黒い冷凍庫(冷凍品=文芸社、栗田工業、幻冬舎R等、クンちゃんブログ自費出版関連記事!クリタ創業者野崎貞雄氏発禁本全文)

旧文芸社=日本文学館、幻冬舎R等自費出版(費用著者負担エディション)よろず相談室 クンちゃんのエディタールームの過去記事

もう、ウグイスがやかましか!?

2016年04月12日 12時22分34秒 | 小紋潤・心の花歌人
 ウグイスの若鳥が一日中練習してて…

 越冬中の南の植物アラマンダの鉢植え(画像は昨年夏の地植え)が心配で早々に伊豆へ戻ってきた。

    

 熊本は夏日だったが、先日、羽田に降り立ったら、人がみな冬のコートを着ている。
 旅に出る前、朝の4時から6時まではヒーターが入るように設定していったが、人びとの冬姿を見たらもういけない。
 どうなっているか心配でこころが揺れる。

 結果として土も乾かず、葉も痛まず、何事もなかったが、楽しみの反対側にはいろいろストレスが備わっているなあという実感。
 室内で越冬させる手間などどうということない、との甘い見方を少々悔やんでいる。

 伊豆に戻って菜園を見ると、相当厳重に柵で囲っているのに、シカに入り込まれていた。
 被害はさやえんどうとブロッコリーの苗、植えつけたジャガイモの種イモの三分の一程度、春菊は嫌いなはずなのに半分程度は食われてしまった。
 夏みかんは多少痛むと地面に落ちるが、その皮をむいて食べたような痕が残っている。
 まあ、しゃあないな。

 この季節、なかなか風情があるという程度では済まないのが、ウグイスの若鳥たち。
 雛から若鳥になると、「ホーホケキョ」の練習を一日中くりかえすのだ。
 まったくへたくそだな、という段階からだんだんに上達していく。
 例えて言えば、小学生のこどもがスペリオパイプを吹き始める時期と趣が似ている。
 まあ、しゃあないな。



 学び鳴く稚き(わかき)うぐひす我に似て つたなき歌を かえりみもせず
 (この「稚き」は、「雨に濡れて紫陽花咲(ひら)く稚(わか)ければ藍より青きことを信じる」〔小紋潤〕のマネをしたもの)

 海を見下ろす林から 蓄音機のあるがごとく さえずり聞こゆ

 山の端に三日月のぼり陽は海へ ひねもす響きし「学び鳴き」やむ


小紋潤と再会、35年ぶり!

2016年04月06日 14時32分21秒 | 小紋潤・心の花歌人

  “ちょっと見”が変はっちまったと想ふ時
     目を瞑りなば昔のままに
 



長崎まで飛んで行って、旧友にて歌人の小紋潤に会う旅から、きのう夕刻、埼玉まで帰ってきた。

実に35年ぶり。

よく知らないが、仏教では三十三回忌で一応おしまいということのようだから、オッソロシク長期のご無沙汰だった。

とくに喉が悪いということで、話はできないだろうと思っていたが、放射線治療が奏功した由にて、毒舌は健在だった。
ただ既往の脳疾患の後遺症とあいまって、立ち上がることがかなり困難、ということだった。

歌詠みのこと、というわけで、今回はクンちゃんも恥ずかしながら「歌でリポート」に初めてトライしてみた。
しっかし、短歌や俳句といったものは、なんせ中学校の授業で一度?やったきりなので、どんなもんだかね。
へたな俳句のことを腰折れというようなあいまいな記憶があるが、へたな歌はなんというやら。

小紋潤に添削してもらいたいところだが、スマホもパソコンも、携帯さえ持たない人なので致し方ない。



長崎にて小紋潤に会ふ

病む友を マーマレード持ちて訪ね来て 光あふるる さくら道かへる

訪ねあて 開けはなたれしふしどより 聞き覚へある そのひとの声

飛びきたり ふせしままの面立ちに 三十五年のとしつきを飛ぶ

のど病みて声なき人と思いしが  斜にかまえたる舌はかはらじ

美少年 こんだけふとっちゃかたなしばい  その軽口ぞ耳になつかし

チューブにてやしなわれる日の長ければ 「腹は減るとよ」 わが問ひに答へて

女人あり 連絡係と言ふ髪に 窓辺の桜かがやきて舞ふ

ブログには載せぬと言ひつ  はじめてのツーショットにおさまりてはにかむ

ながながと離れしままの手を握り ふたつのわだち いま交はりぬ

歌集出し いまひとたびは東京へ せつなる願ひ われも祈らん