自分でも驚く自分の素顔
もとからこうなのか?
最近、変わったのか?
どうもおかしいな、と感じることがありました。かなり前から。
日本の相撲って、いったいどういうことになってんのか!
モンゴルの人は、故国でモンゴル相撲でもやらはったらええのに!
と感じたときに、かなりの違和感を抱いて自分を眺めている自分を感じました。
ヘイトスピーチというのをしつこくやっている連中の精神構造に疑問を抱きました。
それが、「外国人への生活保護の実態」を知るやいなや、日本の若者の低賃金極悪労働と比較して憤激しました。
ずーっと自分は相当リベラルなおっさんなんだと思ってきたことが、単なる誤解だったのかと思い始めました。
先の東京都知事選に蓮舫さんが出馬か、との報道に、内心、「まったくとんでもないことだ」「米国のような移民で成り立っている国とはワケが違う。百年早い!」と、非常なる不快感を感じました。
しかし、このときは沙汰やみとなり、仮面は剥がされるにはいたりませんでした。
ところが、この度の民進党党首選挙に彼女が相当の当選確率をもって立候補したということで、ついに長らく付けてきた仮面は、無残にも剥がされてしまったようです。
yahooニュースに掲載された「蓮舫にまさかの二重国籍疑惑」(八幡和郎、アゴラ 8月31日(水)8時10分配信)
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160831-00010001-agora-pol
という記事を読んで、大きく動揺しました。
記事の趣旨は、中華民国国籍から日本国籍に移る際に、中華民国国籍を放棄していないのではないかという疑義を提示しているものです。
まあ、その本旨は本旨として、それとは異なる論述について、かなり同調する自分にあきれ果て、自分の素顔は「排外的民族主義者」なんじゃないかという疑惑を抱え込んで困惑している、ここ数日です。
例えば、「そもそも、生まれながらの日本人でなく、少なくとも18歳まで中華民国人謝蓮舫として育った人をなにも首相候補たる野党第一党の代表にするベキでないと考えるのが世界の常識だ。」という論旨について、世界の常識ではないけれども、そのとおりだよ、と思う自分がいるのです。彼女が党首になれば、確かにやがて首相になる可能性というものがまったくないわけではありません。
もっとも、自分が忌み嫌う人が首相であるからといって実際には何も出来ませんよね。現在のように!
それと同様、自分が好ましく思わないからといって、首相候補のさらに前段の野党党首選挙の候補者にクレームをつけなくてもいいんかもしれませんが、しばらくはなんとなく憂鬱な日が続きそうです。