NOTEBOOK

なにも ほしがならなぁい なにも きたいしなぁい

ホーリー・モーターズ

2013-04-21 | 授業
『TOKYO!』の『メルド』しか観たことなかったけれど、レオス・カラックスの『ホーリー・モーターズ』に行ってきた。ユーロスペースの小さなほうの劇場だったとは言え、大作やってるシネコンよりも席が埋まっているという。


リトルランボーズ


レオス・カラックス自身は『HUGE』のインタビューやパンフレットでのインタビューでも、本作をSFと評している。これって、フランス映画や彼の作品の知識に乏しく、リテラシーや文脈を共有していないない人間の僻みかもしれないけれど、SFという言葉を都合の良い様に使っているだけじゃないかという懐疑の念が。最近のデヴィッド・リンチのように本人もよく意味を分かっていない映像の塊に見える。ちなみにレオス・カラックスが13年間もの間、長編を撮れなかったように、デヴィッド・リンチも映画を撮れず今や音楽家になっている。


とは言うものの、意味が分からなくても冒頭のモーションキャプチャーシーンをはじめとして映像の衝撃は素晴らしく、主演のドニ・ラヴァンの鋼のような肉体は驚きであると同時に、劇映画の振りはしているものの劇映画ではない(映像的な意味はともかくとして、物語に関しては監督自身も良く分かってない。)ためところどころ眠たくなってくるシーンも多いのだけれど。だからこそ、この映画を劇場で観る意味があるんじゃないのかとも思えてくる。これをみんなで観ること。

ちなみに本作のパンフレットに寄稿している中では、西嶋憲生さんという映像評論家(多摩美の教授?)の過去作品へのオマージュへの言及が面白かったです。これを頼りに過去作品を勉強してみよう!



これを観て、ちょっとでもピンときたら観にいったほうが。


とか思っていると、4月27日からイメージフォーラムで『TOKYO!』でも監督していたミシェル・ゴンドリーがまさかのドキュメンタリータッチの劇映画、『THE WE AND I』が公開になるじゃありませんか!シュールな映像美で注目されてきた、一方でこの人の作品は基本的には物語りもある。楽しみ!

シュガーラッシュ

2013-04-21 | 授業
リトルランボーズ


基本的な話の筋はとても面白かったのに(ラルフとヴァネロペ、2人のパートから成ってる物語。ラルフの部分は自分を受け入れるという普遍的な成長譚で、ヴァネロペは『白雪姫』と『シンデレラ』を足して2で割ったような伝統的なプリンセスストーリー)、引っかかる部分がちょっとあったのが気になって、気になって。


一番引っかかるのは主人公のラルフが他のゲームに行ってしまう動機の部分。ラルフが属するゲーム、『フィックス・イット・フェリックス』の30周年記念のパーティーに呼ばれず、半ば無理やり乱入する形になったラルフが自分もヒーローに成りたいというと脇役キャラから「ヒーローならメダルを持ってるはず。メダルを持って来い」と言われて、ラルフは別のゲームにメダルを取りに行く。そもそも何でヒーローである証がメダルなのか。確かに実際のゲームの主人公たちは意味も無くメダルを集める(ユーザーにメダルを集める動機が設定されているか。)。

しかもラルフがメダルを探しに行くゲームは『ヒーローズ・デューティー』(『HEROES DUTY』)というタイトルは『Call of Duty』で、中身は『Gears of War』と『Halo』を足して2で割ったような、そしてゲームの中の上官役の女性は日本のゲームの影響を受けたような巨大な瞳と巨大なおっぱいのセクシー系。ちなみにその敵の設定は『エイリアン』のまんま。つまるところ、現代の最新ゲームの流行を抑えたリアル路線のSFバイオレンスなシューティングゲーム。そんなゲームに昔ながらのゲームのアイテムであるメダルがゲームの目的としてすえられている。すんごい違和感。

映画内設定の脆さにも気になる点が。主人公たちの属するゲームの世界は家庭用ゲーム機の世界ではなく、ゲームセンターなどのアーケードゲームの世界。ゲームが不具合を起こすと、そのゲーム機は電源コンセントからプラグを抜かれてしまう。プラグを抜かれたゲームはその世界ごと消えてしまうとあるけれども、通常ゲームセンターは営業が終わったら、電源コードを抜くだろう。電気代が大変だし。作品内の危機の設定として必要だったことは創造できるんだけれど、いまいち納得しがたい。『トイストーリー』や『モンスターズインク』とかの設定と比べてしまうと、練りこみ不足な感じが否めない。

ゲームの裏柄のゲームのキャラクターたちの表現に関しても、疑問が。8ビット的表現のゲームである『フィックス・イット・フェリックス』の登場人物たちですら、同じゲームの中なのに。差がある。ラルフとフェリックスは基本的には動きの制限無く動くのに、他のキャラクターたちは表情のパターンが少なく、モーションパターンも少なく8ビット的な表現がつけられてる。一方でフェリックスが『ヒーローズデューティ』の女性上官に一目ぼれしたときに「君は今まで観た中で一番高精細な顔だ」と表現するが、少なくともぼくにはフェリックスも彼女も同じほどに高精細に見える。「たまふる」の中で宇多丸さんが触れていたけれど、当初はゲームの世界の中でも8ビットで製作の予定だったけれど、製作中に8ビットでは細かな表情がつけられないとの判断から現在の形に変更されたみたい。


ゲームの表現をそんなに真剣に考えてないのでは?とちょっと疑ってしまうのです。8ビットのキャラクターたちのキャラクターでは細か表現が出来ないのなら、最新のキャラクターたちとの間でコミュニケーションギャップが出来るとか、別の方向での話の膨らまし方が合ったのではと思ってしまいます。映画内のゲームの世界のルールがふわっとしている。その中のキャラクターたちの描き方のルールもふわふわしている。続編作るなら、もうちょっと何とかして欲しいなぁとゲーム好きのおっさんとしては思うところです。