのような意識状態に陥っているかを考えてみれば驚くことは何一つない。クリスマスが気づいた重要なことは、一九三〇年頃のアメリカ社会にはもはや昼夜の区別はないに等しいという認識である。「六時間以上」眠ったはずだから日中に眠りだしたとすれば起きた時は夜であり逆なら逆であるにもかかわらず、「もう時間は、光と闇の領域は、とっくにその秩序を失っていた」と感じるほかない社会が出現した。そのような社会的規模の変化は睡眠と睡眠とのあいだの覚醒状態を通して意識化される。しかし覚醒と覚醒とのあいだの睡眠状態あるいは混濁状態を通過することなくして認識することは誰にもできない。そして一九三〇年代前半のアメリカ社会は、アメリカ全体がいつも、打ち続く不況の中を模索する途上に自分で自分自身の身を置いたという事実を抜きにして語ることはできない。

「アルコール飲みは、酔いを材料にして、想像的な過去を複合する。まるで、柔らかな過去分詞が、固い助動詞現在形に結合しに来たかのように。私は愛してしまったを-持っている、私は行なってしまったを-持っている、私は見てしまったを-持っている(j’ai-aimé, j’ai-fait, j’ai-vu)」(ドゥルーズ「意味の論理学・上・P.275」河出文庫)

一九二〇年代アメリカの、十年に渡る祝祭の日々、十年に渡るバブル、という「過去を-持っている」社会において、覚醒と睡眠との境界線は消滅しだし、「夜も休息のひまがなく、太陽はまるで沈むどころか、地平線に達する前にまた後戻りしているか」のような事態が出現した。そしてそのような諸力の運動は自動的に反復を《欲する》するほかなく、反復はその反復をさらに加速していくばかりの社会を出現させることになる。

ネルヴァルに戻ろう。エルムノンヴィルというのは主人公にとってどのような地だろうか。

「『アナルカルシス』と『エミール』の情景を興趣豊かに実現したような眺めを前にすると、かつてこの領地を所有していた人物がよみがえらせた、哲学的な古代のあらゆる記憶がそっくり戻ってきた」(ネルヴァル「シルヴィ」『火の娘たち・P.249~250』岩波文庫)

かつて「この領地を所有していた人物」が創設した地。別のところでこう書かれている。

「林のただ中にスイスを思わせるような風物がくっきりと現れ出るのは、自らの一族の故郷のおもかげを移植しようとしたルネ・ド・ジラルダンのアイデアによるものです」(ネルヴァル「アンジェリック」『火の娘たち・P.174』岩波文庫)

ただ、「スイス」といっても今のような国連規約に基づく「中立国」ではなく、そもそも「中立」などという立場は存在しない。存在しないがゆえにわざわざ当時の「理想主義者」の一群はそのような地を夢見たのだった。そして比較的恵まれた層に属する人々はそれをほんの僅かではあるが実現して見せもした。しかし主人公が見ている光景はそれから百年後の光景である。もはや廃墟、残骸である。ところが廃墟、残骸ゆえにますます想像力は羽ばたく。なかでもルソーが尊敬されているのはその理想主義にもかかわらず、実をいうとその緻密な分析にあったのではと思わせる部分がある。人間は近代化とともに「生活の知恵」あるいは「技術」を身につけたが、並行して、身体の可能性をだんだん喪失してきたのではなかろうかという問いである。

「未開人の身体は彼が知っているただ一つの道具であるから、彼はそれを今日では練習の不足のためにわれわれの身体ではできないようなさまざまな用途に使う。そして未開人が必要にせまられて獲得する力と敏捷さとをわれわれから奪いとるのは、じつにわれわれの生活の知恵なのである。もし彼が斧をもっていたなら、いま、彼の手首はあれほど強い枝を折るだろうか?もし石投げ器をもっていたなら、手であれほど力一杯に石を投げるだろうか?」(ルソー「人間不平等起源論・P.43」岩波文庫)

なるほど人間は「石投げ器」を発明し、さらに「生活の知恵」をいつも口実として利用しながら、その延長上で遂に原爆を発明した。また、ルソーは思想家であって「自称-予言者」というような近現代のほら吹きでもなんでもない。その上で次のようにいう。社会の上層部に属する人間たちがどさくさ紛れに「共通の敵を斥(しりぞ)け」ようと掛け声を上げ出したときは、それがなんであれ慎重に考え行動するようにと。

「富者は、隣人たちすべてを相互に対抗して武装させ、彼らの所有を彼らの欲求と同じように負担の大きいものにする状況、しかもどんな人も富のなかにも貧しさのなかにも安全を見出さないような状況の恐ろしさを彼らに説明してから、富者は隣人たちを、自分の目的へつれてゆくためのもっともらしい理由を、容易に説明したのである。彼は彼らにむかって言った。『弱い者たちを抑圧からまもり、野心家を抑え、そして各人に属するものの所有を各人に保証するために団結しよう。正義と平和の規則を設定しよう。それは、すべての者が従わなければならず、だれをも特別扱いをせず、そして強い者も弱い者も平等におたがいの義務に従わせることによって、いわば運命の気紛(きまぐ)れを償(つぐな)う規則なのだ。要するに、われわれの力をわれわれの不利な方に向けないで、それを一つの最高の権力に集中しよう、賢明な法に則ってわれわれを支配し、その結合体の全員を保護防衛し、共通の敵を斥(しりぞ)け、われわれを永遠の和合のなかに維持する権力に』。粗雑でおだてに乗りやすい人々をそそのかすためには、こんな弁舌に似たものすら要らないぐらいであった。もっとも彼らは、たがいの間で解決すべき事件があまりに多すぎて、仲裁者なしではすませなかったし、また、強欲と野心とがありすぎて、長い間、主人なしではすませなかったのだ。だれもかれも自分の自由を確保するつもりで、自分の鉄鎖へむかって駆けつけた。なぜなら、彼らは、政治制度の利益を感ずるだけの理性はもっていたけれども、その危険を見通すだけの経験をつんでいなかったからである。その弊害をもっともよく予感しえたのは、まさにこれを利用しようと思っていた者たちであった」(ルソー「人間不平等起源論・P.105~106」岩波文庫)

新しい政治制度がもたらす「弊害をもっともよく予感しえたのは、まさにこれを利用しようと思っていた者たち」だった。それは一般的な次元では一七八九年フランス革命前後にようやくはっきりしてきた。資本主義的生産様式を貫徹するためには「自由・平等・平和」というスローガンで一般大衆の総意を経る必要があったわけだが、ただ単にスローガンとして終わらせるだけではせっかく獲得した自由貿易体制であるにもかかわらず、特権階級だけの特権だと見抜かれてたちまち瓦解してしまう恐れがあった。だから生成期の資本主義はまだむき出しの暴力装置=国家を必要としていた。したがって支配者層が早急に必要としたのは新しい政治制度をよりいっそう打ち固め資本主義を確実なものにするための仕組み作りである。当時の富裕層は自分たちと一般市民とのあいだに議会と民主主義という形式を作り上げ押し込むことで一般大衆に少しばかり譲歩した。政治的装置として快調に作動するまでには幾つもの試練を経ることになるのだが、差し当たりこの形式民主主義という政治形態は成功をもたらした。ところがしかし、この譲歩は、最も上層に位置する富裕層からみれば自らの利益に反する「弊害」に見えて仕方がない。ところがこの譲歩なしに資本主義と自由貿易はない。計算するまでもなかった。まず最初に譲歩しておきナポレオン体制樹立と同時に確実となった資本主義は、だからフランスにおいて「徹底的」になされたと言われているわけである。もはや過去形だが。

さて、朦朧たる睡眠と覚醒との違いについてネルヴァルはこう述べる。両者のあいだにまだ区別が実在した最後の時期に属する。しかしネルヴァルは「道化=非理性=狂気」が混雑しながらも実在した古典主義時代の作者ではない。その後、古典主義時代に起こった事態の反復として十九世紀半ば突如として現われた。「オーレリア」発表は一八五五年。

「私にとって覚醒と睡眠との唯一の相違は、前者に在っては、一切が私の眼に変容することだった。近づいて来る一人一人が別人に見え、物品はその形を変える半陰影のようなものを帯び、光の反映、色の配合は崩れて、私を不断の一連の印象の中に置くのであった。それ等の印象はばらばらのものではなく、より外的要素を脱した夢によって、その真らしさを保たれて行った」(ネルヴァル「オーレリア・P.16」岩波文庫)

覚醒時に見るものはすべて諸商品の無限の系列のように変容してばかりいる。当たり前といえば当たり前だが。次のように。

「B 《全体的な、または展開された価値形態》ーーーz量の商品A=u量の商品B、または=v量の商品C、または=w量の商品D、または=x量の商品E、または=etc.(20エレのリンネル=1着の上着、または=10ポンドの茶、または=40ポンドのコーヒー、または=1クォーターの小麦、または=2オンスの金、または=2分の1トンの鉄、または=その他.)

ある一つの商品、たとえばリンネルの価値は、いまでは商品世界の無数の他の要素で表現される。他の商品体はどれでもリンネル価値の鏡になる。こうして、この価値そのものが、はじめてほんとうに、無差別な人間労働の凝固として現われる。なぜならば、このリンネル価値を形成する労働は、いまや明瞭に、他のどの人間労働でもそれに等しいとされる労働として表わされているからである。すなわち、他のどの人間労働も、それがどんな現物形態をもっていようと、したがってそれが上着や小麦や鉄や金などのどれに対象化されていようと、すべてのこの労働に等しいとされているからである。それゆえ、いまではリンネルはその価値形態によって、ただ一つの他の商品種類にたいしてだけではなく、商品世界にたいして社会的な関係に立つのである。商品として、リンネルはこの世界の市民である。同時に商品価値の諸表現の無限の列のうちに、商品価値はそれが現われる使用価値の特殊な形態には無関係だということが示されているのである。第一の形態、20エレのリンネル=1着の上着 では、これらの二つの商品が一定の量的な割合で交換されうるということは、偶然的事実でありうる。これに反して、第二の形態では、偶然的現象とは本質的に違っていてそれを規定している背景が、すぐに現われてくる。リンネルの価値は、上着やコーヒーや鉄など無数の違った所持者のものである無数の違った商品のどれで表わされようと、つねに同じ大きさのものである。二人の個人的商品所持者の偶然的な関係はなくなる。交換が商品の価値量を規制するのではなく、逆に商品の価値量が商品の交換割合を規制するのだ、ということが明らかになる」(マルクス「資本論・第一部・第一篇・第一章・P.118~120」国民文庫)

だが「外的要素を脱した夢によって」始めて「保たれる」ものがあり、ネルヴァルにはそれこそが「真らしさ」に思える。マルクスにすればそれは「夢」というフィルターを通してではなく、明らかに自然力としての労働力だということになるだろう。けれどもネルヴァルは「労働力だけ」でひとくくりにしようと考えているわけではない。ネルヴァルが考えているのは多分、後にニーチェがいうことになる「力への意志」だろう。アルトーにすればそれは「器官なき身体」である。しかしもっと重要なことは、ニーチェのいうように、夢を見ているとき人間は「不完全な状態に後退させられている」という事情を前提として、古代には「幻覚が異常にしばしばあって時には共同体全体・民族全体を同時に襲った昔の人類の諸状態を、われわれにふたたび思い出させる」ばかりか、その傾向は現代人の頭の中でさえ今なお何度も繰り返し生き生きと反復されているという点だろう。

「《夢と文化》。ーーー睡眠によってもっともひどく損われる頭脳の機能は記憶力である、それはまったく中絶するのではなくーーー人類の原始時代にはだれしも昼間や目覚めているときでもそうであったかもしれぬような、不完全な状態に後退させられている。実際それは恣意的で混乱しているので、ほんのかすか似ているだけでもたえず事物をとりちがえるのであるが、その同じ恣意や混乱でもって、諸民族は彼らの神話を詩作したのであった。そして今でもなお旅行者は、どれほどひどく未開人が忘れがちであるか、どれほどその精神が記憶力の短い緊張ののちにあちらあこちらとよろめきはじめたり、単なる気のゆるみから嘘やたわごとをいいだしたりするかということを観察するのが常である。しかしわれわれはみな夢の中ではこの未開人に等しい、粗雑な再認や誤った同一視が夢の中でわれわれの犯す粗雑な推理のもとである。それでわれわれは夢をありありと眼前に浮べてみると、こんなにも多くの愚かさを自分の中にかくしているのかというわけで、われながらおどろく。ーーー夢の表象の実在性を無条件に信じるということを前提にすると、あらゆる夢の表象の完全な明瞭さは、幻覚が異常にしばしばあって時には共同体全体・民族全体を同時に襲った昔の人類の諸状態を、われわれにふたたび思い出させる。したがって、眠りや夢の中でわれわれは昔の人間の課業をもう一度経験する」(ニーチェ「人間的、あまりに人間的1・十二・P.35~36」ちくま学芸文庫)

さらにニーチェはしばしば言うのだが、一度古代人を理解したなら、今度は古代人の側から現代人の行動をじっくり観察してみるべきだと。
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さらに、当分の間、言い続けなければならないことがある。

「《自然を誹謗する者に抗して》。ーーーすべての自然的傾向を、すぐさま病気とみなし、それを何か歪めるものあるいは全く恥ずべきものととる人たちがいるが、そういった者たちは私には不愉快な存在だ、ーーー人間の性向や衝動は悪であるといった考えに、われわれを誘惑したのは、《こういう人たち》だ。われわれの本性に対して、また全自然に対してわれわれが犯す大きな不正の原因となっているのは、《彼ら》なのだ!自分の諸衝動に、快く心おきなく身をゆだねても《いい》人たちは、結構いるものだ。それなのに、そうした人たちが、自然は『悪いもの』だというあの妄念を恐れる不安から、そうやらない!《だからこそ》、人間のもとにはごく僅かの高貴性しか見出されないという結果になったのだ」(ニーチェ「悦ばしき知識・二九四・P.309~340」ちくま学芸文庫)

ニーチェのいうように、「自然的傾向を、すぐさま病気とみなし」、人工的に加工=変造して人間の側に適応させようとする人間の奢りは留まるところを知らない。昨今の豪雨災害にしても防災のための「堤防絶対主義」というカルト的信仰が生んだ人災の面がどれほどあるか。「原発」もまたそうだ。人工的なものはどれほど強力なものであっても、むしろ人工的であるがゆえ、やがて壊れる。根本的にじっくり考え直されなければならないだろう。日本という名の危機がありありと差し迫っている。

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微視的細部7

2020年05月30日 | 日記・エッセイ・コラム
演劇の中で突如として出現したアドリエンヌを目撃したあと、しばらく、主人公の思考は「現実か夢か」という境界線が消滅していく領域をさまよう。

「こんな記憶の細部をたどるうちに、いったいそれが現実のことなのか、それとも夢に見たものなのかわからなくなってしまう」(ネルヴァル「シルヴィ」『火の娘たち・P.241』岩波文庫)

さらに。

「アドリエンヌの登場はこうした細かな記憶や、明らかに実在しているシャーリの大修道院と同じように現実のことだったのだろうか?」(ネルヴァル「シルヴィ」『火の娘たち・P.242』岩波文庫)

ネルヴァルの思考は粘り強く続く。が、いったん「妄想なのかもしれない」と考える。しかし「妄想なのかもしれない」という言葉は同時に「現実なのかもしれない」という意味を含む。

「それは聖バルテルミーの日、ーーーメディチ家の思い出とことのほか因縁のある日だが、そのメディチ家の紋章がエステ家と並んで広場の古びた壁画を飾っていたーーー。この思い出はひょっとしたらぼくの心につきまとう妄想なのかもしれない」(ネルヴァル「シルヴィ」『火の娘たち・P.242』岩波文庫)

さらにネルヴァルは、確かに妄想だと判別するための根拠がないことを承知している。だからといって承知していることを承知していない顔で演じることはとてもできない。もっとも、このような問いをそう簡単に片付けてしまうことがどれほど困難かということについては身に染みて嫌というほど知っている。それだけになおいっそう理性的に考えようとする意識は理性的であろうとすればするほど逆にますます狂気の度を増してくるほかない。或る日、シルヴィにそのことを苦悩として語る。

「自分の人生につきまとう不吉なまぼろしのことを打ち明けた」(ネルヴァル「シルヴィ」『火の娘たち・P.246』岩波文庫)

主人公がただ単なる「まぼろし」ではなく、それ以上に「不吉な」と感じている要素は、アレクサンドル・デュマ宛書簡で述べられた内容とほぼ同じ意味である。

「創り出すとは結局のところ思い出すことだ、とある人間探求家は述べています。わが主人公が実在した証拠を見つけられぬまま、私はにわかに魂の転生を、ピタゴラスやピエール・ルルーにも負けないくらい熱心に信じ込んだのです。十八世紀はーーー私はその時代に生きたことがあると想像したのですがーーー、まさにその種の幻想に満ちていました。ヴォワズノン、モンクリフ、クレビヨン・フィスが魂の転生をめぐって山ほど冒険譚を書いています。以前、自分がソファだったことを思い出すあの廷臣の話を覚えていますか。そう聞かされてシャアバアムは興奮して叫ぶのです。『何と!そなたはソファであったのか!それは粋なことーーーで、いったいそなたには、刺繍がしてあったのか?』ーーーこの私はといえば、いたるところ刺繍だらけでありました」(ネルヴァル「アレクサンドル・デュマへ」『火の娘たち・P.16~17』岩波文庫)

小説家の想像力といっても、それは作者の過去の記憶を総動員して始めて創作可能になる或る種のパッチワーク(いたるところ刺繍だらけ)に過ぎない、と言ってしまえばそれだけのことかもしれない。そしてネルヴァルが述べていることはまさしくそういう事情である。ただ、注目すべきはネルヴァルが「十八世紀」に活躍した小説家の名を上げていることだ。ルネサンスが終わり、古典主義時代に入り、十九世紀前半にバルザック、フローベール、ボードレールが登場してくるまでの時期。とりわけ十七世紀から十八世紀末にかけての時期。フランスはこの古典主義時代に特徴的な狂気経験を持った。もっとも、フランスで顕著に見えるのは大量の文献が残されているので理解しやすいという点で有利な立場を有するからなのだが。たとえば、一連のサド作品。しかしサドはすでに大革命の時期と重なる。ネルヴァルが問題にしているのはその少し前の時期の文学作品の中で生じている或る種の特徴についてである。そのことは、時期はまた異なるが、ドストエフスキーのデビュー第二作がなぜ「二重人格」(「分身」一八四六年)であり、ドストエフスキーが尊敬するゴーゴリの代表作が「狂人日記」(一八三五年)あるいは「鼻」(一八三五年)なのかという問題系とたいへん重要な繋がりを持っている。この種の狂気経験は多かれ少なかれ他のヨーロッパ諸地域でも多少の時間差を伴いつつ同時多発的に生じたと考えられる。一七八九年フランス革命はその余りにも大きな影響力ゆえ、それを実現した新興ブルジョア階級の活躍にばかり目が移ってしまいがちなのだが、差し当たり、古典主義時代に起こった様々な狂気経験を区別しておく必要性があるだろう。ちなみにフーコーは四つに分類する。この分類に従うと、ネルヴァルは第三項目に該当する。

「1ーーー《批判的な狂気意識》。この意識は狂気を、理性的で反省的で道徳上は穏やかな基調によって認知し指示している。狂気にまつわる諸概念を琢磨する以前にも、狂気の判断に完全にかかわりあっている意識。《定義しないで、告発する》意識。そこでは狂気は、じかに感受される一つの対立という様式で感じられている。『自分の頭はうつろでひどく混乱している』ことを多過ぎるほどの証拠をあげて充分にしめす、明白な逸脱という姿をおびる」(フーコー「狂気の歴史・P.190」新潮社)

「2ーーー《実際的な狂気意識》。この場合には理性を遊離することは、弁証法のもつ、潜在的な力でもなくその巧妙さでもない。それは具体的な現実という姿を押しつけてくる。というのはそれはある集団の実在と規範のなかに与えられているからである。だがそれにもまして、この遊離ということは、一つの選択、避けがたい一つの選択という姿を押しつける。というのは、こちら側かあちら側かに集団の内か外かに属さなければならないからである。しかもこの選択は偽りの選択である。なぜなら、集団外にあると見なされ、そこにあることを選択したと非難される人々を指名する権利をもつのは、集団内にいる者だけなのであるから」(フーコー「狂気の歴史・P.191」新潮社)

「3ーーー《陳述的な狂気意識》。この意識のおかげで、『あの人は気違いだ』と、知によるどんな回り路もなしに率直に表明できる。この意識では、狂気の性質を定めることやその資格をなくさせることは問題にならず、一種の実体的存在として狂気を指示することだけが重要である。そこ、眼前に、否認しようのないほど狂人である者、明白に狂人である者ーーーどんな性質にもどんな判断にも先立って狂気である、不動で頑固で単純な実在がある、ということになる。もはやこの意識は価値ーーー危険や災難ーーーの水準にとどまってはいない。それは存在の水準にあり、確認事項にひきもどされる単一な認識でしかない。ある意味ではこれは、すべての狂気意識のなかで一番落着いた意識である、というのは結局この意識は単なる知覚的把握にほかならないからである。知を媒介にしていない反面では、それは診断にまつわる不安感をも避けている。これは『ラモーの甥』の相手をつとめる話者のもっている皮肉な意識であり、苦しみの奥底からほとんど浮かびあがらずに、魅惑と苦悩の途上で『オーレリア』の夢を物語っている、自らと和解している意識である。この意識は単純ではあっても、やはり純粋ではない。つまり果てしない後ずさりを含んでいる。というのはこの意識は、直接・無媒介な狂気意識であるという唯一の事実によって自分が狂気ではないことを想定しまた証拠だてているのだから。そこの狂気が姿をみせ、反駁の余地のないほど明瞭に現前し明示されることになるだろうが、それは狂気が姿をみせる当の意識が、自分を狂気との比較と対照とによって限定しつつ、すでに狂気を忌避してしまっている、その限りにおいてでしかない。この意識は、自分が狂気でないことの意識を背景とした場合にかぎって狂気意識なのである」(フーコー「狂気の歴史・P.192」新潮社)

「4ーーー《分析的な狂気意識》。狂気の形態、その現象、その現われ方にかんして展開される意識。多分これら狂気の形態、これら狂気の現象の全体がこの意識にたいして姿を見せることはけっしてないだろう。長い間、おそらく永久に狂気は、自分の力と自分の真実についての本質を未知のなかに隠しているだろう。とはいっても、この分析的意識においてこそ狂気は穏やかな既知なるものと合体するのである。狂気の現象と原因が決して究明しつくされないのはほんとうであるとしても、狂気はそれを見おろす視線に正当に所属する。そこでは狂気はもはや、狂気の現象のすくなくとも潜在的な全体にすぎないし、もはや危険をはらまず、もはや分割を含まない。ある一つの認識対象ということ以外のどんな後ずさりをも想像しない。この種の意識形態こそ、狂気にかんする客観的な知の可能性を基礎づける」(フーコー「狂気の歴史・P.193」新潮社)

フーコーはネルヴァルを「《陳述的な狂気意識》」のカテゴリーに区分する。ディドロ「ラモーの甥」に出てくる「話者」の意識に等しいという意味で。注意が必要なのは「ラモーの甥」の場合、「ラモーの甥」は「話者」との《対話》の中で始めて出現する(客体化される)ということであり、両者の対話なくして「ラモーの甥」も「話者」もどちらもあり得ないという点である。一方、フーコーが上げているネルヴァル「オーレリア」では原則的にどんな《対話》もない。むしろ「表面分別を失った私の行いは、人間理性にしたがって、世に錯覚と称せられるものに支配されていた」と淡々と認めている。差し当たり三箇所ばかり引いてみよう。なおこれらの文章はすでにオーレリア自身が死んだことを主人公が知った後に思い出=回想=反復=回帰という形で語られたものだ。第一に。

「楓の若芽は、小雉の冠毛に似た、その色の鮮やかさで私を悦ばせた。野の上を拡がる眺望は、朝から晩まで美しい視界を示し、その移り行く色合は私の想像を楽しませた。私は岡と雲とに神々の姿を住まわせた。その等の形ははっきりと眼に見えるように思えた。自分の好きな想いを更に固定したいと思って、木炭と煉瓦を拾って来てそれでもって、やがて壁を一連の壁書で埋め、そこに自分の印象を現わした。一つの姿が常に他を圧していた。それは、私の夢に現われた通りに、女神の顔立ちに描かれたオーレリアの姿であった。その足許には一つの車輪がまわり、神々が彼女に供奉していた。わたしは草と花の汁を搾って、この群像に彩色することができた。ーーーこの懐かしい偶像の前で、私は幾たび夢想したことであろう!私はそれ以上のこともした。愛するひとの身体を、土でもって象(かた)どろうと試みた」(ネルヴァル「オーレリア・P.32」岩波文庫)

第二に。

「一時気を失っただけのことで、間もなく自分の住居に戻って床につくだけの力は残っていた。熱が襲って来た。自分がどういう地点から墜落したかを考えてみた時、私はその見入っていた眺望がとある墓地、あたかもオーレリアの墓の在る墓地に臨んでいたことを思い出した。私はその時始めて本当にそう考えたのであった。若し前からそう考えていたとすれば、自分の墜落はその景色が感じさせた印象の所為だともなし得たであろう。ーーーこのこと自体が私により一層明確な宿命を思わせた。それだけに、死が私を彼女に結びつけなかったことが残念であった。しかしつくづく考えてみて、自分はそれに値しないのだと思った。私は苦い気持で、彼女の死後自分の送った生活を顧み、彼女を忘れ去ったことをではないがーーーそんなことは決してなかったーーー浮気を重ねてその思い出を瀆したことを自らに咎めた」(ネルヴァル「オーレリア・P.40」岩波文庫)

第三に。

「周囲では皆が私の無力を笑っているようだった。ーーーその時私は、名状し難い誇りに意気軒昂として王座のところまで退き、そして魔力を持つものと思えた呪文を唱えようとして腕を挙げた。胸を裂くような苦痛の響を帯びた、顫える明瞭な女の叫び声が、突然私をはっとさせた!將に発しようとしていた知られざる一語の音綴(シラブル)は、私の口唇に消え失せたーーー。私はがばと床に伏して、潸然と涙を流しつつ、熱心に祈り始めた。ーーーだが、今闇の裡にかくも痛ましく響いたあの声は、一体何であろう?その声は夢のものではなかった。生きている人の声であった。だがしかし、私にとってはそれはオーレリアの声であり響であったーーー。私は窓を開けた。一切は森閑としていて、叫び声はもはや二度と戻らなかった。ーーー戸外の者にも訊ねてみたが、誰も何も聞かなかった。ーーーしかしながら、その叫び声が現実のものであり、此の世の空気にけたたましく響いたことを、私は未だに確信している」(ネルヴァル「オーレリア・P.47~48」岩波文庫)

ここで主人公はもはやオーレリア化している。とはいえ、主人公はオーレリアのコピーとして出現するわけではない。重要なのは、どちらが本当の主人公であり本当のオーレリアなのかという問いはもはや無効化してしまっている、ということだろう。

「陳述的な意識形態は認識の次元ではなく認知の次元に属している。それは鏡(『ラモーの甥』の場合のように)であるか、思い出(ネルヴァルやアルトーの場合のように)であり、ーーーいずれにしても結局それは自己省察であって、そこではそれは、あるいは他者を、あるいは自分のなかにあるより他者的なものを指示していると思いこんでいる。この形態が直接無媒介な陳述のなかで、まったく知覚的なあの発見のなかで遠ざけているところのものは、自らのもっとも身近な秘密だったのである。そして狂気の単純で複雑な実在ーーーいわば提示され無力にされた物であるかのようなーーーのかげん、この形態はそうとは知らずに、なじみぶかい自らの苦しみを認知する」(フーコー「狂気の歴史・P.194」新潮社)

フーコーのいう「なじみぶかい自らの苦しみ」。それは「自らのもっとも身近な秘密」でありながらも同時に「自分のなかにあるより他者的なもの」として感じられるという分裂から生じている「苦しみ」であると言えるかもしれない。ところがネルヴァルはまったく別種の方法で、あるいはアルトーやゴッホのように、書いているとも言える。それはたとえば、或る夢を見た人が夢を見たという現実を否定することはまったく現実的でない、という状況と似ている。あるいはまた、それが夢でなく日記だとしたらどうだろう。ゴーゴリ参照。

「うちあけて言うと、おれは、このあいだごろからときどき、ほかの人間たちには見たり聞いたりすることがけっしてできないようなことが、よく見えたり、聞こえたりしはじめている」(ゴーゴリ「狂人日記」『狂人日記 他二篇・P.178』岩波文庫)

「なるほど、おれは九等官だ、でも、どういう理由(わけ)で九等官なんだろう?ひょっとしたら、おれはぜんぜん九等官なんかじゃないかもしれんぞ?もしかしたら、おれは伯爵だか将官だかの身分でありながら、ただ自分で九等官だという気がしているのかもしれんぞ。ひょっとすると、おれは自分で自分の身分を知らんのかもしれんぞ」(ゴーゴリ「狂人日記」『狂人日記 他二篇・P.203』岩波文庫)

「いまや、おれにはなにもかもがはっきりした。いまのおれには、いっさいが手に取るようにはっきり見える。ところが、いままでは、いっさいがまるで霧にでもつつまれたようで、おれにはなにもわからなかった。どうしてそうだったかというと、人々が、人間の頭脳は頭のなかにあると思いこんでいるせいだと、おれは思う、そんなわけのものじゃけっしてないのだ、人間の脳髄はカスピ海のほうから風に送られてやってくるのさ」(ゴーゴリ「狂人日記」『狂人日記 他二篇・P.207』岩波文庫)

ゴーゴリが「狂人」の「日記」という形式を借りて述べていることはなんだろう。ニーチェのいう「神の死」(絶対的中心の消滅、絶対的基準の消滅、中心的なものの絶え間ない分散移動、変動相場制)ということでないと誰に言えるのか、ということではないだろうか。
ーーーーーー
さらに、当分の間、言い続けなければならないことがある。

「《自然を誹謗する者に抗して》。ーーーすべての自然的傾向を、すぐさま病気とみなし、それを何か歪めるものあるいは全く恥ずべきものととる人たちがいるが、そういった者たちは私には不愉快な存在だ、ーーー人間の性向や衝動は悪であるといった考えに、われわれを誘惑したのは、《こういう人たち》だ。われわれの本性に対して、また全自然に対してわれわれが犯す大きな不正の原因となっているのは、《彼ら》なのだ!自分の諸衝動に、快く心おきなく身をゆだねても《いい》人たちは、結構いるものだ。それなのに、そうした人たちが、自然は『悪いもの』だというあの妄念を恐れる不安から、そうやらない!《だからこそ》、人間のもとにはごく僅かの高貴性しか見出されないという結果になったのだ」(ニーチェ「悦ばしき知識・二九四・P.309~340」ちくま学芸文庫)

ニーチェのいうように、「自然的傾向を、すぐさま病気とみなし」、人工的に加工=変造して人間の側に適応させようとする人間の奢りは留まるところを知らない。昨今の豪雨災害にしても防災のための「堤防絶対主義」というカルト的信仰が生んだ人災の面がどれほどあるか。「原発」もまたそうだ。人工的なものはどれほど強力なものであっても、むしろ人工的であるがゆえ、やがて壊れる。根本的にじっくり考え直されなければならないだろう。日本という名の危機がありありと差し迫っている。

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微視的細部6

2020年05月29日 | 日記・エッセイ・コラム
主人公はシルヴィとともにシルヴィの叔母の家を訪れる。シルヴィには主人公にはない茶目っ気がある。叔母にとってはもはや過去となってしまった場面を反復してみせようとたくらむ。「いつも鍵がかかっている引き出し」から何やらごそごそと取り出してくる。シルヴィは引き出しを開けて「ぼかしの花模様の入ったタフタ織の立派なドレス」を取り出し身につける。主人公もシルヴィに促されて衣装を着替える。そして二人して大時代的な芝居を演じて見せる。叔母の反応は思った通り、あるいはそれ以上だった。

「自分はすっかり衣装を身につけたシルヴィは、狩場番人の花婿衣装が箪笥の上に出してあるのを指さした。一瞬にしてぼくは別の世紀の花婿に変身した。シルヴィは階段で待ち、やがてぼくら二人は手をつないで下に降りていった。叔母さんは振り返って大声を上げた。『あらまあ、あんたたち!』叔母さんは泣き出した。そして涙ながらに微笑んだ。ーーーそれは彼女の若かりし頃の姿だった」(ネルヴァル「シルヴィ」『火の娘たち・P.238』岩波文庫)

叔母はものの見事に回想した。シルヴィはずっと以前に過ぎ去った光景を反復させることに成功した。しかし過去の反復に先立って、そのために用いられた小道具は実に細々とした細部から成り立っている。「いつも鍵がかかっている引き出し」から取り出された数々の品物。それらなくして反復はない。

「そこには何と豊かな品々があったことか!何といい匂いがしていたことか、それらは何と強い輝きを放ち、金ぴかの安物ながら、何と色鮮やかに煌めいていたことか!少しこわれた螺鈿(らでん)細工の扇が二つ、中国趣味の図柄で飾られた練りおしろい入れ、翡翠(ひすい)のネックレス、そしてレースの飾りが山ほどある中に、白の浮綾織(うきあやおり)の小さな布靴が一足輝いていた。留め金にはアイルランドのダイヤモンド(水晶の模造ダイヤ)が象嵌されている」(ネルヴァル「シルヴィ」『火の娘たち・P.237』岩波文庫)

このようにネルヴァルは面倒に思える描写を丁寧に記している。ただ単に衣装を着替えただけだったとしたら、叔母はそれほど情動を動かされることはなかっただろう。むしろ物足りなさのあまり逆に不愉快なおもいをしたかもしれない。ところがシルヴィは細々とした細部までうまく再現しなくては反復が現実性を帯びることはないと知っていた。細部までうまく再現しなくては叔母を巻き込むことはできず、叔母を巻き込むことができなければ反復は永遠に不可能だとも知っていた。だからシルヴィは主人公にも細かく指示を与えた。そうしてやっと反復は現実化する。小説の中ではなるほどシルヴィの言動として描かれているわけだが、シルヴィにそう振る舞わせているのはネルヴァルである。だからここで起こっていることはネルヴァルのシルヴィ化である。前の章で主人公のルソー化があったように。「反復の力/力の反復」。といっても何らマッチョな力を必要としていない。頼りない主人公とまだ若年のシルヴィが二人だけで回帰させ出現させた光景である。

また或る日、主人公はシルヴィの兄と二人でシャーリへ出かける。そこには大修道院がある。ここでもネルヴァルの描写は細かい。なぜ細かいのかはすぐにわかる。

「土地柄や風習には雅びで詩的な何かがいまでも残っていて、イタリア人芸術家たちの手で装飾を施された礼拝堂の、ほっそりした交差リヴに支えられたドームの下では、ルネサンスの香りを味わうことができる。聖人や天使たちの薔薇色の姿が、淡い青で塗られた丸天井にくっきりと浮かび上がり、まるで異教の寓意画のようなおもむきがあって、ペトラルカの感傷的な表現や、フランチェスコ・コロンヌの奇想に富む神秘主義を連想させる」(ネルヴァル「シルヴィ」『火の娘たち・P.240』岩波文庫)

さらにネルヴァルは「芸術家たちの手」ならびに「ルネサンスの香り」を肯定的に用いている。ニーチェはいう。

「イタリアのルネサンスは、近代文化をわれわれに得させるに至ったあらゆる積極的な威力をその内に秘めていた、つまり思想の解放、諸権威の侮辱、素性の自惚れに対する教養の勝利、学問と人間の学問的過去とに対する感激、個人の解放、誠実とみせかけや単なる効用に対する嫌悪との灼熱(この灼熱は、自分の作品の完全さを、そしてただ完全さだけを、最高の道徳的純粋さをもって自身に求めたところのまったく多くの芸術家タイプの人々の中に燃えでたのであった)である、実にルネサンスは、われわれの《これまでの》近代社会において、まだ二度とこれほど強烈になったことがないような積極的な諸力をもっていた。それは、あらゆる汚点や悪徳にもかかわらず、この千年の黄金時代であった」(ニーチェ「人間的、あまりに人間的1・二三七・P.257」ちくま学芸文庫)

ニーチェはルネサンスをもたらした諸力について述べている。「諸権威の侮辱、素性の自惚れに対する教養の勝利」、「多くの芸術家タイプの人々の中に燃えでた」、「二度とこれほど強烈になったことがないような積極的な諸力」、というふうに。その「積極的な力」は上から与えられたものではけっしてなく、下から、とりわけ「多くの芸術家タイプの人々の中」から「燃えでた」と同時に一挙に打ち拡がった「灼熱」である。またルネサンスは、一方で、合理的なもの、経済的なもの、機械的なもの、を極端に忌み嫌う点で共通の特徴を持つ。

「それぞれの時代はその《積極的な力》にしたがって測定されるべきでありーーーそしてそのさい、ルネサンスというあのかくも浪費的で宿業豊かな時代は最後の《偉大な》時代であることが明らかとなるし、また私たちは、私たち近代人は、私たちの不安げな自己配慮と隣人愛をもってしては、私たちの労働、無欲、合法、科学性という徳をもってしてはーーー蒐集的で、経済的で、機械的でーーー《弱い》時代であることが明らかとなる」(ニーチェ「偶像の黄昏」『偶像の黄昏/反キリスト者・P.126』ちくま学芸文庫)

近代社会の成立にともなって出現した「機械文化」、人間をとことん怠惰な動物へ変えてしまう「機械文化」とその自動機械性について検討するとすれば、それはルネサンスという名にもかかわらずむしろ「《弱い》時代」だったとニーチェは述べる。

「《機械文化への反作用》。ーーーそれ自体は最高の思索力の所産であるにもかかわらず、機械は、それを操作する人たちに対しては、ほとんど彼らの低級な、無思想な力しか活動せしめない。その際に機械は、そうでなければ眠ったままであったはずのおよそ大量の力を解放せしめる。そしてこれは確かに真実である。しかし機械は、向上や改善への、また芸術家となることへの刺戟を与えることは《しない》。機械は、《活動的》にし、また《画一的》にする、ーーーしかしこれは長いあいだには、ひとつの反作用を、つまり魂の絶望的な退屈を生む。魂は、機械を通して、変化の多い怠惰を渇望することを学ぶのである」(ニーチェ「人間的、あまりに人間的2・第二部・二二〇・P.434」ちくま学芸文庫)

他方ルネサンスは、合理的で、経済的で、機械的なものが、社会的規模で活用されればされるほど勢いを増した。一つに活版印刷の普及が上げられる。学問の解放はなるほど当初は一部の人々のあいだに限られていたにせよ、新しい伝達技術の導入が、哲学思想、文学、科学などの領域を拡く解き放った。それもまた「機械文化」によって実現されたのであり、それなしにあり得なかった。ニーチェが指摘しているのは新しい「文化」というものに対して何らの批判もなしにそのまま押し進めてはいけない、最悪の場合、取り返しのつかないことになるという警告である。実際、無批判的に押し進められた「機械文化」は、ヒロシマ、アウシュヴィッツという結果を見るまでほとんど疑われずにどんどん転用応用されていった。にもかかわらずニーチェは今なお異端者の系譜に属しているということは一体何を意味しているのだろうか。ともかくこの時期、すべての宗教的権威、政治的権威、経済的権威に属していたものはいったん破棄された。社会的上層部が押し進めたのではなく、それまで抑圧されていた人々が一斉に噴火したような様相を呈していて、一概に善悪の判断を持ち込んでそそくさと判断できるような変化でない。むしろそれまで用いられてきた善悪の基準の絶対性というものが消滅し出した始まりだったと言える。だから、下からの再創造運動として始まったルネサンスが、ヒロシマ、アウシュヴィッツの時点ではもはや民衆の手にはなく、上からの判断で実行されるという転倒に至るまでには長い過程が横たわっているのであり、けっして単純化できるものではないし単純化してはいけない。ルネサンスの終わり頃に登場したセルバンテス「ドン・キホーテ」についてフーコーはこう述べている。

「セルバンテスの主人公は、十六世紀の人々がしたように世界と言語との関係を読みとり、類似のたわむれのみによって、旅籠のなかに城を、田舎娘のなかに貴婦人を認めながら、それと知らず純粋表象の様態のうちに閉じこめられていた。けれども、こうした表象の掟が相似関係にほかならぬ以上、この表象は錯乱という笑うべき形態であらわれざるをえなかったのである。ところで、物語の第二部において、ドン・キホーテはおのれの真実と掟をこの表象された世界から受けとる。いまや彼は、自分がそのなかで生れた書物、自分では読んだことのない、けれどもみずからその筋を追わねばならぬこの書物が、他人によって彼に課せられることとなった運命を彼に告げてくれるのを待つだけでよい。彼はただ、言われるがままにひとつの城に住みつづけてよく、その城のなかで、かつてみずからの狂気によって純粋表象の世界にわけいった彼自身が、ついにはひとつの表象的仮構のなかの純然たる登場人物と化する」(フーコー「言葉と物・P.231」新潮社)

第二部でドン・キホーテは「おのれの真実と掟をこの表象された世界から受けとる」。なるほどそうだ。奇妙なねじれを起こしているにもかかわらず。ドン・キホーテにとっての「真実」とはなんなのか。同時にこの事態は「狂気の歴史」で描かれた次の箇所と重ね合わせて読むことを要求しているように思える。その前にセルバンテスから三箇所。

「『わしの友サンチョよ、この世に遍歴の騎士というものがかつてあったし、今もあるというわしがおちいっていた同じあやまった考えに、おぬしまでおとしいれて、おぬしをわしと同じような狂人と思わせるような機会を与えたということを、どうか許してもらいたいものじゃ』」(セルバンテス「ドン・キホーテ・後編2・第七十四章・P.524」ちくま文庫)

「彼がこう言うのを聞いて、三人の者はてっきりこれは何か新しい狂気にとらわれたのだと考えた」(セルバンテス「ドン・キホーテ・後編2・第七十四章・P.521」ちくま文庫)

「彼がいよいよ死んでゆくのだと彼らが推定した根拠のひとつは、こんなにも速やかに狂気から正気に彼が返ったということであった」(セルバンテス「ドン・キホーテ・後編2・第七十四章・P.522」ちくま文庫)

この部分を踏まえてフーコーはいう。

「ドン・キホーテの死は、臨終のときになって理性と真実がよみがえってきた穏やかな景色のなかで完了するだろうが、突然、ドン・キホーテの狂気は自分の姿を自覚し、その目にもはっきり愚かしさに変ってしまう。だが、彼の狂気が、このように突然、知恵をしめしたことは『彼が何か新しい狂気にとらえられた』ことにほかならないのではあるまいか?これこそ、どちらへも際限なく移しうる曖昧さであって、結局、死じたいによってしか一刀両断に解決されえないものなのである。狂気の消滅は、最後が近づいていることと同じであって、『病人ドン・キホーテがいよいよ死んでいくのだと人々が推定した根拠のひとつは、こんなにも容易に狂気から正気に返ったということだった』。だが死それじたいは平安をもたらさない。というのは狂気はさらにまだ勝ちほこるだろうから、ーーーそしてそれは、死そのものによって狂気から解放された生命の最後のかなたにある、ばからしいほど永遠な真理である。皮肉にも、ドン・キホーテは狂人の生によって追っかけられ、その錯乱をとおして不死となるのであって、狂気はまた、死の不滅不朽の生なのである」(フーコー「狂気の歴史・P.55」新潮社)

フーコーの認識には「どちらへも際限なく移しうる曖昧さ」という意味で、例のパスカルの文章が響いている。

「人間はもし気が違っていないとしたら、別の違い方で気が違っていることになりかねないほどに、必然的に気が違っているものである」(パスカル「パンセ・四一四・P.255」中公文庫)

さて、舞台について細かな書き込みを行なったネルヴァル。その建物で開催される演劇を見るためにシルヴィの兄と二人で紛れ込んだわけである。近くの大修道院から寄宿生がやってきて演じる寓意劇という設定になっている。廃墟の中から一人の天使が「炎の形をした剣」を手にして出現する。それを見た主人公は思わず目をみはる。

「その天使こそアドリエンヌにほかならず、衣装のせいで見違えるようだった。そもそも宗教の道に入ることで、彼女は別人になっていた」(ネルヴァル「シルヴィ」『火の娘たち・P.241』岩波文庫)

それほどうまくそこにアドリエンヌが居合わせるわけはない、と誰もがおもうだろう。けれども主人公にとってそれはアドリエンヌにほかならない。アドリエンヌを登場させるためにわざわざ詳細な書き込みが必要だったというより、詳細に書き込めば書き込むほどますます、諸条件が整えば整うほど、そこにはもはやアドリエンヌのほか誰も出現できなくなる事情ができ上がるのである。第一に、或る修道女のアドリエンヌ化がある。そしてもう一つ、もう三年以上も前、アドリエンヌが修道院へ入ったその瞬間、アドリエンヌはすでに別人になったのだということの再認がある。
ーーーーーー
さらに、当分の間、言い続けなければならないことがある。

「《自然を誹謗する者に抗して》。ーーーすべての自然的傾向を、すぐさま病気とみなし、それを何か歪めるものあるいは全く恥ずべきものととる人たちがいるが、そういった者たちは私には不愉快な存在だ、ーーー人間の性向や衝動は悪であるといった考えに、われわれを誘惑したのは、《こういう人たち》だ。われわれの本性に対して、また全自然に対してわれわれが犯す大きな不正の原因となっているのは、《彼ら》なのだ!自分の諸衝動に、快く心おきなく身をゆだねても《いい》人たちは、結構いるものだ。それなのに、そうした人たちが、自然は『悪いもの』だというあの妄念を恐れる不安から、そうやらない!《だからこそ》、人間のもとにはごく僅かの高貴性しか見出されないという結果になったのだ」(ニーチェ「悦ばしき知識・二九四・P.309~340」ちくま学芸文庫)

ニーチェのいうように、「自然的傾向を、すぐさま病気とみなし」、人工的に加工=変造して人間の側に適応させようとする人間の奢りは留まるところを知らない。昨今の豪雨災害にしても防災のための「堤防絶対主義」というカルト的信仰が生んだ人災の面がどれほどあるか。「原発」もまたそうだ。人工的なものはどれほど強力なものであっても、むしろ人工的であるがゆえ、やがて壊れる。根本的にじっくり考え直されなければならないだろう。日本という名の危機がありありと差し迫っている。

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微視的細部5

2020年05月28日 | 日記・エッセイ・コラム
シルヴィを再発見した主人公。というのもただ単なる地域社会の娘の一人というのではなく、今度は恋愛対象として、古代ギリシアの彫像と見違えるほど成熟した女性の姿形で、立ち現われたからである。かといって、修道院に入ったアドリエンヌのことを忘れてしまったわけではない。

「ぼくにとっては甘美なその一夜、思うのはシルヴィのことばかりだった。ところが、修道院を目にすると一瞬、ひょっとしたらこれがアドリエンヌの暮らす場所かもしれないという考えが浮かんだ。朝の鐘の音がなおも耳に残っていた。目が覚めたのはその音のせいだったかもしれなかった。一瞬、岩のいちばん高い先によじ登って壁の向こうをちらりと見てみようかと思った。しかしそれは冒瀆の行いではないかと思い直した」(ネルヴァル「シルヴィ」『火の娘たち・P.230』岩波文庫)

主人公は自分の思いつきについて「しかしそれは冒瀆の行いではないか」と抵抗を感じる。それはシルヴィに寄せる恋愛感情を裏切ることになるから、という意味では必ずしもない。むしろほんのしばらくのあいだだったにせよ、シルヴィのことを完全に忘れている。十代の女性が修道院に入り修道女としての姿で十七、八歳まで過ごすということ。当時は教育制度が整っておらず、だから制服というものもまたそれほど一般化していない時期だった。その間ずっと修道女として制服を与えられその姿で十七、八歳まで過ごすというのはどういうことか。今の日本でいえば、中高一貫制の女子校で制服を着た十代の女性ばかりがうようよしているということであって、そのような時代に主人公が「一瞬、岩のいちばん高い先によじ登って壁の向こうをちらりと見てみようかと思った」としても何ら驚くに当たらない。しかしなぜ「冒瀆」とまで思ってしまったのか。それは主人公がかつてアドリエンヌを女優に喩えたことと大いに関係がある。アドリエンヌは少女の頃すでに主人公の目を奪っている。

「アドリエンヌは立ち上がった。すらりとした体を伸ばし、ぼくらに向かって優雅に挨拶すると、走って城館の中に帰っていった」(ネルヴァル「シルヴィ」『火の娘たち・P.218』岩波文庫)

さらに主人公はアドリエンヌを「ダンテのベアトリーチェのよう」だと評している。

「時あって私は見た覚えがある、一日の初め、東の方(かた)ことごとくあかね色に染まり、残りの空、すべてうるわしく澄みわたりていみじきに、さしのぼる太陽(ひ)の面輪(おもわ)うち曇るほどの水気にやわらげられ、眼ながく太陽(ひ)との対面に堪えられる現象を。あたかもそれに似て、天使(みつかい)たちの手からひらひらと投げあげられ、再び車の内外(うちと)に降りてきた花の雲に乗り、清白(すずしろ)の面紗(めんさ)のうえにオリーヴァの冠をつけ、やごとなきひとりの淑女が、私の眼の前にあらわれた、緑の袍(うわぎ)の下に、燃え立つ焔の色の衣(きぬ)召して。すると私の精神は、そのひとの前に出ると、畏敬のあまりわなわなとふるえ、うち砕かれる経験から離れること、げに年久しいにもかかわらず、いま、わが眼でもっと直接たしかめもしないのに、そのひとから放射される玄妙(くしび)な功力(くりき)により、昔と変らぬあの愛の、大きな力の衝撃をひしと感じた」(ダンテ「神曲・煉獄篇・P.380~382」集英社文庫)

というように。そして主人公は独特の制服で飾られたアドリエンヌが修道院の中で成熟していく様を想像して「そこには気を狂わせんばかりのものがある」と考え、こみ上げてくる興奮を隠しきれない。だが一方、その好奇心がもたらす危険さにも十分気付いている。「得体の知れぬ何かに引き寄せられるような、破滅を招きかねない誘惑」として。

「女優の姿のもとに修道女を愛するとは!ーーーそしてもしそれが同じ一人の女だとしたら!ーーーそこには気を狂わせんばかりのものがある!淀んだ水辺の藺草(いぐさ)の上を逃げ去る鬼火のように、得体の知れぬ何かに引き寄せられるような、破滅を招きかねない誘惑だ」(ネルヴァル「シルヴィ」『火の娘たち・P.220』岩波文庫)

要するに主人公は自分の「超越論的探究」と社会の「倫理的問題」とに引き裂かれている。一方の超越論的探究はヘーゲルのいう「絶対精神」でありマルクスのいう「物質的生産力」である。それがなくなれば資本主義は死ぬ。だから止めることはできない。他方、倫理的問題とは法律や社会的ルール一般のことだ。それがなくなれば政治も経済も行政も社会保障も立ち行かなくなる。だからそれを止めることもできない。この両者が不可避的に実在しているため、主人公は自分の「超越論的探究」と社会の「倫理的問題」とによって引き裂かれるほかない。主人公にとって十代とはそういう苦悶に満ちた時期でもある。また主人公は前回触れたようにルソーを尊敬している。漠然とした理想主義者というより、もっと具体的でなおかつ端的に自分で自分自身の若年時代について語った人物だからだろう。しかもルソーを好もうと嫌がろうとそれは自由だからだ。ただ、ルソーが生きた時代、ルソーだけがたった一人で生きていたわけではないということを忘れてはいけない。フーコーは述べる。

「完璧な理想社会の夢想をば、好んで思想史家たちは十八世紀の哲学者たちと法学者たちに帰しているが、他方さらに、現実には社会の軍事上の夢も存在したのである。それの関連枠は自然状態にあったのではなく、一つの機械装置の入念に配属された歯車に存していたのであり、原始的な契約にではなく果てしない強制権に、基本的人権にではなく無限に発展的な訓育に、一般意志にではなく自動的な従順さに存していた」(フーコー「監獄の誕生・P.171」新潮社)

ここで「社会の軍事上の夢」によって否定されているとフーコーが指摘しているのはルソーが語った幾つかの主要な言葉である。第一にルソーのいう「自然状態」。

「人間を自然の手から出てきたままの状態で考察してみると、私は、そこに、ある動物よりは弱く、他の動物に比べれば敏捷でないが、結局、どれよりもいちばん有利な構造を与えられた一個の動物を思い浮べるのである。私は、彼が一本の柏の木の下で腹をみたし、小川を見つけるとすぐ喉(のど)の渇きをいやし、食事を提供してくれたその同じ木の根元に寝床を見つけるのを思い浮べる」(ルソー「人間不平等起源論・P.42」岩波文庫)

さらに。

「森の中をさまよい、器用さもなく、言語もなく、住居もなく、戦争も同盟もなく、少しも同胞を必要としないばかりでなく彼らを害しようとも少しも望まず、おそらくは彼らのだれをも個人的に見覚えることさえけっしてなく、未開人はごくわずかな情念にしか支配されず、自分ひとりで用がたせたので、この状態に固有の感情と知識しかもっていなかった。彼は自分の真の欲望だけを感じ、見て利益があると思うものしか眺めなかった。そして彼の知性はその虚栄心と同じように進歩しなかった。偶然なにかの発見をしたとしても、彼は自分の子供さえ覚えていなかったぐらいだから、その発見をひとに伝えることは、なおさらできなかった。技術は発明者とともに滅びるのがつねであった。教育も進歩もなかった。世代はいたずらに重なっていった。そして各々の世代は常に同じ点から出発するので、幾世紀もが初期のまったく粗野な状態のうちに経過した。種はすでに老いているのに、人間はいつまでも子供のままであった」(ルソー「人間不平等起源論・P.80」岩波文庫)

第二にルソーのいう「社会契約」ならびに「一般意志」。

「社会契約から、その本質的でないものを取りのぞくと、それは次の言葉に帰属することがわかるだろう。『われわれの各々は、身体とすべての力を共同のものとして一般意志の最高の指導の下におく。そしてわれわれは各構成員を、全体の不可欠の一部として、ひとまあとめとして受けるとるのだ』。この結合行為は、直ちに、各契約者の特殊な自己に代って、一つの精神的で集合的な団体をつくり出す。その団体は集会における投票者と同数の構成員からなる。それは、この同じ行為から、その統一、その共同の《自我》、その生命およびその意志を受けとる。このように、すべての人々の結合によって形成されるこの公的な人格は、かつては都市国家(シテ)という名前をもっていたが、今では《共和国》または《政治体》という名前をもっている。それは、受動的には、構成員から《国家》とよばれ、能動的には《主権者》、同種のものと比べるときは《国》とよばれる。構成員についていえば、集合的には《人民》という名をもつが、個々には、主権に参加するものとしては《市民》、国家の法律に服従するものとしては《臣民》とよばれる」(ルソー「社会契約論・第一編・第六章・P.31」岩波文庫)

第三にルソーのいう「基本的人権」。

「社会契約によって人間が失うもの、それは彼の自然的自由と、彼の気をひき、しかも彼が手に入れることのできる一切についての無制限の権利であり、人間が獲得するもの、それは市民的自由と、彼の持っているもの一切についての所有権である」(ルソー「社会契約論・第一編・第八章・P.36」岩波文庫)

さらに。

「基本契約は、自然的平等を破壊するのではなくて、逆に、自然的に人間の間にありうる肉体的不平等のようなもののかわりに、道徳上および法律上の平等をおきかえるものだということ、また、人間は体力や、精神については不平等でありうるが、約束によって、また権利によってすべて平等になるということである」(ルソー「社会契約論・第一編・第九章・P.41」岩波文庫)

華々しく登場してきた民主主義の理念とそれらをめぐる様々な議論。ところがしかし、その種の議論が社会の表面で盛り上がれば盛り上がるほど、軍事上の技術発展とそれを実施する規律・訓練のための技術者が黙々と帝国主義への過程を歩んでいるというもう一方の現実は覆い隠されてしまう。

「『規律・訓練を国民的なものにする必要があるにちがいない』とはギベールの言葉であった。『私が述べる国家は、統治しやすい単純で強固な行政機構をもつべきだろう。あまり複雑でない《ばね》仕掛でもって著しい効果をあげるあの大規模な機械に似なければなるまい。この国家の力は自らの力から、その繁栄は自らの繁栄から生じなければなるまい。いっさいを破壊する時間が、その国家の力を増大するだろう。もろもろの帝国は衰亡破滅の鉄則に従うと信じこませるあの俗信を、この国家は打破するだろう』。ナポレオン体制の到来は遠くはないし、しかもその体制とともに、それ以上に生命を保つようになるこの国家形態の到来は遠くはないのであり、この国家形態にかんして忘れてならないのは、それを準備したのが法学者だけでなく、さらには兵士であり、国政参議と下級官吏であり、法律の人と陣営の人であった点である。こうした国家形成にともなって用いられた、ローマ帝国への指示関連には、まさしく、市民と兵士、法律と操練という指標が含まれるのだ。法学者ないしは哲学者たちが契約というもののなかに、社会体の建設もしくは再建のための原初的モデルを探求していた一方では、軍人は、さらには彼らとともに規律・訓練を旨とする技術家たちは、個人および集団にわたっての身体への強制権のための諸方式をみがきあげていたのである」(フーコー「監獄の誕生・P.171」新潮社)

そうフーコーはいう。そしてそれは間違っていなかった。ところが驚くべきは、十八世紀末から十九世紀前半にかけてヨーロッパで起きたそのような事態が、二〇二〇年にもなると、とりわけ日本では転倒した形で再出現してきた点だろう。民主主義の理念とそれらをめぐる様々な議論の側が、高度テクノロジーに代表される軍事上の技術発展とそれを実施する規律・訓練のための技術者の華々しい議論によって、居直り的態度で覆い隠されるという事態である。法律もまた政治=経済の支配下に置かれるようになってきた。

「戦争機械の自立化、オートメーション化が現実的な効果を発揮し始めたのは第二次大戦以後のことである。戦争機械は、それに作用する新しい対立の結果、もはや戦争を唯一の対象とせず、平和、政治、世界秩序をもにない、これらを対象とするにいたり、要するに目的であったものも一つの対象とするにいたる。ここにおいてクラウゼヴィッツの公式は転倒される。政治はただ戦争を継続させるものとなり、《平和が無限の物質的プロセスを全面戦争から技術的に解放するのである》。戦争はもはや戦争機械の具体化ではなく、《具体化された戦争となるのは戦争機械そのものである》。この意味でもはやファシズムは不要となった。ファシストたちは前兆としての子供でしかなかったのであり、生き残りのための絶対的な平和は全面戦争が達成できなかったものを完成させた」(ドゥルーズ&ガタリ「千のプラトー・下・P.233~234」河出文庫)

司法は今や政治の下請けであり、さらに「政治は」直接的にせよ間接的にせよ「ただ戦争を継続させるものとな」っている。とはいえ、政財官界いずれにしても、そこで働いているのは子供ではなく大人である。大人たちの「馬鹿騒ぎ」が子供たちの目にはどのように見えているか。たいへん興味深くはないだろうか。フィッツジェラルドは世界恐慌発生直前に起きた十年にわたる「馬鹿騒ぎ」(空前の好景気)について、始めは「子供たち」のパーティに過ぎなかったものを「大人が引継いだようなもの」だとしている。

「一九二二年という年を証拠として提出されんことを!この年は若い世代の絶頂期だった。というのは、その後もジャズ・エイジは続いたが、しだいに若者のものではなくなっていったからだ。それ以後は、子供のパーティを大人が引継いだようなもので、子供たちは当惑し、なんとなく無視され、なかり驚いていたという次第だ。一九三二年までに、大人たちは心ならずも羨しさを隠しきれずにカーニバルを眺めることに飽きて、若い酒が若い血に取って代るものだということに気づいていた。そして歓声とともに馬鹿騒ぎが始まった。若い世代はもはや主役ではなかった」(フィッツジェラルド「ジャズ・エイジのこだま」『フィッツジェラルド作品集3・P.162』荒地出版社)

二十代の「若い世代はもはや主役ではなかった」。では主役となった「大人たち」は何をやり始めたか。フィッツジェラルドはそれを「驚くべきネアンデルタール人」と形容しているわけだが。

「アメリカ人はますます広い範囲にわたって放浪していたーーー友人たちはいつまでもロシア、ペルシャ、アビシニア、中央アフリカへ出かけていくように思われた。そして一九二九年までに、パリはほとんど窒息しそうになっていた。ブームによって吐きだされたアメリカ人が新しく船でくるたびに、彼らの質は低下し、ついに末期ともなると、気狂いじみた船客たちにはなにか不気味なものさえあった。同じ階級のヨーロッパ人にくらべて、親切さとか好奇心といった点ではるかに勝っていた、素朴なパパ、ママ、息子、娘の姿はもはやなく、それに代って驚くべきネアンデルタール人がいたのである」(フィッツジェラルド「ジャズ・エイジのこだま」『フィッツジェラルド作品集3・P.168』荒地出版社)

とはいえ、たとえ「馬鹿騒ぎ」の時期が「借りものの時代だった」にせよ、その頃「二十代であったことは楽しいことだった」と回想する。もっとも、それは、生き残った人々の一人だから言えるわけだが。

「ばか騒ぎはいまから二年前(一九二九年)に終りをつげた。この騒ぎの根本的な支えとなっていた完全な自信が大きく揺さぶられたからだ。それから二年もたつと、ジャズ・エイジは大戦前の日々と同じように遠い昔のことのように思われた。いずれにしても、それは借りものの時代だったーーー一つの国家の上流階級全体が大公のごとく落着きはらい、コーラスガールのごとく行き当りばったりに暮していたのだ。しかし、今になって、とやかく言うのはやさしいが、あのように悩み知らずの時代に、二十代であったことは楽しいことだった」(フィッツジェラルド「ジャズ・エイジのこだま」『フィッツジェラルド作品集3・P.169』荒地出版社)

貧乏生活が戻ってきた。あの十年はなるほど「空費した青春」であり、今となっては「恐怖」を伴う。だが反復するとき人間は、フィッツジェラルドが書いているように当時の環境そのものをも同時に反復する。「ドラムの音にまじって、かすかな騒音が聞こえ、トロンボーンの音に喘息のようなひびきが混じり」といったように。

「現在、ふたたび耐乏生活にもどっている。わたしたちは空費した青春をふり返り、恐怖を表わす適当な言葉を思い起そうとする。だが、ときとしてドラムの音にまじって、かすかな騒音が聞こえ、トロンボーンの音に喘息のようなひびきが混じり、わたしたちは二〇年代の初めに連れ戻される」(フィッツジェラルド「ジャズ・エイジのこだま」『フィッツジェラルド作品集3・P.170』荒地出版社)

スピノザは言っている。

「もし精神がかつて同時に二つの感情に刺激されたとしたら、精神はあとでその中の一つに刺激される場合、他の一つにも刺激されるであろう。ーーーもし人間身体がかつて同時に二つの物体から刺激されたとしたら、精神はあとでその中の一つを表象する場合、ただちに他の一つをも想起するであろう。ところが精神の表象は、外部の物体の本性よりも我々の身体の感情を《より》多く示している。ゆえにもし身体、したがってまた精神はかつて二つの感情に刺激されたとしたら、あとでその中の一つに刺激される場合他の一つにも刺激されるであろう」(スピノザ「エチカ・第三部・定理一四・P.183~184」岩波文庫)

フィッツジェラルドは一九二〇年代の「馬鹿騒ぎ」を思い出すとき、いつも、自分の身体を一九二〇年代の一部分として反復している。
ーーーーー
さらに、当分の間、言い続けなければならないことがある。

「《自然を誹謗する者に抗して》。ーーーすべての自然的傾向を、すぐさま病気とみなし、それを何か歪めるものあるいは全く恥ずべきものととる人たちがいるが、そういった者たちは私には不愉快な存在だ、ーーー人間の性向や衝動は悪であるといった考えに、われわれを誘惑したのは、《こういう人たち》だ。われわれの本性に対して、また全自然に対してわれわれが犯す大きな不正の原因となっているのは、《彼ら》なのだ!自分の諸衝動に、快く心おきなく身をゆだねても《いい》人たちは、結構いるものだ。それなのに、そうした人たちが、自然は『悪いもの』だというあの妄念を恐れる不安から、そうやらない!《だからこそ》、人間のもとにはごく僅かの高貴性しか見出されないという結果になったのだ」(ニーチェ「悦ばしき知識・二九四・P.309~340」ちくま学芸文庫)

ニーチェのいうように、「自然的傾向を、すぐさま病気とみなし」、人工的に加工=変造して人間の側に適応させようとする人間の奢りは留まるところを知らない。昨今の豪雨災害にしても防災のための「堤防絶対主義」というカルト的信仰が生んだ人災の面がどれほどあるか。「原発」もまたそうだ。人工的なものはどれほど強力なものであっても、むしろ人工的であるがゆえ、やがて壊れる。根本的にじっくり考え直されなければならないだろう。日本という名の危機がありありと差し迫っている。

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微視的細部4

2020年05月27日 | 日記・エッセイ・コラム
アドリエンヌが修道院へ入り寄宿生活を送ることになると当時に、主人公は恋愛対象から切断された事情のもとに置かれる。だがしかしこの切断は新しい接続とほぼ同時に行なわれる。それまで眼中になかったシルヴィがただ単なる地域社会の小娘ではなく、恋愛対象として十分に成熟した女性としてたちまち立ち現われたからだ。ネルヴァルは「数年の月日が流れた」と述べているが、「三年ものあいだ」とも述べている。しかし新しい接続が「ほぼ同時」に行なわれたということとその間に経過した実際の年月が何年かということとはほとんど何の関係もない。問題になるのはアドリエンヌに匹敵する新しい恋愛対象の出現という事態が、出現したときすでに実際の年月を超越して出現するという時間の転移あるい脱節だからである。さらにアドリエンヌはもともとシルヴィが地域の祭りの日に隣村から連れてきた女性であって、主人公はアドリエンヌに会う前からシルヴィとは知り合いだった。そしてすでに主人公は祭りの場でアドリエンヌに遭遇する前からシルヴィに対して何となく憧れのようなものを抱いていた。それが恋愛感情として勃発したのはシルヴィに向けてでなくアドリエンヌという「隣村に住む《他者》」だったことは《他者》の持つ《他者性》がどれほど生産的な欲望として働くかを示す指標となる。だから数年の空白にもかかわらず欲望は時間を知らないと言えるわけである。ちなみに言っておくと、この数年の空白ののちに主人公もシルヴィも「中等学校」を終えている。日本でいえば二人とももはや子どもではなく高校生になっていたと言える。だから主人公にすれば、シルヴィからアドリエンヌ、アドリエンヌからシルヴィへ回帰してきた恋愛感情の流れは、シルヴィの身体《において》次のように書き込まれる。

「弓なりの眉の下で、整った穏やかな顔立ちを不意に明るく照らす彼女の微笑みには、何かしらアテナイ風のところがあった。仲間の娘たちの愛嬌はあるが造作の整わない顔のあいだにあって、古代芸術にもふさわしいそのかんばせにぼくは見とれた。手はほっそりと伸び、腕はふっくらとして色白になり、背もすらりと伸びて前に会ったときとはまるで別人のようだった。どれほど見違えるようになったかを本人にいわずにはいられなかった。そうやって昔の、つまの間の心変わりを償えればと願いながら」(ネルヴァル「シルヴィ」『火の娘たち・P.227』岩波文庫)

しかし主人公はこの箇所で或る種の勘違いを犯している。「つまの間の心変わりを償えれば」と。しかし「心変わり」などどこにも起こっていない。主人公の性的欲望は、シルヴィ、アドリエンヌ、シルヴィと循環したに過ぎず、変わったのはただ単に相手の、目に見える姿形だけである。欲望は主人公の目の前にシルヴィ、アドリエンヌ、シルヴィという姿形を置き換えただけのことであり、性的欲望は一貫して欲望の生産再生産という作業を順調に行なったというに過ぎず、欲望そのものは何らの間違いも犯していない。ただ、日本でいえば、シルヴィはもはや高校卒業程度の女性になっているわけで、主人公にとってはまたしても順調な睡眠を妨げる諸要素の一つとして出現したことは確かだろう。主人公はシルヴィにルソー「新エロイーズ」の一節を熱心に読んできかせる。シルヴィはほとんどまったく反応しない。感心がないのかあるいはうんざりしているだろう。しかしここで起こっていることは主人公のルソー化である。ちなみにルソー自身が「新エロイーズ」発表に際して巻き起こった世論の非難に関し述べている箇所を見てみよう。

「なんということか!『永久平和論』の編者が不和を鼓吹し、『サヴォワの助任司祭の信仰告白』の作者が不信心ものであり、『新エロイーズ』の著者がオオカミ、『エミール』の著者が過激派だ、というのか」(ルソー「告白・下・P.159」岩波文庫)

ルソーはよく激怒する。激情になる。今の日本でいえばただ単に「多感」だという凡庸な言葉へと葬り去られてしまうほかないのだが。ルソーの自慰体験についてルソー自身はこう語っている。

「わたしがイタリアから帰ってきたとき、まったく行く前と同じだったのではないが、しかし、あの年ごろの人間なら、そういう状態ではもどらなかったはずだ。つまり、わたしは純潔は失ったが、童貞は失わずにもって帰ってきた。年齢の進行が自分によく感じられていた。落ちつかない気質がついにはっきりあらわれた。その最初のまったく不本意な爆発のために、わたしは健康がどうかしたのかとびっくりしたが、これが何にもまさって今までわたしが性的に無知だった証拠になる。やがて安心すると、わたしは、わたしのような気性の青年たちに、健康や元気や時には生命さえ犠牲にして、種々の放蕩をまぬがれさせるところの、あの自然をあざむく危険な手段を知った。羞恥心と内気から便宜と考えられるこの悪習は、なおまた、熾烈(しれつ)な想像力をもつものにはたいへん魅力がある。つまり、異性を自分の意のままにあつかうことができ、誘惑を感じる美しいひとを、そのひとの同意をえるまでもなく自分の快楽に都合よく利用できるからだ。こういう危険な魅力のとりことなったわたしは、自然が与えてくれた、そしてその発育を待っていた立派な体質をむざむざ損うようにせいだしたのである」(ルソー「告白・上・P.155~156」岩波文庫)

さらに或る女性に対する性的欲望について。十八世紀後半、新興ブルジョワ階級の中でも特に稀にみる知識人として出現したルソーは早くも、売春における人身売買とまでは言わないが、人身の置き換え可能性について奇妙にねじれた文章を用いて、或る種の違和感を呈しつつこう述べる。

「ママンと呼び、息子のような気安さで親しんできた結果、わたしはほんとうに子どものつもりになっていた。ーーー彼女はわたしにとって姉以上のもの、母以上のもの、友以上のもの、恋人以上のものでさえあった。ーーー待ちかねたというよりむしろ恐れていたその日がとうとう来た。わたしは何でも約束した。そして嘘をいわなかった。わたしの心は約束を再確認したが、その報酬をのぞまなかった。しかし、その報酬はえたのだ。はじめてわたしは女の腕に抱かれる自分を見た。熱愛している女の腕に。わたしは幸福だったか。いな。快楽は味わった。だがその快楽の魅力を、なにかは知らぬうちかちがたい悲しみが毒していた。わたしは近親相姦をおかしたような気持だった」(ルソー「告白・上・P.281」岩波文庫)

次の箇所では、自慰行為からママンの身体へ、ママンの身体からテレーズの身体へ、という性的対象の置き換え可能性が明らかにされる。

「彼女は、ものごころつくころ、自分の無知と、誘惑者のたくみさのために、一度だけあやまちを犯したことがあることを、涙ながらに告白した。彼女のいう意味がわかったとたん、わたしは喜びのあまりさけんだ。『処女なんて!パリで、しかも二十歳にもなった女に、だれがそんなものを求めるもんか!ああ、テレーズ!ぼくはしあわせすぎる、貞淑で健康なおまえが、ぼくのものになったんだから。そして、見つからなかったといって、それはもともと、求めていなかったのだから』。最初は、ほんのなぐさみにするつもりだった。しかしそれ以上に深入りし、一人の伴侶をこしらえてしまったことに気づいた。このすぐれた娘と少し慣れ、また自分の境遇を少し反省してみて、ただ快楽ばかりを求めていたのに、それがわたしの幸福にも大いに役立ったことを感じた。消え去った野心のかわりに、心をみたしてくれる、なにかはげしい感情がわたしには必要だった。つまり、ママンのかわりがほしかったのだ。だが、今はもうママンといっしょに暮らすわけにはいかぬ以上、ママンの手で教育されたこのわたしといっしょに暮らしてくれるひと、ママンがわたしのうちに見出したような、素朴で従順な心のもちぬしが必要だった。家庭生活のなごやかさが、わたしの断念した輝かしい将来をつぐなってくれねばならぬ。ひとりきりでいるとき、わたしの心は空虚だった。だがそれを満たすには、ただ一つの心で十分なのだ。自然はわたしを、そういう心にふさわしいようにこしらえてくれたのに、運命はわたしからその心を、少なくとも幾分かは奪いさり、遠ざけてしまった。それ以来、わたしは孤独なのだ。なぜならわたしにとって、すべてと無とのあいだに中間はないのだから。わたしはテレーズのうちに、わたしに必要な身代りを見いだしたのである」(ルソー「告白・中・P.90~91」岩波文庫)

よりいっそう厳密にいうと、あらゆる性的行為はいつもすでに何か別の対象へ置き換えられた代理行為でしかない。さらに、オリジナルな性的欲望の対象というものは始めからない。近親相姦の禁止は近親相姦が欲望されていることの反証ではない。それは一八八九年と一八九六年にフランスの親権法が改正され、親権剥奪制度導入に伴って親権(父権)の絶対性が緩和された時期に、フロイトが「オイディプス王」ならびに「症例ドラ」を発表し、もはや消滅しつつある「父権」を逆に打ち立てたという逆説的事態の発生によって最も多弁に物語られている。ニーチェのいう「神の死」(絶対的中心の消滅、絶対的基準の消滅、絶対的父権の消滅、中心的なものの分散解体、変動相場制)にともなって「父権的なもの」の《神話》(物語=ストーリー)が出現した。だからフロイトの「オイディプス」ならびに「症例ドラ」の発表がニーチェの後に位置するのは不思議でもなんでもなくむしろ必然的である。

さて、シルヴィにルソー「新エロイーズ」の一節を熱心に読んできかせる主人公の態度。それは「告白」で描かれたような内容を手紙という形式を借りて懸命に伝えたがっているという意味で、まさしく主人公と同一化したネルヴァルのルソー化を見ないわけにはいかない。シルヴィ発表の一八五三年、アレクサンドル・デュマがネルヴァルについて或る文章を発表した。それはネルヴァルの精神的変調に触れる内容だった。といってもネルヴァルを否定するわけではなく、むしろネルヴァル擁護のために書かれた要素が強い。それを目にしたネルヴァルはデュマの文章を受け止めた上でネルヴァル自身の創作態度について述べることにした。最初は引用から始まる。

「以下に掲げるのは、あなたが昨年十二月十日、私についてお書きになった文章の一部です。『読者諸君にもおわかりいただけたことと思うが、それは魅力ある、卓越した一個の精神なのだ、ーーーただしその精神においてはときおり、ある種の現象が生じる。それは幸いにも(そう願いたいが)、本人にとっても深刻な不安を抱かせるものではない。ーーーときおり、何か仕事のことで頭がいっぱいになると<一家の狂女>の異名をとる想像力が、家の女主人にほかならぬ理性を追い払ってしまう。そうなると想像力はただ一人傲然と、カイロの阿片吸引者やアルジェのハッシッシュ摂取者に勝るとも劣らず夢と幻覚によって養われたこの脳髄のなかに居座る。すると何しろ想像力とはとりとめのないものだから、彼を不可能な理論や、なし得ない書物のなかに投げ込んでしまう』」(ネルヴァル「アレクサンドル・デュマへ」『火の娘たち・P.13』岩波文庫)

デュマからの引用は続くわけだが、この「投げ込んでしまう」のすぐあとに続いている文章の一部が、ネルヴァル自身によって削除されて発表されている。ネルヴァルが削除した箇所は次の部分。

「『そのときわれらが気の毒なジェラールは、医者にとっては病人となり治療を必要とすることになるが、われわれにとってはたんに、かつてないくらい雄弁に語り、大いに夢を見、才気煥発になるというだけのことなのだ』」(ネルヴァル「訳注」『火の娘たち・P.500』岩波文庫)

ネルヴァルとすればなるほど精神病院での治療が始まったことは事実だが、それが作品を不十分なものにしているわけではないと言いたかったのだろう。世間からみれば異端者であっても、だからといってその作品までが否定されるような事態にはしたくないというネルヴァルの意志を感じる。そしてこの異端者意識という点で実はフィッツジェラルド「グレート・ギャツビー」の主人公ギャツビーを思わせるものがあるのである。ネルヴァルとギャツビーとは時代も場所も全然違う。にもかかわらず、そうなのだ。

「家を見たあとでは、庭や、プールや、高速モーターボートや夏の花々を見る予定だったーーーところが、窓から見ると外はまた雨が降りだしていた。それでぼくたちは一列にならんで波立つ『海峡』の水面を眺めた。『霧がなければ、入江のむこうにあなたの家が見えたんですがね』ギャツビーが言った。『お宅の桟橋(さんばし)の突端のとこに、いつも夜どおし緑色の電燈(でんとう)がついてるでしょう』デイズィはいきなりギャツビーと腕を組んだ。しかし彼は、いま言った自分の言葉に心を奪われているらしかった。その光の持っていた巨大な意義が、いまは永遠に消滅してしまったと、ふと思ったのかもしれぬ。自分とデイズィを隔てている大きな距離に比べれば、いままでその光は彼女のすぐそばに、ほとんど彼女にふれることもできる距離にまたたいているように思われていた。月と星との仲のように、彼女の身近な存在とそれは感じられていた。それがいまでは、また単なる埠頭(ふとう)に輝く緑の灯(ひ)にすぎなくなった」(フィッツジェラルド「グレート・ギャツビー・P.151~152」新潮文庫)

フィッツジェラルドはアメリカの階級社会に異議を唱えるとか政治的諸問題に積極的に首を突っ込むという小説家ではない。にもかかわらずギャツビーが愛したおそらく唯一の女性デイズィとはどのような女性だったか。

「彼女は彼がはじめて知った『良家の』娘であった」(フィッツジェラルド「グレート・ギャツビー・P.244」新潮文庫)

だからといって問題は、階級間格差に伴う価値観の違いや生活様式の違いとは異なる。問題はギャツビーがアメリカ社会の中から生じてきた「成り上がり者」という異端者性にある。

「成り上がり者としての彼の生活は、そのはじまりと同じく謎のうちに終わりをつげた」(フィッツジェラルド「グレート・ギャツビー・P.183」新潮文庫)

とはいえしかし、ギャツビーの生涯がもし「謎のうちに終わりをつげ」なかったとしてもなお、問題のありかは動かない。デイズィはその自由奔放な言動と切り離しても切り離さなくても「『良家の』娘」であることには何の変わりもない。このことはアメリカがヨーロッパから離陸した後も「血あるいは血族」というテーマを引き継いでいたことを物語っている。

「十九世紀後半以来、血のテーマ系が、性的欲望の装置を通じて行使される政治権力の形を、歴史的な厚みによって活性化し支えるために動員される、ということが起きた。人種差別はまさにこの時点で形成される(近代的な、国家的な、生物学的な形態における人種差別である)。植民、家族、結婚、教育、社会の階層化、所有権などに関する政策と、身体、行動、健康、日常生活などのレベルにおける一連の不断の介入とが、その時、血の純潔さを守り種族を君臨せしめるという神話的な配慮から、己れが色合いと正当化を受けとった」フーコー「知への意志・P.188」新潮社)

デイズィは血の繋がりが「象徴的機能」《としての》「現実」を果たしている側に属している。ところがギャツビーはもはや血の繋がりがほとんど意味をなさず、金銭=資本こそすべてに優先するといった「生の経営学」の時代に属している。「生の経営学」が資本主義の主流として台頭してきたまさしくそのとき、血の繋がりを重視する「象徴的機能」《としての》「現実」が「成り上がり者」ギャツビーを《異端者》として捕捉し、「近代的な、国家的な、生物学的な形態における《人種差別》」を実行する形で異端者ギャツビーを破滅させるに至る。しかし一九二〇年代好景気の時代、この種の「成り上がり者」はほかにもたくさん発生したわけだが、世界恐慌以降、「成り上がり者=異端者」という政治的形式は、あくまで「血の象徴的機能」を保持し「血の純潔さを守り種族を君臨せしめるという神話的な配慮」のもとで、今度はさらに場所を置き換え、ナチスのドイツを出現させるに至るのである。
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さらに、当分の間、言い続けなければならないことがある。

「《自然を誹謗する者に抗して》。ーーーすべての自然的傾向を、すぐさま病気とみなし、それを何か歪めるものあるいは全く恥ずべきものととる人たちがいるが、そういった者たちは私には不愉快な存在だ、ーーー人間の性向や衝動は悪であるといった考えに、われわれを誘惑したのは、《こういう人たち》だ。われわれの本性に対して、また全自然に対してわれわれが犯す大きな不正の原因となっているのは、《彼ら》なのだ!自分の諸衝動に、快く心おきなく身をゆだねても《いい》人たちは、結構いるものだ。それなのに、そうした人たちが、自然は『悪いもの』だというあの妄念を恐れる不安から、そうやらない!《だからこそ》、人間のもとにはごく僅かの高貴性しか見出されないという結果になったのだ」(ニーチェ「悦ばしき知識・二九四・P.309~340」ちくま学芸文庫)

ニーチェのいうように、「自然的傾向を、すぐさま病気とみなし」、人工的に加工=変造して人間の側に適応させようとする人間の奢りは留まるところを知らない。昨今の豪雨災害にしても防災のための「堤防絶対主義」というカルト的信仰が生んだ人災の面がどれほどあるか。「原発」もまたそうだ。人工的なものはどれほど強力なものであっても、むしろ人工的であるがゆえ、やがて壊れる。根本的にじっくり考え直されなければならないだろう。日本という名の危機がありありと差し迫っている。

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