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礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

木炭自動車を始動する手順について

2020-06-25 04:20:51 | コラムと名言

◎木炭自動車を始動する手順について

 国防科学知識普及会発行『自動車時代』第九巻第八号(一九四一年八月)から、「代燃車の試験課題と解答整理の二つ」という記事(山口安治執筆)という記事を紹介している。本日は、その三回目。

 然らばその課題とはどんなものがあるか。これに一寸【ちよつと】振れてみよう。断つて置くが次に示す課題は、従来提出された問題の全部ではなく、その内のほゞ代表的な融通性のある問題を参考として選び出したに過ぎないものである。そこで、その例題の一つとして
問 木炭自動車の始動方法を問ふ……と云ふ題が出た。木炭車の始動法は実地で既に承知の筈である。実地で操作するその全部を筆の上に現はせばよい訳なのである。然し、それが思ふ様に紙の上に字となり文章となつて解答してくれないから受験者は困るのである。即ち知つてる事を要領よくまとめあげて行くのに時間を要するのである。そこで表題に掲げた様に『解答の整理』の必要さを生ずるのである。
 即ち問題を真つ正面に受け入れてぶつかつて行くのである。少くとも始動方法と出題するからには、始動する順序を問ふてゐるのであるから、頭に浮ぶのは『一台の木炭自動車の前に立つて、これから自分がこの自動車を始動させるにはどんな順序でどんな準備をして、どんな具合にして始動したらよいか』と云ふことが判つてくる訳である。そこで先づ順序として
、ガス発生炉、冷却器、清浄器、空気調整器、ガス輸送管、始動送風器等【など】を点検して、これが異状のないことを確めた後に次の準備を行ふのである(とすらすらと書き出しの糸口がみつかり、その後【ご】は糸をたぐる様に答が書けて行くのである)。
イ、先づ発生炉の中へ木炭を適当の大さに切つて詰め込む。
ロ、各装置に水等【など】を用ひる式はこれを適当に補給する。
ニ、発生炉の点火口に新聞紙又はボロ布を用ひて点火する。
ハ、同時に始動送風器のスヰツチを入れて廻し風を送り込む。
ニ、ガス発生炉の空気調整栓を適当に調整してガスの発生を迅速に且つ良好ならしめる。
ホ、数分間(大約〈タイヤク〉二分乃至五分)の後【のち】に空気の流入口【りうにふくち】を閉ずる。
ヘ、発生したガスをマツチにて点火させた場合、火焔が紫色ならガスが稀薄な証拠であり、赤色【せきしよく】なら適当であることを知り、稀薄の時はもう少し空気の流入を続ける。
ト、ガスの調整装置のあるものは適当に調節する。
チ、点火時期を少し早くして置く事、右の様な順序で始動準備が出来たら次には運転台に座し、愈々機関の始動を行ふのである。即ち 
リ、最初加速機を静かに踏んで、エンジンを低速に回転させ、シリンダー内へガスの供給が円滑に行はれてゐるかどうかを確めて、充分にエンジンの廻転を強めて置いてから第一速にチエンヂし、クラツチより足を徐々に外して発車させるのである。
 以上が解答の全部であつて、然も順序よく解り易く実地に始動させる時と同じ気持の侭【まゝ】を筆の上に現はしたのである。この様に順序を立てゝ解答すれば大抵の問題は例令【たとへ】その答の一部を記憶してゐなかつた場合でも、書いて行く内に来付いて完全な解答が出来る様になるものである。これは法規の試験などの場合にも、この方法を用ひれば可成【かな】り効果がある。【以下、次回】

 木炭自動車の始動方法を説明した文献というのは、あまりないと思う。今となっては。貴重な文章であろう。
 なお、上の説明では、「ヘ」が、ややわかりにくいと思う。「発生したガス」を、どうやって点検するかを説明していないからである。
 私はかつて、神奈川中央交通が復元した代用燃料バス「三太号」を、相模原市三ケ木(みかげ)の営業所で見学したことがある。一九九〇年代の前半だったと思う。その時、エンジンを始動するところを間近で見ることができたが、ガス輸送管の途中に、ガス発生炉で発生したガスをチェックできる「口」があったように記憶する。見るからにベテランといった係員が、そこからガスを噴き出させたあと、手に持ったライターで、いとも無造作にそのガスに火を付けた。ガスは、ボッと燃え上がり、その色を確認した係員は満足そうに、その「口」を閉じた。
 この発生したガスをチェックする作業が、上の文章でいう「ヘ」の作業だったわけである。
 ちなみに、神奈川中央交通の「三太号」の燃料は、「木炭」ではなく、「薪」(マキ)である。くわしくは、ウィキペディア「三太号」を参照。

*このブログの人気記事 2020・6・25(8位のズビスコは久しぶり)

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学科試験では代燃車についての知識が問われる

2020-06-24 03:52:12 | コラムと名言

◎学科試験では代燃車についての知識が問われる

 国防科学知識普及会発行『自動車時代』第九巻第八号(一九四一年八月)から、「代燃車の試験課題と解答整理の二つ」という記事(山口安治執筆)という記事を紹介している。本日は、その二回目。

  代燃車に関する学科試験問題
 警視庁を初め各府県に於て代燃車【だいねんしや】に関する問題は、今後一つや二つは必ず課せられるものとみなければならない。特に警視庁などは次の表に示す如き代燃車が受験用車として採用され、その何れかの車輛を受験者に課してゐるのであるから、例令【たとへ】運転にパスしても、その代燃車の取扱ひとか機構に就いての知識を充分に会得してゐなければ完全なる運転者たり得【う】る資格のあるものとは云ないのだ。と云ふのが当局の見解であつて、それが為めに実地試験の次に来【きた】るべき学科試験にも運転者として必要なる代燃車に対する知識をどの程度に会得してゐるかどかを試験しなければならない。と云ふのである。
 この説明に従へば代燃車の各式に就てその構造、特徴の総てに就いていちいち研究し、その細部に亘つてまで課題して代燃車に対する専門的な知識の有無【いうむ】を受験者より得ようとしてゐるのでないことが頷かれるのである。
 試験官の本当の腹を割つた処を、こちらが手前勝手に想像してみれば、恐らく代燃発生炉〈ロ〉の取扱ひとか、これを自動車に取付けて運転するに当り、或は運転中に於ける自他共の危険防止と云ふ点から、運転者の安全運転を要望する意味からそれに関する問題を与へて、これを代燃車を運転する者の必ず心得るべき信条とすべしと云つた点に当局の主要眼目があるものとみてよいと思ふのである。従つて各種各型の代燃発生炉の夫々【それぞれ】に就いての取扱ひ注意とかは、受験すべき車によつて実地試験済みなのであるから、各式の細目に亘つて課題するが如き必要がなく、また運転者にそれを要求すべきほどのものでもないと云ふことに結論されてよいと筆者は考へるのである。
 今迄に代燃車に関係する問題もそうした交通安全、危害防止の観点よりした課題の多いのも、この間の事情を証明してゐるようである。従つて受験者は代燃車に関する問題だからと云つて余り気にする必要がない。少くとも本誌〔自動車時代〕に毎号載つてゐる警視庁や各府県の試験問題を再読吟味し、よく脳裡にたゝき込んで置くだけで充分である。他は今迄に出題されたものを横からと縦から或は裏から見て問題の目先を変へたに過ぎないので、課題の急所をつかみ、よくこれを咀嚼して置けば別に試験場で狼狽して、やたらに鉛筆の芯を舐る〈ナメル〉ばかりの愚をやらないで済むと云ふものである。【以下、次回】

 文中、「次の表に示す如き代燃車が」云々とあるが、これに相当する表は、掲載されていない。紙数の関係で削られたものと思われるが、まことに残念なことである。

*このブログの人気記事 2020・6・24(8位に極めて珍しいものが入っています)

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昭和16年の運転免許実地試験と学科試験

2020-06-23 00:08:55 | コラムと名言

◎昭和16年の運転免許実地試験と学科試験

 先日、古書展の目録に載っていた『自動車時代』のバックナンバー三冊を注文し、無事、入手を果した。『自動車時代』は、自動車運転免許の取得を目指す受験生に向けた月刊誌で、国防科学知識普及会(東京市麹町区)の発行である。
 今回、入手したのは、その第九巻第七号・第八号・第九号(一九四一年七月~九月)である。そのうち、第九巻第八号(一九四一年八月)を見ると、「代燃車の試験課題と解答整理の二つ」という記事が載っている。当時は、まだ日米開戦以前であるが、警視庁が実施する運転免許実地試験の試験車は、すでに、ほとんど「代燃車」(代用燃料車)に切り替えられていたことなどがわかる。この記事を、何回かに分けて紹介してみたい。

 代燃車の試験課題と解答整理の二つ   山口 安治

 つい先日のことであるが私【わたし】は品川の警視庁実地試験場に旧友の某試験官を幾年振りかで訪ねてみた。昭和十四年〔一九三九〕に改正されたものだと云つてゐるが各府県の実地試験場を代表するだけあつて場内の各コースも市街道路の縮図の様に大小、曲角等十数路に別れ、電車軌道の十字路やロータリー、架橋や坂路などが適当に配置されてゐて、実地受験者に対する試験場としてまさに理想的なものと思つた。
 然し今日、警視庁に備え付けてある試験用車は殆んど全部が代燃車【だいねんしや】であると聞かされてみると、ガソリン車で受験した経験しか持たぬ筆者などは、このコースを代燃車で受験したら先づ美事に 一、二回のドロツプは覚悟しなければならないと考へたのである。
 そしてその反面、最近の受験者が代燃車の操縦とそのこつを十分に会得し然もガソリン車に匹敵する否【いな】寧ろより以上の成績で立派にこれをなし得る腕前に、いつの間にか上達してゐるのに驚かされたのである。受験者の中【うち】にはおそらく筆者と五十歩百歩程度のあぶない運転振りの者もないではなかつたが、然し大部分は自信たつぷりの美事なハンドルの捌きで各種コースを乗り切つてゐるのには全く感心させられたのである。
 これはとりも直さず受験者が代燃車に対する認識を深めたことゝ、次代の交通運輸はオール代燃車に依つてその重責を自ら担当せなければならぬと云ふ時代意識を完全に把握してゐる証左であつて、受験者が何れもこの意識の下【もと】に実地試験と云ふ一つの関門をパスしてどしどし実社会に進出せんとしつゝある真剣さを目のあたりに見て、筆者は少からず感銘し且つその意を強くした次第である。
 尚ほ其の節代燃車に対する実地試験の色々な注意事項として、受験者に参考となる考へを聞き得たが、これはまたの機会に譲るとして此処【ここ】では代燃車の実地試験に関連して行はれる学科試験に現はれた課題とその解答のこつとも云ふべき点に就いて、同試験官より聞き得た一端を紹介して置こう。【以下、次回】

*このブログの人気記事 2020・6・23(10位に極めて珍しいものが入っています)

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犬猫の毛皮供出・献納運動の経緯と実態

2020-06-22 00:15:57 | コラムと名言

◎犬猫の毛皮供出・献納運動の経緯と実態

 昨日のコラム「目の前で撲殺された愛犬エス」に対し、kaiteinさんとinaka4848さんから、「続き希望」のボタンを押していただいた。
 この問題については、以前から、強い関心を持っているが、ほとんど調べが進んでいない。特に、ここしばらくは、国立国会図書館の入館が制限されていて、調べたい文献が閲覧できない。
 なお、一昨日のコラムで紹介した西田秀子さんの論文「アジア太平洋戦争下 犬猫の毛皮供出 献納運動の経緯と実態―史実と科学鑑定」(『札幌市公文書館事業年報』第3号別冊、2016年)は、インターネット上で容易に閲覧できる(国立国会図書館のオンラインサービス経由で閲覧できる。三つのPDFファイルに分かれている)。詳細かつ画期的な論文である。この問題に関心をお持ちの方に、ご一読をおすすめしたい。
 同論文には、「要旨」というものがついている。本日は、この要旨を紹介させていただこう。

 アジア太平洋戦争下 犬、猫の毛皮供出 献納運動の経緯と実態―史実と科学鑑定
                               西 田 秀 子 
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
■要旨■ アジア太平洋戦争下の昭和19年(1944)秋、軍需毛皮の兎が不足したことから、軍需省・厚生省が飼い犬の毛皮供出献納を都道府県知事あてに通牒し運動が全国に展開した。ところが、北海道では早くも18年に犬毛皮の供出が始まり、19年には海軍の要請により飼い猫が加わった。運動と実施の主体は北海道庁と札幌市及び大政翼賛会北海道支部と札幌支部であり、実際の業務は国策会社の北海道興農公社が全道にまたがり行うという、官民一体となった運動であった。背景には国民を戦争協力体制へ導く教化運動があり、日中戦争(1937年)を契機に開始した国民精神総動員運動が翌年1938年の国家総動員運動へ、さらに1940年の国民統合組織の大政翼賛会運動へ発展・継続した。物資不足の代替に供出対象が飼い犬飼い猫という身近な愛玩動物へエスカレートした。社会全体を上意下達の全体主義が覆い、行政の末端の町内会までに草の根の軍国主義が及んだ一つの現象であった。
 本稿では次のことを明らかにした。
・国立公文書館にも所蔵が未確認で、新聞記事でしか確認されていなかった通称の「犬、猫毛皮供出献納運動」の公式名称は、『鳥取県公報』により「軍需省厚生省通牒 犬原皮増産確保、竝狂犬病根絶対策要綱」によって全国で実施されていた。
・北海道庁はじめ、実施した県下市町村では畜犬の各戸全数調査を行い、供出割当が通達されたうえで実施に移行。その統計調査は行政の末端組織である町内会の隣保班(隣組)が担った。
・70数年前に将兵が着用していた戦争遺品の防寒外套3着、防寒靴3足について北海道内の3博物館・資料館の提供をいただき、専門家に依頼して毛皮の動物を同定(鑑定)検査し、明らかにした。その際、当時の陸軍被服廠の「仕様書」と照合し史料と科学同定(鑑定)とを比較対照することで真実が判明した。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

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目の前で撲殺された愛犬エス

2020-06-21 01:10:25 | コラムと名言

◎目の前で撲殺された愛犬エス

 昨日に続いて、「畜犬献納運動」の話である。
 本年二月一五日(土)の朝日新聞オピニオン面に、次のような投書が載った。あまりに残酷な話で、ブログで紹介することがためらわれたが、重要な証言であるので、以下に紹介しておきたい。

   目の前で撲殺された愛犬エス
       無職 林田 正一(熊本県 84) 
 1944(昭和19)年、少年時代に我が家にいた土佐犬エスのことである。
 祖父がエスを呼んでいた。呼べば必ず飛んでくるはずが来ない。畑を逃げ回っている。見知らぬ男性が何人か来ていた。犬の供出だった。祖父も覚悟を決めていた。
 好物の生卵にも近づかない。やっと鎖をかけたが動かない。家族が私に「ついて行け」と言う。供出が何のことか分からないまま、綱で引きずられるエスに同行した。
 川沿いの堤防の堰【せき】で、男たちはエスを棒で殴り始めた。暴れ、ほえるエス。私は止めることもできず、走って離れた。戻った時、エスは鉄の棒につるされていた。
 皮は戦地での背嚢【はいのう】になると後日聞いた。戦地へ慰問の手紙を学校で書いた。「エスはお国のため兵隊さんと一生懸命戦っています」。短い慰めの返事が届いた。
 国を挙げた戦争もすでに先が見え始めていたのではなかったか。犬の皮を取ると同時に、人の食糧を守るため食べ手減らしでもあったのかもしれない。

 林田正一さんは、八十四歳とあるが、たぶん、一九三五年(昭和一〇)年生れであろう。だとすれば、作家の大江健三郎さんと同年齢である。おふたりは、ほぼ同じ時期に、同年齢で、同じような体験をされたのである。
 大江さんの愛犬の毛皮は、軍需に回されることなく、河原に捨てられた。林田さんの愛犬エスの毛皮は、本当に軍需皮革として活用されたのだろうか。

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