NOTEBOOK

なにも ほしがならなぁい なにも きたいしなぁい

ジョン・キューザック

2009-11-30 | 休み
たまに思ってもいない記憶が思ってもいないときに出てくるもので。先週、ジョン・キューザック、ケイト・ベッキンセイル主演の『セレンディピティ』という映画がテレビ放送してました。何の気なしに録画です、もちろん。


頭の中でWOWOWで『セレンディピティ』の予告をしていたような感覚がして、そしてそれは多分何かの勘違い、一方で大学時代のとある英クラの授業を思い出してました。大学一年の時、多分英クラが2つ?あってその内の一つの授業が大学英語の癖にかなり緩く、今考えるとオンラインコミュニティみたいなものでアカウントを作って自己紹介なりを書いていたような記憶が出てきます。

と、書きながらほんの少しずつ思い出してきて。その2つのうち1つのティーチャーがとても苦手だったこと。そしてそのティーチャーの自己紹介欄には好きな俳優と映画が記されていたことを思い出しました。それがジョン・キューザックと『セレンディピティ』。「ジョン・キューザックが好き。彼の映画では『セレンディピティ』が最高にお勧めさ!」みたいなことが書いてあったような…

頑固な耳垢みたいに脳みそのどこかにこびりついていて、その残骸が思わぬ時にゴソっとこぼれ落ちてきた、みたいな感覚。もはや大学1・2年の、特に授業に関する記憶がほぼ思い出せなくなってきているのに、こういうどうでもいいことから思い出されます。英クラも書いているうちに4つあったような気もしてきました。帰国の日本人1人にアメリカ人が2~3人いたような気も…


脳みそのしわが確実に伸ばされてつるんとしていそう。映画はおとぎ話的でふわっとしていて確かに良い映画でした。ぼくはどちらかと言うと、ジョン・キューザックよりもケイト・ベッキンセイルの吹き替えの安藤麻吹さんの芝居が珍しくかわいらしくてそっちに惹かれました。個人的にはジョン・キューザックは『真夜中のサバナ』かと、ティーチャー。

Air Communication

2009-11-27 | 休み
『東のエデン』(公式サイト)
9月に劇場公開された『東のエデン 総集編 Air Communication』が「ミッドナイトシアター」枠で放送されてました。何故これを劇場公開したのかと思わずにはいられないほど、テレビ版の総集編以下でも以上でもなくて。しかも登場人物によるオーディオコメンタリーのような状況説明が付加されているだけ…

今見返してみるとやっぱり少佐がモノローグで事件のあらましを語っても、そういう世界観だからとある種無理やり納得できて違和感が無いのだけれど、森美咲が電話での会話(コミュニケーションがほぼないのでモノローグみたい)で説明していると違和感。というかもっと科白以外で説明をしてよ!って思っちゃう。

「クラークの第3法則」というかSF設定が行き過ぎていて、もはやSFじゃなくなってるとか思い返すと思ってしまいます。そして主題歌はもはやOasisじゃないのか。「Falling Down」の「フォ」の字もかからなかったし。OasisはもはやぐちゃぐちゃになってLiamも別バンドになったからなのか。そういう契約か。


というか11月28日公開って明日じゃないですか。たぶん行かないなぁ。行かないんじゃないかなぁ。そして総集編には字幕が無かった!テレビ版にはちゃんと字幕があったのに!なんかショック!

犬と猫

2009-11-22 | 休み
犬を飼ったことがありません。AIBOなら初代が居たような気もしますが、ハムスターやインコがせいぜいでした。親戚の家には大きなゴールデンレトリバーが居て、大きい割りにその目がとてもかわいくて飼いたいなぁ、ウェルシュコーギーとかも漠然と思ってましたが無論飼わず仕舞いでした。


まぁ漠然と犬かわいい、くらいに考えていて、もし動物を飼うことがあるなら犬だろうなと考えてました。飼い主に従順な姿はその澄んだ瞳、濡れた鼻、かわいいベロ等々とあいまって非常に魅力的に映りました。こんなかわいい犬が家に帰るたびに尻尾を振って迎えてくれて、かわいい目でこっちを見つめてくるとか、冬はあったかそうだなぁとか思ってました。

ところがある日、言われた一言でこの漠然とした犬への好意が少し揺らぎました。「犬は確かにかわいいけど、私は嫌い。人間に媚びてる感じがした嫌だ。」そう言われた瞬間にハッとしました。こちらを見つめるかわいいまなこも、尻尾を振って寄ってくる様も、腹を露にする姿もどれもこれも人間に取り入るためのあざとい処世術に見えてきてしまいました。

続けざまに「それに比べて猫は良い。人の顔色伺ったりしないで自由だし。」と。犬を飼ったことが無ければ、猫も飼ったことがありません。どこまで犬が人の顔色を伺って、どこまで猫が自由奔放なのかイメージでしかわかりません。でもぼくのイメージの中では非常に合点がいきました。顔色を伺う奴と自由気ままに振舞って、気が乗れば遊んでくれる奴。どちらが魅力的か。


それからというもの、なんだか犬がスネ夫のような腰ぎんちゃくに見えてきてしまいました。人間というジャイアンに媚びへつらうスネ夫、みたいな。一方の猫は非常に孤高の存在で自分の快感原則にのみ従順な存在。何かアウトローチックです。動物行動学の見地からは全く別なのかもしれませんが、それ以来猫がかっこよく見えるようになりました。



飼うなら猫かなぁ。

田辺のツル

2009-11-19 | 休み
人に諭すようなしゃべり方をする人が居たり、時折状況によってそういうしゃべり方をする人がいるが大嫌いだ。時折ぼくもそういう風に何の権利か人に対して上から保護者目線で語りかけてしまうときがあって、そういう時は後からじゃなくて言ってる傍から凹んで嫌悪感に苛まれる。


今日も今日で家で石を潰していると、夕方頃チャイムが激しく鳴る。近所に住む祖母だった。いつもはテレビが壊れたとかおすそ分けだったりするのに、今日は顔色が違った。祖母と同居している叔母が昨晩から帰ってこないという。どこかで叔母が倒れてしまっているのではないか、祖母はそう心配をしていた。あまりに心配だったのか、傘も差さずに家に来ていた。

叔母が昨日から帰っていないとしたら、それは大変だ。家の周りで倒れているのではないのか、祖母は心配してぼくに確認するように言う。祖母に言われるがままに、家の周囲を探してみたけれど倒れた叔母は居なかった。祖母に促され祖母の家もくまなく見て回った。部屋で亡骸が転がってたら嫌だなぁ、と思いつつ探してけれど、幸い叔母の亡骸は無かった。

どうやら祖母は昼寝をして起きたときに、朝と晩を勘違いしてしまったらしい。昼寝から起きた際に、雨戸がしまっていなかったり、カーテンが閉まっていなかったのを見て勘違いしてしまったのだろう。話の矛盾は見ない振りをして、祖母の勘違いに話をあわせ、ぼくはぼくの一番嫌悪する上から目線の説き伏せるような話し方をついしてしまった。

今は朝の6時ではなく、夜の6時だと説明すると祖母は納得できないような表情をした後に頭がおかしくなってしまったのかと動揺を露にしていた。それはそうだ、ぼくの方もショックだし。でもポジティブに考えれば、20代のぼくにだって寝落ちしてしまったときには曜日や時間の感覚がなくなることがある。夜のニュースと朝のニュースを勘違いしたりして。90代も折り返した祖母ならさもありなん。

田辺のツル(「田辺のツル」・『絶対安全剃刀』―高野文子 1982年 白泉社)

軽くは無いショックを受けてしまった。祖母自身もショックだろうけど。一方で不謹慎とは思いながらも、高野文子の短編「田辺のツル」を思い出した。田辺家のツルおばあさんの心が子供の頃に戻ってしまった状況をその心の年齢のままに描写して、その心の幼児性をメタファーとしてというか直喩というか老人を幼児として描いたお話だった。画としては幼児だけれど、その他の家族にとってはおばあちゃん。

物事は受け止め方一つだと思うので、ショックを受けている祖母にぼくのショックを悟られないように、寝ぼけて勘違いしたんだと言ってみた。諭すように。なのでまた凹む。今度は少し冗談めかして、その勘違いを粗忽さとしておっちょこちょいなんだからと笑い飛ばそうとしてみた。結局叔母が帰ってくるまで祖母の家でぼくは待っていた。笑いに還元してしまうのは本当に良かったのか。また凹む。

テレビのドキュメンタリーや情報では知っていても、それを自分の祖母で垣間見るとやはり少しショックだった。お年寄りはその属性から来ると思われる失敗を笑われると傷付くと以前聴いたような気がして、それを思い出して凹む。でもそのときは咄嗟に祖母が自身の勘違いにショックを受けて、正体を失ったと思うよりは粗忽さだと思ったほうが良いのではないだろうかと思ったのだけれど。


帰ってきた叔母と母に、ぼくが家に居たことを感謝された。複雑だ。

普通の凄さ

2009-11-16 | 休み
ということで、日曜日はゼミの友達の結婚式に行ってきました。新郎・新婦とも同じゼミというなかなかどうしてレアな結婚式でした。そして何故か新郎側の受付役を。本当に謎。


数日前から寝つきが異常に悪くなってしまって、金曜日も土曜日もほとんど寝られませんでした。で、結局ガッツリと目の下には重いくまが出来ており、もはや憑かれた人のよう。寝不足だったので飲んだドリンク剤が逆効果で胃が荒れる、荒れる。続いて駅を数駅乗り過ごしたものの、余裕を持って出てきたから大丈夫!と余裕綽々だったのに…次の電車が30分後って何なんだよ、田舎のバスか、絶望武蔵野線…

もうテンパって仕方がない。天井知らずにテンパる。JR西船構内で東西線に乗り換えれば間に合う、いやいや拙速に過ぎれば結果的に遅れるかもしれないから30分待て!という人たちが心の中で対立。そんな間ににどんどん選択肢が狭まってゆき、結局30分待つはめに。あぁ。遅刻だぁと走って会場のホテルに入ると、ゼミの子達が居て、「何で走ってるの?」と呼び止められる。なんでだろ。

遅刻だ、遅刻だと一人テンパッて走ってたもんだから会場に着いても、汗が引かず、汗を拭く。何だろう、端からみてもテッパッテるのが丸分かりだったんだろうね。それを見かねてか、ゼミの友達には「○○(ぼくのこと)の結婚式じゃないんだよ、そんなに緊張しなくても…汗かいてるし」と。ぼくが普通の出席者だったら、くまが出来た疲れた顔で、テンパッて汗流してる受付の人は嫌だなぁ…

さぁ、披露宴だと思ったら、もはや自分の役目は終わったので楽しもうとか思ったら、胃が荒れてるのを忘れて、乾杯のシャンパンウメーと一気に飲んだが運の付き。一気に悪酔いして気持ち悪くなる…そこからさっぱりしたもの以外ほぼ食べられなくなってしまって色々と勿体無い。しかもスープをひっくり返すという体たらく。危うく隣の子の着物にスープがかかってしまうところで、いろいろもうなんだか。


ともかく結婚式は良い式でした。2人とも良い意味で普通というか、普通に幸せそうで、普通にご家族、友人、同僚たちが囲んで、普通の幸せを体現してました。普通に面白いコメントをして、普通にふざけて、普通に両親への手紙で泣かせる。周りの笑い声もすすり泣きに。ぼくも危うく泣きそうに。一見普通なんだけれど、この普通さを普通に出来てしまう凄さというか、普通も簡単じゃないんだと思えました。いや、2人とも立派でした。あの歳でこの規模のイベントやるって凄い。2次会出られなかったのは勿体無かったかな。