白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

ステレオタイプと隠喩の濫用

2019年07月31日 | 日記・エッセイ・コラム
前回はスペースの都合上途中までしか触れることができなかった。後半に入ろう。「プチ・ブルジョア的エクリチュール」と「共産主義作家」のエクリチュールが途方もなく似てくる、ということが起こってきた。

「プチ・ブルジョア的エクリチュールは、共産主義作家によってふたたび取り入れられることになった」(バルト「エクリチュールと革命」『零度のエクリチュール・P.86』みすず書房)

「小中学生のエクリチュール」あるいは「もはや作文」でしかないとバルトはいうわけだが、プチ・ブルジョア的エクリチュールは発生した時点ですでにそうだった。一八四八年「六月蜂起」が世界に向けて与えた衝撃。それはほとんど全ヨーロッパにたいする不意打ちでもあったという意味で、全ヨーロッパの文学は、そのとき生じたプチ・ブルジョア階級の出現と同時にプチ・ブルジョア的エクリチュールを用いることになったからだ。全ヨーロッパ規模で発生したプチ・ブルジョア階級。それは奇妙な合成物〔モンタージュ〕に見えた。ブルジョア階級から転落した人々。労働者階級から成り上がった人々。あるいは農民なら、たまたま一定の土地を持っていたというだけでそれを資本へ転化できた人々などから構成されていた。だから彼ら彼女らの「サロン」といっても出来合いのものでしかなく、旧時代にあった「本物のサロン」の模造品を越えることはできなかった。アメリカを見れば一目瞭然のように、言語〔エクリチュール〕もまた模造品が用いられた。奇妙な合成物〔モンタージュ〕としての「近代的エクリチュール」。たとえばそれはモリエールから見れば「笑うべき」調子をもっていて、余りにも似ているがゆえにかえって「田舎者まる出し」におもわれるのである。「田舎者」といっても何も地理的遠方を意味しない。むしろ首都パリ近郊の「成り上がり」だからこそ、その複製ぶり、模造品ぶりが、余りにも笑わせてしまうというわけだ。ところで、縷々述べてきたように一八四八年「六月蜂起」を歴史的断層として「文学」というものは「近代文学」を意味することになった。そして「近代文学」はプチ・ブルジョア的エクリチュールと同級生であるということができる。さらに近代文学以前に「文学」はなく、「文学」の生産者も消費者もともにプチ・ブルジョア階級が担っており、したがって「文学」の出現は不可避的にプチ・ブルジョア的エクリチュール〔言語体系〕の蔓延を意味せざるを得ない。奇妙な合成物〔モンタージュ〕として生まれた近代文学。それには或る「責務」が与えられていた。

「自分の身元を確認する形式がなければ自分を認めさせられないような内容をはっきりと見えるように示す、という責務をもっているエクリチュール」(バルト「エクリチュールと革命」『零度のエクリチュール・P.86』みすず書房)

読者の「身元確認」装置としての機能である。一例としてモーパッサン「女の一生」を取り上げてみよう。

「彼女はけっして場所を取ることはなかった。世には、人跡未踏の地のように近親の者にも全然知られていないでいる人たちがあるものだが、彼女もそういう人たちの一人だった。その死もけっして家庭のなかに穴も空虚も生じないような人々の仲間だった。自分たちのそばに住んでいる人々の生活のなかにも、習慣のなかにも、また愛のなかにもはいるすべを知らない人々の一人だった。『リゾン叔母』と発音しても、この二語は、だれの心にも、いわばどんな愛情も、目ざめさせはしなかった。まるで『コーヒー沸し』とか『砂糖壷(つぼ)』とか言われるとおなじだった」(モーパッサン「女の一生・P.64」新潮文庫)

この場合、「リゾン叔母」は「コーヒー沸し」や「砂糖壷(つぼ)」と置き換え可能な等価物として書かれている。置き換え可能であるということはいつでも商品化可能であるということと等価である。「コーヒー沸し」や「砂糖壷(つぼ)」という単語を持ってきて「あだ名」として流通させることが可能なのはなぜか。それをおもえば容易に理解できよう。シニフィアン(意味するもの)とシニフィエ(意味されるもの)との《あいだ》には決定的な亀裂が入っている。この亀裂は何もしないが、この亀裂があるために、シニフィアン(意味するもの)はシニフィエ(意味されるもの)をどんどん交換させていくことができる。シニフィアン(意味するもの)とシニフィエ(意味されるもの)とを入れ換えることもとうぜん可能になった。そのようなことは古典主義時代には不可能だったのだが。しかし資本主義は後戻りを許さないシステムでもある。近代文学に顕著な「隠喩の濫用」が始まった。そこで用いられる隠喩は、濫用にもかかわらず、けっして独自の個別性を意味しない。むしろ一般性の指示記号として用いられる「たんなる符丁にすぎない」ということになる。

「感覚の特異性を伝えようとする『気質』による意図からではまったくなく、言葉の位置づけをするためのたんなる文学的な符丁にすぎない。ラベルをみると値段がわかるようなものである」(バルト「エクリチュールと革命」『零度のエクリチュール・P.87』みすず書房)

文学の言葉は、バルトのいうように「ラベルをみると値段がわかるようなもの」になるのだが、しかし起こるべくして起こってくる言語的「インフレ」にまで対応するわけでもまたない。日本でいえば、一九七〇年代「オイルショック」。ひとかかえのティッシュペーパーが一万円にもなると、そこで取引は停止させられざるをえない。資本主義は自動機械でもある。資本主義は自分の危機を察するやいなや自分で自分自身の動きを保留させる機能を持つ。停止はなるほど資本主義の死を意味する。だが死ぬのは投下された資本を下手にいじっている人間だけであって、資本主義そのものが死ぬわけではない。資本主義の死は労働力商品としてのあらゆる労働者がすべて死に絶えたときだ。ところが労働力は国内での供給が途絶えてしまいそうになってくればいつでも外国から移動させることができ実際に補充される。国境はますます消滅していくが、国境の蒸発は資本の要求でもある。蒸発というより可動的というべきか。資本は資本自身で境界線〔柵〕を移動させる。

「『確かに、彼は、官房にはいっていきます。でも、これらの官房は、ほんとうのお城でしょうか。官房がお城の一部だとしても、バルナバスが出入りを許されている部屋がそうでしょうか。彼は、いろんな部屋に出入りしています。けれども、それは、官房全体の一部分にすぎないのです。そこから先は柵(さく)がしてあり、柵のむこうには、さらにべつの部屋があるのです。それより先へすすむことは、べつに禁じられているわけではありません。しかし、バルナバスがすでに自分の上役たちを見つけ、仕事の話が終り、もう出ていけと言われたら、それより先へいくことはできないのです。おまけに、お城ではたえず監視を受けています。すくなくとも、そう信じられています。また、たとえ先へすすんでいっても、そこに職務上の仕事がなく、たんなる闖入者(ちんちゅうしゃ)でしかないとしたら、なんの役にたつのでしょうか。あなたは、この柵を一定の境界線だとお考えになってはいけませんわ。バルナバスも、いくどもわたしにそう言ってきかせるのです。柵は、彼が出入りする部屋のなかにもあるんです。ですから、彼が通り越していく柵もあるわけです。それらの柵は、彼がまだ通り越したことのない柵と外見上ちっとも異ならないのです。ですから、この新しい柵のむこうにはバルナバスがいままでいた部屋とは本質的にちがった官房があるのだと、頭からきめてかかるわけにもいかないのです。ただ、いまも申しあげました、気持のめいったときには、ついそう思いこんでしまいますの。そうなると、疑念は、ずんずんひろがっていって、どうにも防ぎとめられなくなってしまいます。バルナバスは、お役人と話をし、使いの用件を言いつかってきます。でも、それは、どういうお役人でしょうか、どういう用件でしょうか。彼は、目下のところ、自分でも言っているように、クラムのもとに配置され、クラムから個人的に指令を受けてきます。ところで、これは、たいへんなことなのですよ。高級従僕でさえも、そこまではさせてもらえないでしょう。ほとんど身にあまる重責と言ってよいくらいです。ところが、それが心配の種なのです。考えてもごらんなさい。直接クラムのところに配属されていて、彼とじかに口をきくことができるーーーでも、ほんとうにそうなのでしょうか。ええ、まあ、ほんとうにそうかもしれません。しかし、ではバルナバスは、お城でクラムという名前でよばれている役人がほんとうにクラムなのかということを、なぜ疑っているのでしょうか』」(カフカ「城・P.291~292」新潮文庫)

事情がそうなっている以上、資本主義は自分で自分自身を更新していくことができる。自分で自分自身の紋切型〔ステレオタイプ〕を自動更新するのである。また逆に、近代文学において顕著だが、隠喩の濫用は、濫用にもかかわらずというより、濫用すればするほど、もはや「紋切型以上のものであろうと」しない。次のように。

「隠喩は現実の言葉のなかにほぼ完全に溶け込んで、『文学』をたいした苦労もなく知らせる紋切型以上のものであろうとはしていない。たとえば『岩清水のように澄んでいる』とか『寒さで羊皮紙のようになった手』などがそうである」(バルト「エクリチュールと革命」『零度のエクリチュール・P.88』みすず書房)

この種のエクリチュールを乗り越えるにはどうすればよいのか。比喩表現を比喩表現たらしめている部分「のように」を抹消してしまえばいいのだ。「羊皮紙のようになった手」=「手は羊皮紙と化した」=「手は羊皮紙だ」、と。「道を走っている犬がいる」=「犬が道のように走っている」=「犬は道だ」、等々。このようなエクリチュールが可能なのは言語をめぐる諸問題が解決されていないという事情による。自分で自分自身の紋切型〔ステレオタイプ〕を自動更新する資本主義社会では言語をめぐる諸問題はいつも発生してくるだけでなく解決は一層遠のく。もっとも、問題解決以前にエクリチュールしてしまうという方法もないではない。いわゆる「言った者勝ち」「やった者勝ち」という方法。周囲から嫌われ続けること間違いなし。百年単位で。しかしとりわけ政治家はしばしばその方法を用いる。政治家として体力的な低下が著しい時期は特にそうだ。ところがそれでは反則なのだ。むしろ規則に則って論じていくべきが妥当だろうとおもわれる。ヘーゲルはいう。

「真の反駁というものは相手の手許に飛び込み、相手の勢力圏内で立ち廻るのでなければならない。相手を彼自身の外部で攻め立て、また相手の居ない所で勝利をおさめる〔権利を獲得する〕というのは本当ではない」(ヘーゲル「大論理学・下巻」『ヘーゲル全集8・P.11』岩波書店)

「相手の非真理を示そうと思えば、なにかべつのものをもってくるのではなく、《相手に即して》示さなければならない。わたしがわたしの体系や命題を証明した上で、だからそれに対立する体系や命題は偽だ、と結論してもなんにもならない。べつの命題にとって、わたしの命題はつねに異質なもの、外的なものなのですから。命題が偽であることを示すには、それと対立する命題が真であることを示すのではなく、その命題そのものに即して偽なることを示さねばなりません」(ヘーゲル「哲学史講義1・P.354」河出文庫)

なかでも、そもそも「主語とはなんぞや?」という問いがある。研究者の立場によって見解が分かれる。いずれ述べたいとおもう。

さて、とうとう避けて通れない地点までやってきた。次の文章に関する限り、ほとんど、以上でもなければ以下でもない。

「スターリン主義のイデオロギーが、なんであれーーー革命的なことでさえ、いや、とりわけ革命的なことにかんしてーーー問題提起することへの恐怖感を起こさせているのは疑いがない。ブルジョア的エクリチュールをもちいるほうが、スターリン主義イデオロギー自体を告発することよりは危険でないと考えられているのである」(バルト「エクリチュールと革命」『零度のエクリチュール・P.89』みすず書房)

補足しておこう。スターリンは反スターリン的エクリチュールを怖れない。正面に現われる敵ほどよく見えるからだ。あたかも鏡像のように。むしろ、似てはいるけれどもけっして違うもの、たとえば、トロツキー的エクリチュールを最も怖れる。あるいは、レーニンではなくレーニン没後に残された、まだ生き残っていたレーニン夫人の言葉による不意打ちを。

さて、写真の話。人々は実にしばしば「雰囲気」と口にする。神秘主義者は「オーラ」とか言って一般大衆を煙に巻く。しかし「雰囲気」という言葉は同じでも、写真で見る「雰囲気」とはなんだろうか。

「『写真』はある人間が存在したということを《証明する》(それが『写真』のノエマである)から、私は単なる戸籍上、遺伝上の類似を超えて、その人間を全体的に、ということはつまり、本質的に、《あるがままの姿で》ふたたび見出したいと思う。ここにおいて、『写真』の平明さは、なおいっそう苦痛に満ちたものとなる。なぜなら『写真』は、私の気違いじみた欲求に対して、ただ何とも言い表わしようのないあるものによってしか応えることしかできないからである。そのあるものとは明白なものである(それが『写真』のおきてである)。が、しかし、不確かなものでもある(私はそれを証明することができない)。そのあるもの、それが《雰囲気》である」(バルト「明るい部屋・P.133」みすず書房)

雰囲気が似ているからといっても他人は他人である、という場合を指していっているわけではない。まぎれもなく《ある》のだが「不確かなもの」だとしか言いようがないもの。半透明だ〔見えない〕けれども《ある》といえるもの。固有の或るもの。余り長く見つめていると、見つめている側を「狂気へと」追い込んでしまいそうになるもの。しばらく考えてみないといけない。すると、「明るい部屋」の冒頭部分へ回帰してしまうことにもなるのだが。

BGM

ステレオタイプとオイディプス的複製文化

2019年07月29日 | 日記・エッセイ・コラム
文体の職人と化した小説家。フロベールの作品と比較すれば「低級」に見える。

「文体の職人は、低級なエクリチュールを生みだした。フロベールに由来しながらも、自然主義派の構図に順応させられてしまったエクリチュールである」(バルト「エクリチュールと革命」『零度のエクリチュール・P.83』みすず書房)

「自然主義派の構図に順応させられてしまった」からだとバルトはいう。というのは、多くの小説家や評論家がどう考えているにせよ間違いなくいえることがあるからである。何もなかったかのように自然という言葉を発するのはむしろ危険である。なぜなら自然は「見た目」はともかく、古代からずっと存在してきた自然ではもはやなく、一般化され、平板化され、均質化され、凡庸化した、資本主義化された「自然」でしかないからだ。資本主義化されて転倒した「自然」についてあたかも古代から純然と相続されてきた自然を写実するなどということがどうしてできるのか。それこそ読者にたいする以前に小説家自身による自己瞞着がなされていなければ不可能な行為だというわけだ。

「『自然』をできるだけ厳密に描写することを主張したエクリチュールほど人工的なエクリチュールはない」(バルト「エクリチュールと革命」『零度のエクリチュール・P.83』みすず書房)

もっともな話だ。だがそれを最初に言ったのはバルトではない。サルトルでもない。マルクス参照。

「『純粋』科学といえども、その素材どころか目的すら、商業と工業によって、人間たちの感性的活動によって、《初めて》手に入るのである。それほどまでに、この活動、この間断なき感性的な労働と創造、この生産こそが、今日実存する感性的世界全体の基礎なのだから、もしそれがほんの一年でも中断されようものなら、フォイエルバッハは自然界のうちに一大変動を見出すだろうし、また人間界全体も、彼自身の直感能力も、それどころか彼自身の生存すら、たちまち消失してしまうことだろう。もちろん、そのさい《外的》自然の先在性ということは現存する。これら一切のことが、原初の、自然発生によって生じた人間たちには当てはまらないことも、もちろんである。しかし、こうした区別は、人間が自然とは区別されるものとして考察される限りでしか意味をなさない。ちなみに、この人類史に先行する自然なるものは、およそフォイエルバッハが住んでいる自然ではなく、<ニューファウンドランドの奥地>最近誕生したばかりのオーストラリアの珊瑚島嶼の上ならいざしらず、今日もはやどこにも実存せず、したがってフォイエルバッハにとっても実存しない自然である」(マルクス=エンゲルス「ドイツ・イデオロギー・P.47~48」岩波文庫)

マルクスの時代、「ほんの一年でも中断されようものなら」、ということができた。いまでは「ほんの一日でも」と置き換えられなくてはならない。特に昨年の台風にともなう「関西国際空港浸水事故」は《大阪に限って》みたとしても「ほんの一日でも中断されようものなら」どんな惨事が待ち受けているかを間近で露呈させた鮮烈な構造的暴露と化した。自然災害という言葉だけではとてもではないが括り切れない社会に突入していたことを有り余るほどの言葉と映像とで雄弁に語ったものとして記憶に新しい。東京都だったとすれば「ほんの半日でも」あるいはもし仮に中心部であれば「ほんの三時間でも」というように、資本集中性のもろさを如実に物語るに十分なインパクトがあった。しかしあの事故を「事件化」したのはマスコミである。マスコミによる「事件化」によって、あの災害の「出来事性」がわからなくなってしまった。惨事を拡大させた複数の諸要因が覆い隠された。一点集中的な「事件化」によって災害の複数性が、様々な要因の錯綜による「出来事」としての多層性が消えて見えなくされてしまった。

さて、バルトの次の考察はなるほど鋭い。けれども、その「魅力」、その「可能性」はどこからくるのかについては言及していない。

「フロベールのエクリチュールだけは不思議な魅力をすこしずつ作りあげていったので、フロベールの作品を夢中になって読むことは今なお可能である」(バルト「エクリチュールと革命」『零度のエクリチュール・P.84』みすず書房)

そういえるのは、バルトがやっているようにフロベールの後につづいたモーパッサンやゾラの小説が持つ「写実性」との比較においてである。

「写実主義的なエクリチュールのほうはけっして納得させることができない。描写することだけを強いられている。物体のように生気のない現実をーーー」(バルト「エクリチュールと革命」『零度のエクリチュール・P.84』みすず書房)

この時期に大量発生した写実主義的なエクリチュールは、フロベールの影響というよりもむしろ、古典主義時代に生じた決定的断層から発生したというべきだろう。「小説のエクリチュール」でバルトはこう書いていた。

「バルザックの三人称とフロベールの三人称のあいだには大きな隔たり(一八四八年の革命による隔たり)がある。バルザックには『歴史』があり、様相としては荒々しいが、矛盾がなく確実で、秩序の勝利となっている。フロベールには芸術があり、うしろめたさから逃れるために、慣習に負荷をかけたり、激昂して慣習を破壊しようとしたりする。現代性とは、不可能な『文学』の探求とともにはじまるのである」(バルト「小説のエクリチュール」『零度のエクリチュール・P.49』みすず書房)

いま引いた部分について。前にこう論じておいた。

「一八四八年の革命」はいわゆる「二月革命」のこと。ただ、「二月革命」が事件たりえるとしても、前後の錯綜した様々な出来事について縷々述べられた文献に当たってみないことにはよくわからないだろうとおもわれる。「二月革命」《を》もたらしたもの、そして「二月革命」《が》もたらしたもの。バルザックのエクリチュール《と》フロベールのエクリチュール。両者の用いる「三人称」の《あいだ》には明らかな「断層」がある。構造主義の流行期には「断層」という言葉が流行した。しかしただ単なる流行で終わらせてしまってよかったのかという問題意識を復活させるだけの力くらいは残されているだろう。よいわるいは別問題なのだ。「小説」などといってはみても、ただ単なる断片としては善も悪も知らない。なお、バルトはフロベール作品について「芸術があ」る、と述べている。「芸術」とは何のことなのだろう。もしバルザックと比較して、あるいはこれまでフランス文学のお家芸だった心理小説と比較して、フロベールには以前とは異なる「内面」の追求があるということであれば、それはフロベールの世代全体が途方もなく悲劇的な精神的裂傷をこうむったということを意味している。内面へ向かうことはあくまで、外へ向かうべきエネルギーの流出が堰き止められて内面へ逆流し、逆流によるさらなる内面化とその洪水の坩堝(るつぼ)へ暴力的に叩き込まれていることにほかならないからである。「現代性」とは、或る意味、そして或る程度はこうむらざるを得ない、避けられなくなった「暴力性」という意味でもある。

フロベール作品の「魅力」「可能性」が「今なおつきない」ということはどういうことか。ただ単に「現代的」だからというばかりでなく、フロベール作品の「現代性」は同時に《内向した》「暴力性」を含む限りで今なお有効性をもっているというべきだからだ。そして近代資本主義社会が「資本家」「土地所有者」「労働者」の三階層への分裂という形で実際に存在していると証明されたと同時に、それまで用いられていた言語体系もまた変容した。あらゆるエクリチュールはただ単なる物質に過ぎないというだけではない。言語体系は根底から転倒されられうるものだというだけでもまたない。自然の消滅〔あらゆる土地は登記された=資本主義的商品化可能性を与えられた=資本化された〕という括弧付き「自然」への転倒、あらゆる小説の逆倒にもかかわらず、むしろそれゆえに無限の意味の増殖が始まったというロシアならびにアメリカを含む全ヨーロッパ規模での転倒への配慮が重要だろう。

「自然な文章は人工的な文章に変えられることになる」(バルト「エクリチュールと革命」『零度のエクリチュール・P.85』みすず書房)

それまでは指示記号的な機能を果たすことだけが与えられた価値だった「修飾語」。ただ単なる修辞学の教科書的な意味しか持たなかった修飾語は、打ってかわって「表現ゆたかさを現わしている」という新しい価値基準を与えられた。しかしこの「表現のゆたかさ」はそれこそ「神話」に過ぎないとバルトはいう。「約束ごと」〔ステレオタイプ〕に過ぎないと。神話解体装置としてのテクスト論、後期バルトへ移行していこうとするバルトの変容の片鱗がうかがえる。

「表現ゆたかさなどというのは神話であって、表現ゆたかさという約束ごとにすぎない」(バルト「エクリチュールと革命」『零度のエクリチュール・P.85』みすず書房)

次のセンテンスでバルトは「プチ・ブルジョア階級」といっている。「文学」の誕生は近代の「プチ・ブルジョア階級」の誕生と同時でありなお「近代文学」以前に「文学」というものはなかった。あったのは小説や戯曲という文献だけであり、文字の系列としての《エクリチュール》(文字言語)だけであった。古代ギリシャの口語的なもの(歌唱、コーラスなど)もまたエクリチュール(痕跡)から生じていた。作者と作品とは濃密な繋がりをもっていた。というより、たとえば古代ギリシャの作者ソポクレスに限っていえば、当時の大都市であるアテナイの「象徴」とでもいうべき存在だった。だから《言語》なのだろうとおもわれるわけだが。しかし「文学」の誕生と同時に作者は自分の作品については口をつぐむほかなくなってくる。ほかでもない。ニーチェがいっているように作者と作品との《あいだ》には何の繋がりももはやないからである。

「《口をつぐむ》。ーーー作者たるものは、その作品が語り出すとき、口をつぐまねばならぬ」(ニーチェ「人間的、あまりに人間的2・第一部・一四〇・P.108」ちくま学芸文庫)

「いかなる文化からも排除されているプロレタリアートと、『文学』そのものをすでに問題化しはじめた知識階級のあいだにいる、小中学校的な凡庸な文学愛好家。つまり大まかに言って、プチ・ブルジョア階級である。彼らはだからこそ、自分の身元を明白に分かりやすく見せる記号すべてをもった『文学』という特権的なイメージを芸術-写実主義的エクリチュールーーーそこから多くの商業小説が生まれることになるーーーのなかに見いだそうとする」(バルト「エクリチュールと革命」『零度のエクリチュール・P.86』みすず書房)

したがって、文学の最初の生産者も消費者も、どちらもプチ・ブルジョア階級だった。文学あるいは近代文学は「一八四八年の革命」によって突然発生した歴史的断層を境界として生じてきたプチ・ブルジョア階級と同級生だということができる。たとえば、当時のプチ・ブルジョア階級に属する女性の多くは、モーパッサン「女の一生」の主人公に自分を重ね合わせて見ることができた、むしろそこにまぎれもない自分自身の姿を発見した、ということを意味する。しかしその行為はストーリーを追いかけること、エンディングの要求、さらに唯一正当な原因の探求であって、要するにオイディプスとの同一化である。オイディプスは登場人物(預言者)の《言葉》に導かれタブーを知ると同時に自分で自分自身の眼を傷つけて盲者に《なる》。無いものねだりだ。というのは、あのタブーの発生にはどこかおかしいところがある、と思われるからである。王というものはタブーを犯しても許されるから王なのであって、なぜ認識したからといって自分で自分自身を去勢する必要性があるのか。というより、オイディプスのあやまちは、《先天的に有罪である》という神話〔ステレオタイプ〕によって自らまとわりつかれていることだ。オイディプスは先取りされた死の本能だ。タブーという本来的に根拠のない掟は、或る種の行為の先に前もって設けられているわけでは何らない。むしろ逆に、タブーは、自分で自分自身の眼を傷つけるやいなや「罪《と》罰」あるいは「債権者《と》債務者」という両義性として突如出現する。しかしいったんは王の座に就かねばならないのは本当だろう。冒頭部分で「異邦人」=「他者」として登場してきたのは、あらかじめ与えられた特権性の徴にほかならない。だとしてもなお魅力が減少するわけではない。オイディプスという名はなるほど同じでも、盲者に《なる》という意味ではまぎれもない変身〔生成変化〕の古典であるといえるだろうからだ。

また興味深いことに、後期バルトは、盛んにマルクス解放運動とでもいうべき提言を行なっている。

「『テクスト』の読者は、一回性の行為である(このことが、テクストに関するいかなる帰納的=演繹的科学をも幻想に変えてしまう。テクストの《文法》は存在しないのである)。とはいえ、『テクスト』の読書は、全面的に、引用と参照と反響とで織りなされている。つまり、それ以前または同時代の種々の文化的言語活動(文化的でない言語活動があろうか?)が、広大な立体音響のなかで『テクスト』を端から端まで貫いているのだ。テクストはそれ自体が他のテクストの中間テクストであるから、あらゆるテクストはテクスト相互関連にとらえられるが、この関連をテクストの何らかの起源と混同することは許されない。ある作品の《源泉》や《影響》を探し求めることは、系譜の神話を満足させることだ。あるテクストを構成している引用は、作者不詳、出典不明であるが、しかし《かつて読んだもの》である。それは引用符のついていない引用である。作品は、どんな一元論的哲学とも衝突しない(周知のように、敵対する哲学もある)。こうした哲学にとっては、複数性は『悪』である。それゆえ、作品に対してテクストは、まさに、悪魔に憑かれた人間のことば(『マルコ伝・第五章九節』、《わが名はレギオン、われら多きがゆえなり》を自分の銘句とすることができよう。テクストを作品に対立させる複数的、悪魔的な綴り方は、まさしくモノローグ性が『おきて』となっているように見える場所に、読み方の根本的修正をもたらすことができる。たとえば聖書の《本文》のあるいくつかは、伝統的に《歴史的、神秘解釈的な》神学的一元論によって回収されてきたが、おそらく意味の回折に(つまり、最終的には唯物論的な読み方に)さらされよう。他方、作品のマルクス主義的解釈は、これまで断固として一元的であったが、複数化されることによって、さらに唯物的になることができよう(といっても、マルクス主義的《制度》がそれを許せばだが)」(バルト「作品からテクストへ」『物語の構造分析・P.98~99』みすず書房)

聖書から。

「『名は軍団(レギオン)です。大勢(おおぜい)だからです』」(「新約聖書・マルコ福音書・第五章・P.29」岩波文庫)

なぜバルトはテクストとしてのマルクスを提唱したか。陣営の東西を問わず世界中に蔓延していた全体主義的政治体制に対して、デモーニッシュな抵抗の線を描いていく可能性を保持するにあたって、マルクス〔作品〕は、一神教的絶対主義的聖書の中では否定的に用いられている「多数性」を逆に肯定的に取り上げて読み返すに足るポテンシャルを有したからである。

そんなわけで。写真論。一度引用した。もう一度。そのわけは「過去と未来の等価関係」、とりわけ「未来」と、そこから想起されるSF世界の現実化を俎上にのせる必要性からである。

「一八六五年、若いルイス・ベインは、アメリカの国務長官W.H.シューワードの暗殺を企てた。アレクサンダー・ガードナーが独房のなかの彼を撮影した〔写真20〕。彼は絞首刑になろうとしている。この写真は美しい。この青年もまた美しい。ストゥディウムはそこにある。しかしプンクトゥムはと言えば、それは、《彼が死のうとしている》、ということである。私はこの写真から、《それはそうなるだろう》という未来と、《それはかつてあった》という過去を同時に読み取る。私は死が賭けられている過去となった未来を恐怖をこめて見まもる。この写真は、ポーズの絶対的な過去(不定過去)を示すことによって、未来の死を私に告げているのだ。私の心を突き刺すのは、この過去と未来の等価関係の発見である。少女だった母の写真を見て、私はこう思う。母はこれから死のうとしている、と。私はウィニコットの精神病者のように、《すでに起こってしまった破局》に戦慄する。被写体がすでに死んでいてもいなくても、写真はすべてそうした破局を示すものなのである」(バルト「明るい部屋・P.118~119」みすず書房)

写真は告げる。「《それはそうなるだろう》という未来」を。実際そうなってきた。ボードリヤールから。

「現実的なものの規定は、《それに等しい複製の生産が可能なもの》ということだ。この規定は、ある過程が一定の条件のもとで正確に再生産できるとする近代科学や、事物の等価性の普遍的システムを提起する産業的合理性と同時代のものである(古典的表象行為は等価性の原則に基づいていない。それは、オリジナルの書き換えであり、説明であり、注釈である)。この複製過程では、現実は、単に複製可能なものではなく、《いつもすでに複製されてしまったもの》、つまり、ハイパー現実なのだ。

それでは、現実と芸術はお互いに完全に吸収しあって、姿を消してしまうのだろうか。そうではない。ハイパー・リアリズムは、現実と芸術を、シミュラークル(見せかけ)のレベルーーーそれらを成り立たせている特権と偏見のレベルーーーで、とりかえることによって、その頂点にまで高めることになる。ハイパー現実は、シミュレーション過程にどっぷりとつかっているからこそ、表象行為を乗り越えているのだ。それがもたらす表象作用の回転式ショーケース化は、気違いじみたものだ。だがこの種の内部で爆発する狂気は、芸術の中心からはずれているどころか、中心に流し目を送り、その深部ではみずからが反復されることを願っている。夢のなかで、これは夢を見ているのだなと気づくのに似ているが、この場合は、検閲作用と夢の状態の持続性の働きにすぎない。ところが、ハイパー・リアリズムは、それが持続させるコード化された現実(この現実を、ハイパー・リアリズムはなにひとつ変えようとしない)の不可欠な一部分なのである。

したがって、ハイパー・リアリズムの定義は逆転されねばならない。《ハイパー現実となったのは、今日では現実そのものの方だ》。すでに、シュルレアリスムの秘密は、もっとも平凡な現実が超現実となりうることのうちにあったのだが、そういうことが起こるのは、まだ芸術と想像力の領域に属している特権的な瞬間に限られていた。ところが、現在では、政治的、社会的、歴史的、経済的等々の日常的現実のすべてが、ハイパー・リアリズムのシミュラークル(見せかけ)の領域にすでに組みこまれてしまった。われわれは、いたるところで、現実の『美的』幻覚にとりかこまれて暮らしている。『事実は小説よりも奇なり』という古い格言は、生活の審美化のシュルレアリスム的段階に対応するもので、今では乗り越えられてしまった。生活がたちむかえるような(そして勝利をおさめられるような)虚構は、もはや存在しないーーー今や現実全体が、現実のゲームとなり、クールでサイバネティックス的な段階の根源的な幻滅が、ホットで幻覚的な段階にとってかわったのである」(ボードリヤール「象徴交換と死・P.175~177」ちくま学芸文庫)

この「複製」文化(ゲノム編集含む)の大勝利ともいうべき現代世界。常に既に変化していく諸事情を予言的(一八九六年)に先取りしている文章がある。それはほかでもない「写真」について述べられたものだ。

「かりに写真があるとしてであるが、写真は事物の内部そのもので、空間のあらゆる点にむけてすでに撮影され、あらかじめ現像されていたものであることを、いずれにしてもみとめざるをえないのではないだろうか」(ベルクソン「物質と記憶・P.76」岩波文庫)

というベルクソンの言葉を、いまさらながら、世界は認めないわけにはいかない。

BGM

脱ステレオタイプと「ゾラする」ドゥルーズ

2019年07月27日 | 日記・エッセイ・コラム
古典主義時代のエクリチュールが硬直的なものだったことはすでに述べた。数学的指示記号的なエクリチュールであり、専門用語的なものだった。したがって文学形式もまた専門用語的でなおかつ形式主義的な「慣習」として機能することを余儀なくされており、むしろ「慣習」として機能することを期待されていた。

「この時代のあいだじゅう、形式は慣習としての価値をもっていたと言える」(バルト「文体の職人」『零度のエクリチュール・P.77』みすず書房)

その意味で、文学のエクリチュールはまさに作家による絶対主義的な言葉の連結であり、記号(シニフィアン=意味するもの)と記号内容(シニフィエ=意味されるもの)との《あいだ》に不透明な部分はなく、透明ですっきりしており、記号とその意味とは「一対一対応」をなしていた。そしてその限りで作家は、小説作品の背後に間違いなく位置する「作家=神」として崇め奉られていた。今や信じられないことだがしかし当時は信じられていたのだ。ところが資本主義による世界制覇が加速的に現実を変えた。何ら根拠のない「神話」は所詮「神話」でしかない。ただ単なる「神話」、利子を生まない信仰、そのようなものはことごとく木っ端微塵に打ち破られ廃棄処分されていく。「慣習」が伝統的な価値を持っていた頃、作家たちのエクリチュールは伝統的「慣習」の守護神であるだけでよかった。しかし資本主義にすれば資本の自己目的にそわない伝統的「慣習」などただ単に邪魔なだけの障害物にしか見えない。だから資本は文学における伝統的「慣習」を叩き潰さなければならない。そしてそれは叩き潰された。ただし世の中に出回っている個々別々の文学書を焼き払ったわけではない。資本はそのような非合理的で面倒な方法をわざわざ採用したりしない。資本が狙いをつけたのは個々別々に出回っている有象無象の諸著作にではなく、資本にとってはまったくどうでもよくなった伝統的「慣習」を再生産する「作家」という「制度」そのものに狙いをつけたのである。資本はいつも最短距離を目指す。しかしときおりその言動は他者からみて遠回りに見えることがしばしばある。そして実際に遠回りであるとしても、その遠回りは必要な遠回りであって、遠回りしないかぎり自己目的を果たし得ない以上、資本にとってその遠回りはむしろ最短距離実現のための必然的遠回りなのだ。

そこで問題のフランス文学。袋小路に迷い込んでしまった作家らはどうしたか。伝統的「慣習」を再生産する神。言葉使いの神々。そういうものとしての作家。しかしその地位を誇らしげに謳歌していられた時代はもはや過ぎ去ったと知ったとき、追い詰められた作家らは何をどのようにしてしのごうとし、そして実際にしのぐことができたか。作家はいったん店じまいした。そして新装開店した。新装開店したとき作家はすでにーーー賃金労働者とまでもいかなくてもーーー少なくとも「職人」になっていた。したがって、「慣習としての価値」を捨てて「労働としての価値」を取ることにした。作家は作家自身の手で、それまで特権的に与えられてきた作家のエクリチュールを廃棄した。あるいは「慣習としての価値」を廃棄して「労働としての価値」に取って代わられたというべきかもしれない。

「慣習性にたいする疑念の影があらわれはじめるからこそ、伝統の責任を徹底的に引き受けようと腐心する作家たちの層の全体は、エクリチュールの慣習としての価値を労働としての価値に代わらせようとする」(バルト「文体の職人」『零度のエクリチュール・P.77~78』みすず書房)

この廃棄。作家は「道具」としてのエクリチュール(文字言語)を捨てた。にもかかわらず、作業はおもうようにはかどっていないように見える。しかし「乖離」があったことは確かなのだ。バルトが「零度のエクリチュール」で「乖離」という言葉を用いるのもここが始めてである。

「作家の社会的な使命と、『伝統』によって作家に伝えられた道具との明らかな乖離」(バルト「文体の職人」『零度のエクリチュール・P.79』みすず書房)

いまの日本から見れば作家に社会的な「使命」があったことに驚く。ところがしかし、この「使命」は、日本の近代小説家にもあった。「小説家」という言葉にまとわりついている意味に惑わされてはならない。当時の小説家は今でいう一流大学教授とほぼ同じ社会的地位を意味しており、たった一言口にするだけでもその言葉は「知識人の言葉」としてはほとんど「神のエクリチュール」として崇め奉られていたというのっぴきならない事情がある。とりわけ帝国憲法制定からの十年間。島崎藤村、北村透谷、二葉亭四迷など。北村透谷には自殺という逃げ場が見えていて実際に自殺した。だが、あらかじめ与えられた状況がいつも先手を打って出現してくるだけでなく、出現するシーンがいつも異なって出現するほかない近代資本主義である以上、自殺は容易に他殺へ転化しうる。したがって生死を賭けた自己格闘があった。それを忘れてしまっては見えるものもまるで見えてこないに違いない。フロベールはこの難関を突破することができただろうか。突破したとすればどのようにしてか。一八四八年フランス「六月蜂起」を歴史的断層として捉えることで見えてくるものがある。「ブルジョア的な状態とは作家にべたついてくる不治の病」だとバルトは述べる。しかしブルジョアからプロレタリアへ移行すればそれでよい、というわけにはいかないのである。プロレタリアにはプロレタリア独特の「べたついた」エクリチュールがすでに発生しつつあったからだ。ただ単に社会的立場のみを移動させて「ブルジョア作家からプロレタリア作家へ」移ってみせてみても、「絶対的意味」の破局という事態からは逃れられない。もし社会的立場のみを移動させてプロレタリア作家として再登場できたとしてもなお、今度は「プロレタリアのエクリチュール」という「不治の病」が「作家にべたついてくる」。古典主義時代の言語にはまだあった意味の「絶対性」はすでに失われているにもかかわらず。どうしてだろうか。なるほど「プロレタリアとして書く」ということはできる。そしてプロレタリアがプロレタリア《として》書くとき、そこには底知れぬエネルギーが渦巻いていたことも事実だろう。しかしサルトル「ジュネ論」のように贔屓の引き倒しになってしまうことがあるので用心しないといけない。ジュネは《泥棒として》さらに《裏切り者として》また《同性愛者として》書いた。そのことについて誰かに「擁護してくれ」などとは一言も言っていない。それはそうと。レーニン没後スターリン台頭と同時にたちまち事態は急転した。しかしフロベールを苦悩させているのはエクリチュール(多義的な意味生産性をもつ文字言語)という極めて現代的な問題だ。この問題は後々プロレタリア自身に向けても突きつけられてくる。スターリンのエクリチュールでないあらゆる言語はけっして労働者のエクリチュールではなく、ましてや作家のエクリチュールであろうはずがない、というように。だからこそ後期バルトが盛んに提唱した「作者の死」は、東西両陣営の権力者層がイデオロギー装置として採用していたスターリン的エクリチュールに代表される作家の、御用評論家性からの解放を意味した。「神《としての》作者の死」。絶対者のイデオロギーによる暴力と抑圧から作者自身が手を切ること。作者がそうしないあるいはできない場合、読者がそうすればいい。思えば簡単なことだった。テクストすればいい。テクストするとき真っ先に読み取られてしまうのは何か。作者が叙述している文体とその意味内容だ。むしろ最初の読み取りは最低限必要であり、しかしその瞬間可能になるのが、同時にその文章を脱構築して頓挫させ「作者の神格化」を回避するという《身振り》である。それこそまさに現代思想が生んだ純然たる言語的戦略だった。ところがスターリン的エクリチュールの発生という事態に最も恐怖したのはフランスではなくアメリカでもなくなぜか日本の知識人階級だった。しかしそれを言い出すと日本独特の「転向論」と重複する部分が余りにも多いとおもわれるので省く。日本の「転向論」はほぼ確実に「日本人論」に変形してしまうからである。そしてこの変形は不可避的だからでもある。さらにいえば、ここでは「天皇《と》天皇制」について語るスペースがないということと、ほかならぬ「日本語を使用する」とはどういうことかという問題まではとてもではないが手が届かないからだ。

「フロベールにとっては、ブルジョア的な状態とは作家にべたついてくる不治の病であり、明晰な意識ーーーそれが悲劇的な感情の特質なのだがーーーで受けとめることによってしか扱えないものである」(バルト「文体の職人」『零度のエクリチュール・P.79』みすず書房)

この「明晰な意識」は多層的に作用する。明晰さを捨てようとすれば逆に注意深く明晰さを意識しないわけにはいかなくなる。さらに、明晰であろうとすればするほど自己破壊へと行き着く。自己破壊を避けようとすれば他者破壊へと向かう。しかしそのような事情にはおかまいなしに世界は日に日に進んでいく。「乖離」は避けられない。むしろ積極的に引き受けるほかない。フロベールはおそらく、苦悶しつつこう考えていたに違いない。作家として、「普遍的なものはもうどこにもない」、ということは、「分裂を引き受けるほかない」、と。いったん態度は決定する。決定するやいなや問題は姿を変える。引き受けるものが分裂であろうとなかろうと、何を用いてどのような仕方でか、という問いの系列につきまとわれ始める。

「フロベールは、パトスという技術的な規則をふくんだーーー逆説的なことだがーーー規範的なエクリチュールを作りだした」(バルト「文体の職人」『零度のエクリチュール・P.79』みすず書房)

画期的だ。「パトス」〔情熱、情念、感情〕の基礎的取り込み。ところがまたしてもエクリチュールは「規範的」なのだ。バルトはこの作業を「グレゴリウス法典編纂」にたとえる。

「このグレゴリウス法典編纂は、作家と普遍的状況とを和解させるほどではないにしても、すくなくとも自分の形式の責任を作家に負わせて、『歴史』から彼にゆだねられたエクリチュールを《芸術》すなわち明らかな慣習にすることを目ざしていた」(バルト「文体の職人」『零度のエクリチュール・P.80』みすず書房)

再び回帰してきた「慣習」。しかしなぜ「慣習」なのか。絶対的なものが消滅したから、というだけではたりない。絶対的なものを支えていたのは本来が信仰でしかなかったからだ。時代はすでに資本主義である。思想や信仰だけでは何の説明にもならない。むしろ社会はいつも宙吊りなのだということが証明されなくてはならない。そうでなければ資本主義が動くシステムであるということも証明できない。絶対的な信仰によってではなく逆に宙吊りであることによって可動的なシステム。「宙吊り」でなおかつ「可動的」である。世界の存在構造の無根拠性。この無根拠性はしかし維持されなくてはならない無根拠性でもある。資本主義は安定を許さない。安定を許せばそこから停滞が発生しついには停止してしまう。停止は資本主義の死である。だから作家らは新しく与えられた責任を果たそうとする。どんな責任か。資本主義社会である以上、新しい「範例」としてのエクリチュールを見せしめ的にでもアリバイ的にでも何でも構わないが、しかしはっきり指し示す必要性である。指し示された新しい「範例」が、新基準となっている「芸術」として認められるだけでなく、新しい社会《規範として》「引きかえ」にできる〔置き換えることができる〕価値をもつ限りで、それは「文学」として認められなければならないという責任である。

「作家は社会規範のなかにいる人すべてにとって明白な公然たる芸術を社会にしめすのであり、それと引きかえに社会は作家を受け入れることができる」(バルト「文体の職人」『零度のエクリチュール・P.80』みすず書房)

フロベールはいち早くそれを提示して見せることができた。満身創痍のうちに稀有の俊才ぶりを発揮することができた。しかしいつの時代も模倣者というのはいるものだ。

「エクリチュールのフロベール化」(バルト「文体の職人」『零度のエクリチュール・P.81』みすず書房)

という事態が発生した。フロベールのエクリチュールはそのただ単なる新しさではなく「範例」として十分認められる新しさを持っていたがゆえに、逆に「教科書化」してしまうという劣悪な取り扱いをも引き受けることになったのだった。フロベールの新しい「芸術性」は数え切れない粗悪な模造品を生んだだけでなく、あっという間にステレオタイプと化してしまったのである。「こんなはずでは」、を地でいくような笑えないエピソードであるといえよう。

ちなみに前章でバルトは、「エクリチュールの多様化」以降、「ポピュリスム的なもの」が生じてきたと述べている。フランス作家の「ポピュリスム的な」態度というのは、簡略化すれば、フランスのお家芸である心理小説を捨てて、一般大衆の具体的な日常生活を描こうという態度だ。何人か名が上げられている。しかし上げられていない作家のなかにゾラがいる。理由はなぜだかわからない。バルトは一八五〇年に境界線を引いている。とすれば、一般大衆の日常生活を描こうとする作家らの中にゾラが入れないわけはないのでは、と考えてしまう。ところが後期バルトはゾラの名を取り上げる。

「最も古典的な物語(ゾラやバルザックやディケンズやトルストイの小説)には、いわば薄められた合成語分離法とでもいうべきものがある。われわれは全体を同じ緊張度で読みはしない。テクストの《完全性》をあまり大事にしない、無造作なリズムで読む。知りたい一心で、なるべく早く物語の白熱する部分(それは常に物語の関節であり、謎や運命の暴露を進行させる部分だ)に到ろうとして、(《退屈》そうに思われる)ある箇所を斜め読みしたり、抜かしたりする。描写や説明や考察や会話はとばしても罰は受けない(誰も見ていないから)。その時、われわれは、舞台に跳び上がって、すばやくダンサーの服を脱がせ、ストリップの先を急がせるキャバレーの客に似ている。《急がせるといっても、順序に従って》、だ。つまり、一方では、儀式の挿話(エピソード)を尊重し、他方では、それを早めるのである(ミサを《はしょる》司祭のように)。快楽の源泉であり、技法である合成語分離法は、ここで、散文的な二つの縁を向い合わせる。秘密を知るのに有用であるものと有用でないものを対立させる。それは単なる機能性の原理から生じた断層である。それは直接言語活動の構造からは生れない。言語活動の消費の時にだけ生れるのである。作者はそれを予見できない。すなわち、《読まれないであろうこと》を書こうとすることはできない。しかし、偉大な物語のもたらす快楽は、読むことと読まないことの織りなすリズムそのものだ。プルーストやバルザックや『戦争と平和』を逐語的に読んだ者がいるだろうか(プルーストの幸せ、それは、誰も、読むたびに、決して同じ箇所はとばさないだろうということだ)」(バルト「テクストの快楽・P.20~21」みすず書房)

ここで最も問題にされているのはステレオタイプという形式の現代性である。三点に絞ろう。(1)ステレオタイプがいかにしつこく現実を廃棄し現実にとって代わって凝固しているか。(2)それは日頃の日常生活においてだけでなく、或る種の開放的空間に見えている「ストリップ」においても実は同様である。(3)作者とその作品との《あいだ》は常に既に切断されている。

キャバレーですら、ではなくむしろ、キャバレーゆえに《急がせるといっても、順序に従って》というスタレオタイプはより一層強烈に権利を行使するのである。大衆の溜まり場だからという事情が、この種のステレオタイプ〔順序、秩序〕に驚異的な凝集性を与えている。今はもう消えてしまってどこにもいない《本物のブルジョア》であれば、いわゆる「踊り子」を個別的に呼び出して、ステレオタイプにこだわらず、何でもかんでも好き放題に振る舞わせたことだろう。サドが大げさに描いて可視化して見せたように。エロティックなものは本来なんらの「順序」も知らない。「秩序」などもってのほか。にもかかわらず、あらかじめ繰り返し反復され叩き込まれた「ストーリー」を通してしか性的欲望できなくなってしまった人間というものは、ニーチェのいう「魂の結核患者」にほかならない。その意味で「人間」はどのような「動物」だろうか。

「それは、内面化され自己自身の内へ逐い戻された動物人間のあの自己呵責への意志、あの内攻した残忍性である。飼い馴らすために『国家』のうちへ閉じ込められた動物人間は、この苦痛を与えようとする意欲の《より自然的な》はけ口がふさがれて後は、自分自らに苦痛を与えるために良心の疚(やま)しさを発案した、ーーー良心の疚しさをもつこの人間は、最も戦慄すべき冷酷さと峻厳さとをもって自分を苛虐するために宗教的前提をわが物とした。《神》に対する負い目、この思想は彼にとって拷問具となる。彼は自分に固有の除き切れない動物本能に対して見出しうるかぎりの究極の反対物を『神』のうちに据える。彼はこの動物本能を神に対する負い目として(「主」・「父」・世界の始祖や太初に対する敵意、反逆、不逞として)解釈する。彼は『神』と『悪魔』との矛盾の間に自分自らを挟む。彼は自分自身に対する、自分の存在の本性・本然・事実に対するあらゆる否定を肯定として、存在するもの・生身のもの・現実のものとして、神として、神の神聖として、神の審判として、神の処刑として、彼岸として、永遠として、果てしなき苛責として、地獄として、量り知ることのできない罰および罪として、自分自らのうちから投げ出す。それは精神的残忍における一種の意志錯乱であって、全く他にその比類を見ることのできないものである。すなわち、それは自分自身を到底救われがたい極悪非道のものと見ようとする人間の《意志》であり、自分の受ける刑罰は常に罪過を償(つぐな)うに足りないと考えようとする人間の《意志》であり、『固定観念』のこの迷路から一挙にして脱出するために事物の最奥に罪と罰の問題の害毒を感染させようとする人間の《意志》であり、一つの理想ーーー『聖なる神』という理想ーーーを樹てて、その面前で自分の絶対的無価値を手に取る如く確かめようとする人間の《意志》である。おお、この錯乱した痛ましい人間獣の上に禍あれ!この人間獣が《行為の野獣》たることを少しでも妨げられるとき、奴は何を思いつくことか!どんな途轍(とてつ)もないことが、どんな乱心の発作が、どんな《観念の野獣性》がただちに勃発することか!」(ニーチェ「道徳の系譜・P.109~110」岩波文庫)

繰り返し反復される「慣習」によって、あたかも「その順序」が、そして「その順序のみ」が、唯一の正しいものであるかのように思えてくる、という遠近法的倒錯が起こっているとニーチェはいう。だからこそ、エロティックなものはいつも或る規則に支配されるという条件においてしか生じることができなくなった。その条件とは《あいだ》の出現と同時である。さらに《あいだ》はいつも揺れ動きつつちらちら見えるという動的変化をともなっていなければならない。間歇的なものだ。

「身体の中で最もエロティックなのは《衣服が口を開けている所》ではなかろうか。倒錯(それがテクストの快楽のあり方である)においては、《性感帯》(ずい分耳ざわりな表現だ)はない。精神分析が的確にいっているように、エロティックなのは間歇である。二つの衣服(パンタロンとセーター)、二つの縁(半ば開いた肌着、手袋と袖)の間にちらちら見える肌の間歇。誘惑的なのはこのちらちら見えることそれ自体である。更にいいかえれば、出現-消滅の演出である」(バルト「テクストの快楽・P.18」みすず書房)

間歇的であること。日本の夏の風物詩にたとえると「花火大会」がそうだ。花火の打ち上げは間歇的だ。或る花火と次の花火との境界には独特の《あいだ》がある。エロティックなものはこの《あいだ》から立ちのぼってくる。花火の炸裂じたいは欲望の実現であり解消であり、可視化された「小さな死」である。なのでどれほど巨大な花火を同時多発的に打ち上げたとしても、時間的距離的な《あいだ》がなければ欲望の高まりもない。むしろ非連続性が抹消されてしまうことで漫然とした散漫な平板化に終わってしまう。対話の中でもし《間》というものがないとしたら、その対話は途轍もなく退屈なものでしかなくなってしまうのと同様だ。ところが余りにも長過ぎる《間》は、逆に対話する社会的人間というものを急速に不安にさせる。というのも、長過ぎる《間》は、目に見えない社会的文法がたちまち解体していく様子を身体で感じさせるからである。日本の風物詩あるいは文化の次元でいえば現代俳句もまた近代資本主義以降、壊滅的変容をこうむっている。バルトは芭蕉を絶賛する。芭蕉の俳句は古典的エクリチュールであると。シニフィアンとシニフィエとの繋がりにおいて「意味」の《所有権》などどこにもない。芭蕉はエクリチュールの労働者ではない。シニフィアン(意味するもの)のみで構成された重層性によってふつうなら起こってくるはずの「意味としてのシニフィエ」は増殖するどころか逆に廃絶されている。にもかかわらず「読みうる」ということ。意味内容の蒸発にもかかわらずなお「読みうる」。古典の「意味」はほとんどいつも急速に「消滅」へと向かうのが常だ。しかしなお「読みうる」。明晰で簡潔で繊細な古典的エクリチュールという意味での記号論的構造体がそこにある。自然と言語との《あいだ》は「ない」。しかしその自然としての言語は何かを語る。そこでは言語は自然のコピーではない。商品ではない。自然そのものであり、あらゆる署名にもかかわらずなお作者はただ単なる黒子としてしか存在しない。そしてその黒子と俳句とは決定的に断絶している。黒子に徹した作者は俳句を、そして俳句だけを、多層的に折り重なっているにもかかわらずあたかも浮世絵のごとく表層に徹するように仕向けることしかしない。すべては表層から生まれる。深層はなく、ましてや深層の意味などあるはずもない。表層がすべてであり人々すらもがむしろ表層であった。そして《あいだ》は、或る表層と他の表層との《あいだ》が設けられて始めてエロティックなものに《なる》。逆に現代俳句の袋小路は近代日本が近代化に失敗したことに端を発している。日本は依然として近代を乗り越えられていない。さらにこの失敗は今なお続いている。というのは現代俳句において明らかなようにモダンを目指してなぜかポストモダンに行き着き、ポストモダンを目指してなぜかモダンを実現してしまうばかりか、実現されたかのように見えるモダニズムさえ、始めはポストモダンを目指していた限りでいえば結果的に失敗だからだ。転倒していることに気づいたとたん慌てて正立させようとして実際にやってみたものの、実現されたことはさらなる転倒なのだった。近代化と同時に自由律俳句が出現した。創設者の荻原井泉水は芭蕉の句をブルジョア的態度に、一茶を句をプロレタリア態度に喩えた。明治近代階級社会の人物として近代から近世を見るという意味では正しいアレゴリーだとおもわれる。また、一言で「自由律俳句」というけれども、とりわけ「自由《律》」、「リベラルな《リズム》」という意味ではまさしく近代資本主義社会を体現するまったく新しい形式の発明者だった。さらに季語に囚われない俳句の提唱者としては、加速的に増殖する近代資本主義の中で本来の季語はいずれ消滅していくだろうという兆候にいち早く気づいていた、といえるだろう。今では疑う余地なく近世の自然に相当する自然はことごとく消滅してしまってもはやない。その意味では日本文学界の預言者でもあった。生前、その周囲は逸材に恵まれた。しかし現代俳句はどうだろう。前提として季語はすでに解体されている。少なくとも風前のともし火に過ぎない。季語の再生産がいつも可能になったからである。自然は消滅した。にもかかわらず季語はある。ステレオタイプ〔固定観念〕として。現代俳句は、季語を、人為的に季語化されたものとして取り扱わなければならなくなった。失敗した近代化以降、季語が指し示す対象はもうとっくの昔に資本主義的再生産のための商品でしかなくなっているからだ。山や川へ行ってみるとどんな細部であっても番地が付いており区画整理されている。かつてあった自然は区画整理され番地が与えられ、れっきとした所有者によっていつでも輪切りにして売買可能な人工化された商品へと置き換えられた。資本主義社会では土地は、山や川は田んぼは、まずもって商品でなければならない。地代は資本の要請であり掟である。だから現代俳句は「商品」としての季語を、あたかも「自然」な感性によって捉えていると言明することはできない。むしろ現代俳句は、季語が今なお生き生きと生かされているかのように見せるための技術と化した。支払われているのは季語を生き生きと生かすために要する技術力に対するせめてもの労賃である。俳人は商品化済みの季語をさらに生かして見せるための賃金労働者になった。そもそも俳句はわざわざ季語をうやうやしく生かして見せるための見世物ではない。なんとなく人が来て、歌仙を巻き、言葉だけを残し、なんとなく散っていく。間違ってもエンターテイメントにはならない。むしろエンターテイメントとはまた違ったところで発生する。職場、病院、通勤通学、散歩道、致命的怪我直後、雑居ビルの踊り場、入り組んだ港湾など。そこで巻かれる歌仙〔一人であっても〕はすでに別世界の創設である。逆にエンターテイメントにはエンターテイメントする場がしっかり設けられていて、そこに俳人はいても俳句はないという珍妙な現象が生じてくる。なのに現代俳句がやっていることはなんだろう。もとより消滅した季語をわざわざ持ち出してくる。季語商品を再生産過程に乗せるために「《死物》を生かして〔利子を孕ませて〕なんぼ」の世界で堂々と居直る。もはや資本の守護職とはいえどこか中途半端な、挫折した東京公演をおもわせる真昼の廃墟にも似ている。

そしてゾラ。「居酒屋」のストーリーはなるほど悲惨である。悲惨の舞台はそこらへんの、要するにどこにでもある一般大衆社会である。だからいってゾラは「社会主義者」であると呼んで済ましてしまってよいのだろうか。ゾラは「居酒屋」を含む一連の作品に「ルーゴン=マッカール叢書」という名を与えた。「社会主義」だからこそ「ルーゴン=マッカール叢書」なのか。「社会主義」にもかかわらず「ルーゴン=マッカール叢書」なのか。「居酒屋」のどこに「ルーゴン=マッカール叢書」があるのか。作品の中だろうか。作品じたいに社会主義というイデオロギーが蔓延しているのだろうか。「悲劇」を装った「ルーゴン=マッカール叢書」あるいはその逆。むしろ「悲劇」もここまでくるとかえって「ルーゴン=マッカール叢書」に見えてくるというパターンなのか。ところがもっと足元から考え直してみるとはっきりわかっていることが一つあることに気づく。それは何か。一般大衆というものは他者が考えている以上に資本主義的な欲望する群れであるということだ。大衆社会ではいつどこで何が発生してきてもさほど驚くには当たらない。労働力も新生児も伝染病も暴力沙汰もそこから発生し全方向へ向けて流通していく。それくらいすでに広く深く資本主義化されている。脱コード化と再領土化、そしてさらなる公理系の追加による延命装置の創設。それら権力装置すら一般大衆みずから好き好んで積極的に引き受けるに至っている。ゾラの一節を見てみよう。

「当然ここまで落ちぶれれば、女としてのどんな誇りもふっとんでしまう。ジェルヴェーズはかつての気位の高さも気どりも、愛情、礼節、尊敬にたいする欲求も、すっかりどこかへ置き忘れてしまった。前からでもうしろからでも、どこをどうけとばされても、いっこうに感じなかった。あまりにも無気力で、だらけきってしまっていた。だから、ランチエは完全に彼女を見放していた。もう形の上だけでも抱こうとはしなかった」(ゾラ「居酒屋/P.505」新潮文庫)

ジェルヴェーズ。ひと世代前の価値観でいえば、「しっかり者の女性」「他人に尽くすタイプ」「曲がったことが大嫌い」。とりわけ指摘しておかねばならないのは、今でいう「駄目男」を支えようと必死になるというジェルヴェーズの性格。「駄目男」は支えれば支えるほどそれに比例するかのようにますます駄目男化する。なぜそうなるのかはもうすでに余りにも多くの研究報告があるのでいちいち紹介しない。たとえば一九二〇年代のアメリカ。あの株価大暴落に引き続いた長期にわたる大不況によって大量発生したアルコール依存症者。あの事態に関する学術調査研究ならびに結果報告によって、研究という意味ではほとんど尽くされているといえるだろう。当時の写真も残っている。ところが写真と写真論とはまた別のこと。

「『写真』は《もはやないもの》のことを(必ずしも)告げはしないが、しかし《かつてあったもの》のことだけは確実に告げる」(バルト「明るい部屋・P.105」みすず書房)

被写体がもし本人でなくて他人であったとしても、被写体が「《かつてあったもの》」だということだけは「確実」だとバルトはいう。だけでなく、それは「ミステリ」に似ている。

「ある日、私は、ある写真家から、私を撮った一枚の写真を受け取ったが、それがどこで撮影されたのか、思い出そうとつとめても、ついに思い出すことができなかった。ネクタイやセーターを子細に眺め、どのような場でそれを着ていたのか思い出そうとしたのだが、徒労に終わった。しかし《それは写真だから》、私が《そこに》いたということは否定できなかった(たとえそれが《どこか》わからないにしても)。確信と忘却のさいまざったこの状態は、私に一種の目まいを引き起こし、いわば推理小説的な不安を与えた(その不安は、映画『欲望』のテーマに近いものだった)。私は、捜査に乗り出すかのように写真の内示展に出かけていって、身に覚えのない自分のことをついに突きとめた」(バルト「明るい部屋・P.105~106」みすず書房)

しかしバルトが「突きとめた」ものは言語化できない。言語化できないのは次の事情による。

「この確信を、書かれたものはどれ一つとして、私に与えることができない。言語活動の不幸は、それ自身の確実性を証明できないところにある(しかしまた、おそらくそれが言語活動の逸楽でもあるのだ)。言語活動のノエマはおそらく、それができないということなのである。あるいはさらに積極的に言えば、言語活動とは本来的に虚構である、ということなのである。言語活動を虚構でないものにしようとすると、とほうもなく大がかりな手段を講じなければならない。論理に頼るか、さもなければ、誓約に頼らなければならない。しかし『写真』はと言えば、いかなる中継物とも無縁である。『写真』は何かを考え出すわけではない。それは確実性の証明そのものである」(バルト「明るい部屋・P.106」みすず書房)

この場合、「言語化できない」とある中の「ない」は、「ない」ことが意味をもっている「ない」である。また、「ノエマ」という用語はフッサールが作って連発している専門用語。「本質」とでも訳すべきだろうか。しかし「本質」といってしまうと、何かまるで《真理》があるかのような錯覚を与えてしまうことになる。「ノエシス=見る側の主観性」/「ノエマ=客観的対象の本質」。もっとも、フッサール現象学では「主観」とか「客観」とかはもちろん使わない。「ノエシス/ノエマ」で通していく。しかしこの際、わかりやすいとおもうので用いた。たとえば、精神医療において存在論的現象学に依拠する人々のあいだでは次のようになる。「ノエシスとしての患者自身」が見ているものは、周囲から見てそれがどれほど幻覚以外の何ものでもないとしか言いようがないにしても、ほかならぬ患者自身にはそうとしか映って見えていない以上、幻覚だとはいっても、患者自身にとってはまぎれもない「事実」である。統合失調症者の場合、幻覚に襲われているときには、「ノエシス/ノエマ」の区別などまったく不可能になる。しかし逆説的ではあるが、長期入院者の場合では事情が異なる。というのは、余りにも長いあいだ統合失調を患い、とうとう幻覚に慣れてしまう患者がいるからである。幻覚にも幻聴にも慣れた患者の場合、自分がいま幻覚に襲われているとか、今日は幻聴がひどいとか、或る程度は区別できるようになる。しかし長期間(一年半~二〇年以上)にわたって統合失調症を患っている場合、長期間という言葉は同じだが、言葉が同じというだけのことであって、実際は置かれた状況によって大きく二つのケースに分かれる。入院患者の場合と地域医療に任されている場合とである。入院患者の場合、病院の中だけは安全だという気持ちが強い。と同時に外に出ることができにくくなる。外出できたとしても極めて狭い一定範囲に限られる。他方、地域医療の場合、もちろん専門医にかかるわけだが、とりわけ地方には専門医が少ない。したがって移動する範囲が相対的に広くなることが少なくない。もっとも、移動する範囲が広くなるとはいえ、それは利用する公共交通機関から医院への最短コースを通るだけのことであって、そこから大幅にそれることはほとんどない。慣れていない場所を極端に怖がるという特徴がある。また逆に、統合失調症の発症期には爆発的な行動を起こすことが稀ではない。自室や自宅の破壊、まったく見知らぬ土地への突然の旅行、自傷行為、自分か他人かあるいは人間か物かを問わない破壊行為。一時的な価値判断不能状態など。

思わぬ方向へいってしまった。ゾラだった。しかしゾラをテクストすると、どうもこういう方向へ食い込んでしまうのはなぜなのか。それは、実をいうとドゥルーズを読むまで自分でもわからなかった。しかしドゥルーズはわかっていたか。ところが問題はそういうことではなかった。わかるわからないという二元論ではなかった。ドゥルーズがやっていたことは単なる場所移動である。ところがドゥルーズによる「場所移動」の壮烈さは、浅田彰が初期ドゥルーズを評して「過激な独我論」といっていたように、極めてラディカルな場所移動だといえるだろう。たとえばドゥルーズは実際ゾラを論じているけれども、そこで論じられていることはなんだろうか。ゾラ論だろうか。なるほど「アルコール中毒」という言葉は何度も出てくる。が、決定打としてではない。では「獣性」だろうか。近いけれども近づいたという程度である。そこそこ決定的といえるかもしれない言葉は「死の本能」あるいは「本能」だろう。そしてさらに追求されるべきは、ゾラによる一連の作品群は一つの束なのであって、それは破滅的内容によって満たされているがゆえにかえってわかりやすい「家族小説」にほかならないということだ。関心のある読者は興味深く読めるだろう。しかし関心のない読者は間違いなく退屈するという内容。関心のある人はドゥルーズ「意味の論理学・上下」(河出文庫)を参照してもらいたい。部分的に引用しようとすると逆にわからなくなるとおもうので。

その代わりというべきか。「過激な独我論」ぶりは後期ドゥルーズでも見ることができるかもしれない。

「始めも終わりもなく、両岸を侵食し、真ん中で速度を増す流れ」(ドゥルーズ&ガタリ「千のプラトー・上・P.61」河出文庫)

ドゥルーズ自身のことを言っているのでは、とおもったものだ。

BGM

エクリチュールと「裂け目」の誕生

2019年07月25日 | 日記・エッセイ・コラム
前章でバルトは「古典的エクリチュール」のことを指して数学的言語記号にほぼ等しいとしていた。それはあたかも専門用語のように極めて厳密な一元的な意味しか持たされていない。その意味でいえば次に述べられる「ブルジョア的エクリチュール」は「古典的エクリチュール」にほぼ等しい。

「古典的エクリチュールは、明らかに上流階級のエクリチュールである。それは十七世紀に権力のごく近くに位置していた集団のなかで生まれ、独断的な決定をもちいて形成され、いっさいの文法上の技法ーーー庶民階級の人間の自発的な主体性が作りあげることのできたものーーーを急いで取りのぞかれ、その逆に語を定義する作業を教えこまれたブルジョア的エクリチュールである」(バルト「ブルジョア的エクリチュールの勝利と破綻」『零度のエクリチュール・P.71』みすず書房)

そこでは「庶民階級の人間の自発的な主体性が作りあげることのできたもの」は「急いで取りのぞかれ」ている。この事情は少なくともヨーロッパ古典主義時代には、その名にふさわしい、《本物のブルジョア》がいたということでもある。だから当時の代表的かつ今なお有名なフランス文学でいえば、たとえば、ラクロ「危険な関係」などは《本物のブルジョア》が読んだ《本物の古典的エクリチュール》によって貫かれているといえる。

「まったく、掏摸(すり)の術というものは、色事師教育の科目に入れるべきではなかったでしょうか」(ラクロ「危険な関係・上・P.131」岩波文庫)

裏切られた伯爵夫人が自分の若い愛人を利用して裏切った年寄り伯爵に復讐するという極めて単純素朴な小説。だがしかしその内容がどうであれ問題は、この小説が百年一日のごとく、相変わらずフランスのお家芸である心理小説の作法に則って書かれていることだ。内容がどれほどスキャンダラスに映ったとしても、だからといって必ずしも文学という閉鎖的空間に断層を引き起こすとは限らない。むしろ内容のスキャンダルさにもかかわらず、その記述は心理小説の伝統からけっしてはみ出ることなく、フランス文学の伝統的秩序に対しては何らの危険も及ぼしていないことが逆にスキャンダルなのであり、肝心の焦点を巧妙にずらしてしまっていることに留意すべきであろう。ちなみに日本では坂口安吾がラクロ「危険な関係」を絶賛していた。それは坂口安吾に落ち度があったというべきだろうか。だがしかし、そうではない。安吾からみれば、当時の日本文壇はこの程度の、ただ単に俗っぽい「宮廷恋愛もの」すらなぜ怯えて書けないでいるのかと、日本人作家の立場から日本「文壇」という「文学制度」をからかっているのである。からかうだけでなく、さらに多少は、もどかしさも怒りさえも含んでいる。また、そのような「軟弱な」日本「文壇」の重鎮扱いされている自分自身に対する自己嫌悪も当然あった。「堕落論」の中で反復される「生きよ堕ちよ」あるいは「生きているから堕ちるだけだ」という呪いと祈りとが同時に発せられる二重言語ともいうべき逆説的な言葉使いは、読者に向けてばかりではなくむしろ等量の重みをもって間違いなく自分自身にも向けられている。

さて、ブルジョア的エクリチュール=古典的エクリチュールと捉えて考えると話が早い。バルトのいうように、どちらもほぼ数学的言語記号の領域から出ていないからだ。とはいえ、専門用語の世界は魅力がないとかあるとかいう価値判断を持ち込んでいるわけではない。ただ、文学するエクリチュールは、システムとして、専門用語的な領域の秩序内でなおかつ保守的な態度でいつまでも留まっていていいのかと問うているわけである。文学するエクリチュールの側に立つとすれば、文学するエクリチュールと数学するエクリチュールとは根本的に異なっているのが当然なのでは、という問いがバルトにはある。とはいえ、知識人(ジャーナリスト、小説家、エッセイストなど)から政治へ転身した人々の言語に多く見られるような「闘うエクリチュール」せよ、などとはいわない。バルトは政治活動家ではない。しかし政治を否定するわけでもない。むしろ人間は常に既に否応なく政治的状況の中へ放り込まれつつ生まれてくるのであり、人間は人間である限りそれは避けられない事情でもあるというくらいの認識は当然わきまえているのである。ところで、そういえば、古典主義時代とはいっても、何も専門用語的な数学的エクリチュールばかりではなかったではないか。むしろいろいろな「修飾語」に彩られてはいなかっただろうか。その通りだ。修飾語はふんだんに用いられている。むしろ飾りが多すぎる。実際はどうなのか。修飾語をたっぷり含んだ文章が数学と比較できるほどにまで明晰な文章たりえたといえるだろうか。当然わいてくる疑問だ。しかし考えてみたい。古典主義時代の文学において修飾語に与えられていた「意味」ではなく「機能」について。バルトは「付属物」と呼んでいる。

「実際のところ、明晰さとはまったく修辞的な属性であって、いつの時代でもどこの場所でも可能な、言語の一般的な性質だというわけではない。ある種の言説における理想的な付属物にすぎず、その付属物自体が人を説得するという変わらぬ意図に従属させられているのである」(バルト「ブルジョア的エクリチュールの勝利と破綻」『零度のエクリチュール・P.72』みすず書房)

要するに、当時の修飾語は今でいう「修辞学」で用いられる「付属物」に過ぎない。当時の宮廷で、貴族階級に属する或る女性がドレスの胸に花模様のリボンを結んでいたとしよう。そのリボンはその女性が女性でないことを指し示す徴として機能するだろうか。逆により一層強力に、暴力的にといってもいいだろう、その女性がまぎれもない女性であることを指し示す徴として機能することを宿命づけられてはいなかっただろうか。だから、古典主義時代の文章に見られる溢れんばかりの修飾語の数々は、それがどれほど大量に盛られていたとしてもなお、指し示されている事態は同一性をより一層強固に打ち固めることに向けられていたといえる。しかし時代は、ではなく、時間は、それ自体また時間という名のエクリチュールでもある。時間はエクリチュールする。というより時間はエクリチュールなのだ。時間もまた、テクストする。もしそうでなければ歴史など始めから発生する余地を奪われているというほかない。しかしエクリチュールとテクストという行為についての意味は、この時点ではまだ明瞭でない。後期バルトに入ってようやくテクスト理論の成熟とともに見えてくる。あまり先走ってはいけない。ブルジョア的エクリチュールにおける修飾語の多用はあくまでも修辞学的な機能を与えられた「お飾り」ですらなく、むしろ文章が指し示す意味をより強固に打ち固め、固定化させるための「道具」に過ぎなかったという点までを押さえておこう。バルトはつづける。

「このかなり閉鎖的な言語は、文学神話の濃密さそのものによって社会から切り離され、いわゆる神聖なエクリチュールとなり、厳粛な法規や貪欲な楽しみとしてじつにさまざまな作家たちから一様に取り入れられている。この格調高き神秘の聖櫃、それが『フランス文学』なのである」(バルト「ブルジョア的エクリチュールの勝利と破綻」『零度のエクリチュール・P.73~74』みすず書房)

として、「このかなり閉鎖的な言語」《としての》「格調高き神秘の聖櫃、それが『フランス文学』」にほかならないと語るとき、「フランス文学」がなぜか「高級ブランド品」として大変うやうやしく取り扱われているという「根拠なき神話」に対する神話解体への意志は相当高まっていたようだ。この種の「格調高き神秘性」は始めからあるわけではさらさらない。逆である。周囲の人々がそれに対してさも貴重で気高く何ものにも代えがたい高級至極なものでも取り扱うかのようにうやうやしく振る舞うがゆえ、その瞬間、始めてなおかつ事後的に発生してくる「格調高き神秘性」に過ぎない。さらにバルト自身、「かなり」嫌味の名手であるといえそうである。しかしこの文章は「嫌味」ではないのだ。もし喩えるとすれば「ユーモア」というべきだろう。次のような意味で。

「大切なのは、それが自分自身に向けられたものであれ、また他人に向けられたものであれ、ユーモアが持っている意図なのである。いってみれば、ユーモアとは、ねえ、ちょっと見てごらん、それが世の中だ、ずいぶん危なっかしく見えるだろう、ところが、これを冗談で笑い飛ばすことは朝飯前の仕事なのだ、とでもいうものなのである。おびえて尻込みしている自我に、ユーモアによって優しい慰めの言葉をかけるものが超自我であることは事実であるとしても、われわれとしては、超自我の本質について学ぶべきことがまだまだたくさんあることを忘れないでおこう。ーーー超自我がユーモアによって自我を慰め、それを苦悩から守ろうとするということと、超自我は両親が子供にたいして持っている検問所としての意味を受けついでいるということとは矛盾しない」(フロイト「ユーモア」『フロイト著作集3・P.411』人文書院)

ほんの少し註釈がいるとすれば、「矛盾しない」とある部分。この超自我が持つ本来的な「無矛盾性」。それは超自我というものが、そもそも「エス」の一部が加工=変形された機能であるということを意味している。生まれてから死んで後もなお、エスは矛盾を知らない。

「比喩をもってエスのことを言い現わそうとするなら、エスは混沌(こんとん)、沸き立つ興奮に充ちた釜(かま)なのです。われわれの想像では、エスの身体的なものへ向かっている末端は開いていて、そこから欲動欲求を自分の中へ取り込み、取り込まれた欲動欲求はエスの中で自己の心理的表現を見出すのですが、しかしどんな基体の中でそれが行われるのかはわれわれにはわからないのです。エスはもろもろの欲動から来るエネルギーで充満してはいます。しかしエスはいかなる組織をも持たず、いかなる全体的意志をも示さず、快感原則の厳守のもとにただ欲動欲求を満足させようという動きしか持っていないのです。エスにおける諸過程には、論理的思考法則は通用しません。とりわけ矛盾律は通用しません。そこには反対の動きが並び存していて、互いに差し引きゼロになったり、互いに譲り合ったりすることなく、せいぜいそれらは支配的な経済的強制のもとでエネルギーを放出させようとして妥協しているだけです。ーーーエスの中には時間観念に相当するものは何も見出されません。すなわち時の経過というものは承認されません。そして、これはきわめて注目すべき、将来哲学によって処理されるべき問題だと思われますが、そこには時間の経過による心的過程の変化ということがないのです。エスの境界線を決してふみ越えることのなかった願望興奮や、同時にまた抑圧によってエスの中へ沈められてしまった諸印象は、潜在的には不死であって、数十年経った後でもまるで新たに生じたかのような状態にあるのです」(フロイト「精神分析入門・下・P.290~291」新潮文庫)

つづけよう。

「普遍は手からのがれてゆき、ブルジョア的イデオロギーは自己批判しなければ自己を乗り越えることができなるなる。作家の意識はもはや自分の立場を正確に包含することができなくなって、作家は曖昧さにとらわれる」(バルト「ブルジョア的エクリチュールの勝利と破綻」『零度のエクリチュール・P.74』みすず書房)

という経緯を経て、「『文学』の悲劇」が誕生すると述べる。エクリチュールの多様化が始まる。意味の増殖を抑えることはもう誰にもできなくなる。だがそれがどのような「形式」によって着手されるにせよ、あるいは「形式破壊」という自己破壊によって取り組まれるにせよ、結果からいってしまえば、エクリチュールはいつも作者のたくらみを裏切ってしまう。エクリチュールというものは、それまで見えなかったものを言語化して可視化させるという社会的機能をもつ。以前にも誰も知らなかったことを言語化させることで、そしてそれが多くの人々からの承認を受けて歓迎されることで、エクリチュールは社会的秩序化の作業を果たす。だから言語の発見者は、ニーチェの言葉を借りれば、「世界の創造者」でもあった。ところが言語化という可視化の作業には独特の盲点がある。なるほど言語化されることで可視化されるわけだが、しかしそれが言語化される前、《それ》は《本当は》何だったのかを、誰にも証明できないというアポリアである。エクリチュールというものは、言語としてはなおさら、いきなり出現する。突然現われる。しかしこの言語化はただ単に周囲を驚かせるだけでなく十分納得させもする。証明できないが疑うこともできない。だからこそ言語的創造はただ単なる追加や付加ではなく、まさしく「世界創造」なのだ。その点で貨幣と似ていることはいうまでもない。或るものと他のものとを通訳可能にするという点で似ているというだけでなく、新しい部分を世界へ参入させて絶え間ない言語活動に入るということ。貨幣でいえば利子を発生させて資本として再生産過程へ入っていくということ。その意味でもまたたいへん似ている。したがって、その言葉がどれほどささやかなものであるにせよ、その言葉の世界への参入は、新しい世界の再編を、新世界秩序の破壊的再構築への橋渡しを、意味する。ほんのささやかな微々たる動きでしかないにしても。

エクリチュールの多様化について。前にも触れたように、バルトは、その境界線を一八四八年の革命に求めている。もっとも、一般的な教科書では一七八九年勃発のフランス革命のほうが大々的に紹介されてはいる。しかしエクリチュールの決定的変化の時期ということであれば、その境界線は一九四八年の、とりわけ「六月蜂起」に求めねばならない。一七八九年のほうは、なるほど「大革命」であった。しかし革命の前と後とで用いられているエクリチュールは同一なのだ。相変わらず古典主義的エクリチュールであって、たとえば革命の指導者として有名なロベスピエールは、同一のエクリチュールを用いて革命を成功へ導いたのみならず、ほかならぬ指導者として同一のエクリチュールを用い続けた。ところが今度はロベスピエール自身が処刑される番が回ってきた。「大革命」にもかかわらずエクリチュールに変化がなかったのはなぜだろう。それはロベスピエールが《本物のブルジョア》だったからだ。もっとも、バルトはそんな書き方はしていないけれども。ともかく、ルイ王朝の宮廷内で用いられていたエクリチュールと、《本物のブルジョア》だったロベスピエールが用いていたエクリチュールとの《あいだ》には、社会的構造を条件づける言語的秩序を決定的に変形させてしまうほどの差異が見当たらない。宮廷内で使用される言葉と新興ブルジョア階級が使用する言葉とは極めて近い。ほとんど同じ。しかしけっして同類ではない。この、似てはいるが違うということ。そっくりなのだがそれでも決定的な違いがあるということ。ヘーゲル弁証法にならっていえば、両者は闘いにおもむかなければならない。どちらが一体《本物か》ということに命を賭けること。そして勝つということ。そうでなければ両者ともに自分を待っているのは死か奴隷に舞い戻るか、どちらを選ぶのか、という選択しか残されないからである。

そしてルイ王朝を打倒したロベスピエール。だがルイ王朝打倒の先頭に立ったロベスピエールに今度は処刑される番が回ってきたのはどうしてか。それは「因果応報」という宗教的差別的教義を持ち出してきて何千回何万回にわたる研究検討を加えたとしても、解決はもちろん、分析に取りかかることさえけっしてできない。宗教とは関係のない社会的言語学的地平に位置する問題だからだ。したがって宗教的なものから切断された立場に位置しなければならない。その一例として、たとえば現象学的存在論の見地から見ればこう述べることができる。レーヴィットはいう。

「そのばあい討議の終わりには、各自が最初はその論拠で相手を打ち負かそうとしていたまさにその論拠によって、各自は撃ちぬかれることになるだろう」(レーヴィット「共同存在の現象学・P.195」岩波文庫)

立場(「大革命」以前のロベスピエールと「大革命」以後のロベスピエール)の相違にもかかわらず、なお同一のエクリチュールを用い続けた場合、こうなる。

「そのばあい討議の終わりには、ロベスピエールが最初はそのエクリチュールで相手を打ち負かそうとしていたまさにそのエクリチュールによって、ロベスピエールは撃ちぬかれることになる」、と。

一八四八年の「六月蜂起」について。検索すればいろいろ書いてあるとおもわれる。一八四八年六月二十三日から六月二十六日にパリで起きた市街戦。しかしなぜこの衝突のほうが「大革命」より重要性をもったのか。諸説あるとはいうものの、重要なのは、「六月蜂起」が刻み込んだ意味だ。それはおそらく人類史上始めてブルジョアジーとプロレタリアートとが大規模な形で正面衝突したというばかりではない。この衝突によって始めて、ブルジョアジーとプロレタリアートという二大陣営が、ヨーロッパ世界において実際に存在しているという隠しようのない事実が、動かぬ証拠として世界で始めて証明されるに至ったからである。資本主義は動くものだ。動くものとしての資本主義という「秩序」は、いわゆる「大革命」から半世紀を経てようやく「秩序」には裂け目があるということの証明を受け取ると同時に「秩序」=「社会的文法」に対する根本的〔ラディカル〕な揺さぶりの経験を得た。この事情は後々の東西冷戦勃発を先取りした重大な武力衝突として、さらにまた実際の断層は「大革命」にあるのではなく「六月蜂起」にこそあるという意味で、公式の歴史に対する異議申し立てとして捉え直すことができるだろう。もっとも、公式の歴史教科書には「大革命」も「六月蜂起」も大文字で書かれている。けっして小文字ではない。ところが両者がもっている歴史的意義という観点からみれば、ニーチェが指弾する遠近法的倒錯によって、歴史教科書は今なお実質的内容を欠いたただ単なる「暗記カード」でしかないことを物語っているといえよう。大文字の歴史が小文字の歴史を消してしまうのではなく、どちらとも大文字化=等質化させることで、逆に両者の《あいだ》に横たわっている決定的違いが消えて見えなくなるのだ。

バルトはこのときに生じた歴史の「裂け目」〔歴史的境界線〕について、ポイントを三点ばかり上げている。(1)人口問題。一八〇〇年代前半、ヨーロッパ第一位の人口を誇ったフランスはロシアに抜かれ、第二位に転落。一八五〇年代のうちにさらにドイツに抜かれ、第三位に転落。(2)フランス産業構造の変化。繊維産業を抜いて製鉄業がトップの座につく。大工業中心主義の到来。生産部門中心主義の台頭とともに金融部門ならびに流通部門の重要性が覆い隠されてしまうこととなる。(3)先に述べた「六月蜂起」。資本家、土地所有者、賃金労働者という敵対する三階層への分離とその鮮明化。

暗い時代の到来。近代は暗い。とても暗い。しかし現代的文学はこの暗さのなかで産声を上げたし、この暗さのなかでだけ産声を上げることができたのだ、ということを忘れてはならないだろう。

さて、エクリチュールについてはまだしばらくニーチェ抜き、プルースト抜きで考察はすすんでいく。後期バルトへの変容までの過程はさらにあいだに構造主義者としてのバルトをもつ。構造主義者として名を上げたことはなるほど確かかもしれない。しかし構造主義者として有名になったときすでにバルトは後期バルトとして、みずからが書く立場にあるものとして、この「立場」自身の抹消へと向かっている。そのような態度がなぜ初期バルトの著書においてすでに見られるのか。バルトは早くからサルトルの影響下にありはしたものの、バルト自身がそう語っているように、言葉に対する「マニア」であった。サルトルを含めて他の思想家と決定的に異なるのは、今の日本でもしばしばふつうに使われている意味で「言語フェチ」であると明言している。したがって、「作者の死」を宣言して以降、みずからの凝固を徹底的に避けること、いつも漂流していて、著書の中では文章の「盲点」に《なる》と同時に「盲点」である限り見えなく《なる》ことを心がけるようになる。だから後期バルトのどの文章を見ても、バルトをとらえきることはけっしてできない。バルトは説明されたり読解されたりすることも不可能にした。それならなぜ他者がわざわざバルトについて述べたりするのか。余計なお世話ではないのかと、おもわれるかもしれない。ところがしかし、読者の中にバルトとはまた違ったタイプの「言語フェチ」がいたとすればバルトは何と答えるだろうか。何も答えないかもしれない。たぶん何も答えない。しかしそれならそれで勝手にしてくれと、ただし「身振り」で伝える余地くらいは与えただろうとおもわれる。なのでこうしているわけだ。リハビリとしてもとても順調に取り組めているとおもうし、いまではもう、なかなか見あたらなくなったという意味でたいへん貴重なテキストでもあると考えられるからである。

ところでそんな後期バルトだが、おそらく、重要だろうとおもわれる部分にはほぼ触れてきたとおもっている。あとはやや面倒な作業ではあるが、専門用語の説明が残っている。

「言語活動の生き物として、作家はいつもフィクションの(特殊語法の)戦争に巻き込まれている。しかし、彼を成り立たせている言語活動(エクリチュール)はいつも場所の外にある(アトピック)であるから、彼は、そこでは、いつも玩具でしかない。多義的(エクリチュールの初歩段階)であるというだけで、文学の言葉(パロール)の戦闘参加は始めから怪しい。作家はいつも体系の盲点にあって、漂流している。それはジョーカーであり、マナであり、ゼロ度であり、ブリッジのダミー、つまり、意味に(競技に)必要ではあるが、固定した意味は失われているものである。彼の位置、彼の(交換)《価値》は、歴史の動きや戦術によって変る」(バルト「テクストの快楽・P.66」みすず書房)

「ゼロ度」についてはつい最近引用して述べた。ここでは「マナ」について。マルセル・モースから。

「ポリネシアのマナという語そのものは、それぞれの存在の呪術的な力だけでなく、名誉も表わしている。マナの最も正しい訳の一つは権威と富である。トリンギット族とハイダ族のポトラッチは互いに行う奉仕を名誉なこととみなしている。オーストラリアの先住民のように未開な部族においても、名誉の問題はわれわれの社会におけるように気にかけられ、名誉の意識は、贈与、給付、食物の提供、席次、儀礼などによって与えられる。人類は署名を行うようになるはるか以前に、名誉や名前によって約束することを知っていたのである」(モース「贈与論・P.101」ちくま学芸文庫)

たぶん、つかみきれない概念だとおもう。文字通り「固定した意味は失われている」からである。隠喩でもない。文字通りは文字通りとしかいいようがない。あるいは「ジョーカー」「ダミー」といった比喩ならつかめるとおもわれるけれども、その場合は比喩としてでしかない。何も「ない」わけではない。「ないことが意味をもっている」ことだからだ。また「アトピック」について。繰り返しになるが、《あえて》用いられている形容詞としては重要だろうとおもわれる。

《アトピック》。“topic”=「話題、主題、項目」に否定形の“a”を付した“atopic”。要するに、場所の外。一般的文化圏の他。コード化されない。分類できない。わけがわからない。

BGM

脱ステレオタイプの困難性

2019年07月23日 | 日記・エッセイ・コラム
バルトは詩の言語について語ろうとしている。しかし詩のエクリチュールというものは大きく二つに区別できるだけでなく、さしあたりは区別に集中しないわけにはいかない。というのは、それ以前には見えなかった断層の発見者としてこの区別の重要性はけっして避けて通れないから難問だからだ。この区別にあたってバルトは、ボードレールとランボーとの間に境界線を引くことから始めている。明記されてはいないものの、ランボーの詩は前期と後期とでがらりと様相が異なっている。ここでは「酔いどれ船」以降の後期ランボー、とりわけ「イリュミナシオン」を念頭においているとおもわれる。「イリュミナシオン」の出版は大幅に遅れたが原稿執筆は一八七三~一八七四年にかけてといわれている。だからパリ・コミューン成立の二、三年ほど後にあたる。ランボーはパリ・コミューンに直接参加してはいない。けれども、なぜか動乱のパリにわざわざやってきてあちこち見物して歩いた。また、この頃すでに写真が普及し始めている。いったんパリを占領したコミューン兵士らも記念に集合写真に収まっている。結果的にヴェルサイユ軍に突入されて崩壊したとき、ほとんど殺されたわけだがそれでもなお何人かは逃げることができた。にもかかわらず次々と逮捕者が出た。ヴェルサイユ軍は逃げたはずの生き残り兵士らをなぜ逮捕することができたのか。記念に撮影された集合写真をもとに続々と身元がわれた。顔認証されて終わったという笑えないエピソードが残っている。

「ここでは『語』は百科事典的であり、あらゆる意味を同時に含んでいるーーー関係を重視する言説であれば、そららの意味のなかから選ぶように強いたことであろうがーーー。それゆえに『語』は辞書や詩のなかでしかありえない状態を実現する。そこでは名詞は冠詞をうしない、いわゆる零度の状態へみちびかれ、過去と未来のあらゆる定義を同時にふくみつつ存続することができる」(バルト「詩的エクリチュールは存在するか」『零度のエクリチュール・P.60』みすず書房)

で、問題となるのは後期ランボー以降のいわゆる現代詩。それ以前の古典主義時代の詩の言葉は透明なものだった。言葉は直接的に物を示す指示的記号の機能しか持たなかった。象徴派といってしまえば見えなくなる区別なのだが、ボードレールもまた後期ランボーとは断絶されているのである。それはボードレールがヘーゲル弁証法との闘いに精魂尽き果ててしまい、ヘーゲル弁証法が不可避的にもたらす論理の乗り越えを果たし得なかったという点で明らかとされる。ところが後期ランボーはわずかに異なる詩作活動時期の《ずれ》のおかげというべきか、ヘーゲルの呪縛が乗り越えられるちょうどその《あいだ》で、非連続的な立場で詩作する時間をもつことができた。しかしそれはともかく、先に触れておくべき古典主義時代の呪縛とは何なのか。バルトはそれを数学で用いられる専門用語的なものにほぼ等しいとしている。また、古典主義時代の言語について、フーコーはこう述べる。

「記号はかつて、認識の手段、知を得るための鍵であった」(フーコー「言葉と物・P.90」新潮社)

ソシュール言語学の誕生によって記号(シニフィアン=意味するもの)と記号内容(シニフィエ=意味されるもの)との《あいだ》には断絶がある、隙間がある、と説明されるまで、人々はなぜ近代になってから言葉の意味がどんどん増殖していくのか、コノテーション(意味がさらなる意味を生んでいく)するのか、はっきりわかっていなかった。その意味でソシュール言語学はまず最初に哲学思想界に激震を与え、同時に文学を始めとして芸術一般にも一挙に影響を与えることとなる。とはいえ、ここで一言バルトが述べている「零度」とは一体どういうことなのか。そこを逃してしまっては後々のバルトのことはまったくわからなくなる。「記号学の原理」の中に説明があり、旧版「零度のエクリチュール」では一緒に収められていた。しかし「テクストの快楽」の訳註で簡潔な引用が見られる。

「ゼロ度とはだから本来何もないことの意味ではない。ゼロ度とは、《ないことが意味を持っていること》である」(バルト「テクストの快楽・P.144」みすず書房)

さて、意味(言葉の価値部分)の増殖という機能を身につけた言語。その時期は近代の全面的到来と一致する。近代資本主義の世界制覇が始まったということであり、資本がようやくグローバル資本主義として、自動的に貨幣(商品の価値部分)の増殖を可能にするようになったということと切り離せない事情がある。

詩の言語も与えられるやいなや幾重にも意味の増殖を開始する。それはとどまるところをしらず重層化していく。

「事物はあらゆる可能性にみたされて一気にそそりたつ。満ちたりておらず、それゆえに恐ろしい世界に、事物は目印をつけることしかできない」(バルト「詩的エクリチュールは存在するか」『零度のエクリチュール・P.62』みすず書房)

したがって、次のようにいうことができる。

「詩的エクリチュールについて語るのは難しくなる。というのは、その自律的な激しさがいかなる倫理的な影響力をも破壊してゆく言語活動にかかわるからである。口述的な行為は『自然』を変化させようとする」(バルト「詩的エクリチュールは存在するか」『零度のエクリチュール・P.62』みすず書房)

だからボードレールは理解できるが「イリュミナシオン」のランボーは理解できないという人が少なくない。この現象は何も日本に限ったことではなく、フランス人自身にとっても同様である。フランスが「文学の都」だというのはそれこそまさしく「近現代の神話」なのであって、実際のところフランスではどうかといえば、なるほどランボー「地獄の季節」は人気がある。しかし「イリュミナシオン」は本棚に置いておきはするけれども、あえて手に取って読み返す読者はいまなお少ない。一部の研究者を除いては。

さて、写真のストゥディウム(文化的一般的関心)とプンクトゥム(見る私を突き刺すもの、見る私を突き刺す細部《傷跡=スティグマ》、私固有の時間)についてこれまで触れてきた。けれども時間が指し示す固有性についてはいまだ十分とはいえない。

はしょるわけではないが、次のセンテンスは理解を容易にしてくれるに違いない。そのぶん多少ショッキングではあるかもしれない。しかしこの点について十分な理解のないところでは、どんな写真であれ、撮影者の側も被写体の側も、一体《なぜ写真》なのかあるいはなぜ映画やテレビではなく《あえて写真》にこだわるのかという自分を客観視することはできないだろう。

「一八六五年、若いルイス・ベインは、アメリカの国務長官W.H.シューワードの暗殺を企てた。アレクサンダー・ガードナーが独房のなかの彼を撮影した〔写真20〕。彼は絞首刑になろうとしている。この写真は美しい。この青年もまた美しい。ストゥディウムはそこにある。しかしプンクトゥムはと言えば、それは、《彼が死のうとしている》、ということである。私はこの写真から、《それはそうなるだろう》という未来と、《それはかつてあった》という過去を同時に読み取る。私は死が賭けられている過去となった未来を恐怖をこめて見まもる。この写真は、ポーズの絶対的な過去(不定過去)を示すことによって、未来の死を私に告げているのだ。私の心を突き刺すのは、この過去と未来の等価関係の発見である。少女だった母の写真を見て、私はこう思う。母はこれから死のうとしている、と。私はウィニコットの精神病者のように、《すでに起こってしまった破局》に戦慄する。被写体がすでに死んでいてもいなくても、写真はすべてそうした破局を示すものなのである」(バルト「明るい部屋・P.118~119」みすず書房)

だから写真撮影は「先取りされた喪の作業」として考えることができる。写真家にはどのような人が多いだろうか。逆に映画監督にはどのような人が多いだろうか。興味深い比較だがさしあたりここでは関係がない。とはいえ映画を観て「面白い」と声を上げる観客はおおぜいいるけれど、写真を観て「面白い」と声を上げる人はほとんどいないのが実状だ。しかしこの実状は変える必要性のない実状であって、むしろ両者の違いを鮮明化してみることに役立つ。そしてまたこの違いはどこから来るのだろうかと考えさせる。鑑賞作法といったステレオタイプ化されて凝固し、もはや死物化したスタイルは別として。

ところで、鬱病者としては「ようやく終わってくれた」という感じの、二週間にわたる疲労に満ちた選挙について。すでにあちこちで様々な総括がなされているようだ。有権者の一人としてと同時に滋賀県民の一人として述べておくべきだろう。

個別としては、かだ由紀子候補に一票を投じた。というのは二之湯候補の敗戦の弁にあったような「知名度」が問題だったわけではないからである。「知名度」でいえばむしろ党の顔でありなおかつ全国区レベルでは超人気者の小泉進次郎氏などがわざわざやって来た。聴衆も集まった。それだけでも「知名度」は十分だったとおもえる。さらに滋賀県は他の都道府県と比較してももともと保守層の強い地域である。そもそもの昔からずっと自民党保守層の強固な地盤だった。にもかかわらず特にテレビマスコミはほんの一時だけ吹いた「風」に乗って旧民主党が大勝した過去の一点のみを切り取って何度も繰り返し「民主王国滋賀県」と連呼し、あたかも始めから旧民主党の地盤があったかのようにイメージ付け、滋賀県民を「パブロフの犬」扱いにして条件づけておく一方、徐々になされた自民党による巻き返しはさも旧民主党のひ弱さの現われでもあるかのように絶え間なく煽り続けて見せていた。この情報操作は何度も繰り返し強迫神経症的に反復された。だから二之湯候補は「知名度」においても、そもそも滋賀県が自民党の地盤であったことも、またマスコミの情報操作によるさらなる「追い風」においても圧倒的有利な立場をあらかじめ用意されていた。にもかかわらず負けた。それはもう負けるべくして負けたとしかいいようがない。

しかしかだ候補に一票を投じたのにはわけがある。かだ候補の跡を継ぐと宣言して新しく知事に就任した三日月氏。なぜかはわからないが今になって手のひらを返した。したがって、その年齢にもかかわらず、かだ候補には、与党の圧力によってかび臭い時代へ巻き戻された貴重な時間を逆に未来のほうへぐっと引っ張り上げ直しておく義務が生じてきた。個人的にはこの「義務」に対して実直に果たしてもらいたいと考えたに過ぎない。この際、かだ候補には再び政治のシーンで「カビキラー」になってもらうほかないというおもいからである。ちなみにかだ候補の座右の書は和辻哲郎「倫理学」。和辻は器用な哲学者で、古代エジプトもやれば古代仏教もやるし、さらにヘーゲルもやればマルクスもやる。また、キルケゴールもやればニーチェもやる。デカルト、カント、ハイデガーと認識論ならびに存在論にも通じている。西田哲学にも三木哲学にも目を通している。その上で日本について語る。世界水準の教養を身につけた国際人にみえる反面、余りの器用さにどこかちゃらちゃらした軽薄さがみえなくもない。しかしそれはどうでもいいことでもある。当選した以上、もはや単なる研究者ではなく今や政治家だからだ。ところがより一層重要な問題がある。言うまでもない、大阪発「都構想」。滋賀県も例外なくそのなかに含まれている。この重要性。

リベラル左派でもなければ共産党でもなく与党でもなくむしろ既成政党とはいつも距離をとっていたい立場として、比例で「れいわ新撰組」に入れた。それはさておき。大阪の有権者はいったい何を基準にして動いているのかさっぱりわからないというのが正直な感想としてある。「出る杭は打たれる」というけれども、実に久々というべき本格派が登場してきたとき、それがたとえ「出る杭」に見えたとしても、実際に打ち倒すには相当の覚悟がいるに違いない。リベラル左派の大型新人・亀石倫子。与党サイドからみればなるほど「出る杭」には違いない。しかし大阪にとって大阪発の最有望株を打ち倒すのは果たして賢明な選択だろうか。余りの大物ゆえにもしかしたら落とされるかも、とおもってはいた。案の定、落とされた。「出る杭」は打ち倒された。大阪は自分の手で大阪自身を打ち倒したのである。

というのは、大阪の有権者がどう思っているにせよ、周辺の他府県から見れば、大阪には今なお暴力のイメージがつきまとっている。亡霊のように取り付いて離れないかのように見えるからだ。それをおもうと他府県からみた亀石候補はいわば「喉から手が出」そうになるほど欲しい国際的に通用するであろう逸材である。それがなぜか大阪にいくとパージされる。不思議な話だ。ニーチェならいうだろう。

「『私には気に入らない』。ーーー何故にか。ーーー『私は彼に匹敵できないからだ』。ーーーかつてそう答えた人間があろうか」(ニーチェ「善悪の彼岸・一八五・P.129」岩波文庫)

今回のケースは「彼」ではなく「彼女」だったわけだが。いずれにせよ、これでまた一つ大阪に取り付いて離れない陰湿な暴力的イメージの払拭からみずから遠ざかったことだけは確かだ。もっとも、「陰湿な暴力」とはいってもそれがただ単なる「イメージ」に過ぎないというのであればその「イメージ」を払拭するのは、少なくとも大日本帝国時代よりは遥かに容易である。ところが選挙報道番組を通して全国的規模で一挙に伝えられた亀石落選という事実は、大阪につきまとって離れない「陰湿な暴力」がただ単なる「イメージ」に過ぎないものであるどころか、逆に今なお有効に活用されている現実的暴力装置の実在を如実に物語ることになった。考え込まざるをえない。亀石候補は大阪の有権者にとって何かそんなにわるいことでもしたのだろうか。亀石候補は大阪の有権者を馬鹿にするようなことを何か一つでもしでかしたというのだろうかと。

なお、選挙期間と東京都という空間について、述べておかなければならない。以下の引用はその前提条件として。

「河の中にできた島ーーー川中島、河口などに形成される中洲が、しばしば聖地とされたことは、すでに周知のことといってよかろう。

野本寛一がのべているように(野本寛一「熊野山海民俗抄」2近畿大学民俗学研究所『民俗文化』二号)、川中島は『海と山との間』にあり、『船の故郷と船の働く海原との中間にあたる』。そして川中島ーーー『河川島嶼は常に水を以て俗界を遮断した聖なる空間』なのであり、『みずがき』(瑞垣)の発生はまさに『水垣』なので、『川中島はその条件を自然によって与えられた貴重な信仰の場』であることを、野本は強調している。

そして、『熊野信仰の中核をなしてきた熊野大社の旧社地が大斎原という川中島に卜定された』のは、まさしくこの『信仰原理による』と、野本は指摘しているのであるが、これは『聖地』としての川中島ーーー中洲の特質を見事にいい当てたものといえよう。

このような事例は、尾張の津島社をはじめ、各地に求めることができると思うが、周知のように、川中島が戦国時代の武田氏と上杉氏との死闘の場になったことも、もとよりこのことと無関係ではあるまい。中世以前の戦争は、河原、野原など、こうした『聖地』ともいうべき無主の空間で行われるのがふつうだったのであり、そこに自然との関わりを通じて、当時の戦争そのもののあり方を追求する道もひらけている。

中洲はこのように、中世前期までの列島の社会では、人の力のおよばぬ自然──聖なる世界と深い関わりのある場ととらえられていたのであり、神が祭られる反面、葬地ともなったのである。神仏、浄穢は、ここではなお未分化だったといわなくてはならない。

そしてそれ故に、別の機会にふれたように(「都市のできる場所」『増補無縁・公界・楽』)、中洲は河原、浜、境、坂などと同様、備中国新見、近江国船木浜、安芸国沼田等のように、人と縁の切れた物ーーー商品の交換される市の立つ場となったのであり、やがてそこには都市が形成されていく場合がしばしば見られたのであった。

とすると、博多の盛り場が中洲という地名であることは、決して偶然ではないので、森栗茂一が大坂を中心として多くの事例をあげ、墓地がことごとく後年の盛り場となったという、まことに興味深い指摘をしているように、『聖地』であり、無主の『葬地』ともなりえた中洲が、都市の中心としての盛り場になったのは、当然のことといってよかろう。

ここにもう一つ、事例を加えてみると、能登の内浦の粟津、宇出津(うしつ)に近世初期までに成立した新町は、河口の中洲にできた町であった。そしてそこには『頭振(あたまふり)』といわれる人々が多数、集住していたのである。

江戸時代、一般的には『水呑』といわれた無高の人々を、前田領では『頭振』とよんだのであるが、泉雅博が同じ能登の町野川河口の湊に即し、『奥能登時国家文書』の分析を通して明らかにしたように、『頭振』の中には、『京屋』などの屋号をもち、船を所持し、下人を従える廻船人、商人ともいうべき人々が確実に含まれていた。泉のこの研究は、これまで農業中心の見方から専ら貧困な百姓とのみとらえられてきた『水呑』についての既成概念を、根底から打ちくだく可能性をはらんでおり、その本格的な論稿の発表が鶴首されるが、宇出津新町の事例は、中洲に集住する人々の性格をよく物語っている。

以上のように、川に形成される自然の地形としての中洲が、日本列島の社会においては、古くから特異な意味を与えられてきたことは明らかであるが、これは単に日本列島のみにとどまらぬ人類社会に広く見られる心意なのかもしれない。

アフリカのニジェル川の中洲に、ジェンヌという町ができていることについては川田順造がふれているが、フランスのパリもセーヌ川の中洲シテ島にできた町から出発したといわれており、そこには古いケルトの遺跡があるという。そして世界第一の都市ニュー・ヨークもまた、ハドソン川の中洲、マンハッタン島を中心に発展した都市であった。

よく知られているように、マンハッタン島には、現在、東西と南北にはしる直線の道路によって、細かい碁盤の目のような街区が形成されている。しかしその街区を無視するかのごとく、斜めに真っすぐの方向で走るブロードウェイは、かつてのインディアンの道であったという。また、この街区に取りかこまれながら、広大な空間として自己を貫き、人々の憩いの場となっているセントラル・パークには、巨大な磐座(いわくら)とも見ることのできる多くの巨岩が、その頭部を露出しているのである。

ただ一度、この都市を訪れたときの、全くの思いつきにすぎないが、この中洲島は古くはインディアンの聖地だったのではないか、と私には思われた。これと同様の巨岩を、私は南アメリカのペルーの各地でもしばしば見たが、そこは多くの場合、ワカとよばれるインディオの聖地であり、しかもワカの周辺には都市の形成されたことを示す遺跡が見いだされたのである。セントラル・パークの巨岩も同様の意味をもっていたのではなかろうか。そしてそれは、さきにふれた熊野の新宮の近くにも見られるような、列島の各地に見いだされ、信仰の対象となっている磐座とも、きわめてよく似ているのである。

この憶測がもしも事実ならば、堅固な岩盤の上にできた中洲、磐座を聖なる地とした『未開』なインディアンの足跡は、その征服者たちがきわめて安い値でこれを買い取ったのち、まさしく『文明』の力を誇るがごとく整然と整えていった街区に抗し、いまなお厳然と自らを貫き通しているといわなくてはならない」(網野善彦「日本中世都市の世界・P.96~100」ちくま学芸文庫)

ここではさらに、グローバル資本主義の特性を重ね合わせて検討を加えてみなければならない。次のように述べることができるだろう。

前近代の日本は「ハレ」と「ケ」との区別がなされていた。「ハレ」の日は中心〔今の皇居〕を取り囲む形で年齢性別諸階級などの区別なく歌いそして踊ること、社交し合うことが儀礼とされた。ところが資本主義の輸入と全国的一般化は前近代にはあった「ハレ」と「ケ」との区別を抹消した。いわば毎日が「ハレ」と化した。事実、いまや東京を含む世界中で何らかの交易が昼夜を問わず絶え間なく行われている。ところで東京都。選挙期間中は防波堤的な意味合いで法的保障こそなるほどありはするものの、さらにもとより見えないものではあるものの、実質的な権力構造は解体されている。だからこそ仮の法的防波堤が設定される必要性が生じる。そして実際設定された。さらにこの種の法的防波堤は可能な限りの柔軟性をもち、なおかつ常に可動的な両義的システムとして創設されていなければならない。その例をカフカにおいて見ておきたい。

「『確かに、彼は、官房にはいっていきます。でも、これらの官房は、ほんとうのお城でしょうか。官房がお城の一部だとしても、バルナバスが出入りを許されている部屋がそうでしょうか。彼は、いろんな部屋に出入りしています。けれども、それは、官房全体の一部分にすぎないのです。そこから先は柵(さく)がしてあり、柵のむこうには、さらにべつの部屋があるのです。それより先へすすむことは、べつに禁じられているわけではありません。しかし、バルナバスがすでに自分の上役たちを見つけ、仕事の話が終り、もう出ていけと言われたら、それより先へいくことはできないのです。おまけに、お城ではたえず監視を受けています。すくなくとも、そう信じられています。また、たとえ先へすすんでいっても、そこに職務上の仕事がなく、たんなる闖入者(ちんちゅうしゃ)でしかないとしたら、なんの役にたつのでしょうか。あなたは、この柵を一定の境界線だとお考えになってはいけませんわ。バルナバスも、いくどもわたしにそう言ってきかせるのです。柵は、彼が出入りする部屋のなかにもあるんです。ですから、彼が通り越していく柵もあるわけです。それらの柵は、彼がまだ通り越したことのない柵と外見上ちっとも異ならないのです。ですから、この新しい柵のむこうにはバルナバスがいままでいた部屋とは本質的にちがった官房があるのだと、頭からきめてかかるわけにもいかないのです。ただ、いまも申しあげました、気持のめいったときには、ついそう思いこんでしまいますの。そうなると、疑念は、ずんずんひろがっていって、どうにも防ぎとめられなくなってしまいます。バルナバスは、お役人と話をし、使いの用件を言いつかってきます。でも、それは、どういうお役人でしょうか、どういう用件でしょうか。彼は、目下のところ、自分でも言っているように、クラムのもとに配置され、クラムから個人的に指令を受けてきます。ところで、これは、たいへんなことなのですよ。高級従僕でさえも、そこまではさせてもらえないでしょう。ほとんど身にあまる重責と言ってよいくらいです。ところが、それが心配の種なのです。考えてもごらんなさい。直接クラムのところに配属されていて、彼とじかに口をきくことができるーーーでも、ほんとうにそうなのでしょうか。ええ、まあ、ほんとうにそうかもしれません。しかし、ではバルナバスは、お城でクラムという名前でよばれている役人がほんとうにクラムなのかということを、なぜ疑っているのでしょうか』」(カフカ「城・P.291~292」新潮文庫)

それとともに見えてこようことがある。この種の特権的法的措置が行使されることで逆に選挙期間中という不透明な時空間は世界の存在構造の根本的無根拠性という事情を可視化させ丸裸で露呈させる、という点だ。そしてその限りで行われなければならないことがある。一時的に不在となる空虚な中心を中心として、歌い踊ること。日本の選挙ということでいえば、皇居を中心とした首都であることを一元的条件として還元させつつ維持される祝祭的空間において、盛大かつ壮麗に、なおかつ最大限のエネルギー放出のうちに、ほかでもない人気投票が行われなければならないという資本の要請である。ゆえに東京都の選挙戦はその通りに行われたようにおもえる。どこからどう見ても疑いようのない人気投票で終焉を迎えることができた。首都東京における選挙期間と資本主義との関係性から見た選挙戦とその結果という意味ではなるほど成功裏に終えることができたようにおもわれる。

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