NOTEBOOK

なにも ほしがならなぁい なにも きたいしなぁい

EVANGELION:2.22 YOU CAN (NOT) ADVANCE

2010-05-26 | 休み
『愛のむきだし』(公式)
ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破




死んだ母親の影に束縛され、母の教えに呪縛されキリスト教の聖母、マリアのような女性の登場まで性欲を禁じられてしまったユウ。母の死により父親は信仰に逃げ神父となるが、悪い女に引っかかり神父という立場にありながら肉欲に溺れてしまう。しかしほどなくその女に振られてしまう。このことが契機となって、父は自分の罪が許せず、かといって神父という立場上罪を告白することも出来ず、代償行為としてユウに罪の告白を執拗に求めはじめる。だがユウはキリスト教的な道徳教育の賜物で純真無垢で告白する罪が無い。そこでユウは父への贖罪を満たす為に父に、告白する罪を作るために自身は性欲を抱けない、比較的害の無い罪であると考え、パンチラ盗撮を開始する。

愛のむきだし
愛のむきだし
愛のむきだし

そんな時、ユウがたまたま女装して街を歩いていると、街で不良グループに取り囲まれている謎の美少女に遭遇。この美少女こそユウが長年待ち焦がれていたマリアであり、ユウは生まれて初めて勃起をもよおし一目惚れをしてしまう。一方で彼女も不幸な生い立ちだった。ユウが一目惚れした美少女、ヨーコも母親とは死別し実の父に性的虐待を受けかけていた。そんな時、気があった父の彼女を慕ってこの街に来たのだった。しかしこの偶然にも見える二人の出会いはある宗教団体の女、コイケ(そしてコイケもまた父親しか知らずその愛も受けられなかった)によって仕組まれたものだった。しかもヨーコが慕った女はユウの父を誑かした女であり、その後二人が復縁したことでユウとヨーコは図らずも兄妹になってしまう。



汎用ヒト型決戦兵器の起動実験中の事故により妻を失った父親は、妻を今一度甦らせることに固執し、妻を甦らせるために必要な汎用ヒト型決戦兵器とクローン人間を作ることに奔走する。妻を甦らせることに躍起になった父親にシンジは捨てられ、親戚の家に預けられてしまう。シンジが14歳になったある日、自分を捨てた父親から突然汎用ヒト型決戦兵器に乗り使徒と呼ばれるなぞの敵と戦うことを求められる。一時の苦悩の末、汎用ヒト型決戦兵器に乗ることを決意したシンジはそれ以降、自らの存在意義を見出せないまま父親に気に入られがたいがために汎用ヒト型決戦兵器に乗り使徒と戦っていく。

ヱヴァンゲリヲン:破
ヱヴァンゲリヲン:破
ヱヴァンゲリヲン:破

ヱヴァンゲリヲンを前にしたシンジ。シンジをヱヴァに乗らせたのは父親への思慕からだけではなかった。搭乗を拒否したシンジの元に担架で運ばれてくる美少女、レイ。大怪我を追いながらも父の命に従ってヱヴァに搭乗しようとするレイの姿に心を打たれたシンジは搭乗を決意したのだった。しかしこの出会いは偶然ではなく、シンジの父らに仕組まれたものだった。謎の美少女、レイの正体は人間ではなくシンジの母親を蘇らせるために使徒から造られた存在だった。しかもレイという名前はシンジがが女の子であれば付けられるはずのもう一つの名前だった。そしてシンジは父たちのシナリオ通り、レイとの交流を深めて行く。



ラストシーン。パトカーで警察に連行されるヨーコに追ってきたユウは自ら手を伸ばす。「ヨーコッ!」と強く言いつつ。そして終劇。
愛のむきだし
ラストシーン。使徒に取り込まれたレイにシンジは自ら手を伸ばす。「来いっ!」と強く言いつつ。そして終劇。



もちろん仔細はまったく異なるけど、ぼくにとっては『ヱヴァンゲリヲン:破』は『愛のむきだし』だ。ユウはシンジであり、ヨーコはレイでありアスカであり、コイケはそのネガである。パクリとかそういうことじゃなくて、本質的なところが同じなんだ。親に放棄されながらも、親や愛を欲している子供たち。彼らは無償の愛は得られなかったが、それでも自分の力で自分の愛を得ようとする物語。特に『破』はうるさ方には嫌われるかもしれないが、こんなにうれしい作品はそうはない。旧エヴァ・旧劇を観てきた人へのボーナスという側面は無くも無いが、だとしても旧エヴァ・旧劇とこの『破』をはじめ、新ヱヴァがともにネガ・ポジの関係であり、互いの存在を必然にしあっている。旧エヴァ・旧劇のネガがあったからこそ、新劇のポジが違和感無く受け止められる。

もう『破』のラストのこのシーンで新ヱヴァ終了で良いような気がしてきた。愛への希求が明確に示され、なおかつそれがポジティブに描かれている。それならばその先を見なくてもおのずとハッピーエンドと捉え得る。そして映像のクオリティ。最低限ブルーレイ再生機とHDTVは必須。可能なら24p対応の再生機、例えばPS3と24p対応のフルHDモニタ、DOLBY TRUE HD対応アンプとスピーカもしくはヘッドフォンがあると幸せになれる。部屋のテレビはハーフHDでしかないのに、BD版が如何に奇麗かが凄く良くわかるってのが凄いや。『Q』は一体どうなるのか。そして『破』のゲームは出るのか出ないのか。『愛のむきだし』のBDは出ないのか。

ヱヴァンゲリヲン×UT

2010-05-23 | 休み
ヱヴァンゲリヲン 新劇場版(UT)
ヱヴァンゲリヲン

正直、今回のUTはダサいと思うけど、宣伝広報には手段は選べないんだろうなぁとか思う。その昔、コスパのサキエルTシャツを着ていた奴の言う台詞ではないけれど。今週はついに『ヱヴァンゲリヲン 新劇場版:破』の発売日。アマゾンからも支払いメールがもう来てる。水曜日に来るのだろうかとか思いつつ、BDのCMがテレビでかかるたびにさぶイボが立つ。というか待ちきれないよ。あれが家で観られるだなんて。



プリズナーNo.6 第1話

2010-05-20 | 休み
よくよく考えたらAXNミステリーのホームページ上でリメイク版の『プリズナーNo.6』の第1話だけ期間限定で公開してた。あと数日待てば良いだけだったけど、せっかくなので恐ろしさ半分に観てみた。


『プリズナーNo.6』(AXNミステリー)
プリズナーNo.6


オリジナル版の『プリズナーNo.6』を現代風にアレンジしたらどうなるのか。まさしくこうなったということなんだろう。どこかの島だかなんだか曖昧だった”村”は砂漠の真ん中ということだけはしっかり分かる現実感。オリジナル版ではちょっと広めのローターリークラブ的な広さしかなかった”村”はリアリティを増し、それなりの大きさに。結構人は溢れ返り必然的にオリジナルには基本的に無かった車(オリジナルはゴルフカートだった)でも移動している。

プリズナーNo.6

車といっても最新の車ではなく趣のある60年代、70年代のオールドカー。どこか空気が乾いていて、皆麻の服とかを着ている。申し訳程度に東屋みたいな建物もあるが、それらのおかげでどうにも”村”がパナマやキューバなどの南米に見える。非常に洗練されてはいるが、かといって特段の統一感は無い。オリジナル版で”村”の多くが着ていた黒地に白のパイピングジャケットも冒頭でNo.93が着ていたのみ。No.2ことサー・イアン・マッケランは白の麻のスーツ姿。

プリズナーNo.6

美術セットや画作りはとても洗練されている。とってもお金がかかっている。でもそこには60年代的なSF意匠が入る隙が無い。ぼくが大好きな60年代ロストフューチャー的な美術の要素も無い。変な観測装置も近未来的なコードレスフォンも無い。そればかりかイコンとなるような”組織”としての”村”の統一感は皆無だ。おそろいのパイピングジャケットも自転車マークも無い。代わりにあるのは貧弱なマークとリアリティのみ。別に昔のままが良いとは言わないが、それに変わるものが皆無だ。

プリズナーNo.6


ステレオタイプな男前の主人公に耳に残らない音楽。洗練されてはいるが、それだけの意匠。オリジナル版とまるで正反対だ。そしてそれよりも何よりも気にかかるのが、このリメイク版の『プリズナーNo.6』には”答え”が用意されているのではないかということ。『LOST』的なことになってるんじゃないかと不安になる。オリジナルでもNo.6は”村”からの脱出を目的としていたが、ドラマの本質はNO.6と”村”や人々とのやり取りだった。でも今回はどうも”謎”に力点が強く置かれているように感じる。何より会話が詰まらない。とりあえず全6話観ようと思うが、オリジナル版『プリズナーNo.6』のHD版の方が楽しみになってきた。アメリカ製作だから駄目なのか。

イエスマン

2010-05-15 | 休み
ジム・キャリー大好きだけど、サマーことゾーイ・デシャネル目当てで。『BONES』のブレナン博士役のエミリー・デシャネルと確かに似ているんだけれど、ゾーイの方が透明感があると言うか、一言で言えば凄い可愛い!


『イエスマン “YES”は人生のパスワード』(オフィシャルサイト)
イエスマン


ゾーイことアリソンがむちゃくちゃ可愛いんですが。アドリブ旅行の時の赤のパイピングコートが凄く良く似合っている一方で、戸川純をお洒落にしたような前衛バンド、ミウヒハウゼン症候群(バンド名)の時のシュールな衣装もちゃんと似合ってるところが凄い。可愛い。トゥーン調の目玉がプリントされたポップなバイクのヘルメットもちゃんと着こなしてしまう。

しかも相手役はジム・キャリー。ジム・キャリーと言えばミシェル・ゴンドリー監督×チャーリー・カウフマン脚本の大傑作ラブロマンス、『エターナルサンシャイン』があるじゃないか!こんなに可愛いゾーイがジム・キャリーとロマンスモノ!期待せざるを得ない!と言うのはもちろん嘘でよくあるハリウッドビックバジェットお馬鹿で下品だけどそれなりに良い映画系。

ジム・キャリーモノで言えば『ライアーライアー』や『ブルースオールマイティ』とかの類型。何かしらの能力を手に入れて停滞気味だった生活が一変し全てが上手く良くけれど壁に打ち当たる。そして能力以外の”気づき”でその壁を乗り越えていくと言う類型。ハリウッドコメディに限らず物語にはつきものの典型的な起承転結の類型。「ドラえもん」でも良くある類型。

この『イエスマン』は全てを面倒くさいからNOと言って避けてきた主人公が、あるきっかけで全ての選択にYESとしか言えなくなることで人生が好転すると言う筋。個人的にも経験があるし、よくあるパターン。良くも悪くも定型でそれなりに面白いし、それなりに楽しめる。ジム・キャリーのオーバーな演技も面白い。おばあさんの下ネタは家族で見るにはエグいけど。


良くも悪くも普通。普通に面白いジム・キャリーの良くある映画。せっかくのジム・キャリーもゾーイも勿体無い気もする。ビッグバジェットハリウッドコメディなのでこれが正解なのは疑いないようもにない。ここはやはりゾーイの可愛さを再確認するのが一番なのかもしれない。