NOTEBOOK

なにも ほしがならなぁい なにも きたいしなぁい

2006年06月06日(火)

2006-06-06 | 授業


 ケーブルテレビをふと見たら、『ハチクロ』がやってたよ。見たくないんだけれども、見ちゃうんだよ。何が「ちょっぴり切ない。」だよ。全く持って切ないんだよ。本当に切ないんだよ。心臓をくすぐられながら、絞られている感じがしてくるんだよ。見てたら、身もだえしちゃうじゃないか、鳥肌立っちゃうじゃないか。

 この感じは『最彼』以来だよ。もう何度も見てるはずなんだけれども、一向に慣れない。ハグちゃんにキスしといて、素に戻ってしまう森田さんは最強だよ。マフラーぐちゃぐちゃって何だよ、反則だよ。

2006年6月6日(火)

2006-06-06 | 授業

 ゼミの子に会うが、最近この子が私服で居るのを見たことが無い。会えばいつもスーツ姿だ。ということは、どういうことか。毎日のように就活に明け暮れているということか。

 僕はどうか。明日は就活だ。
 

 昼間弁当食べてたら、留学生に学校内で勧誘に。聞けば、学内でゴスペルをやるから聞きに着てほしいとのこと。う~ん、何か、宗教の匂いが。またコンサートやるんで、着て欲しいとのことだったが、モルモンの宣教師の方と同じようなものを背後に感じたので丁重にお断りした。


 次の授業、発表の際、何だか我の強い子が。やっぱり聞けば、編入生。やっぱりどこかしら、他者との差異を持ちたがるような傾向がある。何だろうか。

2006年06月06日(火)

2006-06-06 | 授業


 NIRVANAの『Dumb』の一節に以下のような歌詞がある。


 「The sun is gone,but I have a light.」

 僕の拙い英語力で訳してみると、「太陽は無くなってしまった。でも僕には光がある。」、となる。
 何か聞いたことがあるような感じがしたと思ったら、スガシカオの『黄金の月』に似てないだろうかと思う。以下のような歌詞。

 「夜空に光る 黄金の月などなくても」

 この歌詞の前に色々と在るのだけれども、この一節にこの歌の意図が集約されていると思う。この歌についてはごく個人的な問題意識かなぁと思っているけれども、無理からにポストモダンに当てはめてみる。


 Kurtが「The sun」としたものとスガシカオが「黄金の月」と呼んだものは同じものじゃなかろうか。つまりそれはリオタールが言うところの「大きな物語」なのだ。「The sun」という、「黄金の月」という「大きな物語」が失われてしまったことを意味しているのである。そしてだからこそ、Kurtは「But I have a light」と続け、スガシカオは「~ても」と締めくくるのだ。
 そうなのだ、2人ともに「大きな物語」が失われた後にそれぞれの「The sun」を、「黄金の月」を大塚英志が言うように「捏造」したのだ。Kurtは投げやりに、スガシカオは前向きに。


 ポストモダン概念の導入として、これはどうだろうか。でもホントに『黄金の月』は『Dumb』に問題意識が似ている。てか歌詞も似ている。

 「I`m not like them ,But I can pretend .」と「どんな人よりもうまく 自分のことを偽れる 力を持ってしまった」とか。