◎複雑多岐なのは事件そのものではなく事件の背景
『改造』第34号(1949年10月)から、「下山定則は自殺である」という記事を紹介している。本日は、その二回目。
〝複雑多岐〟な
事情とは……
こういう奇妙な結論は、表面だけをみていると、他殺一本槍の検察および東大法医学教室の面子〈メンツ〉を救うため、自殺説の警視庁に形式的に譲歩させ、実質的には自殺説と同じ効果を狙つたものであり〝推定〟を〝了承する〟などと苦しい表現で逃げを打つて暗黙のうちに責任を回避したという単純な解釈でケリをつけることになる。
しかし、この場合、気にかかるのは『この事件に複雄多岐な事情もあるので』という当局の〝釈明〟ないし〝カクレミノ〟である。
捜査当局の熱心な活勤は、事件そのものを自殺と推定するに足るだけの根拠を十二分につかんでいるのだから、この面から判断するかぎり、事件は非常に単純であり自殺一本槍で片づいている。してみると〝複雑多岐〟は事件そのものの性質ではなくて、背景に存するものと考えざるをえないし、事実またそれ以外には何ら〝複雑多岐〟なものはありえないであろう。
そこで考えられるのは、事件発生当初――事件がまだ事件にならない以前から、すなわち下山総裁が予定の時刻を二、三時間すぎても登庁しないというだけのことで〝行方不明〟と断定、新聞ラジオに発表し、おそらく当時まだ生きていた当人に異常なシヨツクをあたえ帰宅しようにもできないような立場に追いこんだのは加賀山副総裁〔加賀山之雄国鉄副総裁〕の責任である。
意地わるく推測すれば、加賀山は〝行方不明〟を記者団に発表し、号外を出させたとき、もはや下山は生きて帰宅せぬであろうという確信をもつていたとも見られる。その確信がどのような根拠から生じたにせよ、下山はついに死骸となつて発見され、加賀山の面子はつぶれなかつた。しかし、その前後からしきりに事件の背後関係や暴力ないし脅迫をうんぬんして社会の視聴を巧みに誘導し、暗に共産党員の犯行であろうと一時にもせよ思いこませることに成功した加賀山とその背後の勢力は、自殺と断定されてはチト困る事情にある。強引に他殺ときめさせて面目をほどこすことが無理とすれば、せめて
『他殺でないにしても自殺なりと断定するのは暴論である』というようなところで妥協しておかねば、将来都合がわるいのである。
次に自殺と決まることに最近不都合を痛感しているのはほかならぬ下山総裁の遺族であろう。
はじめ失踪と知つたときは、芳子夫人はじめ家族の多くは直感的に
『自殺じやないかという気がする』と語つていたにかかわらず、次第に自殺否定の態度にかたむき最後には
『他殺とみとめられなければ遺骨を引きとらぬ』と強硬に変化しているが、このような変化は、他殺と考える新しい客観的根拠が発見されてからおこつたものではなく、単に『自殺とはかんがえられぬ』という主観的な判断を事件後しばらくしてから主張しはじめているにすぎない〈14~15ページ〉【以下、次回】
『改造』第34号(1949年10月)から、「下山定則は自殺である」という記事を紹介している。本日は、その二回目。
〝複雑多岐〟な
事情とは……
こういう奇妙な結論は、表面だけをみていると、他殺一本槍の検察および東大法医学教室の面子〈メンツ〉を救うため、自殺説の警視庁に形式的に譲歩させ、実質的には自殺説と同じ効果を狙つたものであり〝推定〟を〝了承する〟などと苦しい表現で逃げを打つて暗黙のうちに責任を回避したという単純な解釈でケリをつけることになる。
しかし、この場合、気にかかるのは『この事件に複雄多岐な事情もあるので』という当局の〝釈明〟ないし〝カクレミノ〟である。
捜査当局の熱心な活勤は、事件そのものを自殺と推定するに足るだけの根拠を十二分につかんでいるのだから、この面から判断するかぎり、事件は非常に単純であり自殺一本槍で片づいている。してみると〝複雑多岐〟は事件そのものの性質ではなくて、背景に存するものと考えざるをえないし、事実またそれ以外には何ら〝複雑多岐〟なものはありえないであろう。
そこで考えられるのは、事件発生当初――事件がまだ事件にならない以前から、すなわち下山総裁が予定の時刻を二、三時間すぎても登庁しないというだけのことで〝行方不明〟と断定、新聞ラジオに発表し、おそらく当時まだ生きていた当人に異常なシヨツクをあたえ帰宅しようにもできないような立場に追いこんだのは加賀山副総裁〔加賀山之雄国鉄副総裁〕の責任である。
意地わるく推測すれば、加賀山は〝行方不明〟を記者団に発表し、号外を出させたとき、もはや下山は生きて帰宅せぬであろうという確信をもつていたとも見られる。その確信がどのような根拠から生じたにせよ、下山はついに死骸となつて発見され、加賀山の面子はつぶれなかつた。しかし、その前後からしきりに事件の背後関係や暴力ないし脅迫をうんぬんして社会の視聴を巧みに誘導し、暗に共産党員の犯行であろうと一時にもせよ思いこませることに成功した加賀山とその背後の勢力は、自殺と断定されてはチト困る事情にある。強引に他殺ときめさせて面目をほどこすことが無理とすれば、せめて
『他殺でないにしても自殺なりと断定するのは暴論である』というようなところで妥協しておかねば、将来都合がわるいのである。
次に自殺と決まることに最近不都合を痛感しているのはほかならぬ下山総裁の遺族であろう。
はじめ失踪と知つたときは、芳子夫人はじめ家族の多くは直感的に
『自殺じやないかという気がする』と語つていたにかかわらず、次第に自殺否定の態度にかたむき最後には
『他殺とみとめられなければ遺骨を引きとらぬ』と強硬に変化しているが、このような変化は、他殺と考える新しい客観的根拠が発見されてからおこつたものではなく、単に『自殺とはかんがえられぬ』という主観的な判断を事件後しばらくしてから主張しはじめているにすぎない〈14~15ページ〉【以下、次回】
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