「感染=パンデミック」報道を中心として、さらにはインターネットを介して、世界各地でまたたく間に表面化した差別や偏見という生身の暴力。とりわけ医療介護従事者に対する暴言が問題になっている。どうしてだろう。日本では差し当たり二十年ほどさかのぼってみることができる。先進諸国でグローバル化が達成された時期。欧米では早くも自己責任論が登場してきていた。ところで、グローバル化にもかかわらずなぜ自己責任なのか。問いがすり換えられたわけではない。むしろ出現するべくして出現してきたと十分にいえる。一九八〇年代後半。世界のリゾーム化はすでに始まっていた。絶対的中心の消滅〔神の死〕に取って代わって新しい神としての資本主義が世界をほぼ制覇したからである。消滅した「絶対的中心」に代わって、よりいっそう狡猾な《中心的なもの》が出現してきた。《中心的なもの》は固定されない。常に「移動する」ことを《欲する》。《移動》する《強度》としての資本主義とその世界化が実現された。
リゾーム型社会は世界を覆い尽くすとともにいつもすべてを接続状態に置きつつ様々な強度を全方向へ向けて流動させながら流れを調整する《公理系》として作動する。また《中心的なもの》は絶え間なく移動しているため、どこかで何か事件が発生した場合、その責任をたった一人の個人に還元することはできない。交通事故一つ取り上げてみても、それはいつもすでに「諸条件の一致」として、幾つもの多様な条件が重なり合った時点で瞬時に出現して始めて可視化されるものへと変換される。その場に複数の個人はいるが、すべての責任をたった一人の個人に帰することは不可能である。なぜならリゾーム型社会は絶対的中心の消滅に伴って出現した無数の網目によって覆い尽くされた世界であり、幾重にも折り重なっており、誰か特定の個人にすべての責任を帰すことはもはや不可能となっているからである。そして資本主義の高度化によって実現され更新されたさらなるリゾーム型社会の成立に伴って、誰か特定の人物にすべての責任を帰すことがますます困難になっていく世界が出現したとき始めて、逆説的に、誰か特定の人物にすべての責任をなすりつけようとする自己責任論が出現したのである。同時に、誰か特定の人物にすべての責任をなすりつけようとする自己責任論は、重大問題が発生した起源と問題発生に至るまでの全過程を覆い隠してしまう。
たとえば、事件事故の加害者が国民の総意で選ばれた社会的な特権的地位にあるような場合、被害者とその周囲は事件事故が発生する直前までずっと加害者の特権性を社会的規模で容認してきた側に位置していたという転倒は覆い隠されてしまうばかりか、被害者の側になった瞬間、被害者だけが逆に孤立してしまうといった転倒の転倒が生じる。
また、最近になって知ったのだが、日本では俗称「電通案件」と呼ばれるビジネスモデルが批判を浴びるようになってきたらしい。しかしもしそれが本当であれば思うのだが、あのようなビジネスモデルが日本で社会化したのは随分と古い話であって、今になって問題視される形で浮上してきたことにむしろ驚く。今から二十年ほど前、「PARCOとはなんだったのか」という書籍が出た。過去形である。たくさんの著名人たちがすでに整理し論じ終えていた。「憲法改正ありき」とか「東京五輪ありき」とか言われるようになって途中からすみやかに計画変更できなくなったのは、あのような一九八〇年代バブルの時期に確立された「シナリオありき」という世界的広告代理店商法が日本の政財官界を巻き込みつつ定着して以後のことである。さらに大規模な世界的広告代理店商法として一九九〇年代後半にアメリカ主導でNATOによって実行されたバルカン空爆によるバルカン全土の更地化、再土地化、不動産商品化、あらかじめシナリオ化されていた都市計画の実施による土地の投げ売りと貨幣を介した商品交換による剰余価値の実現を世界は目の当たりにした。あのような目に見える暴力的商法は資本主義をますます押し進めることに貢献した。そして加速的に高度化したネット社会が生み出されて以後、まず「シナリオありき」という世界的広告代理店商法は急速に丸裸にされていき、もうほとんどアナクロニズムの次元に頑固なまでにしがみついているとしか思えないほど価値下落しているかに見える。インターネットは世界を変えた。世界が変わったというより、変わったのは世界を見る「知の枠組み」である。「土地と地図」の違いでいえば、土地そのものはインプットできないため、デジタル変換され情報化された地図ばかりが大量に蓄積されるに至った。まず「シナリオありき」という世界的広告代理店商法が政財官界の上に立つことができるのは、現場としての「土地」が実際にあって、そこから「地図」としてのシナリオを描き出すことで「物語」(ストーリー)をパッチワークできるという条件が整っている限りで始めて成立する商法だったからだ。ところが今はどうか。すでに世界はほとんど「地図」ばかりであり、素材の現場となる「土地」は急速に失われた。「感動ポルノ」という言葉が発明され批判的に用いられ流通し出したときすでに、新しいシナリオを描こうにももはや「現場としての土地」はほぼ無いに等しく、逆にデジタル変換されデータバンク化され繰り返し組み換えられ使い古された「物語」(ストーリー)の残骸と無効化されたアナログ的「感動ポルノ」の断片ばかりが茫々として打ち広がっているという惨憺たる状況を迎えていたのだった。そこへ降って湧いたのが二〇二〇年の「感染=パンデミック」。主にマスコミを中心に可視化されている事態は新自由主義の大々的輸入によってずたずたに切り捨てられた医療介護の「現場」、社会保障の「現場」、全世界的相互依存体制の「不安定極まりない現場」である。切り捨てられたのは諸力の運動としての資本主義にとって必要不可欠な「いろは」の部分だった。今後、終息とともにまたしても「感動ポルノ」の投げ売りを始める材料が手に入った。世界的広告代理店戦略としては願ってもない無残な光景だ。思いも寄らぬ収穫だ。しかしどのようになるのか。まだ誰にもわからない。自己責任論の欺瞞性へ戻ろう。
先に述べた意味で自己責任論は、事実としての重大事件以上に重大な殺人的論理にほかならないという現実をも隠蔽する効果をもつ。「感染=パンデミック」による差別や偏見という生身の暴力の表面化は、この自己責任論が変形=応用され、全国各地で猛威を振るっているもう一つの「感染=パンデミック」として位置づけることができる。そして人間は結核が不治の病だった時代と同じように、事実としての病気の感染以上に、精神的な次元における病に感染する傾向を今なお根深く有する。人間は事実としての感染症よりも遥かに広く深く、精神的な病としての差別や偏見という生身の暴力に「感染=パンデミック」するのである。そしてその傾向について最も俊敏に反応した最初の人間はまたしてもマルクスだった。十九世紀のうちに欧米における資本主義的生産様式は劇的に変化=加速したわけだが、その無限に多様な網目状のリゾーム化を亡命者としてイギリスに腰を据えて注意深く観察することで、次のような事態がはっきり見えてきていた。
「経済的社会構成の発展を一つの自然史的過程と考える私の立場は、ほかのどの立場にもまして、個人を諸関係に責任あるものとすることはできない。というのは、彼が主観的にはどんなに諸関係を超越していようとも、社会的には個人はやはり諸関係の所産なのだからである」(マルクス「資本論・第一版序文・P.26」国民文庫)
ところで、このような認識にしたがえば、「一個人の責任」という考えは発生してこない。というのも、欧米ではすでに大規模化した資本主義の中で、人間はすでに複雑化した「諸関係の所産」としてしか存在できなくなっていたし、事情がそうである以上、「責任主体《としての》個人」というものはあり得ないからである。だから「資本論」のマルクスは一貫して個人というものを「諸関係の所産」として取り扱っている。さらに。
「ここで人が問題にされるのは、ただ、人が経済的諸範疇の人格化であり、一定の階級関係や利害関係の担い手であるかぎりでのことである」(マルクス「資本論・第一版序文・P.25~26」国民文庫)
この箇所ですでに「主体《としての》個人」というあり方はもはや無効化されている。むしろ個々人は「経済的諸範疇の人格化であり、一定の階級関係や利害関係の担い手である」とされる。個々人というのは労働力商品としての労働者のことをいうだけでなく同時に資本の人格化としての資本家を指す。一方に「経済的諸範疇《としての》労働者」がおり、他方に「経済的諸範疇《としての》資本家」がいる。「主体《としての》個人」というあり方は「一定の階級関係や利害関係の担い手」へと還元されていて、もはや個々人の「責任」という概念は永遠に括弧入れされる。括弧入れしたのは資本家ではなくましてや労働者でもなく、まぎれもない資本主義という諸力の運動であり、資本主義自らの運動によって両者ともに経済的諸カテゴリーの担い手として資本主義という制度のもとに分離した。この括弧入れをマルクスは資本の運動がそうした通りに括弧入れして取り扱うことにした。だから自己責任論というものは事後的かつ人為的に創設された単なる幻想に過ぎない。一人の人間の中にもニーチェのいう次のような流動性ならびに共同性が認められる以上、一方的な責任という抽象的観念はただちに頭の中だけで空想されたに過ぎない夢物語でしかないことが発覚した。
「われわれは任意の場合において同時に命令者であり、《かつ》服従者であって、服従者としては強制・切迫・圧迫・抵抗・運動の感情を知っており、これらの感情は意志の作用の後に直ちに起こることが常だからである。われわれは他面、この二重性を『われ』という綜合概念によって遠ざけ、誤摩化(ごまか)し去るという習慣をもっているかぎり、意欲にはなお誤謬推理の全連鎖と、従って意志そのものの誤った評価が取り憑(つ)いて来た。ーーーしかも意欲する者は、行為には意欲だけで《十分だ》、と信じ切るに至った。大概の場合、実に命令の効果、すなわち服従が、従って行為が《期待》されてよいときにのみ意欲されるので、この《外観》が転じてそこには《効果の必然性》が存在するかの如き感情に変った。とにかく、意欲する者は、かなりの程度の確実さをもって、意志と行為とは何らかの仕方で一つである、と信じている。ーーー彼は成効を、意欲の遂行をなお意志そのものに帰し、そこにおいてすべての成効をもたらすあの力の感情の増長を享(たの)しむ。『意志の自由』ーーーそれは、命令し、また同時に自らをその遂行者と同一視する意欲者のあの多様な愉悦状態を表わす言葉である。ーーー意欲者はこのような遂行者として抵抗に対する勝利を共に享(たの)しむが、しかしもともと抵抗に打ち克(か)つのは自己の愉悦感情に加えて、遂行し効果を挙げる道具の愉悦感情、隷属的な『下層意志』または『下層霊魂』ーーーわれわれの肉体は実に多数の霊魂の共同体にすぎないーーーの愉悦感情を享(たの)しむ。《その成果は私だ》。ここで起こることはあらゆるよく構成された幸福な共同体に起こることで、すなわち支配階級が共同体の諸成果と同一視されるわけである」(ニーチェ「善悪の彼岸・十九・P.36~37」岩波文庫)
フーコー権力論へ戻ろう。「狂気の歴史」、「監獄の誕生」、「知への意志」、といった作品系列が浮かび上がる。どの作品のあいだにも段階的切断がある。けれども「狂気の歴史」と「監獄の誕生」とのあいだには段階的というより質的切断が見られる。前回、そのことについて「強度と欲望の導入がある」として触れておいた。もっとも、「狂気の歴史」と「監獄の誕生」とを比較すればわかることではあるが、なおかつフーコーによれば、「監獄の誕生」を書くにあたってドゥルーズとガタリの共著「アンチ・オイディプス」がフーコー自身に与えた影響は測りがたいほど示唆的なものだったと原注で述べている。「狂気の歴史」は一九六一年発表。「監獄の誕生」は一九七五年。ドゥルーズ&ガタリ「アンチ・オイディプス」発表はそのあいだにあたる一九七二年。だから「監獄の誕生」がドゥルーズ&ガタリ「アンチ・オイディプス」に対するフーコーなりの答えに見えるのは、両者による「対話」として捉えることができるからである。
さて、フーコーは次のセンテンスで「《国王の身体》の二重性」について触れた後、対極に「死刑囚の身体」を置いてみる。こう述べる。
「以前カントロヴィッツは《国王の身体》にかんすて注目すべき分析を行なったことがある。中世に形づくられた法律中心の神学にもとづいて二重の役割を与えられている身体、というわけである。というのは、生きて死す一時的な要素のほかに、国王の身体は別の要素を保有するのであって、それこそは時をつらぬいて止どまり、その王国の身体的な、だが触知しがたい(神聖にして冒すべからず、でもある)支えとして保持されるからである。しかも、こうした二重性はもともとキリストにまつわるモデルと近いつながりがあったので、この二重性のまわりに組み立てられたのが、君主政治の図像画・政治理論であり、人間としての国王と王権の要請とを区別しつつ同時に双方を結び合わせる法律機構であり、戴冠式と葬儀と服従制約式によって最高潮に達するすべての祭式である。その反対の極に、死刑囚の身体を置いてみようと考えたらどうだろう、その身体もやはり法律上の地位を持っている、それは儀式を営ませ、理論上の言説を生み出させる、がその目的は、君主の人格に割り振られていた《最大限の権力》に根拠を与えるためではなく、処罰に服す人々が押される烙印たる《最小限の権力》を記号体系化(コード化)するためである。政治の場のもっとも暗い地域で、死刑囚は国王と対称的で逆の形象を描くのである。カントロヴィッツに敬意を表しつつ《死刑囚の最小限の身体》とでも名づけうるものを分析する必要がある」(フーコー「監獄の誕生・P.32~33」新潮社)
国王の身体には「生きて死す」人間としての役割と、永遠に存続される「王権」という権力の二重化が認められる。それは「《最大限の権力》」である。だからといって死刑囚には権力がまったくないかといえば決してそうではない。死刑囚もまた「生きて死す」人間としての役割と、社会に対して永遠に働きかける「《最小限の権力》」の二重化が認められる。国王の身体は日常生活のみならずその儀式において最も極端な制約を与えられているが、他方、死刑囚は監禁空間の中の日常生活において処刑の瞬間までずっと「《死刑囚の最小限の身体》」が与えられている。死刑囚の場合、奪われるものは個人的レベルではたいへん大きいが、与えられるものは社会的レベルでの作用においてたいへん大きい。そしてその「《死刑囚の最小限の身体》」の分析から立ち現われる《政治学》の変化の歴史が書かれねばならないというのである。
「国王の側での権力を補足するために、国王の身体の二重化がひき起こされたとすれば、死刑囚の、服従した身体に行使される過剰な権力こそは、別の型の二重化をさそい出さなかっただろうか。身体不関与の二重化を、マブリー流の《精神》のそれを。そうだとすると、処罰権力のこの《微視的物理学》の歴史は一つの系譜調べ、いやむしろ近代《精神》の一つの系譜調べのための一断片となるにちがいない。われわれは、ある観念形態の再活性化された残りかすをこの近代精神のうちに見ることになるよりむしろ、そこに、身体にたいする権力の一種の技術論の現代的な相関を認めることになるだろう」(フーコー「監獄の誕生・P.33」新潮社)
フーコーが研究する権力の「《微視的物理学》」。それは具体的な「身体に対する権力の一種の技術論」として出現する。同時にその現代的な洗練への移行期に現われた「知の枠組み」の断層を目撃する作業である。
ーーーーー
さらに、当分の間、言い続けなければならないことがある。
「《自然を誹謗する者に抗して》。ーーーすべての自然的傾向を、すぐさま病気とみなし、それを何か歪めるものあるいは全く恥ずべきものととる人たちがいるが、そういった者たちは私には不愉快な存在だ、ーーー人間の性向や衝動は悪であるといった考えに、われわれを誘惑したのは、《こういう人たち》だ。われわれの本性に対して、また全自然に対してわれわれが犯す大きな不正の原因となっているのは、《彼ら》なのだ!自分の諸衝動に、快く心おきなく身をゆだねても《いい》人たちは、結構いるものだ。それなのに、そうした人たちが、自然は『悪いもの』だというあの妄念を恐れる不安から、そうやらない!《だからこそ》、人間のもとにはごく僅かの高貴性しか見出されないという結果になったのだ」(ニーチェ「悦ばしき知識・二九四・P.309~340」ちくま学芸文庫)
ニーチェのいうように、「自然的傾向を、すぐさま病気とみなし」、人工的に加工=変造して人間の側に適応させようとする人間の奢りは留まるところを知らない。昨今の豪雨災害にしても防災のための「堤防絶対主義」というカルト的信仰が生んだ人災の面がどれほどあるか。「原発」もまたそうだ。人工的なものはどれほど強力なものであっても、むしろ人工的であるがゆえ、やがて壊れる。根本的にじっくり考え直されなければならないだろう。日本という名の危機がありありと差し迫っている。
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リゾーム型社会は世界を覆い尽くすとともにいつもすべてを接続状態に置きつつ様々な強度を全方向へ向けて流動させながら流れを調整する《公理系》として作動する。また《中心的なもの》は絶え間なく移動しているため、どこかで何か事件が発生した場合、その責任をたった一人の個人に還元することはできない。交通事故一つ取り上げてみても、それはいつもすでに「諸条件の一致」として、幾つもの多様な条件が重なり合った時点で瞬時に出現して始めて可視化されるものへと変換される。その場に複数の個人はいるが、すべての責任をたった一人の個人に帰することは不可能である。なぜならリゾーム型社会は絶対的中心の消滅に伴って出現した無数の網目によって覆い尽くされた世界であり、幾重にも折り重なっており、誰か特定の個人にすべての責任を帰すことはもはや不可能となっているからである。そして資本主義の高度化によって実現され更新されたさらなるリゾーム型社会の成立に伴って、誰か特定の人物にすべての責任を帰すことがますます困難になっていく世界が出現したとき始めて、逆説的に、誰か特定の人物にすべての責任をなすりつけようとする自己責任論が出現したのである。同時に、誰か特定の人物にすべての責任をなすりつけようとする自己責任論は、重大問題が発生した起源と問題発生に至るまでの全過程を覆い隠してしまう。
たとえば、事件事故の加害者が国民の総意で選ばれた社会的な特権的地位にあるような場合、被害者とその周囲は事件事故が発生する直前までずっと加害者の特権性を社会的規模で容認してきた側に位置していたという転倒は覆い隠されてしまうばかりか、被害者の側になった瞬間、被害者だけが逆に孤立してしまうといった転倒の転倒が生じる。
また、最近になって知ったのだが、日本では俗称「電通案件」と呼ばれるビジネスモデルが批判を浴びるようになってきたらしい。しかしもしそれが本当であれば思うのだが、あのようなビジネスモデルが日本で社会化したのは随分と古い話であって、今になって問題視される形で浮上してきたことにむしろ驚く。今から二十年ほど前、「PARCOとはなんだったのか」という書籍が出た。過去形である。たくさんの著名人たちがすでに整理し論じ終えていた。「憲法改正ありき」とか「東京五輪ありき」とか言われるようになって途中からすみやかに計画変更できなくなったのは、あのような一九八〇年代バブルの時期に確立された「シナリオありき」という世界的広告代理店商法が日本の政財官界を巻き込みつつ定着して以後のことである。さらに大規模な世界的広告代理店商法として一九九〇年代後半にアメリカ主導でNATOによって実行されたバルカン空爆によるバルカン全土の更地化、再土地化、不動産商品化、あらかじめシナリオ化されていた都市計画の実施による土地の投げ売りと貨幣を介した商品交換による剰余価値の実現を世界は目の当たりにした。あのような目に見える暴力的商法は資本主義をますます押し進めることに貢献した。そして加速的に高度化したネット社会が生み出されて以後、まず「シナリオありき」という世界的広告代理店商法は急速に丸裸にされていき、もうほとんどアナクロニズムの次元に頑固なまでにしがみついているとしか思えないほど価値下落しているかに見える。インターネットは世界を変えた。世界が変わったというより、変わったのは世界を見る「知の枠組み」である。「土地と地図」の違いでいえば、土地そのものはインプットできないため、デジタル変換され情報化された地図ばかりが大量に蓄積されるに至った。まず「シナリオありき」という世界的広告代理店商法が政財官界の上に立つことができるのは、現場としての「土地」が実際にあって、そこから「地図」としてのシナリオを描き出すことで「物語」(ストーリー)をパッチワークできるという条件が整っている限りで始めて成立する商法だったからだ。ところが今はどうか。すでに世界はほとんど「地図」ばかりであり、素材の現場となる「土地」は急速に失われた。「感動ポルノ」という言葉が発明され批判的に用いられ流通し出したときすでに、新しいシナリオを描こうにももはや「現場としての土地」はほぼ無いに等しく、逆にデジタル変換されデータバンク化され繰り返し組み換えられ使い古された「物語」(ストーリー)の残骸と無効化されたアナログ的「感動ポルノ」の断片ばかりが茫々として打ち広がっているという惨憺たる状況を迎えていたのだった。そこへ降って湧いたのが二〇二〇年の「感染=パンデミック」。主にマスコミを中心に可視化されている事態は新自由主義の大々的輸入によってずたずたに切り捨てられた医療介護の「現場」、社会保障の「現場」、全世界的相互依存体制の「不安定極まりない現場」である。切り捨てられたのは諸力の運動としての資本主義にとって必要不可欠な「いろは」の部分だった。今後、終息とともにまたしても「感動ポルノ」の投げ売りを始める材料が手に入った。世界的広告代理店戦略としては願ってもない無残な光景だ。思いも寄らぬ収穫だ。しかしどのようになるのか。まだ誰にもわからない。自己責任論の欺瞞性へ戻ろう。
先に述べた意味で自己責任論は、事実としての重大事件以上に重大な殺人的論理にほかならないという現実をも隠蔽する効果をもつ。「感染=パンデミック」による差別や偏見という生身の暴力の表面化は、この自己責任論が変形=応用され、全国各地で猛威を振るっているもう一つの「感染=パンデミック」として位置づけることができる。そして人間は結核が不治の病だった時代と同じように、事実としての病気の感染以上に、精神的な次元における病に感染する傾向を今なお根深く有する。人間は事実としての感染症よりも遥かに広く深く、精神的な病としての差別や偏見という生身の暴力に「感染=パンデミック」するのである。そしてその傾向について最も俊敏に反応した最初の人間はまたしてもマルクスだった。十九世紀のうちに欧米における資本主義的生産様式は劇的に変化=加速したわけだが、その無限に多様な網目状のリゾーム化を亡命者としてイギリスに腰を据えて注意深く観察することで、次のような事態がはっきり見えてきていた。
「経済的社会構成の発展を一つの自然史的過程と考える私の立場は、ほかのどの立場にもまして、個人を諸関係に責任あるものとすることはできない。というのは、彼が主観的にはどんなに諸関係を超越していようとも、社会的には個人はやはり諸関係の所産なのだからである」(マルクス「資本論・第一版序文・P.26」国民文庫)
ところで、このような認識にしたがえば、「一個人の責任」という考えは発生してこない。というのも、欧米ではすでに大規模化した資本主義の中で、人間はすでに複雑化した「諸関係の所産」としてしか存在できなくなっていたし、事情がそうである以上、「責任主体《としての》個人」というものはあり得ないからである。だから「資本論」のマルクスは一貫して個人というものを「諸関係の所産」として取り扱っている。さらに。
「ここで人が問題にされるのは、ただ、人が経済的諸範疇の人格化であり、一定の階級関係や利害関係の担い手であるかぎりでのことである」(マルクス「資本論・第一版序文・P.25~26」国民文庫)
この箇所ですでに「主体《としての》個人」というあり方はもはや無効化されている。むしろ個々人は「経済的諸範疇の人格化であり、一定の階級関係や利害関係の担い手である」とされる。個々人というのは労働力商品としての労働者のことをいうだけでなく同時に資本の人格化としての資本家を指す。一方に「経済的諸範疇《としての》労働者」がおり、他方に「経済的諸範疇《としての》資本家」がいる。「主体《としての》個人」というあり方は「一定の階級関係や利害関係の担い手」へと還元されていて、もはや個々人の「責任」という概念は永遠に括弧入れされる。括弧入れしたのは資本家ではなくましてや労働者でもなく、まぎれもない資本主義という諸力の運動であり、資本主義自らの運動によって両者ともに経済的諸カテゴリーの担い手として資本主義という制度のもとに分離した。この括弧入れをマルクスは資本の運動がそうした通りに括弧入れして取り扱うことにした。だから自己責任論というものは事後的かつ人為的に創設された単なる幻想に過ぎない。一人の人間の中にもニーチェのいう次のような流動性ならびに共同性が認められる以上、一方的な責任という抽象的観念はただちに頭の中だけで空想されたに過ぎない夢物語でしかないことが発覚した。
「われわれは任意の場合において同時に命令者であり、《かつ》服従者であって、服従者としては強制・切迫・圧迫・抵抗・運動の感情を知っており、これらの感情は意志の作用の後に直ちに起こることが常だからである。われわれは他面、この二重性を『われ』という綜合概念によって遠ざけ、誤摩化(ごまか)し去るという習慣をもっているかぎり、意欲にはなお誤謬推理の全連鎖と、従って意志そのものの誤った評価が取り憑(つ)いて来た。ーーーしかも意欲する者は、行為には意欲だけで《十分だ》、と信じ切るに至った。大概の場合、実に命令の効果、すなわち服従が、従って行為が《期待》されてよいときにのみ意欲されるので、この《外観》が転じてそこには《効果の必然性》が存在するかの如き感情に変った。とにかく、意欲する者は、かなりの程度の確実さをもって、意志と行為とは何らかの仕方で一つである、と信じている。ーーー彼は成効を、意欲の遂行をなお意志そのものに帰し、そこにおいてすべての成効をもたらすあの力の感情の増長を享(たの)しむ。『意志の自由』ーーーそれは、命令し、また同時に自らをその遂行者と同一視する意欲者のあの多様な愉悦状態を表わす言葉である。ーーー意欲者はこのような遂行者として抵抗に対する勝利を共に享(たの)しむが、しかしもともと抵抗に打ち克(か)つのは自己の愉悦感情に加えて、遂行し効果を挙げる道具の愉悦感情、隷属的な『下層意志』または『下層霊魂』ーーーわれわれの肉体は実に多数の霊魂の共同体にすぎないーーーの愉悦感情を享(たの)しむ。《その成果は私だ》。ここで起こることはあらゆるよく構成された幸福な共同体に起こることで、すなわち支配階級が共同体の諸成果と同一視されるわけである」(ニーチェ「善悪の彼岸・十九・P.36~37」岩波文庫)
フーコー権力論へ戻ろう。「狂気の歴史」、「監獄の誕生」、「知への意志」、といった作品系列が浮かび上がる。どの作品のあいだにも段階的切断がある。けれども「狂気の歴史」と「監獄の誕生」とのあいだには段階的というより質的切断が見られる。前回、そのことについて「強度と欲望の導入がある」として触れておいた。もっとも、「狂気の歴史」と「監獄の誕生」とを比較すればわかることではあるが、なおかつフーコーによれば、「監獄の誕生」を書くにあたってドゥルーズとガタリの共著「アンチ・オイディプス」がフーコー自身に与えた影響は測りがたいほど示唆的なものだったと原注で述べている。「狂気の歴史」は一九六一年発表。「監獄の誕生」は一九七五年。ドゥルーズ&ガタリ「アンチ・オイディプス」発表はそのあいだにあたる一九七二年。だから「監獄の誕生」がドゥルーズ&ガタリ「アンチ・オイディプス」に対するフーコーなりの答えに見えるのは、両者による「対話」として捉えることができるからである。
さて、フーコーは次のセンテンスで「《国王の身体》の二重性」について触れた後、対極に「死刑囚の身体」を置いてみる。こう述べる。
「以前カントロヴィッツは《国王の身体》にかんすて注目すべき分析を行なったことがある。中世に形づくられた法律中心の神学にもとづいて二重の役割を与えられている身体、というわけである。というのは、生きて死す一時的な要素のほかに、国王の身体は別の要素を保有するのであって、それこそは時をつらぬいて止どまり、その王国の身体的な、だが触知しがたい(神聖にして冒すべからず、でもある)支えとして保持されるからである。しかも、こうした二重性はもともとキリストにまつわるモデルと近いつながりがあったので、この二重性のまわりに組み立てられたのが、君主政治の図像画・政治理論であり、人間としての国王と王権の要請とを区別しつつ同時に双方を結び合わせる法律機構であり、戴冠式と葬儀と服従制約式によって最高潮に達するすべての祭式である。その反対の極に、死刑囚の身体を置いてみようと考えたらどうだろう、その身体もやはり法律上の地位を持っている、それは儀式を営ませ、理論上の言説を生み出させる、がその目的は、君主の人格に割り振られていた《最大限の権力》に根拠を与えるためではなく、処罰に服す人々が押される烙印たる《最小限の権力》を記号体系化(コード化)するためである。政治の場のもっとも暗い地域で、死刑囚は国王と対称的で逆の形象を描くのである。カントロヴィッツに敬意を表しつつ《死刑囚の最小限の身体》とでも名づけうるものを分析する必要がある」(フーコー「監獄の誕生・P.32~33」新潮社)
国王の身体には「生きて死す」人間としての役割と、永遠に存続される「王権」という権力の二重化が認められる。それは「《最大限の権力》」である。だからといって死刑囚には権力がまったくないかといえば決してそうではない。死刑囚もまた「生きて死す」人間としての役割と、社会に対して永遠に働きかける「《最小限の権力》」の二重化が認められる。国王の身体は日常生活のみならずその儀式において最も極端な制約を与えられているが、他方、死刑囚は監禁空間の中の日常生活において処刑の瞬間までずっと「《死刑囚の最小限の身体》」が与えられている。死刑囚の場合、奪われるものは個人的レベルではたいへん大きいが、与えられるものは社会的レベルでの作用においてたいへん大きい。そしてその「《死刑囚の最小限の身体》」の分析から立ち現われる《政治学》の変化の歴史が書かれねばならないというのである。
「国王の側での権力を補足するために、国王の身体の二重化がひき起こされたとすれば、死刑囚の、服従した身体に行使される過剰な権力こそは、別の型の二重化をさそい出さなかっただろうか。身体不関与の二重化を、マブリー流の《精神》のそれを。そうだとすると、処罰権力のこの《微視的物理学》の歴史は一つの系譜調べ、いやむしろ近代《精神》の一つの系譜調べのための一断片となるにちがいない。われわれは、ある観念形態の再活性化された残りかすをこの近代精神のうちに見ることになるよりむしろ、そこに、身体にたいする権力の一種の技術論の現代的な相関を認めることになるだろう」(フーコー「監獄の誕生・P.33」新潮社)
フーコーが研究する権力の「《微視的物理学》」。それは具体的な「身体に対する権力の一種の技術論」として出現する。同時にその現代的な洗練への移行期に現われた「知の枠組み」の断層を目撃する作業である。
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さらに、当分の間、言い続けなければならないことがある。
「《自然を誹謗する者に抗して》。ーーーすべての自然的傾向を、すぐさま病気とみなし、それを何か歪めるものあるいは全く恥ずべきものととる人たちがいるが、そういった者たちは私には不愉快な存在だ、ーーー人間の性向や衝動は悪であるといった考えに、われわれを誘惑したのは、《こういう人たち》だ。われわれの本性に対して、また全自然に対してわれわれが犯す大きな不正の原因となっているのは、《彼ら》なのだ!自分の諸衝動に、快く心おきなく身をゆだねても《いい》人たちは、結構いるものだ。それなのに、そうした人たちが、自然は『悪いもの』だというあの妄念を恐れる不安から、そうやらない!《だからこそ》、人間のもとにはごく僅かの高貴性しか見出されないという結果になったのだ」(ニーチェ「悦ばしき知識・二九四・P.309~340」ちくま学芸文庫)
ニーチェのいうように、「自然的傾向を、すぐさま病気とみなし」、人工的に加工=変造して人間の側に適応させようとする人間の奢りは留まるところを知らない。昨今の豪雨災害にしても防災のための「堤防絶対主義」というカルト的信仰が生んだ人災の面がどれほどあるか。「原発」もまたそうだ。人工的なものはどれほど強力なものであっても、むしろ人工的であるがゆえ、やがて壊れる。根本的にじっくり考え直されなければならないだろう。日本という名の危機がありありと差し迫っている。
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