NOTEBOOK

なにも ほしがならなぁい なにも きたいしなぁい

02007年011月028日(水)『京都迷宮案内』再放送始まる

2007-11-28 | 休み
以前一ヶ月くらい前にmixiの『京都迷宮案内』のコミュに
「『科捜研の女』の再放送が終わったら、再放送が始まる」
という書き込みがあったのにすっかり忘れていて今日。

せっかく休みだったのに2時過ぎまで布団から出なかったので
新聞も読んでいなかったので気付けず。5分過ぎに気付いて
何とか観るだけは出来た。見るだけは。でも録画できず。無念だ。

エピソードとしてはセカンドシーンくらいだと思われる良い具合の頃。
中身としても杉浦さんとオオボラさんが大東のキャップにはめられて
周囲から叩かれる話で、後に続くキーエピソードだった。ホント無念。

しかも問題が解決した後に、大東のキャップに切った杉浦さんの
啖呵が凄かった。「今度やったら、殺すぞっ!!」って凄い勢いで
怒鳴る。中高年も切れたら、殺すんだな。時々このドラマは分らん。

もう正直旧作のほうが何倍か面白い。新作が見られるというのは
嬉しいは、嬉しいのだけれど、『新・京都迷宮案内』は如何せん
全体に辛気臭くて、何よりシナリオが面白くない。サブキャラの魅力も。


ファーストシーズンからしっかり再放送してくれないかすら。
それかDVD。でも無理だろうなぁ、DVDは。

02007年011月027日(火)

2007-11-27 | 休み
【書評】『性教育の暴走』桜井裕子著 具体例で伝える闇の深さ(産経新聞) - goo ニュース


時代遅れの保守の典型のようなことをやっぱり山谷議員は仰る。
これこそ保守の悪い例の典型と言うべきか、アホ左翼より始末が悪い。
保守派は現実的であるというのは全くの幻想ででしかないのか、と
思わずには居られないほどに理想論を垂れ流すだけじゃん。

過激な性教育と言われるが、それは必要に迫られているからであって
決してヒッピーの方々のようなフリーセックスとかコミューンで
どうこうとかそういう話ではない。昔の左翼のそれではない。
そういう紋切り型の考え方でしか取れないところにこの人の底が判る。
 
高校生になっても性の基本的な知識が無い子供たちがどれほど居るのか。
そういう子供たちが遊び半分にセックスをする。性経験の低年齢化は
アホ左翼のアホ教師が過激な性教育を行っているからなのか。
違うだろうに。子供の無知とそれに付け込む大人が居るからだろうが。

そんなことは少しでも子供が行くような有名携帯サイトをちらと見てみれば
一目両全だろうに。子供たちが学校で”過激な”性教育を受けたから
セックスをするのか。そんなインタビュー調査を見たことも聴いたことも無い
ので正確かは判らないが、実感としてはそちらのほうが問題に思える。


少なくとも問題の原因は教育だけの問題ではないと思う。
一元的な要因によってもたらされた結果ではないだろう。


以前産経辺りがバッシングしていた知的障害児に対する性教育の時と
全く同じだ。「子供は子供であるべきだ」みたいな保守の何時もの
理想論を振りかざしたところで子供は子供で居続けない。生物学的に
大人ともちろん地続きだ。性に興味を持ち出すし、その興味を実行に移す。

そうした時に子供たちが、少なくとも現代日本の共通認識としての
山谷えり子氏も大変にお好きであろう道徳観において、道を誤らない
為の教育を与えることこそが大人の役割であるべきではないか。
其処から目を逸らす方こそ「子供の未来を奪う亡国の行為でもあろう」。

02007年011月020日(火)

2007-11-20 | 休み
今日はバイトが無く一日中寝ておこうと思ったけれど
ちょっと前にオークションで落札した商品代金の入金
に行かなくてはならないことを思い出して銀行に行って
帰りに、本屋によって『PLUTO』の新刊を買う。


巻末に村上智彦さんの解説が掲載されていたけれどいや、
本当にそうだと。浦沢直樹は描くテーマが一貫してるなと。
この第五巻の中で天馬博士が御茶ノ水博士に解く、完全な
ロボット(可能性が全てに開かれている)のくだりは、
『MONSTER』のフランツ・ボナパルタが車の中で
アンナに言った台詞に瓜二つだと驚いた。

「人間はね、何にでもなれるんだよ」というボナパルタの
この台詞は作中何度も断片的に繰り返されてきた。当初は
科学者の歪んだ願望と読み取るように描かれているのだけれど
だんだんとボナパルタがその言葉に含んだものが明らかに
なると、別のもっと明るい可能性として受け取られる。


ヨハンもプルートゥもアトムも同じなのだなぁと。
で、天馬とボナパルタとゲジと天馬博士も。

02007年011月018日(日)鉄の腹筋

2007-11-18 | 休み
先週から咳が止まらず、今日も全く止まらなかったので
いい加減腹筋がかなり頑丈になってきてしまったので
今日の飲み会は行くまいと思っていたけれども、どうにも
気が変わってしまって、行ってしまうことになる。


咳が止まらず、喉が痛いので、つくづく体調が悪く
酒なども全くと言うほどに飲む気にはなれなくて
素面のまま飲み会に参加するとどうなるのか。
僕の面白くない話がさらに輪をかけて面白くなくなる。

ポチャの死線の営業話や女劇団ひとりの職場一人コントとか
事務職の子の在中日本人への反感や一般職の子のパワハラ
セクハラ、介護ハラ話などなどを聞く。ただこちとら素面だので
どうにも頭にブルーハーツの何かの歌のの歌詞が浮かぶ。

「糞みたいな仕事でも仕事があるだけまし」みたいな感じの歌詞。
もちろんそんなことは口に出来るわけも無いけれども
こちとらからしたら、仕事があるだけいいじゃないかと思ってしまう。
こちとら自給800円ですよ。しかも履歴書に書けない仕事だ。


やくざみたいな客に殴られたって、ストーカーみたいな上司に怒られても
同僚がクソッタレだって、給料が20万くらいあってボーナスも
あって、しかも職務経歴書に記載できる仕事って良いじゃないか。
まぁ、僕が各々の立場だったら、1週間で逃げ出すけれども。


やっぱり酒を入れて、ふらふらしとかないと駄目だなぁ…

02007年011月015日(木)ハレロヤ

2007-11-15 | 休み
熱が平常より二℃ほど高く、洟は青い(”緑い”と書いて青いと読みたい)。
「ため息をつくと、その分だけ幸せが逃げる」と誰かに云ったけれど、
そう云っている本人がため息をついているけれど、深呼吸と割り切って
言い換えて、ため息のようなものをつく。息が出てくる。途切れず。


「萌え」って言葉があるけれど、あれはどうなのだろう。
伊集院さんが以前「恥丘」(読める人はエロい人)という単語は書き文字
ではあるが、声に出す言葉じゃないと云っていたのを思い出す。

エクリチュールとパロールとかそういうことじゃなくて、
いや、そうなのか?「萌え」がエクリチュールであったころは
表現しがたいものを含めることが出来て気がする。

それがテレビが取り上げたからか、オタクが動物、馬鹿になったのか
「萌え」って単語がパロールとして発せられた途端に非常に一元的な
意味合い、オタクが興奮した時に発する言葉になっちゃう。

僕の理解では「萌え」って感情の一種類であったように思う。
「萌え」が感情の一類型だとすれば、「萌えぇ~」とか云ってるのは
「俺は悲しいぞ」とか「怒っているぞ」と云ってる様なものじゃん。


それじゃ、意味不明だよ、社会人として。星飛雄馬くらいしか云わん。
駄目な脚本と同じくらい仕事放棄。パロールとして共有されると
途端に安っぽい、スノッブなものになっちゃう。本来もっと原初的で
個人的で、奥ゆかしいものであったと思うんだけれどなぁ…


パロールとエクリチュールが意味的に逆だけれど良いや。
主体が無いパロールと言うか、パロールがエクリチュール的と言うか
そもそもが「萌え」と言う単語はエクリチュールにしか存在しえない
言葉だったように思えるからで。良く分からん。


てか、20世紀のフランス人は個人しか見とらんもんね。
ネットなんてものはエクリチュールでありながらパロール的だし。
んでモノローグでもダイアローグでもなく基本マルチローグだし。