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kohは今日も元気です

思うようにブログアップが出来ませんが、俳句のこと、テレビ番組のこと等、日常をぼちぼち書いていきます。

直虎が竜宮小僧になる時二十三

2017-07-06 14:26:55 | おんな城主直虎

 

第25回  材木を抱いて飛べ

 

第26回  誰がために城はある 

 

何かしら、どこかで聞いたような題名が毎回ついてますが…、

 

あっという間に25回26回が過ぎました、飛ばすつもりではなかったのに、

 

 

 

毎回、直虎は懸命に井伊家のお家のやりくり算段に打ち込んでいますが、

 

どうも、私には最近ラブストーリーに見えてなりません

 

 

 

 

本題に戻って、

 

切り出した材木の買い手も見つかりほっとしたのも束の間、

 

気賀に今川が城を築くという話が持ち上がっているとか、

 

井伊の材木の買い手の成川屋は三河に通じていたとか、

 

なので、今川からは、井伊は忠義が足りないだの、

 

三河と内通した謀反の疑いがあるだの、と言ってきます

 

 

そんな今川の真意は井伊を退けて、今川にとって都合の良い

 

小野政次を当主に置きたいというところでしょうか

 

直虎は、策に打って出た

 

成川屋の買った材木は、もう気賀から船で三河に向かっている

 

それを、龍雲丸に取り戻してきてくれと言うのだ

 

いったいどの辺りの海を進んでいるのか?

 

無謀な頼みにも関わらず、わからないままに龍雲丸は、船を出した

 

愛は強し

 

 

帆柱にゴクウを括りつけておくと、いい風が吹くんですって!

 

(もしかして、重たいもの着けとくと、帆柱、しいては船が安定する?) マサカ

 

尼小僧~~待ってろよ~~!

 

 

 

ちょっと待ってください!

 

と言っても通販のおまけのご紹介ではございません

 

こんな無理難題を言うだけ言うて、

 

手をこまねいている直虎さんではございません

 

大博打の始まりじゃ~~!

 

って、昨年の「真田丸」草刈正雄さん演ずるところの昌幸おとうさんみたいに

 

直虎が叫んだわけではありませんが、

 

これには、中野直之も止めましたし、

 

政次も、

 

『なんという無茶を…』

 

それは、

 

今川の使いの者に引かれ駿府へ申し開きに向かう途中

 

宿で、毒薬を飲んでわざと高熱を出し、材木を運ぶ日にちを稼ごうとした

 

直虎は、熱で起きることも出来ないままでした

 

様子を見に来た政次に、

 

『もしうまくいかなかったときは、井伊を頼む』 

 

そう言った直虎の頬に、政次は手を当てて

 

『俺の手は冷たかろう』

 

偲ぶしか出来ない心が言った深い言葉でしたね…(@_@。

 

直虎も、

 

『ん…、血も涙もない鬼目付じゃからの、政次は、昔から、

 

誰よりも冷たい…』

 

幼い頃から、誰かの後ろに回り、そっとおとわを見守る…

 

そんな鶴丸でしたものね…

 

そして、偶に話す鶴の言葉は、正に鶴の一声、グサッと来るんです

 

そういえば、私の妹もそうでした

 

グサッと刺されて、ぐうのねも出なかった

 

また、横道にそれて、ごめんなさい

 

 

数日後、熱の下がった直虎が今川の館に居ました

 

二十年ぶりの今川氏真(龍王丸)との対面

 

昔は蹴鞠で落着させたが、今回も上手く蹴飛ばすことが出来るでしょうか

 

直親の時といい、今回といい、あらぬ疑いをかけられ騙された悔しさを

 

晴らさなければ、

 

『井伊と今川に遺恨がないといえば偽りになりましょう、

なれど私は、家督をお認めいただいてからは、心を入れ替え、

尽くそうとしてまいりました

弓を引こうと考えたことなど、一度もございませぬ』

 

『…かようなやり方は、

今川は真に忠義なる者を失うこととはお考えにはなりますまいか!』

 

 

 

そんなさなか、館の中に龍雲丸たちが勢いよく飛び込んできました

 

材木が間に合いました!

 

『井伊の心をお示しいたしたく、三河より一本残らず取り戻すよう、

わが家臣に命じてございます

 

これが井伊の忠義にございます!』

 

と、虎が吠え

 

氏真の顔色が変わりました

 

こうしてみると直虎の周りには幾人もの竜宮小僧がいて、

あわや、という時に力になってくれる

そしてそれを直虎は分かっている

 

周りから助けてあげたいと思ってもらえるような人物は、

まず、自分が竜宮小僧なのでしょうね

 

そんな、人ですね、直虎さんは

 

これからも助け助けられ、井伊を次代に繫ぐのでしょうね

 

第26回までいけませんでしたが、

 

ではまた

 

 

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浜松城

2017-06-29 11:20:49 | おんな城主直虎

  

 大河ドラマ「おんな城主直虎」では、

 

徳川家康の動きが気になる反面、

 

瀬名姫の膝を枕にデレデレしたりして、もひとつ話が進んでない気もしますが

 

でも、政略結婚があちらでもこちらでも、

 

戦国時代の理不尽です

 

とはいうものの、今に伝わる家康の評判は、例えば浜松では

 

「家康出世の町・浜松」

 

 

こんな看板を、浜松城で見ました

 

 

浜松城

 

 

「若き日の徳川家康」 と印された像が浜松城に建っていました

 

天守へは階段をたくさん登らないと着けません

 

見てる…

 

 

 

 

ここでは、後に模倣で造られた天守より価値のあるのが、石垣

 

浜松城の石垣は、とても荒々しく、年月を経ているようです

 

これは、野面積み(ノヅラヅミ) と呼ばれるもので、石は自然の形そのままに積まれています

 

400年ほど前に積まれたままに残っているとのこと、丈夫なんですね~

 

石の種類は、主に、硅岩(浜名湖北岸の山の石)

 

その他、石灰岩、結晶片岩です

 

 

 

この石垣は二代目城主、堀尾吉晴(1590年頃)の頃のものと言われています

 

なかなか険しい入り口でした 

 

 

天守閣最上階から見たのですが、クレーンの後ろにかすかにかすかに、

 

見えますか? 富士山です。

 

頂きから放射状に雪が残っています。

 

かなり、ズームして、撮ったのですが

 

『お正月以外は見えません!』  とは、お城のガイドさんの弁

 

私は、押してこの写真を見てもらったら

 

『アラッ、富士山ね、今まで見えないって案内してきてたわ』

 

私は、ちょっと気分がよかった~

 

 

城内はさほど広くないのですが、展示物も沢山ありました

 

なのに、軍扇だけでごめんなさい

 

軍扇

 

これは、城主が持つものですよね?

 

家康の持ったものか、その後の城主か?

 

説明を読んでこなかったので分かりません、ごめんなさい

 

しかみ顔の絵(徳川家康三方ケ原戦役画像)ありましたが複製だそうでして(^_^;)

 

 

 

野面積みの絵 

 

 

天守には、本丸とは別に、天守曲輪(テンシュクルワ)という区画があり

 

東に天守門、西に埋門(ウズミモン)が設けられ、外には更に「土塁」が巡らされていました

 

このように強固な守りの浜松城には家康の後に歴代の城主が着きましたが

 

江戸幕府の重臣となっていくものも多く、「出世城」とも言われたそうです

 

 

井伊谷では、虎松もしっかりしてきました

 

これから先、どんな風に家康と巡り合い、どんな風に取り成されていくのか

 

井伊家が江戸幕府に置いて高い地位を築くようすがドラマで描かれるのも

 

そう遠くないと思うのですが…

 

さて、次回は如何様に…

 

ではまた

 

 

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直虎が竜宮小僧になる時二十二

2017-06-20 00:06:35 | おんな城主直虎

 

 

第24回 さよならだけが人生か?

 

龍雲丸たちが井伊谷を去り、意気消沈の直虎に

 

追い打ちをかけるように、またまた悲しい別れでしたね~

 

幼い頃から、向こう意気の強い直虎を、

おとわ様、おとわ様と、追いかけて追いかけて、ずっと世話をしてきた

そんなたけさんが、引き際を悟ったか、里に下がると自ら申し出ました

 

直虎がいないうちに、たけは井伊の館を出てしまっていました

 

そんな事情を知らない直虎は馬でたけを追い、とぼとぼ歩くたけに追いつきました

 

 

行く、行かさないと、ふたりは涙ながらにお互いの気持ちをぶつけました

 

 

『役になど立てずともよい

井伊の館でよぼよぼになり死ねばよい

たけはわれが看取ると決めておったのじゃ!』

 

ずい分、乱暴なことを言ってます

でもこれが直虎流の優しさかな♪

 

 

 

 

たけのいう事など聞き入れたくない直虎でしたが、

たけの決心の固さを知り、自分の馬に乗せたけとの最後の時間をと、

ゆっくりゆっくり里へと送って行きました

 

 

今回の「おんな城主直虎」は、私にはこの場面がすべてでした

 

確かに、「庵原助右衛門朝昌~イハラスケエモン・トモマサ」 という、若きイケメンも新登場、

 

 

 

満を持しての「織田信長」も海老様で!

登場

 

さすがドラマ制作者は女性が固めてるだけあります

 

と、ほくそ笑んだのも事実…、あ、ほんの少しですよ(^_^;)

 

でも心はすべて、たけさんに持って行かれました

 

なのになのに、その涙もかわかぬうちに、

 

 

 

 

たけさんの、幽霊?

いや、うめさんです

 

 

たけの姪っ子「うめ」 が、たけの後をと直虎の世話係にやって来ました

直虎も、びっくりするやら、うれしいやら

 

 

 

第24回 さよならだけが人生か? 

 

さよならは、新しい出会いを持ってきてくれる事もある(ー_ー)!!

 

直虎さん、少しは心が安らぎますか、たけそっくりのうめです(^^♪

 

別れの時、たけに、

『姫様はもう姫様でございますまい、井伊の殿としてご決心をされねば…』

と、くぎを刺されていましたね

 

今川、武田、北条、徳川、そして、織田は「天下布武」をかかげ、

 

いよいよ戦国時代、クライマックスです

 

井伊家は、この激流の中に、木の葉のように巻き込まれてしまうのでしょうか

 

直虎、がんばれと、言いたくなります

 

山の小さな井伊谷を直虎は守り切れるのでしょうか

 

ではでは、

 

 

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龍潭寺の和尚さんふたり

2017-06-18 16:51:44 | おんな城主直虎

 

 

二度目に訪れた龍潭寺、

 

季節は移り、境内の様子も様変わりしていました

 

 

 

 

一か月前は、透けるような若葉でしたが、本堂裏の庭には、さつき、睡蓮の花が咲いて

 

 

 

 

 

 

 

お堂を出て、お墓の方へ行く途中、

わいわい、がやがや、女性の話し声がしまして、その目線の方向にこの花が

 

名前は、ニオイバンマツリ?

 

とにかく香りが強く、少しくらい離れても漂って来てました

この花は、紫から次第に白へと色を変えるそうです

印象に残る花でした

 

 

 

本堂を庭を挟んで見ています

 

 

開山堂

 

金閣寺や銀閣寺を思い起こす楼閣の形です

ここには開山、黙宗瑞淵和尚が祀られています

遠州地方に、禅宗を広めた方です

 

 

 

裏の道には、六体のお地蔵さん 

(この辺りから、前回は見ていないところです)

 

お墓に着きますと、『あった、あった、』 と聞こえてきます

皆さん、ドラマの登場人物のお墓を見つけられたようです

私も声のする方に行ってみました

 

他のお寺さんかもしれません、おまいりにこられたようです

分けられた一角に井伊家歴代墓所と石碑がありました

 

 

 井伊氏歴代墓所

 

大きなお墓の向かって右は、「元祖井伊共保」

 

その左隣、直虎の父 「井伊直盛」

 

左に並ぶ4基、

奥から、直虎の母 「祐椿尼」

直虎

直親

直親の妻 「しの」

 

隣にある広い場所に大変たくさんのお墓が並んでいまして、

ドラマで知った武将の名前も見受けられました

鈴木重時、新野左馬助、中野氏(直之、その父直由も)

小野玄蕃(政次の弟)などの他、たくさんの武将のお墓もありました

 

小野政次のお墓が見つからないのですよね、弟はあるのに…

 

ここに葬る訳にはいかなかった…?

  

実在人物ですしもう変えようはありません

ドラマで楽しむことにします

 

政次に何が起きるのか!

 

 

4月に龍潭寺に行って、5月もという事になってしまったのですが、

「御朱印」 また頂いて帰りました(^_^;)

それはなぜかと言いますと、

 

 

4月には、第二十代 武藤宗甫住職

 

 

 

5月には、第十九代 武藤全裕住職

 

が、寺務所?受付?におられたので、

ラッキー

と思って、再度頂いて帰りました

 

いかがでしょうか、個性的な筆使いが集まりましたでしょ?

同じお寺で、2度頂くなんて、初めてのことです

宗教的な意味を解してないと、お叱りを受けるかもしれませんが、

私の大切なものになりました

 

 

上塗りの落ちてしまった土塀

 

ここから、もう少し歩きますと、「井伊谷宮」という所です

 

 

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直虎が竜宮小僧になる時二十一

2017-06-15 13:29:52 | おんな城主直虎

 

 

第23回 盗賊は二度仏を盗む

 

直虎が龍雲丸たちに井伊の家来として召し抱えたいと伝えて暫くの後、

 

木を伐った報酬を受け取りに、龍雲丸たちは皆で井伊谷へやって来ましたね~

 

心を決めて喜びいっぱいに来たみたいです

 

直之も六左衛門も、

 

 

つい最近、こんな風にすごんで見せておられた政次様までもが、同意を示していたのだから

 

当然、龍雲丸は井伊の家来になる話を受け入れるであろうと、

 

直虎が、皆が思っていた ワタシモモチロン

 

ところが、

 

『断りまさぁ~』

 

みんな驚きました、訳を言えと迫りました

 

『そりゃあ~空に、雲があったからでさ…』

  

どういうこと?

 

でも、龍雲丸がふと空を見上げたら

 

天に昇って行く龍の形をした雲を見つけたシーンがありましたよね

 

あの時、あ、あかん、これはやっぱり家来にはならないな

 

と思いました、私

 

龍雲丸は武家の子で、過去に何かがあった

 

それは何か分かりませんが、とても悲しい出来事で

 

龍雲丸に垣間見える心の闇の部分を形成してしまったんだなと…

 

あ、思い出した…

 

 

鶴丸(政次)がいつも腰に提げていた「能面」

 

これや…

 

龍雲丸も、政次も、「能面」や…

 

 

 

 

さてこの後は、また来週ということですが、

 

今、龍雲丸たちが、根城を構えている

 

「気賀」

 

 

ダウンタウンで、市場もあれば、港も宿場もある

 

人は多くて活気はあるし、あちこちから珍しい品物がもたらされているし、

 

男の人達の楽しい遊び場もありそうで、

 

きれぇ~なお姉ちゃんもいっぱい♪

 

それも飽きたら、気賀の港から船に乗って浜名湖を渡り♪

 

遠くは、異国の地までもパイレーツ・オブ・KIGA♪

 

カリブの島へでも♪

 

 

 

直虎が命がけで井伊家を守っていた頃からのちの、江戸時代

 

ここ「気賀」には、関所が置かれました

 

 

気賀関所

17世紀初め、江戸幕府が本坂通(姫街道)に設置しました 

 

気賀関所を監理していたのは、江戸幕府の旗本の「気賀近藤氏」

 

直虎の時代、今川寄りだったあのモジャモジャひげの近藤康用(ヤスモチ)の子孫です

あの、近藤さんだぞ♪

 

 

関所では、「入り鉄砲に出女」を、また、浜名湖上の通行の監視もしました

 

気賀近藤氏は明治2年の関所廃止まで関主として支配しました

  

 

 冠木(カブキ)門

関所の出入り口で、

毎日明け六つに開門し、暮れ六つに閉門しました(朝6時~夕6時)

 

 

本番所

通行の旅人や荷物を取り調べました。 

 

 

本番所、中の間

取り調べの様子

 

本番所、上の間

家老や身分の高い人が控える間です

 

 

 向番所(張番所)

足軽、中間門番が張り番をしながら休息に使用しました




内部には牢屋もあり、寒暑の厳しい時、雨雪などの時にはここで女改めを行いました

 

牢屋

 

 

遠見番所

遠くを見張ります

当時上階には釣鐘が掛けてあり、下の部屋には大砲が納められていました

何か事件が起きたなら、カ~ンカ~ンカ~ンと警鐘が響き渡ったのでしょうね

 

 

遠見番所の上階から写しました

町木戸門が見えます

 

この門を出ると、町家が続いていました

今は、おみやげやさん、食事処、産地直売所がありました

 

買いたくてたまらなかったのですが、まだ先の道中は長く

荷物になるものは、御法度

と、わたくし、入り女?は考えました

 

あゝ あの三ケ日名産の色んなおみかん、おいしそうだったなあ~

 

 

明治2年、関所廃止令が出て、気賀関所もその役目を終えました

昭和35年までは建物がほぼ現存していたのですが、次第に解体されてしまいました

 

大河ドラマ「おんな城主直虎」があることが分かっていたなら、

保存に力が入っていたかも(^_^;)

 

このエリアには、「姫様館」という資料館がありました

 

判監帳(このページは家康の花押)

 

「判鑑」 かもしれません

これは歴史民俗用語で 江戸時代,照合用として,

あらかじめ関所・番所などに届け出ておく印影の見本。

印鑑証明みたいな?

 

この本は、もと気賀本陣の子孫の中村家所有のものとのことで、

本陣に宿泊客の花押を照合してたのでしょうか…

 

徳川家康をはじめとして、大名・旗本・公家・僧侶の花押が302点あるそうです

大切なものだったのですね

 

 

気賀宿の食事

享保3年(1718) 八代将軍吉宗の生母が紀州から江戸へ向かう道中

気賀宿一泊の時のおつきの役人の朝食と夕食とみられるものを再現したもの

ヘルシーですね、中村ホテルのメニュー♪

 

 

確か、御典医の乗った駕籠とありました

救急車?

 

 

 

御要害堀(ゴヨウガイボリ)

関所警護のための堀で、長さ390間(約700m)ありました

舟で行き来する人も関所に入ることが出来るように、木戸が設けられていました

 

「舟提札・フナサゲフダ」が要ります

出入り出来る渡り場は2か所だけ

また、網打ちをはじめ殺生が禁止されてました



堀に設けられた木戸

気賀関所は、箱根関所、今切(新居)関所と共に、江戸に対する防衛の大切な関所だったのです


関所と共に、気賀宿は発展しましたが、その原点は、

直虎時代に栄えた自由な気賀の町ではないでしょうか


近藤さんも、中村与太夫さんも、瀬戸方久さんも、

気賀にとって大切な人だったのですね

「気賀」も興味深い歴史のある町です

 

これからもドラマの舞台になるのかな?

 

 

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直虎が竜宮小僧になる時二十

2017-06-09 18:12:07 | おんな城主直虎

 

 

第22回 虎と龍

 

虎と龍ですよ、お題の凄さの割には、あっちにこっちに

 

ときめいてましたね~

 

直虎さん、

 

『煩悩め~滅したと思うておったが…』

 

頭をかかえておられました。

 

龍雲丸は亀(直親)の代わりに井伊を守るため…

なんて~ことを考えておられますが…

 

まずは、木を切る仕事を龍雲丸たちは請け負ってくれました

また、直虎と、よりが戻りました

 

 

 

 

そんな様子を、ディナーパーティー?で見かけた政次さん、

その場から立ち去ってしまって、部屋でぽつりと、

 

『くだらんぞ、但馬…』

 

言うてました

 

「じれったいぞ、但馬」 

 

くだらなくないですよ、もっと押してくださいよ~ 

 

なんて、私がじたばたしても始まりません

 

龍雲丸たちは井伊谷に留まり、伐採請負業に専念ですね

 

ところが、今川からの目付役の近藤康用(ヤスモチ)が、

龍雲丸を雇ったことで、直虎に会いに来ました

また、一波乱の予感が!

 

虎と龍と鶴

どうする

 

 

 

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直虎が竜宮小僧になる時十九

2017-06-04 12:56:10 | おんな城主直虎

 

 

またなのですが、

 

ちょっと、ドラマをさかのぼらせて頂きます 

 

駿府での鉄砲の商いがせっかくうまく行きかけていたのに、

瀬戸方久は今川氏真に断られ、愕然。

 

と思いきや、早いです、立ち直りが!

方久曰く 

『これからは 気賀の時代にございます。』

 

井伊で織った綿布の商いを気賀でしようと提案しました。

そうなんですよね、綿の栽培、綿布の機織り、

方久さんのひと声のおかげですよね、功労者です♪

 

でも、綿布だけではやはり商いが小さすぎて井伊谷を維持するには…

ここでまた、方久さんがワンポイントレッスン。

 

『木を切り売るのでございます。

今はあちらこちらに戦場がございます。

焼かれた城もあれば、新たに建てる館も山ほどあると…』

 

直虎は、

『井伊は材木を商うつもりじゃ。

その木を切る役目をそなたらで請け負うきはないか』

 

以前、あっという間に木を切り泥棒していった、謎の旅の男に話を持ちかけ

話を承諾させてしまいました。

直虎さんもなかなかやりますね~♪

世は戦国時代、直虎は策士ですね。

ただ、策士と言っても戦の策ではなくて、井伊谷の村を栄えさせ、保つための策略。

すごいなあ~

 

 

これから、商いを展開する町、「気賀」

浜名湖に面していて、水上交通も発達していて、

更に、ここは武家が治めていなくて、商人が領地を治めるのを今川から

許されているという、この上ない土地でした。

 

東海道もあれば、姫街道(本坂街道)という東海道の脇街道になる道もある。

気賀の「中村屋」という大商人は、方久と親しい。

 

中村屋与太夫さん、

『はいっ 分かりましたっ

といいお返事されてましたけど、どうなんでしょう。

 

ただ、気賀関所で見た展示に「中村屋」さんは本陣の主人として実在人物とか。

気賀関所をブログにする時、しっかり調べなくては。

 

話が横道に反れました

 

さて、気賀での守備は万端、これで井伊谷も安泰

 

となればいいのですが、さて本日、どう展開しますやら

楽しみです♪

 

 

気賀でいちばんに訪れたのが 「大河ドラマ館」

館内は一部を除き写真撮影禁止で、

少ない画像ですが、

 

 

 

入場口では、駐車場の交通整理、近くの見どころや、アクセスの案内

記念写真のお勧め、などなど、 甲斐甲斐しく努めておられました。

皆さん、法被来て赤備え 

 

 

ホールのフロント 

 

 

井伊家の祖、共保は井戸の中から生まれたという伝説の井戸

 

この中に、おとわ、亀の丞、鶴丸の顔が、井戸を除いてるように映像で浮かぶのですが、

それは、写真撮影禁止!で、残念でした

 

 

パネルですが、美しい直虎さん

 

 

同じく、政次さん、不思議なお方

南渓和尚が

『あいつも浮かばれぬのう~』

とおっしゃってましたね

浮かばれる日が来ることを祈りつつ、私がついてますよ

 

 

 

次郎法師時代の、墨染姿、こちらもよく似合っておられます

 

 

あっけなく、亡くなりましたが、井伊直親さん

皆の悲しみをよそに、なんと!

隠し子現る!?

 

 

 

ドラマ館のこの空間は井戸を中心に、神秘的な色を放っていました。 

井伊谷は、水の国なのですね

 

赤い法被で赤備えの係員さん

壁に展示の資料パネルの撮影はNG

井戸の中も3人が移っている時はダメ!

ご指導のもと、写してきた画像です、すべて

 

 

 ドラマ館、裏手

龍潭寺⇔ドラマ館のシャトルバスの乗り場があります。

ここを、向かって右手に行くと 「都田川」と「みをつくし橋」があります。

 

「気賀関所」

うなぎの香りに誘われて、行って来ました。

 

つづく

 

 

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直虎が竜宮小僧になる時十八

2017-06-01 18:02:04 | おんな城主直虎

 

 

第21回 「ぬしの名は」

 

舞台は「気賀」へと移りましたね。

 

先日、「気賀」にも行ってまいりました。

 

「おんな城主直虎」 このドラマゆかりの地がほとんど、

天竜浜名湖鉄道の「気賀駅」の四方八方にある事を知りました。

  

 

2017年5月、気賀の町は奥浜名湖の北側や、浜名湖に注ぐ「都田(ミヤコダ)川」に沿って

拡がっていました。

 

都田川~みをつくし橋

(この橋の近くに、大河ドラマ館がありました) 

 

  この川も戦国時代には、戦の舞台となっていて、

「堀川城址」があるのですが、徳川家康の遠州侵略を防ごうと、

気賀の人達が最後までここで戦ったと伝わります。

 

 

みをつくし橋(赤い橋)より右が下流で、浜名湖舘山寺温泉へ

左が上流で鳶ノ巣山を源として、「川名川」や「井伊谷川」が合流し、都田川となります。

 

 気賀・みをつくし直虎桟橋

遊覧船は、ここより浜名湖に向かい舘山寺温泉に至ります。

 

 

直虎ちゃんのイラストが♪ 

 

「みをつくし橋」はサイクリングロードの一部です。

細江町の町章の「みをつくし」が、輝いてます。

 

「みをつくし」 とは 「澪標」 そして「水脈(ミヲ)つ串」

港に近い川や湖などの水深のある部分を示すため、

この杭を並べて立て、船を安全な深い水路へ導きました。

 

そう言えば、水の都大阪もこのマークだったのでは?

 

「身を尽くし」と掛けて、万葉集などでも詠われました。

 

 みをつくし心尽して思へかもここにももとな夢(イメ)にし見ゆる

作者不詳

 

 

 遠近引佐細江のみをつくし我を頼めてあさましものを

(とほつあふみいなさほそえのみをつくしあれをたのめてあさましものを)

 作者未詳


 浜松市の引佐(いなさ)、細江、この辺りの地名です。

ほんとに気賀は話題に事欠かないんです。

「気賀関所」 「気賀宿」もあります。

当然、「おんな城主直虎」 大河ドラマ館も。 


  

私はJR浜松駅から、こんな1Dayパスを利用して気賀に来て、それから

直虎ゆかりの所をスタスタと、あるいはトボトボと歩いたり、鉄道を使ったり

 

 

 

 

気賀への途中、 とても気になったものがありました。

 

バスから景色を見ていますと何度も、「姫街道」 の標識がありました。

「本坂(ホンザカ)街道」 が元々の名前のようですが…

 

古い街道の松並木の名残りらしい松が、途切れながらも続きました。

その幹は大変太く、程よく、くねっていて趣のあるものでした。

 

あ~、昔の街道の雰囲気あるな~、と本物みた事もないくせに(^_^;)

1時間バスに揺られてようやく気賀に着きました。

 

この「本坂街道」、先史時代から本坂峠を越える浜名湖北側の道として存在してました。

 

中世には地震などで浜名湖の南側が通れなくて、代用として利用が増えたり、

 

近世には「東海道」が浜名湖の南側を通り栄えたので


姫街道(本坂街道)は廃れたりと、浮き沈みが激しかったみたいですね。


結局、東海道のサブ的な役割を担ってきたのですね。

今で言う、「バイパス」ですか?



この浜名湖ですが、元々淡水湖だったのですが、明応大地震により遠州灘の橋本が決壊して

海と繋がり、汽水湖となったのです。

それにより、水産物が豊かになりました。

 

 

浜名湖の北側にある天竜浜名湖鉄道「気賀駅」

 

天竜浜名湖線、プラットホーム

駅舎と共に国の登録有形文化財です。

 

 

フェンスもなく、危ないけれどいい感じです。

あ、でも、線路内でなくて、踏切りの外にちゃんと出てから撮りましたよ、

ほんとなんですから~

 

 

井伊直虎ブームで、駅舎も「赤備え」です♪

隣のラーメン屋さんも、ポストも…

 

この 気賀駅から 

大河ドラマ館→気賀関所→→龍潭寺→井伊谷宮→井伊共保出生の井戸→→

 

妙雲寺→渭伊(イイ)神社→天白磐座(イワクラ)遺跡→→浜松市地域遺産センター

 

→→天竜浜名湖鉄道・金指駅→遠州鉄道・西鹿島駅→JR浜松駅

 

こんな段取りで周りました。

 

 

ずい分のらくらした出だしですが、これからひとつひとつ思い出しながら

辿りたいと思います、どうぞよろしくお願いいたします。

 

 

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直虎が竜宮小僧になる時十七

2017-05-22 23:57:30 | おんな城主直虎

 

第20回 第三の女

 

前回の第19回、直虎の母の祐椿尼(ゆうちんに)が血相を変えて

『寺のほうに、直親の娘と名乗る者が訪ねてきたそうです。』

 

あまりの事に、目がテンの直虎。

 

というところで、「つづく」

それから一週間

 

龍潭寺には寺の僧侶たち、家臣たちが全員集合してました。

それはそれは、興味津々だと思いますよ(*^^)v

 

殿はこの事態をどう収拾するのかと。

 

というのに直虎は、娘を見るなり、

この複雑な状況から逃れたい、と思ったのでしょう。

ほんとにUターンして帰りかけましたが、周りからそれを留められ覚悟をしたか、

殿の座に着きました。

 

さて、この謎の少女「高瀬」ちゃん、

純朴でかわいい子。

ほんとに直親の娘なのか、否か。

 

政次は「間者」ではないかと直虎に言います。

 

高瀬は聡明かつ身体能力が高そうで、崖のぼりも得意だそうですよ。

間者ならそうですよね。

やって来た山伏の常慶にも不安げに反応してましたでしょ。

山伏といえば、忍者の原型みたいなもので、間者も忍者みたいなものですし。

 

でも、直親がよく笛を吹いていた旋律を口ずさんでいましたね。

母がよく歌っていたので覚えたとか。

政次は間者でないとするには、そんな事なんの証しにもならないと言うし

 

でも、直虎は「娘」だと信じました。 優しい顔で高瀬を見てましたものね。

 

どうなのでしょうね、私もどっち付かずで分からない

 

そんな事が起きて、一つだけいいことがあった♪

 

政次 『死せる直親 生けるふたりを結ばせる』

 

しのと直虎が、仲良くなりました。

 

高瀬のことで、直親に対する怒り、という点で初めて意気投合。

 

目的を一にする人達は、仲良くなりますね(*^^)v

現代でも、よくあるパターン、本妻さんと恋人が連盟を組むとか。

TVの見すぎかな(^_^;)

 

今は、直親の三枚舌発覚への怒りですね。

 

ただ、こともあろうに、お姫様たちが怒りのあまり

「す〇〇まし」なんぞと!

のたまうのには、ビックリ!

 

ところで、大河ドラマ「おんな城主直虎」の脚本担当は女性ですが

第19回罪と罰の時といい、

過激なことばが出ますね~!

 

ま、高瀬ちゃんの素性については、しばらくは静観ですね。

そのうち、分かりますよね。

 

素性といえば、「旅の男」も得体の知れないこと、この上なしです。

それでも、直虎と旅の男は意気投合してますね。

 

きっと、直虎を助けてくれると思いますよ(^^♪

ああ見えて、なかなかのイケメンですし、頭の回転もええんとちゃいますか?

 

そうそう、もひとり、

怪しかりけり方久さん

お金大好きで、野心家、アイデアマンでもある。

なぜか今川氏真に見捨てられ、種子島鉄砲の製造、販売のルートをなくしました。

 

でも、この人、立ち直りが早い!

 

「気賀・きが」 へ行って商売しようと言いました。

 

どうやら、直虎も来週あたり下見に気賀へ行くようですね。

実は私も23日と24日、遠江へ行ってまいります

出来れば、気賀にも行きたいです。

でも、まずは先日見残した龍潭寺のそこここと、

その他、直虎関連スポットを(^^♪

 

ん~本当の目的は、すみません。

 

「松山千春コンサート2017春」

なのです。

24日夜には、遠江より近江へと戻って参ります

 

 

こんなのに乗るかも。

それと、 ↓この写真なんですけどね

 

 

この二体の木像ですが、どういうものなのか、分からないまま帰って来ました。

説明書が、なかったような…

 

今回行ったら、お坊さまに訪ねてみようと思います。

その時は、またブログアップしたいと思います。

 

ではまた。

 

 

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直虎が竜宮小僧になる時十六

2017-05-15 18:28:43 | おんな城主直虎

  

 

第十九回 罪と罰

 

始めから45分間、とにかく痛快でした 

目付や家臣相手に、直虎は井伊家を守るため

激しく言い争いながら、名案?迷案?を打ちたてて行きました。

 

今回のNHK側の思惑は

 

「罪と罰」を挙げながら、直虎を取り巻く人々の個性を前面に打ち出した

 

と感じました

井伊家の殿、直虎様はとにかく個性豊かな家臣に囲まれ、大切にされています。

ま、たまに女子だと馬鹿にされる時もありまするが…

そこは、正直まだ世間知らずなところもおありですから

家臣皆、各々の持ち味を生かし、直虎様を支え、

井伊家は盤石なものになって行くと思いますよ

 

 

虎松の後見人と言えど、やはり「城主」である直虎

 

家臣は、少数ですが精鋭ぞろいではないでしょうか?

 

中野直之

 

始めは、直虎を否定してましたね。

徳政令の時、村人の直虎を守ろうと言う気概に心が動き、許すように。

「ゆきのじ」 は直虎が付けたニックネーム

 

ニックネームを付けるのって、人と人の距離を縮めるのかな?

 

中野家は井伊家の分家、直之は井伊の血筋を引く者

内乱で戦死した父のあとを継ぎ、今、井伊の表舞台にいる

 

武芸の達人で、直虎のボディガード役、刀捌きがカッコイイデス♪

怒りっぽく、ごちゃごちゃと直虎に文句を言うのが、直虎にとっては…?

 

 

奥山六左衛門


六左衛門、しの、なつは兄弟

女系家族なのでしょうか、とても優しいお侍さん

いつも中野直之と直虎の板挟みで、優柔不断なところもあるが、

直虎を心から支えてくれる

武芸が苦手、勇気がね、あまりね…困り顔の多いこと

でも今は、直虎のためと武芸の鍛錬にも励むようになった

 

 

小野但馬守政次

 

おとわ(直虎)と幼ななじみ

鶴(政次)の父の裏切りで、亀(直親)の父は討たれ、亀も井伊谷にいられなくなり

10年間身を隠していた。

そんな父だからか負い目を背負って生きてきている、ような…

父の様にはなりたくないと思っているような…

でも、容赦なく筆頭家老として今川とも上手くやらねばならず

なにより、やっぱり幼い頃からおとわが大好き、これは間違いないですよね

 

目付の役目は表の顔、裏は井伊を、直虎を、とにかく守りたい

裏がほんとは表なんですよ~

折に触れ、直虎に後見人を降りよ、というのも、直虎に危険なことから離れて、

笑顔で過ごしてほしいんですよね。

 

そう、不思議な旅の男の「罪と罰」を巡って、直虎と政次の激論はすごかった

 

政次に矢継ぎ早に怒りをぶつける直虎の言葉の間合いを待って、

 

政次 『言いたいことは言うたか』

直虎 『言うた』

政次、睨むように、 『では、俺も言わせてもらうが…』

迫力。

あとはまた、家来政次に戻ったが、

しばらくは、幼なじみのように、と言うより恋人のように見えました

 

 

 

井伊家の菩提寺、龍潭寺の僧侶たちも 大切な見守り隊ですね。

 

父のように頼れて威厳があって、井伊家の将来を見通してくれてる南渓和尚

この方も井伊家の血筋の方です

 

傑山さんは兄のようで、力持ちで武芸に秀で、用心棒みたい

この方、「風林火山」みたいな方

 

昊天(コウテン)さんは姉のようにやさしく

時には厳しく学問を教えてくれる家庭教師のような昊天(コウテン)さん

動物に例えるなら…駱駝?

 

瀬戸方久

 

こんな型破りの味方?もありました。

豪商への道のきっかけになった直虎

その恩を感じてか、お金の匂いを嗅ぎつけてか、コ~~ン

直虎の助けになってますよね?

 

 

 

 

このように女城主直虎様は、個性豊かな面々を率いて井伊家を虎松に繫ぐべく、

 

( 政次の敬愛するらし、「孫・ソン」とかいう御仁について学習中??)

 

精進されています。

 

ではまた、井伊谷にその様子、覗きに行きましょうね

 

 

あ、もひとつ、事件です

 

龍潭寺に、直親の娘と名乗る可愛い女の子がやって来てました。

 

昊天さん、傑山さん、お坊様たち、興味津々のお顔(^_^;)

 

修行が足りませぬぞ~南無~~~

 

 

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