院長の気まぐれ日誌

仕事のこと、私生活のこと、気になることなど不定期に書いて行きたいと思っています^^

ささやかな成功体験

2012年07月21日 | 日記
初めて中型バイクの免許を取ったのが28歳の時。

当時、仲間と共通する話題に入りたくて、自宅近くの教習所に通った。
バイクの免許を取ろうと思ってから願書を出すまで一年近くかかった。

最初の課題が、倒れているバイクを起こしきれず、不合格。
原付も乗ったことがなく、スピードが出せなくて教官に何度も注意された。

それでも何とか、卒業試験まで辿りつき、一本橋の低速走行の試験で安定し切れずに不合格。
自分にはバイクは向かないと、途中で何度もやめようかと思っていた。

同じ頃、仲間の同年代の女性が、大型二輪の免許検定を何度も落ちても諦めず、その気力に心を打たれていた。

二度目の検定試験に、やっと合格できたのだが、自信が持てなかった。
自信がないなら、とことん練習するしかないと思い、大型二輪に挑戦した。

当時、大型バイクの教習所は、自動車で40分も掛ったが、会社の休みの日曜すべてをその為に費やした。
苦手だった、一本橋の低速走行とS字のアクセルワークの練習を飽きるほど繰り返し、教官の足元にも及ばない下手くそな自分が、卒業時には教官候補として職員に誘われた。

自信は付いた。
走行テクニックも必要かもしれないが、一番大切なことは、確認だった。

県の検定試験に臨み、当日は私を入れて8名の志願者が集まり簡単な講習後、走行コースのテキストを渡されイメージングしながら必死に覚え込んだ。

私の順番が来て、確認後に乗車したら、緊張のあまり走行コースがすべて吹っ飛んでしまった。
25年前のことでも、その記憶は鮮明に覚えている。
頭が真っ白とは、この事なのかと・・・。

それでも、何とかイメージングで走行できた。
しかし、走行コースは全く覚えて居らず、流れで走行できた。

一番課題だった、一本橋の手前のラインに停止して、深呼吸を何度かしながらスタートした。
一本橋の課題は、中型免許の時の脱輪ではなく、練習しすぎて時間を超過するまでに成っていたので、それだけが少し心配だった。

それでも、一本橋をスムーズに渡りきり、私の検定は終了した。
もし、不合格だったら、度胸が付くまで、とことん練習しようと思っていた。
以前、教官として誘われたことが励みになっていた。

合否発表まで、時間があったので他の参加者の走行を観ていた。
誰が合格か不合格かは、観ていると判った。
皆さん、些細もないところでミスが重なり、後の合否の発表では私の見方が間違っていない事に少し安堵した。

その日、合格カードを手渡され、帰りにバイク屋に行って大型車を注文した。
すべては、的確な確認と正しい走行で、勤務地の九州でバイクライフを思う存分満喫できた。

ほんのささやかな成功体験。

会社の仕事もそうだった。
自分に向いていない仕事と思っても、失敗を繰り返しコツコツ同じ仕事を続けていれば趣味になる。
仕事が趣味になるまで、とことん向き合ってみる。

会社を退職する際、少数の同業者の先輩方から誘いを受けた。
新米社員から見て居られた、別会社の社員の方々に評価されるなど思ってもみなかった。


諦めるのは簡単だけれど、続けて居れば、いつか、あなたは、その道のプロフェショナルだ。
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