NIRVANAの『Dumb』の一節に以下のような歌詞がある。
「The sun is gone,but I have a light.」
僕の拙い英語力で訳してみると、「太陽は無くなってしまった。でも僕には光がある。」、となる。
何か聞いたことがあるような感じがしたと思ったら、スガシカオの『黄金の月』に似てないだろうかと思う。以下のような歌詞。
「夜空に光る 黄金の月などなくても」
この歌詞の前に色々と在るのだけれども、この一節にこの歌の意図が集約されていると思う。この歌についてはごく個人的な問題意識かなぁと思っているけれども、無理からにポストモダンに当てはめてみる。
Kurtが「The sun」としたものとスガシカオが「黄金の月」と呼んだものは同じものじゃなかろうか。つまりそれはリオタールが言うところの「大きな物語」なのだ。「The sun」という、「黄金の月」という「大きな物語」が失われてしまったことを意味しているのである。そしてだからこそ、Kurtは「But I have a light」と続け、スガシカオは「~ても」と締めくくるのだ。
そうなのだ、2人ともに「大きな物語」が失われた後にそれぞれの「The sun」を、「黄金の月」を大塚英志が言うように「捏造」したのだ。Kurtは投げやりに、スガシカオは前向きに。
ポストモダン概念の導入として、これはどうだろうか。でもホントに『黄金の月』は『Dumb』に問題意識が似ている。てか歌詞も似ている。
「I`m not like them ,But I can pretend .」と「どんな人よりもうまく 自分のことを偽れる 力を持ってしまった」とか。