贖えない“つけ”
原発元年=1966年、昭和41年=以前に戻るしかないだろう!
昨年、晩秋の頃から、このブログを書き続けていく気が日に日に失せてしまったが、年が明けても快復せず、時間だけが過ぎていく。
前回1月頭のごあいさつをアップするのがやっとこさっとこ、という有様だ。
このたびの震災・津波被害に起因する原発、放射能汚染の問題をほんのちょっとかじっただけで、“ギブアップ”というか、これはもうアカン、“観念”するしかないか、
という気分になってしまっているからだ。
見ゆるところ、クンちゃんの住んでいる埼玉県や東京都内など、何も問題がないかのような平穏な日常が続いている。大多数の人びとは、警戒心など微塵も要しない、と
思っていることだろう。
しかし、われわれの知らないところ、教えられないところで、取り返しのつかない事態がどんどん進んでいるのではないか、という振り払うことが出来ない疑いがある。
そのような情勢のなかでは、このブログがメインに取り扱っている問題はあまりに小さすぎるとの感が否めず、書きつづることが出来ない。
そればかりか、クンちゃんはかなり“観念”してしまっているので、原発・放射能汚染の問題に対しても何か発言する気力に乏しく、沈黙している実情なのだ。
だが、一定程度トシをくったわれわれはいいとしても、次の世代は…。なんと、申し訳をしたらいいのだろうか、という焦燥感だけはくすぶり続けている。
ところで、つい先日、アップされたミッフィブログでは、小出裕章氏が山口県でおこなった原発事故直後の講演会の記録映像(ゆーちゅーぶ)が紹介されている。
http://blog.livedoor.jp/ajishirabe/archives/3246165.html
この2時間弱の記録を視聴すると、わたしたちは、事があった場合に自分たちの手で始末出来ないものには、やはり手を出すべきではなかったんだと心底思う。
始末出来ないものとは知らなかった、知らしめられなかったのだが、それで免責されるわけではない。
今後、選択すべき道はいくつもはない。
まず原発元年以前の日本に戻す。それを世界中に敷衍する、それしかないのではないか。
この選択を実質化するにはとてつもない困難な問題があるというが、それをどうするかの解答などわれわれ素人が出せるはずもない。
だが、茫然とたたずんでいるわれわれこそ、原発を今後どうするかについての総論に関してはイエスかノーかを意思表示する立場にある。
いや、意思表示しなければならない義務があるのではないか、と小出講演を聞いて強く感じた。
国民投票、おお、やるべきだよねえ。なんとかも山のにぎわい、とかいいますんで、クンちゃんも何か微力を尽くしたいと思いなおしております!
追記
ええっ、と愕然としたことがふたつ。記憶があいまいで、要旨だけ書きます。どなたか補足してくだされば幸い。
①昨秋だったか。官房長官だったか政府高官が、外国の原発建設に我が国ノウハウを今後も“活用”すると言明したこと。
②年末、朝日経済欄の経済短信のようなところに、「日立がどこか外国(リトアニアだったかどうか?)の原発建設を受注」という小さな記事が載った。
てめえのところでどうにも手の施しようもないものを、よそでつくっちまおうってのだから、これはもう救い難い神経! 事故れば単一の国ではおさまらない汚染が広がるのはすでに周知のこと。ほんとにどうなってるのか、こっちのおかしくなりかけの頭がさらにおかしくなるよ!