◎陛下の右側に立っているのが鈴木総理大臣
テレビ東京編(きき手・三國一朗)『証言・私の昭和史5 終戦前後』(文春文庫、1989)から、「終戦前夜 天皇と鈴木貫太郎首相」の章を紹介している。本日はその二回目。「―― 」以下は、「きき手・三國一朗」の発言である。
―― 池田〔純久〕さんは、当時内閣の綜合計画局長官として、八月一〇日、一四日、二回の御前会議に列席されて、この目で見、この耳でお聞きになったその御前会議の模様をご説明いただきたいと思います。
池田 真中〈マンナカ〉は申すまでもなく天皇陛下で、右側陛下のお近くから、立っているのが鈴木総理大臣、手前の方に向かって阿南陸軍大臣、梅津参謀総長、吉積【よしづみ】陸軍省軍務局長、迫水内閣書記官長です。陛下の左後ろにおられるのが蓮沼侍従武官長です。そして左側陛下のお近くから平沼枢密院議長、米内海軍大臣、東郷外務大臣、豊田軍令部総長、保科海軍省軍務局長、いちばん手前が私でございます。
―― そのとき、ポツダム宣言を受諾するかどうかについて、どういうふうに意見が分かれたんでしょうか。
池田 これは、結局三対三という数字に分かれまして、受諾するがよいというのと、受諾しては国体が危ないという議論でした。いわゆる国体護持ということがたいへんな問題でありまして、その点大丈夫という説と、これではダメだ受諾できないという意見に分かれたんであります。しかし、結局ポツダム宣言は全般の関係上どうしても受諾しなければなるまいということで、そうだとすれば、こちらとしては条件をつけたいということになりました。その条件が甲案と乙案とに分かれまして、甲案はつまり、天皇の統治の大権には変更がないということだけでいこうというわけです。それから、そうでない乙案の方は武装解除は困るとか、あるいは戦争犯罪人は日本で自主的にやりたいとか、保障占領はやめてくれっていうような意見を出しました。結局甲案、つまり皇室問題だけを主張したのが東郷外務大臣、米内海軍大臣でありました。
―― それで、三対三に分かれましたね。そこで鈴木総理は……。
池田 鈴木総理大臣はですね。畏れ多いが陛下のご聖断を承ると、それによって内閣の方針を決定しますということを立ちあがって陛下に申しあげたんです。
―― この右側、立ちあがっておられるのは、ご聖断を請い奉るところの鈴木総理ですね。と、そのご聖断はどうだったのですか。
池田 結局、外務大臣の東郷さんが、いろんな条件をつけることは連合国が決して承知しないだろうと。だからただ一つ、皇室国体問題だけを取り上げたらいい、ということを主張したのであります。そのときのご聖断の要旨は次のようです。要するに外務大臣の案に自分は同意すると、今日さらに空襲が激化しておるし、これ以上国民を塗炭の苦しみに陥れることは忍びないと、文化を破壊し、世界人類の不幸を招くことは私の欲しないところだから、忍ぶべきを忍んでこれを受諾したらいいと、忠勇なる軍人が武装解除されたり、昨日まで自分に忠義をつくしてくれた諸氏が戦争裁判で罰せられるというようなことは、情において忍びないが、どうぞこれは国家のためにやむを得ないんだと、明治大帝の三国干渉の心を心として、この際いっさいをがまんして外務大臣の案に賛成すると、こういうご意見でありました。〈236~238ページ〉【以下、次回】
ここで、池田純久が説明している「御前会議」とは、8月9日23時50分に開始され、翌10日未明に及んだ「戦争指導会議」を指している。その内容については、今月10日の当ブログ記事「それでは自分が意見をいふが……(昭和天皇)」を参照されたい。
同書の236ページには、この日の「御前会議」を再現した絵画の「下絵」が載っている。池田は、「立っているのが鈴木総理大臣」などと発言しているが、これは、この「下絵」に従って説明しているのである。
なお、「三対三」というのは、「甲案支持の東郷、米内、平沼」対「乙案支持の阿南、梅津、豊田」を指している。これについても、今月10日の当ブログ記事を参照されたい。
テレビ東京編(きき手・三國一朗)『証言・私の昭和史5 終戦前後』(文春文庫、1989)から、「終戦前夜 天皇と鈴木貫太郎首相」の章を紹介している。本日はその二回目。「―― 」以下は、「きき手・三國一朗」の発言である。
―― 池田〔純久〕さんは、当時内閣の綜合計画局長官として、八月一〇日、一四日、二回の御前会議に列席されて、この目で見、この耳でお聞きになったその御前会議の模様をご説明いただきたいと思います。
池田 真中〈マンナカ〉は申すまでもなく天皇陛下で、右側陛下のお近くから、立っているのが鈴木総理大臣、手前の方に向かって阿南陸軍大臣、梅津参謀総長、吉積【よしづみ】陸軍省軍務局長、迫水内閣書記官長です。陛下の左後ろにおられるのが蓮沼侍従武官長です。そして左側陛下のお近くから平沼枢密院議長、米内海軍大臣、東郷外務大臣、豊田軍令部総長、保科海軍省軍務局長、いちばん手前が私でございます。
―― そのとき、ポツダム宣言を受諾するかどうかについて、どういうふうに意見が分かれたんでしょうか。
池田 これは、結局三対三という数字に分かれまして、受諾するがよいというのと、受諾しては国体が危ないという議論でした。いわゆる国体護持ということがたいへんな問題でありまして、その点大丈夫という説と、これではダメだ受諾できないという意見に分かれたんであります。しかし、結局ポツダム宣言は全般の関係上どうしても受諾しなければなるまいということで、そうだとすれば、こちらとしては条件をつけたいということになりました。その条件が甲案と乙案とに分かれまして、甲案はつまり、天皇の統治の大権には変更がないということだけでいこうというわけです。それから、そうでない乙案の方は武装解除は困るとか、あるいは戦争犯罪人は日本で自主的にやりたいとか、保障占領はやめてくれっていうような意見を出しました。結局甲案、つまり皇室問題だけを主張したのが東郷外務大臣、米内海軍大臣でありました。
―― それで、三対三に分かれましたね。そこで鈴木総理は……。
池田 鈴木総理大臣はですね。畏れ多いが陛下のご聖断を承ると、それによって内閣の方針を決定しますということを立ちあがって陛下に申しあげたんです。
―― この右側、立ちあがっておられるのは、ご聖断を請い奉るところの鈴木総理ですね。と、そのご聖断はどうだったのですか。
池田 結局、外務大臣の東郷さんが、いろんな条件をつけることは連合国が決して承知しないだろうと。だからただ一つ、皇室国体問題だけを取り上げたらいい、ということを主張したのであります。そのときのご聖断の要旨は次のようです。要するに外務大臣の案に自分は同意すると、今日さらに空襲が激化しておるし、これ以上国民を塗炭の苦しみに陥れることは忍びないと、文化を破壊し、世界人類の不幸を招くことは私の欲しないところだから、忍ぶべきを忍んでこれを受諾したらいいと、忠勇なる軍人が武装解除されたり、昨日まで自分に忠義をつくしてくれた諸氏が戦争裁判で罰せられるというようなことは、情において忍びないが、どうぞこれは国家のためにやむを得ないんだと、明治大帝の三国干渉の心を心として、この際いっさいをがまんして外務大臣の案に賛成すると、こういうご意見でありました。〈236~238ページ〉【以下、次回】
ここで、池田純久が説明している「御前会議」とは、8月9日23時50分に開始され、翌10日未明に及んだ「戦争指導会議」を指している。その内容については、今月10日の当ブログ記事「それでは自分が意見をいふが……(昭和天皇)」を参照されたい。
同書の236ページには、この日の「御前会議」を再現した絵画の「下絵」が載っている。池田は、「立っているのが鈴木総理大臣」などと発言しているが、これは、この「下絵」に従って説明しているのである。
なお、「三対三」というのは、「甲案支持の東郷、米内、平沼」対「乙案支持の阿南、梅津、豊田」を指している。これについても、今月10日の当ブログ記事を参照されたい。
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