◎総理の最後は実に立派だった(栗原安秀中尉)
木下宗一著『号外昭和史』(同光社磯部書房、一九五三年四月再版)から、「二・二六事件」の章を紹介している。本日は、その四回目。
生きていた岡田首相
折も折、この日〔二月二九日〕、内閣は「岡田〔啓介〕首相は生存す」と発表した。反乱軍重囲の首相官邸をどうして脱出したか、四日間にわたるその奇蹟的生存はどうして護られたか。世間は、反乱軍の鎮定でホッとする一方、この九死一生物語りに聞き耳を立てた。当時、福田〔耕〕秘書官らが発表したその真相はこうである。
義弟松尾大佐が身代り
二十六日の朝五時頃、官邸の非常べルがけたゝましく鳴りひゞいた。総理はぐつすり寝込んで聞こえなかつたらしいが、義弟の松尾〔伝蔵〕大佐と、警衛の村上嘉茂右衛門巡査部長、土井清松巡査はハネ起きて総理の寝室に飛んだ。
「とうとう来ました!」
「来たといつて何が来たんだ」
「兵隊です。三百人ぐらい押しよせて来ました」
総理は寝床に坐つた〈スワッタ〉まゝ動こうとしない。三人は総理の手をとつて引き起した。庭へ。
そこには、かねて山王〈サンノウ〉方面へぬける秘密のぬけ穴が作られてあつた。犬養〔毅〕総理が暗殺されて以来、用意されていたものである。
しかし、この庭には早くも兵隊が散兵線をしいていた。数発の銃声とともに、土井〔清松〕巡査が射たれた。松尾大佐ら二人は総理を抱えるようにして部屋に帰り、廊下伝いに風呂場に飛びこんだ。入口に脱衣場があり、その奥が風呂場になつていたが、この風呂場は大き過ぎるのでふだんは使わず、空ビンが山のように積み重ねてあつた。そこへ岡田総理を押しこんだ。総理はそのビンの上にひつくり返つて、ガチャンと大きい音をたてた。この音で兵隊がさつと近づいて来た。
「三人いたら危ない」松尾大佐は総理に言いふくめて、村上巡査部長をつれると風呂場を出た。その瞬間、銃声が起り、村上巡査部長は倒れた。護衛はいつもズボンだけはつけたまゝ寝ているので、一般人とはすぐ見分けがつく。その村上巡査部長の後から、寝まき姿の松尾大佐が出たから、この松尾大佐を総理と間違えたものらしい。庭の切戸〈キリド〉まで走つた所を射たれた。松尾大佐は「やられた! 万歳」と叫んでバッタリ倒れた。
この「万歳」の声に反乱軍はどつと寄つて来た。もともと護衛もついていた事であり、最後が武人らしく「万歳」とやつたので、いよいよ岡田総理を射殺したと信じたらしい。また、実際のところ、総理と松尾大佐はよく似ていた。総理はゴマ塩交りのイガ栗頭だが、松尾大佐はてつぺんがハゲ上り、うしろの所に一寸毛がある程度の違いで、顔も、年恰好〈トシカッコウ〉も実によく似ていた。
「これだ、これだ」
兵隊たちは、すつかり信じ切つて、松尾大佐をかつぐと、総理の寝ていた寝床にそつと寝かした。
岡田総理はこの様子を風呂場の窓ガラスを通してよく見ていた。と、一人の兵隊が日本間の鴨居にかけられていた総理の写真を、銃剣の先でつき落した。ガラスが散つたが、その写真を松尾大佐に近づけて見比べ「やはり、これだ」と言いながら、一同はその枕辺〈マクラベ〉に集まると「帝国万歳」を三唱してそのまゝ出て行つた。この万歳の矢叫び〈ヤサケビ〉は官邱内にひゞきわたつて、それから先は兵隊の捜査陣は静かになつて行つた。
総理はノコノコ風呂場から出て来た。廊下に倒れている村上巡査部長を抱き起したところ、まだ生きていて「総理は出ちやいかん。引つこんで、引つこんで……」といつたまゝ絶命した。
寝床に横たわつていた松尾大佐はもう絶命していた。総理は深く頭〈コウベ〉を垂れ合掌した。静かになつて見ると、 自分の姿はまだ寝巻き姿であることを発見した。総理は押入れをあけてふだんばきの袴と羽織を出した。袴をつけようとしている時「誰だア」と兵隊の声がした。総理はとつさに壁のカゲにかくれた。
兵隊はそれ以上追つて来なかつた。袴をつけ終つて廊下伝いに風呂場まで来ると女中の二人――おさくさんとおきぬさんに、ばつたり会つた。
女中部屋の岡田総理
「まア、旦那様……」
二人の女中は総理の手を引つぱると風呂場の隣りの女中部屋に引き入れた。押入のフスマが開けられて、無理矢理に押しこめられた。間もなく「いま総理は亡くなつたのであります」この押入れの後方には連絡の電話器が置かれてあるのだが、その電話で、兵隊が第一連隊に連絡しているのが手に取るように聞える。
八時頃憲兵が女中部屋に入つて来た。そこには女中二人が押入に背中をつけて泣いている。憲兵は押入に人がいることを察したらしい。「おい、そこにいるのは怪我しているんじやないか。」という。それが敵か、味方が判らんので、女中は黙つて泣いている。すると憲兵は行つてしまつた。
一方、秘書官には福田耕〈タガヤス〉秘書官と迫水久常〈サコミズ・ヒサツネ〉秘書官と二人いたが、二人は総理は殺されたものと思つて、栗原安秀中尉の所に行き「ぜひ線香ぐらい上げさせて下さい」と言うと、栗原は「総理の最後は実に立派だつた」と言つた。両秘書官は憲兵に案内されて日本間に行き、総理の顔のカバーをとって見たら松尾大佐である。憲 兵は「総理でしよう」という。両秘書官は「そうです」とキツパリ言い切つた。そして憲兵に「女中に会わしてくれ」と頼んだ。女中に会えば総理のことが聞けると思つたからである。憲兵は女中部屋に案内してくれた。そして「ここにもう一人生きているんですよ」とそつと耳打ちしてくれた。いずれにしても、女中に会えば総理の消息が判ると思つて憲兵に「後刻女中の弁当を持つて来る」と言つたら「宜しい」と言うので、間もなく弁当を持って来た。憲兵は女中部屋まで案内したが、自分は中に入らずに「お入りなさい」と言つて戸を閉めて行つた。そこで始めて総理の無事な姿を確認したわけである。「お迎いに参りますから短気を起さんで 下さい」と総理に言い残して出て来た。
午後の五時頃、銃剣を着けた兵隊が三人来て女中に「そんな所にいてはいけない。早く帰れ」という。女中は「家がないから」と言つて泣いて動かない。兵隊が「秘書官の家があるから連れて行つてやる」と言つて手を引つぱつた。押入によりかゝつている二人の手を引つばつたから、フスマが開いた。同時に総理は押入から飛び出した。すると兵隊がびつくりして「あゝ、そうか」と言つて部屋を飛び出し、外から戸を閉めて「女中さん、それじやいてもいゝよ、そこにいてもいゝよ」と言いながら出て行つた。その兵隊はその足で秘書官の家に行つて「総理は生きています。私は見て来た」と報告した。秘書官にしてみれば、昼間弁当を持つて総理の所に行つたから知っているが「有難うございます」と言つて「お名前は」と聞くと「名前は言えませんが、私も私立大学を出た者です」と言つた。
一方、陸軍省では、総理は死亡と発表したが、政府では、総理の死該を見たわけではなし、生死不明ということで、内相の後藤文夫氏が「臨時代理仰付けらる」ということになつた。そうしてその夕方、総理が生きているということが判明したがその救出方法に見当がつかず一夜をすごしてしまつた。【以下、次回】