礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

呉智英氏の『吉本隆明という「共同幻想」』を読む

2013-01-31 07:50:36 | 日記

◎呉智英氏の『吉本隆明という「共同幻想」』を読む

 呉智英〈クレ・トモフサ〉氏の新刊『吉本隆明という「共同幻想」』(筑摩書房、二〇一二年一二月)を読んだ。同書は、序章「吉本隆明って、そんなに偉いんですか?」で始まり、終章「吉本隆明って、どこが偉いんですか?」で終わる。非常に読みやすく、わかりやすい本だった。
 呉智英氏は、この本の終章で、江戸時代の思想家・荻生徂徠と「戦後最大の思想家」吉本隆明とを比較し、次のように述べている。

 日本がユーラシア大陸の東の果ての島国である以上、どうしても文明は西から流れ込む。朝鮮から、支那から、インドから、ヨーロッパから。その結果、日本は翻訳大国である。それでいいといえばそれでいいのだが、たまにはこちらから西に発信してやりたい。徂徠がそんな悲願に応えているような気がする。日本は別に劣っているから翻訳大国なのではない、たまたま地理的条件がそうなだけだ、その証拠に徂徠先生を見よ、という気持ちになる。
 江戸の「大思想家の一人」荻生徂徠は、翻訳されないでも原典のままで海外に発信された。「戦後最大の思想家」吉本隆明は、どれだけ外国に発信されているのだろうか。もちろん誰かが翻訳した英語版やフランス語版でかまわないのだけれど、管見の限りでは一冊も翻訳されていない。日本の戦後思想を概観した文章などに間接的に言及されている程度である。
 それは、吉本隆明の文章が外国語に翻訳不可能な文章だからである。吉本の文章は、まず一度日本語に翻訳してから外国語に翻訳しなければならない。重訳を必要とする文章だからである。そして、日本語に翻訳してみると予想外につまらないことを言っていることが分かってしまい、外国語に翻訳する気力が萎えてしまうからである。このことは、私が本文に書いた通りである。

 この一節、「戦後最大の思想家」吉本隆明とあるところを、「日本民俗学の泰斗」柳田國男と置き換えても、全く同じことが言えそうな気がする。
 呉氏は、この本の第五章『共同幻想論』で、多少、柳田國男に言及している。柳田の『遠野物語』に言及することなしには、『共同幻想論』を論ずることは不可能なことは、今さら言うまでもない。しかし、柳田國男と『共同幻想論』との関係については、残念ながら、十分な論究はなかった。
 近現代における思想家・柳田國男の影響力は、吉本隆明の比ではない。その文章のわかりにくさも、吉本隆明の文章の比ではない。この次はぜひ、『柳田國男という「共同幻想」』を世に問うていただきたいものである。

今日のクイズ 2013・1・31

◎呉智英氏の新刊『吉本隆明という「共同幻想」』(2012)の序章は、「吉本隆明って、そんなに偉いんですか?」と題されています。この言葉を発した人物として正しいのは、次のうちどれだと思いますか。

1 『吉本隆明という「共同幻想」』を担当した筑摩書房の編集者。
2 『吉本隆明1968』(平凡社新書、2009)の著者・鹿島茂氏。
3 『吉本隆明1968』を担当した平凡社の編集者。

【昨日のクイズの正解】 3 「編輯」が本来の言葉で、「編集」はその代用語。■古い辞書、たとえば、大槻文彦の『言海』(初版1989)には、「編集」という言葉は出てきません。鴨下信一氏の説によれば、「編集」という代用語は、山本有三が、1939年の岩波書店版『山本有三全集』で使ったのが嚆矢だそうです。いま、この説に従います。2012年11月9日の当ブログをご参照ください。

今日の名言 2013・1・31

◎日本語に翻訳してみると予想外につまらないことを言っている

 呉智英氏が、吉本隆明の難解な文章を評した言葉。吉本隆明の文章は日本語ではないという強烈な皮肉に聞こえる。『吉本隆明という「共同幻想」』(2012)の219ページに出てくる。上記コラム参照。

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