院長の気まぐれ日誌

仕事のこと、私生活のこと、気になることなど不定期に書いて行きたいと思っています^^

自己責任の世界観

2013年06月09日 | 日記
あの世の話など、全く関係ない、信じていない方には、どうでも良い話しなどを書いてみましょう。

その前に、家名が途絶えるとはどのような事かを、考えたことがあるでしょうか。
そんな事を考える時には、実際にその立場にならないと考えませんね。

たまたま、跡取りが居ないとか、何かの都合で家名を継がないこととなる訳です。
この世的には、たまたまかも知れませんが、あちらから見た場合、これ以上その家名の存続は許し難く滅亡させる事が妥当との流れになるのですね。

誰かが、何かをやらかして、目上から叱責を受ける感じでしょうか…。

歴史上で、天をも恐れぬ悪行を犯しても存続している家は、あちこちに在ります。
存続を許されない訳ですから、「天をも恐れぬ悪行」よりも大それた事をやったのかと云えば…、口は災いの元ですね。

私も含め、私の先祖にも言い過ぎてしまった者が居ります。
人を傷つける言葉と云うものは、逆の立場になれば解るものです。

もう、他界して三十年以上になりますが、本人の生き様が、あの世の行き先を決めるわけです。
「死んだら終わりよ」な~んて、呑気に流していれば、それはそれで良いかも知れません。

明るい世界と暗がりでは、まさに天地の差です。
暗がりに居る者は、何故、私がここに落ちるのかが理解できないと、生前と同じように頑固さを捨てずに怒っているようです。

お坊さんが「安らかにしてます」って言われれば、「そうですか」って安心しますよね。
回忌法要も欠かさずしてて、これで大丈夫だ!って安心します。

それで、当の本人に、「ほんとうに、今、安らかなのか?」を聞いて、答えが返って来て納得していることでしょうか?

お坊さんが、霊能者が、そのように言っているじゃ、な~んだか、って感じかな。

生前、怒り易くて、頑固で、酒乱で、暴言を吐く人が逝去したら、皆が謙虚な仏になると思いますでしょうか…。

この世界も、あちらの世界も、共に自己責任の世界です。

高額な戒名、布施で天国に行けたら、子孫の苦労なんて皆無ですよ。

そんな事で、時々足を引っ張りに来るご先祖の為に、年間供養をしてみたのですね。
365日、毎日、あちらの高僧から直接指導下されば、頑固な先祖も少しは変わるだろうと思ったワケです。

そうしたら、思いも寄らず、ほんの数日で大人しくなってしまって…。
あの頑固な…が、じっくり経を聞いて居る姿、口コミで供養しただけの事は有ったと、私の方がビックリですわ。

それ以外にビックリしたのは、大人しかった先祖も、「私も供養をお願いしたいけど、申し訳なくて私に言えない」と謙虚な祖母までが、親類の夢に三日間も連続で出て来たことを聞いたこと。

確かに、四日前から、何方かが私の肩に手を当てて何かを訴えてましたが、誰なのかも判らず、何をしたいのかも解らなかったのでそのままにしてました。

改めて祖母に聞いて見たところ、「羨ましかった」とのこと。
羨ましい位の供養みたいです。

遠目で、祖先の二人が供養されているところを、他の先祖が見て居て「羨ましかった」らしい。

それなら、祖母にも感謝の想いで本物の供養しようと名刹に連絡している最中に、また肩に暖かい手で「ありがたい」の想いが伝わったので、喜んでいる様子が解り私も嬉しくなってしまって…。

そして、それでは済まなく成り、近所の亡なった方や親類も、「私も私もお願い…」と心の声が聞こえて来たので、「あなた方の子孫にしてもらいなさい」とは念じたものの、それでもしつこく「お願いお願い…」の連発だったので、「知るかそんなもの、子孫に名刹に辿り着くように指導しなさい」と返したのです。

冷たいようですが、それも自己責任。
地獄に落ちた親類が居るとしても、それを救う手立てを知っているから、その生きて居る親類に話したところで本気にするかは知りませんが、それこそが自己責任です。

「知らなかった」事自体が自己責任です。

地獄は心の病院です、心の学校なんです。
生前、何が間違って来たかを問う場所です。

天国と云われる所には、心底清く、言葉も正しく、不平不満など想っている方など一人も居りません。

人は必ず死別を経験しますが、必ず再会を果たされます。
私も、この世界を全うし、何時の日か先祖との再会を楽しみにしている一人です。
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