kohは今日も元気です

思うようにブログアップが出来ませんが、俳句のこと、テレビ番組のこと等、日常をぼちぼち書いていきます。

龍馬点28

2010-08-27 13:37:51 | 龍馬点

現代では自動車による陸運、それに加えて空輸が主流ですが、

でも幕末の日本では、「水運」 が大きな役割を果たしていたのですよね。

    

龍馬も、船とは切っても切れない縁です。 「龍馬伝」でも

一番初めに土佐から江戸へ剣術修行に行く時も、

土佐の桂浜からまず、小さな和船に乗って旅立っていきました。

     

Img_3726 ちょっと違うかな?こんな感じかな?

      

それから、外国に行きたくて黒船で密航しようとした吉田松陰の乗ってた

船も、       

Img_0003

           

目指す、黒船

    

Img

     

龍馬の目が外国に向くきっかけとなった時でしょうか。

   

神戸海軍操練所で、仲間たちと喜々として航海術などを学んでいました。

咸臨丸に乗った時の喜びようは、みんな子供の様でしたね。

でも、それも束の間のことで脱藩浪人が多く居るという事で

操練所は閉鎖されてしまい、また夢は遠のいたのでした。

     

Img_0001

この咸臨丸は、NHK大河「」龍馬伝」 で使われたものですが、

実はこれは実際に長崎で使われている観光船「観光丸」 に許可を得て

黒く塗り直し、うんと沢山のロープを張り巡らせたものだそうです。

素敵ですよね。

本当の咸臨丸は、よく見かける絵では

     

Img_0002

     

また、各藩の藩邸のたくさん集まっていた、木屋町の高瀬川沿いから、

こちらも薩摩藩邸がそばにあった伏見港辺りの船宿「寺田屋」 

ここを繋ぐのは、高瀬川を行く、高瀬舟でした。

木屋町辺りの材木問屋「酢屋」の2階に海援隊の京都事務所を置いていたのは、

高瀬川の水運を利用し集まる要人から様々な情報を得て、

商いに役立てていたと伝わります。

    

Img_4914 木屋町二条の高瀬川に残る「一之舟入跡」

    

川底の浅い高瀬川を行くため、平らで浅い「高瀬舟」 が行き交いました。

       

今「龍馬伝」 では、龍馬は薩摩と長州をなんとか手を結ばせようとしています。

     

正に東奔西走の龍馬ですが、益々荒波にもまれ、悩める龍馬は…、

      

Img_0004

     

コメント