白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21・二代目タマ’s ライフ368

2024年09月02日 | 日記・エッセイ・コラム

二〇二四年九月二日(月)。

 

早朝(午前五時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

朝食(午前八時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

昼食(午後一時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

夕食(午後六時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

キッチンのカウンターへうろうろやって来たタマ。

 

シンクに入って水をぺろぺろやり出すのかと見ていると違った。

 

部屋のドアを開けるのと同じ要領で伸び上がりキャビネットのドアを両前足でひっしとつかむ。

 

もう少しで開けてしまうところだった。

 

内部には細々といろいろ入っているわけだがいかにも猫が嬉々として遊びたがりそうな台所用品ばかり。

 

あのねタマさん、そこのは細かなものばかりだけど必需品だから手を出してほしくないんだよね。ただでさえ物価高なんだし。

 

あ、それね。飼い主が食器洗いしてる時にしょっちゅう開けたり閉めたりするでしょ?そのたびに手品みたいにあれこれ出てくるからさ。ちょっと気になってたんだ。怒っちゃやだ。

 

怒ってない。

 

黒猫繋がりの楽曲はノン・ジャンルな世界へ。クリエイション・レベル。レゲエ-ダブはジャマイカで生まれた。それはそれとして移民の国イギリスではUKレゲエの歴史というものが確実に定着しつつあるようだ。パンク、UKジャズ、ヒップホップ、アンビエントなど音楽の多産性とイギリス流の階級社会とは切り離せないのだが、そのことが過剰にジャマイカ=オリジナルという事情に観念上さほど拘束されない土壌になっているのかもしれない。


Blog21・「ごっこ」から大量虐殺への第一歩

2024年09月02日 | 日記・エッセイ・コラム

中学生の頃、漢字にいささか自信のあった吉岡乾は同級生から挑戦されたらしい。

 

「一番長い訓読みの漢字を知っているか?」

 

”政(まつりごと)”、”恣(ほしいまま)”、”慮(おもんぱか)る”など5モーラばかりなら頭に思い浮かぶ。なんとか考えついたのが”糎(センチメートル)”。7モーラ。吉岡としてはこれでどうだ!という感じ。ところが相手は不遜なにやにや笑いを浮かべつつ黒板にこう書いた。

 

「砅。

 

”石”と”水”という、どちらも小学校一年で習う凄くシンプルな構成要素でありながら、僕はそれまでにこんな字を見たことがなかった。勿論、読めもしない。

 

そして彼は得意げに、『モヲカカゲテミズヲワタルって読むんだぜ』と呪文のように言い放った。12モーラ。完敗だった。いや、認めたくなくて僕は放課後にこっそりと図書室に行って、彼が引いたのであろう大修館書店の『大漢和辞典』(初版)というのを引っ張り出して確認した。そこには確かに、『もをかかげてみずをわたる』という読みの漢字として、”砅”の字が収録されていた。

 

けれどどういう意味かイマイチ解らないが、これはこの字の読みなのだろうか。疑問が頭を擡げる。

 

そもそも『モ(?)を掲げて水を渡る』というのは、言ってみれば文ではないか。これは一字で読ませるとは、どういうことなのだろう」(吉岡乾「ゲは言語学のゲ(14)」『群像・9・P.416』講談社 二〇二四年)

 

字義と字訓とを混同したまま延々慣例として用い続けられた結果、事実であるかのごとく、さらには口裏合わせでもし続けてきたかのごとく定着さえするに立ち至った、まことしやかな単なる出鱈目に過ぎない。知っている知っていない以前の暇つぶしとしてはかなり悪質。暇つぶしゆえに安易に拡散するぶん、かえって危険度は高いかもしれない。

 

にもかかわらずとりわけTV業界はどうだろう。

 

「知識披露愉悦界隈(真偽は扨置き)系の空間を眺めていると、子供時分に僕に挑戦状を叩き付けた彼のような人々がわんさか大言壮語していて、実にアレである。『諸説ある』と言えばどんな出たら目を言っても構わないと思っている辺りが、TV業界と親和性が高い感じの、そういう人々だ」(吉岡乾「ゲは言語学のゲ(14)」『群像・9・P.417』講談社 二〇二四年)

 

言語学の専門家は労多くしてはなはだ地味な作業の専門家でもあり、一見華々しく映って見えていても迷惑この上ない世渡りの危険性に敏感である。

 

「唯でさえ文字と音(読み)とは恣意的なものであり、歴史的な蓄積しかその結び付きを保証するものはないのに、漢字は余所からの借り物である。その読みに関して何が正解で何が不正解かというのは、究極的には水掛け論である。先般、生中な知識披露で愉悦を覚える人々とTV番組制作とには親和性があると述べたのは、結局こういった一意に決まらない筈の知識を、その周辺に纏わる別の知識や思想などを全て無視して『諸説あります』という免罪符をこっそりチラつかせながら、恰もこれこそが正解であるなどとしてセンセーショナルに広報するバラエティ番組が量産されているという事実に基づいている」(吉岡乾「ゲは言語学のゲ(14)」『群像・9・P.417~418』講談社 二〇二四年)

 

そしてこういう。

 

「サンダースがどうだかは知る由もないが、英語以外の言語の複雑怪奇な語義を持った単語を紹介しますよという行為の背景に、英語は最もエレガントで洗練されているので語義が単純明快にして論理的であり、それ以外のこういった難解な語義の語彙を持ち合わせているような言語というのは未発達で粗野で原始的なんだぞという帝国主義的な思想が潜んでいるかも知れない。どうにも世の中には、洋の東西を問わず、言語に優劣があって、文化にも高低があって、言語体系を見るだけでそれが判定できて、自分たちは生物として他の連中よりも優れているのだと信じ切ってしまっている人が残念ながら多い。えも言わない悲しい劣等感の裏返しなのかも知れないが、それにしても迷惑なのでそういった差別意識をむやみやたらと振り撒かないで欲しいものである」(吉岡乾「ゲは言語学のゲ(14)」『群像・9・P.419』講談社 二〇二四年)

 

なお「言語帝国主義」という戦略については一九八〇年代ポストモダン全盛期すでに盛んに指摘されていた。吉岡乾は英語それ自体が危険だといっているわけでない。いつだったか中国語(漢字)についても「帝国言語」と書いていた。「英語か中国語か」、あるいは「英語でなければ中国語/中国語でなければ英語」というような「優生思想」が、言語そして広くは文化全体を覆い尽くす飽くなき闘争を含み込んでいく人間の抜きがたくも無粋で歴史的大量虐殺をも勃発させてきた「ルサンチマン」(劣等感)が引き起こす事態に言及している。

 

そこで思い浮かべざるを得ない問い。「パレスチナ戦争を止めることはできるか?」

 

できる人々がやらないからこんなになってしまったとは言える。


Blog21・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて902

2024年09月02日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

読書再開。といっても徐々に。

 

薬物療法は現状維持。体重減量中。

 

節約生活。

 

ころころ数字が変わる日々

 

日本経済は学術対象たりうるか

 

ますます怪しい雰囲気で

 

つまらないと言ってしまいたいところだが

 

日常生活を送っていくためにはそう言えないという実状がそびえ立ち

 

こういう民主主義も資本主義もどう考えてみてもおかしい

 

へんてこ過ぎる

 

もっともこの傾向が押し進められれば押し進められるほどアメリカが国家を上げて一度は確実に失敗したと認めざるを得なかった加速主義へ舞い戻るばかり

 

面白いといえば言えるわけだが

 

その前に日本が沈没してしまう

 

少なくとも一億人の暮らしは破滅へまっしぐら

 

知っていて沈黙しているマス-コミ(特にテレビ)や話題をすり換えるのに必死の雇われ芸人(御用コメンテーター含む)の群れ

 

それでも諦めないというのではまるでなく心情はまったく逆

 

読者視聴者としては先に死ぬつもりはさらさらないというほかない

 

返還すべきお金はとっとと返すとともにイデオロギーの左右を問わず差別主義者を撲滅し

 

ニーチェのいう永劫回帰、終わりのない差異の反復、常に変容する波また波へ世界自身が身を叩き込み、あらゆる制度は樹立されると同時にくつがえされる無限分岐的差異的循環の宇宙を生成していく

 

政治にせよ軍事にせよ逃れられない次元というものがあるのだ

 

音楽を楽しむ時間(電気料金)も削減中。