黒い冷凍庫(冷凍品=文芸社、栗田工業、幻冬舎R等、クンちゃんブログ自費出版関連記事!クリタ創業者野崎貞雄氏発禁本全文)

旧文芸社=日本文学館、幻冬舎R等自費出版(費用著者負担エディション)よろず相談室 クンちゃんのエディタールームの過去記事

元社長の息子・佐川クンのその後、だと。実弟が、いったいなんのために公開?

2019年05月23日 17時40分22秒 | ありふれた日常

目に付いた栗田工業関連ネタ

パリ人肉事件・佐川一政を介護する弟が実名告白
  「バカな奴だけど、絶縁できなかった」
 

                      2019/5/23(木) 12:00配信 アエラ



佐川一政氏の弟・純さんの画像あり(撮影/西岡千史)
オリジナル記事は⇒https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190523-00000011-sasahi-soci&p=1
パリに留学中の32歳の日本人男性が、恋心を抱いていたオランダ人女性を射殺、肉体の一部を食べた──。1981年に起きた前代未聞の「パリ人肉事件」は、世界を震撼させた。加害者の名は、佐川一政。女性の遺体を遺棄していたところで逮捕された。

【入院中の佐川一政氏の最新写真】
 猟奇的な事件が発覚した直後から、家族のもとには報道陣が殺到した。その対応をしたのが、当時、大手広告会社に勤めていた弟の佐川純さん(68)だ。父は会社を辞めざるを得なくなり、純さん自身も一時休職に追い込まれた。

 事件はこれだけで終わらなかった。佐川氏はフランスでの精神鑑定で、犯行時は「心神喪失状態だった」と診断され、不起訴処分となる。すでに日本で有名人となっていた彼は、帰国後に家族の反対を無視して執筆・講演活動を開始する。彼を好奇の目で見る世間とは裏腹に、家族は被害者への罪悪感とやるせなさを感じ続けた日々だった。

 事件から38年。佐川氏の両親はすでに他界し、残された家族は佐川氏と純さんだけになった。その二人の今の暮らしを追ったフランスと米国合作ドキュメンタリー映画『カニバ/パリ人肉事件38年目の真実』(監督/ルーシァン・キャステーヌ=テイラー、ヴェレナ・パラヴェル)が、7月12日から全国公開される。佐川氏と純さんは、この長い時間をどのように生きてきたのか。そして、純さんは今、兄のことをどう思っているのか。
* * *
 何かさしたる特徴もない、平凡な一日だった。1981年6月11日、純さん(当時30歳)は父と母と一緒に夕食をとったあと、将棋を指していた。18時半を過ぎたころ、神戸に住んでいる祖母から電話がかかってきた。その話は耳を疑うものだった。

「いま、ニュース見てる? 佐川一政という人がパリで誰かを殺したみたいだけど……」

 テレビを付けると、祖母の話した内容が報道されていた。驚く両親。衝撃的なニュースに、母は「これはウソだ」と言い続けた。我が子が人を殺すなんて、信じられるはずはない。ただ、純さんだけは違ったことが頭をよぎった。

「実は事件が起きる7年前、兄は都内でドイツ人女性の家に侵入して、襲おうとしたことがあったんです。この時は未遂に終わって、父がお金を払って示談が成立したので事件にはなりませんでした。この時の記憶があったので、『またやったな』と思いました」(純さん)

 ほどなくして、自宅にはマスコミからの電話が殺到する。父は当時、ある大企業の社長をつとめていた。そのこともまた、世間の関心を誘うことになった。

 一方、大手広告会社に勤務していた純さんは、企業などが不祥事を起こしたときの対応マニュアルを理解していた。個別に取材対応をすれば、記者から際限なく質問が飛んでくる。そこで、自宅のリビングに記者を集め、緊急の記者会見を開くことにした。

「たしか、二十数人の記者が集まって父が対応しました。その間、私は母に『大丈夫だよ』となぐさめてました。記者がいなくなった後、父は秘書を呼んでパリ行きの航空券を手配して現地に向かい、母と私は、福岡に住んでいた知り合いの家に逃げました。その後のことは、実はよく覚えていません。テレビも見ていませんでしたから」(同)

 1カ月ほど経過したころ、父がパリから帰国した。その姿を見て、純さんは驚いた。食べるのも飲むのも大好きで、恰幅の良い体格だった父がやせ細っていたからだ。世間を騒がせた責任をとって、父は社長を辞任。会社を去った。純さんも、2カ月ほど休職せざるをえなかった。心労も影響したのだろう、翌冬、父は脳梗塞で倒れた。

 不幸中の幸いだったのが、純さんは会社を辞めなくてすんだことだ。むしろ、同僚たちは純さんの社会復帰を支えてくれた。

「勤務先が広告会社でメディアに知り合いが多いから、なかには兄のことが記事に出ないよう、雑誌に言ってくれた人もいたそうです。広告担当が編集に意見を言うことは御法度で、実際に記事を止めることはできなかったと思いますが。復帰した時には歓迎会も開いてくれました」(同)

パリ人肉事件をめぐっては、ザ・ローリング・ストーンズが佐川氏を題材にして曲を作り、劇作家の唐十郎が『佐川君からの手紙』と題した小説を書いて芥川賞を受賞するなど、世界に影響を与えていた。それにしてもなぜ、佐川氏は女性を“食べる”ことに喜びを感じるようになったのか。そのことを知るには、生い立ちを振り返る必要がある。

 佐川氏は1949年4月26日、神戸市で生まれた。出産時は未熟児で、小さい頃は病気がち。家族からは「いつ死んでもおかしくない」と思われていたという。純さんは兄の誕生から約1年後の1950年に生まれた。子どものころから兄より体が大きく、そこで両親は、二人を兄弟ではなく双子のように育てた。

 兄弟の幼年時代を撮影した映像は、いまでも残されている。1950年代に家族用の撮影機材を持っていたことから、佐川家がいかに裕福な家庭であったかがわかる。男同士だからケンカもしたが、仲は良かった。

 ただ、体の弱かった兄は、家で本を読みふけることを好んだ。両親は、そんな兄の性格に合わせるよう、純さんにも外で遊ぶことよりも家の中にいることを求めた。

「兄の性格は家庭環境の影響はあったと思います。兄は否定しますが、体が小さくて頭が大きいという見た目で、私に対する劣等感もあっただろうと思います。今さら言ってもしょうがないことですが……。家は過保護なところもありました。家庭では性的なことについて厳しくて、兄が漫画で女の人の裸を書いたりすると、ものすごく怒られました」

 そのような環境で、佐川氏はいつしか「人を食べること」に興味を持つようになった。

 話を事件後に戻そう。前述のとおり、フランスで逮捕された佐川氏は、精神鑑定で不起訴処分となった。84年に日本に帰国して都内の精神科病院に入院したが、そこも約1年で退院した。

 佐川氏はすでに、日本国内で「人肉を食べた男」として有名になっていた。退院後には執筆活動を開始し、自らの猟奇的犯罪の経験を語り、講演やトークショーにも呼ばれた。そこで得た金で、外国人女性と海外旅行に出かけた。アダルトビデオに男優として出演したこともある。人肉を食べた男の素性に、多くの日本人が興味を持ったのだ。その間、家族は複雑な気持ちだった。

「私としては『いい加減にしろ』という気持ちでした。被害者に申し訳ないですから。何度も執筆や講演活動をやめるように言ったことがあります。父親は、書店に行って並んでいる本の帯を、片っ端からはがしてきたこともあった。それでも、兄はやめようとしませんでした」

 佐川氏を好奇の目でみるのではなく、出版物などを通じて精神的な影響を受けた人もいる。神戸連続児童殺傷事件(1997年)の加害者である「少年A」だ。少年Aは2015年、事件の経緯を含んだ自らの手記『絶歌』(太田出版)を発表。本の中で、「殺人作家」として活動する佐川氏に、嫉妬や羨望を抱いていたことを告白している。

 ただ、「佐川一政ブーム」は長くは続かなかった。2000年代に入ってからは仕事がほとんど途絶え、一時は生活保護で暮らしていたという。佐川氏と口論しながらも暮らしを支えていた父と母は、2005年に相次いでこの世を去った。なお、インターネットでは、父の死の直後に母が自殺したことになっているが、「そのような事実はない」と純さんは証言している。

 両親が死去したことで、遺産となった実家を売却し、佐川氏の暮らしは改善した。兄弟で細々と年金生活を続けていたところ、2013年に佐川氏が脳梗塞で倒れた。からだが不自由になった佐川氏を、純さんが介護することになる。

「兄の住むアパートに私が通い、面倒をみていました。それが昨年6月、弁当をのどに詰まらせてしまったんです。誤嚥(ごえん)性肺炎になって、自分で食べ物が食べられなってしまって、胃ろうにせざるをえなくなりました」(純さん)

 胃ろうは、おなかに小さな穴を開け、チューブで胃に直接栄養を送り込む方法だ。それまでは歩くこともできたが、現在は神奈川県内の病院で寝たきりの生活が続いている。

 それでも純さんは、今でも2日に1回は佐川氏に会うため病院に通っている。

「今は会話も難しくなっていますが、病室に行くと私の手をずっと握ってくるんですよ」

加害者の家族として、純さんはいろんな迷惑を受けてきたはずだ。そんな話も、今ではあっけらかんと話す。

「2000年代に入ってからでしょうか。私は趣味でオーケストラのチェロを演奏していたのですが、ある日、ハードケースに入れて部屋に置いていたら、なくなっていました。100万円ぐらいするものだったんですが、兄が売ってしまったんですね。警察も呼んだのですが『犯人はお兄さんではないですか』なんて言われてしまって」(純さん)

 兄の行動をめぐっては、父も純さんも批判することが多かった。それでも、家族は最後まで佐川氏を見捨てることができなかった。

「バカな奴だと思っていましたが、両親も、子どもに絶縁を迫るような性格ではなかったんでしょうね。ケンカもしていましたけど、年末年始なんかは家族4人で集まっていました」

 佐川氏と同じく、純さんも一度も結婚をしたことがない。そのため、両親が亡くなってからは、お互いが唯一の肉親となった。世界を震撼させた猟奇的殺人者を介護していることについて、純さんは「こういう風になってみないと、わからないでしょうね」と言う。というのも、佐川氏が脳梗塞で倒れた時、純さんの心にある変化があったからだ。

「胃ろうで、兄もいつ死ぬかわからなくなって、『かわいそうだな』と思ったんですよね。兄弟愛っていうんでしょうか。昔はとても仲の良かったですから、ようやくその頃に戻れた気がします。いろんなことがありましたけど、今では、わだかまりはまったくないです。むしろ、もっと一生懸命に介護しなきゃいけないなと」

 ちなみに、佐川氏は胃ろうとなった今でも女性を“食べたい”という願望を持っているそうだ。純さんは、そんな兄のことを「まったく理解できない」と笑う。

 最後に、寝たきりとなった兄の存在を今、どう思っているかをたずねてみた。すると純さんは、「うーん……」と少し考えこんで、こう言った。

「いつまでも死んでほしくないですね。そう思います」

 双子のように育てられた二人の物語は、まもなく最終章を迎えようとしている。(AERA dot.編集部・西岡千史)


ギョーテとはおれのことかとゲーテ言い!

2016年09月28日 12時26分51秒 | ありふれた日常
         STEPHENってスティーヴンだったんかい!
            知らないことだらけのクンちゃんでした!


    

 けさ、夕方の散歩をさぼるとあらわれる症状、午前3時半ごろに目が覚めてしまう、にまたまた見舞われました。
 で、テーブルの上のコップに「喜界島黒糖焼酎」がかなり呑み残してあるのに気付いてちびちびそれを舐める。そして、クンちゃんブログの店仕舞いもさることながら、今後の身の振り方をどうしたもんじゃろうなぁ、などと考えていました。

 ふと見ると、読みさしの文庫本に「STEPHEN  KING」とあります。
 
 STEPHEN  んっ? ステファン? ステファン・キング

 クンちゃん人はまぎれもないスティーヴン・キングの愛読者であり、何十冊と読んでいるのですが、STEPHEN に気が付いたのはけさが初めてでした。

 実は、「佐々木譲」の愛読者でもあったんですが、あるとき「佐々木敏『ゲノムの箱舟』」というのを買ってしまい、三分の一ぐらいまで「譲」のつもりで読んでしまったうえに、難解な科学技術系の著述内容に「なんという博識な男だろう」などと感心していたことがあるのです。

 それで、一瞬、スティーヴン・キングと間違えて、ステファン・キングというやつを買ってしまったのか、とドキッとしましたが、カタカナでは確かに「スティーヴン・キング」とあります。

 うーん、つまり英語ではSTEPHEN と書いて、日本語表記ではスティーヴンと読み書きするのかい、と感心した次第です。(なんとなく納得以前ですが、面倒なので調べないことにしましょう。あるいは人名は一般読みと多少違う、例えば出身国の相違などによって、とも考えましたが、そういうことに決まってるってことで、ムリに納得することにしました。)

 それはそれとして、昔から外来語の表記はなかなか難しかったようです。
 ギョーテとはおれのことかとゲーテ言い、というのを中学校の数学の時間の余談で聞き、そういう川柳があるってことでしたが、どうもよくわからない。

 東京ゲーテ会館のHP http://goethe.jp/Q_and_A/q_goethetowaorenokotoka.html を見たら、次のような記事がありました。

「ちなみに、言語学者の矢崎源九郎は、『日本の外来語』(1964年、岩波書店)のなかで、次のように書いていますが、出典は挙げてはいません。
 表記の上ではゴエテ、ギューテ、ギェーテ、ギューテ、ギョート、ギョーツ、ゲーテ、ギュエテ、ゲォエテ、ゴアタ、グウィーテ、ゲヱテー、ゲーテー、ゲェテー、ギョウテ、ギヨーテ、ギョーテ、ギョーテー、ギヨテー、ゴエテ、ギョテ、ギヨヲテ、ギヨオテ、ゲョーテ、ゲヨーテ、ゴエテー、ゲエテ、ギヨエテ、ゲイテ、ギョエテ、と、じつに二十九通りの書き方があるという。「ギョーテとは俺のことかとゲーテ言い」という、斎藤緑雨の川柳すらも生まれているほどである。(170ページ) 」

 結論、いずれもどうもよくわかりません!

ぎゃお!だれだ?こんなことやったのは!?

2016年09月26日 10時26分29秒 | ありふれた日常
      北朝鮮核開発断固糾弾! これこそ、「****に核弾頭」

    *********************

    知らないってのは、困ったもんだよ!
  これが、ミミズの仕業だなんて!!


   

 きのう25日は、ひさかたぶりに晴れ上がった伊豆地方でした(きょうもまあまあ陽がさしています)。

 そこで、これまた久しぶりに庭に出てみたら、クンちゃん犬の運動場だった芝生スペースに、画像のようにあまり大きくない穴がぼこぼことあいている。そのうえ、穴の部分の土なのか、傍らに小さな盛り上がりが出来ているのです。
 例えて言うと、小さな子供が小さなシャベルであちこち丹念に掘り返した、という感じです。

 

 以前もこういうのがいくつか“出現”していたのを見たことがありますが、ほっぽっといたんです。
 しかし、この度のようにそこらへん中、穴ぼこだらけになったのはこれが初めてで、びっくり。

 モグラにしては小さすぎる。
 穴の中にはなにもいない!
 わからない。

 というわけで、いつもいろいろ助けてもらっている質問サイトに投稿してみました。

 そしたら、きのうの夜の間に2件の回答がつき、いずれも「そいつは、ミミズだ!」というわけです。盛り上がっているのは土ではなく、ミミズの糞、つまり「糞塚」(ふんづか)だというのです。

 えっえっ! 信じられない思いでしたが、回答してくれた方が添付してくださったゴルフ場のHPには、まったく同じ穴ぼこぼこの画像がのっていました。間違いないですね。

 ほんとにいくつになっても知らないことだらけです!


  http://www.kiyosumi-golf.co.jp/columns/mimizu.php
  清澄ゴルフ倶楽部(埼玉県東松山市)のHP

  http://shibafu.enjoy-gardening.com/mimizu/
  芝生のお手入れサイト

プルメリア、とうとう咲きました!

2016年09月24日 05時55分20秒 | ありふれた日常
           北朝鮮核開発断固糾弾! これこそ、「****に核弾頭」

    *********************



  満身創痍のプルメリア、よく咲いてくれました!
 二重マル◎!


   

 夏の日に、二階から鉢ごとドカーンと落としてしまったプルメリア。

 太陽の光大好きな性質なのに、日照時間にまったく恵まれなかったこのひと月、よーくがんばってくれました。

 きのう23日の朝、一輪の花が開きました。
 
 花芽の様子から、このあと次々と花をつけてくれるようです。

 ありがとう!






どうなる、プルメリアの花芽

2016年08月31日 09時55分06秒 | ありふれた日常

 死にかけたプルメリアの花芽が伸びてきました! 
   こういうヒマネタが新ブログのテーマ
    


 先だってプルメリアの鉢植えを二階からドカンと落としてしまった話を書きました。

   

  http://blog.goo.ne.jp/92freeedition44/e/9d20db1babfeab64590efa35c4cf299b


 この鉢植えを、おとといから台風を避けて室内に取り込んでおいたところ、けさ、ふたつの花芽のうちひとつが、ぐにょーと芽を伸ばしていることに気づきました。
 きのうは全然気づかず、夜の間に伸びたのか?
 それにしても、頭のてっぺんまでおよそ4センチ。
 見ていれば、伸びていくのがわかるんじゃないか、というほどの“伸び率”です。

 今後どうなるのか、またお知らせします!

   
 
    


 10月から移行する予定の新ブログは、年がら年中、このような記事ばかりになるはずです。
 メッセージ窓口もコメント窓口も開けっ放しにしたいと思います。
 従前の読者のみなさまとは、おおかた「さようなら」ということになると思いますが、
 決して、どんな塩梅か、見に来ないようにお願いします。

臨時アップ! 悩ましい「うましかめ」のメッセージ

2016年08月12日 12時04分53秒 | ありふれた日常
  馬鹿め!か、旨し亀か?

 臨時お知らせを申し上げます。

 画面左手のメッセージ欄から、下記ご連絡をいただきました。
 すぐ着信不能となったメルアドをつくるヒマなお方のようですが、なんとなくどなたかの気配を感じます。

 で、最後の「うましかめ」はよくわかりませんで、「馬鹿め」と罵っているのか、「旨し亀」?というHNなのか。

      「絶対に馬も来ている!クン小屋には鹿が出てくるらしいけど、よく見れば馬もいるはずだ。
       原発の事故があったから原発やめろって人結構いるよ(う)だけど、飛行機の大きな事故が
       あるから飛行機に乗らないわけにはいかないでしょ?それから、書きかけの記事をほったら
       かして次の話に写らな(移らない、か)でもらいたいよ、何度も行くのは手間だから。うま
       しかめ」

 どうも一昨日アップの記事「究極の恐怖の再来、現代の壊滅候補地はどこだ?」(書きかけ)の関連らしいのですが、限定的な飛行機事故と際限もない原発事故を同じ土俵にのっけることは出来ませんよ!
 きょう8月12日は、日航123便の群馬県御巣鷹山への墜落事故から31年ですので、それがこの方の脳裏でクンちゃん記事とリンクしたのかもしれませんね。
 
 書きかけ記事については、まことに申し訳ありません。
 この5年間、いつもそんなことをやってきたのです。
 で、だいぶ時間がたってしまうと、「書きかけ」の告知も引っ込めてしまったりしてね。
 お詫びのしようもありません。
 が、そういう体質はいまさら変わらないと思います。お許しを!

 ついでですので、あとでもう少し付け足すか、別記事をアップしたいと思います。

死んだものとあきらめかけた、そのとき!

2016年08月11日 20時52分19秒 | ありふれた日常

   植物の生命力の強さに脱帽!
    ヒトもこうありたいねえ!


 鹿の額ほどの狭い庭で、いろんなものを作っていますが(作ろうとしているが、と言うべきか)、時々、へぇーと感心してしまう小さな出来事に出合うことがあります。

 先日、アラマンダの花がまだ咲かない、という記事を書きました(8月9日)。
 去年、沖縄から送ってもらったオオバナアリアケカズラ四鉢のうちひと鉢は、室内で越冬中に株のまわりに雑草がぼうぼうに生えているのを本体が元気なものだと見誤り、地面に戻そうとした5月5日によく見れば枯れてしまっているのでした。

   

 かなりがっかりしました。そして、このひと鉢だけは地面に戻しようもなく、鉢のままに残しておき、枯れた枝を刈り込んだりして、様子を見ていました。
 死んだものとあきらめかけていた5月15日、ふと見ると、新芽が出ているではありませんか!

   

 うれしいもんです。
 それからは、日々声に出して励ましつつ水やりなどもよく注意していたところ、7月8日には他の連中と同じところに戻してやれる状態に快復しました。そこで、地面に戻しました。

   

 というわけで、8月9日朝には、仲間と同等の元気さで太陽の光をいっぱい浴びておりました。

   

曰く言いがたし!ズッキーニの生育

2016年08月04日 16時50分46秒 | ありふれた日常
 
  表現が難しい、ズッキーニの実り方

 ことし、ズッキーニの花を初めて見ました。植えたのも初めてです。
 お店できゅうりの苗を買うときに、隣にズッキーニがあったので、一本だけ試しに買ってみたのです。(あまり安くないです。)

 ズッキーニの花は実に見事なものです。
 きゅうりに似て、実はかぼちゃの仲間だというだけに、黄色の大きな花はかぼちゃの花に負けず劣らず、一種壮観ともいえるのです。

       
          「越後府」四合瓶は大きさ比較のため!

 ところが、結局、きちんとした実は一本も収穫できませんでした。
 やはり、土壌が合わないのか、太く育たないうちに腐ってしまうものがほとんどでした。
 後になって調べてみると、ズッキーニは乾燥を好むということで、水のやりすぎが原因だったかもしれんな、とホゾをかんでいます。

 ところで、画像では見にくいですが、花が咲いている元のほうにはすでに親指大の実がなっているのです。
 他の作物では、花の時期には実はまだあらわれていないものがほとんどと思います。
 ズッキーニは、あれっと思えるほどちゃんとした実がなっていて、追っかけてそこに花が咲く、と言って差し支えないようです。

 で、その実なんですが、これはきゅうりやヘチマ、ゴーヤなど、たいていのものはぶら下がっているわけですけど、ズッキーニは地面から空へ向けて(ここで表現に苦しむ、46秒)立ち上がっているのです。その、まあ、なんというか、例えて言えば、“健康な男子の朝の状態”にとてもよく似ていると言いましょうか。結果的にはほとんどのものは腐ってしまいましたが、ある程度育っていく過程を朝ごとに眺めているとけっこう不思議な感じがしたものです。

 あとで、参考までにかぼちゃの花を撮って、ここにアップしてみます。(アップいたしました。)

    
     かぼちゃの花も大きいですが、実はならんのよ!

きゅうりでタコを釣る、ほんまかいな!

2016年08月03日 12時16分27秒 | ありふれた日常

 伊豆タコがやって来た! 

    


 年が(ら)年中、訪れる人もない*クンちゃん小屋ですが、けさはめずらしく「おはよーございます」とご婦人の声。
           *ガス、電気、水道、温泉のメーターをチェックする方々は毎月1度、郵便屋さん、宅配屋さんは月に2、3度おいでになります。
 乱れた夏姿でコーヒーを飲んでいたクンちゃん、あわててズボンをはいたりして玄関に出てみると、樹木が伸び放題茂り放題の隣地のさらに向こうのお隣、Oさんとこの奥様がニッコリ!

 「きゅうり、いつもありがとうございます。おいしかったですよ! あのー、これ、うちの旦那が昨日の夜釣ってきたんですけど、どうかしらと思って。」

とビニール袋に入ったものを手渡してくださる。なにやらぐにゃぐにゃのもので、釣ってきたというのだから、イカかタコという見当。

 「タコなんですけど、大きなものなんで、おすそわけです。」とお帰りになった。

 タコと言えば、クンちゃんの大好物!
 最近のクンちゃんはむかし大阪知事をやったタコ(次の選挙では、宣伝カーの中で女子大生バイトとトラブッた、あのタコ)と風貌が似てきたため“共食い”などと揶揄されたりするけど、タコ好きは変わりませんね。

 というわけで、さっそく塩で身を軽くもみ、茹で上げたのが画像の伊豆タコ(ダコと濁るのかどうか)。頭と足3本をいただいたのですが、350ミリ缶ビールの大きさと比べるとかなり大きいことがおわかりいただけると思います。

 伊豆のこのあたりのスーパーでは地元の朝どり魚類が手に入りますが、タコは日本各地と同じくモロッコ産のやつが主流で、北海道産はあるけど、伊豆の地場ものはとんとお目にかからない。だから、伊豆タコを食うのは多分はじめてのこと。晩酌はまだ先なので、ちょっとばかし試食してみたところ、北海道産と同様“振袖”の部分が多く、振袖のまったくないモロッコ産のようにぶつ切りにしたら噛み切れない。そこで、うす切りにしてみたら、これはいける、なかなか味わい深いものでありました。

 きゅうりでタコを釣る、という話を聞いたような記憶があるんですが、この朝の出来事は“わらしべ長者”ではないが、まさに大豊作のきゅうりでタコを釣った格好でした。(Oさん、ごめんなさい!)

 ********************************

 きゅうりでタコ(とか、なんか魚)を釣る、というおぼろげな記憶を検索してみましたら、キュウリウオというのがありました。これは北海道など北の海にいるそうで、シシャモとかワカサギ、アヤアユなどもお仲間とのこと。いや、いや、魚の名前じゃなくて、きゅうりを餌になんかを釣るってやつだよ、とさらに検索すると、大ナマズをきゅうりで釣ったという動画がありました、スゴイ!

     https://www.youtube.com/watch?v=x1UWwgdZCtI

 さらに、これは岩手県遠野エリアのお戯れのようですが、「河童を釣る」というのも出てきましたよ。

      http://blog.goo.ne.jp/yukitsuna/e/b15bc6bff18dca7ed96a6192567b3f7f


キリギリスならばっちり!

2016年08月02日 16時30分43秒 | ありふれた日常

  どういうわけか、きゅうりだけ大成功!

 

 しろうとの悲しさ、庭のミニミニ菜園であれこれ挑戦しているのだが、勝手に勢力を庭全体に及ぼさんとしている「紫蘇(シソ)」以外は、いまひとつ成果が芳しくない。

 この5年間に作付け(種、苗)してみたのは…、

 ジャガイモ、ナス、ニンジン、カンボジャ、大根、キャベツ、ピーマンパプリカトウガラシ、沖縄トウガラシ、レタス、白菜、ネギ、玉ネギゴーヤオクラ、トウモロコシ、パセリ、バジル、ショウガ、ズッキーニ、ゴボウ、ミョウガ、ニンニク、ホウレンソウ、カラシナ、シュンギク紫蘇(青、赤)などなど、下手の横好きでいろいろ試してみたのですが、もともとの土からして石だらけのやせ細った土地のせいか、かなりの金額にのぼる有機堆肥をつぎ込んでいる割には、いまひとつぱっとしない出来なのです。まあまあ、この程度とれればいいかな、というのは、太字だけ。

 そんななかで、例年も唯一成績の良いきゅうりは、どういうわけか今年は大大大の絶好調なのです!
 たった4本の苗(画像参照。すぐ手前はパプリカ)で、毎日毎日3、4本のちょうど良い大きさのものが実る。
 何日か留守にして帰ってみると、育ち過ぎてへちまのようになった超大物が10本もぶら下がっていて、「ひえっー」とびっくり仰天するのです。
 完全に採算点をクリアしているな、とほくそ笑んでいるクンちゃんなのですが、消費のほうが追いつかない!

 近場の隣人たちに分けたり、数少ない通りがかりの人たちにも持っていってもらっているが、こうなってくると有難みよりも始末におえないという感じになってきちゃいます。埼玉の自宅とかどこかに送ろうにも、送料と見合う産物でもないので送るに送られず、「おらあ、キリギリスじゃねえからなあ」と嘆息している次第です。

 まことに申し訳のないことであります。

広告はずしに無理無理更新!静養は大河馬プールがGoo!

2016年08月01日 22時53分41秒 | ありふれた日常


 ふっと気づくと8月1日!

 もう1年の半分以上、3分の2近くがうしろにすっ飛んでいってしまったということです。

 ふっと気づくと、クンちゃんブログのフロントになんとかという自費出版屋さんの広告が貼りついている。

 ※「このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。」
 といういつもながらの苦々しい現象であります。

 で、とりあえずこのクソ広告をどかすためにムリムリ新記事をアップして、追って近況報告などもサイトアップすることにします。


 なお、阿呆ふたりが滑り落ちたあとの都知事選、昨夜の開票で小池新知事の誕生が決まりましたね。宇都宮弁護士を蹴落として登場した鳥越は一見よさそうだったけど、浮動票の大方は「76歳ってのはそりゃご勘弁!」という判断だったようで、週刊文春、新潮2誌の旧悪暴露記事が出なくても、あと30万票程度の上乗せにとどまったのではないでしょうか。76歳で赤っ恥かいて落選、自分自身もおそらく忘れていた旧悪を書き立てられ、すっかり晩節を汚した格好のご仁、「出なきゃ良かった、ホンマにね!」と、しみじみ人生の悲哀を感じておられることだろう。
 結局、増田・鳥越のおとこふたりは「のせられ」「のせそこね」で双方ともに男を下げ、小池だけが女を上げた、という結末だったようですね。もちろん、これは評判という意味で、その実質とはかかわりがないかもしれません。

 それにしても、あきれ果てたのは石原慎太郎の息子のなんとかという自民党都連の幹部やってるやつ。「小池を応援したやつは親族も処罰対象だぁ」と公に党員を縛ったつもりのようだが、この脅迫ってまるで江戸時代の「五人組」とか、旧日本軍の「連帯責任」を彷彿させるわな。こういうアナクロの塊が親子でのうのうとでかいつらしてんだから、日本の未来も明るいですよねえ!(文中敬称略)


 なにはともあれ敗戦でお疲れの向きは、こちらで静養なさるのがよいでしょう。

    http://www.book-hotel.cn/big5date/201008/7702.html 


うーん、たいしたタマ!たまげた!

2015年12月13日 22時57分04秒 | ありふれた日常

 逃げも隠れもしないおっつあん鹿!
  結局は立ち去ってくれたけどね


 おとといはとんでもない風と雨でした。
 ほんと、おっとろちい大風でクンちゃん隠居小屋なんぞ、今にもぶっ飛びそうな風の勢いでした。
 これは全国的にも大変な様子だったらしく、みなさまにもお見舞い申し上げます。

 それとはあまり関係ないんですが、さっき熱海の某JAZZセクションから帰る道、小屋の近くまで来て、何箇所かある大きな曲がり角のところに来たら、普段はあまり見かけない牡鹿(立派な角があります。ふつう見かけるのは角のない雌鹿。角のあるなしが人間と正反対ですね!)がいっちょ、車の前に立ちはだかり、こっちを睨みつけたまま動かない!
 ライトを上向き下向きにカチャカチャしても、鹿と、でまったく動こうとせんのですう。

    

 携帯を取り出して、なんちゃら操作をして、おもむろにフロントガラスごしに撮影にかかってもまったく動かん、のですわぁ。
 おそらく3分か4分程度はにらめっこしてたんでしょうけど、それがかなりの長さに感じるほど、こっちが焦ってたようです!

 やがて先様は何事もなかったように、ゆうゆうと左手に立ち去っていき、
 クンちゃん人も何事もなかったふりをして、ほうほうの態で小屋まで帰ってまいりました!ちゃんちゃん!

    

お日さまが出ないので、扇風機で干物!

2015年11月26日 22時56分17秒 | ありふれた日常

   天日干しならぬ扇風機干し!をやってみました!

 ここ数日、天候が悪い。雨降りというより嵐に近い風雨が続いています。
 早くも大雪の便りが届いていて、やはり天候異変の感を強くしますね。

 で、おととい海岸のスーパーに行ったら、てんこ盛りひと山200円(税込み216円)の「カマス」がありました。

 海の近くに住んでいる楽しみのひとつは、海の近くでしか売っていない魚たちに出会うことです。
 海なし県に育ったクンちゃん人にはモノ珍しい魚や貝類、海藻類がかなりたくさんあります。
 例えば、黒むつの幼魚の「じんべえ」というのは、12センチか13センチ程度の大きさですが、7、8匹で300円以下。
 これがいっちょう前になると一匹700円とか800円とかになるのですが、小さいのは安い。安いから東京方面に出したところで商売にならんということだと思います。
 そこで、地元で安く売るわけですが、これをいい加減に調理して二度揚げして、大根おろしに酢だちでも搾れば、かなりうまいのであります。

 同じように、中小のカマスも上に書いたようにひと山200円というわけですが、数えてみると13匹ありました。
 それを干物にしようと思っていたんですが、おととい、きのう、きょうと雨続き。
 しょうがないので、きょう、いつぞや顔見知りの干物屋のおじさんに聞いた風で乾かす、というやつを試みてみました。
 乾燥させる網が張ってあるボックスのような市販品に、さばいて塩水に浸しておいたカマスを並べ、屋根のあるベランダにぶら下げました。
 しかるのち、手順が逆でしたが、押入れから扇風機を引っ張り出してきて風を当てました。
 きょうは自然の風は弱く、ほぼ扇風機の風で揺れること3時間半。なんとなく、天日で干したものとは様相が異なる印象でしたが、それなりのものができたようです。
 手づくり干物のこつは、さばいた後、よーく水洗いして骨のまわりをきれいにすることです。また、手づくりのよいところは、塩味を自分好みに調整できることです。

    

 で、つらつら思い出すのは、そのおじさん、トシのころ70歳代中盤のおじさんの話。
 魚というものは一年中およいでいるわけだが、いつも味が同じというわけではなく、うまい時期がきまっているんだとか。
 例えば、マアジのうまいのは6月。この月以外は、まずいという。??
 したがって、アジの干物用のアジは、どこの干物屋さんでも6月に1年分をまとめて仕入れるんだそうだ。
 そして、それは全部、沼津の冷凍業者(マイナス60度とかだよ!)に預け、そこから引き出しては、干物に仕立てるんだといいます。
 だから、6月は魚の仕入れで忙しく、また、なによりもお金が忙しいんだと笑っていました。

 ついでに聞いた話。
 この方はかなり大きな漁師の家(網元とは言わなかったが、そういうものかもね)に生まれ、ずっと漁船に乗ってきたというのだが、いわば定年で漁師を引退し干物屋になったのだという。
 えっ、漁師というのはからだが動くうちはいつまでも働けるんじゃないの?と思っていましたが、そうじゃないそうです。
 いつのころからか知らぬが、漁師も60歳で船を下りることになっているそうです(現在は何歳か聞き忘れた)。
 その後は、自分で小さな船を買って、小規模に操業するとか、干物屋などさまざまな稼ぎに転進するんだと話しておられました。
 ふーん、となにやら感心して帰ってきたことを思い出しました。おしまい。


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 なお、自費出版関係のお困りごとは、「鬼蜘蛛おばさんの疑問箱 http://onigumo.sapolog.com/のコメント欄」へお問い合わせになることをお勧めいたします。同コメント欄は承認制ですので、非公開を希望すればそのような取扱いを受けることができます。2015年11月18日         



 

    

たけのこのビン詰(屋)!!

2015年04月27日 20時08分52秒 | ありふれた日常
       思いの外、簡単でした!
     ビンが割れちまうんじゃないか、と
     心配してましたが!
  


   

 先だって、クンちゃん山荘へやってきたこと、タケノコ採りはわずか1本の収穫で日光手前(イマイチ)だったこと、はみなさまに報告いたしたところです。

 ところがところが、昨日26日の朝、ふと崖下に下りてみると、タケノコだらけとはこのこと、というビックリハウス的情景!
 先日の強い雨のなせるわざですね。 
 思わず欲にかられて、かなり余分に収穫してしまいました。

 で、近隣の方々、果ては小屋の前を通りがかる方たち、に、ナマのものを見境なく押し付けてしまいましたが、それでもまだ余る。
 とりあえず、ほっとけないので茹でたわな、ヌカ入れて。
 しかる後になにか良策はないかと、ネット検索すると、まことに幸いなことに、

      http://cookpad.com/recipe/3114398
   
という方法があることがわかりました。 ここで、急遽、「たけのこビン詰屋」に変身の気配。

 で、ビンはあるかな、と探したところ。ジャムの空きビン、ホワイトアスパラの空ビンなどがいくつかあるものの、これでは足りん。
 町まで行って、100円均一ショップに行くと、あった!108円のビンが!
 しっかし、熱湯はだめよ、と店のおばやん。

 しょうがないので、「カインズホーム」とかいう、以前盛況だったころの「ドイト」に似た店まで行って、「熱湯煮沸でけるビンありまっか?」と聞くと、店のある程度の責任者らしい兄やんが「はい、はい、何にお使いですか?」とか言いながら、クンちゃんをビン売場まで連れて行ってくれた。たけのこのビン詰つくるなんて、なんだか妙に言いにくい感じで、濫訴の大河馬者慈悲に倣って「いちごジャムを保存したいんや」などと思わず実害のない嘘をついてしまう。(慈悲の説によると、実害のない嘘なら言いまくっても構わんそうだが、クンちゃんは虚言癖があると言われぬよう、なるべく嘘はやめようと思います。)
 話は戻って、件の兄やん責任者、そのへんのものあれやこれやをしげしげと眺めた挙句、「全部、熱湯煮沸はダメなようです」とのたまう。「はあ、さいですか」とクンちゃんが小声でつぶやくと、彼はさっと消えていった。

 んで、そこにあった品々をよく見ると、結構大きなやつが1本148円、準耐熱のものが1本348円(レシート捨ててしまったので、いずれもアバウト)。148円のやつは百均の108円とあんまり変わらず、なるほど、こりゃだめかな、とは思ったが、だめもとで148円を2本、348円を2本買って帰り、おそるおそる前記のネット記事を参考にたけのこのビン詰を作ってみた。

 案ずるより産むがやすし、とはこのことか。148円のものも途中で割れずに立派に用を足してくれた。

 よくよく考えてみれば、ガラスは成形する際には100度を超えるはずの温度に耐えている。
 ということは、急加熱、急冷却を避ければ、安い価格のガラスビンでも、なんとか熱湯煮沸に耐えるのではないか?
 ただ、事故があると困るので、熱湯煮沸はダメや言うてんとちゃう?
 (このとき、突然にクンちゃんの胸に、百均のビンでもOKかもしれんわな、という思いがフツフツと湧き上がる。)

 というようなわけで、さましている途中のわが「たけのこビン詰」が上の画像である。
 ちなみに、手前の小4つはジャム空きビン、細長いのがアスパラ空きビン、後ろのふたが白いのふたつが148円、金色のふたつが348円のガラスビンです。

 着払いでよければ、特製新たけのこビン詰、クロネコ便にて、もち無料で送ります。(クンちゃんと面識ある方のみとします。面識ない人は、食い物だから、やっぱ気持ち悪いでしょうからね。)
 メッセージ欄から、ご連絡ください。じゃあね!

 
 

種ジャガを掘ったんは誰?

2015年04月20日 20時17分15秒 | ありふれた日常


 足跡だけが残る。河馬ではないようだが…

 きょう20日は昼前から本格的な雨、とかいう予報。そんならちょっと早く起きてネギ苗(いわゆる深谷ネギ)を植えてしまうべ、と起き出してみたら、なんだか、そこらへんじゅう足跡だらけで、びっくり(びっくらこいたの一歩手前の状態)。

        

 この足跡はいったい、誰なんだろう。真ん中でひずめが割れているようにも見えるけど。

 ここには、遅く種ジャガイモをええ加減に植えた。まだ葉も茂っていない。それをよく探して掘ってくれちゃってる。

 この冬はだいぶエサがないらしく、いろんなメンバーがあちこちに頻繁に訪問してくださった由。ここらへんの家庭菜園愛好者はかなりのぶーたれ状態である。

 シカは年中しばしば見かけるし、夏にはサルは庭先まで入ってきてエダマメをかっぱらっていく。夜中に何かの気配で外に出たら、イノシシが入り込んでいて、ポーンと塀を飛び越えて逃げっていったこともある。ことしは庭にシカの糞があるので、クンちゃん留守中に例年になくご来訪くださったようだ。

 そうこうしていると、上のほうに住む顔見知りのおばあさん(82歳)が散歩で通りがかった。ちょっと四方山話をして足跡の話をしたら、「ことし、うちはハクビシンが入り込んで難儀やった」という。ハクビシンは、名前だけ聞いたことはあるが、そんなもんがおるんかい、ここらへんは!
 
 で、ハクビシンをネットで見たら、こんなやつだった(駆除業者さんのページ)。

     http://hakubishin-sizuoka.com/
    (どうもダイレクトに開かないようですので、お手数でもこのアドレスを入力してください。)

 種ジャガを掘ったのは、どうもこいつではないようだ、体の大きさと足跡の大きさから考えてね。

 河馬でもないようだ。

 いったい誰なんだ、これは!