◎人民主権説は時期尚早である(片山哲)
長尾和郎『戦争屋』(妙義出版、1955)から、「敗戦のあのころ」の章を紹介している。本日はその五回目(最後)で、「しどろもどろの片山哲」の節の全文を紹介する。
しどろもどろの片山哲
当時の記録によると、ともかく新憲法の原則ともいうべき「主権在民」を堂々と打ち出したのは、民間憲法研究会と高野岩三郎のみであって、政府はもちろん自由党や進歩党も、進歩的な憲法学者と見られていた美濃部〔達吉〕・佐々木〔惣一〕の両博士をはじめ、宮沢〔俊義〕・河村〔又介〕の両教授も、そしてまた多くの知識人や社会党でさえも、この民主主義の原則に思いあたらなかったのはどうしたものだろう。
とくに、もっとも進歩的な政党をもって任じている社会党でさえ、人民主権を認めなかったことには、重要な意義があったといわねばなるまい。
「週刊朝日」(昭和二十年十二月)の室伏高信・片山哲〈テツ〉・山川菊栄〈キクエ〉らの座談会の一節を見てみよう。この間の社会党の態度が端的にあらわれている。
室伏 主権が人民に属さないかぎり、民主主義というものはありえないと思うが。
片山 僕はそう考えないのだ。
室伏 天皇はあってもいいが、民主主義であるかぎり、主権は人民になければならぬ。上〈カミ〉は軽し〈カロシ〉とし、下貴し〈シモ・タットシ〉とするという原則の上に立たなければ、民主主義にならないと思う。
片山 民主主義の方法にもいろいろある。
室伏 日本のように急速に民主主義国家として出発するためには根本の問題を――あまりそんなことをいうと投票がへるだろう。というようなことじゃ、革命的意義がないといえる。
片山 投票とか人気とかいうことを考えないで、日本の国情も歴史ということを考えて、国民の総意による民主主義的発展において、政治主権というものは改造されなければならぬという原則を考慮して、いますぐ否認するのはいけないと思う。
室伏 社会党のごときは、民衆に訴えるというだけでなく、民衆を率いるものでなくちゃならないわけだ。だから民衆に向うところを教え、民主主義というものは人民主権でなければならないということになるとすれば、それを勇敢にいいきって判断をこういうところまで行かなければならぬ。
片山 現状に満足するわけじゃない。現在のような天皇主権説は反対であるが、やはり一躍主権は人民にありという説を採ることは尚早である。
社会党でさえこうであったのだから、幣原内閣によって、たとえ〝押しつけられた憲法〟ではあっても、国民主権と戦争放棄を真正面からとりあげられるとは、おそらくだれもが考えおよばなかったところであろう。
ところで幣原内閣による第九十議会で、新憲法が公表されると、共産党をのそく各政党はいずれも「今日の政府案はわが党が主張するところとおおむね同じである。だいたいにおいてこれを支持するにやぶさかでない」といわしめたのである。
しかし、憲法改正をめぐる問題として、マーク・ゲインはその「ニッポン日記」でこう警告していることは注目される。
「新憲法で何よりも悪いのは、マッカーサー元帥自身かいたという軍備放棄に関する規定である。なぜなら、日本の新聞や日本歴史をちょっと読んだことのある人なら、占領が終りさえすれば、日本が何らかの口実をもうけ軍隊を再建することはとうてい疑えないからである。日本で地震が避けられないのと同様に、これは不可避なことなのだ。かくてまさにその本質上新憲法は欺瞞を生むものである。欺瞞の内在する憲法は断じて永続しうるものではない」
この「ニッポン日記」のかかれたのは、昭和二十三〔1948〕年七月のことである。一外人記者の予言の通り、その翌年から新憲法の改正の声があがり、新憲法をめぐって同一歩調をとった政党のうちにあって、主権在民を反対した社会党が、新憲法を平和憲法とよび、その改定に反対を打ち出していうことは皮肉ではある。そしてまた、新憲法制定当時に一言の発権〔ママ〕もなかった多くの知識人の多くは、新憲法を血でまもれと呼んでいるのはどうしたものだろう。
社会党はもちろん、平和主義をとなえる進歩派グループが、この新憲法を血でまもれというのは、国家や国民のためにではなく、その立場、そのイデオロギーの擁護を叫んでいるのではあるまいか。マーク・ゲインのいう日本で地震が避けられないのと同様に、新憲法はその生い立ちから、改正を余儀なくされていたのではないだろうか。〈137~140ページ〉
長尾和郎『戦争屋』(妙義出版、1955)から、「敗戦のあのころ」の章を紹介している。本日はその五回目(最後)で、「しどろもどろの片山哲」の節の全文を紹介する。
しどろもどろの片山哲
当時の記録によると、ともかく新憲法の原則ともいうべき「主権在民」を堂々と打ち出したのは、民間憲法研究会と高野岩三郎のみであって、政府はもちろん自由党や進歩党も、進歩的な憲法学者と見られていた美濃部〔達吉〕・佐々木〔惣一〕の両博士をはじめ、宮沢〔俊義〕・河村〔又介〕の両教授も、そしてまた多くの知識人や社会党でさえも、この民主主義の原則に思いあたらなかったのはどうしたものだろう。
とくに、もっとも進歩的な政党をもって任じている社会党でさえ、人民主権を認めなかったことには、重要な意義があったといわねばなるまい。
「週刊朝日」(昭和二十年十二月)の室伏高信・片山哲〈テツ〉・山川菊栄〈キクエ〉らの座談会の一節を見てみよう。この間の社会党の態度が端的にあらわれている。
室伏 主権が人民に属さないかぎり、民主主義というものはありえないと思うが。
片山 僕はそう考えないのだ。
室伏 天皇はあってもいいが、民主主義であるかぎり、主権は人民になければならぬ。上〈カミ〉は軽し〈カロシ〉とし、下貴し〈シモ・タットシ〉とするという原則の上に立たなければ、民主主義にならないと思う。
片山 民主主義の方法にもいろいろある。
室伏 日本のように急速に民主主義国家として出発するためには根本の問題を――あまりそんなことをいうと投票がへるだろう。というようなことじゃ、革命的意義がないといえる。
片山 投票とか人気とかいうことを考えないで、日本の国情も歴史ということを考えて、国民の総意による民主主義的発展において、政治主権というものは改造されなければならぬという原則を考慮して、いますぐ否認するのはいけないと思う。
室伏 社会党のごときは、民衆に訴えるというだけでなく、民衆を率いるものでなくちゃならないわけだ。だから民衆に向うところを教え、民主主義というものは人民主権でなければならないということになるとすれば、それを勇敢にいいきって判断をこういうところまで行かなければならぬ。
片山 現状に満足するわけじゃない。現在のような天皇主権説は反対であるが、やはり一躍主権は人民にありという説を採ることは尚早である。
社会党でさえこうであったのだから、幣原内閣によって、たとえ〝押しつけられた憲法〟ではあっても、国民主権と戦争放棄を真正面からとりあげられるとは、おそらくだれもが考えおよばなかったところであろう。
ところで幣原内閣による第九十議会で、新憲法が公表されると、共産党をのそく各政党はいずれも「今日の政府案はわが党が主張するところとおおむね同じである。だいたいにおいてこれを支持するにやぶさかでない」といわしめたのである。
しかし、憲法改正をめぐる問題として、マーク・ゲインはその「ニッポン日記」でこう警告していることは注目される。
「新憲法で何よりも悪いのは、マッカーサー元帥自身かいたという軍備放棄に関する規定である。なぜなら、日本の新聞や日本歴史をちょっと読んだことのある人なら、占領が終りさえすれば、日本が何らかの口実をもうけ軍隊を再建することはとうてい疑えないからである。日本で地震が避けられないのと同様に、これは不可避なことなのだ。かくてまさにその本質上新憲法は欺瞞を生むものである。欺瞞の内在する憲法は断じて永続しうるものではない」
この「ニッポン日記」のかかれたのは、昭和二十三〔1948〕年七月のことである。一外人記者の予言の通り、その翌年から新憲法の改正の声があがり、新憲法をめぐって同一歩調をとった政党のうちにあって、主権在民を反対した社会党が、新憲法を平和憲法とよび、その改定に反対を打ち出していうことは皮肉ではある。そしてまた、新憲法制定当時に一言の発権〔ママ〕もなかった多くの知識人の多くは、新憲法を血でまもれと呼んでいるのはどうしたものだろう。
社会党はもちろん、平和主義をとなえる進歩派グループが、この新憲法を血でまもれというのは、国家や国民のためにではなく、その立場、そのイデオロギーの擁護を叫んでいるのではあるまいか。マーク・ゲインのいう日本で地震が避けられないのと同様に、新憲法はその生い立ちから、改正を余儀なくされていたのではないだろうか。〈137~140ページ〉
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