黒い冷凍庫(冷凍品=文芸社、栗田工業、幻冬舎R等、クンちゃんブログ自費出版関連記事!クリタ創業者野崎貞雄氏発禁本全文)

旧文芸社=日本文学館、幻冬舎R等自費出版(費用著者負担エディション)よろず相談室 クンちゃんのエディタールームの過去記事

たけのこのビン詰(屋)!!

2015年04月27日 20時08分52秒 | ありふれた日常
       思いの外、簡単でした!
     ビンが割れちまうんじゃないか、と
     心配してましたが!
  


   

 先だって、クンちゃん山荘へやってきたこと、タケノコ採りはわずか1本の収穫で日光手前(イマイチ)だったこと、はみなさまに報告いたしたところです。

 ところがところが、昨日26日の朝、ふと崖下に下りてみると、タケノコだらけとはこのこと、というビックリハウス的情景!
 先日の強い雨のなせるわざですね。 
 思わず欲にかられて、かなり余分に収穫してしまいました。

 で、近隣の方々、果ては小屋の前を通りがかる方たち、に、ナマのものを見境なく押し付けてしまいましたが、それでもまだ余る。
 とりあえず、ほっとけないので茹でたわな、ヌカ入れて。
 しかる後になにか良策はないかと、ネット検索すると、まことに幸いなことに、

      http://cookpad.com/recipe/3114398
   
という方法があることがわかりました。 ここで、急遽、「たけのこビン詰屋」に変身の気配。

 で、ビンはあるかな、と探したところ。ジャムの空きビン、ホワイトアスパラの空ビンなどがいくつかあるものの、これでは足りん。
 町まで行って、100円均一ショップに行くと、あった!108円のビンが!
 しっかし、熱湯はだめよ、と店のおばやん。

 しょうがないので、「カインズホーム」とかいう、以前盛況だったころの「ドイト」に似た店まで行って、「熱湯煮沸でけるビンありまっか?」と聞くと、店のある程度の責任者らしい兄やんが「はい、はい、何にお使いですか?」とか言いながら、クンちゃんをビン売場まで連れて行ってくれた。たけのこのビン詰つくるなんて、なんだか妙に言いにくい感じで、濫訴の大河馬者慈悲に倣って「いちごジャムを保存したいんや」などと思わず実害のない嘘をついてしまう。(慈悲の説によると、実害のない嘘なら言いまくっても構わんそうだが、クンちゃんは虚言癖があると言われぬよう、なるべく嘘はやめようと思います。)
 話は戻って、件の兄やん責任者、そのへんのものあれやこれやをしげしげと眺めた挙句、「全部、熱湯煮沸はダメなようです」とのたまう。「はあ、さいですか」とクンちゃんが小声でつぶやくと、彼はさっと消えていった。

 んで、そこにあった品々をよく見ると、結構大きなやつが1本148円、準耐熱のものが1本348円(レシート捨ててしまったので、いずれもアバウト)。148円のやつは百均の108円とあんまり変わらず、なるほど、こりゃだめかな、とは思ったが、だめもとで148円を2本、348円を2本買って帰り、おそるおそる前記のネット記事を参考にたけのこのビン詰を作ってみた。

 案ずるより産むがやすし、とはこのことか。148円のものも途中で割れずに立派に用を足してくれた。

 よくよく考えてみれば、ガラスは成形する際には100度を超えるはずの温度に耐えている。
 ということは、急加熱、急冷却を避ければ、安い価格のガラスビンでも、なんとか熱湯煮沸に耐えるのではないか?
 ただ、事故があると困るので、熱湯煮沸はダメや言うてんとちゃう?
 (このとき、突然にクンちゃんの胸に、百均のビンでもOKかもしれんわな、という思いがフツフツと湧き上がる。)

 というようなわけで、さましている途中のわが「たけのこビン詰」が上の画像である。
 ちなみに、手前の小4つはジャム空きビン、細長いのがアスパラ空きビン、後ろのふたが白いのふたつが148円、金色のふたつが348円のガラスビンです。

 着払いでよければ、特製新たけのこビン詰、クロネコ便にて、もち無料で送ります。(クンちゃんと面識ある方のみとします。面識ない人は、食い物だから、やっぱ気持ち悪いでしょうからね。)
 メッセージ欄から、ご連絡ください。じゃあね!

 
 

種ジャガを掘ったんは誰?

2015年04月20日 20時17分15秒 | ありふれた日常


 足跡だけが残る。河馬ではないようだが…

 きょう20日は昼前から本格的な雨、とかいう予報。そんならちょっと早く起きてネギ苗(いわゆる深谷ネギ)を植えてしまうべ、と起き出してみたら、なんだか、そこらへんじゅう足跡だらけで、びっくり(びっくらこいたの一歩手前の状態)。

        

 この足跡はいったい、誰なんだろう。真ん中でひずめが割れているようにも見えるけど。

 ここには、遅く種ジャガイモをええ加減に植えた。まだ葉も茂っていない。それをよく探して掘ってくれちゃってる。

 この冬はだいぶエサがないらしく、いろんなメンバーがあちこちに頻繁に訪問してくださった由。ここらへんの家庭菜園愛好者はかなりのぶーたれ状態である。

 シカは年中しばしば見かけるし、夏にはサルは庭先まで入ってきてエダマメをかっぱらっていく。夜中に何かの気配で外に出たら、イノシシが入り込んでいて、ポーンと塀を飛び越えて逃げっていったこともある。ことしは庭にシカの糞があるので、クンちゃん留守中に例年になくご来訪くださったようだ。

 そうこうしていると、上のほうに住む顔見知りのおばあさん(82歳)が散歩で通りがかった。ちょっと四方山話をして足跡の話をしたら、「ことし、うちはハクビシンが入り込んで難儀やった」という。ハクビシンは、名前だけ聞いたことはあるが、そんなもんがおるんかい、ここらへんは!
 
 で、ハクビシンをネットで見たら、こんなやつだった(駆除業者さんのページ)。

     http://hakubishin-sizuoka.com/
    (どうもダイレクトに開かないようですので、お手数でもこのアドレスを入力してください。)

 種ジャガを掘ったのは、どうもこいつではないようだ、体の大きさと足跡の大きさから考えてね。

 河馬でもないようだ。

 いったい誰なんだ、これは!

たけのこの林

2015年04月18日 13時25分21秒 | ありふれた日常
    目のつけどころが、ちゃう!?

 昨夜というかきょう早朝(18日)というか、思い立って伊豆のクンちゃん小屋に来た。

 文芸社退職後、ここに引き込もろうとしてやってきた当時は、そばに置いたメディアはラジオだけ。
 テレビも新聞もパソコンも、もちろんインターネットとも無縁で過ごした。
 小さな菜園の世話とクンちゃん犬との散歩、小屋内外の補修といった軽作業のほかはこれといった用事もなく、時間はありあまる。
 1年に250冊ぐらいの本を読んだ。
 
 しかし、だんだん「現代社会」に呼び戻され、あるいは引き返し、パソコンを持ち込んでしまった。
 すると、とんでもない辺鄙なところだったはずのクンちゃん小屋が、一瞬にして世の中の真っ只中にあるのとなんら変わらぬことになってしまった。


 閑話休題 クンちゃん小屋の目の前に道路をはさんで、大して広くもない竹と雑木の林がある。

     

 上り坂の途中という位置関係で、画像手前が低くなっている。高いほうは左手が道路より5、6メートル低い崖になっていて、以前クンちゃん犬がいないとあちこち探したら、下に落っこちていたこともあるところだ。
 
 ここは管理事務所の所有地だが、出入りは自由で、この季節になるとたけのこを目当てに朝から車で乗り付けてくるのがいる。クンちゃん人は所有者でも管理人でもないのだが、こういうのに出くわすと意味もなく(意味はあるわな)嬉しくない気持ちになる。いまも一台、クンちゃん車のうしろに来て、下におりている。

 けさ到着して一服後の話、まず上の画像を見てもらいたい。駐車しているクンちゃん車の向こう側あたりの崖に年中かけっぱなしになっているクンちゃん専用スライダーがあるのだが、それを伝って竹林におりてみた。
 竹林の地面は乾いていて、誰かがたけのこを取り去った穴ぼこばかりが目立つ。訳もなく(訳はあるわな)むっとしながら、しばらく捜索して、やっと中ぐらいのを1本みつけた。これでよし、ひとりだしね。雨が降れば、また出てくるし。

    

 ところが、いまのいま、はずんだ人声がする。窓から見ると、おじやんひとりとおばやんふたりが、スコップかなんか持っちゃって、さらにはかなり膨らんだ不透明ビニ袋なんぞも提げちゃって、自分たちの車に乗り込むとこではありませんか! やがて、坂なんで、ぶわーっという排気音を残して走り去った。うーん、このお!

 やっぱ、慣れている人は、目のつけどころがちゃうわ!(ここの終助詞は、「は」でなくてよい。)


約束のゼニを払わん、というケース⑥追って書き   訂正します。ごめんなさい!

2015年04月17日 20時19分11秒 | 日本文学館「暁の警視庁」事案
   【お断り・今後、さらに追記する場合は、すべてこのページに追加します。】
  おいどんのどこが“なりすまし”なんだ!
   とほざく大河馬者慈悲に捧ぐ
     おまいは始まりから終わりまで
   すべてが“なりすまし”ちゅうこったよ


   これだけのタコは、きわめて珍しい。
   全国・全世界の留置場・拘置所・刑務所を探しまわっても
   まずみつからんだろうね!中にはね、じゃ、外には?!


 

 なあんだ、この賞状の画像、慈悲シリーズ連載第1回で見たよ!と言うそこの旦那やお嬢ちゃん、よーく聞いてちゃぶだい!

 これは確かに掲載済みの日本文学館【みんなにあげます「特別賞」】の賞状で、先の掲載時には特に説明をつけずにおいた。しっかし、この度、あまりに支離滅裂、厚顔無恥な慈悲ブログの新記事(既に旧記事となっているが)を見て、よくよく説明する必要を感じ、あえて、追記する次第である。慈悲関連連載の最終回に、訂正記事以外は今後一切アップしないと書いたが、今回はその訂正記事、訂正版である。説明不足だったとしたら、ごめんなさいね。

 さて、さて、その慈悲記事とは、以下の引用をご参照あれ。

  ①お前が嘘を言ったのは間違いない」と言われれば、確かにその通りです。しかし、その点だけでもって非難されることはとても納得できません。これは、出版社の説明が要領を得ないのと同じです。出版社も訳のわからない弁明を繰り返しています。(2015/4/17(金) 午後 0:00慈悲ブログ)

  ②「なりすまし」とは恐れ入りました。私は、まったくそういう認識はしていませんでした。クンちゃんさんにとって「晴天の霹靂」とも言える契約行為であるとしたら、私にとっても「なりすまし」という指摘は「晴天の霹靂」です。まさに「びっくらこいた」です。果たして、私は、何を意図して「なりすまし」をしたのでしょうか。「なりすまし」をする目的は何だったのでしょうか。クンちゃんは、その点を何ら説明していません。ぜひとも説得力のある説明をしてほしいと思います。(2015/4/17(金) 午後 6:00慈悲ブログ
)


 まず、①の記事について述べる。
 要は、嘘を言ったと指摘されればそのとおりだが、その点だけを非難されることは納得できない、んだそうだ。
 へえー、驚いた。この慈悲論法でいくと、「殺したと指摘されればそのとおりだが、その点だけをもって非難されることは納得できない」などというたわけた弁明も通用しちゃうんじゃないかい。
 鬼蜘蛛ココログのコメント欄で、慈悲は「虚言癖あり」と断じられてしまったので、新たなスタンスと言い逃れに新境地を見出そうとしているようだな。「虚言癖」のやりとりについては、下記アドレスからコメント欄をじっくり眺めてほしい。

     http://onigumo.cocolog-nifty.com/blog/2015/04/post-e4f3.html

 本題の②に入る。
 こちらも、なんともはやと言うか、またまたびっくらこいたと言うか、さんざんなりすましだと指摘されていたにもかかわらず、今ごろになって「なりすまし」をなんとか否定してしまおうとの論旨のようだ。
 新手の言い逃れの趣旨は、故意じゃない、わざとじゃない、という刑事裁判の自供済みの事案でみられる泣きと同旨である。どうにも争いようがないため、情状酌量を乞う際の常套句とも言えそうだ。(どうせなら、こちらも「なりすましと指摘されればそのとおりだが、その点だけを非難されるのは納得できない」とでも言ったほうがいいんじゃないかな。)

 まあそれはさておき、今回のタイトル、「おいどんのどこが“なりすまし”なんだ!とほざく大河馬者慈悲に捧ぐ! おまいは始まりから終わりまで、すべてが“なりすまし”ちゅうこったよ」の説明を試みてみよう。ほんとはね、慈悲自身の心に手前で聞いてみりゃ、たちまち、了解!のはずなんだけど。

 タイトル前段(「おいどん」から「捧ぐ!」)については特に説明を要しないと思うが、引用記事②の冒頭「なりすまし」から、「びっくりこいた、です」までの要約をクンちゃん流に書いたということだ。
 なお、大河馬者、は「たいがばしゃ」ではなくて、「おおかばもの」と読んで、慈悲のように大きなカバのごとく立派な人物、という意味合いの造語である。慈悲の別ブログに掲載されているウォーキング写真をご参照(No718)。

 次に、タイトル後段(「おまい」から「ちゅうこったよ!」)までは、読んで字義のごとしだが、説明を加えんとわからんちんもいる由にて、以下解説する。

 「おまい」とは、大河馬者慈悲のことである。

 「始まりから」の説明には、上掲の日本文学館賞状が必要になる。
 クンちゃんが結構苦労して修正を施したこの賞状、受賞者氏名の記載位置には、いったいなんと書かれていたのか? そこには、

   「慈悲出 五羽巣」  という、大河馬者の氏名が書かれているのである。 

        丸シー表示のところで出てきた ©Gowasu Jihide 2012 Printed in Japan 
 、あれだよね。(あれだよね、の「あれ」がわからんというお方がいる。「あれ」とは、時系列的に過去の事象を指しているからそう書くんで、©Gowasu Jihide 2012 Printed in Japan のことを指すんだよ。)

 もう一度、書こう。「慈悲出 五羽巣」とは、言うまでもなく、クンちゃんと同じく埼玉県在住の慈悲の本名・実名の仮表記なのである。
 念のため断っておくが、著者である雲助の実名でも、筆名・変名でもない。

 これにさらに説明を加えにゃならんかと思うと情けないが、日本文学館の嘘っぱちコンテストには、「雲助の原稿が慈悲の名前で」応募されたのである。だから、賞状に慈悲の名があるのだ。先行きを見通したワル知恵であろう。

 クンちゃんとしては、これまで、日本文学館との出版契約締結前後に雲助-慈悲-日本文学館三者のなりすまし密約が成立したものと思っていたが、驚くなかれ、そのはるか以前に、雲助-慈悲の間では、なりすまし密約がとうに成立していたのでR。
 これは代理という類の内容ではなく、あきらかになりすましである。もちろん、過失でのなりすましなんていうのはありっこないから、慈悲が否定している故意は明々白々に存在している。
 以上が、「始まりから」の説明である。

 引き続いて、「終わりまで」の解説に移る。
 次の慈悲の記述をご覧いただきたい。

  雲助さんは、私が著者として出版社のみならず、あらゆる対象と交渉することを私に委ねました。本が売れてマスコミに取り上げられることになった場合、私にインタビューを受けることを依頼しました。それのみならず、本の内容が法的に問題となった場合でも、私が法廷に立つことを要求しました。今にしてみれば、まさに「捕らぬ狸の皮算用」です。 (2015/4/17(金) 午前 0:00 慈悲ブログ、傍線クンちゃん) 

 まさに、常軌を逸したことが書かれている。

 (雲助に言うだけではなく、慈悲自身も)黙ってりゃいいものを、調子こいてああだこうだと能書きを垂れているうちにとんだ襤褸が出てくる、まさにその典型である。「語るに落ちる」とはこのことなのだ。

 もし、「暁の警視庁」が売れて売れて、著者がマスコミの寵児となった暁には、雲助ではなくて慈悲が著者として世間様に顔をさらすという密約なのである。
 これで驚いてはいられない!さらに、著作内容に問題があって法的手続きが開始された場合は、雲助ではなく慈悲がこれまた著者として登場するというのである。

 これら非常識きわまりない密約は、それを「依頼された」「要求された」との表現になっているが、これまでの経緯に鑑みれば、慈悲がそれを受け入れたことは明白である。
 法的手続きの場合、興味をひくのは、民事だけではなく、刑事をも射程に置いていたのかどうか。そこは現在、明らかではないが、これらの意味を一瞬遅れで理解したクンちゃんは、しばらく茫然としてしまった。いろんなタコは、さんざん見てきたが、こんなタコははじめてだからである。

 慈悲が受け入れた以上の内容は、前記「始まりから」に対応する「(出版という行為の)終わりまで」の表現が妥当性をもつ根拠としては十二分であろう。今回のタイトルの意味に関する解説は以上のとおりである。
 ②の後半部分、【果たして、私は、何を意図して「なりすまし」をしたのでしょうか。「なりすまし」をする目的は何だったのでしょうか。クンちゃんは、その点を何ら説明していません。ぜひとも説得力のある説明をしてほしいと思います。】については、クンちゃんはあずかり知らぬことである。よく言うよ!まったく。張本人の慈悲自らが、悔い改めとともにいずれ告白すべきであろう。
 なお、最新の慈悲ブログに、同様趣旨が繰り返されている。部数の異同など数字がらみの虚偽説明についての次の記述である。 虚偽の説明をすることで私は何のメリットもありません。私を批判する人は、私が虚偽の説明をしたことの合理的な理由を説明すべきですが、その説明をしていません。それでは説得力を持ちません。説得力のある批判に意味はありません。(2015/4/19(日) 午後 10:00慈悲ブログ)

 どうしたらこのような思考回路を取得できるのだろうか。

 確かにこうした考え方、段取りが必要とされる特殊な世界があるにはある。
 それは、刑事事件の捜査という一般社会とはかなり乖離した世界である。捜査関係出身でもない慈悲がこのような河馬げた要素をふりまわすならば、またまた大河馬者と評価されるだけだと知るべきだ。

 刑事裁判において公判を維持して有罪に持ち込むには、警察・検察段階で慈悲が言うような要素について厳密な捜査(立件)が必要である。推理小説の世界もまた同様である。
 しかし、いま慈悲が批判にさらされているのは刑事立件を目指したものでもなんでもない、一般社会での常人同士のやりとりである。虚偽だと指摘する場合には、当該指摘が誤っていないというだけの証明で十分である。飛躍や勘違い、妄想はいいかげんにしてもらいたい。
 

 さて、追って書きの追って書きになるが、必要に応じ、賞状などの信憑性を証するため、修正した画像を掲載済みの「日本文学館・ノベル倶楽部契約書」や、増刷にかかる「覚書」も、マスキングをはずしたオリジナル版で掲載することにしたい。「必要に応じて」とはどういう場合か、懇切丁寧に先まわって説明しておくが、「賞状においどんの名前などござらん」なんぞと慈悲がのたもう場合ほかである。

 個人情報のからみは多少あるものの、真実性を担保するためにはやむを得まい。もっとも、慈悲は明4月20日に訴状を出すと慈悲ブログで予告している。やがて、いずこかの裁判所に訴訟が係属すれば、裁判(本訴)は調停と異なり公開ゆえ訴訟資料は誰でも閲覧できることになる。
 そうなれば、訴状そのものはもとより、これら契約書類は個人情報もへちまもない公開情報へと性質を変えていく成行きであるから、時期は多少早いが、現在段階での公開にも大方の了承を得られるものと考えている。

   (以上の記事は、4月17日から同19日にかけて順次サイトアップしたものである。)

花が咲くときゃ風が吹く

2015年04月14日 21時29分06秒 | ありふれた日常

   
    南埼玉の一本桜 (二股桜とも。2015年4月7日、埼玉県久喜市郊外で Photo by kunchan)


  花が咲くときゃ、風が吹く、
 月が出てくりゃ雲が出る、とかくこの世はままならぬ
               (「九ちゃん音頭」)
   https://www.youtube.com/watch?v=JMcu9_k7RVM


 ほぼ毎年、桜の季節には、花ぐもりではおさまらず、雨が降って風が吹いて、無茶無茶になってしまいます。
 花嵐といいますが、ことしは雪まで降りましたね。
 まっこと、人生のようです。

 人と人とのつながりも、うまくいってるときは、咲き誇る桜花のように、すばらしいものです。
 しかし、いったんこじれたら、善の道でも悪の道でも、同じ歩調で歩いていたものが、徹底的に傷つけあいことは珍しくありません。
 こうなると、ほどほどということはありません。
 相手のいやがりそうなことをわざわざ選んで、なるべく深く傷つけようとします。

 そうして、季節は過ぎていきます。



    (九ちゃん音頭を口ずさんでいると、どういうわけか、必ず「圭子の夢は夜ひらく」になっちゃうんですが…。)

倒れる!

2015年04月13日 19時05分57秒 | 日記
       思いがけず倒れる!  
       のはしゃあないけど、
       土・日であとまわしにしてたっていうんだから!!


 きのう、12日、ちょっと新橋まで出かけようと思ったら、神田だか秋葉原で架線の支柱が倒れて、山の手線も京浜東北も動いていないとかいうんだ。で、しゃあないからとりやめた。
 テレビニュースで見たら、なんだか大勢がわあわあ線路上に“出動”してるんだけど、次のカットではなんのこたあない実働ふたりがスコップでなんか掘ってるのが映っただけ。段取りによって、大勢が必要になるんかもしれんが、なんだかねえ。結局9時間もストップしたままで、あきれかえった(一部区間はその前に復旧)。
 さらにあきれる話。倒れる2日前に通りがかりの運転士が「おかしい」と気がついて報告したけど、土日は避けてということだと思うが、きょう13日月曜日に修理の予定だったとか、おふざけも大抵にせいよ!

    http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150412/k10010045511000.html

    http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/society/society/1-0122387.html 

 
 で、倒れる、といえば、この間、ラオスに行った際、夜中にマンゴーの大木がやっぱ突然の如く、倒れた。
 3月28日の夜中のこと。ルアンパバン(ルアンブラパン)というメコン河の畔にある、町中が世界遺産になっているところに泊まっていたが、大音響とともに突然停電。宿(ルアンパバン・リバー・ロッジ)のまん前に立っていたマンゴーの古い木が倒れて、電柱を3本ばかり引き込んだので、一帯が停電となった。
 朝になって大木の撤去は進んだが、停電は復旧せず、もう一泊は宿替えになった。住民に聞くと、「もう倒れそうだって役所に何度も言ってたんだけんど、世界遺産だっちゅうことで触れないとかぬかしてるうちに、このありさまだんべな」と憮然としていた。

              朝になって見てみたら、夜中に見たのよりはるかに大きなマンゴーの木でした。
               (2015年3月29日午前4時50分、ラオス・ルアンパバン市内で  Photo by kunchan)


   
   千年ほど前の「三菱」製トラック

約束のゼニを払わん、というケース(日本文学館の増刷ファイルより)⑤最終回

2015年04月10日 10時32分37秒 | 日本文学館「暁の警視庁」事案
  ホントはこわーい!
      著者なりすまし
 


   急告!【“なりすまし本”の著作権関連で新ネタです。】
 いましがた、ポストを見に行くと、昨夕から夜にかけて配達されたものか、アマゾンに発注していた“なりすまし本『暁の警視庁』”(仮名、古本、価格70円、送料257円)が届いていた。
 開けてびっくり!タマテバコ!
 第2刷(増刷分)のほうだったが、著作権表示、いわゆるマルシー表示が次のようになっている!
 
     ©Ronge Kawman 2012 Printed in Japan    

 一瞬、慈悲のやつ、たわけたペンネームを使いやがって、と思わず頬が緩んだが、次の瞬間、ええっ!とびっくらこいた。この本の「著者」として表示されているのも、やはり Ronge Kawmanなのである。
 既にみてきたように、出版契約書では、前回掲載画像のとおり(下に再掲)、著作権者は慈悲となっている。まあ、クンちゃんにしか読めないんだけど、そうなってるわけ。したがって、この著作権表示は著者の Ronge Kawman ではなく、 契約書どおり、

     ©Gowasu Jihide 2012 Printed in Japan  と表記されるべきなのである。

   

 どういうことなのか、頭が混乱してきたので、ちょっと中断します。

10日夜になって、再開しました。)
 著作権者であるからこそ、慈悲が日本文学館に対し自己の著作権の内容のひとつである出版権を付与することができるのだし、『暁の警視庁』の増刷に関する契約書(覚書)をも取り交わすことができたのだ。
 クンちゃんは、届いた本の奥付をまず眺めて、著作権の所在を念のため確認しようとしたのだが、そこに著者の名前と同一であるRonge Kawman(以下、「ロンゲ」と表示。)の名前を発見して、何が何だかわからなくなってしまった。

 落ち着いて考えてみると、慈悲はすでに自分が真正の著者ではなく、雲助が実際に原稿を書いたホントの著者であることを認めている。また、このなりすましの経緯については、慈悲・雲助・日本文学館の三者は共謀している。グルなのだ。で、次の結論に至った。

   ということは、ロンゲというのは著者雲助のペンネームなのだろう、と推測される。 
   ということは、著作権表示(マルシー表示)が間違っていることになる。
   ということは、編集者が間違えたことになる。
     ※参考・変名(ペンネームなど)による著作物の著作権存続期間は公表後50年。実名の著作物は同じく著作者死亡後50年(著作権法51、52条)

 しっかし! 書籍制作の際に注意すべき重要な柱のひとつである著作権表示について、こんな間違いを起こし得るのだろうか。フツー水準の商業出版社なら、まずこんなことはあり得ない。なぜなら、第一に著者=著作権者ではないケースはほんの一握りだからだ。大方、すでに亡くなった書き手の作品を出す場合に、注意を要する程度である。故人の作品なら、著作権を承継した相続人等を表示することになる。(共有ならすべて表示する。)こんな場合の著者は、有名な書き手であるので、常識として間違えっこない。
 ところが、自費出版系では費用を誰が出すかといった要素ほか諸般の事情で、著者が著作権者ではない場合も大いにあり得る。だから文芸社だって、担当編集者のところに原稿が回ってくる際には、出版契約書の写しが添付されてくる。その著作権者欄を確認すれば、間違いは起こり得ないのだ。

 じゃあ、出版社もどきの日本文学館なら、どうだ?
 クンちゃんの頭の中で、「あるよ、あるな」「一般論としては、あり得るかな?」とかいう声があちこちから聞こえる。
 日本文学館の本は、よそで作っているものが多いからだ。編集プロダクションである。社内ではない。外部だ。(『暁の警視庁』を外注に出したかどうかは不明。)
 そうなると、内部資料であり、契約金額も明記されている契約書(ノベル倶楽部契約書)写しを添付しない可能性はかなりありそうに思える。
 そうであっても、『暁の警視庁』の担当編集者に対し、契約担当者が、「この案件の著作権者は、著者のロンゲではありませんよ。慈悲ですよー」と書き付けやせめて口頭であっても申し送っていれば、間違えっこない。結局、なんの伝達もなく、原稿が流れていったので、担当編集者は原則どおり著者=著作権者で表示してしまった、という可能性が強いだろう。

 で、要するに、 ©Ronge Kawman 2012 Printed in Japan は誤記、間違いだろうとクンちゃんは判断した。

 出版契約書の作成も著作者名など空欄を残していて杜撰、著作権の表示も間違い、たいした出版社(のような会社)だが、思えば、慈悲に助けられた格好になっていると言えなくもない。
 もし、慈悲が相当のタマなどという程度をはるかに超える極悪な人物だとしたら、また、『暁の警視庁』がひょんなことで売れて売れて増刷が間に合わないという状況になっていたとしたら、グルになっていたことなどどこ吹く風で、「おいどんが名実ともにホントの著者、ロンゲ・カイマンでごわす」という横車を押せた可能性を否定できないからだ。

 さーて、さて、おたちあい! そろそろお後がよろしいようで、先を急ぐことにする。
 これまでの経緯を検討してくる中で、雲助は費用立替えなどのいわば見返りに、著作権を慈悲に譲り渡してしまったことがわかった。
 これがいかにあさはかな行為であったか、当の雲助も、かたや慈悲も意識していないかもしれない。だが、これには背筋の寒くなるような要素が含まれている。愚行きわまりない、とはまさにこのことである。    


 本を出す、ということはさまざまな可能性を生み出す。ここでは、話の都合上、財産権である著作権本体から生じる魔物の話にしぼる。

 もう10年以上も前の話だが、文芸社から『O型自分の説明書』(正確ではないかも!)とかいう血液型がらみのものが出た。これは、文章でつづる本というよりは、自分で書き込むパズルだけで出来ている本があるよね、あんなのに似たつくりで、書籍というよりは雑貨のようなものに分類できるタイプであった。
 この本、前述のような大多数の文芸社自費出版本と同じ成り行きで、粛々と何事も無く“落着”したように見えた。

 ところが、東北地方をメインエリアとする書店チェーンのひとりの店員がこれに目を付け、チェーン内でいわばキャンペーンを張った。そうしたところ、これがバカ受けに受け、瞬く間にすべての血液型に敷衍するは、何ヶ国語にも翻訳されるは、で何年にもわたって売れに売れ、何百万部?(これも不正確、もっと多いはず)もの大大大、超超超、の大べストセラーになった。この本は現在でも販売は続いているはずだ。
※ここを「瞬く間にすべての血液型に敷衍するわ、何ヶ国語にも翻訳されるわ」と書く人がいる(宮部みゆきさんの全著作ほか多数)が、助詞の誤用。こんにちはのこんにちわ、も同様。 

 この超大ヒットの爆発で、潤ったのはもちろん著者と、それまで文芸社をはじめ系列会社に個人資産をつぎ込むだけつぎ込んでいて、さてどうなりますか(どっかで聞いた台詞だわな)、と腕組みをしていた文芸社・瓜坊社長のふたり。(先に述べた「ひとりの店員」も1000万円ぐらいはどこかからもらってもいいはずだが、どうだったかは聞き及んでいない。担当編集者のほうも、たいした処遇はなかったようだが、そんなこととは関係なく、幸せいっぱいの生活を送っているはずだ。いまは編集部門の最高責任者になっているかもしれない。)

 で、著者は、おそらく数十人分の生涯賃金に匹敵する著作権使用料(印税、はじめはやはり2%だったが、当然上昇した。クンちゃんはこの本の出版契約書はすべて点検した。)を手にしたし、瓜坊もすべての持ち出しを回収した。このころ、別件で瓜坊と面談した際、瓜坊は「いま、会社には40億円のすぐ遣えるゼニがある」(趣旨)とにやついていて、クンちゃんは、ハハァと平伏したものだ。(追記・日ごろより気前のよい瓜坊社長のことを書いておかねばなるまい。あまりに儲かりすぎたので、知らんぷりも出来なかったのか、2008年師走、クンちゃんを含めた文芸社勤務従業員を、派遣の人をも含め全員、およそ百人ずつ三組に分けて、オアフ島観光に出した。前出の中澤弁護士も来てたな。で、クンちゃんも3日ばかりワイキキのホテルで寝っころがり、ホノルル動物園の裏手にたむろする絵描きさんから、「ハワイのサンタさん」の絵を買って帰ってきた。帰国直前に悪い風邪をひき込み、半月近く欠勤してしまった。)


 おそろしい話である。
 この著者がどういう人物であるか、例えばレンタルビデオ屋(古い!こういうのは今はないやね)の女店員とか町の工務店で図面を引いているおっさんとか、そういうふつーの人だと仮定してみる。そして、どこかの人のように目下ゼニがないと仮定してみよう。そういう人物が、なんとか自分の本を出したいということで、店のおやじとかボスの一級建築士に費用を立替払いしてもらう。軽ーい気持ちで、出版契約書の著作権者欄に金主の名前を書き込むことに同意する。

 すると、どうなった? まっこと、おそろしい話である。
 そういうことを、慈悲と雲助はやすやすとやったのである。日本文学館も事情を知りつつ、容認したのである。

 (このあと、なにが起こるかわからないという例、文芸社から自費本を出すことで思いもかけない人生が開けた稀有な例として、山田なんたらとか、隻眼の探偵ものの作者、それからイラクで人質になった高遠菜穂子さんたちの話を書こうと思ったが、もう面倒になったのでやめとく。)
 

 一方、ゼニ金の話だけでなく、親父の浅知恵で、前途ある娘の人生が変わってしまった、という例もある。
 この出来事については、下掲の引用記事等を参照されたい。

 この万季ちゃん騒動のとき、件の大出版社が最終的にどのように対処したのか、とんと記憶がない。すっとぼけてしまったのかもしれない。
 しかし、これだけ有能なはずの少女の作品は、二度と生まれなかった。また、万季ちゃん親子が名誉毀損訴訟で汚名を返上した、という事実もない。もう、いまは30歳になる万季ちゃんの人生を暗転させたものは、なりすまし出版だったのである。
 万季ちゃんの著作は、思い切り好意的に解釈しても、親父優位の“共同著作物”だったということになる。
 


  以下アドレスが“なりすまし本”の代表選手と目されている、
   三好万季著 『インターネットで追跡する毒入りカレー事件 四人はなぜ死んだのか』(文藝春秋 1999/7)
    http://www.amazon.co.jp/%E5%9B%9B%E4%BA%BA%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%9C%E6%AD%BB%E3%82%93%E3%81%A0%E3%81%AE%E3%81%8B%E2%80%95%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88%E3%81%A7%E8%BF%BD%E8%B7%A1%E3%81%99%E3%82%8B%E3%80%8C%E6%AF%92%E5%85%A5%E3%82%8A%E3%82%AB%E3%83%AC%E3%83%BC%E4%BA%8B%E4%BB%B6%E3%80%8D-%E4%B8%89%E5%A5%BD-%E4%B8%87%E5%AD%A3/dp/4163554300 

    http://www.uwashin.com/2001/new/newback21.html

     http://www.uwashin.com/2001/new/miyosi.html 

  下掲アドレスは、「日本映画向上お願い委員会」というブログの5年ばかり前の記事で、
「15歳少女の、『文藝春秋・読者賞』受賞は、八百長だったのか?」というのですが、大変含蓄が深いので、ご参照ください。

     http://blogs.yahoo.co.jp/hougafan7/13215396.html 


  というわけで、この“なりすまし二人組と日本文学館の内輪もめ騒動”についてのお話はこれで一切合財おわりです。
  今後、当ブログで言及することも、慈悲ブログにコメント投稿することもありません。ただし、明確な誤りが確認できれば訂正記事は出します。
  メッセージ欄からご連絡いただいたみなさまには、先に掲示したとおり、一切応答しておりません。これ以上の紛糾を避けるためという実情をご理解ください。ありがとうございました。

  クンちゃんの最終結論は、第一回のタイトルとして掲げてあるとおりです。
  日本文学館は、明文のある覚書一本でいけばいいものを、採算点がどうとかいうくだらない話を持ち出すから、こういう騒ぎになったともいえ、ここは喧嘩両成敗で落着させたらどうだ!

       増刷実費を、支払って&受け取って、
     終わりにする、っちゅう手はないんかね!?


  それと、慈悲は雲助に著作権を返還しなよね! まあ、版元を変えても売れるかどうかは、なんとも言えんけど。
   そうすれば、『暁の警視庁』の著作権表示は事実と整合することになる。  
   もし、慈悲が返さないというなら、返させる“奥の手”をオセーてあげるからね。

 

約束のゼニを払わん、というケース(日本文学館の増刷ファイルより)④

2015年04月09日 13時49分43秒 | 日本文学館「暁の警視庁」事案
  慈悲らの著述内容を検証する

 というようなわけで、前回は慈悲が「本当の著者は雲助だが、おいどんは契約上の著者でごわす」と言い張り、「この度の問題では著者が誰であるかなんていうことはくだらんことで、問題にもならん」(趣旨)と言い募っている。

 「問題にならん」と言うわりには、しばしば自らが著者だとあちこちで書いているのはどういう訳だろうか。その例は既に見てきたが、「契約上の著者」だと言い直した例として下記をご覧いただきたい。、

  雲助は、私に代わって買取り費用を支払うとTaさん註・日本文学館幹部)に申し出たそうですが、断られたといいます。著者として契約しているのは私ですので当然です。(2015年3月24日、クンちゃん宛メール、傍線クンちゃん)
 
 既に出版契約書(「ノベル倶楽部契約書」)において、著者=著作者として契約していない事実は確認した。
 しかし、慈悲の顔を立てて、念のため、増刷契約書(覚書)のほうも参照してみよう。

   

 やはり、慈悲が増刷分につき「著者として契約」した事実はない。型どおり、著作権者の慈悲が自らが持つ著作権の内容のひとつである出版権を増刷分についても日本文学館に付与するとの趣旨が読み取れるに過ぎない。
 慈悲は、事実上も、契約上も、その他ありとあらゆる見地からも著者ではない!
(なお、脱線ながら、この覚書の買取条項を文字どおりにクンちゃん流に読むと、「売れ残りが1部から750部の場合は、残部をすべて著作権者=慈悲が買い取る」というふうにしか読めないのだが、算数・数学からっきしダメなことに鑑み、それはぶつぶつ小声で言うことにする。)

 ところで、前記慈悲メールの内容のうち、雲助が日本文学館側に自分が買取分を支払うと申し出たとの点に触れるが、日本文学館はそれを受け取って済ませられるものなら願ってもないことと考えただろう。だが、多少の常識をわきまえていれば、そんなことはできないということぐらいはすぐわかる。
 それは、慈悲が言うように「慈悲が著者として契約している」からではなく、単に慈悲が契約当事者=債務者だからである。
「利害の関係を有せざる第三者は債務者の意思に反して弁済を為すことを得ず」(民法474条2項)という条文は習わずとも、その理屈は中学の公民で習うはずである。この雲助申し出の場合、債務者=慈悲が雲助の弁済を承諾しないのは明白であり、日本文学館側が確認するまでもなかったのであろう。
(雲助は著者なんだから利害関係のある第三者じゃないか、といぶかる向きに一言。ここでいう「利害関係のある第三者」の「利害」とは法律上の利害であり、例えば借地である敷地の地代の弁済について、借地上の建物の賃借人は、建物賃貸人たる当該借地の借地権者(賃借の場合もあろう)が地代弁済をすっとぼけている場合に、これに代わって弁済できる、というようなケースだから、契約そのものとは無関係の雲助はこれに該当しない。ゆえに、さすがの日本文学館も雲助からの弁済申し出を無念の思いで断らざるを得なかっただけの話。-脱線)

 さて、今回は、“なりすまし二人組”が投稿した慈悲ブログなどの資料をざっと検討したのだが、その結果、気になったものがいくつかあるので、それを挙げておきたい。

 まず日本文学館は、売るための営業は何らしていません。一ヵ月だけ契約書店に一冊置くだけでした。そんなことで無名な著者の本が売れるはずがありません。300部(実際の流通部数は230部)が売れたのは、★★(註・真の著者名。雲助のこと)と私の販売努力があったからです。(2015年3月23日、クンちゃん宛メール)

の文章中の「売れた」という点に、私は大きな疑問を抱いている。私、クンちゃんとしては、230部のうち売れたのは16部ぐらいじゃないかと思っている。同じように増刷分も200部だか300部だか売れたような説明が版元からあってそこから買取り部数が出てきたようだが、こっちもなんのことはない、実売はやっぱり12部ぐらいじゃないかと思う。(数字は、ごく少数という意味合いのいい加減な数字です。)

 自費出版本は、まず売れない。売れることのほうが稀だ。

 一般論で説明するが、例えば文芸社の大方の契約では1000部刷って、著者渡し分を除いた流通分のうち約300部を提携書店に一ヶ月間陳列するという約束になっている。
 これはたぶん約束部数を刷り、確かに300を少し超える提携書店に1部ずつ配本されている。約束はだいたい守られているはずだ。
 ところが、文芸社=日本文学館の提携書店と版元の関係というのが、どういう仕組みになっているかというと、書店はとにかく到着した配本分を書棚に並べ、一ヶ月が経過したら売れ残りを返送すれば、返送分を買い取ってもらえるのだ。一部も売れなくたってよい。返送あるのみだ。書店としてはかなりうまみがあるわな!
 だから提携するわけだが、なかには本が来ても知らんぷりで陳列せず、そこらへんに段ボールごとうっちゃっておいて、時期が来ればただ開梱してまた包みなおして送り返すだけ、というずるっこしい書店が出てくる。そこで、全国ところどころに駐在している販売部員が順繰りにパトロールしなければならないということになる。
 で、埼玉県所沢市近郊三芳町の専属倉庫に毎日毎日、各書店から戻ってくる、返本がぎっしり詰まった段ボール箱はどうなるんだべか。
 そのまま返本専用倉庫に文字どおり山積みされ、やがて満杯になると廃棄されるのだ。注意しなくてはならないのは、この廃棄分は、書店に代価を支払っているので、「売れた勘定」になる。
 したがって、文芸社の著者で、「センセイ、滑り出しは順調で350ぐらいは3日ほどで売れたんですが…、その後はどういうわけかパッタリで」なんていう説明をされた人は、ああ、おれの本はせいぜい50部売れたかどうかってことだな、と思わなければならない。これがシビアな現実なんである。
 日本文学館も事情は同じだから、“なりすまし本第一刷”は、230部なんて、とてもじゃないが売れっこなかったし、現実に売れていないはず。増刷の売れたという部分も同様だんべよ、と信じているクンちゃんなんである。

 ついでに、もうふたつほど。

 私が支払いを拒否していることをなぜ出版社は裁判で争おうとしないのか。それは、そうすることが「墓穴を掘る」ことになるからです。訴えたくても訴えられないのです。【2015/3/30(月) 午前 10:48慈悲ブログへの慈悲の書き込み】

 これはぼけつを掘るもおけつを掘るもなく、単に顧問弁護士事務所、田宮総合法律事務所の着手金などの費用が高くて、訴訟をやるなら慈悲の未払い分最大60何万円なんちゅうのはあきらめたほうが安い、ちゅうだけのことなんだよ。どんなつまんない事件だって、着手金だけでまんず50万円だかんね!とてもじゃないが、“生産性”の問題でひっかかるんだわな!

 だから、困るのは著者から訴えられること。訴訟というのは、ほっといて応訴しなければ負けちゃうわけだよ。
 んで、クンちゃんも、総額70万だか80万円だかの薄い本の案件で、非弁護士代理人訴訟をやって勝訴したことがある。
 これはひどかったな。なにしろ、本が出て、陳列も終わって、まあすべて終わったあとで、いきなり「印刷屋で同じものを作ったらいくらいくらぐらいだ。だから差額を返してちゃんちゃこ!」っちゅう訴状が熱海簡易裁判所から送達されてきたんだな。この程度の訴額じゃ、とてもじゃないが“生産性”が低くて弁護士に頼めない。しょうがないんで、自分で熱海まで4回か5回通って勝ったはいいが、相手も本人訴訟で静岡地裁に控訴した、簡裁からの控訴だから地裁となるわけだ。地裁ではもう非弁護士は訴訟代理人となれないし、まもなくクンちゃんは退職したので、田宮事務所より安い文芸社瓜坊社長の割ル友の中澤弁護士が追行したはずだ。これでは、もう勝つにしても大赤字。著者側から見れば、嫌がらせとしては大成功だ。このへんが、自費系版元の泣き所である。(脱線!)


 最後になったが、大立者のひとり、雲助の語録を載せないという手もあらへんでしょ、というわけで、以下をどうぞ。

 今思えば、金銭的に執着心の人一倍強いあなたを信用したのが、私の間違いでした。
多分、あなたは拙著の初版が完売した際、増刷はあなたの投資になると目論んでいたことから「増刷費用は俺が負担する」といい、あなた自ら出版社と増刷契約を結んだのでしょう。たしかに、あなたの名前で増刷契約を結んだのですから、増刷分に対しては「あなたに出版権」があります。
【2015/3/7(土) 午前 0:16、慈悲ブログへの雲助書き込み】

 この雲助書き込みに、“なりすまし二人組”の仲間割れの一端が示されているように感じる。
 それにしても、素人なんだから当たり前といえば当たり前、しょうがないといえばしょうがないのだが、本を出版するということに関して、この二人組はあまりにも知識が無く、それがこの度のから騒ぎの底流になったような印象を受ける。

 まず、雲助書き込みに見られる「完売」なんて、しちゃいないってこと。日本文学館じゃ、みんなで笑ってんじゃねーの!
 それから、「あなた(註・慈悲のこと)の名前で増刷契約を結んだのですから、増刷分に対しては「あなたに出版権」があります」ってのは、さっぱり意味がわからんちん。出版契約書にみるように、慈悲はとっくに著作権者になっているのだ。したがって、第一刷も増刷分も、著作権の内容のひとつである出版権は慈悲のものとなっていて、慈悲は日本文学館にそれを期限付きで付与しているのだ。そのみかえりに、ゴキブリの涙ほどの著作権使用料=印税をもらっている。
 当該書籍が絶版になれば、その出版権は慈悲の元に返ってくる。つまり、著者=著作者である雲助は現在、なんの権利も持たない無権利者になっている。わずかに、譲渡不可能な「著作者人格権」という権利は残っているが、これは非財産権で、内容を勝手に変更されない権利など、いわば著者にとって当たり前の権利が手元に残っているだけなのである。
 よくもまあ、こんなことをしてくれちゃったよなあ、日本文学館もだけど。まったく、あきれ返るのみである。
 そのこわさは次回、最終回でよく説明したい。
 なお、譲渡著作権は登録しなければ対抗要件を備えないが、こんなことは当事者以外にはかかわりがないので、必要ならば自分たちで調べてくんさい。

  ⑤につづく

約束のゼニを払わん、というケース(日本文学館の増刷ファイルより)③

2015年04月08日 10時42分40秒 | 日本文学館「暁の警視庁」事案

   
 
   桜が残っているのに、
   雪になっています。
   午前10時過ぎ、埼玉県
 



    「著者ではない」と認めても、
            「著者だ」と言い張る不思議


 というようなわけで、“なりすまし二人組”と嘘っぱち商法の日本文学館が共謀して「なりすまし単行本」を発行・増刷したことが、「本当の著者雲助」の告白により世間様の面前に露呈されることとなった。
 一貫して自分が「著者」であるという格好で振る舞ってきた慈悲は、普通のヒトならここで急ブレーキをかけて別方向へ遁走するところだが、逆に瞬時に居直った。ここがナミのタマではない慈悲の慈悲たる所以である。

 慈悲はただちに「本当の著者が雲助」であることは認めた。ナイス!
 ところが、同時に「おいどんが著者でごわす」と言い続けてきたことが、いかに正当性に満ちたものであるかを力説し始めるのである。

 その強弁の要旨と慈悲のナマの声の一部は、次のとおり。

 ①本当の著者(雲助)になりかわって、版元との契約からメディアへの露出(こりゃあ妄想に基づく仮定ですが…)から、なにからなにまですべてにおいて著者として振る舞うことを、雲助から委任されていた。つまり委任代理人だというわけだ。(大意)

 私が出版社(日本文学館)との交渉を「著者」としてブログで公開したのは、本当の著者である★★(註・真の著者名、雲助のこと)に契約に関わる全権を委任されていたからです。(2015年3月23日、クンちゃん宛メール)

 私がブログで出版社との交渉を「著者」として公開しているのは、私が契約上の「著者」であるからです。「本当」の著者は、雲助さんが「暴露」した通りです。しかし、「本当」の著者が誰であろうと、私が著者として出版社と契約した訳ですので、私が著者として出版社との交渉を公開することは何ら問題はありません。(2015年3月27日、クンちゃん宛メール)


 ②慈悲が昨年来問題にしているのは、増刷契約の契約内容、「覚書」というタイトルの契約書上の文言解釈の問題(実際は明文を離れた、日本文学館担当者の口頭説明内容の解釈)であって、著者が誰であろうとなんら問題はない。(大意。んなこと言うなら、「おいどんが著者」なんて言うなよ!)
 
 何度も言いますが、私は、出版社名も著者名(ペンネーム)も本の題名も何ら公開していません。解釈の妥当性を巡って争っている訳ですので、著者が誰であるかということはまったく関係ありません。「本当の著者」が出る幕はどこにもありません。それなのに、雲助さんは、「ブログ主(私)は嘘を言っている。本当の著者は私だ」と爆弾発言しました。どうしてそうする必要があったのか。それは、.................言うまでもないことなので非公開..........。(2015/4/7(火) 午後 0:00アップの慈悲ブログより)

 
 事の真偽は闇の中で、当事者以外にはなかなかわかりにくい。だが、これまで私が知り得た情報や資料を総合すると、どうやら雲助が相当な権限を付与して、慈悲を代理人に選任したことは確かなことのように見える。
 しかし、それをもって慈悲が「おいどんは著者」と強弁することはできない。

 さる筋から入手した資料を少々検証してみよう(検証とかいうレベルには至らんがね!それと、またまた脱線部分が多くなるので、いやな人は文句を言わず、このへんでお帰りください。)
 以下は、問題書籍の「出版契約」の契約書と、「増刷契約」の契約書の画像である。クリックしてくんさい。(タイトルはご覧のとおりだが、これはこれで特に問題はない。)

  

 まず、この「ノベル倶楽部契約書」だが、ノベル倶楽部というのは説明するのが面倒なんで、ノベルことはしないが、「上記著作物を書籍として出版することについて」との文言が見えるから、これは出版契約書の類とみてよい。 
 上のほう、「著作者名」「書名」は空欄となっていて、「著作権者」には慈悲の署名押印がある。「出版権者」は日本文学館となっているから、これは純粋自費出版ではなく、著作権者が版元たる日本文学館に著作権の内容のひとつである出版権を付与したことになっている。(出版権をいわば借りた版元は著作権使用料=印税を支払うことになるが、文芸社や日本文学館ではゴキブリの涙、定価の2パーセントが原則であり、その源泉は著者が支払った費用ということになる。つまり、著者は自分で支払ったカネのごく一部を印税という名前で返してもらっているだけなのである。)

 「著作者名」というのは「著者=作品を書いた人の氏名」であり、通常、実名が書き込まれる。ペンネームを使う場合はこの欄に併記するかただし書きを付ける。少なくとも、契約書本文のどこかにその旨明記するべきだ。ここでは空欄となっていて誰でもなんでも書きこ込め、のちのち争いを生じる可能性を否定できない。書名欄も空欄になっているが、書名が確定していない場合には仮のタイトルを(仮)として記載しておくか、ただ空けておかずに「未定」とでも書いておくのがよい。

 「著作権者」というのは言わずもがな著作権を持っている人のことで、通常、著作者=著者と同一である。なぜなら、著作権というのは、著作物を作成した人(著作者=著者)に自動的に発生する権利だからである。権利の発生、取得にまったくなんの手続きも必要がない。幼稚園や学校に行くと、教室のうしろに「ママのお顔」の絵が張ってあったり、「日本の政治家はゴマの灰※」なんていう習字が張り出してあるが、あれはすべて著作物で、作者の幼児や児童に著作権が備わっている。
 したがって、著作者と著作権者が異なる場合は珍しく、なんでそうなっているのか、契約書本文でその旨表示するか、別紙の「著作権譲渡書」を添付するのが、あたりまえの措置だ。例え、その段階で将来的にも争いにはならないだろうと思われる身内内の権利譲渡、子どもの作品を親の出捐で出す、夫の作品を妻のへそくりで出す、なんていう場合も、親や妻に著作権が移る場合は面倒でもこの手間をはぶかないほうがよい※。(著作者が民事上の行為無能力者のケースは、著作権講座ではないので、ここでは触れない。)
 このように見てくると、日本文学館の契約書作成は杜撰のそしりを免れないが、書面上、読み取れるのは、慈悲は著作権者ではあるものの、著作者=著者ではないことで、これは重要ポイントだ。慈悲が極悪人であくまで「おいどんが著者」だと争えば面倒なことになるが、雲助が「本当の著者はわたくし」と告白したことに対し、正直に同意しているので、著者でないことは事実上、書面上確定している。それにもかかわらず、上記①で、「おいどんが契約上の著者」としつこく言っているのには、なんの根拠もなく、首をかしげるばかりだ。

 なお、この契約を眺めてみると、雲助は、
 Ⅰ
著者としての役割の相当部分を慈悲に代理してもらう。(もっとも、対世間様向けのなりすまし密約は、代理人の権限を超える(権限踰越=ゆえつ)じゃないか、とか、公序良俗違反の委任契約で無効だんべとか言わんでも、そもそもこんな委任は成り立たないと考えるべきであろう。)
 Ⅱ
第一刷の費用を立替払いしてもらう、
という些細とも思えるふたつの要素と引き換えに、大切な大切な「著作権」を慈悲に譲り渡してしまった。これも呆れて開いた口がふさがらない。このような愚かな行為、クンちゃん流に言うと“おそろしい行為”を平然となし、また他方も躊躇なくそれを受け入れる、そんな“なりすまし二人組”の関係というものが私には到底理解できない。(このおそろしさは後述する、つもり)。

 さらにビビるのは、慈悲はこんなことまで、言ってるのだ。

 雲助さんは墓穴を掘りました。黙っていれば当事者(著者と私と出版社)以外にはわからなかったのに、「売れなかった本の著者は私です」と自ら告白したのです。滑稽この上ありません。ましてや、私が読者を騙しているとか、出版社を脅迫しているとか、とんでもないことを言っています。呆れて言葉がありません。その言っていることの馬鹿馬鹿しさは、私の文章表現能力では容易に記述することはできません。(2015/4/7(火) 午後 0:00アップの慈悲ブログより)

 黙ってりゃバレんかったのに!貴様!と言ってるのだ。

 「数十年の歳月が過ぎようが、「真実」は必ず露呈する。 嘘は必ず暴かれるのだ。」(http://blogs.yahoo.co.jp/zihisyuppann/67922583.html)
呆れて言葉がありません」ってのは、おまいが言う台詞じゃなかんべよ!(各傍線、クンちゃん)


ゴマの灰(護摩の灰、胡麻の蝿、の2説がある。) 

 ④につづく

約束のゼニを払わん、というケース(日本文学館の増刷ファイルより)②

2015年04月04日 18時37分57秒 | 日本文学館「暁の警視庁」事案
  「おいどんは著者でごわす」は大間違い!
  嘘つきとか(民法上の)詐欺といわれても抗弁しがたい


 というようなわけで、“なりすまし二人組”と日本文学館は、共謀して「なりすまし単行本」300部を刊行するに至り、さらに第二刷1000部を刷り増すのである。
 出版社らしき看板を掲げていてもしょせん素人集団にすぎない日本文学館としては、「どうせ売れっこないから、このなりすまし密約が世間様にばれることはないだろう(当該書籍が売れて売れて、慈悲が、著者の雲助になりすまして、世間様の前に姿をさらすという場面はないだろう)。それより目先の契約実績が優先」と考えたのだろうか、それともこういったなりすましに、なんの問題もないと考えたのだろうか。
 かつて日本文学館の親会社的系列会社である文芸社の法務責任者であり、日本文学館の紛議の際には便宜上「日本文学館法務部長」の名刺を用いて事態に対応したクンちゃん人としては、唖然として言葉を失う。情けない。

 
 ところで、慈悲と私とは昨年来メールのやりとりをしていたことは前回書いた。
 来信メールが質問的内容であれば、極力回答していたが、慈悲のメールの圧倒的部分は彼が日本文学館の複数担当者宛に送りつけた連絡文書をCCとして同時送信してきたものだ。これを発見した際には、かなり衝撃的な心持ちになった。
 というのは、連名の日本文学館従業員の社内メルアドはもちろん、CC欄にずらずら挙げられているクンちゃん人らのメルアドもまた明示されているのである。この中には、みなさんご承知の鬼蜘蛛ねえさんや、幻冬舎ルネと激しくやりあった経緯がある占い界のSL酒井さん、文芸社労働問題で健筆をふるったフリーランスの古川さんほか何人もが挙げられていた。
 慈悲としては、こういう“うるさい連中”がオイドンにはついとるぜ、という意味合いでわざわざ取った手法なのかもしれないが、おそらく「慈悲の側についた」などという認識はどなたにもなかったと思われる。いくら公開されていると目されるアドレスが含まれているにしても、そして多少手間がかかるにしても、ひとこと許諾を求めたり、別のコンタクト方法、表示方法を取れない訳がない。非常識もはなはだしい。私がこのCCを放っておいたのは、そのメルアドは、クンちゃんブログのメッセージ欄からの来信に答えると相手方に表示されるもので、実害はないかな、と考えたからだ。(脱線!)

 さて、クンちゃんと慈悲との関係はつい最近までは特にどうということもなかった。
 彼の日本文学館に対する主張態様および主張趣旨は私の感覚とはかなり離れており、後述のようにクンちゃんブログで取り上げて積極的に支援するつもりにはならなかった。とはいえ、来信を拒絶するほどの特別な感情を抱いていた訳でもない。クンちゃん犬が死んだときは慰めの連絡ももらい、まあ、お互い下手な原稿を書く者同士といったよしみのようなものがあったかもしれない。

 それが、こりゃひどい、この人は駄目だな、と変わったのは、ついこの間、先月(3月)に入ってからである。
 体調不良でながらく死にかけていたので、しばらくぶりに彼の慈悲ブログを眺めると、本文記事が終わったあとの余白に、リンクというのかなんなのか、鬼蜘蛛ブログが大々的に、クンちゃんブログは“中々的”に、アドレス的な表示が毎回毎回掲載されているのである。これでは、慈悲ブログとその主張を、鬼蜘蛛ねえさんも、クンちゃん人も、手放しで支援している格好に見えてしまう。(ところが、このときすでに慈悲は鬼蜘蛛ねえさんを追及するような記事を執拗に繰り返していたので、その趣旨は不明。)そこで、私はこのシチュエーションを即座にやめてくれるよう、直通メールで慈悲に申し入れた。
 ところが、一向に削除されぬままに何日かたち、気が長いクンちゃん人もムカッとしてきたところで、「問題の増刷本は慈悲が著者ではなく、オイラがほんまもんの著者なんや」(趣旨)という雲助のコメントが慈悲ブログにあらわれた。
 その文面を読むと、どうも雲助の書いていることには信憑性がある。

 あたしゃ、なんだかよくわからないが、とにかく完全にぶちきれたよ! やりとりの初めっから、著者だ著者だ、と言ってたやつが著者じゃないんだからね。
 ほかならぬ本の話をするときに、相手が著者であるのか、そうでないのかは、どうでもいい話ではない。重要なポイントである。裏切られたというほどではないにしても、なんだよ、だましやがったな、という実感があった。(言葉、悪いねえ)

 ここで、少々、慈悲とクンちゃん人とのメールほかのやりとりを振り返ってみる。
 慈悲からの一番はじめの着信は次のとおりだった。クンちゃんブログのコメント欄が閉じたままになっていることに触れた後、

 私の友人も「審査員特別賞」を貰い、この上なく感激しています。他のどの出版社からも評価されなかったことママ)鑑みれば、それは分からなくもないのですが。(2014年6月11日)

という短いものだった。私は、日本文学館の嘘っぱち商法、嘘っぱちコンテストの内実をかいつまんで説明した。すると、続いて、

 私は今、日本文学館とあることでもめています。(2014年6月13日)

との連絡が来た。となると、前信の「私の友人」ってのは本人かい、と思った。また、買取覚書の解釈、彼が買い取るべき数量・価額につき助言を求めた「Yahoo知恵袋」の記事がくっついていた。

 これらの内容について、私は慈悲が買い取るべき売れ残り書籍の費用について、「慈悲さんと日本文学館の見解の相違は、700部56万円か、500部40万円かということのようですね」と確認したうえ、増刷の経緯について説明を求めた。「よろず相談室」の看板を掲げている以上、当然の成り行きである。

 私はまず、前記の買取価額が増刷にしてはやけに高いので、さては日本文学館が、

「初版第一刷の在庫はさっさと廃棄してしまって、著者に対しては《いやあ、先生の作品は売れて、売れて、瞬く間に完売しました、この機を逸せず増刷すればがんがん売れますよ》とかなんとか甘言を弄して、過大な増刷費用をむしりとる」

といういわば“ひとつぶで二度おいしい”新手の嘘っぱち商法を始めたのではないかと疑った。日本文学館や文芸社ではゴキブリの涙ほどの印税は、すべて発行部数に対して発行後一定の時期に支払い済みとなるので、在庫が売れようが廃棄しようが、在庫があるのに売れたと嘘を言おうが、対著者との間ではなんの差し障りもないのである。そこで、私は慈悲に増刷の経緯の説明を求めたのである。
 ところが、かえってきた返事は、案に相違したものであった。(日本文学館側の担当者は旧知の熊田くんだったので、かなりほっとした。)

 増刷の話を持ち出したのは著者である私です。(2014年6月14日)

というのが慈悲の答えだった。
 しかも、増刷の費用は日本文学館持ち、しぶる日本文学館側をかきくどいての増刷だったこともわかった。
 これでは、どうしようもない。増刷契約の無効や取消を求める余地はない。たかだか10万円だか20万円だかのディスカウントがどうのこうのという話にならざるを得ないだろう。とても、クンちゃんブログでは取り上げられない。
 私の慈悲案件に対する興味は急速に失われていった。
 ここで、注意していただきたいのは、「著者である私」と慈悲が書いていることである。彼はこの三月に雲助が暴露するまで、私に対してだけでなく、世間様一般に対して、一貫として当該書籍の「著者」として振る舞ってきたのである。私が激昂しているのは、端的に言えば、この点だけである。

 私としては、慈悲が高村明子さんまで引き合いに出して、延々と引き取り価額関連を“糾弾”し続けている理由について、慈悲自身がしばしば、

 金の問題ではありません。出版社のいい加減な姿勢を糾弾することで私と同じような間違いをする人が出ないことを願っています。ネットにそういう出版社の悪質ぶりを記録として残すことに意味があると私は思っています。私が躓いた石をそのままにしていたら、他の人が私と同じように躓くことになりかねません。ですので、私は、その石を片付けようとしているのです。
(2015/4/1(水) 午後 11:17の自身ブログコメント欄への自身の書き込み)

といった趣旨を述べているのはまったく不可解(こんな間違いを起こす人はそうそうおらんやろ!)だが、人間は誰でも自分が納得するまで突き詰めていくのが一番だから、思うようにやったらええと思っている次第。
 ただ、慈悲が「裁判をやる、裁判をやる」と言い続けていることには、ちょっとやばいなっていう感想を持っている。こう言い続けて結果的に提訴しないと、場合によって脅迫罪(刑法222条1項)で訴えられかねず、あの会社は実際そう逆襲してくるような会社だと思うから、訴訟の帰趨は別として、濫訴と言われようが訴状審査ではねられようが、とにかく訴状だけは差し出すことが必要である。


 ※高村明子さん(かなり以前に文芸社から自著を刊行し、主に本文の紙質や装丁のまずしさについての不満から、同社を相手取って本人訴訟を起こし、敗訴。その顚末を別版元から自費出版した方。クンちゃん人はこの裁判の記録は全部読んだが、証人尋問に出た当時の文芸社幹部は、著述内容を不適切に修正されたとする指摘に対し、あろうことか、「ウチでは、編集なんてやってませんよ」とかいうたわごとを述べていたのが印象的。なお、別版元から出た本も、装丁紙質ともに残念ながら自費しゅっぱーん、といった水準でした。-脱線)
 ※脅迫罪(脅迫罪は「人」に対して害悪を告知する犯罪だから、法人には成立しない。しかし、法人に従業する自然人に対しては成立するので注意が必要である。)


③につづく 
 

約束のゼニを払わん、というケース(日本文学館の増刷ファイルより)①

2015年04月03日 10時50分08秒 | 日本文学館「暁の警視庁」事案
 
   増刷実費を、支払って&受け取って、
  終わりにする、っちゅう手はないんかね!?


   
   結局、日本文学館の嘘っぱちコンテスト商法に乗せられた“なりすまし二人組”の仲間割れ
     ちゅうのが真相じゃん!  「特別賞」ってのは、福引なら全員もらえる等外のテッシュ1個のこと。
     特別にみんなにあげるっていう意味なんだよ。ところが、この賞状1枚でたちまち作家病
     の症状があらわれる人が多くて、日本文学館の商状に貢献するんだとか。まったく罪作りな会社だぜ。



   「某自費出版会社との契約を巡るトラブル顛末記」

     http://blogs.yahoo.co.jp/zihisyuppann/MYBLOG/yblog.html 

と題するブログをアップしている旦那がいる。(「顛末」は「顚末」にしたいね。)

 この旦那が彼のブログタイトルで「トラブル」と表現している出来事のあらましは、おおむね次のとおりである。

 【ある出版社から本を出しました。 初版は、著者(私)が全額費用を負担しました。それが売れ切れたために増刷することになりました。増刷については出版社が全額費用を負担し、出版社の採算ラインに達するまで売れなかった場合、その達しなかった分を著者が買い取るという「覚書」を取り交わして増刷が実現しました。増刷したのはいいのですが、やはり売れませんでした。 】(以上【 】内は、きょう4月4日午前零時アップの彼自身のブログ内の記述をそのままコピーして引用した。ところが、この完成版をアップしようと同日午後6時半段階で確認すると、「著者(私)」の文言のうち、「(私)」が削除されていた小手先ちゃんちゃんはやめてもらいたい。)

 売れ残りゃ、約束どおり買い取らにゃならん、で、買取費用はどうなるんか、ゼニ勘定はどうなるんかというかなり簡単な問題なのである、もともとはね。覚書というタイトルの契約書だってあるんですからね。

 ところが、ところが……。

 さて、さて、私は、昨2014年6月、この方からの初めてのメールがクンちゃんブログメッセージ窓口経由で着信して以来、しばしばメールをもらい、ときたま返信しているという関わりを持っている。ごく最近になって、私はこの方を便宜上「慈悲」と呼んでいるので、当記事でも「慈悲」という呼称を使わせてもらう。「慈悲」は「自費」の同音というだけの話である。
 もうひとり、重要な登場人物がいる。この方(慈悲)のお友達というか知人というか、後輩的職場仲間というか、そんな関係の方で、やはり便宜上「雲助」と呼ばせてもらう別の方である。(いずれも敬称略。ご勘弁!)
 
 雲助は原稿を書く人のようで、自分の作品を書籍化したいと願っていた。しかし、周知のとおり、無名の書き手の作品が所謂持込みによって本になるより、駱駝が針の穴を通るほうがはるかにたやすい、というのが冷厳なる現実である。
 一方、原稿を書く人(これは原稿料を得る作家やフリーランス、給料という形で報酬を得ている新聞雑誌ほかの各種スタッフライターから、目先は無報酬の文学賞応募者や同人誌関係者までを含む)というものに顕著かつ特異な事実として、「自分の原稿はすばらしいと思い込んでいる」という傾向がある。賞ねらいの人びとのなかには、自分が受賞しないのはもっぱら審査員連中の眼が曇っているからだ、と信じている人は多い。自分の作品が日の目を見さえすれば必ず売れる!だいたい、あの審査員という連中、作家とか抜かしているけど、あいつらの書いているくそ原稿は…… 

 たちまち話が脱線していくのがクンちゃんの悪い癖で、話を戻すが、前述の「原稿を書く人」のひとりであろう雲助は、自分の作品の書籍化がなかなか進捗しない現実に傷心の日々を送っていたに違いない。そんな雲助の目にとまったのが、悪いことに嘘っぱち日本文学館の嘘っぱちコンテスト。たちまち「特別賞」の賞状1枚が送られてくる。それは雲助にとって、黒雲を割ってさしこむ太陽の輝きのような僥倖、貴重な貴重な「紙っぺら1枚」だったのかもしれない。
 そのあとは、歴戦の営業担当者の言いなり。たぶん「雲助先生」とかなんとかおだてられつつ、結局てめえで金を出す出版を決意していくことになる。

 契約に至る段階で雲助には難題がふたつあった。

 ひとつは、自費の自費たるゆえんであるゼニが目下のところ、無い! 
 もうひとつは、勤務先の役所に出版の事実を知られるとうまくない、という思い。
 雲助の勤務先はえらく厳正な職場で、自費出版なんてとんでもない、という雰囲気なんだそうだ。

 もっとも、公務員一般にこういう危惧を持つ人は多く、現役時代、私のところに回ってきたこの種の相談は数多い。印税(著作権使用料)と国家・地方公務員の兼職禁止や副業禁止規定とのかねあいである。また実際に、内規で出版の際の届出制度等を設けているところもある。しかし、商業出版における官学系統学者=見做しを含む国家公務員、地方公務員の刊行物の多さをみれば、出版はこれらの規定に抵触しないとみて間違いない。(このように、すぐ脱線してしまいます!)

 で、本を出せば売れるのは間違いないから、そうなると各種媒体への露出など、とかく人目につくことになろう、これは困った、どうしたらよいか、悩みに悩んだ雲助。かつての先輩であり、いまはフリーの身になっている慈悲に相談を持ちかける。
 「オレの代わりに、著者になってくれませんか。ゼニも貸してくれると助かるんですが…」というようなことだったらしい。
 これは、一見、委任による代理(法定代理に対する「任意代理」)が成立したように見えるが、代理の範囲を超えた“本人なりすまし”を含むものである。妄想も著しいが、なんせ、記者会見等に雲助が出ざるを得ない場面が出来した場合は、慈悲が本人として登場することになっていたというのだ。あきれた、魂消たよ、まったく。

 このような次第で“なりすまし二人組”が成立し、ふたりはこのセンで日本文学館の自費話に乗り、問題の雲助作品は刊行されるのである。費用は慈悲がいったん全額を立て替え、のちに雲助は全額を返済している。
 ここでひとつ重要な問題がある。このからくりを日本文学館は知っていたかどうか、という点だが、「知っていた。すべて説明して契約した」というのだ。目先の契約欲しさからさもありなん、と思うが、なけなしの自らの社会的存在意義をさらに危うくする判断だったことは間違いない。

 というようなわけで、途中ははしょるが、初版第一刷300部は売り切った(と、日本文学館が言っているというが、とんだお笑い種の可能性が強い。これまた「特別賞」なんじゃないの?それは次回に。)ことになったので、慈悲はうっかり「増刷すりゃ、もっと売れるんじゃないか」と思っちゃったらしい。雲助のほうは増刷には乗り気ではなく、そりゃそうだよ、たかだか300部(著者渡し70部50部と版元使用分20部をひくとたったの230部になるけど)でも、それがあっ、いっ、とか言ってる間に売れたんなら、版元のほうが増刷を持ちかけてくるわな、雲助は「(著作権者の)慈悲がひともうけたくらんだ」との見方を示しているという。

 やがて、慈悲主導の1000部増刷が実行されるにいたり、いよいよ紛糾の幕がするするっとあがっていくのである。

  (この項おわり。次回は増刷から波及した問題を、検証という水準ではなく、思いつくままにおさらいします。)

  

 おことわり・当ブログ「メッセージ窓口」(画面左側)経由で、さまざまなるご感想、ご意見をいただいておりますが、恐縮ながら返信いたしませんので、あらかじめご海容をお願いします。
  また、ながらく閉鎖したままのコメント欄を開けろ、というご要望には添いかねる実情です。よろしくお願いします。


Myパソコンがぶっ壊れてしまった!

2015年04月03日 08時02分06秒 | ありふれた日常

 3月25日にベトナム・ハノイ経由でルアンパバーン(ラオス)に飛び、メコン川水系のダム建設現場などをうろついて1日に帰国した。成田に近づくと、雲海の上に見えるのは富士山の頭だけ、その下には春爛漫の桜吹雪が待っていた。

   破局は突然のごとく、出費も突然のごとく

 ラオス行きより前の話、突然、まだ5年も使っていないクンちゃんパソコンがぶっ壊れてしまった。
 まずこの話をしてから、次回は、ずっとひっかかっている問題、日本文学館刊行書籍の増刷関連費用をめぐって紛議を生じている問題のおさらいをしてみようと思っている。
 (ハードディスク破損・交換により、どこか天の上のほうでストックされていたデータ以外は全部失われてしまったので、大変使い勝手が悪くなりました。で、八十婆さんが豆食うように、ぽつりぽつりと書き足していきます。乞ご了解。)

 
    戻ってきたMyパソコン


 Myパソコンは、NECバリュースターVW970/Vというやつ。
 Windoes7ホームプレミアム搭載。
 購入して、まだ(もう、なのか?)5年たっていない。
 昨年秋ごろから、いわゆる「動きが重い」(動きに時間がかかる)という感じがあり、保存データ、録画番組などが多すぎるかもしれない、そのうち整理をしなければならないと思いつつ、そのままで推移してきた。

 ことし2月ごろから、ネット稼働中に、ちょいちょいかたまって反応しなくなることがあり、「ページに問題があり、開き直した」「応答していない」「長期間実行中のスクリプトが原因で応答しない」などの表示が出て、回復に時間がかかり大変不都合になってきた。

 3月8日朝、起動からパスワード入力、立ち上がりまでは通常だが、ここからインターネットエクスプローラ(ヤフーをホームページに設定)への接続に15分以上かかる、シャットダウンにもかなり時間がかかる、文字入力時の反応が遅れる(例えば、検索画面への文字入力は画面左肩にほんの小さな窓があき、そこに表示される)といった状態になったため、NEC121コンタクトセンターに電話相談した。(この電話は家電からはタダだが、その他からは有料で、込み合っていると目の玉が飛び出るような電話代になる。)

 NEC担当者の指示で、起動時にF8をたたきセーフティページを開く。ここからインターネットエクスプローラに接続するとただちにつながった。そこで、(よく聞き取れなかったが,★★★の問題ではなく)ソフトの問題であるということになり、21種類の登録があったシステム構成をひとつひとつチェックして、問題ありそうなシステムの登録をはずすよう指導された。

 その後、当日の8日と翌9日午前中、だましだまし稼働させる一方、コンタクトセンターから指示された、起動→F8→システムチェック→再起動、を繰り返しているうちに、F8をたたくとフェニックス画面があらわれるようになってしまった。この画面の末尾指示に従いF1を押して稼働を継続、数回システムチェックを続けた。

 すると、「ハードディスクエラー、バックアップして、メーカーに連絡せよ」との表示が出、その後もう1回出たため、コンタクトセンターに再度連絡。データバックアップをしていなかったため、いったん電話を切って遅ればせながらありあわせの外部ハードディスクにデータバックアップしようとしたら、もはやなにをやってもフェニックス画面、と、最終的には「BootfromCD画面」(英文文末は、デスクブートフェイリア、システムディスクを挿入してからエンターキーを押せ)しかあらわれないようになってしまった。

 これで万事休す、ということのようであったくやちい!
 立ち上げに時間がかかっても、我慢して、つまらんシステムチェックなんぞやるんじゃなかった、あれが死期を早めたと後悔しても、遅い。

 そのほかの所見としては、次のようなことがあった。
 システムチェックを繰り返している際のシャットダウン時には必ず次の表示が出た。「終了音を再生させています。」
 また、死亡数日前から、「Windows7ビルド7601このwindowsのコピーは正規品ではない云々」(記憶あいまい)という表示が何回か画面にあらわれた。(使用中のものはNECダイレクトショップから購入時に搭載済みのものだから正規品だんべよ。)




   この記事は、早ければ遅くともあした6日夜までに完成させますデス。少々お待ちを!