ミッフィー問題は一応ここまで!という結論になりました!
「幻冬舎Rのミッフィー問題をどうすんべか?④(通算No50)7月1日アップ」のコメント投稿欄へのミッフィーちゃんの投稿を読んでいくと、その発言趣旨がかなり変わってきたことに気づいた方々も多いんじゃないかと思う。
しかし、憑き物が落ちた。。。 (ミッフィー(下ユル子))
2011-07-14 05:43:33
『(略)そんで、ヤクザ風です。トラブル処理係りとして、幻冬舎上層部はわざわざああいう、「コワモテ」のチンピラみたいな人を役員にしているのでしょうか。
しかし、憑き物が落ちましたワタクシ・・・。自分の本を丸ごとパブーに晒したら、本当に気持ちが晴れ晴れと軽くなり、ますます「描きたい」という前向きな気持ちが戻りました。』
なでしこジャパン (ミッフィー(下ユル子))
2011-07-20 14:06:10
『(略)まぁ、現在も感情的に、やつらを怒っているのか??
といわれると、執念深さNO1と占い本に書かれてしまう、さそり座B型のわりには、
「別にぃ~☆」という感じで、実はすでに感情的には消化されているんでやんすが、(略)
でも、こだまんを見てて思った。幻冬○って結局、単なる「中小企業」なんだなって。経営者って大変ですねぇ。。。
こだまんの中にある意味、「資金繰りにあくせくする町工場のオヤジ」の 姿を見てしまって、また一つ大人になったユル子がいるっスよ。。。
いいよこだまん。。。ユル子の247万円で、社員の年金払ってあげんしゃい☆ウムウム♪』
ミッフィーちゃんの心の中はかなり安定的、穏やかな心持ちになってきたという印象である。
幻冬舎Rから自著を刊行したミッフィーちゃんは、「クンちゃんよろず相談室」のクライアント1号だったので、幻冬舎Rのことなんぞ何も知らないクンちゃんであったが、せめて支払ったお金を取り戻せないか、と考えた。怒りやもろもろの感情が渦巻き、堤を越えてあふれ出している彼女の心には、とてもじゃないがクンちゃんの手など届きようもないからだった。
そこで、契約日や契約に至るプロセスによっては、すでに出版契約内容がすべて履行されていても、支払い金の全額を返還請求できるというウソのようなホントの話をミッフィーちゃんに適用できないかと目論んだのである。
ところが、彼女の契約はウマい話の要件に、そっくりそのままあてはまるというわけにはいかないことが判明した。
とはいえ、だからといっておカネを取り戻すことが百パーセント不可能かというと、そうでもないよ、というあたりでクンちゃんの諸事情により足踏みしていた。
そんな中で、上記のミッフィーちゃんのコメントがあらわれた。
そこで、コメント欄ではなく、非公開のメッセージ欄で少しやりとりを続けてきたが、昨30日のやりとりであらためて確認した結果、ミッフーちゃんの件はここらへんで一応落着ということにする、という合意をみた。(幻冬舎Rの面々には頬のユル子じゃなくて、頬のゆるむ事態であろうが、今後、絶対に蒸し返さないというミッフィーちゃんの意思表示があったわけではない。この点、念のため明確に付記しておきたい。)
うーん、それがいいかもねえ!
ミッフィーちゃんとクンちゃんのやりとりは非公開が前提で進められてきたが、クンちゃんの独断で差し障りがないと思われる部分をちょっとだけ公開してしまおう。後悔するかもしれんが。
ク ン 「だいぶ怒ってるように見受けたが、そもそもミッフィーちゃんの怒りが向かっていた標的は?」
ミッフ 『私が怒り狂っていた大きなポイントは、ルネのおかげで、前回のアメーバブログを閉鎖せざるを得なかったところです。(略)
編集内容や、取られたおカネを怒っていたのではありません。ブログ潰しを怒っていたのです。』
ク ン 「今後については、なんか抱負のようなもんはあるんだべか?」
ミッフ 『私はいつか、「自費出版フォーラム」を開きたいと願っています。
自費出版を考えている人たちに、私のような経験者が実態を教えてあげて、参考にしてもらう。 そんなイベントを開きたいのです。(略)
出版社がリードする自費出版ではなく、著者がリードする自費出版を考えたいのです。』
うーむ、「自費出版フォーラム」ってのは、このクンちゃんブログでぽしゃったママの渡邊勝利氏顚末記事の主人公渡邊氏が生前おやりになっていた活動母体の名前であるという記憶があるので、「自由出版フォーラム」とかいうような名前がいいかもしれんわな。
というようなわけで、この「幻冬舎Rのミッフィー問題をどうすんべか」は、おしまい。
ただし、ミッフィーちゃんは今までどおり、今後もコンゴやウガンダ、クンちゃんブログの周辺を頻繁に徘徊するとのことである。
この項おわり
またまたこういうのが出ちゃうんだけど、全部シャットアウトしなきゃだめだんべか?
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この記事にもありますように、自費出版や、出版に関した集いを開催したい、というのは、実は昔からのわしの願いなのだす。。。そのために1回、自費出版を経験したかったという側面もありまして、わしは実は、半分本気、半分冗談で自分の自費出版にチャレンジしてました。
だから、
「まぁ、ギャグにしては上出来じゃろう。。。幻ルネをイジり倒して247万円分笑おうかと思ったのに、それすらもブログを潰されてさせてもらえないんだったら、マジで違うスイッチ入るぞコンニャロウ。。。☆」
という感じで、そこら辺が、感情的なゆとりだったかも知れません。247万円は痛いけど、おかげで人にこの体験を伝道できる。
自費出版の(出版社とは無関係な)相談役になってあげられる。
そういう風に今後、役立てられるのなら、無駄なカネだったとは思わにゃーす。。。
わしは元々、女性雑誌のライターでもありました。
周囲のライターたちはみんな本を出したがるし、占い師もやってたのでいろんな人の夢や、欲望もイヤというほど聞きました。
そういうことをするうちに、わしは、
「本」
というのが、どうしようもない見栄と欲望のカタマリに見えてしまって、なんとなく怒りも沈潜していったのです。
「本」
を出すのがそんなにエライことなのか??
「編集者」
に認められない作品(人)は、それじゃあ価値がまったくないとでも言うのか??
と。。。新人賞とかも意味がわからんのです。。。賞を取った小説だって、最後まで読めないのはたーーーくさんあるし、小学生の素直な作文のほうがよっぽどマシなときもあります。
しかし、占いライター時代に、
「作家になりたい」
「タレントになりたい」
「起業したい」
というよーなことばかりのたまいやがるわりには、うじうじしてるだけで、泥にまみれたり罵られたりする勇気のないクソガキビリーバーどもをたーーーくさん見て来ましてですね。。。
そのクソガキビリーバーが憧れる
「出版」
というものを、一度わが身で体験してみたかったんです。
クンちゃんとも話しましたが、自費出版は、幻冬舎ルネッサンスや文芸社だけを責めればいいというものではありません。
作家志望の人の
「見栄っ張りな心」
そのものに光を当てていかない限り、根本的な改善にはならないのです。
そして、著者の立場で、自費業者を指導監督し、自費出版した著者同志で組合を立ち上げてですね。。。
「別に商業出版だけがエラいわけじゃない。書きたい人はみんな作家なのだ」
という意識で、新しい表現活動を模索し、逆に業界をリードしてやるくらいの気概が、自費出版著者さんたちには必要なのではないかと。。。
「自費出版をしたい心」
そのものが、不純なのではありません。自分の等身大にふさわしい発表の仕方を考えたり、売り方や読まれ方を相談したりする機関が無いからこそ、多くの著者さんが泣きを見るハメになるのです。。。
なので、ぜひみなさん。
組合を作りたいですし、居酒屋でも喫茶店でも会議室でもいいですから、一度
「自費出版経験者、または、これからやってみたい人たちシンポジウム」
を、開催しようではござらぬかぁぁぁ~☆
クンちゃん、松田さんにも開催に当たり、アドバイスを扇ぎたいと思います。
ぜひぜひ皆さん。ご意見を賜りたく存じます。
よろしくお願いいたします。
ミッフィーこと酒井日香 拝
またちょっと出かけ来ますので、留守中、例によってここで論議しといてちょうだい。
ぽしゃったままの渡辺氏顛末も期待してます。カネマンダーの昼食調査も入って大忙しのクンちゃん人、暑さに負けずぐわんばってくださいませ。
それとクンちゃん犬、ベランダとの行き来が楽になったようでよかったね。ベランダは蚊が多いから気をつけてね。長毛種はあんまり刺されないのかな。スムースダックスだと、蚊にさされたあとがぷくんと膨れちゃいます。
ブログ記事の下に勝手についてしまう広告は、googleが記事に関連する広告を自動的につけてしまう仕組みになっているのです。ですので、自費出版に関する記事を書くと、自動的に自費出版社の「あなたの原稿募集中」なんてのがついてしまいます。
私も文芸社の批判記事を書いているのに、その下に文芸社の広告がくっついている、という珍妙な事態になったことが何度もあります。これが嫌であれば、有料の広告の出ないブログ契約にするしかないでしょう。無料ブログは広告で成り立っているので、「まあ、しゃあないか」と私は無視しています。
「自費出版フォーラム」という名称は自費出版社側の方が主催するのか、著者側の方の主催なのか分かりにくいので、「自費出版著者フォーラム」みたいな名称のほうがいいのではないでしょうか。あとは主催者のやる気と実際に関心のある方がどのくらいいるか、ということにかかってくるのではないでしょうか。どうやって広報するのか、という問題もありますね。わきあいあいと数人で、ということならブログを利用した広報でもいいかもしれません。
「作家志望の人の『見栄っ張りな心』」という側面も確かにあります。悪質な出版社はそれを上手く利用して著者を舞い上がらせてしまうのですから。大金をかけて出版してみたものの思うように売れず、それがきっかけでトラブルになってしまう方が多いようですが、販売でトラブルになる方の多くは「自分の本は絶対に売れる」という強い自信があるんですね。でも、現実はそんなに甘くありません(もちろん自費出版にも優れた作品、売れる作品はありますが)。
私の経験からも「自分の本は絶対に売れるはずだ」と思っていてトラブルとなる著者の方は、出版社との交渉もたいていうまくいきません。自分のことしか見えていないのです。
今は自費出版本が書店流通されるのが当たり前のようになってしまったのですが、私はそもそもそのことから考え直していかなければならないと思います。つまり、自費出版本をどこまで流通させるべきか、ということです。私も文芸社とのトラブルを経験し(私の書いたものではなく、父の遺稿集ですが)、自費出版会社の方からもアドバイスをいただき販売しないで私家版として出しましたが、私家版にすると決めた段階で「販売したい」という気持ちが憑き物が落ちるようになくなりました。そして、制作部数も自分で配布できる200部にしましたがそれで正解でした。
もちろん販売するのがいけないというわけではないのですが、リスクが大変大きいのです。著者の方には「何のために出版するのか」、ということをもう一度原点に戻って冷静に考えてほしいと思います。
著者を騙して美味しい汁を吸おうと言う出版社が悪いのは言うまでもありませんが、著者が自分中心の願望からどれだけ抜け出て物事を捉えられるか、ということもとても大事な要素です。どうしても作家を目指したいという方は、まずはネットで無料公開して反応を見るというくらいでいいのではないかと思います。そこで人気が出たら、出版社の方から商業出版の声がかかることもあるかも知れません。「きっこ」さんのブログとか「ちきりん」さんのブログなども本になりましたね。
また、自費出版で失敗された方も、それをひとつの社会勉強として前向きに捉え、今後に活かして欲しいと思います。
商業出版と自費出版の大きな違いの一つは、「商業出版は読者ニーズにあわせたもの」「自費出版は自分が書きたいことを書くもの」というあたりにあるのではないかと思います。
逆に言うと、商業出版の場合、編集者その他の意見が反映されて、自分ひとりではできなかったようないいものができることもありますが、それと同じくらい、商業主義に流されて「本当に書くべきだったこと」が書けなくなることもあるでしょう。
自費出版の場合ですと、どうしてもひとりよがりになってしまいがちなのですが、「しがらみのせいで書けなかった本当のこと」を書けることもあるでしょう。
だから、商業出版と自費出版は、めざすものが違うのではないかと思っています。
トラブルを生じがちなのは、やはり、文芸作品の場合でしょう。この場合は、すでに指摘されているとおり、著者の側が契約前に冷静になる必要があると思います。
私も自費出版は実書店に流通させるべきではないと思います。実書店で流通する本は、言ってみれば「商業主義に沿った読者ニーズにあう作品」のわけです。身銭を切って出版するのだというプライドにかけても、地道に販路を広げていくというのが自費出版の原点ではないでしょうか。
でもクンちゃんは有料じゃありません?だと少し方法が違うかもしれないけど、出なくなります!
たまたま、家族に生死の問題が出て、慌てちゃったと言うのが本音です。病気の家族が出たことで、実は私自身いつどうなってしまうか判らない。これは順番ではない。だからなんの基礎知識もないまま「早く」できる方法として選んだだけです。
だから2度はない。
自費出版て1回したら次もしたいと思う人は少ないんじゃないですか。いるのかもしれないけど、金銭的に余裕があるということだし、だったら住んでる金銭感覚の世界が、もう違います。
自費出版っていうのは、私にとっては終わったこと。過去でしかない。でも問題が起きたなら、きちんと後片付けだけしたい。間違ったことが先方にあるなら、それは訴えたい。それだけね。
そのやり方が結構、強引でうるさいらしいですね。自分で自覚がないですけど。気が短いですかね。
私が受けた躾ですが、全部自己責任、だから判らないこと、行き詰ったことを助言はしていただくことはある。
でも自己責任ですから、最後は自分でやります。
自費だと自分が好きなことが書けるでしょう。
商業であれば、相手が望むことを書くことになるでしょう。
だから商業出版になるなら(って自費出版の時からこう直したらどうかという「提案」があって書きたいことを書きたいままにとは違いました)書きたいことは書けなくなる。でも書きたいことを書けるようになるには売れるしかない。
目指すのはそこ。
それ以外なしです。
警察と戦う、弁護士会と戦う、消費者センターと戦う(あれ、戦ってばっかりいますね)
ちょっとずれるけど、消費者センターは都心のものになるほど、はっきり言わないけど「失礼だけど」から始まって結局あなたがうかつだっただけじゃない?という対応が多かった。それかよ?と驚いたわけです。
まだすべてが終了したわけではないですが、全ては過去となったので、なるたけ前を向いて生きたい、それだけになりました。
いつ、誰から、自信過剰と言われようとね。欲が深いと言われようとね。
いいです。受け入れます。
でなければ、何かを成し遂げることはできないと思います。
ブレずにいきたいと思います。
せっかくいろいろな所と戦わせていただいて、世の中の仕組みも判りましたし、それだけ戦えば強くもなります。
最後はとてもありがたい組織だったということになってしまいました。
皮肉なものです。でもその皮肉がどういう将来を育てるか…。
ファーラムに関係なくなりました。
私が私に言い聞かせる宣言になってしまいました。
そうですね。私も自分で小説出版してみた今、フクちゃんさんと松田師匠がおっしゃる通り、自主制作本は書店流通させるべきではない、というご意見に賛成です。
しかし、やってみるまではそこのところが、ハッキリとはわからなくて、
「別に面白ければ関係ない」
と思わなくもない部分がありましたが、戦い終わって振り返ると、本当にそうなんです。
自主制作本には、書店さんは要らない。
ただ、私の心情としては、
「必要ない」
とキッパリ言い切ってしまうほど強いニュアンスではなくて、
「だいたいは必要ないが、かといって望みが無いわけでもない」
というのが、現在の正直な印象ですね。。。
それは
「アマゾン」
です。
私家版として作っても、それでもやっぱり見ず知らずの人に読んで欲しい。親戚やリアル友達ばかりじゃなくて、会ったこともない人に一人でも読んでもらいたい。
そう考えるのが、本を作る人の人情としてどうしてもあります。
だから、「アマゾン」にのみ、置かせてもらえる私家版を作るのが、なかなかいい形なのではないかと私は感じますです。
そして、自分で名刺交換会に出向き、名刺を配るついでに自著を配ったり、ブログにアマゾンのリンクを貼って、ブログ読者さんをアマゾンに誘導する。
私の本の場合は、ほとんどそうやって400冊~500冊をさばきました。
そう考えると、やはり
「マイドリーム」
がふんだんに詰まった小説・詩集などは、ますます書籍じゃなくていいと思います。
私の今回の本は小説でしたが、それは元々占い小説で、占いライターの私が使う本でしたから、自分のアピール分野と食い違う本ではなかったのです。
書籍を作りたいなら、ご自分の専門分野や、キャラクター、今後の活動の方向性と一致するものを作り、名刺がわりに使うというのが、一番ベストです。
そして、そういう「名刺本」も、バカにできないのです。それがご縁で仕事が来ることもありますし、気に入ってもらってファンが出来れば、次回作を作ったときにまた興味を持ってもらえます。
幻ルネや文芸社その他が行う
「書店流通オプション」
が、一番酷いのは、本来の自主制作本の頒布方法である
「名刺代わりに使う」
ということにおいて、あまりにも著者のためを思わないサービス内容になっているから腹が立つんですよね。。。
なにせ、自主制作させた本を、また本人に仕入れさせる仕組みなんですから。
私が出版相談をさせていただくことになった暁には、著者の皆さんに
「印刷屋さんで作ってもらう本物の自費出版」
をぜひ、お勧めしたいと思います。
そういう本でも、著者さんご自身の活動分野さえはっきりしているのならば、あなどれない強力なビジネスツールになります。
また、フクちゃんさんがおっしゃるような、
・・・・・・・・・・・・・
商業出版と自費出版の大きな違いの一つは、「商業出版は読者ニーズにあわせたもの」「自費出版は自分が書きたいことを書くもの」というあたりにあるのではないかと思います。
逆に言うと、商業出版の場合、編集者その他の意見が反映されて、自分ひとりではできなかったようないいものができることもありますが、それと同じくらい、商業主義に流されて「本当に書くべきだったこと」が書けなくなることもあるでしょう。
自費出版の場合ですと、どうしてもひとりよがりになってしまいがちなのですが、「しがらみのせいで書けなかった本当のこと」を書けることもあるでしょう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
というご指摘も、本当にその通りです。
だから、私のアイディアとしまして、
「プレ編集者」
として、組合が機能したらいいのになと感じます。
もちろん、著者さんからはページ数に応じて、手数料は頂くのですが(1ページ数十円~数百円程度)、その代わり懇切丁寧に読み込んであげて、感想も素直に言ってあげて、何回でも好きなだけ推敲していただき、本当に出版に踏み切る前にゆっくり考えてもらえる時間作りをするのです。
いただいたおカネは、読んでくれた組合員さんに手数料としてお支払いし、残りは組合の運営費に宛てる。
最初に読んでくれた組合員の意見が気に入らなければ、もう1回とか2回は、別の読み手の意見も聞けるとかですね。。。
そうすることで、自分の実力も見えるだろうし、原稿を書くほうも充分に推敲作業を堪能できて、もっともっと楽しい本作りができるようになるのでは。。。
そして
「プレ編集者」
として組合を活用してもらったら、印刷屋さんで手作りの本にするもよし、良心的な出版社に頼むのもよし、思わずいい作品になったら新人賞に応募するもよし。
そんな活動がやれたらなぁと、今、熱烈に考えております。
そんで、著者さんの希望が文芸社や幻ルネだったとしても、そこまで時間をかけて作った原稿、イメージなのだったら、それはそれで満足の行く出版になれるのではないでしょうか。
私のこの計画はオカシイっスかね。。。
そんなことを、真剣に考えておりやんす☆
「書きたいことを書けるようになるには売れるしかない。」
という固定観念こそが、
「成功しにくい人の共通思考」
なんです。
成功は、気付いたら後ろにあるものなんです。最初から成功を目指すからこそ、洋々さんのようなタイプの人が真っ先にルネの餌食になるのでは。。。
成功したいと思って作品を描く人のものって、実のところ本当にツマんないんですよ。。。
書くのが本当に好きなら、ネットでいい。小説発表サイトでボロカス言われて、酷評されるのが一番です。
それでもなお描きたいとおもったときこそ、本物の芸術家だと私は思います。
今の洋々さんは、ご自分でご自分のことを、
「自分は今、すでに作家である」
と、迷うことなく信じられますか??
「文は人なり」
と申します。一度のんびり考えてみられては。。。
私は自分が信じられる人の意見は聞いています。
1か所だけを取り上げて反論をするのはやめてもらえませんか。
全体を見て言っていただけませんか。
あなたが私をどう思うと勝手です。
私はあなたがしようとしてることに反対はしてません。
違う話になってごめんなさいと言うことも書いてます。
いろいろなことを今までやってきております。ネットに小説を出すことなどもね。売り込みに行くこともね。
私は気恥ずかしいの「書き手」としか自分のことを言いませんが、人が認めた時に作家とでもなんとでも呼んでいただければと思っています。
成功したいと思わないで成功できることも難しいと思いますけどね。
成功したいから、がむしゃらに走って気がつけば成功と言うことになっている、という方が正解だと思いますよ。
それもどうとっていただいても構いません。1個の考え方しかないわけではありませんから。
お二人のトラブルに関しては、なんとか批判封じをしたい幻冬舎ルネッサンスのとった手法があまりにも非常識で強引だということが最も問題だと思います。また、著者をないがしろにする対応は、著者の怒りを買いますしこじれて当然なのです。これについては、是非幻冬舎ルネッサンスに反省してもらい、誠実な対応を心掛けてほしいと思います。
私のブログのコメントに、幻冬舎ルネッサンスの編集者と思われる方から以下のコメントがありました。
*****
なに甘っちょろいこと言ってんの?
自費出版の会社に逆らったら、徹底的に攻撃されるのは当たり前よ。
悔しいんなら、文芸社の社長の素行調査でもしてここで公表すればいいでしょう。
うちに関するいい加減な記事を書かないでください。いちいち、著者・・・獲物を攻撃するのがめんどうくさいの。
*****
このコメントを書かれた中山さんという方が本当に幻冬舎ルネッサンスの編集者の方かどうかは確認できませんが、少なくとも著者を「獲物」だなどと平然とのたまい、「逆らったら徹底的に攻撃されるのが当たり前」などと言ってのける社員がいるのなら、全面的に出版社に非があると私は思います。
きっとぼくであれば、もし洋洋さんやミッフィーさんのような扱いを受ければ、怒りで我を忘れ取り乱していることでしょう。
こうした場合、自己責任、とうい言葉でかたずけてしまうしまう人もいるでしょうが、たいていの問題がそうであるように、結局多かれ少なかれどちらにも非があるのかもしれません。
ぼくも以前、100万ほど騙し取られ、長い間怒りと後悔でやりきれない日々を過ごしたことがあります。
初めは相手のことを一方的に非難していましたが、冷静になるとやはりぼくにも多少の非、というか無知と勉強不足が原因だと自認できるようになりました。
上記の洋洋さんとミッフィーさんのやりとりも拝見しました。
ぼくには、成功にかんするどちらの方の見解も正しいと思えます。
実際、ぼくの知り合い、友人で寝ても覚めても成功のことばかり考え、うまくいった人もいます(何を成功というかそれはもちろんそれぞれの人の定義によりますが、、、)
また、成功を念頭におかず、何かの対象に、人のために何かをやりその結果として上手くいった人も知ってます。
ですから、どちらの方のいいぶんも正しい、とぼくは考えています。
もし松田さんがご指摘なさったことが本当であれば、それは本当に許されないことではないでしょうか。
著者を客ならぬ「獲物」扱いし、私腹を肥やそうとする。
それは人の心を忘れた家畜以下の人間がいう言葉である、そんな風に感じます。
しかし、こうした問題は大枠で見れば、貨幣を中心に回らざるをえない資本主義の弊害の一つのような気がします。
やはり、営利活動をするには十分な利益をあげなければならない、そうなると、いかに利益をあげるか。そこで、正直な人もいる一方、あくどい輩も少なからずいる。表面上は上手いこといって、裏では人を騙したり私腹を肥やすことばかり画策する。そのため嘘や偽装商品が蔓延する。
かなり単純化された図式ですが、様々な経済活動の問題の一面のように思えます。
出版社は資本主義社会の一端にすぎないので、松田さんがご指摘なさったようなことは他の営利活動を行う組織にもあてはまり、一部あくどい人間の心理を巧妙に言い表しているのではないでしょうか。
マルクスが100年以上前に
このまま資本主義が進めば、さらに人間は他人を金、利益の道具とみなし人間同士が乖離してゆく
また、持つこと(金、所有物)に気を取られ、あること(Being)からますます乖離する
といったようなことを指摘していました。
まさにマルクスの予言は的中し、客を「獲物」などと呼ぶ輩が生まれてしまった。
悲しいことです。
ですが、こうしたシステムが根本的に変わらない限りは、善人は増えても、このような心根の腐った人間はいなくならないのでしょう。まあ、見方を変えれば、彼らも知らぬ間にこのシステムの中で必死であえぐ猿にすぎないのかもしれませんが、、、、、、・
赤ん坊のころから完全な悪人はいないでしょうから、彼らもどこかで負の遺産が心に溜まりネガティブな思考方法になってしまったのかもしれません???
「ああ、可哀想だな、なんとかしてあげたいな」
と思ってきた。だから、マブダチの文芸評論家に、ひっそりと洋々さんの著書も献本したんだよあたい。。。
あんたの本、なんだかんだで3冊買って、その筋の人に渡したりしたんだじょ。。。道が拓けたらいいね!と思ってさ。。。
ただ、著書とブログを読んでいていてもわからないんだよ。。。
「この人は、結果が欲しくて小説を書いているのか?それとも、どうしても他人に伝えたい切実なことがあるからこそ、書いているのか?」
ということが。。。
そりゃあ誰にだって、成功が欲しい、褒められたい、地位と名声が欲しいという気持ちはある。
かくいうわしにだってたっぷりある。
しかし、洋々さんの今までのブログを拝読していると、どうも、
「たくさん書けること」=「いいこと」
と考えているのかな?という印象を受ける。
確かにそれは一理あるのだが、かといってそれをやっちゃうと、
「全部が雑」
な作品になっちゃうのは、村上龍も村上春樹も認めるところだったりするのだ。。。
赤川次郎なんか初期の頃は面白かったけど、生活費のためにじゃかすか書くようになってからは、マジで中身ヒドイじゃん。。。^^;;
洋々さんは一度、
「修行のためにあえて1週間とか、半月とか、ブログもネットカキコもやめて、充電する」
という
「訓練」
が必要ではないかと思う。
余計なことかもだが、自分も小説描くから作家さんの状態くらいはわかるんだよ。。。
洋々さんにもっとも今必要なのは
「充電」
だとな。。。
あんた、作家になりたいんでしょ?^^
つか先生を超えるんでしょ?^^
それは目標として、一番師匠への恩返しになることだし、夢はでっかく持つのは悪いことじゃない。
ただ、洋々さんはあきらかに
「書き散らかしすぎて悪循環」
に陥っていると思う。生活自体から改めないと、書き手として本当にダメになっちゃうよ。
ね??
本当に心配して言ってるんだよ。。。(泣)
小説とか、戯曲とかもそうなのかも知らんが、大事に大事に胸に温め続けてきた作品と、
「書かなきゃ、書かなきゃ」
と思って書いたことは、明らかに格段にテンポが違う。説得力が違う。
読者にも、そういうのって伝わるんだとわしは思う。
だから、一度ここらで充電して欲しい。
「まやかし嬢」
は正直、よくわからん整理されてない小説の感じがしたよ。。
推敲が充分になされていなかったというか。
ずっとなんでだろ?って思ってて、洋々さんのブログを読んでて答えがわかった。
「劇作家コースの課題のせいだ」
と。。。^^;;
劇作家コースのを年2本書きながら、そのうえで家庭のことがあり、さらに出版でしょ??^^::
師匠。。。
そりゃあ雑になりますわー。。(^o^;)
シェイクスピアみたいに舞台袖でじゃかすか書かなきゃいけないのが、劇作家さんなんでしょうけども、2、3年そんな生活したら、1年やそこらは充電期間をおかないと、天才・シェイクスピアだってしまいにはションベンも出なくなっちまうよ。。。
前回のあの作品は、わしは、マジで中やまんばが悪いと思った。
わしが編集者だったらあの原稿は、もっと時間をかけてゆっくり書いてもらうと思う。
なんせ、本人の推敲が充分でない。光る部分はたくさんあったし、センスのない人ではないのだけど、
「推敲をちゃんとしない著者のために、せっかくの光る部分を自分でブチ壊している」
という感じはすごくした。。。
だから、わしが編集者だったら、本人に
「あと30回、最初から最後まで自分の原稿読んでみろ」
と、アドバイスしたと思う。んで、それがやれて始めて、編集作業に入ると思う。
あの本は、わしが編集してあげたかった。。。
もう一度、描きなおして欲しい。もったいない。まひるはあんなに魅力的なキャラクターだったのに。。。
クンちゃんも
「投稿するまえに一度、熟考して!」
と言ってた通り、洋々さんに決定的な悪い癖は、
「推敲を充分にしない」
ところだと思う。
それが出来れば、作家としてまた道が開けると思う。わしも協力する。どうか一度、そこら辺を見直してみて欲しい気がする。
大作家になって、いつかサインしてくんろー。。。
応援してるよん☆
ともかく自分で私家版を作るとか、もしくは電子書籍販売フォームを利用して無料自費出版とかを、わしは経験者として作家志望の皆さんに推奨したいわけですけども。
でも、みんな
「それでもやっぱり、自分の作品がドラマ化されたい、映画化されたい」
という夢があるでしょう。
野球少年がメジャーに憧れるのが当然なように、歌手が紅白を目指すのと同じように、小説なんか描いちゃう人の野望は最終的には
「映像化」
だと思います。
だからこそ、
「自費出版でも映画化、ドラマ化してますよ~、ウチはスゴイでしょ~??」
というエサを撒く幻冬舎ルネッサンスや、文芸社に希望を託してみたくなるのだと思います。
が。
が、ですよみなさん。
いっそそんなもの、自分で作っちゃえば??って、思いません??
わしは、正直、自費出版だからどっしょーもない作品、と決め付けるのは違うと思うし、商業出版の小説だからスゴイ!と決め付けるのもオカシイと思ってます。
自費出版作品でも面白かったのはまぁまぁあるし。
逆に商業出版でも殴りたくなるよーなヒドいのはいっぱいあるし。
正直、幻冬舎のエラい人でもあるこだまんと、こっそり会ったとき、こだまんはわしにハッキリ言いました。
「酒井さんあのね。実のところプロ作家も自費出版作家の作品も大差ないんだよ。どっちが優劣などは無いんだよ」
と言ってた。
商業出版社のシャチョウさんが、そうおっしゃったわけです。
わしも非常に同感である。
そして、そういう発言を出版社シャチョウがオフレコとはいえ、弁護士事務所の会議室で、おなにぃ自費出版作家であるわし一人のために、語ってくれたのはスゴいことだと思った。
多くの作家志望にぜひ、聞かせたいコメントだった。
だから、新人賞など意味がわからんし、自分の作品が賞を取ったり脚光を浴びないことを変にコンプレックスにしちゃって、自分で自分にくだらないレッテルを貼る
「作家志望」
の連中が、わしはナマスとコンビーフ並みに大嫌いである!(ナマスとコンビーフだけは喰えん)
なので、もう、出版社などいいじゃないか。
賞なんか取らんでええじゃないか。
どっちみち水嶋ヒロじゃなきゃ取れんのだ。。。新人賞などな。。。フッ。。。(シャア風笑い)
だったら、書き手自らが団結して、新しい文芸運動を起こせばいいじゃん。
違うのか?? みんな。。。☆
わしが言ってることはオカシイか??
んで、今はユーチューブもユースト配信もあるんじゃけん、そないに映像化させたいんなら、自分たちで作ればよかろうが。。。
ルネッサンストラブルの件で、たくさん、たくさん、
「私もルネッサンスにヤラれました」
という人からメールを頂きましたが。
みんな、やれ裁判だの、訴えるだの、カネ返せだの、社会正義だのわめくだけの人がほとんどだった。
「自分たちで新しい文芸運動、表現運動を!」
と、発想の転換をする人はいない。
わしは、みんなで力をあわせて、自由に楽しく活動をしていけば、きっと新しい風を起こせると信じてる。
そもそも、自分の作品を自分の力で本にして、自分の力で頒布するのは、表現の本来のあり方だ。
商業主義一色の、商業出版のほうがむしろいびつなのだと私は思います☆
そんな面白いことをさぁ、みんなで考えたほうが、取られたおカネも意味があると思わぬか皆の衆。。。
いつまでも小市民サラリーマン編集者に怒り続けていたって、それで作家になれるのかい??
ちょっと、どうやったらみんなで団結できるのか、本気で方法論を考えてみたいと思うっス。
みなさんも、またなんか気付いたら、ぜひお知恵をお貸しください。
「作家でごはん」「文学フリマ」「詩のボクシング」はじめ、そういう活動の場はたくさんたくさんたくさんありますよ。市町村主催の市民文学サークルや同好会、文壇だってたくさん。参加してみてはいかがですか?
というか、なぜそういう場所があることを知らないのか、そっちのほうが不思議……。よっぽど他人の表現活動に興味無かっ……いえ何でも。
本日もまたちょっと質問させてください。今日は文芸社さんの講評について。
共同出版系の出版社の好評はアルバイトさんや下請けプロダクションさんがやっているともっぱらの噂ですが、クンちゃんさまは講評書きの実態をご存知ですか?もしご存知でしたらぜひ実態を明かす記事を起こしてほしいです。部署が違うから分からないという場合は、ご存知の部分だけで構いません。
作品を応募する人たちは、新聞広告などの「プロがもれなく感想をお送りします!」という文言を見て、「プロというのはプロの現役小説家に違いない」と期待するわけですが、果たしてここでいう「プロ」というのはどういう人々なのか。実態をみなさん知りたがってると思います。
また、講評はなぜか「速達」で届くことが多いようですが、これはどういう意図があるのか。やはり著者の気持ちを高揚させる意図で速達にしているのか。そのへんも教えていただけると嬉しいです。(コメ返願います)
僕も数年前に文芸社に原稿を送り、↑の方達が書いておられる様な「プロが審査した」みたいな返事が来ました。
++++++++
「採算性の確保という点に鑑み、当社全額出資の刊行については見送られました。」「全国刊行の意義がある」「埋もれさせておくのは勿体ない」
という美辞麗句でこちらを舞い上がれようとしてたんでしょうか?
「弊社編集スタッフの意見と○○様のご意見をすりあわせながら細部を整えた上で、全国流通型の出版を実現してみては如何でしょうか?」
「従前の商業出版や自費出版には見られない仕組みを導入した弊社独自の新たな出版システムをご提案します。」
+++++++ ++++++
こういう返事が届き、「なんだつまりカネの要求か。」
となりました。
クンちゃんさんがご存知の範囲で構いません。
このような審査とやらは、一人の応募者につき何人でやっているんですか?
お教えください。
僕には、「50人で審査した!」とか言ってきましたよw
マジで!?
じゃあなんでその選考者の名前全員出せないんだよ。と言いたいです。
では長くなりますので失礼します。
2011-07-31 12:08:03
このコメントで元書店勤務プラス自費出版しちゃった人である「フクちゃん」は「自費モノは本屋に置くな」と言っている。これは相当に正鵠を射ている。
原稿を書くような人間一般が、如何に自分の本が普通の本屋さんに並ぶことを渇望しているかは、このブログをお読みの方には相当こころあたりがあるものと思う。
この、或る意味、まったく正当かつまったく不遜としか思えない欲望に目を付けたのは誰か。先行する新風舎のくそったれ詩人ではない。
彼は、自前の「熱風書房」なる本屋まがいのショップになら、「どんな本でも」並べるということで、あのような巨大な幻を創出した。
しかし、そこにとどまっている限りでは、そうたいした問題にはならなかった。自転車操業に陥りさえしなければね。
一方、そこに文芸社の小でぶコンビがあらわれて、全国あっちゃこっちゃの300書店に「どんな本でも」並べることを実現してしまった。これは、幻冬舎Rの大玉なんかが実現不可能とかほざいていると洋々さんほかが述べているが、300を少々オーバーする書店に実際に配本されているのは間違いない。もっとも、それが現実に棚ざしであるか、面陳であるか、平積みであるか、は別として陳列されていることをリアルタイムで知ることはできない。文芸社を上回る立派な書店がいて、配本されてきた包みをそのまま返送するお方もいるらしいのである。
しかし、「とてもじゃないが、ホントは本とは言えないような本」が一般書店のなんか訳のわからない片隅だろうと、とにもかくにも並ぶんだ、という現実は、「作家候補生」「潜在的作家」の面々に相当のインパクトを与えたと思われる。
フクちゃんの言う「自費出版本は書店に並べんじゃねえよ!」という考えに、胸を衝かれたクンちゃんでありました。急いで校閲抜きのまま送信して誤植多謝のクンちゃんより
他の方々の「求コメ」には、あしたというかきょう7日遅くに投稿します。もう寝るんで。
だが、出版社と名のつく所が書店に置くというのならまだわかるのだが、最近では三○堂やあと一か所あったと思うが、大手の書店が自費出版を手がけている。この前家の近所の三○堂に説明会の貼り紙があったから間違いない。
出版社がやるどころか、大手書店が全国チェーンの店舗に置くとうたっている。
出版社にだけ甘い汁を吸わせる必要はないと思ったのだろうか。
作家志望の人にとって魅力的な話だろう。
しかし裏はどうなっているのか。なんだか呆れて説明会に行く気もなかったので裏はわからないが、いつから本は人の夢の食い物の道具になり下がったのだろうと思うと残念だ。
私家版の本は書店に並べるな!というクンちゃん、フクちゃんさんのご意見に、実際に
「書店流通オプションつき自費出版」
を体験した私も、同意見です。自費出版本は、書店に並べるべきではないと、わが身を持って思い知りました。
というよりも、「商業出版」とか「自費出版」という風に言葉を明確に分けることで、余計にわかりにくくなってしまうのですが、「商業出版」であろうと「自費出版」だろうと、本というシロモノは最後には、
「ぜんぶ私家版と同じになる運命である」
ということです。
私の友人で、かつて重大凶悪事件を起こし、現在は宗教団体の役員をしている人がいるのですが、その人は超有名大手出版社から鳴り物入りで商業出版しています。
初版5000部を刷り、全国書店に置かれましたが、その人は本を売ることに興味がなくて、自分でPR活動などは行いませんでした。
結果、大量の返品が来て、担当編集者から
「なぜ、自分の教団の信者に売らないんだ。あんたんとこの信者が買ってくれると思ったから、5000部も刷ってやったんだ」
というようなことを言われ、唖然としたそうです。
結果、その人は自分の友人・知人に泣いて頼み込み、残り本の処分に奔走しました。自分で先に1000冊を買い取って(それだけで数百万円)、それから、本を売り歩き、精神的にも金銭的にも破滅状態へ追いやられました。
商業出版だからといって、出版社がすべての本に力を入れているわけではなくて、やはり本を売るのはあくまでも、
「著者本人」
になるわけです。こうなってしまうともはや、私家版の本を友人・知人に売るのと、何ら変わりません。私たち自費出版著者を、商業出版で相手にしてもらえない下手くそ、のようにおっしゃる方々もときたまいらっしゃいますが、実のところ
「本の販売」
に関しては、自費も商業もそんなに変わらないのです。私がリサーチした結果では。
だから、書店さんと出版社はまったく別次元の業種であります。
出版社は、どこまでいってもやっぱり、「著者が持ってるお客」に売る意図で本を作っています。
書店はあくまでも、そんな「無数に出版された本の海」の中から、自分たちが売りたいと思う商品を集めるだけ。
野菜に例えれば、出版社は単なる
「生産者」
で、本屋さんは八百屋さんと同じ、
「小売業」
なんですね。。。
ここに
「取次ぎ」
という問屋が介入することで、本来ならばまったく別々の概念の商売をしている
「出版社」
と
「書店」
との線引きが、曖昧になってしまったのではないか。私はそう考えています。
いずれにせよ、新刊の鮮度はだいたい
「3ヶ月」
といわれていて、約3ヶ月程度しか、取次ぎが書店に配本してくれません。
それを過ぎるとすべて出版社に戻ってきて、あとはよほど、著者さんが凶悪事件の犯人になるとか、いきなりテレビで取り上げられるとか、全米デビューしてオスカーを取るとかしない限りは、再び取り次ぎにまとめて搬入されることは無くなり、出版社の倉庫でじっと、注文が入るのを待ち続けることになるのです。
「私家版」
と、
「書店流通版」
の違いは単に、本の在庫を置く場所が出版社倉庫なのか、自宅の物置なのかの違いだけで、やはり本というのはどこまで行っても、
「自力で売る」
のがベースなんだと学習しました。
ちなみに、私は大昔、トーハンで、全国の書店に送りつける本の仕分け作業をしていたことがあります。
どの書店にどの本を送りつけるのかは、あの作業の感覚だと恐らく、かなりランダムで、ベルトコンベアーに流れている雑多な本をテキトウに、各書店の名前が入ったカゴに入れて、箱詰めし、配送トラックに載せるのですね。。。
そんなわけで、本屋と出版は別物だと感じます。
やはり著者になるのなら、自力で販路を考える必要があります。
それを、
「編集者に気に入られればドラマ化してもらえる」
とか、
「もしかして私の本だけは、宣伝広告費をかけてもらえるかも知れない」
と、期待させるところが、問題点なのかなと感じます。
私の場合、商業出版では校了と同時にすべての作業が手をはなれました。出版社からは発行部数と印税率、振込完了のお知らせがあっただけです。ただし、初版二万部近くを刷るものの場合は、書評にあがったら知らせてほしい、書評に出たものは少し長く置いてもらうように書店にプッシュできるから、というメールはありました。増刷のさいにも、部数を知らせる事務的な連絡があっただけです。
編集部と営業部は必ずしも意見が一致するわけではなく、たとえば営業サイドは本のタイトルなどにもこだわっていました。タイトルによって、どの書棚に置いてもらえるかが微妙に異なってくるそうです。本の内容にこだわる編集者とは、意見が一致しなかったこともあったみたいですね。
本のジャンルによって事情はかなり異なってくると思います。私がかかわってきたのは、かなり硬い内容のものばかりでした。文芸書やビジネス書の場合は、著者本人の営業努力が関係してくるかもしれません。そのあたりは経験がないのでわかりません。
専門書の場合は初版部数が少なく、某社などでは初版五百などというのもあるようです。また、初版千程度の場合は、あらかじめ◯◯部を著者が買い取る、というものもありました。ただしその場合でも、著者負担は数十万円以内でおさまると思いますので、高額自費出版とは比較できないのではないかと。少なくとも販売に関しては、すべて出版社が手掛けてくれたようです。
なお、自費出版をどうしても流通させたい、という場合、つまり、趣味の本などで同好の士に届けたいというときなど、お互いの個人情報を守るためにもアマゾンを利用するのがいいかもしれません。
本の流通には、原則としてISBNとJANコードが必要ですが、手間ひまと若干の費用をいとわなければ、個人でも取得できたはずです。また、最近はアマゾンに特化したサービスもあり、印刷所で製本してもらったものを預けると、所定の手数料を払ってアマゾンに流してもらうこともできます。趣味関係などの自費出版の場合は、いわゆるロングテール現象がからんでくると思いますので、アマゾン利用などで道が開けるかもしれませんね。
2011-07-31 11:34:07
ずれて広告について (ちぃたん)
2011-07-31 12:43:34
なんでまあ、こんなんがー、という吊り下がり広告というのか、そういうのが出るのは、やはり「出ないように設定」すれば良いそうで、検討します。ありがとうございました。クンちゃんより
なんでまあ、こんなんがーと書いたら、カネマンダー・シゲシゲを連想しましたが、こっちは続報はまだなんですね?
2011-08-04 22:21:07
unknown (ミルミル坊や)
2011-08-06 06:58:24
『文芸社さんの講評について。
ご存知の部分だけで構いません。』
「大変素晴らしい作風です。是非(著者がカネを出す格好で)出版しませう」などと書かれた原稿の読後評を主体とする出版勧誘文書(この会社では「所見(しょけん)」と呼ぶ)がらみは、おっしゃるとおり、その部分を別途アップしませう。所見は「原稿審査課」というスタッフ20人ばかりの部署が作成します。
ここはもともと契約担当部署に属していた時期もあり、契約担当者の意向に沿って、契約担当者の名前で、所見を作成します。それを手にした著者は契約担当者が自分の著作をちゃんと読み込んで連絡してきてくれたと誤解して感激したりするようです。
原稿審査課は、まったくの裏方的業務を黙々とこなす部門で、実務部隊に正規従業員は数えるほどです。
『「プロというのはプロの現役小説家に違いない」』
そう思うのがあたりまえかどうか、クンちゃんには判断できません。現役小説家が、たとえ喰えないにしてもそのような仕事をするものかどうかは世間的常識に照らすとどんなもんでしょうか。
実際には、そのようなプロ作家はいません。この会社がどういう趣旨でおっしゃるような表現を用いているのかも知りません。なんとなく、それらしいという程度の話ではないかな?
クンちゃんも、「プロの神業的手洗いで、あなたの車もバッチリ!」というキャッチにひかれて洗ってもらったら、どっかのアホに駐車中にぶつけられたフェンダーを自分で取り繕っておいた所がすっかりはがれていて、機械で洗ったことが判明したことがあります。
プロとは、その仕事で収入を得ている、という程度の水準にとどまることが多いのもクンちゃんの生活実感ではあります。
『「速達」で届くことが多い』
これはわかりませんね。実際に1日でも急いで契約したいという意味なのか、どうか。前によく書き込んでくれた契約部署退職者の方! 回答をお願いします。
『審査とやらは、一人の応募者につき何人でやっているんですか?僕には、「50人で審査した!」とか言ってきましたよw』
言うに事欠いて50人とはね。それを口にしたやつもあとで大笑いしたんじゃないでしょうか。
で、フルコースの場合で原稿に触るのは5人ですかな?
①到着原稿を仕分け等する人
②原稿を実際に読んでコメントを書く社外の人
③②をもとに「所見」を仕上げる原稿審査課のスタッフ
④リライトが必要か否か、必要だとすればどの程度の手の入れ方、値段にするか決定する編集審査スタッフ。ここはかいつまんで内容を把握するので、種々問題を含んでいると判断する場合は、クンちゃんとこに持ってくる。
⑤クンちゃん。現在は後継がどうなっているか知らない。
以上です。クンちゃんより(何度数えても、50人はおらへんわな!という結論でした。)
2011-07-31 17:49:16
『私のブログのコメントに、幻冬舎ルネッサンスの編集者と思われる方から以下のコメントがありました。
なに甘っちょろいこと言ってんの?
自費出版の会社に逆らったら、徹底的に攻撃されるのは当たり前よ。
悔しいんなら、文芸社の社長の素行調査でもしてここで公表すればいいでしょう。
うちに関するいい加減な記事を書かないでください。いちいち、著者・・・獲物を攻撃するのがめんどうくさいの。』
以下、クンちゃんコメント。
信じられまっせん!ほんまに!
これがホントなら洋々さんやミッフィーちゃんらの攻撃にさらされてもやむを得ないわな!
しかし、クンちゃんは、その編集者女子をこの際、追い落としてしまおう、そういった上層部や他人の策謀ではないかと疑い、さっそく鬼蜘蛛ブログのコメント投稿を物色しました。
そしたら、とんでもない、もっと大変なものを発見してしまったのです。
鬼蜘蛛ブログの当該ページのアドレスを載せたら、発信できないという表示になるので、鬼蜘蛛ブログの最新コメントをご参照ください。(いま、地震あり)
要約すると、どなたか震災で被災した方が寄せてきた体験記について、文芸社には「絶対売れる」などとけしかけ営業をかけている人がいるというのである。費用は160万円だとご本人が書いている。
これだけ多くの悲惨な体験をした方が存在する場合、その体験記は売れません、こちらが絶対に限りなく近い。もちろん、記録的意味合いはあります。
だいたい本が絶対売れるんなら苦労はないんだよ。「絶対売れる」、本気でそう言うなら、てめえの会社で、あるいはてめえ自身で出捐して通常の商業出版で出しゃあ、よかんべよ。
身内を失い、財産を失い、なにもかもなくしたこの方から、また160万円ふんだくるのか?心からの憤激を感じる。クンちゃんより
2011-08-07 14:40:15
こちらもわからんのです。不便ですなあ。
それから、大震災被災者の方への提示出版費用は160万円じゃなくて、180万円でした。
しかし、まったくクンちゃんには理解できないのですが、この被災者の方ご本人にして、「売れる、売れない」に相当関心がおありのようです。誤解を恐れず言わしてもらうならば、まったく失礼ではありますが、費用著者持ち出版から派生する諸問題の元凶はこのあたりにもあるような気がいたしました。クンちゃんより
というのも、今では著者の感覚が、「自費出版本も書店に流通させるのが当たり前」というようになってしまったからでしょう。流通させないのが当たり前だった一昔前では考えられなかったことです。
これも、新風舎や文芸社などが書店流通をうたって大きな新聞広告を出してきたことに起因しているのでしょう。新風舎や文芸社に対抗するために、ほかの中小の自費出版社も売れないことを承知の上で、販売サービスを取り入れるようになってきました。そうでもしないとお客さんを大手にとられてしまうので、やむを得ない選択なのでしょう。
「売る」ことを目的に自費出版を考えている方に、「売らない選択」を提案したところで、なかなか納得してもらえません。「売らない」なら出す意味がない、と思っていらっしゃる方も多いのではないでしょうか。この意識を変えるのは至難の業です。このような方は、体験してみて初めて「売れない」ことを実感するのです。でも、分かったときは後の祭り・・・。
こんな具合ですから、いつまでたっても費用著者持ち出し出版がすたれないわけですね。
↑という、松田さんのご指摘は本当にその通りです。みんな「私家版」だと売れない、売る方法が無いとあまりにも思い込みすぎている。
それと、「商業出版と自費出版は違う」ということを世間の人が強調しすぎることで、ますます意固地になるというか、作家になりたい人はそれだけで潜在的に傷ついてしまうんだと感じます。
なんだか、中身の優劣まで言われている気がしてしまうんでしょうね。。。(まぁ、ヒドイのもたくさん混ざってるので、仕方がないのでしょうが)
自費出版の問題はあくまでも
「心理的・感情的な問題」
なのだと思っています。それ以上でもそれ以下でもない。そこにしか問題がないくらい、感情論だと思いました。
今の日本は格差社会です。
虐げられている人ほど描きたいことが山積しています。
しかし、商業出版、商業出版と強調しすぎると、もともと商業出版の著者さんにはアドバンテージがありすぎる。
最底辺で暮す人が、
「自分もああなりたい」
と思って努力することは、自然なことだと思うのですが、そうなると自費出版業者の食い物にされてしまうし、食い物になったらなったで、
「商業出版とお前等とは違うのだ」
と、無言の差別を受けてしまうわけです。二重にも三重にも傷つく構造になっています。
自費出版が原因で、自殺に追い込まれる人がいるという情報も、頷けますね。。。自費業者とこじれるばかりでなく、関係のない世間からも白眼視されることになるわけですから。
私はもちろん、そんなのは不当な偏見で、書こうと思ったキモチに身分の上下も、知名度の有る無しも関係ないと思います。
しかし、そこに経済原理を持ち込めばやはり、売れる・売れないで判断されてしまうわけで。。。
「商業出版」
「自費出版」
と、言葉を分けてしまうこと自体が、私は問題を逆にこじらせてしまうのかな、という気がしますね。。。一種の差別化、優劣の線引きになってしまって、余計にそれが一部の人たちの劣等感、優越感を刺激してしまうんだと思います。
それで、そこを巧みに煽る悪質自費業者が儲かる。
自費出版の食い物にされる著者を考えることは、最終的には
「チャレンジすらさせてもらえない、今の格差社会」
そのものを考えることに繋がると、私は確信しています。根っこには労働問題、雇用不安、メンタルの問題がリンクしています。
本当は、その、泥のように這いつくばる人たちの痛みを、一番掬い取ってあげられるのが
「文学」
であるはずですが、みんな商業一本やりで、今の出版業界に彼らを見出す力があるとは思えません。
そうなるとやはり、これから新しい潮流を作り出すのは、インターネットや、インディーズなのかなと思うので、
松田師匠とクンちゃん。
ぜひ、
「自費出版著者同盟」
といいましょうか、なんといいましょうか、そーゆうのを私、がんばって企画してみたいと思いますから、今後も生暖かく見守ってください。
あ、特にコメ返しは要りませんが、
「テキトウにがんばってちょん☆」
などの応援コメントがいただけたら励みになりますので、お暇なときにでも。。。
2011-08-07 22:41:55
だれがそんなふうにしちまったのか知らないが(知ってるが、そこはとぼけて)、困ったことですね。
そこでクンちゃんは、そんな風潮を形成してしまったことの責めを負担する人間のひとりとして、書店配本付き高額費用著者持ち出版が非難されない場合というのを考えてみました。
便宜上、文芸社を例にとると、初版第1刷の1000部のうち流通に置かれる850部程度(これは標準的なタイプの場合)を売り切ることは極めて稀であり、いま契約される「あなたの本」もまったく同様であることが、明らかに伝達される必要がある。
著者もそれらの経験則を版元側から明示され、よくよく納得のうえで、「しかし、おれさまの作品は並みではないので、ほかのやつの作品と同列に置かれちゃ困るワイ。結構売れるかもしれんね」などと内心密かに目論んで契約するのは、自由にやってもらう。
案の定、結果として売れないが、売れない実態は双方ハナから承知の介であるので、トラブルなんぞ起きようがない。ただ、すでに書いているように売れない本は結局断裁されることになるから、紙やらなにやら壮大な無駄づかいということになる。費用負担が高いのは、これはオーダーメードは、靴でも服でも高いのと同じで、高いと思えばやめればいいわけだ。
結論としては、このタイプの出版を試みるのはおカネに余裕がある層に限られよう。だから少なくも車1台買えるおカネを、見た夢、見せられた夢の代価として支払って痛痒を感じるような方々は足を踏み入れるべきではない。
ローン設定など愚の骨頂で、与信を与えるクレジット会社の責任だって重大であり、クレジット各社は自費出版の取扱いをただちに廃止すべきであると思う。
きょうのクンちゃん格言
「宝くじ
はずれて勧銀(みずほ)
責める人なし」
評(そういえば、勧業銀行と第一銀行が第一勧業銀行になったんでしたねえ!おっしゃるとおり、宝くじの夢破れて、勧進元を責める人はおらへんなあ。費用著者持ち出版も早くそうなってほしいですな!)
2011-08-08 08:04:46
ミッフィーちゃん、快晴の今朝は、妙に冴えていて、まったく素晴らしい論調である!特に下記。
『自費出版の食い物にされる著者を考えることは、最終的には
「チャレンジすらさせてもらえない、今の格差社会」そのものを考えることに繋がると、私は確信しています。根っこには労働問題、雇用不安、メンタルの問題がリンクしています。』
まったく、冗談抜き、おふざけ抜きで言いますが、自費出版の影の部分を見抜いた卓見であると思います。
極貧の中から、文学作品だけを武器に立ちあがった一群の人たちがいることは歴史的にも事実そのものです。
しかし、現在の状況の中で、自分の作品に高額のおカネを投じて、ローンを組んで、人からカネを借りて、やっとこさ出版にこぎつけても、それで世に出るなんていうことはない、と考えるべきです。
ただし、すべて納得づくで、出版費用を「チャレンジ料」「夢代」として片付けられる人びとは、上のクンちゃんコメントの如く、好きにやってもらいたいと思います。
クンちゃんより
具体的に言うと、文芸社の今のシステムでは、たとえば「予算が百万しかないから、これで作ってください」という要望に対応できないのですね。
自費出版を専門にあつかう小さな会社の中には、こういった個人ごとのニーズに結構こたえてくれるところも多いように思います。
自費出版をしようと思う場合、いろいろなケースがあると思います。自著を商品として考えている人もいれば、そうは思っていない人もいます。自分史にしても商品としての可能性は低いですが、庶民史という意味からは貴重な記録になるでしょう。
文芸などの場合は、文学フリマやコミティアなどの販路もありますから、最初からそういう道を考えている人にしてみれば、簡単な製本で問題はないように思います。
2011-08-08 08:37:57
この会社では、著者側の予算に応じて、という柔軟な対応はできない、というふうに認識しています。一律にラインナップを決めておかないと円滑に処理できないぐらい案件がある、といって過言ではない時期があるからでしょう(年がら年じゅうではない)。
予算がないということになると、書店に並ばない自費出版A(文芸社刊の明示)、自費出版B(文芸社刊の明示なし、ひょっとして逆だったかも?)というものを勧めるのかもしれませんが、だいたい全国300書店に配本する基本パターンを勧めることになっているようです。もちろん、そちらのほうが収益に寄与するからでしょう。しかし、その勧誘の仕方の実態をクンちゃんは知りません。
ただし、いったん提示した金額を平気であきれるほどディスカウントする例はあります。「ふざけんなよ、こんなに減額して、どんだけぼってるのかと疑われるぜ!」というケースも枚挙に暇がありません。言い値で契約する人は、ほんまの良いお客さんでしょうね。扱いは同じですから、どんだけ値切れるか、やってみて報告してください。
需要のあり方によっては、文芸社などの版元に頼むより、良心的な小中の印刷所に頼むのも良いと思います。ただし、印刷所ですから、せいぜい「内校」といって、印刷所の校正係がざっと点検してくれる程度ですから、自分のオリジナル原稿そのままで印刷されてかまわん、という内容に自信のある人向きということになります。
もちろん、お前んとこで編集なんかやってんかよ!という批判があるのは承知しています。そう言われてもショウガナイ、という本は確かにあります。クンちゃんより
「もちろん、お前んとこで編集なんかやってんかよ!という批判があるのは承知しています。そう言われてもショウガナイ、という本は確かにあります」という編集の話題が出たところで、よろしければまた質問してもいいでしょうか。
「リアル鬼ごっこ」のようなトンデモ編集ザル校正の本が出たのはなぜか!?ってことです。
リアル鬼ごっこの実態が分からなければ、他のトンデモ編集ザル校正の本でもかまいません。いったいどういった経緯でそういう本が出てしまうのか。どうしてトンデモ編集ザル校正が発生するのか。そもそもそういうトンデモ編集作業に従事しているのはどんな人たちなのか(まともなプロダクションに外注しているなら、トンデモ編集にはならないはずだし……)。教えてもらえると嬉しいです。(コメ返)
2011-08-09 21:19:10
第1段落
前送、「文芸社の原稿審査 (クンちゃん) 」記載の、「原稿にさわる人②」の社外の人びとが所見の実質を書きます。「可能性」ではない。ただし、「アルバイター」とは言えないような報酬と聞いていますので、「ボランティア」というのかもしれません。
なお、「プロが感想を」という文芸社のキャッチを「人気作家が感想を」と読む人は、いくらなんでもおらへんやろ、と思いますがね。
第3段落
クンちゃんがこの会社に入る前の話でわかりません。ご指摘の本もそれに続く本も相当なもんだと耳にしています。
結果的には担当した編集者は「それでいい」と考えたんでしょうね。中学生ぐらいが読む本として、いい加減につくったかどうかはわかりません。
また、担当校正者は、直し始まったら切りがないから、原稿どおりでよいと着手前に編集者から因果をふくませられたか、実際には校閲のレベルまで切り込んで赤または鉛筆(赤ではなく)を入れたかも知れないが、編集者はその赤または鉛筆を採用しなかった、ということでしょう。
第4段落
社歴十数年の会社ですが、新卒採用はなく、白紙から編集者に育てられた人はいません。他社で書籍、雑誌をつくっていた人たちです。
あなたの言う「トンデモ編集」を実際に担当した人たちが、そのような編集を自分がしている、という自覚を持っていたかどうか気になりますが、持っていたがどうしようもなかったという人が6割から7割程度はいるように感じます。
この会社では、原則的に「ひと月に4冊」を仕上げなければならない状況にあります。
また、直近の回答ともからんでくるのですが……
自費出版の場合に、商業出版と同程度の編集を期待するのは、なかなか難しい、いや、ほとんど不可能ではないかと思います。
そのすべて、とは言わないまでも、かなり大きな原因は、編集サイドというよりも著者サイドにあるのではという気がしています。
老舗といわれる出版社には、確かに有能な編集者がいました。そういった編集者を育てるには、やはり十年単位の濃い経験が必要なのでしょう。
自費出版の場合は、「著者からお金をいただいて、著者が作りたい本を作る」のが原則でしょから、逆に言うと「整合性や読みやすさのための編集」は不要なわけです。あまり手を入れられるのをいやがる著者さんも多いのではないでしょうか。
文芸社の中には、まじめに仕事をされている社員さんもおられると思います(流されてしまうケースもままあるとは思いますが)。
文芸社で問題だと思うのは、実質的には自費出版なのに、作品の商業性を喧伝しすぎることだと思います。自費出版に対して「売れますよ」などという誘い文句は、絶対に言ってはならないでしょう。
売れるか売れないかはともかく、「どうしてもこの本を出したい」という著者(顧客)の気持ちをくみとり、著者が作りたいような本を作ってあげるのが、本来の自費出版だったはず。ただし、そういった本を商品として書店に配本するべきではないでしょう。
自費出版でしか世に出せない、出しにくい本はたくさんあると思います。自分史、闘病記、追悼本などもそうですが、クンちゃんがとりくんでいる「ちかん本」もそうですよね。こういう本は、どんどん自費出版すればいいと思います。でも出版後のドタバタ劇を見れば、文芸社の立ち位置がまったくなっていないことがわかってしまいましたね。
著者さんからいただいたお金は出版社を潤すだけで下請けにまでは回らず、下請けは常時カツカツ、増員の余地なし、ということでしょうか。そして下請けの方々は、なぜ他の会社のように商業出版で経営を成り立たせる道を選ばず、「増員を雇う余裕もなく、多忙につき致し方なくトンデモ自費出版本を納品する」ような寂しい仕事に従事しているのでしょうか……。
文芸社さんのややこしいところは、「費用は割高ですが、きちんと編集がついて、書店に並べるクオリティの本を作成します」というスタンスでありながら、どう考えても編集をサボった本をあろうことか書店に流していることなんですよね……。
ちなみにバッテリィが知っている優良自費出版業者は「たとえ自費出版であろうとも、著者にはガンガン指摘をするし、赤字もガンガン入れる。手を入れられるのが嫌な著者さんには他の業者に行くよう勧める」スタンスだそうです。「専門書の商業出版が本業で、専門書の分野では信頼を得ている。そのため自費出版の本だからといって適当な編集はできない。そんなことをしたら社名に傷がつく」だそうです。「ウチの会社に来る自費出版の案件は技術系が多い。技術に関する記述の検証はしっかりしてほしいという要望があり、専門的な図版も多いから、正直言って制作に金がかかり、出版社に利益はあまり出ない。それでも自費出版部門を畳まないのは、専門知識を後世に伝える出版を応援したいという気持ちがあるからと、外部で世話になっているスタッフに仕事の空きができた時の調整弁として」だそうです。
そういうスタンスなんで、自費出版やってますという広告は出さないそうです。「ウチの出版社の本をよいと思って出版相談に来た人のみの対応」だそうで。
よい自費出版業者とは著者のほうを向いてお金を得る会社か。それとも読者の方を向いて薄い益を得る会社か。考えさせられますね。
うーん…そういう事だったのか。
何も文芸社も5人位しかトータルで原稿に触る人間が居ないくせして、その10倍の人間で審査しました。何て言う事ないだろうに。
ハッタリか!?
下ユル子さんがコメントされているように、本を流通させようとして結果売れず、人間関係が壊れたり借金を重ねたりと二重にも三重にも傷付く人が居る。
この事をよく認識すべきだと考えます。
カネは働けば取り戻せる。
でも一度損われた信用は取り戻せないもんね。
「カネが無いんで。」「ローンも取り扱っています。」
ここまで持ち出されたら「何かこの会社うさん臭いな。」と通常感じる筈なんだけどね。
「そうか!自分の書いた作品はローン組まされてでも全国刊行の意義があるんだ!」
すっげえポジティブな考えだな
色々教えてくれてありがとうございました
下ユル子さん。洋々さんも少しでもお気持ちが安らぐと良いですね。
見守っています。
何より、勇気を持ってこのブログを立ち上げたクンちゃん!
超かっけえよ!マジでイケ面(行動が)だよ!
自分が女なら惚れるよ(そっちの気は無いけど)
体調に御留意し、これからも出版被害に遭った人達を救ってあげて下さい。
2011-08-10 08:01:24
かなり大きな原因は、編集サイドというよりも著者サイドにあるのではという気がしています。
【両方に原因がありますが、意見対立の結末は、ここをどうしてもこうしろって言うならもうやめるわ!おカネは返してもらうわよ、という著者の一言の場合もかなりあります。】
老舗といわれる出版社には、確かに有能な編集者がいました。そういった編集者を育てるには、やはり十年単位の濃い経験が必要なのでしょう。
【十年ではまだ駆け出しがようよう終わりかけるってところでしようね。】
自費出版の場合は、「著者からお金をいただいて、著者が作りたい本を作る」のが原則でしょから、逆に言うと「整合性や読みやすさのための編集」は不要なわけです。あまり手を入れられるのをいやがる著者さんも多いのではないでしょうか。
【整合性や読みやすさもさることながら、なかなか書いてある趣旨を読み取れないこともあり、それを普通の読者に読み通してもらえる程度に直したいというのが、ひとつのスタンダードです。これさえ、なかなか難しいのです。】
文芸社で問題だと思うのは、実質的には自費出版なのに、作品の商業性を喧伝しすぎることだと思います。自費出版に対して「売れますよ」などという誘い文句は、絶対に言ってはならないでしょう。
【そのとおりです。むしろ、「売れないでしょうが、どうしても本屋さんに並べたければ並べますよ」といったウソのないセールスでいけば問題はないのです。】
売れるか売れないかはともかく、「どうしてもこの本を出したい」という著者(顧客)の気持ちをくみとり、著者が作りたいような本を作ってあげるのが、本来の自費出版だったはず。ただし、そういった本を商品として書店に配本するべきではないでしょう。
【そのとおりですが、書店配本がこれまで見てきたように、著者ニーズの最大の柱のひとつで、しかもそれが「売れること」と表裏一体であるところが困るのですなあ。】
自費出版でしか世に出せない、出しにくい本はたくさんあると思います。自分史、闘病記、追悼本などもそうですが、クンちゃんがとりくんでいる「ちかん本」もそうですよね。こういう本は、どんどん自費出版すればいいと思います。でも出版後のドタバタ劇を見れば、文芸社の立ち位置がまったくなっていないことがわかってしまいましたね。
【ここは少々クンちゃんの考えや世の中の実態と違うようです。
というのは、自費出版本でも例えば名誉毀損に基づく損害賠償請求などが出てくると、著者だけでなく版元も編集責任を問われます。そこが印刷所がつくるのと違うところです。印刷所は持ち込まれた原稿を複製しただけですから、内容の責任はぜーんぶ著者に行きます。
しかし、出版社や出版社の看板を掲げている出版社のような会社(文芸社等)が出した本は、著者も版元も相被告となるのです。
そこで、版元としては極力訴訟は避けたいですから、著者との間で相当難しい記述内容にかかわる問題が出てきて、険悪な場面になることもしばしばありました。
今度の『大恩・忘恩・報恩』もそうしたプロセスを厳密にたどって刊行したので、書かれたほうが最も嫌がっている「ちかん」という文字面だけを眺めるのではなく、本質的な議論をする絶好の機会でもあったのです。
ところが時すでに遅し。クンちゃんはすでに退職しているうえ、さらに不都合なことにクンちゃんブログも始まっているという状況でしたから、文芸社としてはとにかく栗田工業の主張を呑んだ格好で模様眺めに終始するしかなかったのでしょう。
結論としては、自費出版は編集抜きのオリジナルのまま著者のやりたいように印刷所でつくるのが、最も問題が起こらず、著者だけの責任ですませられる形です。しかし、そうなると読者からは「本は返すから、おカネも返して」というクレームが来るのは必至、と思われます。
文芸社といえども、いい加減にやっているようで、なかなか大変な仕事なんですよ、これが。】クンちゃんより
2011-08-10 16:30:08
いやあ、恐縮です!
(今は亡き梨本リポーター=浦和西高出身=の定番せりふ。)
いま、フクちゃんへの返信をクリックして、どんなふうか見てみたら、あなたのコメントを発見しました。
ここらへんを読んでておわかりの如く、クンちゃんがほめられている場面はほとんどないのです。
豚も褒めれば木に登る、の金言のように、クンちゃんもたまにほめられるとうれしいですよ!
ありがとう!クンちゃんより
追加の質問です(コメ返) (バッテリィ)
2011-08-10 10:41:48
キャパオーバーならなぜ増員をしないのか
【受注が変動するので、増員も減員もままならない、という経営判断でしょうね。しかし、いつでも減らせる対策は万全で、派遣の人が多いですう。】
「雑誌制作経験者の集まりでありながら、なぜそんなやくざな仕事を請け負わなくてはならないのか」ということです。
【雑誌より書籍経験者が当然ながら多いです。請負はありません。この会社に流れ着いたのは、諸般の事情で喰いっぱぐれそうになったからです、クンちゃんの場合ですが。他の人のことはよく知りませんが、浮世にはいろいろ事情があります。腹が都合によってまったく減らない、という芸当でも出来ればねえ。】
著者さんからいただいたお金は出版社を潤すだけで下請けにまでは回らず、下請けは常時カツカツ、増員の余地なし、ということでしょうか。そして下請けの方々は、なぜ他の会社のように商業出版で経営を成り立たせる道を選ばず、「増員を雇う余裕もなく、多忙につき致し方なくトンデモ自費出版本を納品する」ような寂しい仕事に従事しているのでしょうか……。
【下請けはないんです。外注として、ゴーストライティング、リライト、校閲、ブックデザインがあります。】
2011-08-10 11:12:13
ほんとに腕に自信のある板さんがオーナーの店は、雑誌やテレビの取材に応じない(人もいる)と聞いたことがあります。
この技術系版元は、本業できちんと立ち行くからこのようなことができるんでしょう。うらやましい限りです。
いずれにしても、経営者の腹ひとつでどっちにも転ぶのが会社ですね。
クンちゃんより
このブログの通算No22で触れている故渡邊勝利さんは自費出版業者でした。といっても、文芸社のような出版形態ではなく、制作請負・販売委託契約です。渡邊さんは、自費出版本を流通させることに尽力された方です。そのために、自費出版であっても商業出版と遜色のない本づくりを目指してきました。リライトを含め徹底的な編集をされ、デザインにも非常にこだわっていました。そのようにして質の高い本づくりをしないと、取次が取ってくれないとも言っていました。
ですので、まずはご自身で原稿を読んで流通に耐える内容かどうかを吟味され、販売に向かない本の場合は私家本を勧めていたようです。通常は編集によって大きく手が加わることになるので、自分の原稿に手をいれてほしくない方には向いていないでしょう。しかし、読者のことを考えての本づくりをされていました。
自費出版の本を流通させるのであれば、やはり渡邊さんのようなスタンスで取り組むべきだと私は思います。もちろん、丁寧な編集をし、装丁にこだわったからといって、その本が売れるかどうかは未知数ですが。
あまり編集者に手を入れられるという経験のない一般の方は、自分の文章に手を加えられることを好まないようですが、そのような方はやはり私家本で出すべきではないかと私は思います。また、売る、売らないはともかくとして、他者に読んでもらいたいというのであれば、やはり読み手のことを考えた編集は必要でしょう。
それにしても、文芸社の場合、一人の編集者が月に4冊も担当するのでは、とてもまともな編集はできませんね。そんな状態で「編集をしています」とは、ちょっと信じがたいことです。
全国流通を謳っていながら、文芸社のやり方と渡邊さんのやり方は非常に対象的でした。渡邊さんが文芸社を批判したのは当然のことでしょう。しかし、まさかあんなことになるとは・・・。今でも信じがたい思いがあります。
クンちゃんが赤いペン・・・と書いていたと思いますが、普通の商業出版でも赤いペンが入って直すことを指示してくると思います。
幻冬舎ルネッサンスの場合は、青いペンでした。
赤を入れると反発されるという心理があったのか。
お客様だから遠慮して青にしたのか。
真相はわかりません。
どちらにしても直せと青が入ってきても、しばらくするとそんなことがなかったように元に戻したりします。
なんのために直させたのかとなっているわけです。
これは私だけでなくほかの方からも聞きました。
編集者がわからないものを著者が書いていたのか。
編集者が能力がないから意味もなくいじりまわしていただけなのか。
どちらだったにしろ、ほかの例も含め編集能力があるというのは嘘だったと思っています。
話題がなんとなく
「編集とは?」
という流れになっていますので、S・Oさんのコメに引き続き、幻冬舎ルネッサンスの体験談を。
私の場合は、青ペンではなくてフツーの
「黒いエンピツ書き」
によるツッコミでした。
物語に出てくるキャラクターが、「オーデ・マ・ピゲ」の高級腕時計を嵌めているんですが、
「オーデ・マ・ピケ」
と直され、私がいぶかしがっていると、あとで
「あ、やっぱりオーデ・マ・ピゲで正解でした」
となりました。
幻ルネで出版した私の小説
「ヴァイス・孤独な予言者」
は、今、ブクログのパブーという電子書籍フォームにて全文無料公開していますから、見ていただければわかりますが、担当編集からプロローグの前に
「物語の軸である占い賭博が、最後のほうにならないと出てこないので、プロローグの前に1~2ページ追加で描いて欲しい」
といわれました。
ただでさえ、予算の関係で泣く泣くページ数を大幅に減らされたのに、さらに追加したくもないページを描かされて、そのぶんをさらに本文から削るというので、わしはさすがに担当者にキレました。
そうしたら結局、
「上司(N澤さん)に追加ページの件、相談したら、酒井さんが最初に描いたままが一番いいと思うと言ってたので、やっぱり最初の形のままで」
といわれました。
挙句に、
「ライトノベル調」
にもともと描いてた小説を、
「無理矢理、硬いハードカバーに仕立てる」
みたいにされて、キャラクターのセリフから何からいじられたので、マジ切れして編集者K本を叱り飛ばしたら、すぐには謝ってこなくて、何日かしてようやく、
「混乱させてすみませんでした。酒井さんのやりたいようにやってください」
となって、
「何なんだコイツら・・・。人の作品をおもちゃにしやがって・・・」
と思いました。
しかし、K本とマジ切れ喧嘩してからは、K本にようやく私の書きたいことが伝わり、それ以降の編集作業はとても息の合う関係だったと思います。
表紙&挿絵のカットに、夢にも思わなかったプロ漫画家の摩周子先生を起用してくれたのもK本ちゃんなので、K本ちゃんはとてもよくやってくれたと思いますけども、あそこでわしがマジ切れしていなかったら、とんでもない作品にされてしまっているところでした。。。
今、パブーにおいてあるのは、ほぼ、幻冬舎ルネッサンスから刊行されたままになってますので(摩周子先生のカットは見られませんけども)、ご興味ある方は参考までに見てみてください。
幻ルネは、HPにも歌い文句があるように、
「著者と編集者が同等の力で原稿に向かう」
というのを、ポリシーにしています。
だから、
「ちゃんと自己主張のできる、自分の原稿に対する責任感を持った著者」
じゃないと、めちゃめちゃにされてしまいますね。。。
自費だろうと共同出版だろうと、やはり、人目に触れるものは、
「何度も推敲して磨き上げてから、発表する」
という意識が大切なのだろうと感じます。
編集者も確かに、
「原稿をたくさんイジってやったほうが、トウシローは有難がる」
と、わざと思ってやっている感じはします。
いずれにせよ他人のおカネ、他人の作品なのだから、ダメな作品を持ってこられたらちゃんと、
「この作品はまだ、仕上げに取り掛かれる状態ではないから、どうしても本にしたいのなら、もう少しよく練って、整理してからおいで」
って、言ってあげるのが本物の編集者だと思います。。。
幻ルネ以外にも、いろんな自費系作家さんの小説を拝読しましたが、そもそも
「書き上げられていない作品」
が、書籍になっていることが多いのです。。。
そういうところが、著者さんの不満足に繋がるのかなと思いました。
不本意な編集をされた挙句、書評ブログやアマゾンコメで酷評を書かれている作品を見かけると、著者さんの傷ついた心はいかばかりかと、ご同情申し上げるばかりです。。。
今は、電子書籍を自分で配信したり、ブログやネットが発達していますから、むしろ、
「出版社とは何の関係もない、ただ感想をくれるだけの純粋な読み手集団」
が、求められているのではないかと感じます。
私が思いついた
「プレ編集者」
というサービスは、案外、必要とされているのではと思うのですが。。。
著者さんのネットワークで、他の著者さんの原稿を読み、何のとらわれもない素直な批評、改善点、要望などを伝えてあげる。
んで、それを聞いた著者が、何度でも満足するまで原稿を推敲する。
それから本職の編集者のところへ持っていくのが、実は一番ベターなのではないかと思うのです。。。
「プレ編集者」
として、著者さん同士が、お互いの原稿を評価しあい、そして新規の著者さんに出版の実情を教えてあげる、
「著者サイドから起こす出版相談機関」
を、本当に作りたいです、、、私。。。
不幸な本をこれ以上、増やさないために。。。
けっこう本気で考えてます。
「作家でごはん!」の作家鍛錬場でたくさんの人が“無償で”プレ編集者をやってるので、ユル子さんもトライしてみてはいかがですか。
ttp://sakka.org/training/
1000人ぐらいプレ編集してあげれば、お金を取れるぐらいのプレ編集者になる実力が着く……かも。
じゃ、直してほしい個所がわかりにくいですね。
変わってますね。あそこの人のはかわってます。常識がないですものね。
プレ編集者をやりたいのなら、とりあえずミクシィなどで、希望者を募ってみたらどうですか?そしたら需要もわかりますし、見えてくるものもあると思いますよ。私も何か募集する時そうやって反応を確かめてます。
変な話ですが、見城氏がよくインタビューで、自分の雑誌を作りたいかと聞き、忙しくてそんなことを考えている暇がないというやつには絶対に雑誌を作れないと語っていました。
もう幻冬舎自体を良く思ってないのに引き合いに出すのも、変ですね。ほかに例が思いつかなかっただけです。
私も満足のいく結果じゃなかったからそのうち、それなりの処置に出ようかと思っていますが、
その半面で今更、彼らを相手にするのも馬鹿場悪しい気もしてます。
答えを決めかねてる状態です。
2011-08-10 22:03:21
渡邊勝利氏は、ご自分が丁寧に育ててきた配本付き自費出版【これは著者に複製権を残す(換言すれば著者から出版権の設定を受けない)形のものでした】の分野に大がかりに文芸社が参入してきたことに危機感を持ったのでしょうね、踏みつぶされまいと。
渡邊裁判では、クンちゃんはずっと文芸社側の実務担当でしたから、東京地裁の法廷では何度も顔を合わせて、彼の人となりの片鱗も知っていると言える状態でした。
控訴を取り下げて文芸社勝訴確定後、どれだけあとだったか、文芸社のエレベータ内で、渡邊ご夫妻とぱったりお会いしました。一瞬、誰かわからず、とにかく知っている方だということで、「あっ、どうも!」なんていう格好で、クンちゃんは七階で降り、ご夫妻はさらに上の階へ、つまり社長室へ行かれたようでした。経済的にも身体的にも、切羽詰まった状況だったのでしょう。これが、渡邊氏を見かけた最後でした。
その後は文芸社の庇護のもとに、新風舎倒産の余波がおさまらぬこの業界にあって、いまや誰もが知っている不本意な歩みをなされることになってしまうのです。しかし、その本質は立派な方だったという印象が強いです。
人間至るところ青山あり。クンちゃんもいつ倒れても悔いが「少ない」よう心がけていきたいと思う今日このごろであります。クンちゃんより
2011-08-10 22:29:27
幻冬舎ルネッサンスの場合 2 (S・O)
2011-08-11 07:38:25
S・Oさま
コメントありがとうございます。
やはり幻冬舎Rの著者の方なんですね。
いろいろ思うことがおありとお見受けします。
物事には放っておいて良かったということと、放っておいたことを長らく悔やむことになることと、少なくともふた種類あります。これが後になってみないと答えが出ないのが厄介ですが。
そして、時機を逸すると自動的に放っておいたことと同じになって、もはや手の届かない成り行きになっていることもしばしばです。
よくお考えになって、上のクンちゃんの述懐の如く、「悔いの少ない」ように生きてくださることを期待しています。
どうぞ、またお立ち寄りください。
クンちゃんより
クンちゃんのブログは、単なる扇情的な内部告発ものではなく、自費出版をめぐる諸問題をまじめに考えるための有意義なブログだと思います。立場が異なれば意見も異なりますが、さまざまな立場の人がここに情報や意見を書いていけば、自費出版を考えている人たちの判断をたすけることにもなると思います。
どうかこのまま続けてくださいね。
私は渡邊さんとは一度だけお会いしたことがあります。文芸社との裁判が終わって、あの裁判記録の本を出された直後の頃です。東京に行った折に会社をお尋ねしていろいろお話を聞きましたが、自費出版に対する熱い思いが伝わってきました。
お話の隅々から、大変実直で意志の強い方だという印象を受けました。自費出版業界の多くの方たちは文芸社の手法に批判的でしたが、大半の方は報復を恐れて黙っている中、果敢に批判をしていたくらいですから、その心意気はほんとうに尊敬すべきものがありました。ただし、いくぶんの頑迷さも感じましたが。
ですので、詳細は知らないまでも、文芸社に屈服することになったのは余程の事情があったのでしょうね。
渡邊さんが文芸社になびいてしまわれたとき、一度だけ電話をかけたことがあります。以前とは人が変わったように冷たい対応で「文芸社のことはもう関わりたくない・・・」そんなようなことをおっしゃっていました。この時、この方は完全に変わってしまい何を言っても無駄だと感じました。
でも、私は渡邊さんの目指してきた販売する自費出版は評価していましたし、彼自身を批判することは避けてきました。しかし、zero-inコラムで私のJANJAN記事を批判する連載を書き始めたときは、さすがに愕然としました。確かにあのコラムは彼の本音なのでしょう。しかし、思い込みが多く、私が書いてきたことを理解しようとしていない的外れな批判でした。かつての同志ともいえる者に対して、あそこまで書くかと・・・。渡邊氏を批判することになるとは思ってもいませんでしたが、反論を書かずにいられませんでした。
渡邊氏と敵対関係のようになったまま彼が亡くなられたことが、今でも残念でなりません。
2011-08-11 10:41:27
フクちゃんとクンちゃんの考え方はかなり近い感じがしています。本編最新版にアップした削除通知が来たり、ひとつがおさまりかけないうちに、もう次の問題が出たりで、かなり大変です。「クンちゃんブログ」を「フクちゃんブログ」に改題して続けていってもらいたいです。クンちゃんより
2011-08-11 11:47:34
背に腹はかえられない、ってこってすねえ。
最新アップの別問題がまたまた起きてきました。クンちゃんより
まずは「気のせい」さんと、「S・O」さんのお二方へのご返信です。
「プレ編集者」
という、私の思いつきにご助言くださいまして、有難うございました。気のせいさんがおっしゃっていた「作家でごはん」は、よく知ってます。参考にさせていただきます。
S・Oさんは、ご自分の本に納得されていらっしゃらないご様子とお見受けいたしましたが。
私は、ルネから出した本を、パブーという電子書籍フォームに晒したら、本当に気持ちが晴れ晴れとして、とりついていた幽霊が取れたみたいでした。
自分の本にまだ、こだわりとか未練があったころは、体調も気分も最悪でしたけど、
「もう売れるとか、売れないなんかどうでもいい」
と思って、ネットに丸晒ししたら、ホント、ウソみたいに気分が晴れ晴れし、むしろ本から離れたほうが、いくらでも小説が描けるんだと嬉しくなったっス。
おカネもこうして、自費出版に悩むみなさんのお役に立つのだったら、何にも惜しいと思わないっス。
もともと筋金入りの仏教徒なもんですから、失うとか損する、とかいう部分に関して、世間様よりかはかなり平気な人間なんです、私。。。
さらに、本を出したがる人や、ライター、編集者という人たちに関わることが多かったので、そういう人たちに対する怒りが、胸の奥底に常にありました。
だから、こうして、クンちゃんや松田さんとも出会い、問題提起を堂々とできたことを、逆によかったんじゃないかと感じています。
私がカミングアウトすることで、多くの方々が、ご自分の経験を恥だとか、傷だとか思うことなく、立派なキャリアの一つに数えてもらえたらなと感じますし、逆にこうして、自費出版経験者の輪が出来ることで、
「自費出版が自分のデビューだったことを、誇りに思える空気」
を、作れたらなと感じます。。。
S・Oさんも、書籍にこだわる気持ちに整理がついたら、いっそネットにぜんぶ晒してみてはいかがでしょう。。。
確かに、もう幻冬舎になんてこだわり続けていても、人生はちっとも豊かに楽しくならないです。
それよりも、せっかくこんな
「貴重な体験」
をしたのですから、それをネタにして逆にじゃんじゃん遊んじゃえ! イジっちゃぇ!!
ぐらいのノリでいたほうが、もっと面白い展開にしていけるし、もしかしたらS・Oさんが、新しい表現の流れを作り出す一人になるかも知れません。
とにかく、裁判だの訴訟だの、追い詰めるだので、皆さんの才能と生活を消耗させてほしくありません。
あのオッサンたち(文芸社も含む)は、
「セコさ丸出しの、単なる小悪党」
なんです。
ちっさい連中を相手にして疲弊するよりも、あいつらが無視できない勢力に、自分たちがなればいい。
私はそう思うんですが。。。(まぁ、ご意見はいろいろ受ける発言だとは思いますけども)
前向きで楽しいことを、どんどん考えて行こうじゃありませんか。
ええ。
今、とあるイベントプロデューサーと、業界の人に、
「自費出版著者フォーラム」
開催について、打診しているところです。皆さんに開催をお知らせできる日が来たらいいのですが。。。
2011-08-11 20:14:29
『どもども。
まずは「気のせい」さんと、「S・O」さんのお二方へのご返信です。』
というあとには、クンちゃんに対する文芸社の攻勢についての、一発かまし、をお願いしたいんよ!タノんますよ!クンちゃんより
具体的な方針を言わずに「考えます」「善処します」「検討します」「参考にします」のひとことで済ます人は、考える気も善処する気も検討する気も参考にする気もない……という格言がありますが、ユル子さんはそうじゃないと信じてます。
よく知ってらっしゃる「作家にごはん!」で名プレ編集者として活躍されるか、自力でサイトを立ち上げるなどしてプレ編集者として活躍されるか。なんらかの活動を起こしてくれると信じていますよ!ぜひ活動報告してくださいね!
っていうか、よく知ってらっしゃるはずの「作家にごはん!」で、いまのところユル子さん名義のプレ編集者的活躍が見られませんね。よく知っているのに、プレ編集者したい気持ちが起きなかったのか?それほどまでに他人の作品に興味がなかったのか?いえいえそんなことはないはず!きっと今までも他人の作品に興味を持って、他のPNで意見していたものと信じていますよ☆
もちろん、今日のTOP記事を見てびっくりしていたところです!!
ところが、主婦なもんスから、夕方は子どもにご飯を喰わせて後片付けして、洗濯干してお風呂に入れて・・・、とありまして、ちょっと遅れてコメントになりやした師匠。。。(汗)
わしもルネから内容証明が来て、ブログ削除を迫られたときにはうろたえました。
そういうときって、ブログに寄越される励ましコメがココロの支えだったりするんですよね。。。
そういう
「気が弱った隙」
を突いて、アンチがここぞとばかりにキツーいひと言を残していったりするんスが。。。^^;;
とにかく、文芸社に負けないで欲しいので、よかったらクンちゃん、私の休眠ブログ
「自費出版物語@大好き!幻冬舎ルネッサンス」
http://blog.livedoor.jp/ajishirabe/
のほうに、記事をいったん退避させますか??
クンちゃんさえよろしければ、私の休眠ブログを使ってください。パスワードとIDお教えしますから、クンちゃんが勝手に使ってくださって構いませんよ~☆
そうしたら私も、
「とある方からお預かりした記事です」
ということで、自分の読者さんに説明しますし。
また、イベントを開催することができたら、むしろもっともっと、自費出版経験者さんが名乗り出てきてくれるかも知れません。
こうなったらレーベル一切関係なく、
「自費出版著者の全国大会」
として、集まっていることをアピールすれば、世間の人ももっと自費出版業者のあこぎさを理解してくれるのでは。。。
今、マジでとある編集長にイベント開催打診中です。
クンちゃんのこのワークを続けるお手伝いならば、私がいくらでもボランティアでお手伝いします。
いや、ホントに。。。
私にとって、すでに自費出版の問題は、生涯かかわり続けていきたいテーマになってますので。。。
あとでメールしますね!!
みなさん引き続き、
よろしくお願いいたしますぺこりm(_ _ )m
さて、気のせいさん江、ですが、どうもなんとなく、
「酒井にイラついちゃってる人」
のニオイを言葉使いに感じますが、あちきの気のせいですとも。ええ。
私の
「プレ編集者」
というアイディアは実は、もう20年来の大親友である、とある文芸評論家が、私の幻冬舎ルネッサンスとのやりとりの顛末を見ていて、
「自分は原稿読むのが一切苦にならない性質だし、評論家の仕事も心もとないので、私がサイドビジネスとして乗り出したい」
と言っているものです。
文芸評論家の彼女の人脈・経験を全面的に、
「プレ編集者」
事業に役立ててもらおう、という企画ですので、私は事業を行う場合にお手伝いをするだけです。
基本的にはその文芸評論家が、本気で乗り気になっているビジネスアイディアでござーす。。。
もちろん、私も人様の原稿を拝読するのが大好きなので、お客さんがガチで来るようになり、マブダチの文芸評論家がさばききれなくなったら、お手伝いする所存でござーす☆
そんな感じでヨロシク。。。(^-^)ノ~~
たぶんふだんからやってらっしゃるんですよね!そうに違いないと信じてます!世の中には「自分が王様になって参謀をつけた上で下々の者どもの原稿を見てやるぜという体のイベントじゃないとやる気起きない」人がたくさんいますけど、ユル子さんはそんなんじゃないと信じてます!特に自分が本を出品している「パブー」の本はたくさん読まれて、今後感想を聞かせてくれるんだろうと信じています☆