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なにも ほしがならなぁい なにも きたいしなぁい

2006年06月14日(水)

2006-06-14 | 授業
「生活水準向上させる」下層社会報道に足立区長が反論 (読売新聞) - goo ニュース


 残念ながら「文藝春秋」を呼んでいないので、佐野眞一さんのルポルタージュが妥当性を担保しているかどうかについてどうのこうのいうことが出来ないし、足立区の援助率を精確に捉えていないけれども、下町に住んでいる僕としては文化水準の格差というものは確実に存在する。

 バージェス(パークじゃねーよ、バージェスだよ。パークは師匠だろう。何年やっているんだよ。)の「同心円理論」なんかでは、中心商業地を中心に円心状に広がって行くとして、生活環境の悪い中心付近に労働者階級が暮らす地域があり、郊外に富裕層が暮らす住宅地が在ったりするけれども、東京にも似たようなものがある。

 よく知られているように、東京は東と西で文化水準が異なる。関東大震災以来の構造だと言われているけれども、西側には文人が集い、東側には労働者が集う。僕が肌で感じているのは、文化施設が異常に少ないということ。僕が住むこの区には碌な本屋がない。エロ本とマンガしかない。またほとんど映画館がない。てかつい最近までまったくなかった。昔、僕が住んでいたころには辛うじて旧作を上映する映画館があったが、帰って来たころにはそれすらなかった。

 確か大学もないし、美術館みたいなものもない。レンタルビデオやもろくなものがない。島根県の方が、この東京の都内の一区よりも十分な文化施設があったにもかかわらず。もちろん東京都内は容易に移動でき、そこには何でもそろっているから、必要ないといえばそれまでだけれども、それ以上にこの区自体の潜在的なニーズが低いということもあると思う。文化的なものを必要としていない。


 子供には映画も本も要らず、テレビゲームとテレビがあれば、それで幸せなんだろう。そして車を買って、彼氏・彼女を作って、お決まりの出来ちゃった結婚をティーンの内に済まして、就職。そしてこれまたお決まりの貧困の再生産。

 何度もいっているような気がするが、何も僕は10代の内の結婚や大学に進学しないという選択を否定する気は毛頭ないし、それは受容されるべきものだと考える。というか大学の先生に言われた受け売りであるのだけれども、そういうライフスタイルは否定されるべきではないが、問題なのはそのライフスタイルが主体的に選択されているのかということだ。選択によっては大学に進学し、省庁などに就職できるということだ。
 それが出来ない場合、前掲のライフスタイルは受容されるべきではないし、格差として認められるべきである。



 でも本当に三浦さんは凄いな。学者さんには軽い嫉妬交じりに批判されるほどに無理がある論なのに、マスコミさんを始め、政治家まで乗っちゃったぁ~よぉ。そして僕はこの区が大嫌いだ。とっとと出たいぜ、下町から。スガシカオも(この人は確か足立区だったかな)『黒いしみ』のなかで、「この町の向こうへ、自由へ」と自由がない町としている下町から抜け出たい。でも三浦さんが吉祥寺を褒めちぎっている所には抵抗を感じる。