ホントはこわーい!
著者なりすまし
急告!【“なりすまし本”の著作権関連で新ネタです。】
いましがた、ポストを見に行くと、昨夕から夜にかけて配達されたものか、アマゾンに発注していた“なりすまし本『暁の警視庁』”(仮名、古本、価格70円、送料257円)が届いていた。
開けてびっくり!タマテバコ!
第2刷(増刷分)のほうだったが、著作権表示、いわゆるマルシー表示が次のようになっている!
©Ronge Kawman 2012 Printed in Japan
一瞬、慈悲のやつ、たわけたペンネームを使いやがって、と思わず頬が緩んだが、次の瞬間、ええっ!とびっくらこいた。この本の「著者」として表示されているのも、やはり
Ronge Kawmanなのである。
既にみてきたように、出版契約書では、前回掲載画像のとおり(下に再掲)、著作権者は慈悲となっている。まあ、クンちゃんにしか読めないんだけど、そうなってるわけ。したがって、この著作権表示は著者の
Ronge Kawman ではなく、 契約書どおり、
©Gowasu Jihide 2012 Printed in Japan と表記されるべきなのである。
どういうことなのか、頭が混乱してきたので、ちょっと中断します。
(
10日夜になって、再開しました。)
著作権者であるからこそ、慈悲が日本文学館に対し自己の著作権の内容のひとつである出版権を付与することができるのだし、『暁の警視庁』の増刷に関する契約書(覚書)をも取り交わすことができたのだ。
クンちゃんは、届いた本の奥付をまず眺めて、著作権の所在を念のため確認しようとしたのだが、そこに著者の名前と同一であるRonge Kawman(以下、「ロンゲ」と表示。)の名前を発見して、何が何だかわからなくなってしまった。
落ち着いて考えてみると、慈悲はすでに自分が真正の著者ではなく、雲助が実際に原稿を書いたホントの著者であることを認めている。また、このなりすましの経緯については、慈悲・雲助・日本文学館の三者は共謀している。グルなのだ。で、次の結論に至った。
ということは、ロンゲというのは著者雲助のペンネーム
※なのだろう、と推測される。
ということは、著作権表示(マルシー表示)が間違っていることになる。
ということは、編集者が間違えたことになる。
※参考・変名(ペンネームなど)による著作物の著作権存続期間は公表後50年。実名の著作物は同じく著作者死亡後50年(著作権法51、52条)
しっかし! 書籍制作の際に注意すべき重要な柱のひとつである著作権表示について、こんな間違いを起こし得るのだろうか。フツー水準の商業出版社なら、まずこんなことはあり得ない。なぜなら、第一に著者=著作権者ではないケースはほんの一握りだからだ。大方、すでに亡くなった書き手の作品を出す場合に、注意を要する程度である。故人の作品なら、著作権を承継した相続人等を表示することになる。(共有ならすべて表示する。)こんな場合の著者は、有名な書き手であるので、常識として間違えっこない。
ところが、自費出版系では費用を誰が出すかといった要素ほか諸般の事情で、著者が著作権者ではない場合も大いにあり得る。だから文芸社だって、担当編集者のところに原稿が回ってくる際には、出版契約書の写しが添付されてくる。その著作権者欄を確認すれば、間違いは起こり得ないのだ。
じゃあ、出版社もどきの日本文学館なら、どうだ?
クンちゃんの頭の中で、「あるよ、あるな」「一般論としては、あり得るかな?」とかいう声があちこちから聞こえる。
日本文学館の本は、よそで作っているものが多いからだ。編集プロダクションである。社内ではない。外部だ。(『暁の警視庁』を外注に出したかどうかは不明。)
そうなると、内部資料であり、契約金額も明記されている契約書(ノベル倶楽部契約書)写しを添付しない可能性はかなりありそうに思える。
そうであっても、『暁の警視庁』の担当編集者に対し、契約担当者が、「この案件の著作権者は、著者のロンゲではありませんよ。慈悲ですよー」と書き付けやせめて口頭であっても申し送っていれば、間違えっこない。結局、なんの伝達もなく、原稿が流れていったので、担当編集者は原則どおり著者=著作権者で表示してしまった、という可能性が強いだろう。
で、要するに、
©Ronge Kawman 2012 Printed in Japan は誤記、間違いだろうとクンちゃんは判断した。
出版契約書の作成も著作者名など空欄を残していて杜撰、著作権の表示も間違い、たいした出版社(のような会社)だが、思えば、慈悲に助けられた格好になっていると言えなくもない。
もし、慈悲が相当のタマなどという程度をはるかに超える極悪な人物だとしたら、また、『暁の警視庁』がひょんなことで売れて売れて増刷が間に合わないという状況になっていたとしたら、グルになっていたことなどどこ吹く風で、「おいどんが名実ともにホントの著者、ロンゲ・カイマンでごわす」という横車を押せた可能性を否定できないからだ。
さーて、さて、おたちあい! そろそろお後がよろしいようで、先を急ぐことにする。
これまでの経緯を検討してくる中で、雲助は費用立替えなどのいわば見返りに、著作権を慈悲に譲り渡してしまったことがわかった。
これがいかにあさはかな行為であったか、当の雲助も、かたや慈悲も意識していないかもしれない。だが、これには背筋の寒くなるような要素が含まれている。愚行きわまりない、とはまさにこのことである。
本を出す、ということはさまざまな可能性を生み出す。ここでは、話の都合上、財産権である著作権本体から生じる魔物の話にしぼる。
もう10年以上も前の話だが、文芸社から『O型自分の説明書』(正確ではないかも!)とかいう血液型がらみのものが出た。これは、文章でつづる本というよりは、自分で書き込むパズルだけで出来ている本があるよね、あんなのに似たつくりで、書籍というよりは雑貨のようなものに分類できるタイプであった。
この本、前述のような大多数の文芸社自費出版本と同じ成り行きで、粛々と何事も無く“落着”したように見えた。
ところが、東北地方をメインエリアとする書店チェーンのひとりの店員がこれに目を付け、チェーン内でいわばキャンペーンを張った。そうしたところ、これがバカ受けに受け、瞬く間にすべての血液型に敷衍するは、何ヶ国語にも翻訳されるは
※、で何年にもわたって売れに売れ、何百万部?(これも不正確、もっと多いはず)もの大大大、超超超、の大べストセラーになった。この本は現在でも販売は続いているはずだ。
※ここを「瞬く間にすべての血液型に敷衍するわ、何ヶ国語にも翻訳されるわ」と書く人がいる(宮部みゆきさんの全著作ほか多数)が、助詞の誤用。こんにちはのこんにちわ、も同様。
この超大ヒットの爆発で、潤ったのはもちろん著者と、それまで文芸社をはじめ系列会社に個人資産をつぎ込むだけつぎ込んでいて、さてどうなりますか(どっかで聞いた台詞だわな)、と腕組みをしていた文芸社・瓜坊社長のふたり。(先に述べた「ひとりの店員」も1000万円ぐらいはどこかからもらってもいいはずだが、どうだったかは聞き及んでいない。担当編集者のほうも、たいした処遇はなかったようだが、そんなこととは関係なく、幸せいっぱいの生活を送っているはずだ。いまは編集部門の最高責任者になっているかもしれない。)
で、著者は、おそらく数十人分の生涯賃金に匹敵する著作権使用料(印税、はじめはやはり2%だったが、当然上昇した。クンちゃんはこの本の出版契約書はすべて点検した。)を手にしたし、瓜坊もすべての持ち出しを回収した。このころ、別件で瓜坊と面談した際、瓜坊は「いま、会社には40億円のすぐ遣えるゼニがある」(趣旨)とにやついていて、クンちゃんは、ハハァと平伏したものだ。
(追記・日ごろより気前のよい瓜坊社長のことを書いておかねばなるまい。あまりに儲かりすぎたので、知らんぷりも出来なかったのか、2008年師走、クンちゃんを含めた文芸社勤務従業員を、派遣の人をも含め全員、およそ百人ずつ三組に分けて、オアフ島観光に出した。前出の中澤弁護士も来てたな。で、クンちゃんも3日ばかりワイキキのホテルで寝っころがり、ホノルル動物園の裏手にたむろする絵描きさんから、「ハワイのサンタさん」の絵を買って帰ってきた。帰国直前に悪い風邪をひき込み、半月近く欠勤してしまった。)
おそろしい話である。
この著者がどういう人物であるか、例えばレンタルビデオ屋(古い!こういうのは今はないやね)の女店員とか町の工務店で図面を引いているおっさんとか、そういうふつーの人だと仮定してみる。そして、どこかの人のように目下ゼニがないと仮定してみよう。そういう人物が、なんとか自分の本を出したいということで、店のおやじとかボスの一級建築士に費用を立替払いしてもらう。軽ーい気持ちで、出版契約書の著作権者欄に金主の名前を書き込むことに同意する。
すると、どうなった? まっこと、おそろしい話である。
そういうことを、慈悲と雲助はやすやすとやったのである。日本文学館も事情を知りつつ、容認したのである。
(このあと、なにが起こるかわからないという例、文芸社から自費本を出すことで思いもかけない人生が開けた稀有な例として、山田なんたらとか、隻眼の探偵ものの作者、それからイラクで人質になった高遠菜穂子さんたちの話を書こうと思ったが、もう面倒になったのでやめとく。)
一方、ゼニ金の話だけでなく、親父の浅知恵で、前途ある娘の人生が変わってしまった、という例もある。
この出来事については、下掲の引用記事等を参照されたい。
この万季ちゃん騒動のとき、件の大出版社が最終的にどのように対処したのか、とんと記憶がない。すっとぼけてしまったのかもしれない。
しかし、これだけ有能なはずの少女の作品は、二度と生まれなかった。また、万季ちゃん親子が名誉毀損訴訟で汚名を返上した、という事実もない。もう、いまは30歳になる万季ちゃんの人生を暗転させたものは、なりすまし出版だったのである。
万季ちゃんの著作は、思い切り好意的に解釈しても、親父優位の“共同著作物”だったということになる。
以下アドレスが“なりすまし本”の代表選手と目されている、
三好万季著 『インターネットで追跡する毒入りカレー事件
四人はなぜ死んだのか』(文藝春秋 1999/7)
http://www.amazon.co.jp/%E5%9B%9B%E4%BA%BA%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%9C%E6%AD%BB%E3%82%93%E3%81%A0%E3%81%AE%E3%81%8B%E2%80%95%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88%E3%81%A7%E8%BF%BD%E8%B7%A1%E3%81%99%E3%82%8B%E3%80%8C%E6%AF%92%E5%85%A5%E3%82%8A%E3%82%AB%E3%83%AC%E3%83%BC%E4%BA%8B%E4%BB%B6%E3%80%8D-%E4%B8%89%E5%A5%BD-%E4%B8%87%E5%AD%A3/dp/4163554300
http://www.uwashin.com/2001/new/newback21.html
http://www.uwashin.com/2001/new/miyosi.html
下掲アドレスは、「日本映画向上お願い委員会」というブログの5年ばかり前の記事で、
「15歳少女の、『文藝春秋・読者賞』受賞は、八百長だったのか?」というのですが、大変含蓄が深いので、ご参照ください。
http://blogs.yahoo.co.jp/hougafan7/13215396.html
というわけで、この“なりすまし二人組と日本文学館の内輪もめ騒動”についてのお話はこれで
一切合財おわりです。
今後、当ブログで言及することも、慈悲ブログにコメント投稿することもありません。ただし、明確な誤りが確認できれば訂正記事は出します。
メッセージ欄からご連絡いただいたみなさまには、先に掲示したとおり、一切応答しておりません。これ以上の紛糾を避けるためという実情をご理解ください。ありがとうございました。
クンちゃんの最終結論は、第一回のタイトルとして掲げてあるとおりです。
日本文学館は、明文のある覚書一本でいけばいいものを、採算点がどうとかいうくだらない話を持ち出すから、こういう騒ぎになったともいえ、ここは喧嘩両成敗で落着させたらどうだ!
増刷実費を、支払って&受け取って、
終わりにする、っちゅう手はないんかね!?
それと、慈悲は雲助に著作権を返還しなよね! まあ、版元を変えても売れるかどうかは、なんとも言えんけど。
そうすれば、『暁の警視庁』の著作権表示は事実と整合することになる。
もし、慈悲が返さないというなら、返させる“奥の手”をオセーてあげるからね。