二〇二四年七月三十一日(水)。
早朝(午前五時)。ピュリナワン(成猫用)その他の混合適量。
朝食(午前八時)。ピュリナワン(成猫用)その他の混合適量。
昼食(午後一時)。ピュリナワン(成猫用)その他の混合適量。
夕食(午後六時)。ピュリナワン(成猫用)その他の混合適量。
昨日一昨日とほぼ変わらず。
改善は見られたがしっかり回復とは言えない様子の現状維持というところ。
整腸剤投与は続くけれども薬剤を用いても体調がゆっくり持ち直していくかどうかはまだ未知数。
飼い主の妻は骨粗鬆症が原因の圧迫骨折治療のため家事労働は最低限度状態であり現状維持がせいぜい、今以上に回復することはまずないので何やかやと飼い主が済ませていて猫の面倒見は初代タマが生きていた頃以上に飼い主の役目。
ところで思うのだが。いっときのペットブームが急速に収束してきた二年ほど前から気持ちの準備というのは普通にあった。
犬さん猫さんたちが今のように長生きできる社会になってからもなお打ち続く不況下で起きていたこと。
ある日唐突に「飼い猫が逃げ出してしまって」と半笑いで話し始める人々をちらほら見かけた。
半死半生の高齢者に限った話では全然なくその孫などは小学生ともなるとまるっきりだんまり。
要するに経済的理由から「こっそり捨てざるを得なくなった」という意味。
一九七〇年代にしばしばあった実話と同じことが起きている。
かつて司法の世界で「永山基準」というものがあった時代に幾らでも聞かされた実話。
今の日本は四半世紀ほど馬鹿騒ぎに夢中になっているうちにもはや誤魔化せない現実はすでにそこまで舞い戻っている。
マクロ次元の軍需で経済を動かそうという粗暴な方法で頭が一杯の超大国首脳陣にはとてもではないがわからないごく世間一般のありふれた苦痛がもう一度限界を迎えつつあるということに違いない。
政府は未来の子どもたちのために出来ることは全力で取り組んでいくと大胆宣言しているけれども、当の子どもたちが今や大人都合丸出しの政治的配慮に基づくとっさの表情の切り換えやネットいじめ・暴力史上主義の味・表面的素朴さの演出・引きこもり・DV・家族をケアしながらのクラスメートいじめへの加担や煽動などに音もなく浸かりきっていく過程へじわじわのめり込んでいっているらしい。
マス-コミはその程度のミクロ次元の悪循環の蓄積が今後どんな事態を結果するかまるで知ろうとしないか逆に知っていてわざと覆い隠しているかのようだ。それともただ単に仕事をさぼっているにもかかわらず高賃金を手にしているのだろう。実状を報じると逆に解雇される社会なので。
未来の子どもたちのためにと、今頃のんきなものだね。
黒猫繋がりの楽曲はノン・ジャンルな世界へ。アクトレス。比較的静かなアンビエントとインダストリアルとの融合かと思って聴いていると予告なしのノイズで切断され、ややダークなドローンが挿入されたりする。爆撃と廃墟だらけのディストピアから入っても未来に賭ける光り輝くユートピアから入ってもなお砂漠へ永劫回帰していくような感覚。