NOTEBOOK

なにも ほしがならなぁい なにも きたいしなぁい

02007年006月030日(土)動物化

2007-06-30 | 休み
一昨日の日経の夕刊で、作家の桐野夏生さんのインタビュー
が掲載されていて、興味深く拝読した。
その短いインタビュー中で特段に行数を割かれていた
現代社会、とりわけその情報社会に向けられた
桐野さんの言葉が目を引いた。


インタビュアーと桐野さんの
やり取りすべてが現代の状況の
説明として面白かった。


小説も、昔は例え入り口が個人であったとしても
その入り口から語られるものは世界に通じていた。
個人は世界や社会の反映であった。
それは個人が社会の倫理にくびきを打たれていたから
こその芸当だった云えるんだろう。

東浩紀が云うところの「動物化」やこのインタビューで
桐野さんが述べた、「一線を越える」ことこそが
その社会によるくびきを打ち切っている状態なんだろう。
倫理やそれ以外の大きな物語が個人と連続していない現在
大きな物語を書いたところで見向きもされないし
そもそも書かれることは何かの意図無しにはありえない。


東がオタク文化の変遷から帰納したものと
桐野さんが作家の視点から現代社会の変遷を演繹したものが
全く同じ考えに行き着いている。
「動物化」という情報社会の住民の原理説明は
的を射ているのかなぁと思えてきた。


ただインタビューの中であった
「電車の中で化粧をしている女性にとって
周りの人々は風景と同じ」というものはどこかで
読んだ気がした。そこだけ引っかかりを覚えた。

02007年006月029日(金)アレゴリー色々

2007-06-29 | 休み
誰かに巧いこと言おうと考えてたら
頭の回転が悪くて、云えなくて
そればかりか、自分の問題を考えちゃった。
んでもやっぱり頭がおよろしくないので
浮かんで出てきてのはアレゴリーの羅列
でしかない。




何が正しいかなんて分かんなくて、
「今ぁ~僕のぉ~居る場所がぁ~・・・」ってのは
桜井さんでもつい数年前形にしたわけで
近頃悟ったわけで、それは自己肯定の話。
受け入れるかどうかの問題でしかない。

まさやんが「根無し草のラプソディー」で
「未来はきっと選べるけど 明日はまだ選べないから」
って云うのも今思えば、自己肯定(現状)の先にこそ
望むべき将来があるって事なんじゃなかろうか。


そこで悩むことは至極当然なことで
その悩みって云うのは、当人にとって雑味なんじゃなくて
多分深みになる。なってくれると思う。


人間の味覚は自らの身を守るために苦味、酸味、辛味の
味覚を甘味、塩味以外にも身に付けたのに
大人の実際としては、それは身を守るための機能以上に
味覚に深みを与えてくれるものだと思う。


それはカレーなんかに現れていて
甘いだけのカレーや、塩味だけのカレーなんて
誰も食べたくない。いや例外も居るけど。
だからこそ色んなものをカレーに入れる。
苦いのや、酸っぱいのや、辛いのを。
けれどもそのまますぐには食べられない。
食べてもいいけど、多分あんまり旨くない。
煮立ててから、寝かせないとそれぞれがバラバラで
練れた味にはならなくてあまり美味しくない。


牛肉も落としてからすぐには食べられない。
落とした後に、数週間冷蔵庫で保存して
酵素にたんぱく質を分解してもらって
アミノ酸を作ってもらわないと美味しくなれない。



ただカレーも肉も寝かせるのは味を練ったり
たんぱく質を分解させるのに必要な工程ではあるけれど
置きすぎると幾らそれを冷蔵庫にしまっておいても
悪くなっちゃうし、終いには腐っちゃう。


マグロの漬けだって漬けてもせいぜい一時間。
漬けすぎると、味がしみすぎたり
マグロの身が固くなってしまう。
とか考えてたら、古酒は置けば置くほど
美味しくなったりするので、一概には
何が駄目だとか云えないとか思うけれど
やっぱり頃合いと云うものはあるわけで
古酒にしても、百年物になったらさぞかし美酒
になるだろうけれども、果たしてそれは
誰が飲めるのかと云われたら、それまで。


02007年006月028日(木)野球コンプレックス

2007-06-28 | 休み
『おお振り』が面白くて、面白くて。
女子の方々が面白がる要素も面白いけれども
三橋のメンタルの成長とか
チームメイトとの関係性が展開するところや
キャッチャーの役割なんかも面白い。


三橋君の自己肯定の出来なさっぷりが
もう・・・で、チームメイトの優しさが
それに輪をかけてて・・・
信頼とかそういうのが・・・



とか云いながら、『プレイボール』なんかも
しっかり見ていた。あれなんか『おお振り』よりも
何にも無くて、恋愛要素はおろか
女子の方々のすきそうな要素も一切無くて
ただ単に墨田区の坊主頭の高校生が
野球してるだけ。だのに面白く見れた。



もう、これは野球コンプレックスといっても
良いのではないかと思うほどの状況。
どうもそういうチームワーク的な作業に対する
憧れみたいなものだろうな。
憧憬の念が心の隅っこのほうにあるみたいだ。


02007年006月027日(水)クリア

2007-06-27 | 休み
ゲームは昔から好きだったけれど
決して上手ではなかった。
『スーパーマリオブラザーズ』にしても
自分でクリアしたことは無かった。


だからかどうか分からないけど
『マリオ』をクリアしたら何かが開ける
そんな気がしていた。
『マリオ』さえクリアすれば、物事が
良い方向に転がってゆくものだと思っていた。
結構どん詰まりな道を歩いてきたゆえの
選民思想のようなそんな物かもしんない。



けれども、そんな大そうなジンクスとは裏腹に
案外すんなりとクリアしてしまった。
あれほどまでにクリアが出来なかった
『マリオ』を、ワープを使ったとはいえ
クリアできてしまった。



大きくなると、大人になると往々にして
こういうことがある。あれほどまでに出来なかった
二重跳びも、先日やってみたらいとも簡単に
出来てしまった。それも20回連続で。

スポーツが得意な人にとっては
なんでもないことかもしれないけれど
その昔、わずか一回の二重跳びすら
ままならなかった人間にとっては
やっぱりそれは特別なことだ。

昔能わなかったことが、今は簡単に出来てしまう。
それって良いことなのか?
そもそもそういう次元の問題か?
少なくとも、身体的には
成長したって事で良いか。



で、結局何かが開けたかといえば
あいも変わらず普段のままの僕であり、環境で。
『マリオ』をクリアしたところで
何かが開けたわけじゃない。
それ以上に何かをなくしてしまったようで
少しだけ、ホントに少しだけだけど。

02007年006月026日(火)すべると云うか、残念な話を改善したい

2007-06-26 | 休み
僕の話は本当に面白くない。
ドンだけ、良いネタを持っていても
話の構成が下手糞なので
対話相手の興味を維持できずに
自ら自滅してしまう。

とっさに何か云いたくても
巧く云えない。言葉ばかりが長大で
その実あまり中身が無かったりする。


だので、先ごろ放送されていた
「人志松本のすべらない話」を見て
勉強を試みた。





松本さん:「母からの手紙」
    ①母親から分厚い封筒に入った手紙が届くが、中身は写真の束
               ↓
    ②その写真の束はユンボや工事現場の写真ばかり
               ↓
    ③「尼崎も変わります」との一文で結ばれる。


これが松本さんの話の趣旨だったと思うけれど
ここでの面白さのポイントは
母親から送られてきた写真が
当初意味を成していないという所。
何故ユンボなどの重機の写真が?と
思わせていたところに
「街が変わった」という事を伝えたかった
と云う意図ががあらわになるところに
落差があり、カタルシスがあり
笑いになるのだと思う。


ほっしゃん:「安売りの洗剤」
     ①近所の量販店のセールで、業務用サイズの無名メーカーの洗剤を買う
               ↓
     ②その洗剤を使って普段通り洗うが、全く汚れが落ちない
               ↓
     ③よくよく箱の説明を見ると、一回にカップ7杯の洗剤が必要と書いてあった


この話も先ほどの松本さんの話と
同じような構造に見える。
普段どおりの洗い方をしても
汚れが落ちないという謎掛けに対して
実は普通よりも沢山の量を使う
必要があったという謎解き、”落ち”によって
カタルシスが生まれて、笑いになる。
付け加えると、初めの”安売り”、”無名メーカー”
が伏線となっており
「沢山使わないと汚れが落ちない」ことに
もっともらしさを付加している。




ここまで見てきて分かったことは
人を笑わせるためには
落差が必要であるとということ。
話の初めから、「尼崎も変わってしまってなぁ」とか
「7杯も入れないと汚れが落ちない洗剤があって…」
と云ったところで、それを始めにばらしてしまえば
”落ち”、つまり落差は期待できない。
笑わせる話の構造の基本としては

①不可解な状況を提示
    ↓
②その不可解な状況の謎解き

鍵と鍵穴の関係と云うか
謎掛けと謎解きの両者によって
カタルシスが生み出され
笑いが生まれるように思える。
またこの構造はサスペンスのそれと
全く同様であるようだ。



ただやはりこの形は基本でしかない。
例えば、メッセンジャーの黒田さんの話は
まず先にある程度の落ちを提示してしまっている。


黒田さん:「オカンが難波高島屋で便器を壊した話」
    ①黒田さんのオカンが重度の便秘だったが、高島屋でもよおしてしまう
              ↓
    ②便の量が大量で、流すことが出来ず便器を壊して、オカンは逃げてしまう
              ↓
    ③オカンが出た直後に入った別のお客が「サンショウウオだぁ!!」と叫ぶ


黒田さんのこの話では
まず話のタイトルからして
”落ちている”上に
「うんこが流れなかった」でも”落ち”
「それを放ってオカンが逃げてしまう」でも
すでに”落ち”ているが
そのうんこが「サンショウウオ」であると
誤認されてしまったところでも”落ち”ている。

つまり二段、三段の”落ち”によって
3回ものカタルシスが用意されていることによって
面白さが強化されてゆく。
けれどもここで重要なのは”落ち”の強度。
「うんこが流れなかった」よりも
「それを放っていってしまう」のほうが
よりインパクトがあり
そして「それをサンショウウオと誤認される」
ことのほうがよりインパクトが大きい。

始めに、インパクトの強い話をしても良いが
必ずそれ以上にインパクトの強い話が無ければ
「ふ~ん」で終わってしまう可能性が高い。
重要なのは、話のインパクト、強度をよく考慮した上で
話を構成してゆくことだろう。

例えば、この黒田さんの話を

    ①オカンが出た直後に入った別のお客が「サンショウウオだぁ!!」と叫ぶ
              ↓
    ②便の量が大量で、流すことが出来ず便器を壊して、オカンは逃げてしまった
              ↓
    ③黒田さんのオカンが重度の便秘だったが、高島屋でもよおしてしまった

と、この様に再構成してみると
①と②のつながりこそ、一見面白そうな
感じもしないでもないが
③ではやはり尻つぼみの感が否めない。


まぁ、どういう構造で話を組み立ててゆくのかで
きっと強度の順番は異なるのだろうけれど
入れ子構造のような複雑な話を作ろうと
しない限りは、基本のこの強度の順に
話を組み立ててゆくことが定石なのだろう。





けれども、どんなに面白いネタや
それを生かす話の構造を用意したところで
「面白い話をする雰囲気」を構築できなければ
それは宝の持ち腐れでしかない。
今一番僕に必要なのは「面白い空気」を
醸し出すことだと思う。