院長の気まぐれ日誌

仕事のこと、私生活のこと、気になることなど不定期に書いて行きたいと思っています^^

ささやかな知識

2013年05月13日 | 日記
お葬式続きで何ですが、数年前に、お客さんの親族が不治の病にかかり逝かれたことがありました。

生前の様子から察するところ、実直で頑固な性格があまりにも強かったので、ちゃんと成仏するのかなと思い、どちらかの菩提寺での供養とは別に、お客さんに話し個人的に供養を申し出て行ったことがありました。

私が供養した訳ではありませんが、普通に信用ある寺院に依頼したわけですね。
ご本人とは、面識はもちろん話したことも無く全くの他人でした。

それから、案の定、約二年間に渡り私の傍を離れず還るところに戻らず、ずっと距離を置いて、私の様子を伺ってました。

ただ一つだけの縁で、行き場所が理解できなかった訳ですが、最低限の「死んでも意識だけは残るんだ」を本気に思わなくても、そのような事が在ると知って居れば、対処はできるものです。

人は、誰でも、肉体を持って数百年の何千年も生きられない。
そのような世界が存在するなんて、他で聞いた事を記憶に留めて置けば、何時の日にか解る時が必ず来ます。

どんなに真理を悟った方が迎えに来られても、本人に、そのような知恵が無い限り、連れだって帰らない。
これは、自己責任の範疇です。
自分で蒔いた種です。
こんな事は誰にでも教えられる事では無いにしろ、聞く耳を持つならば、その後の判断は本人の責任です。

知らなければ、逝っても生きて居ると勘違いして、何十年もウロウロしててどうするのよ。

こんな話しなど、あざ笑われ一笑に付されるかもしれない。
しかし、知識無しでその時が来て、うろたえながら残った家族の足を引っ張ったり、自宅に住み付いているようでは、無明と言うしかない。

何時まで経っても不平不満を吐いている場合では、ないでしょ!と。
生きている不平不満の人に近づくのも、以ての外。
しかし、生きていようが、逝ってしまっても、不満を口にするのは自己責任。

如何なる知識も役に立つ時がやって来る。
ささやかな知識でも役に立つ。

「生前を思い出しながら自己反省なさい」が、私からの最大の贈る想いです。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 代理のお通夜で(つづき) | トップ | 試練の真最中 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事