NOTEBOOK

なにも ほしがならなぁい なにも きたいしなぁい

ハーモニー

2012-02-27 | 授業
<recollection>
ぼくが大学時代。まだweb1.0の時代。wikipediaなどなくて、知りたい情報は個人が個人的な趣味で作ったホームページしかありませんでした。でもwikipediaには無い変質と熱量がホームページにはありました。その中の一つに『メタルギアソリッド』について異様に詳しい解説を加えているものがありました。『メタルギアソリッド2 サンズオブリバティ』でのソリッド・スネークの変名、イロコイ・プリスキンの名前の由来を、イロコイ族の歴史を、アメリカの民主主義におけるイロコイ族のインパクトなどが詳細に記述されていました。
<recollection>


リトルランボーズ



<impression>
個人的に最近妄想している現代の新しい悪の類型というのは、限りない善意の行いの帰結がある側面からすると「悪」となるのではというものです。例えば全ての情報を整理するというGoogleの目標は情報の整理という点では確かに利便性は増すのでしょうか、一方でその目標というか欲望は個人をはじめとしたものの自由やプライベートという点では明らかにそれらを侵すものです。Googleストリートビューなどはその一例に過ぎません。

またフェイスブックは匿名を許さない実名を前提としたサービスです。実名だからこその利益は確かにあるでしょう。ただ自分の顔写真に名前、行動履歴までも私企業に利便性の名目の元に差し出すのです。SNSはもはやバーチャルではなく単純にリアルです。バーチャル空間であろうが、実名での発言は現実社会と同様のフィードがあり、ネットは既に現実となり始めています。それも自身の個人情報を赤裸々にすることを半強制されています。

3.11以降、被爆の脅威に曝された状況。昨今のソーシャルネットワークの、facebookに代表される実名での活動の進捗を鑑みると、『ハーモニー』で描かれる<大厄災>以後の社会と現在は執筆された当時よりもリアリティを持って立ち現れてきます。被曝による病も人間の社会的属性の可視化ももはや現実にその一端を見せ始めてきています。実名性のためにmixiよりもリアルと同様の制限がありますが、SNS会社などは皆が情報をオープンにすることで安全が担保されるのだとしています。

イギリスの悪名高い監視カメラ(権力側は防犯カメラという言葉を用いますが)は確かに私たちのプライバシーやプライベート(未来においては卑猥な言葉になろうと予期されているものが)が侵害されるとその導入には批判的な意見が多かったはずでしたが、現代においては市民自ら積極的に監視カメラの導入が要請され、実際にはそのカメラによる抑止や犯罪発生後の捜査段階においてその存在が大きなものと成ってきています。それは日本においても同様です。


『幼年期の終わり』や『2001年 宇宙の旅』にはじまり『新世紀エヴァンゲリオン』も善意の人類滅亡を描いていましたが、『ハーモニー』もその類型。前者海外SFが地球外生命体による人類の進化でしたが、後者は人類自身による原始への退化と言う点での違いはあり、『ハーモニー』は後者の類型です。本作における善意は「意識を持っているから人は自ら死を選ぶ。だから意識を無くそう。」と人間の持つ意識を無くし、本当の意味で人間をシステムの歯車にしようというものでした。それは優しさの極北とでも言うべき終末です。


もはや絶対的な「悪」という存在が人類を根絶やしにするというストーリーは現代では中々成立しづらくなっているのではないかとも思えます。ただし現実世界に目をやれば、Googleなど善意の「悪」が存在する一方でアメリカのサブプライムローンに代表するように持つものによる不誠実な犯罪もあれば、本作中でも間接的に描かれていましたが各地の宗教的、民族的な問題に起因する紛争などはいまだ存在しています。それどころか酷くなっている部分もありますが。

ただ疑問に思ったのは『ハーモニー』における人類の意識を奪う「ハーモニー・プログラム」によって全人類の「わたし」が消滅したとしていること。「ハーモニー・プログラム」を発動できる人類はWatchmeを導入している人類に限られこの世界設定では紛争・貧困地域などではWatchmeを導入していない人類もいるとされていました。ということは、意識を失った人類は非Watchmeな人たちの奴隷になるのでは、ミァハたちと同じ運命になるのではとかは想像してしまうです。

『新世紀エヴァンゲリオン』の綾波レイをはじめて見た時の感覚を上手く言い表せなかったのですが、ミァハという登場人物に綾波と同様のものを感じました。無機質な存在だった綾波が周囲との交流を通じて人間的な「意思」を獲得していくのとは対照的に、人類の「動物性」にさらされたことで「意識」を獲得したミァハは、裕福な社会の中で満たされているはずなのに次々と自殺する人々に絶望し彼らを救うため自殺を引き起こす自意識を消し去ろうとし、消し去ったミァハの傲慢な優しさはどこか綾波と重なります。


ただ著者自身も述べていたように、キャラクターの描写は些か類型的な気はしました。(ただキャラクターたちの状況の描き方自体はとても精巧で緻密。設定と同様に理詰めで描いていく部分に関しては非常な説得力を持って描写されていました。それよりも解説でも触れられていた通り、作者である伊藤計劃の素晴らしさは突飛な想像力ではなく現代の問題を未来へと繋げていく力とSF的な状況から現代的な問題意識を描き出す帰納的な状況設定にあると思います。そしてSFに似つかわしくないほど膨大な過去からの引用。