yoshyy's blog with aki&momo since 2003

元気なわんぱく犬「あき」の話題をたくさん載せてます。
「あき」は福島の浪江町から、縁あってわが家に来ました。

愛犬「もも」虹の橋を渡りました

2011-12-11 23:49:18 | 愛犬「もも」との想い出
先週日曜に入院した愛犬「もも」、12月8日夕方虹の橋を渡りました。

最期は、家へ獣医さんに来てもらい安楽死という苦しい決断でした・・・。

8月に後足の動きが悪くなり、その時は車輪付ける覚悟もしていたところ、また普通に歩けるようになり安堵していたら、先月中旬からゴハン食べなくなり、12/4(土)には一日に8回も嘔吐し、12/5(日)から入院し12/7(火)午後にCT撮ったら、血栓が相当進んでおり、その影響で腎臓も片側しか機能してなく、肺も血が滲みだしていると解りました。

 特に肺に関しては、一両日にも吐血がひどくなり、苦しみながら息を引取る危険が高いと言われ、12/7夜に飼い主の苦渋の決断で、急きょ翌日夕方に永遠の別れを迎えてしまいました。

 ともかく退院して自宅へ戻り、宣告から一夜(20時間)しか無いので、その夜は一睡もせず「もも」の側で過ごしたけど、水が欲しくてたまらないようで、息も荒く後ろ足は痙攣のような震えになってました。

 畳の部屋にいても、水が飲みたい嘔吐したいとウロウロし、真夜中にも外へ出ると徘徊のように歩き、公園の水飲み場でふせしたきり動かなくなり・・・。

最期の日の朝まで1時間近くお散歩し、庭で穴掘りもしていたけど、それも水を求めて歩き回り、嘔吐を隠すための穴掘りで、穴へ吐いた後には、自分で鼻を使い埋めてる姿が何ともけなげで見ていられませんでした。

飼い主の決断で安楽死を決め、「いま歩いているのに、あと〇時間後には・・・」と想いながらのお散歩はとても過酷でしたが、それ以上に吐血が先に起きてしまう危惧の方が怖く、安楽死した際は〝間に合った・・・〟という安堵感も強かったという非常に複雑な心境でした。

東京と茨城に住む両方の両親も駆けつけてくれて、皆が最期に立ち会ったけど、今考えると、一方では「もも」の苦しさ・つらさを考えると、普段通りそっと静かにした方が良かったかもしれなかった気も大いにしている。

それでも、先生が注射する傍らで、飼い主が頭を撫で続けながら、「おウチに来てくれてありがとうね」「また一緒に遊ぼうね」「ももちゃん大好き」「いっぱい色々な所へ出掛けたよね」などと声掛けしている中で何のショックもなくス~っと旅立ったので、最高の看取りが出来たと思っています。

2003年11月2日に千葉県松戸の里親会で初めて出会い、11月4日に我が家へ来て8年1か月、来た頃が3歳くらいと言われていたので11歳くらいの生涯を全うしました。

 

「もも」はいま、自宅の祭壇(飼い主が使っていた机)の上で、飲みたかった水とたくさんの花々、大好きだった鳥のササミやレトルトフードに囲まれています。

これまでブログを読んで下さり、「もも」に関心を持って下さった皆さま、本当にお世話になりました。有難うございます。

Dscf2062