白鑞金’s 湖庵

元ノラ猫タマと愉快な仲間たちの日記・エッセイ・コラム。

Blog21・加速主義前夜へのプルースト上流社交界

2022年05月22日 | 日記・エッセイ・コラム
結局サン=ルーの部屋で睡眠をとることになった<私>。サン=ルーが帰ってくるまで横になる。部屋のドアを開けようとすると「なかからなにか動く音が聞こえてきた」。部屋へ入って見ると暖炉の火が燃えている。「動く音」の正体について「火はじっとしていることができず、つぎつぎと薪(まき)の位置を、しかもひどく不器用に動かしていた」からだった。ところがもし<私>が「壁の向こう側にいたら、だれかが鼻をかんで歩いているところだと思ったにちがいない」とプルーストはいう。部屋の中に入って始めて「炎があがるのを見ているからそれが火の音だとわかる」。この箇所のシニフィアン(意味するもの)は「薪が燃えて動く音」。

「私はサン=ルーの部屋だと教えられた部屋の、閉ざされたドアの前でいっとき立ち止まった。なかからなにか動く音が聞こえてきたからである。なにかを動かしてべつのものを落とす音で、部屋は空っぽではなく、だれか人のいる気配がする。だがそれは、暖炉の火が燃えているだけだった。火はじっとしていることができず、つぎつぎと薪(まき)の位置を、しかもひどく不器用に動かしていたのである。私がなかに入ると、火は薪のひとつを転がし、べつの薪をくすぶらせた。火は、たとえ動かないときでも、行儀の悪い人たちと同じようにひっきりなしに物音を立てる。私は炎があがるのを見ているからそれが火の音だとわかるが、かりに壁の向こう側にいたら、だれかが鼻をかんで歩いているところだと思ったにちがいない」(プルースト「失われた時を求めて5・第三篇・一・一・P.159~160」岩波文庫 二〇一三年)

部屋にはサン=ルーの叔母ゲルマント公爵夫人の写真が飾ってある。目に入るや否や欲望を覚える。とともに友人としてのサン=ルーの存在価値はたちまち上昇する。

「この写真の持主であるサン=ルーからそれをもらえるかもしれないという考えが浮かび、私にはサン=ルーがいっそう大切な存在となり、その役に立てるならどんなことでもしたい気持になった。この写真がもらえるのなら、どんなことも大したことではない気がしたのである」(プルースト「失われた時を求めて5・第三篇・一・一・P.170」岩波文庫 二〇一三年)

<私>は「どんなことも大したことではない」という。言い換えれば具体的にどういうことか。以前論じた。「死さえ取るに足りない」と。

「プチット・マドレーヌの味覚が私にコンブレーを想い出させてくれたのである。それにしてもなぜコンブレーとヴェネツィアのイメージが、それぞれが想い出された瞬間、それ以外にはなんの根拠もないのに、死さえ取るに足りないものと想わせるほどのなにか確信にも似た歓びを与えてくれたのだろう?」(プルースト「失われた時を求めて13・第七篇・一・P.433」岩波文庫 二〇一八年)

ところがこの問いは十九世紀のうちにニーチェがすでに解いていたものだ。もっとも、当時ニーチェの著作はほとんど売れず、どの読者からもほぼ完全に無視されてしまったわけだが。人間は不可解な難問を前にした時、いつも持ち合わせの言葉をいろいろと組み合わせることで説明に置き換えて述べ、そうするやもうこの上ない大役を果たしでもしたかのように自他ともに解答を与えたつもりになる。プルーストがいつも「マドレーヌ」へ舞い戻ってきてしまう理由は、ニーチェに言わせればこういうことだ。「何か未知のものを何か既知のものへと還元することは、気楽にさせ、安心させ、満足させ、しかのみならず或る権力の感情をあたえる」。だからプルーストはいつも間違ってしまう。

「何か未知のものを何か既知のものへと還元することは、気楽にさせ、安心させ、満足させ、しかのみならず或る権力の感情をあたえる。未知のものとともに、危険、不安、憂慮があたえられるが、ーーー最初の本能は、こうした苦しい状態を《除去する》ことにつとめる。なんらかの説明は説明しないよりもましである、これが第一原則にほかならない。根本において、問題はただ圧迫する想念から脱れたいということのみにあるのだから、それから脱れる手段のことは、まともに厳密にはとらない。未知のものを既知のものとして説明してくれる最初の思いつきは、それを『真なりとみなす』ほど気持ちよいのである。真理の標識としての《快感》(「力」の証明)。ーーーそれゆえ、原因をもとめる衝動は恐怖の感情によって制約されひきおこされる。『なぜ?』という問いは、できさえすれば、原因自身のために原因をあたえるというよりは、むしろ《一種の原因》をーーー一つの安心させ、満足させ、気楽にさせる原因をあたえるであろう。何かすでに《既知のもの》、体験されたもの、回想のうちへと書きこまれているものが原因として措定されるということは、この欲求の第一の結果である。新しいもの、体験されていないもの、見知らぬものは、原因としては閉めだされる。ーーーそれゆえ、原因として探しもとめられるのは、一種の説明であるのみならず、《選りぬきの優先的な》種類の説明であり、見知らぬもの、新しいもの、体験されていないものの感情が、そこでは最も急速に最も頻繁に除去されてしまっている説明、ーーー《最も習慣的な》説明である。その結果は、一種の原因定立が、ますます優勢となり、体系へと集中化され、最後には、《支配的となりつつ》、言いかえれば、《他の》原因や説明を簡単に閉めだしつつ、立ちあらわれるということになる」(ニーチェ「偶像の黄昏」『偶像の黄昏・反キリスト者・P.62~63』ちくま学芸文庫 一九九四年)

その種の間違いを犯さないようにするには、ではどうすればいいか。意識的状態はいつも「恣意的」でしかありえない。先入観が割り込んでくるか先に先入観の側が地盤を占拠している。そんな場所へ探りを入れてみても転がり出てくる答えがいつも同じなのは当り前だ。次のセンテンスでプルーストが論じているのは、意識的状態に常にまとわりついて離れない「恣意的」な思考からの脱却必要性である。そのためには「偶然・不意打ち・想定外の暴力との出会い」が必要だと述べる。

「なぜなら、白日の世界において知性がじかに透かして把握する真実は、人生が印象としてわれわれに思いがけず伝えてくれる真実に比べれば、さほど深いものでも必然的なものでもないからだ。要するに、マルタンヴィルの鐘塔の眺めが与えてくれたような印象であろうと、不揃いなふたつの敷石やマドレーヌの味覚が与えてくれたような無意識の記憶であろうと、どちらの場合も、私が感じたものを考え抜くことによって、つまり私が感じたものを薄暗がりからとり出してその精神的等価物に転換するよう努めることによって、ひとつひとつの感覚をそれぞれの法則と思考を備えた表徴として解釈しなければならなかったのである。ところで、これを成し遂げる唯一の方法と思われるのは、芸術作品をつくること以外のなにであろう?しかもすでにさまざまな結果が私の頭のなかにひしめいていた。というのも、フォークの音やマドレーヌの味覚といったたぐいの無意識の記憶であれ、鐘塔や雑草といった形象が私の頭のなかに複雑な花をつけた判じ物を形づくり、私がその意味を明らかにしようと努める形象の助けを借りて記された真実であれ、その第一の性格は、私がそれらを自由に選べるわけではないこと、そうした記憶や真実はあるがまま私に与えられているということであった。私はこの事実にこそ、そうした記憶や真実が正真正銘のものであるという極印(ごくいん)になると感じた。私は中庭に不揃いなふたつの敷石を探しに行って、それにつまずいたわけではない。そうではなく偶然、避けようもないものとしてその感覚に出会ったこと自体が、その感覚でよみがえらせた過去の真正さと、その感覚が生じさせたイメージの真正さを保証してくれる。なぜならわれわれは、明るい光のほうへ浮上しようとするその感覚の努力を感じるからであり、ようやく見出された現実の歓びを感じるからだ。またその感覚は、そこからひき出される当時の印象からなる画面全体に、光と影、起伏と欠如、回想と忘却などを間違いのない割合で配合し、その画面の真正さをも保証してくれる。意識的な記憶や観察では、そのような割合の配合は永久に知られないだろう。未知の表徴で記された内的な書物となれば(その表徴には起伏があるらしく、私の注意力は、わが無意識を探検しながら海底を探る潜水夫のように探りを入れ、ぶつかりながらその輪郭を描こうとした)、その表徴を解読するのに、いかなる形であれ私を手伝ってくれる者はひとりもなく、その解読は、だれに代わってもらうこともできずだれかに協力してもらうことさえできない、創造行為なのである。それゆえいかに多くの人がそのような書物を書くことから離れてしまうことだろう!人が多くの責務を引き受けるのは、この責務を避けるためではないか!ドレフェス事件であれ戦争であれ、あれやこれやのできごとが、作家たちは正義の勝利を確かなものにしたり民族の精神的統一をとり戻したりすることに意を注ぎ、文学のことなど考える余裕がなかったのだろう。しかしそんなことは言い訳にすぎない。そうなったのは、作家たちが才能、つまり本能をもっていなかったか、もはやそれを失っていたからだ。というのも本能は義務を果たすよう強いるが、知性はその義務を回避するさまざまな口実を提供するからである。ただし芸術のなかには、そんな口実はあらわれないし、意図などものの数にもはいらない。芸術家はいかなるときも自分の本能の声に耳を傾けるべきで、そうしてこそ芸術はこのうえなく現実的なものとなり、人生のこのうえなく厳格な学校となり、真に最後の審判となるのだ。その書物は、あらゆる書物のなかでいちばん解読に苦労する書物となるが、同時に、現実がわれわれに書きとらせた唯一の書物、現実そのものがわれわれのうちに『印象』を『印刷』してつくらせた唯一の書物である。人生がわれわれのうちにいかなる想念を残そうとも、その想念の具体的な形、つまりその想念がわれわれのうちにつくりだすさまざまな想念には、論理的な真実、可能な真実しか存在せず、そうした真実は恣意的に選ばれるにすぎない。われわれが記した文字ではなく、象徴的な文字からなる書物こそ、われわれのただひとつの書物である。われわれのつくりだす想念が論理的に正しいことなどありえないからではなく、その想念が真実であるかどうかはわれわれには判断できないからである。ひとえに印象だけが、たとえその素材がいかにみすぼらしく、その傷痕がいかに捉えにくいものであろうと、真実の指標となり、それゆえ精神によって把握される価値があるのは印象だけである。というのも印象から精神が真実をひき出すことができるなら、印象だけが精神を一段と大きな完成へと導き、精神に純粋な歓びを与えることができるからである」(プルースト「失われた時を求めて13・第七篇・一・P.455~458」岩波文庫 二〇一八年)

さらに別の箇所で、ともすれば「制度化」されたステレオタイプ的(常套句的・思い込み的)解決に陥りがちな思考に衝撃を与え、ステレオタイプ的(常套句的・思い込み的)還元を解体・断片化し、逆に思考が創造であるような思考を思考せざる得なくさせる<力>の重要性について実在した作家の実例を上げている。ゲルマント夫人が引用したヴィクトル・ユゴーの初期詩篇がそうだ。

「夫人が私に引用したヴィクトル・ユゴーの詩は、じつを言えばユゴーが進化の過程において新人作家の域を脱して、いっそう複雑な声を備えた未知の文学の種を現出せしめた時期からすると、はるか以前の作である。こうした初期詩篇では、ヴィクトル・ユゴーはいまだ考える人であり、自然と同じように、考える材料だけを提示するのに甘んじることができていない」(プルースト「失われた時を求めて7・第三篇・三・二・二・P.452」岩波文庫 二〇一四年)

本来的に怠惰にできている人間というものが何かを思考するに当たり、優等生丸出しのプラトンでさえ、最低限度とはいえパルマコン(医薬/毒薬)的かつ暴力的衝撃の必要性について述べている。三箇所引いておこう。

(1)「毒蛇に咬まれた者の苦境はすなわち私の現状でもある。実際、人のいうところによると、こういう経験を嘗めた者は、自ら咬まれたことのある者以外には誰にも、それがどんなだったかを話して聴かせることを好まぬものだという、それは、苦悩のあまりにどんな法外な事を為(し)たりいったりしても、こういう人達にかぎって、それを理解もしまた寛容もしてくれるだろうーーーと、こう人は考えるからである。ところが《僕》はそれよりもさらにいっそう烈しい苦痛を与える者に咬まれた、しかも咬まれて一番痛い個所をーーー心臓か魂を、または何とでも適当に呼べばいいのだがーーー愛智上(フィロソフィア)の談論に打たれまた咬まれたのだった。その談論というのは若年でかつ凡庸でない魂を捉えたが最後、毒蛇よりも凶暴に噛み付いて離さず、かつこれにどんな法外な事でも為(し)たりいったりさせるほどの力を持っているのである。さらにまた見渡すところ今僕の前には、ファイドロスだとか、アガトンだとか、エリュキシマコスだとか、パウサニヤスだとか、アリストデモスだとか、アリストファネスだとか(ソクラテスその人は別に挙げるにも及ぶまい)、またその他の諸君がおられるのだが、この諸君は実際みな愛智者の乱心(マニア)と狂熱(バクヘイヤ)に参している人達である」(プラトン「饗宴・P.140~141」岩波文庫 一九五二年)

(2)「ソクラテス、お会いする前から、かねがね聞いてはいましたーーーあなたという方は何がなんでも、みずから困難に行きづまっては、ほかの人々も行きづまらせずにはいない人だと。げんにそのとおり、どうやらあなたはいま、私に魔法をかけ、魔薬を用い、まさに呪文(じゅもん)でもかけるようにして、あげくのはてに、行きづまりで途方にくれさせてしまったようです。もし冗談めいたことをしも言わせていただけるなら、あなたという人は、顔かたちその他、どこから見てもまったく、海にいるあの平べったいシビレエイにそっくりのような気がしますね。なぜなら、あのシビレエイも、近づいて触れる者を誰でもしびれさせるのですが、あなたがいま私に対してしたことも、何かそれと同じようなことのように思われるからです。なにしろ私は、心も口も文字どおりしびれてしまって、何をあなたに答えてよいのやら、さっぱりわからないのですから」(プラトン「メノン・13・P.42~43」岩波文庫 一九九四年)

(3)「毒を飲めば僕はもはや君たちのもとには留まらずに、浄福な者たちのうちへと立ち去る。ーーー君たちは、僕が死ねば、僕は誓ってここに留まらずに、立ち去って行くだろう、と保証してくれたまえ。そうすれば、クリトンはより容易に耐えるだろうし、僕の体が焼かれたり土の中に埋められたりするのを見て、僕が恐ろしい目にあっているのだと思って、僕のために嘆いたりはしないだろう。また、葬式のときに、ソクラテスを安置するとか、ソクラテスの葬列に従うとか、ソクラテスを埋葬するとか、言うことはないだろう。いいかね、善きクリトンよ、言葉を正しく使わないということはそれ自体として誤謬であるばかりではなくて、魂になにか害悪を及ぼすのだ。さあ、元気を出すのだ。そして、僕の体を埋葬するのだ、と言いたまえ。そして、君の好きなように、君がもっとも世間の習わしに合うと考えるように、埋葬してくれたまえ」(プラトン「パイドン・5・終曲・P.170~171」岩波文庫 一九九八年)

この時点の<私>にとってゲルマント夫人は<美自身>である。<美自身>としてのゲルマント夫人というのは、これまでの「さまざまな出会いに、さらに新たな出会いをつけ加えるものであったからだ。いや、それ以上のもとと言うべきか」と価値を増大させる。こんなふうに。

「というのもこの写真は、私がすでに経験していたゲルマント夫人とのさまざまな出会いに、さらに新たな出会いをつけ加えるものであったからだ。いや、それ以上のもとと言うべきか、まるでふたりの関係に突然の進展が生じて、夫人が庭用の帽子をかぶって私のそばに立ち止まり、はじめて頬の膨らみとか、うなじの曲がり具合とか、眉の端とか(それまでは夫人があっという間に通りすぎたり私の印象が混乱していたり記憶があやふやだったりして私には覆い隠されていたもの)を心ゆくまで眺めさせてくれたのに等しいからである」(プルースト「失われた時を求めて5・第三篇・一・一・P.170~171」岩波文庫 二〇一三年)

二十歳前後の青年にとって同年代の友人の若い叔母や姉妹で、なおかつ<美しい人>となると大抵は性的興奮を覚えないわけにはいかない。プルーストは書き込む。「官能的な発見であり、特別の厚遇だった」。年齢でいえばそれでごく「普通・正常」とされるが、作品「失われた時を求めて」ではこの辺りからもはや実際の年齢は不透明になる。中年を過ぎてからの記憶の想起というのは誰もが<諸断片>のモザイクなのであって、精密な日記を付けていたとしてもなお日記に書き記される言葉はあくまで<私>の側=こちら側の記憶の羅列でしかないとしか言えないからだ。いとも単純に現在の話と過去の記憶との混合が共振し合いつつ<未来へ向けて>創造される。なお「ローブ・モンタント」は昼間の正装。夜会服は「ローブ・デコルテ」。

「そんな部分をうち眺めるのは私にとって(ローブ・モンタントに包まれたところしか見たことがなかった女性のあらわな胸や腕を眺めるのと同じほど)、官能的な発見であり、特別の厚遇だった。見つめるのが禁じられているも同然に思われたこのような身体の線を、まるでそれが私にとって価値ある唯一の幾何学であるかのように、その写真でじっくり研究できるのである」(プルースト「失われた時を求めて5・第三篇・一・一・P.171」岩波文庫 二〇一三年)

ちなみにドゥルーズのプルースト論では<私>=「色情狂」とされている。生贄(いけにえ)はアルベルチーヌだがそれはもっと後半においてであり、さらにドゥルーズとガタリとの共著「アンチ・オイディプス」や「千のプラトー」で語られるプルースト論とは多少なりとも違っている。しかしドゥルーズのプルースト論はあくまで参考文献にとどまる。でないと一市民としての読者は消失するしかない。

第三篇「ゲルマントのほう」ではそれよりも先に上流社交界の記号論とでもいうべきエピソードがふんだんに語られる。良い悪いの価値観は問題外に置き去られる。<私>の実体験においても空想においても、いずれにしても舞台は上流社交界。そこで繰り広げられる大貴族と大資本家階級との悲喜劇的対立を通し、多種多様な<身振り・振る舞い>が「善悪の彼岸」において徐々にその虚構性とちぐはぐさ、奇妙な濫用や横断性などについて<覗き><覗かれ><暴露>されていく。第二篇「花咲く乙女たちのかげに」の「かげに」というフレーズがすでに「思春期の女性たち」を<覗く>という内容を意味していたように。

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Blog21・複合的相続としての「サン=ルーの語彙や話しかた」

2022年05月21日 | 日記・エッセイ・コラム
サン=ルー(ロベール)はゲルマント公爵夫人の甥であると同時にドンシエール駐屯地の軍人(下士官)でもある。上流貴族階級であるにもかかわらずニーチェとプルードンを愛読する社会主義者を自任する知識人であり、そのため他の学生たちと一緒だと言葉遣いや<身振り>に珍妙で異質な部分がたびたび出現する。以前引いた。例えばこんなふうに。

「本人が貴族だったからこそ、身なりのよくない思い上がった若い学生たちとの交際を求めたこのような精神活動のうちに、社会主義への憧れのうちに、そんな学生たちには欠けているほんとうに純粋で無私なところが存在したのである。無知で利己的な階級(カースト)の後継者を自認していたサン=ルーは、貴族というおのが出自にを学生たちに赦してもらおうと大真面目に努力していたが、それとは裏腹に学生たちはむしろ貴族の出自に魅惑され、冷淡で無礼ともいえる態度を装いながらサン=ルーを追い求めた」(プルースト「失われた時を求めて4・第二篇・二・二・P.217~218」岩波文庫 二〇一二年)

ニーチェのいう「良心の疚(やま)しさ」に過剰なほど取り憑かれている。従って次のような変貌を見せる。サン=ルーが見れば「赤面」せざるを得ないほどの失態を演じてしまった友人自身は自分の失態に気づかないけれども、その失態を見てしまったサン=ルーの側は、後で友人が自分の失態に気づいて「赤面」することを恐れるがゆえ、いかにも不自然な<身振り>を演じてしまう。とともに「自分があやまちを犯したかのごとくロベールのほうが赤面する」。

「頭のいい友人のだれかが社交上の失態を演じてみっともない羽目におちいるたびにサン=ルーは、自分のほうはそんなことを気にしなくても、友人のほうがそのみっともなさに気づいたら赤面するにちがいないと察し、相手の感情を傷つけるのではないかと怖れてぎこちなくなる。すると自分があやまちを犯したかのごとくロベールのほうが赤面する」(プルースト「失われた時を求めて4・第二篇・二・二・P.219」岩波文庫 二〇一二年)

そんなサン=ルーに会いに<私>はドンシエールを訪れた。宿を探そうと思っていたところ、サン=ルーは「フランドル・ホテル」を推薦する。<私>の趣味に合わせて考えてくれたらしい。その時のサン=ルーの言葉遣いがこの箇所でもまたサン=ルーの性格を読者に伝えている。だがしかし、それだけのことでは到底済まされない。もっと桁外れに重要な問いが書き込まれている。

サン=ルーはいう。「あれならまずまず<歴史的な古い屋敷>に<なる>だろう」。プルーストにとってそんなことはどうでもいい。問題なのは「話しことばも、書きことばと同様、ときどきこのように語の意味を変え、表現を洗練させる必要を感じるものらしい」という言語自体の「整形外科」的変容である。「サン=ルーは、なにかにつけてこの<なる>という語を<ーーーのように見える>のかわりに使っていた」というサン=ルーの癖の述べているかのように見せかけて、その実プルーストは、文法<という>制度をしばしば解体してみせる。文法というものはあくまで在る一定の時代を画する「制度」に過ぎず、シニフィアン(意味するもの)とシニフィエ(意味されるもの・内容)との乖離があまりにも激しくなると、ある時点で切断されるとともにたちまち別の文法へ置き換えられるばかりか、実際に切断可能であり置き換えられもしてきた歴史的事実をさらりと<暴露>する。

「『そうじゃなくて、フランドル・ホテルにしたらどうだろう十八世紀のちょっとした古い館で、昔のタピスリーもいくつかあるんだ。あれならまずまず<歴史的な古い屋敷>に<なる>だろう』。サン=ルーは、なにかにつけてこの<なる>という語を<ーーーのように見える>のかわりに使っていた。話しことばも、書きことばと同様、ときどきこのように語の意味を変え、表現を洗練させる必要を感じるものらしい」(プルースト「失われた時を求めて5・第三篇・一・一・P.154」岩波文庫 二〇一三年)

また次の箇所も重要だろう。

「ジャーナリストたちが自分で使っている『優雅な表現』がいかなる文学流派に由来するものかまでは承知していないのと同じで、サン=ルーの語彙や話しかたは、じつのところ三人の異なる審美家の模倣から成り立っていて、ひとりたりとも面識はないその三人のことばづかいが間接的にサン=ルーに教えこまれていたのである」(プルースト「失われた時を求めて5・第三篇・一・一・P.154~155」岩波文庫 二〇一三年)

初歩的な言葉遣いというものはほとんど無意識的な学習という日常生活の中で身につくものだが、それは生まれ育ってきた過程で大きな影響を与えられた何人かの人物の<身振り・言語>が複合・合体した化合物に等しい。言語的文法的(制度的)相続という過程で生じている事態であって、その意味で重要なのは、相続した人間の思考方法もともに相続される点である。次のように。

「《良心の中味》。ーーーわれわれの良心の中味は、幼少時代のわれわれに、われわれのかつて尊敬しあるいは恐れた人びとが理由なく規則的に《要求》したものの一切である。したがってこの良心からあの義務の感情(「これを私はなさねばならない、これをやめねばならない」という)がひき起されたのであるが、しかしこの感情は、《なぜ》私はなさねばならぬのか?を問わない。ーーーしたがって、或ることが『ーーーだから』とか『なぜーーー』という理由づけや理由の詮索とともになされる場合にはすべて、人間は良心《なしに》行動するわけである。しかしだからこそまだ良心に反してではない。ーーーさまざまな権威に対する信仰が良心の源泉である。したがって良心は人間の胸中の神の声ではなく、人間の内部にいる何人かの人間の声である」(ニーチェ「人間的、あまりに人間的2・第二部・五二・P.315~316」ちくま学芸文庫 一九九四年)

ところが<私>はフランドル・ホテル目当てにドンシエールへやって来たわけではなく、古い館の美術鑑賞が狙いでもないのでその部屋の装飾には興味が湧かない。それを察したサン=ルーは<私>の示したぎこちない「辛さ」を理解するのに「私のじっと見つめるまなざしで理解した」。

「しかしサン=ルーほどの芸術家ではない私にとって、すてきな住まいがもたらしてくれる歓びなど、うわべだけのほとんど無きに等しい要素で、きざしはじめた不安を鎮めてはくれない。この不安は、かつてコンブレーで母がお寝みを言いに来てくれなかったときにいだいた不安や、バルベックに着いた日に防虫剤の臭(にお)いのする天井の高い部屋で感じた不安と同じように辛いものだった。そのことをサン=ルーは、私のじっと見つめるまなざしで理解した」(プルースト「失われた時を求めて5・第三篇・一・一・P.155」岩波文庫 二〇一三年)

この時の<私>の「まなざし」は口の動きで発語する言葉ではない。けれどもその「まなざし」の意味は確実にサン=ルーに伝わった。なぜなら「まなざし」が一時的に<言語>の役割を演じたのではなく、そもそも「まなざし」は<言語>だからである。というのはこうだ。

「それどころか世界は、われわれにとって、またもや『無限な』ものとなった、ーーー世界は《無限の解釈を内に含む》という可能性を、われわれとしては退けることができないというそのかぎりは」(ニーチェ「悦ばしき知識・第五書・三七四・P.442~443」ちくま学芸文庫 一九九三年)

今のネット社会でいうと、「報道」というものは、あたかもアルベルチーヌの無限の系列のように、いつもどこかで《無限の解釈》を伴いながら増殖しつつ発生することをやめることはもうまるでないに違いない。

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Blog21・<生産者>としてのプルースト/<消費者>としての読者

2022年05月20日 | 日記・エッセイ・コラム
フランソワーズの話について戻る必要性というのは次の箇所で述べられている。ジュピアンから<私>が聞いた話によると「フランソワーズは私のことをろくでなしと断じたうえで、なにかにつけ私にいじめられたと言い張ったという」。ほんの数行前に「当時の私は、なんら真実を含まないことばをしばしば口にする一方、むしろ真実を自分の身体や行為によって無意識のうちに告白することが多かったからだ(そんな告白をフランソワーズはじつに正しく理解した)」と書かれているにもかかわらず。ジュピアンの話は「いささかのためらいもなく私を熱愛し、どんな機会も逃さずに私を称賛するフランソワーズという、私がしばしば好んで眺めていた図柄ではなく、それとはまるで異なる未知の色合いのものだった」。そこで「私が理解したのは、われわれに見えている外見と実態とが食い違うのは物理の世界だけではないこと、あらゆる現実は、われわれが直接に知覚していると信じこんでいるものの実はさまざまな目に見えない有力な力を借りて組み立てているにすぎない現実とはまるで異なる可能性があること、そんな食い違いが生じるのは、われわれの目とは別種の構造の目をもつ存在によって認識されたり、同様の作業をするにも目とは異なって木々の太陽や空の視覚的ではない等価物をつくる器官を備えた存在によって認識されたりすれば、木々や太陽や空もわれわれが見ているようなものにはならない」という認識の構造である。

「しかるにジュピアンがあとで暴露したところによると、そもそもぶしつけな面のある男だと後にわかったが、フランソワーズは私のことをろくでなしと断じたうえで、なにかにつけ私にいじめられたと言い張ったという。私とフランソワーズとの関係について、このジュピアンの発言がただちに私の眼前に描きだした図柄は、いささかのためらいもなく私を熱愛し、どんな機会も逃さずに私を称賛するフランソワーズという、私がしばしば好んで眺めていた図柄ではなく、それとはまるで異なる未知の色合いのものだった。そこで私が理解したのは、われわれに見えている外見と実態とが食い違うのは物理の世界だけではないこと、あらゆる現実は、われわれが直接に知覚していると信じこんでいるものの実はさまざまな目に見えない有力な力を借りて組み立てているにすぎない現実とはまるで異なる可能性があること、そんな食い違いが生じるのは、われわれの目とは別種の構造の目をもつ存在によって認識されたり、同様の作業をするにも目とは異なって木々の太陽や空の視覚的ではない等価物をつくる器官を備えた存在によって認識されたりすれば、木々や太陽や空もわれわれが見ているようなものにはならないことである」(プルースト「失われた時を求めて5・第三篇・一・一・P.145~146」岩波文庫 二〇一三年)

ゆえに<私>がフランソワーズによって教えられることになった構造は、人間が何かの事物を認識しようとする際に人間の「発言や行動はいずれも不十分な情報しか与えてくれないうえに、そもそも相互に矛盾しているから、その影において輝いているのは憎悪であると想像しても愛情であると想像しても、どちらも同様に真実らしく思えること」だった。

「こうしてフランソワーズがはじめて私に教えてくれたのは、人間とはわれわれのけっして入りこめない影であること、その影を直接に知りうる手立てはなく、われわれはさまざまな発言やときには行動までも参考にしてその影について多数の確信をつくりあげるが、そんな発言や行動はいずれも不十分な情報しか与えてくれないうえに、そもそも相互に矛盾しているから、その影において輝いているのは憎悪であると想像しても愛情であると想像しても、どちらも同様に真実らしく思えることである」(プルースト「失われた時を求めて5・第三篇・一・一・P.147」岩波文庫 二〇一三年)

そのような認識構造とはどんな構造なのか。ヴァレリーは大変簡潔にこう述べている。二箇所引いておこう。(1)どの作品も「生産者」と「消費者」とに分裂してしか出現し得ないという事情。(2)作品の生産者にとって作品は制作過程の「終結」であるのに対し、作品の消費者にとって作品は「始原」であるほかないという事情。

(1)「著者とその時代に関する知識や、相ついで起こる文学的諸現象の研究は、文芸の歴史の記憶のなかに書き込まれるに足る仕事をした人々の内部において起こりえたことを推測する刺激しか、われわれに与えることができないのであります。もし彼らがそれだけの仕事を果たしたとするならば、それは相互に独立したものと常に考えることのできる二つの条件の協力によるのであります。その条件の一つは必然的に作品の生産そのものであり、他の一つは、生産された作品の存在を識(し)り、それを味わい、その作品に名声を与え、その作品の伝達と、保存と、未来の生命とを強固にした人々の手によるその作品の或る《価値》の生産であります。私はただ今、《価値》ならびに《生産》という言葉を使いました。私はこれについて少しく言葉を費やしたいと思います。もし人が、創造的精神の領域を探究しようと企てるならば、まず第一に、最も概括的な考察、すなわち、われわれにあまり後戻りを強いないで前進させてくれるような、同時にまた、最大多数の類推、いいかえれば、本来の性質上最もしばしばあらゆる直接的な定義の試みを免れるところの事実や観念の叙述に対して、近似した表現をできるだけ多くわれわれに提供してくれるような、そのような考察の上に立つことを憚(はばか)ってはなりません。したがって私は、若干の言葉を経済学から借りてきたことについて一言いしたいのであります。つまり私にとりましては、われわれがこれから考察してゆかなければならない各種の活動力や人物を取り扱う場合に、もしそれらの数多い種類の間に区別を設けず、それらに共通なものだけを取り上げようと望むならば、《生産》ならびに《生産者》という単一な名称の下に、それらを一まとめにすることがおそらく便宜であろうというのであります。またわれわれが、読者とか聴衆とか観客とか一々区別して話す前に、あらゆる種類の作品の、あらゆるこれらの構成員を、《消費者》という経済学の名称で包容することも、それに劣らず便利でありましょう」(ヴァレリー「詩学序説」・「世界の名著66・アラン/ヴァレリー・P.474~475」中公バックス 一九八〇年)

(2)「このことを証明するためには、あらゆる領域においてわれわれが真に知ることが、もしくは知ると信じることができるのは、われわれ自身で《観察》しうるものか、もしくは《制作》しうるものにほかならず、作品を産む精神の観察と、その作品の或る価値を産む精神の観察とを、同一の意識状態、同一の注意のなかに集めることは不可能であることを注意するだけで十分であります。この二つの機能を同時に観察することのできる眼は存在しません。生産者と消費者は本質的に分離された二つの組織であります。作品は生産者にとっては《終結》であり、消費者にとっては、人の望みうる限り相互に無関係たりうるさまざまの発展の《始原》であります」(ヴァレリー「詩学序説」『世界の名著66・アラン/ヴァレリー・P.476~477』中公バックス 一九八〇年)

何度か引用しているように芸術作品に限らず、認識しようと欲望する側にとって対象が「自然なり、社会なり、恋愛なり」というふうに変わってもなお、欲望する側(ヴァレリーのいう「消費者」)は欲望の対象の「片方は対象のなかに収められているが、もう片方はわれわれ自身のなかに伸びていて、後者こそ、われわれが知ることのできる唯一の部分である」からでしかないからだ。

「われわれが自然なり、社会なり、恋愛なり、いや芸術なりをも、このうえなく無私無欲に観賞するときでさえ、あらゆる印象にはふたつの方向が存在し、片方は対象のなかに収められているが、もう片方はわれわれ自身のなかに伸びていて、後者こそ、われわれが知ることのできる唯一の部分である」(プルースト「失われた時を求めて13・第七篇・一・P.481~482」岩波文庫 二〇一八年)

従ってフランソワーズを<見る側>に位置することしか<できない>立場に置かれている<私>はフランソワーズの雇い主であるにもかかわらずフランソワーズの半分も知っているかどうか遂にわからないのである。

なお「ウクライナ問題」について。膠着状態が続いているだけでなく、まだもっと続いていく可能性さえ報じられている。また、実状のすべてを知ることなど日本のただ単なる一市民の立場ではさっぱりというほかない。ところが多少なりとも世界情勢に詳しいはずの専門家のコメントや記事に目を通してみても逆に事態は悪化しないまでも物価高はすでに生活必需品にまで及んでいる。さらに雇用にはどんどん悪影響を与えていくばかりのようでもある。「国連の無力」を言う専門家もいるがそんなことは何も今に始まったことではさらさらない。第一次世界大戦後もそうだったし第二次世界大戦後もそうだ。政治はカジノではないのだからもっとましな方向へ向け換えることはできないのだろうかと思わされてばかり。或る時、モンテーニュはこう書いた。

「アリストレテスも、すぐれた立法者たちは正義よりも友情にいっそう気をつかった、と言っている」(モンテーニュ「エセー1・第一巻・第二十八章・P.358」岩波文庫 一九六五年)

「正義よりも友情」とある。「友情」を優先せよという意味なのだろうか。それならもうロシアによるウクライナ侵攻が始まった時すでに破られている。世界もまた親ロシア派と親ウクライナ派との両陣営に分裂してしまっている。ところでモンテーニュが持ち出しているアリストテレスの言葉はこの箇所。ただ単なる「愛」とはまた違っていて「親愛・友愛・友情」と呼ばれるものだ。

「国外をあるいてみると、あらゆる人間がいかにお互いに対して家族的で親愛的なものであるかが見られるであろう。また、愛(フィリア)というものは国内をむすぶ紐帯の役割をはたすもののごとくであり、立法者たちの関心も、正義によりもむしろこうした愛に依存しているように思われる。すなわち協和(ホモノイア)ということは、愛(フィリア)に似た或るもののように思われるが、立法者たちの希求するところは何よりもこの協和であり、駆除しようとするところのものは何よりも協和の敵たる内部分裂(スタシス)にほかならない。事実、もしひとびとがお互いに親密でさえあれば何ら正義なるものを要しないのではあるまいか、逆に、しかし、彼らが正しきひとびとであるとしても、そこにやはり、なお愛というものを必要とする。まことに、『正』の最高のものは『《愛》というい性質を持った』それ(フィリコン)にほかならないと考えられる」(アリストテレス「ニコマコス倫理学・下・第八巻・第一章・P.66~67」岩波文庫)

基本的に「親愛・友情」としての「愛」というものが考えられなければならない。アリストテレスは「多数のひとびとに対して親友たることは不可能である」という。「友たちよ、友というものは一人もいない」と訳されたりする。

「事実、多数のひとびとに対して親友たることは不可能であると考えられなくてはならない」(アリストテレス「ニコマコス倫理学・下・第九巻・第十章・P.143」岩波文庫 一九七三年)

この「親友関係・友情関係」を道徳的な問いとして見出したのがニーチェ。こう転倒させた。

「『友らよ、友というものはないのだ!』、そう死んでいく賢者は叫んだ。『友らよ、敵というものはないのだ!』ーーー生きている愚者のわたしは叫ぶ」(ニーチェ「人間的、あまりに人間的1・三七六・P.345」ちくま学芸文庫 一九九四年)

この箇所で言われている「愚者」とはどのような人間なのか。また「賢者」とはどのような人間かが併記されている。

「《愚者のふりする賢者》。ーーー賢者はその博愛心から、時々、興奮したり、怒ったり、喜んだりする《様子を見せる》が、これは、彼の《真の》性質である冷たさや思慮深さが周囲の人たちを傷つけないようにするためである」(ニーチェ「人間的、あまりに人間的2・第一部・二四六・P.183」ちくま学芸文庫 一九九四年)

道徳というものはたった一つだけしかないのか。そんなことはない。「目につかない全く同じ呼び名の諸性質も、《またそれ自体の行路を辿る》。おそらくそれは全く別の行路であるだろう」。ニーチェは道徳の複数性・多様性・無意識性に着目する。

「《無意識の徳性》。ーーーある人間が自分で意識しているあらゆる性質はーーーそれも特に、その性質が自分の周囲の人々の目にも目立って明らかなものと本人が前提してかかっている場合にはーーー、彼に熟知されてないか不充分にしか知られていないところの、しかもその繊細さのゆえに鋭い観察者の眼にもつかず全く何も無いかのようにうまくかくされてしまうところの諸性質とは、全然ちがった発展の法則に支配されている。爬虫類(はちゅうるい)の鱗にみられる精妙な彫刻がそうしたものである。それらのものを装飾とか武器とかいったものかのように想像するのは間違いであろう。ーーーなぜといってそれらは顕微鏡を使ってはじめて見られるもの、つまり、似よりの動物たちーーーこれら動物たちに《とっては》それが装飾なり武器なりを意味するかもしれぬーーーには備わっていないほどの人為的に精巧に鋭くされた眼によってはじめて見られるものだからだ!われわれの眼に見える道徳的な諸性質、とくに眼に見えると《信じられた》われわれの諸性質は、それ自体の行路を辿る。ーーー他方、われわれにとって他人目当ての装飾でも武器でもないところの、目につかない全く同じ呼び名の諸性質も、《またそれ自体の行路を辿る》。おそらくそれは全く別の行路であるだろうし、またおそらくは神妙不可思議な顕微鏡を手にした神を楽しますようなさまざまの条線や繊細性や彫刻などをかねそなえた行路であるだろう。たとえばわれわれは、われわれの精励、われわれの名誉心、われわれの炯眼をもっている。世間がみなそれについて知っているーーー、そのほかにさらにわれわれは恐らく、もう一種の《われわれの》精励、《われわれの》名誉心、《われわれの》炯眼をもっているのだ。だがわれわれのこういう爬虫類的鱗に対しては、いまだに顕微鏡が発明されていない!ーーーさてこそここで本能的徳性の愛好者たちは言うであろう、『ブラボー!彼は少なくとも無意識の徳性が可能であると思っている、それがわれわれを満足させる!』。ーーーおお満足屋の諸氏よ!」(ニーチェ「悦ばしき知識・第一書・八・P.70」ちくま学芸文庫 一九九三年)

次の文章は親友とは何かというより「親友関係が成り立つ」ためには非常に高度な技術を要するという、ニーチェの立場的条件を述べたものだ。

「《親友関係》。ーーー親友関係が成り立つのは、相手を非常に、しかも自分自身よりも敬重する場合、また同様に相手を愛しはするが、しかし自分自身を愛するほどにではない場合、そして最後に、お互いつき合いしやすくするために、親密さを装う、ものやわらかな《うわべ》と柔毛(にこげ)を添えていることを心得ていて、しかも同時に、ほんとうの親密さには陥らぬようまた私と君の混同に陥らぬよう、賢明な用心がなされる場合である」(ニーチェ「人間的、あまりに人間的2・第一部・二四一・P.181」ちくま学芸文庫)

その事例として「マケドニアの王様の物語」を上げている。古代には社会的規模で「友情という感情が最も高い感情と認められていたこと、それが自らに充ち足りた賢者のこの上もなく立派な自尊自恃(じじ)よりも高いものとされ、いな、いわばその唯一の、しかもそれよりも一段と神聖な兄弟とみなされた」という前提条件が強調されている。目を通してみると、「この上もなく立派な自尊自恃」というその哲学者の生活態度はなるほど立派であるけれども、それ以上に立派な精神的態度として認められている「友情」に関し、その哲学者は王の側からの贈与を送り返した。王がその哲学者と結びたかったのは「この上もなく立派な自尊自恃」というその哲学者の生活態度を知ったからで、それなら是非「友情」面で親交を深めたいと考えたがゆえの贈与だった。ところが哲学者の側は理由一つ聞くことなく贈り物を送り返してきた。王の側は誤解をおそれず贈り物したわけだが、贈り物の意味も問われないまま送り返されたため、その真意を伝えることができなかった。そうなると王としては最も高い精神的態度とされている「友情」を結ぶことを理由も尋ねられることなくいきなり切り捨てられたと思うのは仕方のない成り行きだった。

「《友情を讃えて》。ーーー古代にあっては、友情という感情が最も高い感情と認められていたこと、それが自らに充ち足りた賢者のこの上もなく立派な自尊自恃(じじ)よりも高いものとされ、いな、いわばその唯一の、しかもそれよりも一段と神聖な兄弟とみなされたこと、ーーーこの事実を実によく言いあらわしているのは、例のマケドニアの王様の物語であるが、この王は、世を白眼視するアテナイのある哲学者に一タレントを贈ったのに、それを送り返されたそうだ。『どうしたことだ?ーーーと王は言ったーーー彼は友人なんか要(い)らんとでもいうのか?』。王の言わんとする主旨はこうだ。『予は、賢にして独行する者のこの自尊自恃に敬意を表する、だが彼の心内の友人が、彼の自尊自恃に打ち勝ったのだったら、予はさらに高く彼の人間性に敬意を表するであろう。この哲学者は、二つの最高の感情の一つをーーーしかもより高い方のものを知らないということを示したことにより、予の軽蔑をかう羽目になったのだ!』」(ニーチェ「悦ばしき知識・六一・第二書・P.137」ちくま学芸文庫 一九九三年)

恋愛関係の構築・維持でさえ困難を伴うというのに、よりいっそう困難な「友情・親愛・友愛」に至ってはまるで必要ないという態度を見せつけられれば逆に、贈与した側が王であれ名もなき市民であれ、軽蔑されたと思うのは偽らざる心情だろう。なので理由一つ聞かず告げられもせず一方的に贈り物を贈り返された王の側が今度はその哲学者とその精神的態度とをいっぺんに軽蔑する経過をたどった。古代ギリシア時代の精神的ありかたとしては自然の成り行きに違いない。だがただ単に偏屈な哲学者の態度を揶揄しようとしてこんな小噺のようなエピソードをニーチェがわざわざ出してくるわけがない。ニーチェが言おうとしているのは第一に「友情・親愛・友愛」という人間関係の構築・維持がどれほど困難を極める至上の技術を要するかということ、第二にこのような至上の技術の実現のためには「新しい哲学者」の出現に賭ける精神的態度の必要性である。「悦ばしき知識」に出てくる有名な一節。

「《船に乗れ!》。ーーーその人流儀の生き方や考え方に関する哲学的な全般的是認が、それぞれの人にどういう影響を及ぼすか(ーーーすなわち温め祝福し実らせつつ特別にその人を照らす太陽のように)、また、そうした是認は、どんなに人を毀誉褒貶(きよほうへん)から自由にし、自足させ、豊かにし、幸福や好意を恵む上で気前よくさせるか、また、それはどんなに絶えまなく悪を改造し、あらゆる力を開花・成熟させ、大小とりまぜての怨恨や不機嫌の雑草を皆目生ぜしめないようにするか、ーーーそうしたことを考えると、とうとうわれわれは待ちきれなくなって叫びを上げるのだ、ーーーおお、もっと多くのそういう新しい太陽が創造されたらいいのに!悪人も、不幸者も、例外人も、自分の哲学、自分の正当な権利、自分の太陽の光を持つべきだ!彼らに同情する必要などはない!ーーーこれまで永いこと人類は同情というやつを覚えこみ、それの稽古をつんできたけれども、そうした高慢不遜の思い付きをわれわれは忘れ去らねばならぬ、ーーー彼らのために聴罪師も調伏師も赦罪師(しゃざいし)も設けてやる必要はない!彼らに必要なのは、むしろ、一つの新しい《正義》なのだ!また、一つの新しい解決なのだ!さらには、新しい哲学者たちなのだ!道徳的地球だって円い!道徳的地球だってその対蹠人をもっている!対蹠人にだって生存の権利がある!さらに別の一世界が発見されねばならぬーーーいな、ひとつに限らず多くの世界が!船に乗れ、君ら哲学者たちよ!」(ニーチェ「悦ばしき知識・第四書・二八九・P.310」ちくま学芸文庫 一九九三年)

「一つの新しい《正義》」、「一つの新しい解決」、「新しい哲学者たち」、「さらに別の一世界が発見されねばならぬーーーいな、ひとつに限らず多くの世界が」見出されなくてはならない、出現しなくてはいけない、もはや「神は死んだ」からである。そういう主旨を汲み取る必要性を感じさせずにはおかない。唯一絶対的な「神」ではなくより多くの、無数の、どんどん更新されていくだけでなく同時にたくさんの世界を発見しようではないかとニーチェはいう。そこで差し当たり求められるべきは「友情・親愛・友愛」と呼ばれているものがそれに相当するだろうと。なぜなら、やや長い文章なのだがニーチェは「愛」という行為は実のところなんなのかという問いに深い疑いを抱いていたからである。それは多少なりとも強制的かつ暴力的でエレガンス一つない「所有欲」の別名にほかならないのではないかと。

「《すべて愛と呼ばれるもの》。ーーー所有欲と愛、これらの言葉のそれぞれが何と違った感じをわれわれにあたえることだろう!ーーーだがしかしそれらは同一の衝動なのに呼び方が二様になっているものかもしれぬ。つまり、一方のは、すでに所有している者──この衝動がどうやら鎮まって今や自分の『所有物』が気がかりになっている者──の立場からの、誹謗された呼び名であるし、他方のは、不満足な者・渇望している者の立場からして、それゆえそれが『善』として賛美された呼び名であるかもしれない。われわれの隣人愛ーーーそれは新しい《所有権》への衝迫ではないか?知への愛、真理への愛も、同様そうでないのか?およそ目新しいものごとへのあの衝迫の一切が、そうでないのか?われわれは古いもの、確実に所有しているものに次第に飽き飽きし、ふたたび外へ手を出す。われわれがそこで三ヶ月も生活していると、この上なく美しい風光でさえ、もはやわれわれの愛をつなぎとめるわけにゆかない。そしてどこか遠くの海浜がわれわれの所有欲をそそのかす。ともあれ所有物は、所有されることによって大抵つまらないものとなる。自分自身について覚えるわれわれの快楽は、くりかえし何か新しいものを《われわれ自身のなかへ》取り入れ変化させることによって、それみずからを維持しようとする、ーーー所有するとはまさにそういうことだ。ある所有物に飽きてくるとは、われわれ自身に飽きてくることをいうのだ。(われわれは悩み過ぎることもありうる、ーーー投げ棄てたい、分け与えたい、という熱望も、『愛』という名誉な呼び名をもらいうけることができる。)われわれは、誰かが悩むのを見るといつでも、彼の所有物をうばい取るのに好都合な今しも提供された機会を、よろこんで利用する。こうしたことは、たとえば、慈善家や同情家がやっている。彼も自分の内に目覚めた新しい所有物への熱望を『愛』と名づけ、そしてその際にも、彼を手招いている新しい征服に乗りだすように、快楽をおぼえる。だが、所有への衝迫としての正体を最も明瞭にあらわすのは性愛である。愛する者は、じぶんの思い焦(こが)れている人を無条件に独占しようと欲する。彼は相手の身も心をも支配する無条件の主権を得ようと欲する。彼は自分ひとりだけ愛されていることを願うし、また自分が相手の心のなかに最高のもの最も好ましいものとして住みつき支配しようと望む。このことが高価な財宝や幸福や快楽から世間のひとびと全部を《閉め出す》以外の何ものをも意味しないということを考えると、また、愛する者は他の一切の恋敵の零落や失望を狙い、あらゆる『征服者』や搾取者のなかでの最も傍若無人な利己的な者として自分の黄金の宝物を守る竜たろうと願うのを考えると、また最後に、愛する者自身には他の世界がことごとくどうでもいいもの、色あせたもの、無価値なものに見え、それだから彼はどんな犠牲をも意に介せず、どんな秩序もみだし、どんな利害をも無視し去ろうとする気構えでいることを考え合わせると、われわれは全くのところ次のような事実に驚くしかない、ーーーつまり性愛のこういう荒々しい所有欲と不正が、あらゆる時代におこったと同様に賛美され神聖視されている事実、また実に、ひとびとがこの性愛からエゴイズムの反対物とされる愛の概念を引き出したーーー愛とはおそらくエゴイズムの最も端的率直な表現である筈なのにーーーという事実に、である。ここで明らかなのは、所有しないでいて渇望している者たちがこういう言語用法をつくりだしたということだ、ーーー確かにこういう連中はいつも多すぎるほどいたのだ。この分野において多くの所有と飽満とに恵まれておった者たちは、あらゆるアテナイ人中で最も愛すべくまた最も愛されもしたあのソフォクレスのように、多分ときおりは『荒れ狂うデーモン』について何か一言洩らしもしたであろう。しかしエロスはいつもそういう冒瀆者(ぼうとくしゃ)たちを笑いとばしたーーー彼らこそつねづねエロスの最大の寵児(ちょうじ)だったのだ。ーーーだがときどきはたしかに地上にも次のような愛の継承がある、つまりその際には二人の者相互のあの所有欲的要求がある新しい熱望と所有欲に、彼らを超えてかなたにある理想へと向けられた一つの《共同の》高次の渇望に、道をゆずる、といった風の愛の継承である。そうはいっても誰がこの愛を知っているだろうか?誰がこの愛を体験したろうか?この愛の本当の名は《友情》である」(ニーチェ「悦ばしき知識・第一書・十四・P.78~81」ちくま学芸文庫 一九九三年)

としてニーチェは「かなたにある理想へと向けられた一つの《共同の》高次の渇望に、道をゆずる、といった風の愛の継承」を呼びかける。「この愛の本当の名は《友情》である」と。プルースト作品の中でも繰り返し主題として浮上するのでそのつど触れていくつもりだが。ところがしかし、わずか二十ほどの先進諸国による「ボス交」すら頓挫してしまいそうな世界とはなんなのか、どこがどんなふうにそれほど危ういのか。先進諸国のボスばかりなのだろう?できないとは言えないし言えばその瞬間その人物は無用になる。現実ともっと真面目に向き合って欲しいと切に願うばかりだ。一市民には何一つ聞こえてこないに等しいこの社会で、いったい誰が何をどんなふうに動かそうとしているのか。向き合うとはそもそもどういう態度をいうのか。本当に知っているのかという低レベル疑惑さえ生じてきそうだ。ともかく、どの国へ行っても市民レベルでは誰もが自分に妥当とされる責任を負わされている。では国の代表者レベルでは当然諸国の市民レベルへ向けて代表者レベルの責任を負っているわけであり、従って代表者レベルの人々は市民レベルに対する応答責任に関して一つたりとも免除されないということでなくてはならない。

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Blog21・ゲルマント夫人の<象形文字>化とテーマ<覗き見>の本格的始動

2022年05月19日 | 日記・エッセイ・コラム
認識マシンの挫折。そういってしまえばそれだけで終わってしまいそうな箇所が続く。しかし、もしそうだとして、だから一体、挫折したのは誰か。差し当たり<私>だということはできる。だが、そういうときの<私>とは誰なのだろう。主題としては<覗き見>への意志とでも言いたい部分なのだが。<覗き見>するのは<私>。<覗き見>されるのは<ゲルマント夫人>。だが、ここではいきなり失敗したと報告する。誰に?読者に。

「私は、夫人が友人たちにつぎつぎと片手をゆだねながら投げかけた、青味をおびた輝きに包まれるにこやかなまなざしが秘密を宿しているのを痛感したが、その謎を解読することはできなかった。そのまなざしのプリズムを分解してそこに結晶しているものを分析することができたなら、そのときまなざしにあらわれた知られざる暮らしのエッセンスが明らかになったであろう」(プルースト「失われた時を求めて5・第三篇・一・一・P.118」岩波文庫 二〇一三年)

「フェードル」上演の日から数日後だと思われる。<私>はゲルマント夫人をもっと知りたいという欲望に駆り立てられる。言い換えれば、<私>はゲルマント夫人をもっと知りたいという<欲望>である。とっかかりとして、<私>はフランソワーズが集めてきた情報をもとに夫人が散歩に出かける時間を特定することができた。かといってフランソワーズはスパイではないが。使用人同士の会話から該当箇所を収集してきただけのことだ。そこで<私>はゲルマント夫人を見るために夫人の散歩の時間に合わせて待ち伏せしていた。いかにも偶然出くわしたかのように装って。とはいえ、いかにも偶然出くわしたかのように装っていてもいなくても、毎日散歩に出かける時か散歩の途中に何度も繰り返し、<いかにも偶然出くわしたかのように>出くわしていると警戒されるのは当然のことで、ゲルマント夫人が不機嫌になってきているのに気づかないほどぼんやりした<私>ではない。そこで<私>はこの方法を放棄する。しかしそのあいだ、だんだん明らかになってきたことがある。「ゲルマント夫人の見せる顔はつぎからつぎへと異なる風貌を呈する」。アルベルチーヌの無限の系列と瓜二つなのだ、次の文章は。この時点でのゲルマント夫人は<私>にとってまだまだ<象形文字>でしかないというほかない。

「このようにゲルマント夫人の見せる顔はつぎからつぎへと異なる風貌を呈するが、夫人の装い全体のなかでその顔は、あるときは狭く、あるときは広くと、変化する相対的な広がりをもつにすぎず、私の恋心はそんな変幻きわまりない肌と生地の一部のあれこれに執着していたわけではない。そんな一部は日によってべつのものと入れ替わるうえ、夫人がそれに変更を加えたりほぼ完全にとり替えたりすることもあるが、だからといって私の恋心のときめきはなんら損なわれなかった。なぜなら私は、そのように一部が変化して新たな襟飾りや見たこともない頬があらわれても、それはやはりゲルマント夫人だと感じていたからである。私が愛していたのは、そんなすべてを躍動させている目に見えぬ人であり、その人の反感を買えば悲嘆に暮れ、その人が近づくと動転し、その人の暮らしをなんとか捉えてその友人たちを追い払いたいと考える、そんな対象なのだ。その人が頭に青い羽根を立てようと、火のように赤い顔色を見せようと、私にとってその人の行動がすこしでも重要性を減じることはないのである」(プルースト「失われた時を求めて5・第三篇・一・一・P.138~138」岩波文庫 二〇一三年)

プルーストは前にこう述べていた。「なんらかの理由でその見知らぬ人に触発されて他の人なら想いも寄らぬ考えをいだく男ーーーたとえば狂人やスパイーーーだけである」と。

「見知らぬ人の前でそんなまなざしをするのは、なんらかの理由でその見知らぬ人に触発されて他の人なら想いも寄らぬ考えをいだく男ーーーたとえば狂人やスパイーーーだけである」(プルースト「失われた時を求めて4・第二篇・二・二・P.246」岩波文庫 二〇一二年)

シャルリュスのことだ。とすれば<私>はシャルリュスなのか。少なくとも<私>の目はシャルリュスだけではなく「狂人やスパイ」の目と置き換え可能になっているといって間違いない。そこでこの付近の主題は<監視>だったのかと読者は不意に我に帰ったかのように思う。しかし「狂人」は必ずしも「スパイ」でないし「スパイ」もまた必ずしも「狂人」だとは限らないように、「私」=「シャルリュス」=「狂人」=「スパイ」という等式はいつも必ず成り立つわけではまるでない。このようなケースはいつも瞬時に稲妻のように閃き、ほとんど誰一人気づかないうちにさっと消え失せてしまうのが常だ。

プルーストは話をフランソワーズに戻す。フランソワーズは<私>のことをよく知っている。言葉に出さなくてもよくわかってくれている理解者だ。例えば、「私が人生で屈辱を味わうたびに、フランソワーズの顔にはあらかじめご愁傷さまとでも言いたげな表情がうかぶのに気づいた」。とはいえ、ステレオタイプ(常套句)でいう「以心伝心」とは異なる次元で理解している理解者である。<私>の場合、「この時期には」次のように考えていた。「真実はことばをつうじて他人に伝わるものだ」と。また「私を愛していると言った人が私を愛していないことなどありえないと考えていた」。だからといって単純な「お人よし」というわけではない。なぜなら媒介項がニュースや雑誌あるいは新聞で活字化されている言語だったとしたらどうだろう。「たとえば郵便で依頼さえすれば、司祭なり紳士なりが、あらゆる病気に効く万能薬なり、こちらの収入を何倍にもする手立てなりを無料で送ってくれると書いてある新聞を見たフランソワーズが、そのことばに疑いを差し挟めないようなものである」。そういうことになりはしないだろうか。一方で或る言葉はただ単なる冗談であり、もう一方で別の言葉は冗談ではなく事実だと、人々はどこでどのような仕方で区別しているのだろうか。基準はあるのか。繰り返しになるがもはや絶対的基準はない。絶対的基準など失われてしまった後の世界である。そこでフランソワーズの場合、<私>の心の中を見るための参考書として用いるのは、一般的な言葉ではなく<身振り>である。なぜなら「当時の私は、なんら真実を含まないことばをしばしば口にする一方、むしろ真実を自分の身体や行為によって無意識のうちに告白することが多かったからだ」。だから<私>に対するフランソワーズの理解は<私>が無意識のうちに演じてしまっている身体を読解した結果なのだ。そして「そんな告白をフランソワーズはじつに正しく理解した」。

「フランソワーズに話を戻すと、私が人生で屈辱を味わうたびに、フランソワーズの顔にはあらかじめご愁傷さまとでも言いたげな表情がうかぶのに気づいた。召使いごときに同情されて腹を立てた私は、そうではなくて首尾は上々だったと言い張ろうとしたが、そんな嘘があえなく潰(つい)えるのは、フランソワーズがうやうやしく対応はするものの見るからに信用できないという顔をして自分の判断の無謬(むびゅう)を確信しているからである。フランソワーズは真実を知っていたのだ。しかしそれを口には出さず、おいしいものでまだ口がいっぱいのときにそうするように、ただ口をもごもごさせるだけだった。フランソワーズが真実を口に出さなかったと言ったのは、私が長いことそう信じていたからである。この時期の私は、真実はことばをつうじて他人に伝わるものだと、まだそう想いこんでいた。他人の発することばでさえ私の感じやすい精神に変わりようのない意味を伝えていたから、私を愛していると言った人が私を愛していないことなどありえないと考えていたのである。たとえば郵便で依頼さえすれば、司祭なり紳士なりが、あらゆる病気に効く万能薬なり、こちらの収入を何倍にもする手立てなりを無料で送ってくれると書いてある新聞を見たフランソワーズが、そのことばに疑いを差し挟めないようなものである(ところがそれとは正反対に、わが家のかかりつけの医者から鼻風邪に効くごく単純な軟膏をもらった場合は、どんなにひどい苦痛にも耐えるフランソワーズが、鼻をぐずぐずいわせて息をしなければならないのを嘆き、これでは『鼻がむしられて』どうしたらいいのかわからない、という始末である)。しかしフランソワーズがはじめて範を示して教えてくれたのは(私がそれを想い知るのはずっと後のことで、この書物の最後の数巻で見られるように、私にとってさらに大切な人物からずっと苦痛にみちた新たな範が示されるときである)、真実は公言されなくても顕在化することであり、ことばを待つまでもなく、ことばをなんら考慮しなくても、外にあらわれた無数の兆候から、いや、自然界における大気の変動に相当する人間の性格という領域における目には見えないある種の現象からでも、真実をもっと確実に入手できるかもしれないことである。これは私が自分で気づいてもよかったことかもしれない。なぜなら当時の私は、なんら真実を含まないことばをしばしば口にする一方、むしろ真実を自分の身体や行為によって無意識のうちに告白することが多かったからだ(そんな告白をフランソワーズはじつに正しく理解した)」(プルースト「失われた時を求めて5・第三篇・一・一・P.143~144岩波文庫 二〇一三年)

一九八〇年代後半の日本では「身体言語」というフレーズが流行っていた。間違いなく現代思想の影響である。人間関係の場においてコミュニケーションするのに必ずしも言葉(発語)が必要だとは限らない。むしろ身体の動き、例えば「頬がほんのり赤くなる」とか「眉間に皺を寄せる」とか、「週末のお出かけの服装」とか、そういうふうに表層に出現する身体言語が重視された。八〇年代バブルの時期と重なる。

ところで身体言語が身体言語であるのはなぜか。身体の動作もまた語彙として使用できる限り身体言語は可能なのだ。そして一定程度の範囲内で社会的に定着している身体言語はもとより、その動きを<覗き見>する人々にとっても、身体言語が言語として流通するのはどうしてか。<身体は言語>だからである。

そうなってくると、同一人物であって通例は他愛ない単なる「おしゃべり」の次元の言葉とはまるで異なる言語活用法が求められることも時々ある。例えば大学キャンパス内での「統一教会講演会阻止闘争」のために使用する<身振り>主体のサインの確認など、シニフィアン(意味するもの)とシニフィエ(意味されるもの・内容)について、関係者一同のあいだで十分確認し合っておかなくてはならない。特に後者のような政治的リスクの高いシチュエーションではシニフィアン(意味するもの)もシニフィエ(意味されるもの・内容)も一つ間違えば重大な過失を招くおそれがある。しかしそのような時、信用されているのは或る人物の人格なのか、それともその人物が<身振り仕草>で演じるシニフィアン(意味するもの)なのか、両方とも同時になのか、考えれば考えるほどわからなくなってきたりする。従って普段ならあまり信用していない人物同士でも両者ともに手を組まなければならないような時、そんな時は普段の不審を忘れる必要がある。いつもは多少なりとも不信感を抱いている幾つかの些細な点などはすっかり忘却し去ってその人物の人格に賭けるほかない。いつもならキャンパス内ですれ違うたびにお互い「嫌なやつ」だと思い合っていても「阻止闘争」なら「阻止闘争」として結果的に一時的忘却を土台に据えてまるで始めて出会って恋愛関係を結び合った学生のように、両者とも信頼し合っていた初めの頃に戻らなくてはならない。「言葉にできない」ということを伝えるのにも「言葉にできない」という<身振り>を演じきらなければならない。この<忘却の身振り>もまた身体言語の一つである。

それを思うと今の学生たちは実に器用にスマートフォンを使いこなしているわけだが、では仮にスマートフォンを大いに活用するとして、学生生活を脅かす何かの事情に複数で対抗するような場合。画面上にCMが出るわけだが、重要な連絡が通信されている時に面白すぎるCMに見入ってしまい連絡事項を見逃してしまったりはしないのだろうか。あまりに面白すぎるCMの場合、逆に見入ってしまうことなどないと言えるだろうか。しかし<身振り>と<政治的サイン>とは違うのである。後者の場合、シニフィアンとシニフィエとの関係は原則的に一対一対応に決定してしまうので読解に迷うということはまずない。問題はむしろそうではない場合。

学生生活・社会人生活を脅かすわけではないような<身振り>が演じられる時、学生たちはもとより社会人一般、契約交渉中の営業部員などがコミュニケーションしている時、偶然にも話の内容がマニュアルにない想定外の方向へ次元を置き換えた場合、学生生活・社会人生活を脅かすような事態が生じた時、どうすればよいのか。「マニュアル通りにやりました」ではとてもではないが済まされそうにないケース。学校内での「いじめ・体罰問題」が<暴露>され、さらに「謝罪と説明だけ」では不十分であるとされ、想定通りに終わらせてしまうことが不可能な次元に立ち至ったとしたら、どうすればいいのか。想定通りに終わらされてしまってはそれこそ困るという被害者側の立場は当然として。それでもなお、このような「ねじれ」はいつどこでどのような条件のもとで出現するのかさっぱりわからない時代に入ったということは理解できるのだが。

しかしあくまで「昔はよかった」と言っているのではなく昔は昔で悲惨なことはあった。星の数ほどあった。現在はどうか。見た目ばかりが違っているだけのことで、むしろ逆に昔あった悲惨さに輪をかけた悲惨な事態が増殖しているのはなぜなのか。プルーストに戻れば、フランソワーズの話に戻って見てみたい箇所がある。基礎的な事情なのだが重要性にかんがみ次に述べようと思う。

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Blog21・女優ラ・ベルマと画家エルスチールとの共通点

2022年05月18日 | 日記・エッセイ・コラム
ラ・ベルマが演じるラシーヌ「フェードル」に<私>が途方もない興奮を感じたのはもはや数年前の話。ところが今やラ・ベルマ「が」演じる「フェードル」と聞かされても何一つ価値を感じない。それは<私>が或る意味で成長したのかそれとも鈍感になったのか、あるいは何か別の理由からか。なるほどかつて<私>は確かにラ・ヴェルマの熱烈な信者だった。しかしいつまでもそうだとは限らない。戦前戦中の日本で日本人以外の外国人を含め大日本帝国の信者だった人々が、戦後もなお大日本帝国主義者だとは限らないように。<私>の場合、リビドー備給は、エルスチールの絵画を知って以降、現代絵画へ移動していた。そのぶんラ・ベルマへ注がれていたリビドー備給は撤収され、もはやラ・ベルマは無価値なものを意味する名の一つへ下落してしまっている。

少なくとも、というより、<私>をかつてのラ・ベルマに集中的に熱狂させたものはその「技術だけ」に過ぎなかったのかもしれない、と疑うことさえできる地点まで下落していた。逆に数年前は本当のラ・ベルマの実力を知らなかったがゆえにその「技術だけ」が<私>を熱狂させ技術的魅力の中へのみ巻き込んでいたのかもしれず、今度こそ本当の実力に出会えることになるのかもしれない。しかし今度はどちらでもない。<私>が成長したとかラ・ベルマの演技力が衰えたとか、そんなことは実はどちらでもなく、そもそも根本的次元からしてそういう話では全然ないのだ、ということがわかってくる。そこでプルーストは書いているのだが、今度のラ・ベルマ演じる「フェードル」は、<私>にとって「第二の作品」として出現したからである。そういういきさつになった理由として、「演劇の天才という抽象的で間違った先入観と関係づけようとしなかっただけ」のことで、始めて見る前に「大きな期待をいだきすぎたからだと思い至った」。

「ただ今回は、その印象を、演劇の天才という抽象的で間違った先入観と関係づけようとしなかっただけで、それゆえ演劇の天才とはほかでもないこれだと悟ることができたのである。いまや私は、はじめてラ・ベルマを聴いていたときに歓びを感じなかったのは、かつてシャンゼリゼでジルベルトに再会したときと同じで、出かけるときに大きな期待をいだきすぎたからだと思い至った」(プルースト「失われた時を求めて5・第三篇・一・一・P.110」岩波文庫 二〇一三年)

ではなぜ同じ演目「フェードル」であるにもかかわらず今度はまるで違った「作品」として浮上したのか。「演劇の天才という抽象的で間違った先入観」を排除し、失われた期待感を持ったまま「頭で理解するように示すのではなく、われわれの最初のヴィジョンがつくられる錯覚のままに」見てしまったからである。プルーストのいう「間違った先入観」を<排除するために必要なこと>は、ニーチェのいう「忘却」に等しい。エルスチールが画家として持っていた貴重な感性の一つもまた「忘却の力」というべきものだった。重要なのは<身体>なのだ。

「ほかでもないエルスチールの努力は、ものごとを頭で理解するように示すのではなく、われわれの最初のヴィジョンがつくられる錯覚のままに提示するところにあった。画家はこのような遠近法の法則のいくつかを明るみに出したが、それが当時はるかに衝撃的なことだったのは、芸術がそれをはじめてあらわにしたからである。川の場合には途中の流れが曲がりくねっているせいで、湾の場合には両側の断崖がごく近くに迫っているせいで、平原や山地のなかに四方八方どこにも出口のない湖がうがたれたように見える。灼熱の夏の日にバルベックで描かれた画では、海の奥まった箇所がバラ色の花崗岩の岩壁にとり囲まれているため、そこはまだ海ではなく、海はもっと先から始まるように見える。それでも大海原がつづいていると感じられるのは、そこに何羽ものカモメが飛んでいるからで、見たところ岩としか思えないうえを旋回しているが、じつはそうでなく、潮の湿り気を胸の奥まで吸いこんでいるのだ。この同じ画からは、ほかにもいくつか遠近法の法則をひき出すことができた。たとえば、巨大な断崖の下の青い鏡のような海面にいくつも浮かぶ白い帆はチョウが眠っているように見え、それがガリヴァーの小人の世界のように可愛いとか、深い影と蒼白い光のコントラストが認められるとかである。写真のせいで陳腐となったこのような影のたゆたいも、エルスチールがとくに関心を抱いたもので、かつて蜃気楼というほかない光景を好んで描いたことがあった。そのなかで塔を備えた城館は、てっぺんに延びる塔と下方に延びる逆さの塔の効果で完全な円環をなす城館のように見えるが、それは晴天の異例に澄みきった大気が水に映る影にまで石の堅さと輝きを付与したからか、それとも朝霞が石のほうを影と同じにかすませたからであろう。同じように、海のむこうに並ぶ木立の背後にはもうひとつべつの海が広がり、夕陽にバラ色に染まっているが、じつはそれは空であった。射しこんできた光は、まるで新しい固体の束をつくりだしたかのように、影のなかの船体よりも奥にひっこんだもうひとつの船体に当たってそれを際立たせ、物質的には平らだが朝の海の光の加減で粉々になった表面に、クリスタルの階段のようなまだら模様をつけている。街なかの橋の下をぬって流れる川にしても、特別な視点から描かれているために、完全にとぎれとぎれになり、こちらでは湖のように広がっていたかと思うと、あちらでは糸のように細くなり、またべつの箇所では、街の人たちが夕涼みにやってくる丘が割って入るために途切れたように見える。この混乱した街のリズム全体を保証しているのは、いくつかの鐘楼の辿るびくともしない垂直の線だけである。それらの鐘楼は上にそびえ立つというより、むしろおのれの下に、凱旋行進で拍子をきざむ糸に吊るした重りのように、押しつぶされてずたずたになった川に沿って、靄のなかに折り重なっていっそう判然としない家並の総体を釣り下げているようだった。また、断崖のうえや山のなかで、自然のなかの半ば人間のものというべき道が、川や大海原の場合と同じように眺望の具合で途切れることがあった。山の稜線や滝のしぶきや海などが、道をずっと辿ることを妨げ、歩む人には見えている道が私たちには見えなくなるのだ」(プルースト「失われた時を求めて4・第二篇・二・二・P.424~427」岩波文庫 二〇一二年)

プルーストは「われわれがなにかを感じる世界と、考えたり名づけたりする世界はべつであ」るという。両者のあいだには「埋めること」が不可能な「隔たり」がある。

「われわれがなにかを感じる世界と、考えたり名づけたりする世界はべつであり、この両者を対応させることはできるが、両者の隔たりを埋めることはできない」(プルースト「失われた時を求めて5・第三篇・一・一・P.112」岩波文庫 二〇一三年)

もともと人間は呆れるほど怠惰に出来ていて、何かを思考し始める前には生きるために必要最低限の力を流動させているばかりだ。なるべく「風習・制度」に合わせて安全に生きていけるよう徹底的に経済的に出来ていると言うこともできる。そこで「風習・制度」というものは一体なんなのか。ニーチェはいう。

「風習とはしかし行為と評価の《慣習的な》方式である。慣習の命令が全くない事物には、倫理もまったくない。そして生活が慣習によって規定されることが少なければ少ないだけ、それだけ一層倫理の範囲は小さくなる。自由な人間はあらゆる点で自分に依存し、慣習に依存しないことを《望む》から、非倫理的である。人類のすべての原始的な状態にあっては、『悪い』ということは、『個人的』、『自由な』、『勝手な』、『慣れていない』、『予測がつかない』、『測りがたい』というほどのことを意味している。そのような状態の尺度でいつも測られるので、ある行為が、慣習が命令するからでは《なくて》、別な動機(たとえば個人的な利益のために)、それどころか、かつてその慣習を基礎づけていたまさにその動機自身からなされるときですら、その行為は非倫理的と呼ばれ、その行為をする者からさえそう感じられる。なぜなら、その行為は慣習に対する服従から行なわれたのではないからである。慣習とは何か?それは、われわれにとって《利益になるもの》を命令するからではなくて、《命令する》という理由のためにわれわれが服従する、高度の権威のことである」(ニーチェ「曙光・九・P.25」ちくま学芸文庫 一九九三年)

「風習・習慣」に従っている限り、どこまでも怠惰でいることができる。人間とは本来的にそういう動物なのだ。自分自身の身の廻りに何か甚大な影響を及ぼす事柄が差し迫ってこない限り積極的に「思考する」ということをまるで<しない>動物。ドゥルーズはそのような状態にある人間の態度を指して「受動的総合という至福」と呼んでいる。

「快感とは、〔おのれのイマージュで〕満たすひとつの観照によってもたらされる感動であり、この観照それ自身のうちに、弛緩《と》縮約の事例が縮約されているのである。受動的総合という至福が存在するのだ」(ドゥルーズ「差異と反復・上・第二章・P.209」河出文庫 二〇〇七年)

ところが昨今の日本で起きた身近な例を取り上げるとすれば「東日本大震災」に伴って生じた「福島原発事故」の時のように、通例なら夏休みの宿題一つした覚えのない人々まで思考し動いたではなかったか。「何かショックを受けて思考するということ、これは、『すべてのひと』のよく知るところである」。ドゥルーズがいうのはそういうことだ。

「思考するということはひとつの能力の自然的な〔生まれつきの〕働きであること、この能力は良き本性〔自然〕と良き意志をもっていること、こうしたことは、《事実においては》理解しえないことである。人間たちは、事実においては、めったに思考せず、思考するにしても、意欲が高まってというよりはむしろ、何かショックを受けて思考するということ、これは、『すべてのひと』のよく知るところである」(ドゥルーズ「差異と反復・上・第三章・P.354」河出文庫 二〇〇七年)

従ってこうある。

「世界のなかには、思考せよと強制する何ものかが存在する。この何ものかは、基本的な《出会い》の対象であって、再認の対象ではない。ーーー出会いの対象は、所与ではなく、所与がそれによって与えられる当のものである」(ドゥルーズ「差異と反復・上・P.372~373」河出文庫 二〇〇七年)

そこでプルーストは、思考するきっかけがどのように与えられたかを語っている。次の演目でラ・ベルマが「フェードル」ではなく新作を演じたその瞬間。

「おまけにこの役は、フェードルの役と並んで、いつの日かラ・ベルマの名演リストに入るだろう。この役がそれ自体であらゆる文学的価値を備えているからというわけではない。ラ・ベルマのこの役の演技が『フェードル』を演じたときと同じほど絶品だったからである。そこで私は、作家の原作といえどもこの悲劇女優にとっては演技の傑作を創造するための素材にすぎず、それ自体はほとんどどうでもいい存在だということを理解した」(プルースト「失われた時を求めて5・第三篇・一・一・P.114」岩波文庫 二〇一三年)

<私>はラシーヌあるいはラシーヌの別の作品、またまったく別の作者の作品についても、「絶品だ」とか「駄作に過ぎない」とか、そういう観点に立った来歴や評論など微塵も論じていない。プルーストは「フェードル」に関して「ラ・ベルマ、ラ・ベルマ、ラ・ベルマ」と連発して書き込んでおり、逆に作者ラシーヌについては高い尊敬の念を示してはいながら、その一方でほとんど何一つ語っていないに等しい。とともにシナリオあるいはストーリーを構成する言語について「それ自体はほとんどどうでもいい存在だ」と述べる。「心もとない存在」だといもいえる。

「ニーチェにとって問題は、善と悪がそれじたい何であるかではなく、自身を指示するため《アガトス》、他者を指示するため《デイロス》と言うとき、だれが指示されているか、というよりはむしろ、《だれが語っているのか》、知ることであった。なぜなら、言語(ランガージュ)全体が集合するのは、まさしくそこ、言説(ディスクール)を《する》者、より深い意味において、言葉(パロール)を《保持する》者のなかにおいてだからだ。だれが語るのか?というこのニーチェの問いにたいして、マラルメは、語るのは、その孤独、その束の間のおののき、その無のなかにおける語そのものーーー語の意味ではなく、その謎めいた心もとない存在だ、と述べることによって答え、みずからの答えを繰り返すことを止めようとはしない。ーーーマラルメは、言説(ディスクール)がそれ自体で綴られていくような<書物>の純粋な儀式のなかに、執行者としてしかもはや姿を見せようとは望まぬほど、おのれ固有の言語(ランガージュ)から自分自身をたえず抹殺しつづけたのである」(フーコー「言葉と物・第九章・P.324~325」新潮社 一九七四年)

かといって言語を世界から消去することなど決してできない。原作不在では無意味に帰してしまう。言語は必要なのだ。それも「パルマコン」=「医薬/毒薬」として。その証拠として上げるのが「偉大な画家エルスチール」が目指し習得してもいた方法。こうある。

「私がバルベックで知り合った偉大な画家エルスチールが、一枚の画ではなんの変哲もない校舎を、もう一枚ではそれ自体が傑作である大聖堂をモチーフに選びながら、優劣のつけがたい二点の画に仕上げるのと軌を一にする」(プルースト「失われた時を求めて5・第三篇・一・一・P.114~115」岩波文庫 二〇一三年)

このようなケースは<或る価値体系>を持つ画家が<別の価値体系>を持つ画家とが同じ題材を描いた作品の場合に顕著に見られることがある。例えばミレー「種まく人」と、ミレー「種まく人」を描いたゴッホ「種まく人」。前者では<或る価値体系>が、後者では<別の価値体系>が絵画となって出現している。またゴッホ「ひまわり」とシーレ「ひまわり」など類例には事欠かない。

これは技術(テクニック)に関する議論ではまるでない。観念論的な意味での議論でもないし唯物論的な意味でも全然ない。芸術が技術(テクニック)論や観念論/唯物論などの枠組みの中で語れるものならもうとっくの昔に語っているだろう。例えばプラトン的な意味でならすでに出てきている。

「ラ・ベルマの声は、どんな隅々までも繊細なしなやかさを備え、まるで偉大なヴァイオリン奏者の楽器のようだ。人がそんなヴァイオリン奏者について美しい音をもっていると言うとき、褒めたたえようとしているのは物理的特性ではなく、卓越した魂なのである」(プルースト「失われた時を求めて5・第三篇・一・一・P.108」岩波文庫 二〇一三年)

というふうに「真・善・美」としての「ラ・ベルマの声」=「卓越した魂」という等式ができ上がる。だからといってこの等式を絶対のものとして全人類に「要請・強制」することはできない。カントはいう。

「趣味判断において要請されるところのものは、概念を介しない適意に関して与えられる《普遍的賛成》にほかならない、従ってまた或る種の判断ーーー換言すれば、同時にすべての人に妥当すると見なされ得るような美学的判断の《可能》にほかならない、ということである。趣味判断そのものはすべての人の同意を《要請》するわけにいかない(このことをなし得るのは、理由を挙示し得る論理的ー全称的判断だけだからである)、ただこの同意を趣味判断の規則に従う事例としてすべての人に《要求》するだけである、そしてこのような事例に関しては、判断の確証を概念に求めるのではなくて、他のすべての人達の賛同に期待するのである。それだから普遍的賛成は一個の理念にほかならない」(カント「判断力批判・上・第一部・第一篇・第一章・P.93~94」岩波文庫 一九六四年)

<理念>の多数による<賛同>を待つばかりでしかない。なんと心細い話ではないだろうか。かといって、軍事力に依存する。これまた何と輪をかけて愚かな話ではないだろうか。<貨幣>が<貨幣>であるのは現在<貨幣>として使われているというだけでなく今後もほぼ間違いなく<貨幣>として使われていくに<違いない>と見越されているからである。実際、金属と交換されるより紙幣で間に合う場合がほとんどであり、紙幣もまた順次、電子化されているにもかかわらず何一つ不自由なく世界中を飛び回っていて、電子化された記号操作一つで、キャッシュレスで、まるで問題ない状態ではなかろうか。逆に金属と交換できるから、という理由は法的規定が多数の<賛同>によって支えられた<理念>に過ぎないようになっていく一方であり、金属との交換の側こそ今や本当だろうかと一度は鑑定されなくてはならないのが実状なのでは?

貨幣でいえば「円・ドル・ユーロ・元」などが多く用いられている。ウィトゲンシュタインのいう「言語ゲーム」に置き換えて述べると「円ゲーム・ドルゲーム・ユーロゲーム・元ゲーム」などと変換可能だ。

「次のようなことはどうだろう。第二節の例にあった『石板!』という叫びは文章なのだろうか、それとも単語なのだろうか。ーーー単語であるとするなら、それはわれわれの日常言語の中で同じように発音される語と同じ意味をもっているのではない。なぜなら、第二節ではそれはまさに叫び声なのであるから。しかし、文章であるとしても、それはわれわれの言語における『石版!』という省略文ではない。ーーー最初の問いに関するかぎり、『石板!』は単語だとも言えるし、また文章だとも言える。おそらく『くずれた文章』というのがあたっている(ひとがくずれた修辞的誇張について語るように)。しかも、それはわれわれの<省略>文ですらある。ーーーだが、それは『石板をもってこい!』という文章を短縮した形にすぎないのであって、このような文章は第二節の例の中にはないのである。ーーーしかし、逆に、『石板をもってこい!』という文章が『石版!』という文の《ひきのばし》であると言っては、なぜいけないのだろうか。ーーーそれは、『石板!』と叫ぶひとが、実は『石板をもってこい!』ということをいみしているからだ。ーーーそれでは、『石板!』と《言い》ながら《そのようなこと》〔『石版をもってこい!』ということ〕《をいみしている》というのは、いったいどういうことなのか。心の中では短縮されていない文章を自分に言いきかせているということなのか。それに、なぜわたくしは、誰かが『石板!』という叫びでいみしていたことを言いあらわすのに、当の表現を別の表現へ翻訳しなくてはいけないのか。また、双方が同じことを意味しているとするなら、ーーーなぜわたくしは『かれが<石版!>と言っているなら<石板!>ということをいみしているのだ』と言ってはいけないのか。あるいはまた、あなたが『石板をもってこい』といいうことをいみすることができるのなら、なぜあなたは『石板!』ということをいみすることができてはいけないのだろうか。ーーーでも、『石板!』と叫ぶときには、《かれがわたくしに石板をもってくる》ことをわたくしは欲しているのだ。ーーーたしかにその通り。しかし、<そうしたことを欲する>ということは、自分の言う文章とはちがう文章を何らかの形で考えている、ということなのだろうか。

ーーーしかし、いま、あるひとが『石板 を もってこい!』と言うとすると、いまや、このひとは、この表現を、《一つの》長い単語、すなわち『石板!』という一語に対応する長い単語によって、いみしえたかのようにみえる。ーーーすると、ひとは、この表現を、あるときには一語で、またあるときは四語でいみすることができるのか。通常、ひとはこうした表現をどのように考えているのか。ーーー思うに、われわれは、たとえば『石板 を 《渡して》 くれ』『石板 を 《かれ》 の ところ へ もって いけ』『石板 を 《二枚》 もって こい』等々、別の文章との対比において、つまり、われわれの命令語をちがったしかたで結合させている文章との対比において、右の表現を用いるときに、これを《四》語から成る一つの文章だと考える、と言いたいくなるのではあるまいか。ーーーしかし、一つの文章を他の文章との対比において用いるということは、どういうことなのか。その際、何かそうした別の文章が念頭に浮んでくるということなのか。では、それらすべてが念頭に浮かぶのか。その一つの文章をいっている《あいだに》そうなるのか、それともその前にか、あるいは後にか。ーーーどれもちがう!たとえそのような説明にわれわれがいくばくかの魅力を感ずるとしても、実際に何が起っているのかをちょっと考えてみさえすれば、そのような説明が誤っていることが見てとれる。われわれは、自分たちが右のような命令文を他の文章との対比において用いるのは、《自分たちの言語》がそのような他の文章の可能性を含んでいるからだ、と言う。われわれの言語を理解しない者、たとえば外国人は、誰かが『石板をもってこい!』という命令を下すのをたびたび聞いたとしても、この音声系列全体が一語であって、自分の言語では何か『建材』といった語に相当するらしい、と考えるかもしれない。そのとき、かれ自身がこの命令を下したとすると、かれはそれをたぶん違ったふうに発音するだろうし、また、われわれは、あの人の発音は変だ、あれが一語だと思っている、などと言うであろう。ーーーしかし、このことゆえに、かれがこの命令を発するときには、何かまた別のことがかれの心の中で起っているのではないか、ーーーかれがその文章を《一つの》単語として把握していることに対応する何かが。ーーーこれと似たこと、あるいはまた何かちがったことが、かれの心の中で起っているのかもしれない。では、きみがそのような命令を下すとき、きみの心の中では何が起っているのか。それを発音している《あいだに》、これが四語から成っていることが意識されているのだろうか。もちろん、きみはこの言語ーーーその中には、すでに述べたような別の文章も含まれているーーーに《熟達》しているのだが、しかし、この熟達ということが、その文章を発音しているあいだに《起こっている》ことなのだろうか。ーーーむろんわたくしは、別様に把握した文章を外国人がおそらく別様に発音するであろうこと、を認めている。しかし、われわれが誤った把握と呼ぶものは、《必ずしも》、命令の発音に付随した〔それとは別の〕何ごとかのうちに生ずるわけではない。

ーーー文章が『省略形』であるのは、それを発音するときに、何かわれわれの考えていることが除外されるからではなくて、それがーーーわれわれの文法の一定の範例に比べてーーー短縮されているからである。ーーーここでひとは、もちろん、『おまえは、短縮された文章と短縮されていない文章とが、同じ意義をもっていることを認めているではないか。それなら、それらはどのような意義をもっているのか。いったい、そうした意義に対して、一つの言語表現がないのか』といった異議がありえよう。ーーーしかし、文章の同じ意義とは、それらの同じ《適用》にあるのではないか」(ウィトゲンシュタイン「哲学探究・十九・二〇」『ウィトゲンシュタイン全集8・P.26~29』大修館書店 一九七六年)

この文章で述べられているように「同じ《適用》」可能な言語圏に属する人々の集合をまとめて「言語ゲーム」という。このような条件を満たす範囲に従ってそれぞれ「円ゲーム・ドルゲーム・ユーロゲーム・元ゲーム」などが出現できるわけであって、金属と交換できるから<貨幣>なのだとは必ずしも限らず、むしろ<流通する>から、<流通すればするほど>、それこそ《が》<貨幣>に《なる》のだ。マルクスの時代はなるほどまだまだ金属との交換が世界中で幅を利かせていたためマルクス「資本論」では金属との交換可能性が重視されてはいる。その意味でマルクスは自分が発見したことを自分自身ですべて理解していたわけではないと言える。ところが今のネット社会だと金属との交換は認められていてもかつてほど重視されることはもはやない。世界的金融恐慌安定剤としての「円」がもはやその位置を加速的に失いつつあるように、世界的金融恐慌安定剤としての「円」は重視されていない。精神医学の分野で古典的統合失調症安定剤としての「クロルプロマジン」が現代的統合失調症安定剤「オランザピン」へと置き換えられているように、古典的統合失調症安定剤としての「クロルプロマジン」は統合失調症安定剤としての位置を加速的に失いつつある。むしろクロルプロマジンは他剤との合剤「ベゲタミン(商品名)」として薬物乱用のための遊びに使われたりしている。

ニーチェのいう「風習・習慣」、ウィトゲンシュタインのいう「《適用》」、マルクスのいう「流通」。そしてまた生きており活動中の人間の身体にとって「血液」が「血液」であるのは化学式として固定されているからではまるでなく逆に化学式としては同じでも固定されることなく常に体内を「流動・循環」しているからこそ「血液」なのだ。これらは紛れもなくどれも同じことを別々の立場から言っているという事情。東大入試などという馬鹿げた次元の問題には決して出ないほど身近な「常識」として押さえておこう。といっても東大入試を揶揄しているわけではまったくなく、入試に出ないがゆえに義務教育過程の始めからあらかじめ外されており、外されているがゆえにいつも発生する社会性の欠如を憂慮する立場からいうのである。

実際、つい昨日の報道で、日本の一部銀行が始めた「トラック=銀行窓口」という移動型ATMの出現を見た。車=シニフィアン(意味するもの・銀行窓口)/シニフィエ(意味されるもの・銀行業務)ということができる。そこではすぐさま金と交換されるわけにはいかないが逆に紙幣との交換なら幾らでも可能だ。ATM機能だとわざわざどこかの金鉱から金を掘り出しにいかなくてもその場ですぐさま換金可能ではないだろうか。移動は「車」で行われる。そこで思い出した。

「君たちはこうしたものが思想だと知ってはいるが、しかし君たちの思想は君たちの体験ではなくて、他の人々の体験の反響なのである。一台の車が通りすぎるとき、君たちの部屋が震動するようなものだ。だが私はその車のなかに坐っているのであり、そしてしばしば私はその車自身なのである」(ニーチェ「生成の無垢・上・一〇六九・P.555」ちくま学芸文庫 一九九四年)

さてこれからプルーストがじわじわ描いていく<暴露>過程は、ゲルマント夫人の神話化の延長の果てということもできるし、もっと延長されればされるほど今度は逆に脱神話化(解体)の領域へ入っていくことがある、という逆説にほかならない。

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