黒い冷凍庫(冷凍品=文芸社、栗田工業、幻冬舎R等、クンちゃんブログ自費出版関連記事!クリタ創業者野崎貞雄氏発禁本全文)

旧文芸社=日本文学館、幻冬舎R等自費出版(費用著者負担エディション)よろず相談室 クンちゃんのエディタールームの過去記事

あの佐川一政氏の実弟インタビュー記事。なんで、また! 

2019年11月20日 10時06分23秒 | 日記

  栗田工業・佐川元社長の息子たちの話

  なんでインタビューに応じたのかねえ?

7月に公開された映画の宣伝効果射程だったのか

 前々記事を書いていて、「そう言えば」と思い出したのですが、あの佐川一政氏の映画がことし7月に公開される前、彼の実弟のインタビュー記事がネットに出ました。それをおらは別の告発的ブログで紹介したのですが、当ブログに掲載しようと思っていて、すっかり忘れていました。いささか旧聞に過ぎるかねえ、とも思いますが、お時間のおありになる向きには、ヒマ潰しにご一読賜れば幸いです。(追って書き・この記事は別ブログからそのまま転載したためわかりにくくなっています。文中「別の告発的ブログ」とは当黒い冷蔵庫ブログ、「当ブログ」とは別のブログのことです。)

 いまごろになってあえら、じゃなくてあえてUPするのは、このインタビューには訂正加筆されるべきところがあるように思うからです。なお、この掲載形式にはクレームがつく可能性が高いので、著作権者から削除要請が来れば引用形式に書き改めるか、削除に応じる考えですので、関心がおありの方は早めにお読みください。

 実は2000年代の初めごろ、おらが勤めていた会社に佐川一政氏の“持ち込み原稿”が郵送されてきました。転載記事下線部分①のように生活苦があったのでしょう。おらがその審査をしたのですが、結果的に本にはならんと判断して“没”にしました。また、そのころ、阿川佐和子さんの著書の中に、彼女の著作のサイン会に一政氏があらわれ、サインを求める列に並んだのを見て肝をつぶしたというような経緯が書かれており、思わずニヤついた記憶があります。

 で、前述の訂正というか、実情とだいぶ乖離している箇所とでもいうか、そういうくだりですが、それは下の転載記事に太字と下線で示したところです。以下は、栗田工業のふたりの創業者・栗田春生氏、野崎貞雄氏のうち、野崎氏の著作をおらが担当して2011年に世に送った前後に栗田工業OBらから聴き取った話に基づくものです。

 一政氏の人肉事件の際、父親の当時栗田工業社長・佐川明氏が息子のためにひんぱんにフランスへ出向き、なかなか帰国しなかったケースもあったようです。それは下線部の「秘書を呼んで」という記述からも一部実情が窺えますが、旅費、滞在費、その他経費はすべて会社持ちであって、社内では大顰蹙をかっていたとのことでした。あたりまえですよね。

 また、記事にあるように明社長は結果的には退任するのですが、「息子のやったことは息子の責任であって、私の責任ではない。なにゆえ、社長を辞めねばならないのか」と、ある意味では正しい論拠を強硬に述べて退任すべきとの声を封じ、社長の座で居直っていたといいます。私見では、まったくもっともな明氏の言い分と思われますが、それならてめえのゼニと時間で全部まかなえば文句はなかったんだけどねえ、と思います。

 別に死者を鞭打つつもりもないですし、身内の言ってることですから、とは思いますが、ちょっとばかし、注釈をつけてみたい性格なんでね、ひとつご容赦ください。それにしても、重病の床で「もう一度イチゴを喰いたい」とか「もういっぺん熱燗をぐっとやりたい」などと言うお方はいると思いますが、一政氏下の線②については、何をか言わんや、ということでしょうな。

 記事中の「映画」とはこれです。  http://caniba-movie.com/

 

***************************

 

パリ人肉事件・佐川一政を介護する弟が実名告白

  「バカな奴だけど、絶縁できなかった」   

   2019/5/23(木) 12:00配信 アエラ                    

【佐川一政氏の弟・純さんの画像あり】(撮影/西岡千史)

オリジナル記事は⇒https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190523-00000011-sasahi-soci&p=1

  ①パリに留学中の32歳の日本人男性が、恋心を抱いていたオランダ人女性を射殺、肉体の一部を食べた──。1981年に起きた前代未聞の「パリ人肉事件」は、世界を震撼させた。加害者の名は、佐川一政。女性の遺体を遺棄していたところで逮捕された
【入院中の佐川一政氏の最新写真あり】

   猟奇的な事件が発覚した直後から、家族のもとには報道陣が殺到した。その対応をしたのが、当時、大手広告会社に勤めていた弟の佐川純さん(68)だ。父は会社を辞めざるを得なくなり、純さん自身も一時休職に追い込まれた。
 事件はこれだけで終わらなかった。佐川氏はフランスでの精神鑑定で、犯行時は「心神喪失状態だった」と診断され、不起訴処分となる。すでに日本で有名人となっていた彼は、帰国後に家族の反対を無視して執筆・講演活動を開始する。彼を好奇の目で見る世間とは裏腹に、家族は被害者への罪悪感とやるせなさを感じ続けた日々だった。
 事件から38年。佐川氏の両親はすでに他界し、残された家族は佐川氏と純さんだけになった。その二人の今の暮らしを追ったフランスと米国合作ドキュメンタリー映画『カニバ/パリ人肉事件38年目の真実』(監督/ルーシァン・キャステーヌ=テイラー、ヴェレナ・パラヴェル)が、7月12日から全国公開される。佐川氏と純さんは、この長い時間をどのように生きてきたのか。そして、純さんは今、兄のことをどう思っているのか。 

 * * *  何かさしたる特徴もない、平凡な一日だった。1981年6月11日、純さん(当時30歳)は父と母と一緒に夕食をとったあと、将棋を指していた。18時半を過ぎたころ、神戸に住んでいる祖母から電話がかかってきた。その話は耳を疑うものだった。
「いま、ニュース見てる? 佐川一政という人がパリで誰かを殺したみたいだけど……」
 テレビを付けると、祖母の話した内容が報道されていた。驚く両親。衝撃的なニュースに、母は「これはウソだ」と言い続けた。我が子が人を殺すなんて、信じられるはずはない。ただ、純さんだけは違ったことが頭をよぎった。

 ②「実は事件が起きる7年前、兄は都内でドイツ人女性の家に侵入して、襲おうとしたことがあったんです。この時は未遂に終わって、父がお金を払って示談が成立したので事件にはなりませんでした。この時の記憶があったので、『またやったな』と思いました」(純さん)
 ほどなくして、自宅にはマスコミからの電話が殺到する。父は当時、ある大企業の社長をつとめていた。そのこともまた、世間の関心を誘うことになった。
 一方、大手広告会社に勤務していた純さんは、企業などが不祥事を起こしたときの対応マニュアルを理解していた。個別に取材対応をすれば、記者から際限なく質問が飛んでくる。そこで、自宅のリビングに記者を集め、緊急の記者会見を開くことにした。
「たしか、二十数人の記者が集まって父が対応しました。その間、私は母に『大丈夫だよ』となぐさめてました。記者がいなくなった後、父は秘書を呼んでパリ行きの航空券を手配して現地に向かい、母と私は、福岡に住んでいた知り合いの家に逃げました。その後のことは、実はよく覚えていません。テレビも見ていませんでしたから」(同)
 1カ月ほど経過したころ、父がパリから帰国した。その姿を見て、純さんは驚いた。食べるのも飲むのも大好きで、恰幅の良い体格だった父がやせ細っていたからだ。世間を騒がせた責任をとって、父は社長を辞任。会社を去った。純さんも、2カ月ほど休職せざるをえなかった。心労も影響したのだろう、翌冬、父は脳梗塞で倒れた。
 不幸中の幸いだったのが、純さんは会社を辞めなくてすんだことだ。むしろ、同僚たちは純さんの社会復帰を支えてくれた。
「勤務先が広告会社でメディアに知り合いが多いから、なかには兄のことが記事に出ないよう、雑誌に言ってくれた人もいたそうです。広告担当が編集に意見を言うことは御法度で、実際に記事を止めることはできなかったと思いますが。復帰した時には歓迎会も開いてくれました」(同)

 ③パリ人肉事件をめぐっては、ザ・ローリング・ストーンズが佐川氏を題材にして曲を作り、劇作家の唐十郎が『佐川君からの手紙』と題した小説を書いて芥川賞を受賞するなど、世界に影響を与えていた。それにしてもなぜ、佐川氏は女性を“食べる”ことに喜びを感じるようになったのか。そのことを知るには、生い立ちを振り返る必要がある。
 佐川氏は1949年4月26日、神戸市で生まれた。出産時は未熟児で、小さい頃は病気がち。家族からは「いつ死んでもおかしくない」と思われていたという。純さんは兄の誕生から約1年後の1950年に生まれた。子どものころから兄より体が大きく、そこで両親は、二人を兄弟ではなく双子のように育てた。
 
兄弟の幼年時代を撮影した映像は、いまでも残されている。1950年代に家族用の撮影機材を持っていたことから、佐川家がいかに裕福な家庭であったかがわかる。男同士だからケンカもしたが、仲は良かった。
 ただ、体の弱かった兄は、家で本を読みふけることを好んだ。両親は、そんな兄の性格に合わせるよう、純さんにも外で遊ぶことよりも家の中にいることを求めた。
「兄の性格は家庭環境の影響はあったと思います。兄は否定しますが、体が小さくて頭が大きいという見た目で、私に対する劣等感もあっただろうと思います。今さら言ってもしょうがないことですが……。家は過保護なところもありました。家庭では性的なことについて厳しくて、兄が漫画で女の人の裸を書いたりすると、ものすごく怒られました」
 そのような環境で、佐川氏はいつしか「人を食べること」に興味を持つようになった。
 話を事件後に戻そう。前述のとおり、フランスで逮捕された佐川氏は、精神鑑定で不起訴処分となった。84年に日本に帰国して都内の精神科病院に入院したが、そこも約1年で退院した。
 佐川氏はすでに、日本国内で「人肉を食べた男」として有名になっていた。退院後には執筆活動を開始し、自らの猟奇的犯罪の経験を語り、講演やトークショーにも呼ばれた。そこで得た金で、外国人女性と海外旅行に出かけた。アダルトビデオに男優として出演したこともある。人肉を食べた男の素性に、多くの日本人が興味を持ったのだ。その間、家族は複雑な気持ちだった。
 

 ④「私としては『いい加減にしろ』という気持ちでした。被害者に申し訳ないですから。何度も執筆や講演活動をやめるように言ったことがあります。父親は、書店に行って並んでいる本の帯を、片っ端からはがしてきたこともあった。それでも、兄はやめようとしませんでした」
 佐川氏を好奇の目でみるのではなく、出版物などを通じて精神的な影響を受けた人もいる。神戸連続児童殺傷事件(1997年)の加害者である「少年A」だ。少年Aは2015年、事件の経緯を含んだ自らの手記『絶歌』(太田出版)を発表。本の中で、「殺人作家」として活動する佐川氏に、嫉妬や羨望を抱いていたことを告白している。
 ただ、「佐川一政ブーム」は長くは続かなかった。2000年代に入ってからは仕事がほとんど途絶え、一時は生活保護で暮らしていたという。佐川氏と口論しながらも暮らしを支えていた父と母は、2005年に相次いでこの世を去った。なお、インターネットでは、父の死の直後に母が自殺したことになっているが、「そのような事実はない」と純さんは証言している。
 両親が死去したことで、遺産となった実家を売却し、佐川氏の暮らしは改善した。兄弟で細々と年金生活を続けていたところ、2013年に佐川氏が脳梗塞で倒れた。からだが不自由になった佐川氏を、純さんが介護することになる。
「兄の住むアパートに私が通い、面倒をみていました。それが昨年6月、弁当をのどに詰まらせてしまったんです。誤嚥(ごえん)性肺炎になって、自分で食べ物が食べられなってしまって、胃ろうにせざるをえなくなりました」(純さん)
 胃ろうは、おなかに小さな穴を開け、チューブで胃に直接栄養を送り込む方法だ。それまでは歩くこともできたが、現在は神奈川県内の病院で寝たきりの生活が続いている。
 それでも純さんは、今でも2日に1回は佐川氏に会うため病院に通っている。
「今は会話も難しくなっていますが、病室に行くと私の手をずっと握ってくるんですよ」

 ⑤加害者の家族として、純さんはいろんな迷惑を受けてきたはずだ。そんな話も、今ではあっけらかんと話す。
「2000年代に入ってからでしょうか。私は趣味でオーケストラのチェロを演奏していたのですが、ある日、ハードケースに入れて部屋に置いていたら、なくなっていました。100万円ぐらいするものだったんですが、兄が売ってしまったんですね。警察も呼んだのですが『犯人はお兄さんではないですか』なんて言われてしまって」(純さん)
 兄の行動をめぐっては、父も純さんも批判することが多かった。それでも、家族は最後まで佐川氏を見捨てることができなかった。
「バカな奴だと思っていましたが、両親も、子どもに絶縁を迫るような性格ではなかったんでしょうね。ケンカもしていましたけど、年末年始なんかは家族4人で集まっていました」
 佐川氏と同じく、純さんも一度も結婚をしたことがない。そのため、両親が亡くなってからは、お互いが唯一の肉親となった。世界を震撼させた猟奇的殺人者を介護していることについて、純さんは「こういう風になってみないと、わからないでしょうね」と言う。というのも、佐川氏が脳梗塞で倒れた時、純さんの心にある変化があったからだ。
「胃ろうで、兄もいつ死ぬかわからなくなって、『かわいそうだな』と思ったんですよね。兄弟愛っていうんでしょうか。昔はとても仲の良かったですから、ようやくその頃に戻れた気がします。いろんなことがありましたけど、今では、わだかまりはまったくないです。むしろ、もっと一生懸命に介護しなきゃいけないなと」
 ちなみに、佐川氏は胃ろうとなった今でも女性を“食べたい”という願望を持っているそうだ。純さんは、そんな兄のことを「まったく理解できない」と笑う。
 最後に、寝たきりとなった兄の存在を今、どう思っているかをたずねてみたすると純さんは、「うーん……」と少し考えこんで、こう言った。
「いつまでも死んでほしくないですね。そう思います」
 双子のように育てられた二人の物語は、まもなく最終章を迎えようとしている。(AERA dot.編集部・西岡千史)


⑧東電PGが目の前に余計な電柱を新設!怒り心頭に発す!⑧

2019年10月10日 11時11分33秒 | 日記

 

    大朗報来る! 
 1本は撤去!もう1本も位置修正!
 一昨8日にすべての決済完了の報知

 

うちの横っちょ、隣地境界線の隣地側に電柱が1本あり、隣地所有者が撤去を東電に求めました。で、おらち側に移させてくれと言ってきましたが、結果的にこれを断りました。そうしたところ、その撤去1本の代わりにおらちの目の前に2本の新電柱が建っちまったのです。少しばかり見えていた相模湾の景観もずたずたとなり、おらは無駄とは思いましたが、一応クレームをつけてみました。そうしたところ、途中は端折りますが、おらの言い分が通りました。ご報告まで。このブログでは結論だけの掲載です。別ブログの記事は以下のとおりです。

*************

  電柱問題が解決しました! ありがとう!


  クンちゃん山荘前の電柱移設について、おらが、東京電力パワーグリッド社に対し、
「建ち上がった新電柱2本のうちの1本によって、ほんの少しばかり見えていた相模湾の景観が台無しになっちまった。」「旧電柱1本の移設なんだから、2本の新電柱を建てずに新設1本で賄ってもらいたいです。」
と泣きついていた問題で、きょう10日、同社・中井一成課長から計画大幅修正の朗報がもたらされました。
 新プランによると、上の画像左側の新電柱は撤去する。また、同じく右側の新電柱は抜去したうえ、もっと高さがある別電柱を背後の崖下、竹林の中に設置する、という説明でした。大幅におらの意向をくんでくださった計画修正だと感じています。  施工は別セクションで、当初計画より遅れるとのことですが、いったん建ちあがってしまった新電柱についての要望だっただけに、いまボーゼンとしつつ、この原稿を書いております。


ありがとう!きょうでおしまいです!

2016年09月30日 12時21分15秒 | 日記
   クンちゃんブログは、きょうで店仕舞いです!   
   ご支援を心より感謝いたします。
 


           
            ありし日のクンちゃん犬 
 
 私が、自費出版をメインとする出版社「文芸社」の編集部門を退職した3日後、あの東日本大震災が起きました。
 そのおよそ1か月後、2011年4月13日に始めたこの“クンちゃんブログ”ですが、きょう2016年9月30日をもって店仕舞いすることとなりました。
 この間、数多くの非難中傷の攻撃にさらされましたが、それを超えるご支援もいただき、今日に至りました。みなさまに、心より御礼申し上げます。

 私がクンちゃんブログを始めた動機は、当時の「文芸社商法」ともいわれた自費出版の営業方法に大きな疑問を抱き、
本来の出版業のあるべき社会的使命から大きく逸脱している実情をなんとかしたいと考えていたからです。
 もちろん、文芸社のみならず、先発であり既に消滅した新風舎ほかの自費出版系版元もおおむね同様の営業手法、
ひとくちに言えば「著者を過剰に持ち上げ、著作がたくさん売れるかのような一種の詐欺的様相を帯びたトーク」を用いていたと認識しています。
 少し長くなりますが、初期の記事を引いてみたいと思います。普通なら通りっこないローンを無理に設定した著者の例です。

 本屋に並ぶ「私家版」、その光と影  (其の四)
 2011-04-17  13:18:16 
   オリジナル記事はこちら

 『ある担当編集者が初老の女性著者宅に打合せに行った。
 その編集者は午前中の打合せの場合、話が長くなったりして、お昼の食事時にかかったりすることを懸念して、
必ず自分が弁当を持参することを事前に連絡する。
 このときは、そう話すと、「いいえ、たいしたものはないが、昼食はあなたの分も用意しておきます」と著者が強く言う。
 それで、常になく甘えることにした。

 相当年季の入った借家住まいの著者宅で、雑物があたりかまわず積み重ねられているのが印象的だったというが、
ともかく打合せをおこない、昼食時になった。
 そうしたところ、おじいさんやおばあさんなど家族がどこからかぞろぞろと出てきたのはいいが、
昼食というのはうどん粉に砂糖を入れて蒸かしたものがひとりに三つほど、食台に直接置かれたというのだ。それだけ。

 昭和20年ごろの話じゃないよ、平成22年だよ!

 帰り際に著者が涙ぐんで、
「ご覧のとおりの今の生活だが、間もなく御社から本が出て印税がきちんきちんと入ってくる。
 そうすれば、この借家を出て新しい住まいに移り、きちんとした生活ができる。
 契約担当者や編集者には、ホントにホントに、感謝しても感謝しきれない」と言ったという。』


 このような、もうそこにローン地獄が見えている悲惨な例は、当時としてもやはり極端すぎるケースだったのかもしれませんが、大同小異の展開は枚挙に暇がなかったものと考えています。

 あれから5年超の年月がたち、当時、社会的問題にまで発展した自費出版にかかわる問題も今ではほとんど耳にしなくなりました。落ち着くところに落ち着いたのかもしれません。

 私は、もともと自費出版については、言論の自由を最終的に保障する受け皿として十分存在意義があると考えていましたし、それは今も変わりません。いやらしい表現ですが、「カネさえ出せば、とにかく本は出る」というのはあながち悪いことではないという考えです。

 そして、ものには値段があり、その値段にはなんでここまで違うのかと首をかしげる差があるものも多々あります。クンちゃんが食べるりんごと銀座千疋屋さんのりんごのようにね! したがって、自費出版も著者が納得づくである限り、高額であってもかまわないという考えが私にはあります。実際、知名度の高い大版元の自費出版部門から本を出そうと考えれば、文芸社などよりも高額の出版費用が必要となります。

 しかし、カネのない人びとのしゅうさく(やはり、秀作ではなく習作が多い)を「センセの本はすばらしい!売れます!すぐモトがとれる!」などと褒めまくり、ローンを組ませてまで契約するといった手法はまったく別の話で、まさしく言語道断です。契約担当者だって気持ち悪いんじゃないの! こういう営業で会社を大きくしたって、普通の人なら胸を張ることはできません。

 クンちゃんブログを閉じるにあたり、自費出版業界の健全な発展を期待しています。

   ***********************

 クンちゃんブログの自費出版関連記事は、ブラックフリーザー、黒い冷凍庫で永久保存します。

 冷凍品にはたいしたものはありませんが、栗田工業創業者のひとり、野崎貞雄氏の著作『大恩、報恩・忘恩』(文芸社刊)の全文が収録されています。同書は横浜地方裁判所で当時の栗田工業会長・藤野宏パパへの名誉毀損が認定され、「発禁本」となっている珍品です。削除請求訴訟が出れば藤野パパの行状をおおっぴらに公開できますので、訴状が来るのを待ち続けているのですが、なかなか送達されてきません。詳しくは、こちら      

 なお、いったん黒い冷凍庫に保存される自費出版関連以外の記事は、徐々に解凍して別ブログに移動します。また、記事アップを予告したにもかかわらずすっとぼけている記事のほか、特に必要と思われる題材があれば新規に追加冷凍する考えです。よろしくお願いいたします。ありがとうございました。
 

大量の死に人、いったいどうして!

2016年09月29日 12時13分55秒 | 日記

   自宅にも、病院にも、“居場所”がない年寄り
   だれでも、いつかは同じ有様になりますが…
 


   

 先日の夕刻、車を運転して埼玉へ戻る途中、小田原厚木道路の伊勢原あたりでFMラジオを聞いていました、というより、たまたまかかっていたというようなことでした。クラシック曲をリクエストする番組で、それまで聞いたことはありませんでした。

 すると、突然、知っている人じゃないかと思われる名前が耳に入ってきたのです。
 女性アナはこう語りかけてきました。

「神奈川県小田原市の国分寺一太郎さん(比較的珍しい氏名で、ここでは仮名、仮地名とした)からのお便りです」
との前触れに続いて、

「高校時代、ブラスバンド部でフルートを吹いている女の娘が好きでした。彼女はやがて渡米してジャズシンガーを目指して活動し、日本でもジャズ愛好家のなかでは知られた存在になっていきました。しかし、そのひとは45歳で亡くなり、結局一度も再会することはかないませんでした。彼女の好きだったドボルザーク、新世界(のなんとか楽章)をお願いします。」

ということで、「遠き山に日は落ちて」を含む楽章が流れてきました。

 ところが、ブラスバンドのフルート出身でジャズをやったという女子に思い至らず、また国分寺くん本人もブラスバンドにいたような書き方だったけど、これにも覚えがない。(中学時代、“ペット吹きのクンちゃん”をやっていた関係で、高校でもほんのいっときブラスバンドに顔を出していた。)

 なんだか気になって(と言っても嫌な気になり方ではなく、懐かしさに近い気持ち)、数日後、ラグビー部の仲間だったYくんにメールを打ち、「これこれこういうわけだけど、国分寺のやつってブラスバンドだったかい?」と聞いてみました。ところが、いつもまもなく返事をくれるYくんから返信がありません。

 不思議に思いつつ、寝込んでいるのかもと案じていたら、数日たってYくんから電話がありました。
「この間メールくれた国分寺だけどよう、クンちゃん、知らないの?」と、ぼそっと言って黙り込む。こちらはなんのことかわからず、「いんや、まったく知らんよ」―。

「実はね、新聞にも出ちゃったから、ここらへんのやつはみんな知ってんだけど、国分寺ね、つらいことになっちゃったんだ。
あいつよ、結局、結婚しないで実家にずっといたんだけど、何年か前だったな、長く寝たきりだったお母さんの介護に疲れきったらしくて、お母さんを手にかけてしまったんだよ。
なんか、あいつ自身かなり長いこと具合が悪かったらしいけど、お父さんとあいつでお母さんの面倒をずっと見てきたんだよ、自宅でな。受け入れ先がなかったらしいんだ」

と言って、Yくんは暫く黙っていました。こちらも無言のままでした。

「短い刑期だったからよ、もう出てきたんだろうけど…、大変だろうな。じゃあ、クンちゃんも元気でね」

電話はそそくさと切れました。

 衝撃が全身を走って、しばらく立ち上がることができませんでした。暗然とするというのはこのことなのか、なんだか自分の周囲が夕方のように暗くなっていくようでした。
 ほんとうに他人事ではない事態が進行しているのです。


 一方で、施設や病院に受け入れてもらえても、安閑としてはいられない時代のようです。

 どうしたらいいのでしょうか。
 (註・いつのまにか自分が被介護の立場になって書いているようです!)

  
   患者中毒死 4階で48人が死亡
   9/29(木) 8:09 掲載
   http://news.yahoo.co.jp/pickup/6215984
<患者連続殺人>4階で48人死亡 7月以降、病院「増加」
 横浜市神奈川区の大口病院で点滴に異物を混入された入院患者2人が中毒死した事件で、事件が起きた同病院4階では今年7月以降に入院患者計48人が死亡していたことが病院関係者への取材でわかった。病院は患者の死亡が増えていることを認識していたものの、事件とは受け止めていなかったという。神奈川県警もこうした経緯を把握しているが、大半の遺体はすでに火葬されており、それぞれの死因の検証は困難とみられる。【村上尊一、藤沢美由紀】(毎日新聞)


 下記の新ブログを見つけました。(2016年10月7日追記)
 老人医療、介護、そして自分の行く末、いろいろ考えさせられる現実を突きつけられる事件と思います。
  http://blog.goo.ne.jp/mobilis-in-mobili/e/73c4f4efa61a2034fdc53ee75b9c7e7d?st=0#comment-form

 報道・いろんな人が出てくるでしょう。(2016年10月7日追記) 
  http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20161005-00010005-jisin-soci

 このようなブログの論調に気がつきました。(2016年11月7日追記)
  http://blog.goo.ne.jp/realpress555/e/9b8582a61fa1d712b4b9fa3e83d817eb

 報道・大口病院続報(2016年10月2日、神奈川) 
  http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161002-00012388-kana-l14

報道・大口病院続報(2016年10月15日、神奈川)
  http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161015-00012679-kana-l14

報道・大口病院続報(2016年11月30日、神奈川)
  http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161130-00013806-kana-l14

報道・大口病院続報(2016年12月18日、朝日)   
  http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161218-00000007-asahi-soci

思案投げ首、クンちゃんブログ終結のありよう

2016年09月27日 09時11分14秒 | 日記
             北朝鮮核開発断固糾弾! これこそ、「****に核弾頭」

    *********************
     どうしたもんじゃろう!
    クンちゃんブログの終結
 


 ながらく、自費出版の諸問題をテーマのひとつとしてこられた松田まゆみさんの鬼蜘蛛ブログに、「断捨離(だんしゃり)」というタイトルの新記事があらわれました(9月23日付)。

   http://onigumo.sapolog.com/

 クンちゃん人のほうも、すでに予告しているように、今月末でこの“クンちゃんブログ”を閉じようとしているのですが、この作業がなかなかに難航している実情です。
 ブログ店仕舞いの手法として、①ブログ全体、つまり全記事を削除して、おわりにする②そのまま残しておくものと、削除するもの、新ブログに移すもの、を分類して、しかるべく処理する、というふたつの方法を考えたのですが、②がホントに難しい!

(以下、脱落部分追加)
 この一件を知り人に話してみましたら、ひとの話をさえぎって、
「もともといい加減な体質のクンちゃん人が、ブログ終結に限ってやけにきちんとやろうとしているようだね。だいたいハナから無理な話なんじゃねーの。それにブログなんてものは、どこに集積されてんか知らんけど、更新しなければしないでそれこそ未来永劫残りつづけるわけだから、得意の“追々やる”でいきゃあ良かんべよ!」と、のたもう。 なかなか的を射てるわい。(追加部分おわり)

 そんな折に前記「断捨離」の記事が出たので、興味深く読み、ブログ終結直前の有様をコメントしました。以下、関連部分のやりとりを鬼蜘蛛ブログから抜粋させてもらいます。

**********

(前略)それから、私自身も今月末で自費出版関連のブログを閉じようとして予告もしているんですが、自費出版ねた以外の日常的記事は別ブログで継承しようと思ったんです。そしたら、これらを分離する作業がもう大変!
知人にその話をしたら、閉じるもなにもブログなんちゅうものは更新しなけりゃそれでええんじゃないの、ということを言われ、はあ、そうなんかね、と思い始めています。
では、さらにがんばって捨ててください!
Posted by クンちゃん at 2016年09月25日 08:26

   *     *     *     *

(前略)クンちゃんブログの件ですが、たしかに分離するのは大変ですね。今のブログは自費出版ネタと日常的記事を分離せずにそのままにして、今後も自費出版関連の話題があれば今のブログに記事を書き、日常的な記事は別ブログで始めるということでもいいのではないでしょうか。自費出版業界の闇を暴いた貴重な記事がある今のブログは、是非そのまま残してほしいと思います(タイトルの変更はしてもよいと思いますが)。
Posted by 松田まゆみ at 2016年09月25日 10:00

*************

   うーん!どうしたもんじゃろう、と思案投げ首のきのうきょう(あしたも)であります!
     

 なお、断捨離(だんしゃり)とは、その語感から仏教用語かと思いましたが、多少近縁ではないかと思われるヨガの考え方、「断行(だんぎょう)」、「捨行(しゃぎょう)」、「離行(りぎょう)」からきている由。要するに、ほんとうに必要なものはなにか、を追い求めていく作業ということのようです。作業の中身は、一口で言えば“身の回りの不要物を捨て去る”ということでしょうね。みなさんも痛いほど経験していると思いますが、不要物を整理して、捨てるものと取っておくものとを分けようとすることが難しい! 捨てないほうの山ばかりが高くなっちゃうのですよね、これが!



仮面を剥いだら、“排外的民族主義者”の顔!

2016年09月03日 22時38分18秒 | 日記

    自分でも驚く自分の素顔
    もとからこうなのか?
    最近、変わったのか?



 どうもおかしいな、と感じることがありました。かなり前から。

    日本の相撲って、いったいどういうことになってんのか!
    モンゴルの人は、故国でモンゴル相撲でもやらはったらええのに!

 と感じたときに、かなりの違和感を抱いて自分を眺めている自分を感じました。


    ヘイトスピーチというのをしつこくやっている連中の精神構造に疑問を抱きました。
    それが、「外国人への生活保護の実態」を知るやいなや、日本の若者の低賃金極悪労働と比較して憤激しました。

 ずーっと自分は相当リベラルなおっさんなんだと思ってきたことが、単なる誤解だったのかと思い始めました。


 先の東京都知事選に蓮舫さんが出馬か、との報道に、内心、「まったくとんでもないことだ」「米国のような移民で成り立っている国とはワケが違う。百年早い!」と、非常なる不快感を感じました。

 しかし、このときは沙汰やみとなり、仮面は剥がされるにはいたりませんでした。

 ところが、この度の民進党党首選挙に彼女が相当の当選確率をもって立候補したということで、ついに長らく付けてきた仮面は、無残にも剥がされてしまったようです。
   
 yahooニュースに掲載された「蓮舫にまさかの二重国籍疑惑」(八幡和郎、アゴラ 8月31日(水)8時10分配信)
  http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160831-00010001-agora-pol
という記事を読んで、大きく動揺しました。

 記事の趣旨は、中華民国国籍から日本国籍に移る際に、中華民国国籍を放棄していないのではないかという疑義を提示しているものです。
 まあ、その本旨は本旨として、それとは異なる論述について、かなり同調する自分にあきれ果て、自分の素顔は「排外的民族主義者」なんじゃないかという疑惑を抱え込んで困惑している、ここ数日です。

 例えば、「そもそも、生まれながらの日本人でなく、少なくとも18歳まで中華民国人謝蓮舫として育った人をなにも首相候補たる野党第一党の代表にするベキでないと考えるのが世界の常識だ。」という論旨について、世界の常識ではないけれども、そのとおりだよ、と思う自分がいるのです。彼女が党首になれば、確かにやがて首相になる可能性というものがまったくないわけではありません。

 もっとも、自分が忌み嫌う人が首相であるからといって実際には何も出来ませんよね。現在のように!
 それと同様、自分が好ましく思わないからといって、首相候補のさらに前段の野党党首選挙の候補者にクレームをつけなくてもいいんかもしれませんが、しばらくはなんとなく憂鬱な日が続きそうです。

浜岡原発!安定ヨウ素剤の配布で問題は片付くんかねえ?

2016年09月01日 21時11分03秒 | 日記
   怒れ!わが同胞よ!

 9月になりました。

 ことし8月は次から次へと台風が来て、東日本はなにがなんだかわからないうちに9月となりました。直近では東北以北の被災が甚大です。心よりお見舞い申し上げます。
 またまた12号というやつがやって来るようで、困ったもんです。

 さて、きのうの当地、静岡ローカルでは、きょう(9月1日)より、御前崎市で浜岡原発の不測の事態に備えて、「安定ヨウ素剤」というものが一定のエリア住民に配布されることが報じられています。国の施策ということです。続いて、牧之原市でも配布されるとのことです。

 以下、御前崎市のHPより引用します。「事前」たら、どういうこっちゃね!「事」があるっちゅうことだよね!
 
http://www.city.omaezaki.shizuoka.jp/bosai/bosai-bohan/bosai/genshiryokubosai/anteiyosozainitsuite.html

*************
 安定ヨウ素剤の事前配布について
 「もしもの原子力災害に備えて、安定ヨウ素剤を事前配布します。
 なぜ、事前配布するのか?
 国では、東京電力福島第一原子力発電所での事故をふまえ、「原子力災害対策特別措置法」を改正し、これに基づき「原子力災害対策指針」を改定しました。この指針には、原子力災害が発生した場合に備え、安定ヨウ素剤の事前配布を含む予防服用体制を整備することが盛り込まれました。まずは避難が基本ですが、この指針により万一、原子力災害の恐れが高まった場合には、市民の皆さんの安全を最優先に考え、被ばくを予防するために安定ヨウ素剤を服用していただく可能性があります。このため全員にあらかじめ配布するものです。ただし、安定ヨウ素剤の配布は医師の説明を受ける必要があり、保管は3年ごとの更新が必要です。」

***************

 ふーん! つまり原発はやばいよ、ということを国が言っているわけです。
 そして、安定ヨウ素剤ってなんだんべ、という点。
 同じく同市のHPからの引用です。

***************
 安定ヨウ素剤とは、「ヨウ化カリウム」を飲みやすい形状にした医療用医薬品です。原子力発電所の事故のとき、放射性ヨウ素が放出されることがありますが、安定ヨウ素剤をあらかじめ服用することで、放射性ヨウ素の体内(甲状腺)への蓄積を減らすことができます。ただし、安定ヨウ素剤の効果は、放射性ヨウ素による甲状腺への内部被ばくの抑制に限定されるため、他の放射性物質による被ばくを抑えることはできません。服用するタイミングは、十分な効果を得るために、必ず、国または県、市の指示に従って服用してください。
***************

 というわけなんですが、この安定ヨウ素剤の配布ニュースに接して、私は先の大戦末期、敗色濃い沖縄ほかの遠隔の地で、傷病兵や一般の住民、挺身した少年少女に手渡された手りゅう弾を連想してしまいました。

 こんな小手先の術で、福島で明らかになった惨状を乗り越えられるはずもありません。該当する地域の市民は、こんなもんをただ受け取るだけでいいんでしょうか。全面廃炉に向けて、いま声をあげなくて、いつあげるのでしょうか。
 浜岡は原発5機のうち2機は運転終了、のこり3機は点検中ということです。私は、浜岡、駿河湾、伊豆半島西岸、伊豆半島の尾根を隔てた伊豆半島東岸で生きていますが、全面廃炉へのムーブメントには是非協力したいと思っています。

 怒れ!わが同胞よ!

音訳校正の“余禄”

2016年08月17日 19時44分26秒 | 日記
    自分では決して読むことのない本、
   それを読み聞かせてもらう楽しみ
 


 ボランティアで音訳校正(読み手が書籍を朗読して録音したものを、原本書籍と照合して校正校閲する)というものをしています。
 主に目の不自由な方々がこの朗読録音(CDかな?)を利用されています。

 おもしろい!

 文字の校正なら、変換ミスというものが必ずあって、ゲラ(校正刷り)の段階でこれを発見できないような編集者とか校正者だとメシの食いあげ、ということになります。
 ところが、音訳ですと、原文の刊本に変換ミスがそのまま刷られてしまっていても、音は同じなので問題がないのです。
 
 例えば、
 ええーと、すぐに思いつかないのですが…、あとで出てくる「苗木を移植」が「苗木を衣食(とか異色)」に間違って刷られてしまっていても、読みには変わりがないので、音訳者は誤植に気が付こうが付くまいが、「いしょく」と読めばそれでいいのです!
 
 と、いうようなわけですが、この音訳校正をやっていると、ふつうならクンちゃんなど決して読むはずがない本を扱うことも珍しくありません。
 そうして、それらの本の朗読を聴いていると、時々、ハッとさせられる記述に出あい、ふつうなら読むはずもない自分という存在を恥ずかしく思うこともしばしばです。

 きのう、春名康範著『生きる力』を音訳校正していたのですが、このときもそういうことがありました。

 宮大工の西岡常一さんは、『木のいのち、木のこころ』註1という本の中で、苗木を移植するときには南に伸びていた枝は南に向けてやらないとやがて木がねじれて育つと言っておられる。「堂塔造営の用材は木を買わず山を買え」「木は山の生育のままに使え」「木組みは寸法で組まず木の癖で組め」とも言っておられる。南の斜面で育った木は、建物の南側の用材として使い、山の北側の斜面に育った木は建物の北側の用材として使うならば持ちがいいそうだ。それを安く上げようとして、木が育った環境も心にとめず寸法だけで使うと木がよじれ、そり、ねじれて建物も長く持たないのだそうだ。木の個性や素材なんか関係なく合板にして使いやすくして用いると建物も30年もすれば持たなくなる。木も人間も同じだと言っておられる。人それぞれの個性や育ってきた歴史を無視して、役に立つ人間にしようとして圧力をかけるとねじれやよじれが起こってくる。註1(3部3冊のうちの「天」1993草思社=文芸社に駆け込む前の良い時代の産物)

 結構長く生きてきて、こういうことをまったく知らなかったのです!恥ずかしい次第です。
 南産は南で使用、北産は北で使用。
 「人それぞれの個性や育ってきた歴史を無視して、役に立つ人間にしようとして圧力をかけるとねじれやよじれが起こってくる。」
 なーるほどねえ。そういう例をしばしば見るような気がしますね、偉い人たちに!
 いろんなことにあてはまるのでしょう。

 ただし、ヒトの場合は「可塑性」というものがありますから、出自が百パーセントその人を決定するわけではないようですよ。可塑性とは、若年の犯罪を犯した人たちの減刑を求める理由として用いられることが多いのですが、なにも若者に限ったことではないでしょう。ですから、出自から推定される人物像の範疇から抜け出る例があることは間違いないと思います。


   
   太陽の光が大好きなプルメリア!たくさん陽に当ててやろうと、2階ベランダの手すりの角に板を渡してその上に鉢をのせました。
    7月中旬の風の強い日に、大きく育った葉が風をはらみ、
    どかーんと地面まで落ちてしまいました。三叉に分かれていた幹は3分裂、そのうち2本はなんとかなりそうなので包帯で巻いて養生していました。
    きょう、ふと見ると花芽らしいものが見えました、2本ともに!危機を感じて、花時を早めているのでしょうか!?



「今上天皇の真意は」の過去記事がわからん、と!

2016年08月16日 18時00分11秒 | 日記

  はっきり書かなくても、ご賢察くだされ度!

 先日、「今上天皇、生前退位へ向けたビデオメッセージ、その真意は!」(放映された8月8日付)という記事
   http://blog.goo.ne.jp/92freeedition44/e/774e83cb555a9a1d4408fb36cfa6c2fb
をアップしましたら、きょうになってメッセージ窓口経由で「クンちゃんの結論は独特の表現なんで、わかったようなわからんような、なんですが」という着信がありました。
 その前の“うましかめ”からの着信と違って先方とやりとりが出来ましたので、真面目な問いかけであろうと解釈しましたが、「別に独特じゃないけどね。みなまで言わさんといて!」というのが正直な感想です。
  しかし、いくらかお若い方も読んでいて、あるいはつーかーとはいかない場合もあるなってことで、次のような譬えを書いておくことにします。

 *************

 老舗の呉服屋さん。この大店、大旦那が亡くなったときに限って跡目相続がおこなわれる、いわば「大旦那終身制」という仕組みになっている。 いまの大旦那は、60歳になった年に、やっと若旦那の「若」が取れて先代を継いだ。

 それから20年。いまの若旦那も60歳になっている。大旦那はなにかにつけ、長かった若旦那時代の自分の心境を思い出す。そして、このまま自分が永らえていくと、息子は古希(70歳)を迎えても“若旦那”かもしれんな、と嘆息する。今後はあれやこれや困ったことも起きてきそうだし…。
「これはいまのうちになんとかせにゃいかんな」――大旦那はいろいろその方策を思い巡らす毎日であった、とか。

 *************


   「戦争は知らない」カルメン・マキ。少し崩しすぎかな。だけど、歌い手は若いころよりいい女になってるな!

ずーっと「戦争は知らない」でいきたいものです! 71回目の敗戦の日

2016年08月15日 13時03分55秒 | 日記

     天皇陛下、「深い反省」再度表明=終戦記念日
      (時事通信 8月15日(月)12時21分配信)
     「天皇陛下は15日の全国戦没者追悼式で、昨年に続き「深い反省」との表現をお言葉に盛り込まれた。」


   子どもは当然、あんちゃん、ねえちゃん
  おばやん・おっさん、じじばばも、
  ずーっと戦争なんか知らんでいきたいわな!


 昭和20年、1945年8月15日、敗戦。
 きょう、71回目の敗戦の日が巡ってきました。

 クンちゃんは当然、「戦争を知らない子供たち」の一人でした。
 昭和24年遅生まれ、25年早生まれ、だいたい66、67歳が同級生たちの年齢です。
 戦中生まれでも、昭和18年ぐらいまでのばば、じじ(72、3歳とか74歳)は、戦争を記憶していないでしょう。したがって、いま世の中を動かしている人たちの多くは、政権にある人びとを含め「戦争を知らない子供たち」より、ずっとずっと遅く生まれてきた人びとです。

 クンちゃんは5年前に会社を定年で辞め、このブログを始めたのもその年です。東日本大震災の年でした。5年なんて、あっと言う間、つい、この間のような気がします。
 そうして考えてみると、私たちが生まれたのは、戦争が終わって4、5年。敗戦からほんとうにすぐのことだったんだ、と親たちの苦労がしのばれます。

 知りもしないくせに、戦争も辞さない、などということを腹に秘めているのじゃないかと疑いたくなるような言動がしばしば報じられます。

 政権党にだって、戦争を経てきた人たちはついこの間までたくさんいて、「戦争だけはだめだ!」とはっきり言ってましたよね!

 世の中を動かすことができる地位にいる人びとには、戦争と戦争への備えが重要だなんて考えないでもらいたいと思います。お願いしますよ!

 こういうワセダの4号館のヒトはホントに、ほんとに、本当に困る!
 まっこと、的を射ている、胸のすく記事がありました。ご一読を!

  http://blog.goo.ne.jp/4456hs/e/260f4c42f8d1ab0f6aca1810282101d0?utm_source=admin_appeal&utm_medium=realtime&utm_campaign=realtime

 
 

明日をも知れぬわが身、が的中する恐怖

2016年08月13日 16時13分15秒 | 日記

  顕在的・潜在的危険を承知で
  原発を再稼動する愚かしさ


 立秋を過ぎましたが、(例年どおり)暑さは続いています。
 このところ、当地もかなり暑く、夕立もまったく来ません。
 7、8、9、10日(日〜水)とエアコンの厄介にならなければならない日が続きましたが、12、13、きょうと凌ぎ易くなっています。

 暑い日でも当地は、海岸部と比べると3℃程度は気温が低いですし、海から吹き上げてくる風があればまさに「一服の清涼剤」を味わうことができます。また、夕方から陽が落ちた後はまず一気に涼しくなるので助かります。早朝は涼しすぎて、毛布ぐらいは手近に置いておかないと、目をつぶったまま起き出して押入れから薄物を引っ張りだすことになります。
 まだ、しばらく暑さは続くとの予報ですので、どうぞ御身お大切に!

   
     庭のキキョウは元気いっぱいです。

 さて、きのうは日航123便の御巣鷹山墜落事故から31年とのことで、ちらっと関連記事を書きましたが、つらつら考えるに(考えなくても実感でわかるという方も珍しくないでしょうが…。)人間というものは本当に誰でも思いがけない奇禍に遭遇する可能性を背負わされていますね。
 
 きのうご紹介した、メッセージ窓口経由から送信して来た方は、「飛行機事故があるからって、飛行機に乗らないワケにもいかない」という趣旨を述べていますが、絶対飛行機に乗らない、というごく少数の人を除いては、そのとおりと思います。そして、自動車に関連した事故に遭う確率が飛行機よりはるかに大きいことを知らない人は少ないでしょう。

 しかし、大多数の人びとは、「まあ、危険性がないわけじゃないけど、おれは、私は、とりあえず大丈夫だろう」と、自動車や飛行機に乗り込んでいきます。自分だけは大丈夫と思うわけです。そうして、どれだけの確率かわかりませんが、誰かが確実に危難に遭遇する実情です。
 このパターンは、その人物が有名であれ無名であれ、またその人固有のあらゆる事情の如何を問わず、一定の場合に公平に適用されるようです。

 著名な人の遭難例として、飛行機事故ではかの有名なグレン・ミラーをはじめ、日航123便には坂本九ちゃんが乗っていましたし、その何年か前には向田邦子さんが台湾で墜落死してしまいました。
 また、墜落事故ではなく危害も受けませんでしたが、1970年のよど号ハイジャック事件の際には、まだ若かった聖路加病院の日野原重明先生が乗り合わせていましたし、全日空札幌便事件の際には加藤登紀子さん一行が乗っていました。枚挙に暇がありません。

 危険性を認識しつつ、一定の確率で危難に遭遇してしまう私たち、ほんまに“明日をも知れぬわが身”です。

 電力会社・政府がらみで長年でっちあげてきた「原発に危険はない」という絶対安全神話が崩れ去り、原発も「まあ、危険性がないわけじゃないけど、おらほうのところは、まず大丈夫だろう」という水準に転落しました。しかし、原発事故のもたらす惨禍は、もうみんなが十分知っているように、他の惨禍と比較できるレベルではありません。

 その危険性は、稼働中だろうと休止中だろうと、廃炉へ向けて作業中だろうと潜在的に同じです。再稼動などもってのほかでしょう。

 「まあ、大丈夫だろう」ということで、すべてを失ってはならないと思います。

究極の恐怖の再来、現代の壊滅候補地はどこだ?

2016年08月10日 23時20分35秒 | 日記

     「危険をまったく知らされず、いきなり殺された恐怖」(原爆)
     「危険と知ってしまった後も、NO!と言わない恐怖」(原発)


           地元経済もそりゃあ大切だけど、
    死んじまってからメシが喰えるんかい?



 人間いたるところ青山あり(じんかん、いたるところせいざん=お墓=あり)とは言うものの、個人的レベルではない一個の都市が多数の市民を巻き込んで壊滅するという事態は、思うだに震撼せざるを得ない。

 先に放映されたNHKテレビ地上波「決断なき原爆投下-米大統領71年目の真実」によると、当初、米陸軍サイドが選んだ原爆投下候補都市は京都だった。しかし、トルーマン大統領と陸軍大臣は、「京都に原爆を落とせば世界中から非難される」(趣旨)ことをおもんぱかってこれを退け、第一、第二の投下候補都市は、「広島、小倉、長崎、新潟」の四都市のうちから決定されることとなった。

 該当する都市の住民は逃げようがない。何も知らされていないのだから。
 これはまさに究極の恐怖である。

 それでは現代日本において、壊滅的な被害を生じかねない都市、地域というものはあるのだろうか?

 ある!

 原発所在地周辺エリアがそれだ!

  日立、水戸、浜松、静岡あたりはだいぶ近いね!
*印は常識的にみて、あぶない度合いが増すと考える。

    北海道古宇郡泊村一帯 東約50キロメートルに札幌市
    青森県・東通村一帯  むつ市に隣接、南東約70キロに青森市
    宮城県・女川町一帯  石巻市に隣接、東南約70キロに仙台市
    *福島県・楢葉町一帯  ご承知のとおりです。
    *茨城県・東海村一帯  北東約20キロに日立市、南東約20キロに水戸市
    *新潟県柏崎市一帯   北東約60キロに新潟市、南西約30キロに上越市
    *新潟県・刈羽村一帯  北東約50キロに新潟市、南西約20キロに上越市
    静岡県御前崎市一帯  北約40キロに静岡市、西約30キロに浜松市
    石川県・志賀町一帯  南東約50キロに富山市、南約60キロに金沢市
    *福井県敦賀市一帯   北約50キロに福井市、東南約60キロに岐阜市、
    *福井県・美浜町一帯  おおむね同様
    *福井県・大飯町一帯  おおむね同様
    *福井県・高浜町一帯  おおむね同様
    島根県松江市一帯  東60キロに鳥取市
    愛媛県・伊方町一帯  北東約50キロに松山市、西南約60キロに大分市
    佐賀県・玄海町一帯  東約40キロに福岡市、東南約50キロに佐賀市
    鹿児島県薩摩川内市一帯 南東約40キロに鹿児島市   

    (距離はいずれも地図上の直線距離。原発と都市の間に山岳が聳えている立地もある。)




 
書きかけです。追って補正します。


**************************
【おしらせ】
新記事の枠外に広告が貼りついています。そうした設定になっているようです。そのなかには自費出版関連の法人または個人の広告も目立ち、盛んに誘客しています。しかし、これらの広告は当クンちゃんブログとはなんの関係もありません。実際になにをやっているかわからない法人(個人)を推奨しているのではありません。よくよく注意なさってください。当告知は、新記事をアップするたびに新記事に移動しますのでご了承ください。


きょう71回目の長崎原爆忌

2016年08月09日 21時15分06秒 | 日記

            きょう、長崎原爆忌

         アラマンダの花が1輪だけ咲きました!

             

 きょうは、広島に続いて70回目の長崎原爆記念日。

 敗戦に至る道筋というものを忘れず、戦争を知らない子どもたちや元子どもたちは、そこから学び続ける必要がありそうです。
   
****************************************************

 71回目の長崎原爆忌にあたり、核兵器による惨禍のみならず、原子力発電所事故による壊滅的な被害をも想定しなければならない状況に立ち至っていることを痛感します。本当に大丈夫か、誰も「大丈夫」とは言えないはずです。

 上掲昨年8月9日アップ記事・画像の各一部をとりあえずアップし、いま加筆しているところです。

 ことしの4月、長崎の旧友小紋潤を見舞うため彼の地を訪れたのち、島原から熊本へ有明海を渡り、熊本あそ空港から埼玉の自宅経由で伊豆に戻りました。

 伊豆に戻って3日後の4月14日夜、「長崎・熊本紀行」のような、おふざけも交えたブログ記事・画像をあらかた仕上げていて、ちょっ一服してYahooニュースを眺めると「熊本で強震」の第一報が目に入りました。すぐテレビをつけると、先日、歩き回ったばかりの熊本城の石垣が崩れ、大きな岩が転がりだしている有様を背景に記者が状況を伝えていました。びっくり仰天とはこのことです。(この記事2本はいまのところ没にしたままになっています。)
 また、熊本城天守閣に登った際のひとこまを思い出しました。案内ボランティアの年配の男性に、「島原普賢岳の噴火のときは熊本からも見えたんでしょうか」と尋ねると、「普賢岳はきょうは見えないけれど、晴れればよく見えます。あのときは見えてはいるがいかんともしがたくてねえ」と顔を曇らせていたのですが、本当に人間、一寸先はまったくわからないのだと実感しました。

 長崎では、夕暮れ時に平和公園周辺を歩きました。ことしの“長崎原爆忌報道”は訪れた場所、直接見た「平和祈念像」や「平和の鐘」などがあらわれたので、思いも一入でした。
 満開の桜が散りかける中、爆心地に立ったとき、なにか身体の内側におこりというか震えというか、そのようなものを感じたことを覚えています。
 桜の宴があちこちで開かれており、なんだか酔歌のようなものも聞こえてきたりして、違和感を感じる一方で、これこそまさに平和である証拠だと思い直したりしたものでした。

 ところで、去年のきょう9日には一輪だけでしたが大きな花が咲いたアラマンダですが、今年はまだ咲きません。こんな状態です。

    

 室内でオオバナアリアケカズラ4鉢(画像上の右手のほう)、ヒメアリアケカズラ2鉢(左手、小ぶりの花が咲いている)を大変な思いで越冬させたあと、ことし5月5日にいずれも地面に戻しました。沖縄では一年中花が咲いているということですが、当地でも寒さに比較的強いヒメのほうは、越冬中から花には至らないもののつぼみを持ち続け、地面に戻した数日後から花が開き続けています。
 しかし、オオバナはまだまだのように見えます。ただし、枯れてしまったとあきらめかけた一鉢も、他のものと同じ程度に復活し、異常な暑さを糧として間もなく大輪の花を見せてくれることでしょう。

    
    昨年11月、越冬のはじまり。いろいろ工夫して越冬態勢を
     整えたが、オオバナひと鉢は見かけ完全に枯れてしまった。
        (その後復活して、仲間と同様に育ちました。)
    

今上天皇、生前退位へ向けたビデオメッセージ、その真意は!

2016年08月08日 20時51分50秒 | 日記

  老齢と、万全ではないご体調を強調される一方、
  現行規定の「摂政」は好ましくないとのご趣旨


 きょう8月8日午後3時、今上天皇*註1によるビデオメッセージが各種メディアを通じて、(少なくとも)日本全国に一斉に流された。
 およそ10分間のメッセージ放送だったが、終始ひらたい言葉遣いの語り口であり、その趣旨も明瞭かつ誰にでも容易に理解できるような形に仕上がっていた。思えば、在位中の天皇がラジオ、テレビなどのメディアを通じて直接国民に語りかけるのは、昭和天皇が1945年、昭和20年8月15日にラジオを通じて「終戦詔勅」を発して以来、2回目ということになるのだろう。

 メッセージの主要な内容

 自身がさらに年齢を重ねてゆくと国事行為、公務を遂行していくことが困難になるのではないかと案じられる、との胸の内を率直に述べた後、そうした天皇の“仕事”をどんどん減らしていくわけにはいかないとしたうえで、現行制度にある摂政を置くことに言及された。すなわち、「摂政を置くとしても、天皇はその職責を果たせないままに在位していることになる」との趣旨を述べられ、明白にこれを否定したものと感じられた。
 さらに、在位中の天皇が崩御すると社会全体に甚大な停滞を生じる*註2ことになると述べ、崩御ののち2か月から1年間も喪儀が続くことなどにも言及、生前退位の意向を言外に強調するメッセージとなった。

 クンちゃんのかたよった見解

 クンちゃんは今上天皇のメッセージを聞きながら、天皇が日清製粉の正田家から美智子さまを妻に迎えた遠い日(1959年、昭和34年4月10日)を思い出していた。国中が祝賀ムードに沸き、買ったばかりの白黒テレビにかじりついて、祝賀パレードに歓声をあげた家庭も多かったはずだ。テニスウェアでさっそうと登場した皇太子夫妻も、そして小学校3年のわが身もずいぶんと年をとってしまったものだと実感する。

 さて、むづかしいことはとんとわからないクンちゃんだが、天皇ご自身の胸のうちには、言葉にはあらわれない複雑なお気持ちがあったように思えてならない。
 最近の天皇の即位の年齢と崩御された年齢を掲げてみよう。

  明治天皇 14歳で即位  崩御59歳

  大正天皇 32歳で即位  崩御46歳
  
  昭和天皇 25歳で即位  崩御87歳(即位前に大正天皇の摂政となる。)

  今上天皇 56歳で即位  現在82歳 

 断然、昭和天皇の摂政時代を含めた在位期間が長く、高齢になっても長生きする時代をあらわしているのだろうが、それだけに今上天皇は皇太子にとどまっている期間がだいぶ長かったことになる。56歳即位というのは、この時代の「55歳定年」からみても、やはり遅すぎという感触がいずこにあってもおかしくはない。
 そうして、現在の皇太子“ナルちゃん”も、たちまちにして56歳となっている。前記、今上天皇の即位の年齢と同じである。
 こうした傾向は、一世一元、崩御がなければ皇位継承はない、というシステムが存続する限り、さらに顕著になっていく可能性を否定できまい。

 ここらへんに、いま「生前退位」があらわれてきたひとつの大きな要因があるとクンちゃんは感じているのだが、もちろん天皇のお心は到底推し量ることはできない。
 いずれにしても、天皇ご夫妻がなんの憂いもなく健やかにお過ごしになることを祈念するのみである。

*註1 「きんじょうてんのう」=在位中(存命)の天皇。“いまの天皇”。
 明治天皇、大正天皇、昭和天皇など天皇の前に付く元号の明治とか大正、昭和は「諡(おくりな)」であるから、存命の天皇に付することはできない。もし各種メディアなどで現段階の天皇を「平成天皇」と誤って表現・表記したとすると、世が世なら“おとりつぶし”は避けられず、関係者は当分、または永久に帰宅できないことになったと言っても過言ではない。

*註2 昭和天皇が重態から崩御された、昭和63年の晩秋あたりから翌年正月を経て春過ぎぐらいまでの社会情勢を指しておられるものとみられる。歌舞音曲禁止ではないが、何につけても自粛ムードが高まったことを記憶されている方も多いことと思う。