ルキウスは驢馬の姿のまま或る「地位財産ともにすぐれて有名な一人の貴婦人」の寵愛を受ける。婦人はルキウスの飼育係にこっそり「多額の謝礼」を与え、驢馬と一夜を共にする権利を買った。価格は表示されていないが、「驢馬と一夜を共にする権利」=「多額の謝礼」という等価性が成立している。そこで夜になるとルキウスに当てがわれている部屋のベッドのしつらえのため、四人の閹人(=男性器去勢者)が登場する。
「四人の閹人(えんじん)が柔らかくふくらんだ華奢(きゃしゃ)な羽蒲団(はねぶとん)をたくさん使って、私たちのために地上に即製のベッドをこしらえ、その上に金糸(きんし)と紅紫染めの糸で刺繍した蔽いを丁寧にかぶせ、さらに美しい婦人たちが休むときいつでも顎(あご)や頭を支える小さな可愛(かわい)い枕をたくさんばらまいてくれました」(アープレーイユス「黄金の驢馬・巻の10・P.410」岩波文庫)
ルキウスは驢馬の姿のまま滞りなく婦人との一夜を終える。婦人がルキウスを指し示す言葉は「私の恋人」、「私の小鳩」、「私の小雀(こすずめ)」、である。ルキウスは驢馬の姿を取っている限りで、なおかつ婦人にとってのみ「驢馬ルキウス」=「私の恋人」=「私の小鳩」=「私の小雀(こすずめ)」という等価性を実現させている。
「彼女はしっかりと私の全体を、そうです、本当にすっかり私のからだを抱き締めました。私が遠慮して尻を後ろに引こうとすると、そのたびに彼女はますます興奮して接近しようとあせり、私の背骨に手を回して強く抱き締め、ぴったりとしがみついて離れないのでした」(アープレーイユス「黄金の驢馬・巻の10・P.412」岩波文庫)
この場合、両者のあいだで性行為はあったのだろうか。あったと見るのが正しいように思われる。始めのうちルキウスは、驢馬の身体の粗雑で巨大な男性器が婦人の女性器を破壊してしまいはしないか、と心配している。だがその心配は無用である。というのもこの場面では、作品の中で始めて「四人の閹人(えんじん)」が登場しているからだ。閹人(えんじん)は男性器去勢者である。その役割は上流階級の主人に仕える宦官と同様だが、主な目的は主人が何か遠方での用事あるいは戦争のため長期間家を留守にする際、その妻が他の男性を呼び込んで遊んだりしないかどうか見張らせるための監視者として置かれる場合が多い。しかし閹人(えんじん)とはいえ去勢の形態に関係なく、すべての性欲がなくなってしまうかといえば必ずしもそうではない。歴史的資料を見ると、むしろ逆に女性を嬲(なぶ)りものにして飽き果てなくなるといったケースも随分たくさん報告されている。そして驢馬の姿のままのルキウスの陰部は閹人(えんじん)がかつて持っていた男性器四人分の質量を持っていなければならない。一人の男性の平均的陰部を順番に四度、というわけにはいかないのだ。それならわざわざ驢馬でなくても構わない。なぜ驢馬でなくてはならないのかさっぱりわからなくなってしまう。そこでルキウスは、ギリシア神話に登場する動物性愛者女性パーシパエーのことを思う。パーシパエーは牡牛に性愛を抱き性交して半人半獣のミーノータウロスを生んだとされる。
「ポセイドーンは彼が例の牡牛を犠牲に供しなかったので、憤(いきどお)り、この牡牛を猛悪にし、パーシパエーがこれに対して欲情を抱くように企んだ。彼女は牡牛に恋し、殺人の罪でアテーナイより追放せられた工匠ダイダロスを共謀者とした。彼は車のついた木製の牝牛を製作し、これを取って内部を空洞にし、牝牛を剥いでその皮を縫いつけ、かの牡牛が常に草をはんでいる牧場におき、パーシパエーをその中に入れた。牝牛がやって来て、真の牝牛と思って交わった。そこで彼女はアステリオス、一名ミーノータウロスを生んだ。彼は顔は牡牛であったが、他の部分は人間であった」(アポロドーロス「ギリシア神話・第三巻・P.121」岩波文庫)
ルキウスは驢馬の姿のままその身体丸ごと、婦人から愛されているという思いにしみじみと浸る。パーシパエーの神話について根も葉もない話ではないと考える。その意味で古代ギリシア神話は少なくともそのような人間が実在することを物語っている。
「牛頭人身の怪物ミーノータウロスの母パーシパエーが牡牛を情夫として楽しんでいたのも、根も葉もない話として一笑に付すわけにはいかないと思ったことでした」(アープレーイユス「黄金の驢馬・巻の10・P.412」岩波文庫)
ちなみに作者アープレーイユスが生きていた頃のローマでは動物との性愛関係が流行していたようだ。しかしここでの記述は、動物性愛者は当時の流行でしかなかったと言おうとしているのではなく、流行以前から存在していたことを証明しているのだろう。二十一世紀の今なお、というより、二十世紀後半になってようやく古代ギリシアがそうであったように、人間に対する性欲を感じずむしろ動物性愛を公言する人々が世間に向けて声を上げられるような社会的システムが整いつつある。とはいえ、この種の性的嗜好を持つ人々は社会の監視・差別の目を恐れるあまり、自分から名乗り出ることはまずないけれども、例えばドイツでは動物性愛者らのグループがおおやけに名乗り出て活動している。彼らの性愛の相手は動物なのでなるほど目立つ。だが、そうでない人々はもはや相手が人間でも動物でもないにもかかわらずごく普通に性生活を満喫している。そしてそのような人々の側が世界では圧倒的に多い。フェティシスト(呪物崇拝者)がそうだ。
「呪物崇拝者は、後々の生活においても、まだ他の点で性器代理物が非常に役立っていると考えている。呪物は、その意味を他人から知られることはなく、したがってまた拒否されることもない、それは容易に意のままになるし、それに結びついた性的満足は快適である。他の男たちが得ようとしているものや、苦労して手に入れねばならぬものなどは、呪物崇拝者にとってはぜんぜん気にならない」(フロイト「呪物崇拝」『フロイト著作集5・P.393』人文書院)
制服フェチ、眼鏡フェチ、靴フェチ、刀剣フェチ、殺害フェチ、など様々ある。ちなみに動物や他人を殺害することに桁違いの興奮を覚えて離れられない人々は犯罪に問われることがあるが、逆に自傷行為の場合、三島由紀夫が描いているように切腹フェチと思われるものもある。
「突然嘔吐(おうと)に襲われた中尉は、かすれた叫びをあげた。嘔吐が激痛をさらに攪拌(かくはん)して、今まで固く締まっていた腹が急に波打ち、その傷口が大きくひらけて、あたかも傷口がせい一ぱい吐瀉(としゃ)するように、腸が弾(はじ)け出て来たのである。腸は主(あるじ)の苦痛も知らぬげに、健康な、いやらしいほどいきいきとした姿で、喜々として辷り出て股間(こかん)にあふれた。中尉はうつむいて、肩で息をして目を薄目にあき、口から涎(よだれ)を垂らしていた」(三島由紀夫「憂国」『花ざかりの森・憂国・P.230』新潮文庫)
活字フェチや声フェチ、匂いフェチ、廃墟フェチなどは、ごくありふれた欲望であり、かえって交響曲フェチなどはそれが容易にフェチとは見なされていないだけにむしろ安心して耽溺できるという利得がある。そこでこれら無数の性愛を区別しようとする場合、ただ単に似ているというだけの理由で、あっけなく間違って混同してしまうこともしばしば生じる。例えば、戦国武将で男性同性愛者だった直江兼続は上杉景勝と上杉謙信との両方から寵愛されたというエピソード。南方熊楠は岩田準一宛て書簡で岩田の思い込みを正している。直江を寵愛したのは謙信と景勝との両方ではなく景勝であると。
「貴状に直江は謙信に寵せられたるごとく見ゆるも、直江は景勝に寵幸されたるに候。謙信存生のころは直江は子児たりしことと存じ候。『藩翰譜』の上杉譜など見れば明らかに知れ申し候。謙信の寵愛で大用されたるは、たしか岩井某(丹波守?)と申し候。これも勇将なりしが、後に敗死せしと記臆致し候」(南方熊楠「直江兼続と上杉景勝、大若衆のこと、その他」『浄のセクソロジー・P.366』河出文庫)
また熊楠は一見奇妙に見えるものでも国内外で厳密に研究されており食物になり得るものなら平気で口にして飄々たる一面があった。
「古来肉を忌んだ山僧が種々の菌(きのこ)を食ったことは、『今昔物語』等に出で、支那の道士仙人が、種々芝(し)と名づけて、菌や菌に似た物を珍重服餌した由は『枹朴子』等で知れる。紀州の柯(しい)樹林に多く生ずる牛肉蕈(たん)は、学名フィスチュリナ・ヘパチカで、形色芳味まるで上等の牛肉だから、予はしばしばこれを食う」(南方熊楠「牛肉蕈」『森の思想・P.311~312』河出文庫)
牛肉蕈(たん)の学名「フィスチュリナ・ヘパチカ」とあるのは“Fistulina hepatica”(カンゾウタケ=肝臓茸)のこと。フランスで“Langue de boeuf”(牛の舌)と呼ばれる菌類。アメリカでは身の蓋もなく“Beefsteak Fungus”(貧者のビーフステーキ)と呼ばれる。だから研究者として重要なのは、世間や学術界の一般的通説あるいは思い込みに捉われず流されもしない、自分に厳しい研究態度の必要性である。
「粘菌が原形体として朽木枯葉を食いまわること(イ)やや久しくして、日光、日熱、湿気、風等の諸因縁に左右されて、今は原形体で止まり得ず、(ロ)原形体がわき上がりその原形体の分子どもが、あるいはまずイ’なる茎(くき)となり、他の分子どもが茎をよじ登りてロ’なる胞子となり、それと同時にある分子どもが(ハ)なる胞壁となりて胞子を囲う。それと同時にまた(ニ)なる分子どもが糸状体となって茎と胞子と胞壁とをつなぎ合わせ、風等のために胞子が乾き、糸状体が乾きて折れるときはたちまち胞壁破れて胞子散飛し、もって他日また原形体と化成して他所に蕃殖するの備えをなす。かく出来そろうたを見て、やれ粘菌が生えたといいはやす。しかるに、まだ乾かぬうちに大風や大雨があると、一旦、茎、胞壁、胞子、糸状体となりかけたる諸分子がたちまちまた跡を潜めてもとの原形体となり、災害を避けて木の下とか葉の裏に隠れおり、天気が恢復すればまたその原形体が再びわき上がりて胞囊を作るなり。原形体は活動して物を食いありく。茎、胞囊、胞子、糸状体と化しそろうた上は少しも活動せず。ただ後日の蕃殖のために胞子を擁護して、好機会をまちて飛散せしめんとかまうるのみなり。故に、人が見て原形体といい、無形のつまらぬ痰(たん)様の半流動体と蔑視さるるその原形体が活物で、後日蕃殖の胞子を護るだけの粘菌は実は死物なり。死物を見て粘菌が生えたと言って活物と見、活物を見て何の分職もなきゆえ、原形体は死物同然と思う人間の見解がまるで間違いおる。すなわち人が鏡下にながめて、それ原形体が胞子を生じた、それ胞壁を生じた、それ茎を生じたと悦ぶは、実は活動する原形体が死んで胞子や胞壁に固まり化するので、一旦、胞子、胞壁に固まらんとしかけた原形体が、またお流れになって原形体に戻るのは、粘菌が死んだと見えて実は原形体となって活動を始めたのだ。今もニューギニア等の土蕃は死を哀れむべきこととせず、人間が卑下の現世を脱して微妙高尚の未来世に生するの一段階に過ぎずとするも、むやみに笑うべきでない」(南方熊楠「浄愛と不浄愛、粘菌の生態、幻像、その他」『浄のセクソロジー・P.335~337』河出文庫)
ニーチェはいう。
「何か未知のものを何か既知のものへと還元することは、気楽にさせ、安心させ、満足させ、しかのみならず或る権力の感情をあたえる。未知のものとともに、危険、不安、憂慮があたえられるが、ーーー最初の本能は、こうした苦しい状態を《除去する》ことにつとめる。なんらかの説明は説明しないよりもましである、これが第一原則にほかならない。根本において、問題はただ圧迫する想念から脱れたいということのみにあるのだから、それから脱れる手段のことは、まともに厳密にはとらない。未知のものを既知のものとして説明してくれる最初の思いつきは、それを『真なりとみなす』ほど気持ちよいのである。真理の標識としての《快感》(「力」の証明)。ーーーそれゆえ、原因をもとめる衝動は恐怖の感情によって制約されひきおこされる。『なぜ?』という問いは、できさえすれば、原因自身のために原因をあたえるというよりは、むしろ《一種の原因》をーーー一つの安心させ、満足させ、気楽にさせる原因をあたえるであろう。何かすでに《既知のもの》、体験されたもの、回想のうちへと書きこまれているものが原因として措定されるということは、この欲求の第一の結果である。新しいもの、体験されていないもの、見知らぬものは、原因としては閉めだされる。ーーーそれゆえ、原因として探しもとめられるのは、一種の説明であるのみならず、《選りぬきの優先的な》種類の説明であり、見知らぬもの、新しいもの、体験されていないものの感情が、そこでは最も急速に最も頻繁に除去されてしまっている説明、ーーー《最も習慣的な》説明である。その結果は、一種の原因定立が、ますます優勢となり、体系へと集中化され、最後には、《支配的となりつつ》、言いかえれば、《他の》原因や説明を簡単に閉めだしつつ、立ちあらわれるということになる」(ニーチェ「偶像の黄昏」『偶像の黄昏・反キリスト者・P.62~63』ちくま学芸文庫)
ニーチェが認識論的錯誤はなぜ起こるのかとして批判している錯誤の構造と、熊楠が実例を上げて批判的に述べている誤認の構造とは間違いなく同じである。
BGM
「四人の閹人(えんじん)が柔らかくふくらんだ華奢(きゃしゃ)な羽蒲団(はねぶとん)をたくさん使って、私たちのために地上に即製のベッドをこしらえ、その上に金糸(きんし)と紅紫染めの糸で刺繍した蔽いを丁寧にかぶせ、さらに美しい婦人たちが休むときいつでも顎(あご)や頭を支える小さな可愛(かわい)い枕をたくさんばらまいてくれました」(アープレーイユス「黄金の驢馬・巻の10・P.410」岩波文庫)
ルキウスは驢馬の姿のまま滞りなく婦人との一夜を終える。婦人がルキウスを指し示す言葉は「私の恋人」、「私の小鳩」、「私の小雀(こすずめ)」、である。ルキウスは驢馬の姿を取っている限りで、なおかつ婦人にとってのみ「驢馬ルキウス」=「私の恋人」=「私の小鳩」=「私の小雀(こすずめ)」という等価性を実現させている。
「彼女はしっかりと私の全体を、そうです、本当にすっかり私のからだを抱き締めました。私が遠慮して尻を後ろに引こうとすると、そのたびに彼女はますます興奮して接近しようとあせり、私の背骨に手を回して強く抱き締め、ぴったりとしがみついて離れないのでした」(アープレーイユス「黄金の驢馬・巻の10・P.412」岩波文庫)
この場合、両者のあいだで性行為はあったのだろうか。あったと見るのが正しいように思われる。始めのうちルキウスは、驢馬の身体の粗雑で巨大な男性器が婦人の女性器を破壊してしまいはしないか、と心配している。だがその心配は無用である。というのもこの場面では、作品の中で始めて「四人の閹人(えんじん)」が登場しているからだ。閹人(えんじん)は男性器去勢者である。その役割は上流階級の主人に仕える宦官と同様だが、主な目的は主人が何か遠方での用事あるいは戦争のため長期間家を留守にする際、その妻が他の男性を呼び込んで遊んだりしないかどうか見張らせるための監視者として置かれる場合が多い。しかし閹人(えんじん)とはいえ去勢の形態に関係なく、すべての性欲がなくなってしまうかといえば必ずしもそうではない。歴史的資料を見ると、むしろ逆に女性を嬲(なぶ)りものにして飽き果てなくなるといったケースも随分たくさん報告されている。そして驢馬の姿のままのルキウスの陰部は閹人(えんじん)がかつて持っていた男性器四人分の質量を持っていなければならない。一人の男性の平均的陰部を順番に四度、というわけにはいかないのだ。それならわざわざ驢馬でなくても構わない。なぜ驢馬でなくてはならないのかさっぱりわからなくなってしまう。そこでルキウスは、ギリシア神話に登場する動物性愛者女性パーシパエーのことを思う。パーシパエーは牡牛に性愛を抱き性交して半人半獣のミーノータウロスを生んだとされる。
「ポセイドーンは彼が例の牡牛を犠牲に供しなかったので、憤(いきどお)り、この牡牛を猛悪にし、パーシパエーがこれに対して欲情を抱くように企んだ。彼女は牡牛に恋し、殺人の罪でアテーナイより追放せられた工匠ダイダロスを共謀者とした。彼は車のついた木製の牝牛を製作し、これを取って内部を空洞にし、牝牛を剥いでその皮を縫いつけ、かの牡牛が常に草をはんでいる牧場におき、パーシパエーをその中に入れた。牝牛がやって来て、真の牝牛と思って交わった。そこで彼女はアステリオス、一名ミーノータウロスを生んだ。彼は顔は牡牛であったが、他の部分は人間であった」(アポロドーロス「ギリシア神話・第三巻・P.121」岩波文庫)
ルキウスは驢馬の姿のままその身体丸ごと、婦人から愛されているという思いにしみじみと浸る。パーシパエーの神話について根も葉もない話ではないと考える。その意味で古代ギリシア神話は少なくともそのような人間が実在することを物語っている。
「牛頭人身の怪物ミーノータウロスの母パーシパエーが牡牛を情夫として楽しんでいたのも、根も葉もない話として一笑に付すわけにはいかないと思ったことでした」(アープレーイユス「黄金の驢馬・巻の10・P.412」岩波文庫)
ちなみに作者アープレーイユスが生きていた頃のローマでは動物との性愛関係が流行していたようだ。しかしここでの記述は、動物性愛者は当時の流行でしかなかったと言おうとしているのではなく、流行以前から存在していたことを証明しているのだろう。二十一世紀の今なお、というより、二十世紀後半になってようやく古代ギリシアがそうであったように、人間に対する性欲を感じずむしろ動物性愛を公言する人々が世間に向けて声を上げられるような社会的システムが整いつつある。とはいえ、この種の性的嗜好を持つ人々は社会の監視・差別の目を恐れるあまり、自分から名乗り出ることはまずないけれども、例えばドイツでは動物性愛者らのグループがおおやけに名乗り出て活動している。彼らの性愛の相手は動物なのでなるほど目立つ。だが、そうでない人々はもはや相手が人間でも動物でもないにもかかわらずごく普通に性生活を満喫している。そしてそのような人々の側が世界では圧倒的に多い。フェティシスト(呪物崇拝者)がそうだ。
「呪物崇拝者は、後々の生活においても、まだ他の点で性器代理物が非常に役立っていると考えている。呪物は、その意味を他人から知られることはなく、したがってまた拒否されることもない、それは容易に意のままになるし、それに結びついた性的満足は快適である。他の男たちが得ようとしているものや、苦労して手に入れねばならぬものなどは、呪物崇拝者にとってはぜんぜん気にならない」(フロイト「呪物崇拝」『フロイト著作集5・P.393』人文書院)
制服フェチ、眼鏡フェチ、靴フェチ、刀剣フェチ、殺害フェチ、など様々ある。ちなみに動物や他人を殺害することに桁違いの興奮を覚えて離れられない人々は犯罪に問われることがあるが、逆に自傷行為の場合、三島由紀夫が描いているように切腹フェチと思われるものもある。
「突然嘔吐(おうと)に襲われた中尉は、かすれた叫びをあげた。嘔吐が激痛をさらに攪拌(かくはん)して、今まで固く締まっていた腹が急に波打ち、その傷口が大きくひらけて、あたかも傷口がせい一ぱい吐瀉(としゃ)するように、腸が弾(はじ)け出て来たのである。腸は主(あるじ)の苦痛も知らぬげに、健康な、いやらしいほどいきいきとした姿で、喜々として辷り出て股間(こかん)にあふれた。中尉はうつむいて、肩で息をして目を薄目にあき、口から涎(よだれ)を垂らしていた」(三島由紀夫「憂国」『花ざかりの森・憂国・P.230』新潮文庫)
活字フェチや声フェチ、匂いフェチ、廃墟フェチなどは、ごくありふれた欲望であり、かえって交響曲フェチなどはそれが容易にフェチとは見なされていないだけにむしろ安心して耽溺できるという利得がある。そこでこれら無数の性愛を区別しようとする場合、ただ単に似ているというだけの理由で、あっけなく間違って混同してしまうこともしばしば生じる。例えば、戦国武将で男性同性愛者だった直江兼続は上杉景勝と上杉謙信との両方から寵愛されたというエピソード。南方熊楠は岩田準一宛て書簡で岩田の思い込みを正している。直江を寵愛したのは謙信と景勝との両方ではなく景勝であると。
「貴状に直江は謙信に寵せられたるごとく見ゆるも、直江は景勝に寵幸されたるに候。謙信存生のころは直江は子児たりしことと存じ候。『藩翰譜』の上杉譜など見れば明らかに知れ申し候。謙信の寵愛で大用されたるは、たしか岩井某(丹波守?)と申し候。これも勇将なりしが、後に敗死せしと記臆致し候」(南方熊楠「直江兼続と上杉景勝、大若衆のこと、その他」『浄のセクソロジー・P.366』河出文庫)
また熊楠は一見奇妙に見えるものでも国内外で厳密に研究されており食物になり得るものなら平気で口にして飄々たる一面があった。
「古来肉を忌んだ山僧が種々の菌(きのこ)を食ったことは、『今昔物語』等に出で、支那の道士仙人が、種々芝(し)と名づけて、菌や菌に似た物を珍重服餌した由は『枹朴子』等で知れる。紀州の柯(しい)樹林に多く生ずる牛肉蕈(たん)は、学名フィスチュリナ・ヘパチカで、形色芳味まるで上等の牛肉だから、予はしばしばこれを食う」(南方熊楠「牛肉蕈」『森の思想・P.311~312』河出文庫)
牛肉蕈(たん)の学名「フィスチュリナ・ヘパチカ」とあるのは“Fistulina hepatica”(カンゾウタケ=肝臓茸)のこと。フランスで“Langue de boeuf”(牛の舌)と呼ばれる菌類。アメリカでは身の蓋もなく“Beefsteak Fungus”(貧者のビーフステーキ)と呼ばれる。だから研究者として重要なのは、世間や学術界の一般的通説あるいは思い込みに捉われず流されもしない、自分に厳しい研究態度の必要性である。
「粘菌が原形体として朽木枯葉を食いまわること(イ)やや久しくして、日光、日熱、湿気、風等の諸因縁に左右されて、今は原形体で止まり得ず、(ロ)原形体がわき上がりその原形体の分子どもが、あるいはまずイ’なる茎(くき)となり、他の分子どもが茎をよじ登りてロ’なる胞子となり、それと同時にある分子どもが(ハ)なる胞壁となりて胞子を囲う。それと同時にまた(ニ)なる分子どもが糸状体となって茎と胞子と胞壁とをつなぎ合わせ、風等のために胞子が乾き、糸状体が乾きて折れるときはたちまち胞壁破れて胞子散飛し、もって他日また原形体と化成して他所に蕃殖するの備えをなす。かく出来そろうたを見て、やれ粘菌が生えたといいはやす。しかるに、まだ乾かぬうちに大風や大雨があると、一旦、茎、胞壁、胞子、糸状体となりかけたる諸分子がたちまちまた跡を潜めてもとの原形体となり、災害を避けて木の下とか葉の裏に隠れおり、天気が恢復すればまたその原形体が再びわき上がりて胞囊を作るなり。原形体は活動して物を食いありく。茎、胞囊、胞子、糸状体と化しそろうた上は少しも活動せず。ただ後日の蕃殖のために胞子を擁護して、好機会をまちて飛散せしめんとかまうるのみなり。故に、人が見て原形体といい、無形のつまらぬ痰(たん)様の半流動体と蔑視さるるその原形体が活物で、後日蕃殖の胞子を護るだけの粘菌は実は死物なり。死物を見て粘菌が生えたと言って活物と見、活物を見て何の分職もなきゆえ、原形体は死物同然と思う人間の見解がまるで間違いおる。すなわち人が鏡下にながめて、それ原形体が胞子を生じた、それ胞壁を生じた、それ茎を生じたと悦ぶは、実は活動する原形体が死んで胞子や胞壁に固まり化するので、一旦、胞子、胞壁に固まらんとしかけた原形体が、またお流れになって原形体に戻るのは、粘菌が死んだと見えて実は原形体となって活動を始めたのだ。今もニューギニア等の土蕃は死を哀れむべきこととせず、人間が卑下の現世を脱して微妙高尚の未来世に生するの一段階に過ぎずとするも、むやみに笑うべきでない」(南方熊楠「浄愛と不浄愛、粘菌の生態、幻像、その他」『浄のセクソロジー・P.335~337』河出文庫)
ニーチェはいう。
「何か未知のものを何か既知のものへと還元することは、気楽にさせ、安心させ、満足させ、しかのみならず或る権力の感情をあたえる。未知のものとともに、危険、不安、憂慮があたえられるが、ーーー最初の本能は、こうした苦しい状態を《除去する》ことにつとめる。なんらかの説明は説明しないよりもましである、これが第一原則にほかならない。根本において、問題はただ圧迫する想念から脱れたいということのみにあるのだから、それから脱れる手段のことは、まともに厳密にはとらない。未知のものを既知のものとして説明してくれる最初の思いつきは、それを『真なりとみなす』ほど気持ちよいのである。真理の標識としての《快感》(「力」の証明)。ーーーそれゆえ、原因をもとめる衝動は恐怖の感情によって制約されひきおこされる。『なぜ?』という問いは、できさえすれば、原因自身のために原因をあたえるというよりは、むしろ《一種の原因》をーーー一つの安心させ、満足させ、気楽にさせる原因をあたえるであろう。何かすでに《既知のもの》、体験されたもの、回想のうちへと書きこまれているものが原因として措定されるということは、この欲求の第一の結果である。新しいもの、体験されていないもの、見知らぬものは、原因としては閉めだされる。ーーーそれゆえ、原因として探しもとめられるのは、一種の説明であるのみならず、《選りぬきの優先的な》種類の説明であり、見知らぬもの、新しいもの、体験されていないものの感情が、そこでは最も急速に最も頻繁に除去されてしまっている説明、ーーー《最も習慣的な》説明である。その結果は、一種の原因定立が、ますます優勢となり、体系へと集中化され、最後には、《支配的となりつつ》、言いかえれば、《他の》原因や説明を簡単に閉めだしつつ、立ちあらわれるということになる」(ニーチェ「偶像の黄昏」『偶像の黄昏・反キリスト者・P.62~63』ちくま学芸文庫)
ニーチェが認識論的錯誤はなぜ起こるのかとして批判している錯誤の構造と、熊楠が実例を上げて批判的に述べている誤認の構造とは間違いなく同じである。
BGM