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読売朝刊2面「四季」に掲載された小紋潤の歌十首

2016年10月05日 00時01分34秒 | 小紋潤・心の花歌人
   読売朝刊「四季」が取りあげた小紋潤の歌
                 選・評 長谷川 櫂


 
 きょう4日、熱海の病院に行ったあと、珈琲屋に入り、注文をして、新聞棚を見ると、ない。
 ねえさんに聞くと、「うちは静岡と朝日、それに毎日と産経スポーツ、日刊スポーツです!」という。
 ふーん、じゃ、珈琲はやめて、と思ったけど、見るともう出てきてて、しょうがないのでまずそれを飲みました。しかるのち、某所に立ち寄って読売新聞を買わないで手にしました。

 二面左下の「四季」定位置に小紋潤がいました。いた、いた!

 用意周到ではなく、「がら携」しか持っていなかったのですが、
「ここんとこなんやけど、撮影してええかい?」
と受付のOBaさまに尋ねますと、
「きょうのはダメです。バックナンバーはええですよ。」

 なんできょうのはダメなんや、と喉まで出かかったのですが、もうすっかりおとなしくなっているクンちゃんにつき、というか、この先も続きがあって(なんせ10回なんで)どうせきょうだけでは用が足りんことはわかっていましたので、おとなしく3回分を撮影してきました。

 「がら携」の画像で、不鮮明ですが、いずれ差し替えたいと思います。
 後続のあと7回分も、このページに順次アップいたします。(追記・10月11日6首追加、同14日完了)
 (この画像掲載方法は無断転載にあたりますので、追って引用の形に仕立てたいと思いますが、
  その前にクレームが来れば画像はただちに削除します。文中のルビはやむを得ず、( )書きにしました。)



    2016.10,1

   銀河系、その創(はじ)まりを思ふときわが十代の孤(ひと)り晶(すず)しも

 傑出した歌の才能を持ちながら歌集をもたなかった。七十歳近くなるまで。思うところがあったのだろう。小紋潤、その人の歌集『蜜の大地』が出版された。十代の自分を、孤独で澄み切った銀河宇宙の誕生になぞらえる。十首をたどる。   


    2016.10.2

   ある時は恍惚(こうこつ)とせり滅びゆくものみな美(は)しく、地球よ滅べ

 戦争やテロ、汚染や温暖化を前にして地球は滅ぶのではと案じる人は多い。それを逆転させて「地球よ滅べ」と命じるのは若者だけの特権ではないだろうか。この歌から歳月をへて、今の思いを問うてみたい。歌集『蜜の大地』から。


    2016.10.3

   夏雲の矜恃こそよけれ わたなかに一つ大きく湧く力あり

「矜恃」(きょうじ)は自信に満ち、胸を張って立っている状態。海上に湧き上がる積乱雲にその矜恃を見ているのだ。興味深いのはその心。雲の力を自分のものにしたいというのか、手の届かぬものとして眩(まぶ)しがっているのか。歌集『蜜の大地』から。


    2016.10.4

   「小紋君酔つてゐるね」と言はれしが酔つてゐる身が可愛(かわ)いかりけり

 小紋潤は酒を愛する人である。その点でも歌の師匠とした佐佐木幸綱の血脈を引く人である。この歌などは酩酊(めいてい)の境地をよく言いえているのだろう。酔っている自分をそれより少し覚めている自分が愛(いと)しんでいる。歌集『蜜の大地』から。


    2016.10.5

   鰯雲空にあまねし大楡(おおにれ)の翳(かげ)に憩ひてわれは一人か

 大空を流れる鰯雲(いわしぐも)のような漂泊感はどこからくるか。おそらく最後の「か」の一字から生まれるのだろう。もし「一人なり」なら「われ」は安定する。不安定な「か」によって「われ」も鰯雲とともに流れはじめる。歌集『蜜の大地』から。


 西山を守る会の活動」というブログの、昨日、10月6日付の記事に、
 《今朝の読売新聞「四季」は、〈人生の半ばを過ぎてぬばたまのカーマイケルを思ふことあり〉でした。
 ストークリー・カーマイケルはアメリカの黒人運動家。過激組織ブラック・パンサーの党首だったこともある、と。」》とありました。    
 http://blog.goo.ne.jp/nishiyamawomamorukai/e/c70518fd5459e6df3b46f0440099d495



    2016.10.6

   人生の半ばを過ぎてぬばたまのカーマイケルを思ふことあり

 ストークリー・カーマイケル。アメリカの黒人運動家。過激組織ブラック・パンサーの党首だったこともある。平穏な人生を送る人が別の人生もあったかもしれないと思う。誰の人生にももう一つの人生が眠っている。歌集『蜜の大地』から。


    2016.10.7

   傘いだき出(い)で立つあした日常はこばみがたきまで眼前にあり

 朝、家を出て仕事にゆき、夜、帰宅する。このような日常があるからこそ人は迷うことなく生きてゆける。ところが、ときに日常が束縛として迫ってくることがある。これにどう対処するか。逃げ出すか、耐えるか。歌集『蜜の大地』から。


    2016.10.8

   思ひあふれて金砂銀砂をふりこぼすゆたかなるかな秋の真昼間

 秋の賛歌である。「金砂銀砂」以下は実り豊かな秋の描写のようでもあるが、これに「思ひあふれて」がかぶさると、外界と心の世界が通い合う。美しい秋が金銀を撒(ま)き散らしながら心の中からあふれ出たかのよう。歌集『蜜の大地』から。


    2016.10.9

   うつむきてひとはねむれりうつむきてねむるひとときひとはつつまし

 窓辺の明るい光の中でまどろむ人。誰であろうと構わないのだが、愛する人(あるいは愛した人?)と思いたい。「うつむく」という何気ない姿のもたらす限りない幸福感。あまりにも幸せで光に消えてしまいそうだ。歌集『蜜の大地』から。


   2016.10.10

   玲瓏(れいろう)と夢に丹頂白かりき 檻(おり)に高鳴く二つのつがひ

 鶴はめでたい鳥だが、祈りの象徴でもある。凍るような夜明け、長い嘴(くちばし)を天に向けて鳴くその鳥に、業苦にあえぐ人間の祈りの姿が重なる。歌集に忽然(こつぜん)と現れる二羽の丹頂。歌人のどのような思いの化身だろうか。歌集『蜜の大地』から。



   【クンちゃんメモ】
   
   *第6首人生の半ばを過ぎてぬばたまのカーマイケルを思ふことあり
    の評は、まったく見当違い、の感あり。
    ただし、評者は1954年生まれで、平穏に戻った学園に入学した世代である。
    平和な日常に埋没せざるを得なかった“全共闘残党”の心持ちを推測せよと求むることは
    酷に過ぎよう。やむを得まい。   
    われわれ戦後世代が、敗戦後の特攻生き残りの心情を慮って、なお至らざるごとく。

   *第10首玲瓏と夢に丹頂白かりき檻に高鳴く二つのつがひ
    ふたつのつがい、とは「二羽の丹頂」なのか。
    つがいは♂♀一対であるから、四羽とも思えるが、ここでは二羽であるべきだろう。
    そうすると、しろうとにはわからないが、「の」は強調、意味合いを強める「の」
    なのかも知れんが、よくわからん!

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