盗賊らの住処で。二つの盗賊が鉢合わせになる。後からやって来た盗賊は「略奪物(ぶんどりひん)」を得た代わりに「仲間三人」を失ったという。「三人の死んだ仲間」=「略奪物(ぶんどりひん)」。
「三人の死んだ仲間を悼みながらも、ほらそこに置いている略奪物(ぶんどりひん)をここまで持って来た」(アープレーイユス「黄金の驢馬・巻の4・P.157」岩波文庫)
最初の「略奪物(ぶんどりひん)」はテーバイの町中。クリュセールという両替屋を狙った。そのとき棟梁のラマクスを失う。重傷を負ったラマクスは自害する。
「俺たちが誰一人、いくら頼んでも朋輩(ほうばい)殺しをやろうってしないのを見て取ると、残った手で自分の剣を執り、長いことそれに接吻(くちづけ)してたが、やがていきなり柄(つか)も徹(とお)れと胸の真ん中をさし貫いた。そこでもって俺たちは勇ましい棟梁の器量に感じ入りつつ、遺骸を麻の衣に鄭重(ていちょう)にくるみ込んで、海へ入れて隠しておいた。されば今とてラマクス兄貴は海全体を墓場にしてやすんでいる」(アープレーイユス「黄金の驢馬・巻の4・P.143」岩波文庫)
棟梁だからか「海全体」を「墓場」として見なされる。次に仲間のアルキムスを失う。アルキムスの死体も海に葬られるが、ラマクスの従者の立場としてである。
「ラマクス兄貴の好い道連れってわけでな、俺たちは同じようにして葬って来た」(アープレーイユス「黄金の驢馬・巻の4・P.145」岩波文庫)
テーバイから離れプラタイアイへ移動。仲間のトラシュレオーンの全身を熊の毛皮で覆い尽くし、デーモカレースの屋敷の中に潜ませる。ところが夜になって召使いの青年に見つかってしまい捕物が始まる。トラシュレオーンは人間だがすっかり転倒した状況に置かれることによってまるで本物の熊だ。
「さんざん犬に咬みつかれ刃に裂かれてからまでも、しきりに熊の吼(ほ)え声(ごえ)や唸(うな)り声(ごえ)をまね、立派に雄々(おお)しく身に降りかかった難儀をしのびつづけてからに、自分の名を辱めずに、運命の手に命を終えた」(アープレーイユス「黄金の驢馬・巻の4・P.156」岩波文庫)
マルクスに言わせればこういう構造を取っている。
「たとえば、この人が王であるのは、ただ、他の人々が彼にたいして臣下としてふるまうからでしかない。ところが、彼らは、反対に、彼が王だから自分たちは臣下なのだと思うのである」(マルクス「資本論・第一部・第一篇・第一章・P.111」国民文庫)
さらにそれだけでなく、このエピソードは、いついかなるときにも人間は共通して「獣性」を根本に持っていることを物語る。
「性愛とは数かぎりない性を産み出すことであり、そのような性はいずれも制御不可能な生成変化となる。《性愛は、男性をとらえる女性への生成変化と、人間一般をとらえる動物への生成変化を経由する》。つまり微粒子の放出である。だからといって獣性の体験が必要なわけではない。性愛に獣性の体験が顔を出すことは否定できないし、精神医学の逸話にも、この点でなかなか興味深い証言が数多く含まれている。だがそれは極度の単純さから、いずれも婉曲で、愚かしいものになりさがっている。絵葉書の老紳士のように犬の『ふりをする』ことが求められているのではない。動物と交わることが求められているわけでもない。動物への生成変化を性格づけるのは何よりもまず異種の力能だ。なぜなら、動物への生成変化は、模倣や照応の対象となる動物にその現実性を見出すのではなく、みずからの内部には、つまり突如われわれをとらえ、われわれに<なること>をうながすものに現実性を見出していくからである。動物への生成変化の現実性は、《近傍の状態》や《識別不可能性》に求められる。それが動物から引き出すものは、馴化や利用や模倣をはるかに超えた、いわくいいがたい共通性だ。つまり『野獣』である」(ドゥルーズ&ガタリ「千のプラトー・中・P.247~288」河出文庫)
だがしかし、獣性だけでもまたない。たとえば、「キュベレ祭=ヒラリア祭」というものがある。
「春分の日(三月二十二日)に、森でマツの木が一本切られ、キュベレの聖所に運ばれる。ここでマツは神として扱われる。木は羊毛の帯とスミレの花輪で飾られるが、これはちょうどアドニスの血からアネモネが生えてきたように、スミレがアッティスの血から生え出したと言われているからである。若者の像が、この木の中央に取りつけられる。二日目(三月二十三日)の主要な儀式は、ラッパを吹くことであったように見える。三日目(三月二十四日)は『血の日』として知られた。大祭司が両腕から血を採り、これを供え物とする。像を前にしてアッティスの弔いが行われたのは、この日かその夜であったかもしれない。その後この像は厳かに葬られた。四日目(三月二十五日)には『喜びの祭り』(『ヒラリア祭』〔Hilaria キュベレを祭った、大地の生命の再生を祝う祭り〕)が行われる。ここではおそらく、アッティスの復活が祝われた。少なくとも、アッティスの復活の祝いは、その死の儀式が終わって間もないうちに行われたように見受けられる。ローマのヒラリア祭は三月二十七日、アルモの小川までの行列で幕を閉じた。この小川で、女神キュベレのための去勢牛の荷車、女神の像、その他神聖な品々に水を浴びせた。だがこの女神の水浴は、彼女の故国アジアでの祭りでも、その一部となっていたことが知られている。水辺から戻ると、荷車と牡牛たちは瑞々しい春の花々をふり掛けられた」(フレイザー「金枝篇・上・第三章・第五節・P.405~406」ちくま学芸文庫)
植物の豊穣に関して男性と女性との両方が関わっていることはわかるのだが。両性具有に関係する。
「アッティスを愛しているアグディスティスが、祝宴の開かれている穴に入ってくる。そこに居合わせた者は皆、狂気に襲われ、王は自分の生殖器を切りとり、アッティスは逃げて、松の木の下でみずからを傷つけて死んでしまう。アグディスティスは絶望して、アッティスを蘇生させようとしたが、ゼウスはそれを許さなかった。ゼウスが容認したのは、ただアッティスの身体が腐らないようにし、髪の毛が伸びたり小指が動いたりすることで生きていることの証しとすることだけであった。アグディスティスは両性具有のおおいなる母のひとつの顕現にすぎないのであり、アッティスはキュベレーの息子であり、恋人であり、その犠牲者でもあった」(エリアーデ「世界宗教史4・第二十六章・P.115~116」ちくま学芸文庫)
その祭の原型として、派手な生殖器の去勢が行われたことは疑えない。
「祭りは春分の時期、三月十五日から二十八日にかけて行なわれた。初日(カンナ・イントラット、『葦の持ちこみ』)に、葦を背負った同信者集団が、切った葦を寺院へ運びこんだ(伝説によるとキュベレーは幼児アッティカが、サンガリオス川の川辺に捨てられているのを見つけた)。七日後、木を背負った同信者集団が、森から切った松の木を運びこむ(アルボル・イントラット)。幹は死体のように幅のせまい帯でくるまれ、アッティスの像がその真ん中に結びつけられる。その木は死んだ神をあらわしていた。『血の日』(デイエス・サングイニス)である三月二十四日に、司祭と新たな入信者は笛とシンバルとタンバリンの音にあわせて野蛮な踊りを踊り、血が出るまで自分たちの身体を鞭打ち、ナイフで腕を深く傷つける。興奮が最高潮に達すると、生殖器を切りとって供物として女神に捧げる入信者もいる」(エリアーデ「世界宗教史4・第二十六章・P.117」ちくま学芸文庫)
しかしただ男性信者らが生殖器を切り捨てたというばかりでは半分ほどの意味しかなさないと考えるべきだろう。南方熊楠はフレイザーを参照しつつ次の説を上げている。
「笛と太鼓を奏する最中に神官小刀で自身を創つくるを見て参詣人追い追い夢中になって血塗れ騒ぎをなし、ついには衣を脱ぎ喚き踊り出で備え付けの刀を採って惜気もなく大事極まる物を切り去り、それを手に持って町中を狂い奔しどこかの家へ投げ込むと、それ福が降って来たと大悦びでその家より女の衣装と装飾(かざり)をその人に捧ぐるを取って一生著用する」(南方熊楠「鳥を食うて王になった話」『浄のセクソロジー・P.277』河出文庫)
男女の性の入れ換わりがある。さらに別のところで。
「西暦一世紀には、半男女を、尤物(ゆうぶつ)の頂上として求め愛した。男女両相の最美な所を合成して作り上げた半男半女の像にその頃の名作多く(一七七二年版ド・ポウの『亜米利加人の研究』百二頁)、ローマ帝国を、始終して性欲上の望みを満たさんため、最高価で贖(あがな)われたは、美女でも姣童(わかしゅ)でもなくて、実に艶容無双の半男女だったと記憶する」(南方熊楠「十二支考・上・馬に関する民俗と伝説・P.374~375」岩波文庫)
両性具有という存在は時に男性であり時に女性であり時に両性である。二重化された性は三重の機能を持つ。男性から女性あるいは女性から男性というだけなら一身で二つの性を持つというに過ぎないが、実際には三重化されている。男性にもなり女性にもなり同時に両性でもある。一挙にして対立する両極のあいだを一方から他方へと飛躍可能である。機能としては貨幣と等価である。
「アピスというのはオシリスの像に生命が吹き込まれたものだとされています。生成力の光が月から発して、発情期の牛に触れるとアピスが生まれるのだというのです。ですからアピスは、その明るい面が次第にかげって陰にになるというように、いろいろの面で月の満ちかけに似ているわけです。さらに、パメノトの月の朔日(ついたち)には『オシリスの月詣で』という祭が催されますが、これは春の到来を告げるものです。このようにオシリスの力は月に帰せられているのですが、人々はこれをイシス(彼女は生殖の力です)とオシリスが交わっていると申します。ですから月は世界を生んだ母と言われ、かつ男女両性の具有者だと信じられています」(プルタルコス「エジプト神イシスとオシリスの伝説について四三・P.82~83」岩波文庫)
それを神と見るかどうか。キリスト教がヨーロッパ世界を制覇してしまうまで、古代人の中では神と考える人々がいたことは確かである。なお、今の市民社会でも男性器と女性器の両方を持って生まれてくるインターセックスの人々がいる。ところが、生まれるやいなや大抵の場合、男性器切除手術が行われ、女性として生きていくことが通例化している。とはいえ、男性器を切除した場合、その後その人はずっと女性として生きていくことになるかといえば必ずしもそうではない。むしろ思春期頃になるとジェンダートラブルを起こすことが珍しくない。身体はなるほど見た目は女性であり自覚的には非男性を生きている。だがそもそも両性具有者=インターセックスという点で、そうであったということを周囲から知らされていなくても自分は男性であるという意識が蘇ってくる場合がある。また思春期の間はなんともなくても十代後半から結婚前後にかけてLGBTではないかという意識に目覚めることが少なくない。生まれてすぐの男性器切除という通例を含めて見直す必要性を感じないわけにはいかない。
BGM
「三人の死んだ仲間を悼みながらも、ほらそこに置いている略奪物(ぶんどりひん)をここまで持って来た」(アープレーイユス「黄金の驢馬・巻の4・P.157」岩波文庫)
最初の「略奪物(ぶんどりひん)」はテーバイの町中。クリュセールという両替屋を狙った。そのとき棟梁のラマクスを失う。重傷を負ったラマクスは自害する。
「俺たちが誰一人、いくら頼んでも朋輩(ほうばい)殺しをやろうってしないのを見て取ると、残った手で自分の剣を執り、長いことそれに接吻(くちづけ)してたが、やがていきなり柄(つか)も徹(とお)れと胸の真ん中をさし貫いた。そこでもって俺たちは勇ましい棟梁の器量に感じ入りつつ、遺骸を麻の衣に鄭重(ていちょう)にくるみ込んで、海へ入れて隠しておいた。されば今とてラマクス兄貴は海全体を墓場にしてやすんでいる」(アープレーイユス「黄金の驢馬・巻の4・P.143」岩波文庫)
棟梁だからか「海全体」を「墓場」として見なされる。次に仲間のアルキムスを失う。アルキムスの死体も海に葬られるが、ラマクスの従者の立場としてである。
「ラマクス兄貴の好い道連れってわけでな、俺たちは同じようにして葬って来た」(アープレーイユス「黄金の驢馬・巻の4・P.145」岩波文庫)
テーバイから離れプラタイアイへ移動。仲間のトラシュレオーンの全身を熊の毛皮で覆い尽くし、デーモカレースの屋敷の中に潜ませる。ところが夜になって召使いの青年に見つかってしまい捕物が始まる。トラシュレオーンは人間だがすっかり転倒した状況に置かれることによってまるで本物の熊だ。
「さんざん犬に咬みつかれ刃に裂かれてからまでも、しきりに熊の吼(ほ)え声(ごえ)や唸(うな)り声(ごえ)をまね、立派に雄々(おお)しく身に降りかかった難儀をしのびつづけてからに、自分の名を辱めずに、運命の手に命を終えた」(アープレーイユス「黄金の驢馬・巻の4・P.156」岩波文庫)
マルクスに言わせればこういう構造を取っている。
「たとえば、この人が王であるのは、ただ、他の人々が彼にたいして臣下としてふるまうからでしかない。ところが、彼らは、反対に、彼が王だから自分たちは臣下なのだと思うのである」(マルクス「資本論・第一部・第一篇・第一章・P.111」国民文庫)
さらにそれだけでなく、このエピソードは、いついかなるときにも人間は共通して「獣性」を根本に持っていることを物語る。
「性愛とは数かぎりない性を産み出すことであり、そのような性はいずれも制御不可能な生成変化となる。《性愛は、男性をとらえる女性への生成変化と、人間一般をとらえる動物への生成変化を経由する》。つまり微粒子の放出である。だからといって獣性の体験が必要なわけではない。性愛に獣性の体験が顔を出すことは否定できないし、精神医学の逸話にも、この点でなかなか興味深い証言が数多く含まれている。だがそれは極度の単純さから、いずれも婉曲で、愚かしいものになりさがっている。絵葉書の老紳士のように犬の『ふりをする』ことが求められているのではない。動物と交わることが求められているわけでもない。動物への生成変化を性格づけるのは何よりもまず異種の力能だ。なぜなら、動物への生成変化は、模倣や照応の対象となる動物にその現実性を見出すのではなく、みずからの内部には、つまり突如われわれをとらえ、われわれに<なること>をうながすものに現実性を見出していくからである。動物への生成変化の現実性は、《近傍の状態》や《識別不可能性》に求められる。それが動物から引き出すものは、馴化や利用や模倣をはるかに超えた、いわくいいがたい共通性だ。つまり『野獣』である」(ドゥルーズ&ガタリ「千のプラトー・中・P.247~288」河出文庫)
だがしかし、獣性だけでもまたない。たとえば、「キュベレ祭=ヒラリア祭」というものがある。
「春分の日(三月二十二日)に、森でマツの木が一本切られ、キュベレの聖所に運ばれる。ここでマツは神として扱われる。木は羊毛の帯とスミレの花輪で飾られるが、これはちょうどアドニスの血からアネモネが生えてきたように、スミレがアッティスの血から生え出したと言われているからである。若者の像が、この木の中央に取りつけられる。二日目(三月二十三日)の主要な儀式は、ラッパを吹くことであったように見える。三日目(三月二十四日)は『血の日』として知られた。大祭司が両腕から血を採り、これを供え物とする。像を前にしてアッティスの弔いが行われたのは、この日かその夜であったかもしれない。その後この像は厳かに葬られた。四日目(三月二十五日)には『喜びの祭り』(『ヒラリア祭』〔Hilaria キュベレを祭った、大地の生命の再生を祝う祭り〕)が行われる。ここではおそらく、アッティスの復活が祝われた。少なくとも、アッティスの復活の祝いは、その死の儀式が終わって間もないうちに行われたように見受けられる。ローマのヒラリア祭は三月二十七日、アルモの小川までの行列で幕を閉じた。この小川で、女神キュベレのための去勢牛の荷車、女神の像、その他神聖な品々に水を浴びせた。だがこの女神の水浴は、彼女の故国アジアでの祭りでも、その一部となっていたことが知られている。水辺から戻ると、荷車と牡牛たちは瑞々しい春の花々をふり掛けられた」(フレイザー「金枝篇・上・第三章・第五節・P.405~406」ちくま学芸文庫)
植物の豊穣に関して男性と女性との両方が関わっていることはわかるのだが。両性具有に関係する。
「アッティスを愛しているアグディスティスが、祝宴の開かれている穴に入ってくる。そこに居合わせた者は皆、狂気に襲われ、王は自分の生殖器を切りとり、アッティスは逃げて、松の木の下でみずからを傷つけて死んでしまう。アグディスティスは絶望して、アッティスを蘇生させようとしたが、ゼウスはそれを許さなかった。ゼウスが容認したのは、ただアッティスの身体が腐らないようにし、髪の毛が伸びたり小指が動いたりすることで生きていることの証しとすることだけであった。アグディスティスは両性具有のおおいなる母のひとつの顕現にすぎないのであり、アッティスはキュベレーの息子であり、恋人であり、その犠牲者でもあった」(エリアーデ「世界宗教史4・第二十六章・P.115~116」ちくま学芸文庫)
その祭の原型として、派手な生殖器の去勢が行われたことは疑えない。
「祭りは春分の時期、三月十五日から二十八日にかけて行なわれた。初日(カンナ・イントラット、『葦の持ちこみ』)に、葦を背負った同信者集団が、切った葦を寺院へ運びこんだ(伝説によるとキュベレーは幼児アッティカが、サンガリオス川の川辺に捨てられているのを見つけた)。七日後、木を背負った同信者集団が、森から切った松の木を運びこむ(アルボル・イントラット)。幹は死体のように幅のせまい帯でくるまれ、アッティスの像がその真ん中に結びつけられる。その木は死んだ神をあらわしていた。『血の日』(デイエス・サングイニス)である三月二十四日に、司祭と新たな入信者は笛とシンバルとタンバリンの音にあわせて野蛮な踊りを踊り、血が出るまで自分たちの身体を鞭打ち、ナイフで腕を深く傷つける。興奮が最高潮に達すると、生殖器を切りとって供物として女神に捧げる入信者もいる」(エリアーデ「世界宗教史4・第二十六章・P.117」ちくま学芸文庫)
しかしただ男性信者らが生殖器を切り捨てたというばかりでは半分ほどの意味しかなさないと考えるべきだろう。南方熊楠はフレイザーを参照しつつ次の説を上げている。
「笛と太鼓を奏する最中に神官小刀で自身を創つくるを見て参詣人追い追い夢中になって血塗れ騒ぎをなし、ついには衣を脱ぎ喚き踊り出で備え付けの刀を採って惜気もなく大事極まる物を切り去り、それを手に持って町中を狂い奔しどこかの家へ投げ込むと、それ福が降って来たと大悦びでその家より女の衣装と装飾(かざり)をその人に捧ぐるを取って一生著用する」(南方熊楠「鳥を食うて王になった話」『浄のセクソロジー・P.277』河出文庫)
男女の性の入れ換わりがある。さらに別のところで。
「西暦一世紀には、半男女を、尤物(ゆうぶつ)の頂上として求め愛した。男女両相の最美な所を合成して作り上げた半男半女の像にその頃の名作多く(一七七二年版ド・ポウの『亜米利加人の研究』百二頁)、ローマ帝国を、始終して性欲上の望みを満たさんため、最高価で贖(あがな)われたは、美女でも姣童(わかしゅ)でもなくて、実に艶容無双の半男女だったと記憶する」(南方熊楠「十二支考・上・馬に関する民俗と伝説・P.374~375」岩波文庫)
両性具有という存在は時に男性であり時に女性であり時に両性である。二重化された性は三重の機能を持つ。男性から女性あるいは女性から男性というだけなら一身で二つの性を持つというに過ぎないが、実際には三重化されている。男性にもなり女性にもなり同時に両性でもある。一挙にして対立する両極のあいだを一方から他方へと飛躍可能である。機能としては貨幣と等価である。
「アピスというのはオシリスの像に生命が吹き込まれたものだとされています。生成力の光が月から発して、発情期の牛に触れるとアピスが生まれるのだというのです。ですからアピスは、その明るい面が次第にかげって陰にになるというように、いろいろの面で月の満ちかけに似ているわけです。さらに、パメノトの月の朔日(ついたち)には『オシリスの月詣で』という祭が催されますが、これは春の到来を告げるものです。このようにオシリスの力は月に帰せられているのですが、人々はこれをイシス(彼女は生殖の力です)とオシリスが交わっていると申します。ですから月は世界を生んだ母と言われ、かつ男女両性の具有者だと信じられています」(プルタルコス「エジプト神イシスとオシリスの伝説について四三・P.82~83」岩波文庫)
それを神と見るかどうか。キリスト教がヨーロッパ世界を制覇してしまうまで、古代人の中では神と考える人々がいたことは確かである。なお、今の市民社会でも男性器と女性器の両方を持って生まれてくるインターセックスの人々がいる。ところが、生まれるやいなや大抵の場合、男性器切除手術が行われ、女性として生きていくことが通例化している。とはいえ、男性器を切除した場合、その後その人はずっと女性として生きていくことになるかといえば必ずしもそうではない。むしろ思春期頃になるとジェンダートラブルを起こすことが珍しくない。身体はなるほど見た目は女性であり自覚的には非男性を生きている。だがそもそも両性具有者=インターセックスという点で、そうであったということを周囲から知らされていなくても自分は男性であるという意識が蘇ってくる場合がある。また思春期の間はなんともなくても十代後半から結婚前後にかけてLGBTではないかという意識に目覚めることが少なくない。生まれてすぐの男性器切除という通例を含めて見直す必要性を感じないわけにはいかない。
BGM