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礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

下山定則は自殺である『真相』1949年10月号

2025-06-03 03:20:39 | コラムと名言
◎下山定則は自殺である『真相』1949年10月号

 下山定則国鉄総裁怪死事件いわゆる下山事件が起きたのは、1949年(昭和24)7月5日のことだった。この怪死事件については、事件直後から、自殺・他殺の両説がおこなわれた。
 月刊誌『真相』は、同年10月1日発行の第34号(第4巻第10号)に、「下山定則は自殺である」という無署名の記事を載せ、自殺説の立場を示した。本日以降、何回かに分けて、同記事の全文を紹介したい。

 下 山 定 則 は 自 殺 で あ る

  三者合同捜査
  会議の結論

 下山国鉄総裁の怪死事件は、発生後約一カ月の八月三日警視庁、検察庁および東大法医学教室三者合同捜査会議で、非公式ながら自殺の結論を出した。
この会議は当初二日に予定され気の早い商業紙のうちには二日の夕刊にその模様を見て来たように書き立てたものもあつたが、実際には三日午前十時から記者団の虚をついて目黒区碑文谷〈ヒモンヤ〉の坂本〔智元〕刑事部長公舎に堀崎〔繁喜〕捜査一課長、松本二課長、塚本鑑識課長、手柴総務課長ほか警視庁各係長、主任が集り法務庁側から山内刑事部長、布施〔健〕、佐久間〔幾雄〕、金澤〔清〕の四検事、東大側から古畑〔種基〕、桑島〔直樹〕、秋谷〔七郎〕の三博士に精神科内村〔祐之〕教授代理吉益〔脩夫〕助教授を迎えて会議は六時間の長きにわたつてつづけられた。
 席上、他殺説の東大法医学教室グループは終始沈黙をまもり、発言はもつぱら警視庁(捜査本部)側の自殺説にかぎられたが、これに対して法務庁側も東大側も何一つ反駁することができず、加うるに精神鑑定の大家吉益助教授から事件前日および当日の下山総裁の不審な言動や家族、同僚、部下などの証言にてらして自殺と考えられる旨の発言があつて、他殺説はほとんど根底から崩れ去つてしまつた。
 ことここに至つては、いかに強硬な他殺一本槍の検察庁も折れざるをえず、馬場〔義続〕次席検事は毎日記者(自殺説)に対して『検察庁としては何も他殺を固辞しているわけではない』と釈明したものの、なお面子にこだわる気持が捨てきれないのか『真相が明らかにされて納得が行けば何もいうことはない』と、いまだに納得が行かぬといつた調子で、仮定法の条件つきでシブシブ自殺説を「了承」したというより自殺説否定の態度をようやく改めた。
 いちばん未練にみえたのは東大古畑教授の一派で、捜査本部の報告や自殺の結論については何一つ反駁できないところまで迫いこまれながら、一たん発表した「死後轢断」の鑑定を取消すこともできず、会議の最後になつて古畑教授は『実驗の上からは死後轢断の主張に変化はないか、実際には捜査本部のいうような自殺の場合も考えられる』とすこぶるツジツマのあわぬ発言でお茶をにごした。
 これに輪をかけたのは堀〔忠嗣〕検事正で、『他殺と断定はせぬ』という一方で『自殺と断定するのも暴論である』とまるで自信のない株屋が一時に売買両建〈ウリカイリョウダテ〉をこころみるようなドツチつかずの意見か公けにし、とどのつまりは『自殺と推定されるが、本件には複雑多岐な事情もあり、今ただちに自殺とは断定しない』という奇々怪々な田中〔栄一〕警視総監談の線で、当分世論のうごきを見送るという歯切れの悪い態度におちついた。〈14ページ〉【以下、次回】

 最初のほうに「法務庁」という言葉が出てくる。法務庁は、戦後の一時期(1948年2月15日~1949年5月31日)に存在した行政機関で、法務行政全般を扱っていた。1949年6月1日に「法務府」と改称。したがって、下山事件発生時の名称は法務府。
 布施健(ふせ・たけし、1912~1988)、佐久間幾雄、金澤清は、当時、東京地検の検事。法務庁ないし法務府と東京地検との関係については、調べたがわからなかった。山内刑事部長の所属、フルネームも、調べたがわからなかった。

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