こうある。
「私の乗ったゴンドラは、小運河をつぎつぎとたどって進んだ」
そしてヴェネツィアは運河だらけの資本主義都市である。どういうことか。
「私は小運河だ」ということでなくてはならない。<私>は<交通する>のだ。次のように。
「私の乗ったゴンドラは、小運河をつぎつぎとたどって進んだ。小運河は、私が進むにつれて、このオリエントの町の曲がりくねった迷路のなかを案内してくれる妖精の不思議な手のように界隈の真ん中に小さな通路をうがち、勝手につけた細い溝のようなその水路で、ムーアふうの小さな窓をもつ高い建物をかろうじて左右に押しわけ、私のために道を設けてくれるように思われた。まるで魔法使いの案内人がロウソクを手に私の行く手を照らしだしてくれるように、小運河は光の射しこむ道をつけて前方にひと筋の陽光を輝かせる。小運河によって切り離されたばかりの密集する哀れな住居は、さもなければぎっしり詰まったひとかたまりを成していたはずで、そこにはいかなる隙間も残されていないように感じられる。その結果、教会の鐘楼や庭のブドウ棚などは、洪水に襲われた町のなかのように、リオのうえに垂直に立っている。しかし、教会といい庭といい、大運河の場合と同様、海がみごとに交通路の役割を果たす転換のおかげで、教会はどれもカナレットの両側に水辺からそびえ立ち、つつましい参拝者の多い教区らしく人口が多くて貧しいこの界隈では、多くの庶民が参拝するその地区になくてはならない特徴をみずから体現しているし、庭にしても、そのなかを運河が横断しているから、水中にまで垂れた木々の葉や果物はびっくり仰天する。建物のへりでは、乱暴に切り離された砂岩は今しがたいきなりノコギリで挽(ひ)かれたかのようにざらざらしていて、そこに腰かけた少年たちがあわてて平衡を失うまいと、両脚を垂直に垂らしてうまくバランスをとるさまは、海の水を導き入れるべく中央でいまや両脚に開いた可動橋のうえに座っている水夫たちを想わせた。ときには行く手に、開けてみると思いがけない贈りものが出てくる箱のように、もっとすばらしい歴史的建造物があらわれる。それは切妻壁に寓意像を掲げたコリント様式の象牙色の小さな神殿で、まわりの日用品事物のあいだに放りだされて、いくぶん居心地が悪そうだ。というのも、われわれがその神殿にどれほどスペースを空けてやろうとしても、運河が神殿のために確保した柱廊は、まるで野菜業者のための荷揚げ用桟橋にしか見えないからである。私は自分が戸外にいる気がせず、なにやら秘密の場所の奥底へしだいに潜入するような印象をいだき、その印象は私の欲望によってなおも募った」(プルースト「失われた時を求めて12・第六篇・P.463~465」岩波文庫 二〇一七年)
例えば、「小運河は光の射しこむ道をつけて前方にひと筋の陽光を輝かせる。小運河によって切り離されたばかりの密集する哀れな住居は、さもなければぎっしり詰まったひとかたまりを成していたはずで、そこにはいかなる隙間も残されていないように感じられる」。
それこそ一九八〇年代後半の日本の「釜ヶ崎」を中心とする「水の都=大阪」の原型でないと一体誰にいえようか。
さらに、「教会といい庭といい、大運河の場合と同様、海がみごとに交通路の役割を果たす転換のおかげで、教会はどれもカナレットの両側に水辺からそびえ立ち、つつましい参拝者の多い教区らしく人口が多くて貧しいこの界隈では、多くの庶民が参拝するその地区になくてはならない特徴をみずから体現しているし、庭にしても、そのなかを運河が横断しているから、水中にまで垂れた木々の葉や果物はびっくり仰天する」。
現在の大阪湾のことだろうか。それとも横浜港のことだろうか。あるいは東京湾ならもっとわかりやすいに違いない。
エルスチールはいう。
「『なにしろその画家たちが制作をした町が町だけに、描かれた祝宴も一部は海上でくり広げられましたからね。ただし当時の帆船の美しさは、多くの場合、その重々しく複雑な造りにありました。こちらで見られるような水上槍競技もありましたが、ふつうはカルパッチョが<聖女ウルスラ伝>で描いたようになんらかの使節団の歓迎行事として開催されたものでした。どの船もどっしりと巨大な御殿を想わせる建造物で、深紅のサテンとペルシャの絨毯とにおおわれた仮説橋で岸につながれていて、船のうえでは婦人たちがサクランボ色のブロケード織りや緑色のダマスク織りの衣装を身にまとい、すぐそばの極彩色の大理石を嵌めこんだバルコニーから身を乗り出して眺めているべつの婦人たちが真珠やギピュールレースを縫いつけ白のスリットを入れた黒い袖のドレスを着ているときには、船はほとんど水陸両用かと思えて、ヴェネツィアのなかにいくつもの小さなヴェネツィアが出現した観があります。どこで陸が終わり、どこから水面が始まるのか、どこがまだ宮殿なのか、それともすでに船で、キャラベル船や、ガレアス船や、ブチントロ船にいるのか、見当もつかないありさまです』」(プルースト「失われた時を求めて4・第二篇・二・二・P.544~545」岩波文庫 二〇一二年)
「船はほとんど水陸両用かと思えて、ヴェネツィアのなかにいくつもの小さなヴェネツィアが出現した観があります。どこで陸が終わり、どこから水面が始まるのか、どこがまだ宮殿なのか、それともすでに船で、キャラベル船や、ガレアス船や、ブチントロ船にいるのか、見当もつかないありさまです」
位置決定不可能性。ドゥルーズ=ガタリはいう。
「例えば、古代帝国の大土木工事、都市や農村の給水工事であり、そこでは平行と見なされる区画により、水は『短冊状』に流される(条里化)。ーーー現代の公共工事は、古代帝国の大土木工事と同じ地位を持っていない。再生産に必要な時間と『搾取される』時間が時間として分離されなくなっている以上、どのようにして二つを区別できるのだろう。こう言ったとしても、決してマルクスの剰余価値の理論に反するものではない。なぜならまさにマルクスこそ、資本主義体制においてはこの剰余価値が《位置決定可能なものでなくなる》ことを示しているのだから。これこそがマルクスの根本的な成果なのである。だからこそマルクスは、機械はそれ自体、剰余価値を産み出すものとなり、資本の流通は、可変資本と不変資本の区別を無効にするようになると予知しえた。このような新しい条件のもとでも、すべての労働は余剰労働であることに変わりはない。だが、余剰労働はもはや労働さえ必要としなくなってしまう。余剰労働、そして資本主義的組織の総体は、徐々に労働の物理的社会的概念に対応する時空の条理化とは無縁になってきている。むしろ、余剰労働そのものにおいて、かつての人間の疎外は『機械状隷属』によって置き換えられ、任意の労働とは独立に、剰余価値が供給されるようになっている(子供、退職者、失業者、テレビ視聴者など)。こうして使用者が被雇用者になる傾向があるだけでなく、資本主義は、労働の量に対して作用するよりも、複雑な質的過程に対して作用するのであり、この過程は、交通手段、都市のモデル、メディア、レジャー産業、知覚や感じ方、これらすべての記号系にかかわるものとなっている。あたかも、資本主義が比類ない完璧さに到らせた条理化の果てで、流動する資本が、人間の運命を左右することになる一種の平滑空間を、もう一度必然的に創造し構築しているかのようだ」(ドゥルーズ=ガタリ「千のプラトー・下・14・P.281~282」河出文庫 二〇一〇年)
また今の日本のマス-コミ(ほぼすべての新聞・テレビ番組)が、日本の加速的全体主義化を隠蔽するために用いている技術について。単純素朴な二元論では語りきれなくなっているのはなぜか。
「現代の権力の作用は、『抑圧あるいはイデオロギー』という古典的な二者択一にはとうてい還元されず、言語、知覚、欲望などを対象にし、ミクロのアレンジメントを通過する規格化、変調、モデル化、情報といった手続きを内包していることは最近強調されたばかりだ。それは服従化と隷属化を同時に含む集合であり、両者はたがいに強化しあい補給しあうのをやめない二つの共時的部分として極端に突き進められる。たとえば人々はテレビに服従している。言表の主体を言表行為の主体と取り違えるという特殊な状況の中でテレビを使用したり消費しているからである(『視聴者のみなさん、番組を作るのはあなたですーーー』)。技術機械はここで、言表の主体と言表行為の主体という二つの主体のあいだの媒介となっている。しかし人々は人間機械としてテレビに隷属するのである。テレビ視聴者がもはや使用者や消費者ではなく、機械に属する『入口』や『出口』、《フィードバック》または循環として、内在的な部品となるからである。機械状隷属においては変形と情報交換しかなく、これらの作用の一項が機械であり、他項が人間であるだけである」(ドゥルーズ=ガタリ「千のプラトー・下・13・P.218」河出文庫 二〇一〇年)
諸外国の軍事的破滅とそのスペクタクルについての報道は日夜どこでも行われている。にもかかわらず、日本にいながら、日本の軍事要塞化についてほとんど報道されないのはなぜか。
「国家はもはや戦争機械を所有するのではなく、国家自身が戦争機械の一部分にすぎぬような戦争機械を再構成したのだ」(ドゥルーズ=ガタリ「千のプラトー・下・13・P.234」河出文庫 二〇一〇年)
ヴェネツィアで<私>は縦横無尽に張り巡らされた<水路>となってあらゆる場所へトランス(横断的)<交通=性交>の流れへ生成変化するのである。そうして始めてアルベルチーヌのトランス(横断的)<交通=性交>の流れを思わず知らずに肯定しており、その限りで、アルベルチーヌがそうであったように、<私>も一つの<欲望>なのだ。